表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/10

第九話・裏「一色風香との買い物」

土曜日の朝。


 私は鏡の前で、三度目の着替えをしていた。


 白のブラウスに、紺のロングスカート。シンプルだけど、上品に見える組み合わせ。


 ——いえ、違うわね。


 これじゃあ地味すぎるかしら。もう少し華やかな方がいい? でも、派手すぎると引かれるかもしれない。田口くん、そういうの苦手そうだし。


 私は結局、最初に選んだ服に戻した。


 三十分も悩んで、最初の服。我ながら滑稽だわ。


 でも——今日は特別な日なのよ。


 田口くんと、二人きりで買い物。


 仕事の一環という名目だけど、実質デートみたいなものでしょう?


 私がそう思っているだけかもしれないけど。


 香水を少しだけつけて、髪を整える。


 ——大丈夫。落ち着いて。私は二十六歳の大人の女なんだから。


 七歳も年下の男の子との買い物で、こんなに緊張するなんて。


 自分でも呆れるわ。



 ◆



 駅前に着くと、田口くんはもう待っていた。


 ベンチに座って、きょろきょろと周りを見回している。


 あの素朴な感じ。飾り気のない服装。緊張しているのか、少しそわそわしている様子。


 私は思わず頬が緩むのを感じた。


「田口くん」


 声をかけると、田口くんが振り返った。


 そして——一瞬、息を飲んだような顔をした。


 私の服装を見て、驚いているのかしら。


 それとも——綺麗だと、思ってくれた?


 だといいな。


「おはよう。待った?」


「いえ、今来たところです」


 嘘ね。さっき見たとき、もうベンチに座ってたもの。


 でも、その嘘が嬉しい。待たせたと思わせたくない、という気遣い。


 田口くんは、そういうところがあるのよ。



 ◆



 駅前から歩き出した。


 田口くんが隣にいる。


 私の心臓が、少しだけ速く鳴っている。


 ——落ち着きなさい、風香。あなたは大人でしょう?


 自分に言い聞かせながら、世間話をする。


 天気の話。一人暮らしの話。自炊の話。


 田口くんは少し緊張しているみたいだけど、ちゃんと受け答えしてくれる。


 その横顔を、ちらりと見た。


 ——本当に、いい子。


 植物園でも、いつも真面目に働いてくれる。文句も言わないし、黙々と作業をこなす。


 優しくて、素直で、ちょっと鈍感で。


 そういうところが——。


 年下の、大学生の男の子のことが。


 我ながら、どうかしてると思う。


 でも——今日くらいは、いいでしょう?


 二人きりの時間を、楽しませてもらうわ。


 ——その時だった。


 視界の端に、チャラそうな男が映った。


 茶髪のイケメン風。友達と二人連れ。


 こっちを見ている。


 私を、見ている。


 ——あら。


 嫌な予感がした。


 男たちがこちらに向かって歩き始める。明らかにナンパ目的の歩き方。軽薄な笑みを浮かべて、私と田口くんの間に割り込もうとしている。


 ——ダメよ。


 今日は、邪魔させない。


 私は右手の人差し指を、ほんの少しだけ動かした。


 パキッ。


 男の一人が履いていたスニーカーの靴紐が、突然切れた。


「え、マジ?」


 男が足元を見下ろす。靴紐がぷっつりと切れて、スニーカーが脱げかけている。


「ちょっと待って、靴紐——」


「マジかよ、今かよ」


 男たちが立ち止まる。


 私と田口くんは、その横を素通りした。


「どうかしましたか?」


 田口くんが不思議そうに聞いてくる。


「ううん、何でもないわ」


 私はにっこり笑った。


 ——一人目、撃退。



 ◆



 ホームセンターへの道中。


 商店街を抜けると、また別の男が近づいてきた。


 今度はスーツ姿。キャッチセールスか何かかしら。


 私を見て、にやりと笑う。


「お嬢さん、ちょっといい——」


 私は指を動かした。


 ブーッ!


 男のポケットからスマホの音が鳴った。


「——あ、すみません、電話」


 男がスマホを取り出す。


 電話なんてかかってきていない。私が強制的にバイブレーションを作動させただけ。


 でも、男は画面を見て首を傾げながら、こちらから離れていった。


 ——二人目、撃退。


「今の人、何か用だったんですかね」


「さあ、道でも聞きたかったんじゃない?」


 私は涼しい顔で答えた。



 ◆



 ホームセンターに到着。


 脚立を選び、園芸用品を選び、田口くんに荷物を持ってもらう。


 両腕に脚立、背中に大きな袋。


 重そう。でも、田口くんは弱音を吐かない。


「重くない? 大丈夫?」


「大丈夫です」


 ——嘘ね。


 でもここで手伝うというと、逆に気をつかわせてしまう。だから私はこっそりと補助をする、私のーーで。


「無理しないでね。お昼、奢るから」


 こんなに純粋な反応をされると、もっといろいろしてあげたくなる。


 ——いけない、いけない。


 私は大人なんだから。ちゃんと理性を保たないと。



 ◆



 会計を済ませて、店の外に出た。


 駐車場に向かう途中——また、男が近づいてきた。


 今度は三人組。大学生くらいに見える。


 私と田口くんを見て、何かひそひそ話している。


「あの人、めっちゃ綺麗じゃね?」


「連れの男、弟っぽくね?」


「いけるっしょ」


 ——聞こえてるわよ。


 私は指を動かした。


 ガタン。


 近くに停めてあった自転車が、ドミノ倒しのように連鎖して倒れ始めた。


「うわっ!?」


「自転車! 俺の自転車!!」


 男たちが慌てて自転車を起こしに走る。


 私と田口くんは、その隙に駐車場へ向かった。


 ——三人目、撃退。



 ◆



 荷物を車に積み込んで、イタリアンレストランへ。


 田口くんが助手席に座っている。


 狭い車内。二人きり。


 田口くんの緊張が伝わってくる。


 こんなに緊張してくれるなんて、嬉しいじゃない。


「田口くん、静かね」


「いえ、別に——」


「緊張してる?」


「してないです」


 ——嘘ばっかり。


 でも、その嘘が愛おしい。


 私はくすくす笑った。


「可愛いわね、田口くんって」


 田口くんが耳を赤くした。


 ——ああ、もう。


 反則よ、その反応。


 私の心臓が、また少し速く鳴った。



 ◆



 レストランに到着。


 駐車場から店に向かう途中——また、ナンパが接近してきた。


 今度は二人組。さっきより体格がいい。


 明らかに私を狙っている目。


 ——しつこいわね。


 今日は何人目?


 私はため息をつきそうになった。


 でも、田口くんの前でため息をつくわけにはいかない。お姉さんらしく、優雅に対処しないと。


 男たちが近づいてくる。


「ねえ、お姉さん——」


 私は指を動かした。


 ガタン。


 店の看板が倒れて、男の一人が足を取られた。


 パシャン。


 上から水が落ちてきて、二人ともびしょ濡れに。


 ——完璧。


 二段構えで撃退。


「災難だったわね、あの人たち」


 私は涼しい顔で言った。


 田口くんが不思議そうな顔をしている。


 ——ごめんね、田口くん。


 あなたには言えない魔法なの。


 でも、あなたとの時間を邪魔する人には——容赦しないわ。



 ◆



 レストランで、向かい合って座る。


 ボンゴレビアンコを注文して、おしゃべりをする。


 田口くんの妹さんの話を聞いた。


 優等生で、辛辣で、でも毎週アパートに来てくれる妹さん。


 ——素敵な子ね。


 田口くんのことを、本当に大事に思っているのがわかる。


 私は——少しだけ嫉妬した。


 毎週家で一緒なんて、羨ましい。


 私は週に二回のバイトの時しか、田口くんに会えないのに。


「今度、妹さんに会ってみたいわ」


 気がついたら、そう言っていた。


 田口くんが驚いた顔をする。


「茜に?」


「ええ。田口くんのこと、いつもお世話してくれてるんでしょう? お礼を言いたいの」


 ——嘘じゃないわ。


 でも、本当の理由は別にある。


 田口くんの家族に会いたい。田口くんのことを、もっと知りたい。


 そして——できれば、気に入られたい。


 外堀から埋めていく作戦。


 二十六歳の女が、そんな計算をしているなんて。


 我ながら、必死すぎて笑える。


 でも——仕方ないじゃない。


 ◆



 食事を終えて、植物園へ向かう。


 荷物を運び込んで、バイト代を渡す。


「また来週ね」


「はい」


 田口くんが帰っていく。


 その背中を見送りながら——私はため息をついた。


 ——今日のナンパ撃退、合計五回。


 田口くんが気づいたのは一回だけ。


 残りの四回は、全部未然に防いだ。


 靴紐を切ったり、スマホを鳴らしたり、自転車を倒したり。


 我ながら、よくやったと思う。


 でも——疲れたわ。


 魔法を使うのは、そんなに大変じゃない。問題は、田口くんに気づかれないようにすること。


 彼は鈍感だけど、さすがに何度も不思議なことが起きたら怪しむでしょう?


 だから、自然な「偶然」に見せかけないといけない。


 それが、意外と神経を使うの。


 ——でも。


 私は微笑んだ。


 今日は、楽しかった。


 田口くんと二人きりで買い物して、お昼を食べて、車で送って。


 まるで——本当のデートみたいだった。


 次は、もっと自然に誘えるといいな。


 バイトの手伝いじゃなくて、純粋にデートとして。


 ——気長に行きましょう。


 私は二十六歳の大人なんだから。


 焦る必要はないわ。


 ゆっくり、確実に、距離を縮めていけばいい。


 妹さんにも会って、仲良くなって。


 外堀から、一つずつ埋めていく。


 ——待っててね、田口くん。


 お姉さん、本気だから。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ