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第一話「変人と霊媒師」

春の陽気が心地いい四月の午後。


 俺——田口拓実(たぐちたくみ)は、大学の学食で一人、カツカレーと格闘していた。


 格闘といっても別に辛すぎるとか量が多すぎるとかではない。ただ単純に、今日のカツがやたら硬いのだ。噛むたびに顎が悲鳴を上げる。


 これはオリハルコンでできているのではないかと思わせる硬度、むしろオリハルコンをこんな安値で提供できる学食に驚嘆していた。


「隣、いいかい?」


 聞き慣れた声に顔を上げると、黒髪ロングの美少女がトレイを持って立っていた。


 神龍寺(しんりゅうじ)


 下の名前は教えてくれない。聞いても「秘密」の一点張り。たぶん珍しい名前、来宙(らいちゅう)とかで恥ずかしいとかそういうやつだと俺は睨んでいる。


「どうぞ」


 俺が頷くと、神龍寺は無表情のまま向かいの席に座った。トレイの上には醤油ラーメン。この女、見た目はお嬢様なのに学食の醤油ラーメンが好きという謎の味覚を持っている。


「今日のカツ、硬くない?」


「知らない。食べてないから」


「だよね」


 会話が途切れる。


 でも別に気まずくはない。俺と神龍寺の間では、こういう沈黙はいつものことだ。


 神龍寺とは去年の春、ミステリーサークルの新歓飲み会で知り合った。


 正確に言うと、俺はサークルに入る気なんてさらさらなくて、ただ「無料で飯が食える」という情報だけで参加した不届き者だった。で、会場の隅っこで一人黙々とから揚げを食べていたら、同じように隅っこで一人黙々と枝豆を食べている女がいた。


 それが神龍寺だった。どうやら霊媒師だとサークルメンバーに自己紹介し、仲間探しをしていたようだ。


 人の輪から外れ、いつの間にか行き着く先は同じだったらしく、適当に神龍寺に合わせて話をしていた。どうやら俺のフラッシュアイデア【リモート除霊理論】がお気に召したようだ。


 翌日、学食で飯を食っていたら「隣、いい?」と声をかけられた。振り返ると昨日の枝豆女がいた。


 以来、なぜか講義を一緒に受けたり、飯を食う仲になった。


 友達、なのだと思う。たぶん。


「ねえ」


 神龍寺が麺をすすりながら言った。相変わらず表情は動かない。


「週末は暇かい?」


「暇だけど」


「水族館、行かない?」


 俺は思わずカツカレーを食べる手を止めた。


 水族館。週末。二人で。


 これは……デートのお誘いか?


 いやいやいや。落ち着け田口拓実。お前みたいな陰キャが美少女からデートに誘われるわけがないだろう。これは絶対に何か裏がある。


 例えば——そう、実は神龍寺には彼氏がいて、その彼氏が水族館でプロポーズするからサクラとして参加してほしいとか。ないな。


 あるいは——水族館の年間パスポートを買ったはいいものの一人で行くのは寂しいから付き添いが欲しいとか。これも考えにくい。


 もしくは——実は神龍寺は水族館の回し者で、客を連れてくるとバックマージンが入るシステムになっているとか。これか。


「……何を一人でぶつぶつ言ってるの」


「あ、ごめん。つい」


 どうやら思考が口から漏れていたらしい。悪い癖だ。


「単純に、行きたいんだ。でも一人は味気ないから」


「なるほど」


 つまり俺は暇つぶし要員というわけか。なんだ、そういうことか。納得した。


 まあいいか。俺だって暇だし。


「いいよ。行こう」


「ふふ、ありがと」


 神龍寺が小さく頷く。


 気のせいか、ほんの少しだけ口角が上がったような気がした。


 うん、気のせいだな。


 ◆



 土曜日。


 駅前で待ち合わせた俺たちは、電車に揺られて水族館へと向かった。


 神龍寺は今日も無表情だったが、なんとなくそわそわしているように見えた。目が泳いでいるというか、落ち着きがないというか。


 水族館、そんなに楽しみなのか。


 意外と可愛いところあるじゃん来宙——とか思ったけど、口には出さない。言ったら絶対に殺される。比喩ではなく物理的に。


「着いた」


 水族館の入り口で、神龍寺がぼそりと呟いた。


 休日だけあって、家族連れやカップルで賑わっている。その中に紛れる俺たち二人は、傍から見たらどう映っているのだろう。


 友達同士? 兄妹? それとも——


「何ぼーっとしているんだい。行くよ」


「あ、うん」


 俺は水族館の中へと足を踏み入れた。



 ◆



 水族館の中は薄暗くて、水槽の青い光が幻想的だった。


 大きな水槽の前で足を止めると、色とりどりの魚たちが優雅に泳いでいる。イワシの大群が渦を巻き、その中をゆったりとエイが横切っていく。


「綺麗……」


 神龍寺が珍しく感嘆の声を漏らした。


 普段は無表情無愛想な彼女が、水槽の光に照らされて目を輝かせている。


 なんというか——綺麗だな、と思った。魚じゃなくて、神龍寺が。


「何?」


「いや、何も」


 視線に気づいた神龍寺が怪訝そうにこちらを見る。俺は慌てて目を逸らした。


 危ない危ない。見惚れてたなんてバレたら何を言われるか分からない。


「あっちにクラゲがいるって。行こうか」


「お、おう」


 神龍寺に先導されるまま、俺はクラゲエリアへと向かった。



 ◆



 クラゲエリアは、さらに幻想的な空間だった。


 暗がりの中、色とりどりにライトアップされたクラゲたちがふわふわと漂っている。ミズクラゲ、アカクラゲ、タコクラゲ——名前は分からないけど、どれも綺麗だ。


「クラゲって、脳がないんだって」


 神龍寺がぽつりと言った。


「そうなの?」


「うん。心臓も血液もない。でも何億年も生きてきた」


「へえ……」


 脳がないのに生きている。なんだか哲学的だ。


「羨ましいと思わない?」


「……どういう意味?」


「何も考えなくていいって、楽そうじゃない」


 神龍寺の言葉に、俺は少し考え込んだ。


 確かに、何も考えずにふわふわ漂って生きていけたら楽かもしれない。嫌なことも、辛いことも、全部忘れて——


「まあ、私は別に楽したいとは思わないけど」


「じゃあなんで」


「なんとなく」


 神龍寺は肩をすくめて、クラゲの水槽に視線を戻した。


 この女、たまによく分からないことを言う。たまにでもないか…でもそれが嫌いじゃない。


 俺たちは関係性が決まった時のまま、そのままアップデートしない。大学で同じ空間に居合わせて、どちらともなく話すようになって、気が付いたら友達になっていた。


 正直なところ、あまり深く考えていない。「陰キャが美少女と?」とか「神龍寺に惚れてるの?」とか、周りから聞かれることはあった。特に去年はひどかった。神龍寺に群がる男連中もいたが、いかんせん自称霊能力者とわかり、霊の話ばかりすると去っていった。


 そんな些細な波風をスルーしてから一年。気付いたら話しかけてくる奴らもいなくなった。いいことだ。神龍寺とこうやって二人で水族館、居心地がいいと思うし、この距離感がいい。この関係を何かと定義する必要なんて、きっとどこにもない。



 ◆



 イルカショーを見て、ペンギンを眺めて、お土産コーナーで謎のぬいぐるみを買わされて(神龍寺が「買って」と言うから仕方なく)、気づけば夕方になっていた。


「そろそろ帰る?」


「……そうだな」


 神龍寺が名残惜しそうに水族館を振り返る。


 本当に楽しかったんだな。よかった。


 出口に向かって歩き出したその時——俺の内側に秘めた力の暴走を感じた。


「あ、やべ。トイレ行きたい」


「……は?」


 デリカシーのない言葉に真顔ながら、若干怪訝な顔をされてしまった。だがそこがいい。


「ごめん、ちょっと待ってて」


 俺は神龍寺を残して、内から溢れ出す力を抑えながら、急いでトイレへと駆け込んだ。


 俺を苦しめる力を全て開放し、トイレを出ると——


「——失礼、そこのお嬢さん」


 聞き覚えのない声が聞こえた。


 声のした方を見ると、神龍寺の前に一人の男が立っていた。


 シルクハットに燕尾服。手にはステッキ。まるで昔の貴族のような、時代錯誤な格好。


 なんだあの人。コスプレイヤーか?


「大変恐縮ではございますが、ワタクシ、とあるお願いがございまして」


「…………」


 神龍寺は無言で男を見上げている。


 男は気にした様子もなく、恭しく一礼した。


「どうか——『ご主人様のズレたチ〇ポジ、私に修正させていただけないでしょうか』と言っていただけませんか」


 は? ド下ネタを神龍寺に披露する変態紳士がそこにいた。


「無論、報酬はお支払いいたします。そう、ワタクシの魂の悦びという、何物にも代えがたい至上の——」


「お断りします」


 神龍寺がバッサリと切り捨てた。


 当然だ。何を言ってるんだこの変態紳士。


「おお……その冷たい視線、その無慈悲な拒絶……! 素晴らしい……! 私もチ〇ポジを直さなかった甲斐があります」


 変態紳士は恍惚とした表情で身悶えしている。


 うわぁ……。


「なんなら、極左曲がりである事を罵倒していただいても構いませんよ? むしろそちらの方が——」


「消えて」


 神龍寺が低い声で言った。


 その瞬間、変態紳士の体が——ぶわっと霧のように薄れて、消えた…ように見えたような気がしたような。


 ……え?


 俺は目をこすった。


 いや、見間違いだ。きっと出口の方に歩いていっただけだ。人混みに紛れて見えなくなっただけ。うん、そうに違いない。


「お待たせ」


 俺は神龍寺の元へ駆け寄った。


「大丈夫だった? なんか変な人に絡まれてたみたいだけど」


「……ええ」


 神龍寺が意味深に俺を見た。


「ベクトルが斜め上の悪霊だった」


「え? うん。チ……シルクハットの変態でしょ? 災難だったね」


 危ないチ〇ポジの話をしそうになった。それにしてもあそこまで左にいくかね? 政治家じゃないんだから。


「…………」


 神龍寺はしばらく黙って俺を見つめていた。


 何か言いたそうな、でも言葉を飲み込んだような、複雑な表情。


「……」


「ほら、世の中には色んな趣味の人がいるから」


 きっと俺も変態だったら神龍寺のような美少女によって行くだろう…俺は変態ではないがな!


「…………」


 神龍寺がじっと俺を見る。


 何その目。俺が何かおかしなこと言った?


「……いい。何でもない」


「え、ちょっと」


「帰ろ」


 神龍寺はそれ以上何も言わず、さっさと出口に向かって歩き始めた。


 俺は慌ててその後を追った。


 幽霊ねえ……。


 神龍寺がたまにこういう冗談を言う。いつもはクールで無表情なのに、今日はなんだか様子がおかしい。水族館で浮かれすぎたのかもしれない。


 まあいいか。変な人はどこにでもいる。世の中は思った以上に変人で溢れているのだ。



 ◆



 帰りの電車の中、神龍寺は窓の外をぼんやりと眺めていた。


「今日、楽しかった?」


 俺が聞くと、神龍寺は小さく頷いた。


「……うん。ありがと」


「こちらこそ。誘ってくれてありがとう」


「…………」


 神龍寺がこちらを向いた。


 夕日に照らされた横顔が、やっぱり綺麗だった。


「また、どこか行こうか」


「いいね。どこがいい?」


「……考えとく」


 そう言って、神龍寺は再び窓の外に視線を戻した。


 電車が揺れる。オレンジ色の光が車内を染めていく。


 俺はぼんやりと天井を見上げた。


 今日は楽しかったな。チ〇ポジ紳士に絡まれたのは謎だったけど、それ以外は完璧だった。神龍寺も珍しく楽しそうだったし。


 うん、いい一日だった。


「ねえ、田口」


「あの変態、私が視えてるから近づいてきたの。普通の人には視えないの」


「え?」


「でも、アンタにも視えてた。……それってつまり」


 神龍寺は言葉を切った。


 沈黙が流れる。


「……何? 俺がどうかしたの?」


「ううん。何でもない」


 神龍寺は首を振った。


「神龍寺、今日やけにオカルトな冗談言うね」


「…………」


 神龍寺は深いため息をついた。


「……まあいいわ。アンタがそう言うなら、そういうことにしとく」


「そういうことって何さ」


「何でもない」


 それきり、神龍寺は黙り込んでしまった。


 よく分からないけど、まあいいか。


 俺はスマホを取り出して、今日撮った水族館の写真を見返した。クラゲ、イルカ、ペンギン——どれも綺麗に撮れている。


 ふと、一枚の写真が目に留まった。


 神龍寺が大水槽の前で佇んでいる写真。青い光に照らされて、幻想的な雰囲気。我ながらいい写真だと思う。


 ……あれ?


 神龍寺の後ろに、シルクハットを被った人影が映っている。


 いや、気のせいか。水槽の反射だろう。うん、そうに違いない。


 俺はスマホをポケットにしまい、窓の外を眺めた。


 夕日が沈んでいく。今日も一日が終わる。


 明日からまた大学だ。レポートもあるし、バイトもある。忙しくなるな。


 ……そういえば、来週の除霊バイトはどうするんだろ。神龍寺に聞いてみるか。


「あ、そうだ神龍寺」


「何?」


「来週の土曜、例のバイトあるんだっけ」


 神龍寺の紹介で始めた、ちょっと変わったバイト。依頼主の家に行って、神龍寺が何やらお祓いみたいなことをするのを見守るだけの簡単なお仕事だ。時給五千円。破格である。


 正直、俺は幽霊なんて信じていない。でも依頼主が満足すればそれでいいし、何より時給がいい。神龍寺の趣味に付き合うだけで金がもらえるなんて、こんな美味しい話はない。


「うん、ある。また付き合って」


「了解。今度はどこ?」


「道場」


「道場?」


「空手道場。そこに霊が出るらしいの」


「へえ……」


 空手道場に幽霊。なんだかシュールだ。まさか空手で死んだわけじゃないだろうな…。


 まあ、どうせ今回も「何事もなく終わる」パターンだろう。今まで何度かバイトに参加したけど、俺が霊的な何かを見たことは一度もない。


「楽しみにしてる」


「……やれやれ」


 神龍寺が呆れたように呟いた。


 電車が駅に着く。俺たちは並んでホームに降り立った。


「じゃあ、また来週」


「うん。今日はありがと」


 神龍寺が小さく手を振って、改札の向こうへ消えていった。


 俺はその背中を見送ってから、自分のアパートへと歩き出した。


 今日は楽しかった。水族館、また行きたいな。


 そんなことを考えながら、俺は帰路についた。



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