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殺人をするとき、躊躇してはならない。
これが今私に残っている唯一のルールだ。
「会話だけが全てだ。正解を目指せ」「恥と躊躇いはない」「二つを同時に」
これらが直近で無くなったルールだ。
エッセイを書く。エッセイが何かは知らないし読んだ事は無いけれども、勧められたから書く。時系列で思い出せるように私の脳ミソはできていないので、心に残っている順番に書く。
これは最近の話だ。
私は咲いた。人前で憚りも無く咲いた。もしかするとずっとそうだったのかもしれないけれど、だれも気が付いていなかった。
私は嬉しかったのだ。ただただうれしかった。子供のころに返ったように咲いたよ。
ただ、優しく待ってくれただけだった。こちらを見て、私を見て、待ってくれた。話す事でも手を差し出すでも、きっとなんでも許してくれただろう。ただ私が息をしているだけでも、それを良しとしてくれた。
それがうれしかったのだ。怖くもあった。その人が解らなくなったから。知らない事をされたから。私は人にされた。
私は今まで他人の価値観で物を考えていたのだ。基準を完全に外に置いていたのだ。そのあまりの外っぷりは、他人から見た時には理解の範疇を超えていたので、確固たる事故があるかのように見えるほどだ。なのでそう扱われてきた。人は扱われたように振舞う。
そしてそれに私も気が付いていなかった。自分の感情を単なる数値として計る事に慣れ過ぎていた。どうやら悲しい気持ちが在るな、ぐらいにしか思っていなかった。
私の家は端的に言えば話の通じない家族だった。皆日本語を話しているが、だれも同じ言葉を使わなかった。言葉には二種類の受け取り方がある。一つは額面通り受け取る方法で、もう一つは「その発言をしている理由を考える」受け取り方だ。私の家では、だれも二つ目の方法で会話を受け取らない。そのくせ、皆自分から話す内容は意地を張ってひねくれいてる。
なぜこんな些細な事で争いが起きているのか分からないほど程度の低い争いもあった。ただただ言葉が通じなかった。
私も話すのは苦手だった。正しく言うなら、話す事は好きだったけれど、話すのはヘタクソだった。一度話始めると濁流のように意識が流れ始めて、指向性を失う。無限に枝分かれする思考を吐き出すには、口が足りなかった。吃音だった。
少しづつ自分の思考を殺して、一年ほどかけて話せるようになった。話すのが好きだったから。聞いてほしかったから。そうだ。聞いてほしかった。私の話を聞いてほしかった。
例え話のヘタクソな子供だった。「わからん事をわからん事で例えんな」とは良く言ったもので、本当に話の通じない子供だった。
教室で、「不思議ちゃん」と呼ばれる事に腹を立てていた。不思議ちゃんとは何かを聞けば「何を考えているのか分からないから」と言われた事に由来する。私として、己の考えを全て説明しているつもりだったのだ。思考の飛躍など一切なく、論理的で関連性の高い事を連続して話して聞かせているつもりだったのだ。
わかってほしくてますます説明した。名前は広まるばかりだった。
どれだけ説明を尽くしても、相手は自分の事をわかってはくれなかった。
年齢と共に情緒を育てた私は、「二つ目の方法」を使うようになった。自分が話を聞く時は「相手が何故その発言をしているか」からしか情報を受け取らない。自分が話をする時は「相手がそれをどう受け止めるか」しか考えない。もっと砕いて言えば相手の価値観で話すという事になる。言葉の意味や価値観を相手の脳内て使われている物に合わせて物を言うのだ。
これをすると自分の話がするすると伝わるのだ。使わない手はなかった。
いつの間にか私はおしゃべりが得意になっていた。
私が相手になるのだ。その間、相手はどんな事でも聞いてくれた。
けれども、いつの間にか私は自分の基準という物を無くしてしまった。
「会話だけが全てだ。会話で解決できない問題はない。そして会話には正解がある。必ずある」と考えるようになった。完全な会話が成功する事が増えた。相手の求めている答えそのものを差し出した。それがますますこの考えを深めさせた。




