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不死の再生、非情の策略

洞窟の広間、その最も奥に設置された粗末な檻の中。鉄格子の隙間から漏れ入る焚き火の光が、中に囚われた者たちの絶望を淡く照らし出していた。先程まで響いていたゴブリンたちの狂騒は嘘のように消え去り、今はただ、広間の中央付近から聞こえてくる激しい金属音、衝撃音、そして時折響く何者かの咆哮だけが、この異様な静寂を破っていた。


檻の隅で、他の衰弱した女性たちを庇うようにしていたヒーラーの女性――年は二十代前半だろうか――は、息を潜めて鉄格子の外の様子を窺っていた。破れ汚れたローブを纏い、その顔には疲労の色が濃いが、その瞳だけは、まだ諦めてはいなかった。鋭い光が、確かに宿っている。

数日前、彼女はこの沼嗤う顎(ぬまわらうアギト)討伐のために、仲間たちと共にこの洞窟に挑んだ。アギト本体もさることながら、幹部の連携も厄介だったが、彼女の回復魔法と支援魔法は的確に機能し、戦闘は彼女たちパーティが優勢に進んでいたのだ。アギトをあと一歩まで追い詰めた、その時だった。

アギトは、劣勢を悟るや、あろうことか撤退するふりをして、手下のゴブリンたちに彼女の仲間――前衛の戦士二人と後衛の魔法使い――を奇襲させ、人質に取ったのだ。そして、抵抗すれば仲間を殺すと脅し、彼女の動きを封じた上で、目の前で三人の仲間を嬲り殺しにした。そのあまりの残虐さと、仲間を守れなかった無力感、そしてアギトの狡猾さに打ちのめされ、不意を突かれる形で彼女は捕らえられ、この檻に投獄された。以来、彼女はずっと脱出の機会を窺っていた。この洞窟の中で、今もなおアギトに屈服していないのは、おそらく彼女だけだった。


(ゴブリンたちが、眠ってる……? 一体、何が……? そして、あの戦いの音……誰かが、アギトと戦っているの?)


檻の外では、ついさっきまで騒いでいたゴブリンたちが、折り重なるようにして眠りこけている。明らかに尋常な状況ではない。そして、広間の奥で繰り広げられている激しい戦闘。それは、絶望的な状況に差し込んだ、一条の光かもしれなかった。


(もし……もし、助けが来たのだとしたら……! このままじゃダメだ!)


彼女は決意を固める。自分だけでなく、ここに囚われている他の女性たちのためにも、この千載一遇の機会を逃すわけにはいかない。衰弱し、傷ついた体に鞭打ち、彼女は音を立てないように、ゆっくりと檻の扉へと近づいた。

扉には、錆びついた南京錠が掛けられている。ゴブリンの仕事らしく、粗雑だが頑丈そうだ。彼女は、自身のローブの裾から、隠し持っていた細い金属製の髪飾りを取り出す。

(……開けられるか……?)

かつて手当てをした盗賊から聞きかじった、簡単な解錠技術。震える指先で、髪飾りの先端を鍵穴に差し込み、内部の構造を探る。冷たい汗が額を伝った。遠くの戦闘音が、彼女の焦りを掻き立てる。


カリ……コチリ……。

金属が擦れる微かな音だけが、静寂の中に響く。

(……お願い……!)

祈るような気持ちで、彼女が髪飾りを捻った、その時。


カチャリ、と。

軽い、しかし希望に満ちた音が響き、南京錠が外れた。


(開いた……!)

彼女は、安堵の息を漏らしかけたが、すぐに口元を引き締める。音を立てないように、ゆっくりと、慎重に扉を押し開ける。ギィ……と、錆びついた蝶番が、静寂を破るように軋む音を立てたが、幸い眠っているゴブリンたちは気づかない。

彼女は、他の女性たちに手招きをし、小声で囁く。

「……今のうちに、逃げます。静かに……私についてきて」

女性たちは、怯えながらも、彼女の言葉に頷き、互いを支え合うようにして、そっと檻の外へと足を踏み出した。


ヒーラーは、広間の様子を改めて窺う。広間の中央では、奇妙な武器を手にした少年と、異形へと姿を変えた巨大なゴブリンが、激しい戦闘を繰り広げているのが見えた。

(……あの人が……アギトと……! 一体、どんな戦いを……?)

一瞬、回復魔法を、と考えるが、恐怖が勝った。それに、あのレベルの戦闘に巻き込まれれば、自分たちはお荷物になるだけだ。

(今は、彼女たちを逃がすのが最優先……! )

彼女は、他の女性たちを促し、眠るゴブリンたちを避けながら、洞窟の入り口へと向かって、壁際を静かに移動するよう告げる。

この戦いを見とどける必要があると、そう思った


***


少しだけ時間を遡り、場面はジンとアギトの戦いに戻る。

「クカカ……どうした小僧? ワシの体に傷をつけた程度で、勝ったつもりか?」

アギトは、完全に再生した右腕をぶらりと揺らしながら、その裂けた顎をさらに歪めて嗤い、再びジンへと歩み寄る。その体からは、先程よりもさらに濃密な、沼の底から湧き上がるようなおぞましいプレッシャーが放たれていた。

(クソッ……! あの再生能力……どうやって攻略する……!? あの茶色いグニュグニュが鍵か……?)

ジンは大剣では埒が明かないと判断し、新たな武器を創造していた。


彼の両手に、それぞれ奇妙な形状の金属製の武具が創造された。それは、手のひらサイズの盾のようでもあり、儀式に使う装飾的な匙のようでもある、複雑な透かし彫りが施された銀色の金属板だった。中央には、それぞれ赤と青に輝く宝石が埋め込まれている。ジンが握りしめると、右手の武具は触れるものを焼き切らんばかりの赤い熱気を、左手の武具は全てを凍てつかせるような青い冷気を纏い始めた。これが新たな武器――『創造加速(ブースト)双熱冷刃(そうねつれいじん)』!


「ほう、また武器を変えるか。面白い!」

アギトは、ジンの新たな武器に興味を示したように口角を吊り上げるが、油断はない。その泥のような体は、ぬるりと滑るように移動し、距離を詰めると、変質した異形の右腕を鞭のようにしならせてジンへと叩きつけてきた! 腕から滴る茶色い粘液が、床を僅かに溶かすのが見える。

「うおっ!」

ジンは、フットワークを活かし、最小限の動きで攻撃を躱す。そして、回避しながらも、手に持つ双熱冷刃で、アギトの巨体や異形の腕へと掠めるような斬撃を入れていく。

ジュッ!という音と共に、赤い熱の刃が触れた部分が僅かに焼け焦げ、逆に青い冷気の刃が触れた部分は、一瞬白く凍りつく。


「効いてる……のか?」

ジンは、各属性の刃で2、3発ずつ斬りつけ、一旦距離を取って様子を窺う。

アギトの体についた傷は、やはり茶色い粘液で覆われ、すぐに再生を始める。しかし――

(……! 赤い方で斬った傷は、治りが遅い……!)

ジンは確信する。青い冷気の刃による傷は瞬時に再生するが、赤い熱の刃で焼かれた部分は、再生速度が明らかに鈍いのだ。さらに、再生した跡が、他の部分とは異なり、僅かにひび割れたようになっている。

(……これは、熱による変質か? あの茶色いグニュグニュ……粘液の正体は分からないけど、熱には弱い、あるいは再生しにくい性質があるのかもしれない!)


「お前の能力は、もしかして泥か何かか?」

ジンは、確信に近づきながら、アギトに問いかけた。

アギトは、ジンの言葉に一瞬動きを止め、そして、ククク、と喉を鳴らして嗤った。

「まあ、ほぼ正解だな。お前ら人間も、そう呼んでるだろう? このワシを――(ぬま)、と」

肯定。やはり、この再生能力や不定形の体は、泥や粘液状の物質に由来するもののようだ。

「へぇ……。でも、泥ってのは、どうなんだ? ザギが使ってた礫魔法(つぶてまほう)の方が、よっぽど強そうに見えたぜ?」

ジンは、敢えて相手を煽る。情報を引き出すため、そして何より、自分の怒りをぶつけるために。


「フン……礫魔法より弱い、だと? なら、見せてやろう」

アギトは、ジンの挑発に乗るでもなく、淡々と言った。

「ワシの『沼』の、本当の恐ろしさをな」

そう言うと、アギトは大きく口を開き、その体内から、粘性を帯びた泥の塊――シャボン玉のように膨らんだそれを、複数個吐き出した。それは、ゆっくりとした速度で、しかし正確に、広間の隅で眠っている奴隷の女性たちへと向かっていく!

「なっ!?」

ジンは、その攻撃の意図を瞬時に理解した。直接的なダメージはなくとも、あの泥に顔を覆われれば窒息してしまうだろう。

「くそっ!」

ジンは、アギトへの攻撃を中断し、女性たちの方へと駆け出す! なんとか泥の塊が到達する前に、女性の一人を抱えてその場から退避させた。背後で、泥の塊が地面に落ち、べちゃり、と嫌な音を立てる。

「大丈夫か!?」

ジンが女性の背中を叩き、泥が付着していないか確認する。幸い、直撃は免れたようだ。

「……そういう、いやらしい使い方かよ!」

ジンは、アギトを睨みつけながら吐き捨てる。


「クカカ! 馬鹿正直に、物理攻撃だけで戦うと思うたか? 戦いとは、こういうものよ」

アギトは、ジンが女性を助けるために一瞬背を向けたこと、そして今、僅かに動揺している様子を見逃さなかった。その目に、何かを確信したような光が宿る。(こいつは、他の人間や、あのエルフに対して、妙に甘い……。そこが、弱点か)


ジンは、助け出した女性に「早く逃げろ!」と叫び、再びアギトへと向き直る。

「お前の相手は、俺だ!」


「フン、威勢がいいな」

アギトは、ジンを試すように、再び泥の泡を別の女性たちに向けて放つ!

「チィッ!」

ジンは舌打ちし、咄嗟に両手に小型の銃器を『創造』した。

「『瞬刻熱線銃インスタント・ヒートガン!』」

銃口から放たれたレーザービームが、正確に泥の泡を撃ち抜く! 熱線を受けた泥泡は、水分を蒸発させられ、ただの乾いた土くれとなってパラパラと地面に落ちた。

(熱で無効化できる!)


しかし、ジンが泥泡の対処に追われた、その一瞬。アギト本体が、凄まじい速度で距離を詰めていた! 異形の泥の腕が、横薙ぎにジンを襲う!

「ぐはっ!」

防御が間に合わず、ジンはまともに攻撃を受け、壁際まで派手に吹っ飛ばされた!


「ほらほら、どうした? そちらの相手をしている間に、女たちが死ぬぞ? いっそ、あの女どもを見捨ててワシに集中すれば楽になれるだろうに。ククク」

アギトは嗤いながら、三度、泥の泡を放つ。ジンは立ち上がりざまに熱線銃でそれを撃ち落とす。だが、その隙にアギトが接近し、再び強力な一撃を叩き込んでくる!

(クソ……! これは……完全に、負のループだ……!)

女性たちを守ろうとすれば、アギト本体への対応が遅れる。アギト本体に集中すれば、女性たちが見殺しになる。アギトは、ジンの甘さを見抜き、そこを徹底的に突いてきているのだ。

吹っ飛ばされ、受け身を取り、また立ち上がる。だが、確実にダメージは蓄積していく。

(どうすればいい……!? この状況を、どうやって抜け出す……!? 見捨てる……? そんなこと……)


ジンの脳裏に、アギトの嘲笑が反響する。見捨てれば楽になる? 確かにそうかもしれない。だが――


ジンは、奥歯をギリリと噛み締める。彼の瞳に、怒りとは違う、静かだが、より強く、より鋭い光が宿った。そして、泥濘の向こうで嗤うアギトを真っ直ぐに睨みつけ、腹の底から叫んだ。


「ふざけるなっ!」

「目の前で助けられる人間見捨てて……明日の朝、気持ちよく目が覚めるかよ!? ……そんなかっこ悪いこと、俺ができるわけねえだろうがっ!!!」


その言葉は、彼の魂からの決意表明だった。この絶望的な状況を、彼自身のやり方で、彼自身の信じる「かっこよさ」で、覆すために。ジンは、新たな覚悟と共に、再び武器を構え直した。アギトとの死闘は、まだ終わらない――!

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