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リナの戦い

「はぁっ……はぁっ……!」

リナの肩が大きく上下し、荒い息が洞窟の湿った空気に白く混じる。彼女が放った矢は、既に二十本近くが巨漢ゴブリン、バンガの体に突き刺さっていた。しかし、そのどれもが決定打にはならず、バンガは未だ獰猛な闘志を失わずにリナを追い詰めている。


「グ……ルル……! ちょこまかと、逃げ回りやがって……!」

バンガもまた、息を切らせ始めていた。リナの回避とヒットアンドアウェイ戦術は、彼の巨体とパワーをもってしても捉えきれず、苛立ちが募っている様子だ。刺さった矢自体は致命傷ではないものの、流石に鬱陶しいのだろう。

「だがな、嬢ちゃん! いつまでもつかな、その魔法!」

バンガは吼えると、両腕を地面に叩きつけた! 彼の足元から土と岩が盛り上がり、複数の魔法陣が展開される!

「こいつはどうだ!」

魔法陣から射出されたのは、石の礫。しかし、それは先程ザギが使ったものとは比較にならないほど巨大だった。赤ん坊の頭ほどもある岩塊が、凄まじい勢いでリナに襲い掛かる!

「くっ……『衝風緩和(リタルダンド)』!」

リナは残る魔力を振り絞り、風の障壁を最大出力で展開する! 巨大な礫が風の壁に激突し、凄まじい衝撃と共に軌道を変えられ、轟音を立てて洞窟の壁や床に叩きつけられる。

(……受け流せた……けど、今の威力……!)

リナの全身を、魔力と集中力を急激に消耗したことによる激しい疲労感が襲う。

(……もう、もたない……。次、同じのが来たら……防ぎきれない……!)

彼女の魔力は、風前の灯火だった。だが、彼女はここで守りに入ることを選ばなかった。

(……このままじゃ、ジリ貧になるだけ……! 動いて、矢を当て続けないと!)

彼女は即座に次の魔法を発動する。

「風よ、我が手足に――『風速舞(アッチェレランド)』!」

リナの体、特に手足を中心に、淡い緑色の風が渦を巻くように纏わりつく。それは彼女の身体能力を一時的に飛躍させ、高速移動を可能にする魔法だった。


「ケケケ! 面白い魔法を使うじゃねえか! だがな、嬢ちゃん! そんなもんでオレ様から逃げ切れると思うなよ! その魔法、長くは持たねえだろ!」

バンガは、リナの新たな魔法に一瞬目を見張りつつも、すぐに嘲笑を浮かべる。強化系の魔法は、総じて魔力消費が激しいことを彼は経験上知っていた。


バンガの指摘通り、風速舞(アッチェレランド)はリナにとって負担が大きい。しかし、彼女は止まらない。風を纏った体で洞窟内を疾風のように駆け巡りながら、バンガの巨体に向けて次々と矢を放っていく。狙いは、わずかでもダメージを与え、相手の注意を引きつけ、消耗させること。

ヒュン! ヒュン! ヒュン!

五本の矢が、バンガの腕や足、比較的装甲の薄そうな部分に突き刺さる。


「チィッ! こざかしい真似を!」

バンガは苛立ちを隠さない。その巨体でリナを追い回すが、風速舞(アッチェレランド)を纏う彼女は翻弄するように攻撃を躱し続ける。彼の攻撃はことごとく空を切るか、浅く掠めるだけだった。その焦れた様子は半分は本心だろうが、同時に、この巨漢ゴブリンは己の激情を巧みに利用してもいた。勝負どころを見極める冷静さは、失っていない。

「ああ!? イライラさせやがる! もう終わりだァ!」

バンガは、ついに堪忍袋の緒が切れたかのように咆哮し、これまでの大振りの攻撃とは違う、しかし同じく直線的で無防備に見える突進を敢行した! まるで猪のように、ただリナを轢き潰そうとしているかに見えた。

(単調な突進……! 今までと同じなら、避けられる!)

リナは、バンガの演技に惑わされ、これまでのパターン通りに回避行動に移ろうとした。

だが、それはバンガの罠だった。突進すると見せかけたバンガは、リナが回避に移る寸前、ピタリとその巨体を停止させる。そして、それまでの怒りの形相が嘘のような、冷徹な表情で、猛烈な勢いで体を捻り、強烈な裏拳をリナの側面目掛けて叩き込んだ!

「なっ――!?」

予測もしなかったタイミングと角度からの、計算され尽くした一撃。リナは咄嗟に風魔法を発動させて衝撃を軽減しようとし、受け身の体勢を取る。だが、バンガの渾身の裏拳はあまりに重く、速く、彼女の体を防御ごと吹き飛ばし、洞窟の壁に激しく叩きつけた!

ゴシャッ! という鈍い音と共に、視界が白く染まる。全身を襲う激痛。

「……かはっ……!」

口から空気が漏れ、リナはその場に崩れ落ちる。レザーアーマーを着ていても、内臓まで響くようなダメージだった。満身創痍。もう、指一本動かすのも辛い。


「ケケケ……! ようやく捕まえたぜ、すばしっこいネズミめ!」

バンガは、壁際に倒れるリナを見下ろし、満足げに笑う。

「もう魔法を使う力も残ってねえだろ? これで、おしまいだ!」

バンガは、とどめとばかりに、再び巨大な礫魔法(つぶてまほう)を発動させる! 複数の魔法陣が展開され、先程リナを苦しめた岩塊が、今度こそ無防備な彼女目掛けて射出された!


(……あ……ジン、さん……)

迫りくる礫を見上げながら、リナは死を覚悟した。薄れゆく意識の中で、彼女はジンの顔を思い浮かべていた。

しかし――

ゴゴゴッ! バゴォン!

轟音と共に、巨大な礫はリナのすぐ横の壁や床に突き刺さり、砕け散った。寸でのところで、リナを逸れていたのだ。


「……なっ!? なぜ、当たらん!?」

バンガは、自分の魔法が外れたことに驚愕し、目を見開く。確実に仕留めたはずだった。

そんなバンガに向かって、壁際に倒れたままのリナが、か細いながらも、確かな声で呟いた。

「……ふふ……やっと……効いてきたんですね……?」


その言葉の意味を理解した瞬間、バンガの巨体がぐらりと揺れた。手足の痺れ、視界の霞み、思考の混濁、増幅される痛み、体の重さ……今まで無視できていた何かが、限界を超え、一気に彼の全身を蝕み始めていたのだ。魔法のコントロールが狂ったのも、その影響だった。

「ぐ……お……おのれ……! いつの間に、こんな……!」

バンガは、自分の体に起きている異変にようやく気づき、苦悶の表情を浮かべる。


「私が放った矢にはね、昨日森で採取した薬草から作った、色々な『お薬』を塗っておいたのよ」

リナは、朦朧とする意識の中で、最後の力を振り絞って言葉を続ける。

「筋肉の動きを鈍らせる『痺れ蔓(しびれづる)』。思考を混濁させる『酩酊草(めいていそう)』。視界を奪う『夜目潰し(よめつぶし)』。幻を見せる『幻視茸(げんしたけ)』。痛みを増幅させる『苦痛針(くつうばり)』。動きを鈍らせる『鈍足根(どんそくこん)』。そして、力を奪う『虚脱胞子(きょだつほうし)』……七種類、たっぷりね」

彼女の狙いは、最初から単純な物理ダメージではなかった。矢を当て続けることで代謝を促進させ、多種多様な毒を体中に回らせ、徐々に、しかし確実に相手を弱体化させること。それが、非力な彼女が、この巨漢を倒すために編み出した戦術だったのだ。

「……まったく。こんなに撃ち込んで、ようやくまともに効果が出るなんて。あなたのその頑丈さには、呆れるしかないわね」

リナは、溜め息混じりに言った。

「でも、もうお終い。」


「ぐ……ぅぅ……おのれ、エルフめ……!」

バンガは、もはや立っているのもやっとの状態だった。全身を蝕む毒と痛みで、その巨体は震え、膝ががくりと折れる。完全に戦闘不能だ。


リナは、ふらつきながらも最後の力を振り絞り、震える手をバンガに向ける。魔力はほとんど残っていない。だが、最後の一撃に必要な分だけなら……!

(ジンさん……私……やりましたよ……!)

彼女は、祈るように意識を集中させる。微かな風が、彼女の指先に集束していく。それは、鋭利な刃の形を成していく。

「これで……終わり……! 『風斬(スフォルツァンド)』!」

リナの最後の魔力が、一筋の風の刃となって放たれた。それは、弱々しくも、しかし正確に、崩れ落ちたバンガの首筋を浅く、だが確実に切り裂いた。


「グ……ボ……」

バンガは、何かを言いかけたが、それは言葉にならず、ただ空気の漏れる音だけが響いた。やがて、その巨体から完全に力が抜け、動かなくなった。


巨漢ゴブリン、バンガ、沈黙。

「……はぁ……はぁ……やった……やった、わ……!」

リナは、勝利の安堵と共に、震える手を下ろした。極度の疲労と、魔力枯渇による脱力感。視界が霞み、体が言うことを聞かない。

彼女は、その場にゆっくりと倒れ込み、静かに意識を手放した。


洞窟の広間に残されたのは、夥しい数の眠るゴブリンたちと、強敵を打ち倒し力尽きたエルフの少女、そして――

離れた場所で、この洞窟の真の主と対峙しているであろう、一人の転生者だけだった。リナは、自分の力で、最初の大きな試練を乗り越えたのだ。

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