悪夢の洞窟
「本当に大丈夫なの? あんたたち、この間ゴブリンから逃げたばっかりでしょ?」
「沼嗤う顎討伐」依頼の羊皮紙を受け取ったジンとリナに、受付嬢はカウンター越しに、率直な心配を隠さない口調で尋ねた。周囲の冒険者たちも、ちらほらとこちらに好奇と不安の入り混じった視線を向けている。Bランク任務、それも悪名高いゴブリンボス討伐に、登録したての新人パーティが挑むというのは、どう考えても無謀に映るのだろう。
「へーきへーき。まあ、見てなって」
ジンは、周囲の視線を楽しむかのように、根拠のない自信と共に、ひらひらと手を振ってみせる。
「それに、あの時とは違う。今回は明確な『悪』を討つんだ。俺の力も、本領を発揮できるはずだ」
(それに、あの時は能力の特性が分かってなかっただけだしな! 今度は条件が揃ってるはずだ!)
内心で付け加え、彼は不敵な笑みを浮かべた。その、ある種ふてぶてしいとも言える態度に、受付嬢はこれ以上何を言っても無駄だと悟ったのか、深いため息をついて「……くれぐれも、無茶しないでよ」とだけ言い添えた。リナも隣で不安そうな顔はしているものの、ジンの言葉を信じようとしているのか、あるいは彼の無謀さに付き合う覚悟を決めたのか、静かに頷き、その横顔には微かな決意の色が浮かんでいた。
ギルドマスターとの約束通り、まずはこのBランク任務を達成しなければ、月光花の件には関われない。何より、人喰いのゴブリンボスを放置しておくわけにはいかない。ジンは気を引き締め、リナと共に討伐の準備に取り掛かることにした。時間は限られている。
最初に向かったのは、ギルドの換金所だ。昨日、二人で半日かけて籠いっぱいに集めた薬草を提出する。受付嬢は慣れた手つきで薬草を鑑定し、種類と量、質に応じて金額を計算していく。
「ふーん……。癒やし草に竜の髭、静心草……。うん、量は十分。質も悪くない……ん? これは……?」
受付嬢が、いくつかの薬草を手に取り、訝しげな顔でまじまじと見つめた。
「この静心草、やけに色艶がいいな。こっちの癒やし草も、肉厚で立派。あんたたち、どこで採ってきたの?」
「え? いや、普通に森の中だけど……」
「ふぅん……ま、いいや。質の良いのがいくつか混じってたから、少し色つけとくね」
提示された金額は、ジンが予想していたよりも遥かに多かった。銅貨だけでなく、銀貨が何枚も含まれている。おそらく、ジンが無自覚の幸運(あるいは魔法のバフ)で引き寄せた、通常よりも薬効の高い良質な薬草が高く評価されたのだろう。
「おおっ! マジか! すげー!」
思いがけない収入に、ジンは子供のようにはしゃぎ、銀貨の重みを確かめるように掌で転がした。リナも、予想以上の金額に目を丸くしている。これで、かなりまともな準備ができそうだ。
「よし! リナ、これで装備を整えようぜ! まずはお前の分からだ!」
ジンは、受け取ったばかりの革袋をリナに差し出す勢いで宣言した。
「え? で、でも、これは二人で稼いだお金ですし、ジンさんの分は……」
リナは慌てて手を振る。彼の取り分がなくなることを心配しているのだ。
「俺はいいって! 何度も言わせんなよ。いざとなったら、創造魔法でなんとかするさ!」
彼の頭の中では、必要に応じて理想的な防御手段を瞬時に創り出すイメージが漠然と存在しているのだろう。実際にそれが可能かは、その場の状況と彼の集中力次第なのだが、本人は妙な自信を持っていた。
「……分かりました。でも、本当に無理はしないでくださいね」
リナは少し申し訳なさそうにしながらも、自分の身を守ることが、結果的にジンの負担を減らすことに繋がると考え直し、彼の提案を慎重に受け入れた。パーティとして、今は戦力を増強することが最優先だ。
二人は、冒険者御用達の武具店が軒を連ねる通りへと足を向けた。活気のある店内には、屈強な戦士たちが武骨な鎧を吟味していたり、軽装の斥候らしき者が投げナイフの手入れをしていたりと、様々な冒険者で賑わっている。リナは、その雰囲気に少し気圧されたように、ジンの後ろを歩いていたが、いざ自分の装備を選ぶ段になると、その目に真剣な光が宿った。
「リナ、どれがいいとかあるか? やっぱ、エルフはこういう軽装の革鎧とかか?」
ジンが、壁に掛けられた様々な種類の鎧を指差しながら尋ねる。
リナは、高価な金属鎧には目もくれず、いくつかの軽量なレザーアーマーを手に取り、入念に革の質や縫製、関節部分の動きやすさを確かめていた。それは、かつて荷物持ちとして最低限の装備しか与えられなかった彼女が、初めて自分の意志で選ぶ、自分自身を守るための鎧だった。
「……これが、いいです。軽くて、動きやすそうなので」
彼女が選んだのは、体の線に沿うような、シンプルだが質の良いレザーアーマーだった。
次に武器を選ぶ。リナは迷うことなく弓のコーナーへと向かった。様々な長さや材質の弓が並ぶ中、彼女はある一点に目を留める。森での活動に適した、やや小ぶりだが反発力の強そうな短弓。それを手に取ると、彼女はごく自然な動作で弦を張り、構えてみせた。その姿は、先程までの控えめな様子が嘘のように凛としており、指先まで神経が行き届いた美しいフォームは、エルフという種族が持つ弓との親和性を雄弁に物語っていた。
「……これにします」
「おおー! めっちゃ似合ってるぜ! すごく様になってる!」
ジンは手放しで称賛する。店主も「お嬢さん、なかなか良い目をしてるね。そいつは扱いやすい割に威力も出る、うちの隠れた逸品だよ」と満足げに頷いた。矢筒と、練習用の矢も数本購入する。
リナが装備を選んでいる間、ジンも店内を見て回っていた。壁に飾られた巨大な両手剣や、重厚なプレートメイル。彼の興味を引く、強力そうな武具は多い。
(こういう凄い武具も、俺の魔法で作れるのか……? いや、今はまだ難しいか……)
彼は内心で、それらの武具をイメージし、創造魔法で再現しようと試みるが、やはり漠然としたイメージだけでは、具体的な形にはならないようだった。やはり、彼の力は戦闘のような極限状況や、強い意志を伴う行動によって、より強く引き出される性質があるようだった。
(まあ、いいか。今はリナの安全が最優先だ。俺の防御は、その時が来れば『創造』すればいい)
彼は、高価な武具への未練を断ち切り、リナの装備購入に意識を戻した。
全ての買い物を終え、店を出ると、空は既に茜色に染まり始めていた。
「ジンさん……本当に、ありがとうございました。こんな、ちゃんとした装備……初めてです」
リナは、新しくなった自分の姿を少し照れくさそうに見下ろしながら、心の底から感謝の言葉を口にした。その声は、わずかに震えている。
「おう! 気にすんなって! これでリナもパワーアップだな! 明日は頼りにしてるぜ!」
ジンは、彼女の頭をわしゃわしゃと撫でながら、いつもの調子で笑い飛ばした。
「それじゃ、明日の朝、日の出と同時にギルド前で待ち合わせな。遅れんなよ!」
「はい。ジンさんも、今夜はゆっくり休んでくださいね」
二人は、それぞれの宿へと続く分かれ道で、短い言葉を交わして別れた。
安宿の一室に戻ったジンは、ベッドにどっかりと腰を下ろし、明日の戦いに思いを馳せていた。沼嗤う顎。人喰いのゴブリンボス。明確な悪意。危険なBランク任務。彼の心を占めるのは、恐怖よりも、むしろ高揚感だった。自分の未知の力がどこまで通用するのか試したいという好奇心。そして何より、人々を脅かす『悪』を、自分の手で打ち砕きたいという、強い正義感。
(待ってろよ、人喰い野郎。お前の悪行も、そこまでだ。この手で、必ず終わらせてやる!)
彼は、拳を強く握りしめた。
一方、リナも自室で、購入したばかりの短弓の手入れをしていた。丁寧に弦を拭き、矢羽根の角度を確かめる。その青い瞳には、以前のような怯えや諦めの色は薄れ、代わりに静かだが強い決意の光が宿っていた。ジンの隣に立つために。彼に守られるだけでなく、自分も彼を支えるために。彼女の中で、何かが確実に変わり始めていた。
夜が更け、街が寝静まる頃、二人はそれぞれの場所で、決戦の朝を待っていた。
***
翌朝、夜明けと共にジンとリナはギルド前で合流した。リナは真新しいレザーアーマーと短弓を身につけ、その表情には緊張と決意が浮かんでいる。ジンもまた、いつもの軽口は鳴りを潜め、その目には確かな闘志が宿っていた。二人は頷き合うと、一路、南西に広がる「ため息の湿地」を目指して歩き出した。
街を出てしばらく進むと、徐々に景色が変わっていく。緑豊かな森は後退し、代わりに足元の覚束ない湿地帯が広がってきた。じめじめとした空気が肌にまとわりつき、腐った植物と淀んだ水が混じり合ったような、独特の重い匂いが漂ってくる。
「うへぇ……こりゃ、歩きにくいな。匂いもキツい」
「気をつけてください。底なし沼もあると聞きます。それに、毒を持つ虫や植物も多いそうです」
リナが注意深く周囲を観察しながら言う。ジンは頷き、『踏破せし者の地図』を展開した。灰色がかった湿地のマップが、彼らの進行に合わせて少しずつ描き込まれていく。
「よし、これで迷うことはないな。ガルドスさんの話だと、この辺りにゴブリンの野営地が点在してるらしい。そいつらを避けつつ、一番奥を目指すぞ」
「はい」
地図を頼りに、ぬかるむ地面を選びながら慎重に進んでいく。時折、遠くでゴブリンの甲高い鬨の声のようなものが聞こえたり、霧の向こうに不気味な生物の影が蠢いたりしたが、リナの鋭敏な聴覚とジンの地図のおかげで、危険な遭遇は避けられた。重苦しい空気と、絶えず聞こえる不快な水音、そしてまとわりつく悪臭が、二人の神経をすり減らしていく。
いくつかの小さなゴブリンの野営地を迂回し、地図上でゴブリンの痕跡が集中しているエリアへと近づいていくと、やがて湿地の中に不自然に盛り上がった、苔むした巨大な岩山が見えてきた。その麓に、大きな洞窟の入り口が、まるで巨大な獣の口のようにぽっかりと開いている。間違いなく、ここが沼嗤う顎のねぐらだろう。
入り口の前では、予想通り、汚らしい毛皮を纏ったゴブリンが三匹、槍を手に怠惰な見張りをしていた。一匹は壁に寄りかかって居眠りし、残りの二匹は地面に座り込んで何やら下卑た笑い声を上げている。完全に油断しきっていた。
(よし、まずはこいつらからだな)
ジンはリナに目配せし、音を立てずにゆっくりと近づく。そして、茂みの影から、少しドスの利いた声で見張りのゴブリンに声をかけた。
「おい、テメェら! ちょっといいか?」
突然の声に、ゴブリンたちは驚いて飛び上がり、慌てて槍を構える。寝ていた一匹も叩き起こされたようだ。
「な、なんだテメェは! 人間!?」
「こんなところまで何の用だ!」
「ここは、あの沼嗤う顎様の根城だぞ!」
ジンは、わざと尊大な態度で腕を組み、ゴブリンたちを見下ろす。
「ほう、やはりそうか。ちょうどよかった。その『アギト様』に用があって来たんだがな。取り次いでもらおうか」
ジンの予想外の態度に、ゴブリンたちは戸惑いを見せる。
「あぁ!? なんだとコラ!」
「アギト様がお前みてえな小汚え人間に会うかよ!」
「そうだそうだ! 今、アギト様はちょうど『ご馳走』を召し上がっている最中なんだ! 邪魔するんじゃねえ!」
一匹が、苛立ったようにそう怒鳴った。
(ご馳走……やはり、噂は本当か! そして、中にいるのは確定だな)
情報を引き出したジンは、もう用はないと判断した。
「そうかい。わざわざ教えてくれて、どうも」
ジンが表情を変えずに言うと、口を滑らせたゴブリンは「あっ!」という顔をし、他のゴブリンたちも状況を理解して逆上した。
「チッ、この野郎! ハメやがったな!」
「死ねや!」
逆上したゴブリンたちが槍を突き出してくるが、ジンは既に次の行動に移っていた。
「悪いが、お前らはここで退場だ。ちょっとそこで、いい夢でも見てな」
彼は左腕を素早く構える。その手首には、いつの間にか創造魔法で作られた、銀色のメカニカルなスリンガーが装着されていた。カートリッジ部分には、昨日採取した薬草『夢見草』を濃縮・調合して生成した液体が満たされている。
(くらえ! 『創造魔法』――『安眠香射出』!)
スリンガーの先端から、淡い紫色の甘い香りの霧が「プシュッ」と射出される。油断していたゴブリンたちは、真正面からその香りを吸い込んでしまい、
「な、なんだこりゃ……いい匂……ぐ……」
「ね、眠く……って、お、お前もかよ……」
抵抗する間もなく、次々とその場に崩れ落ち、すうすうと穏やかな寝息を立て始めた。
「よし、成功だな。夢見草、効果てきめんじゃん」
ジンは、眠るゴブリンたちを一瞥し、満足げに頷いた。
「行きましょう、ジンさん。中の匂いが……ひどいです」
リナが顔を顰めながら促す。
「ああ」
二人は、決意を新たに、洞窟の中へと足を踏み入れた。
洞窟の中は、外の湿地の匂いとは比較にならないほどの悪臭に満ちていた。獣の脂が焦げる匂い、排泄物の匂い、そして、何よりも生々しい血と腐肉の匂い。それらが混じり合い、吐き気を催させるほどの瘴気となって漂っている。奥からは、複数のゴブリンががなり立てる騒ぎ声、何かを叩き潰すような鈍い音、そして、絶望に満ちた女性のか細いすすり泣きが反響して聞こえてくる。
(……最悪だ。ここは、地獄かよ……)
ジンの表情から笑みが消え、硬い怒りが浮かび上がる。リナも顔面蒼白になりながら、唇を強く噛み締め、弓を握る手に力を込めた。
音と匂いを頼りに奥へと進むと、洞窟は広大な空間へと繋がっていた。そこは、ゴブリンたちの宴会場となっていた。中央には巨大な焚き火が赤々と燃え盛り、その熱気と煙が悪臭と混じり合って淀んでいる。焚き火の周りでは10匹以上のゴブリンが、濁った色の酒を酌み交わし、汚らしい歌をがなり立て、下品な冗談を言い合って狂ったように騒いでいた。
そして、その一番奥、周囲より一段高くなった場所に据えられた、岩を削って作られたような粗末な玉座に、ひときわ巨大なゴブリンがふんぞり返っていた。あれが、沼嗤う顎だろう。身長は3メートル近くあり、緑がかった醜い肌は分厚い脂肪と垢にまみれた硬質な皮で覆われている。人間とは比較にならないほど巨大で、その名の通り、沼のように大きく裂けた顎が、醜悪な笑みを浮かべていた。手には、骨付きの巨大な肉塊。それを、獣のように貪り食らっていた。
その両脇には、対照的な体格のゴブリンが、まるで仁王像のように控えている。一方は、ボスより一回り小さいものの、異常なまでに発達した筋肉を持つ巨漢ゴブリン。もう一方は、人間と同じくらいの背丈しかないが、蛇のように鋭い眼光を放ち、無駄のない筋肉をつけた痩身で敏捷そうな小柄なゴブリン。間違いなく、この二体が幹部格だ。
さらに、広間の隅には、ボロ切れのような服を纏った人間の女性が数人、互いに寄り添い、恐怖に震えながらうずくまっている。皆、生気のない目をし、その体には暴行の痕が見て取れた。奴隷のように扱われているのは明らかだ。
そして、ジンの怒りを決定的に沸騰させたのは、ボスが座る玉座の横に置かれた大きな卓の上だった。そこには、食べかけの肉塊と共に、明らかに人間のものと思われる…骨が見えるほど食い散らかされた足が、無造作に転がっていたのだ。
(……テメェら……絶対に、許さねえ……!!)
激しい怒りが、ジンの全身を駆け巡る。彼の倫理観、彼の『正義』が、目の前の光景を断じて許さなかった。今ここで、この悪逆非道を終わらせなければならない。
「リナ、少し下がって援護を頼む。あいつら、宴ごと吹き飛ばす!」
ジンは低く、怒りに震える声で言うと、再び左腕のスリンガーを構えた。今度は、カートリッジ内の『夢見草』エキスを限界まで濃縮し、出力を最大に設定した。
(まとめて眠りやがれ、クズども! 『安眠香全域放射』!!!)
先程とは比較にならないほど濃密な紫色の香りの霧が、スリンガーから凄まじい勢いで放射され、洞窟の広間全体に急速に拡散していく! 宴に興じていたゴブリンたちは、突然の出来事に一瞬呆気に取られたが、すぐに濃密な香りを吸い込み、「グェッ」「ブボッ」という奇妙な声を上げながら、次々に意識を失い、その場に折り重なるように倒れ伏していった。隅で怯えていた女性たちも、香りを吸って気を失ったようだが、少なくともゴブリンの魔の手からは一時的に逃れられたはずだ。
ジンは、香りが薄まるのを数瞬待ち、リナと共に慎重に広間へと足を踏み入れた。倒れ伏したゴブリンたちの間を抜け、玉座へと向かう。
……しかし、彼の期待は裏切られた。
「……なんだと?」
玉座に座るボス、沼嗤う顎は、平然とした顔でこちらを見ていた。それどころか、鼻でふん、と嘲笑うかのように息を吐いた。そして、その両脇に控える幹部ゴブリン二人も、倒れてはいなかったのだ。
小柄な方は、さすがに多少は効いたのか、眉間に皺を寄せ、頭を数回振って目元をこすり、少しだけ顔色が悪いように見える。巨漢の方は、完全に眠りこけていたが、ボスがその脇腹を「起きろ、デクノボウ!」とばかりに無造作に蹴りつけると、「んぐぅ……」と低い唸り声を上げながらも、ゆっくりと、しかし確かな力強さで巨体を起こした。
(嘘だろ……あれだけ濃いやつをぶちまけたんだぞ!? ボスと幹部には耐性があるのか、それとも単純にタフなだけか……!?)
ジンは内心で悪態をつく。一網打尽にするつもりが、最も厄介な三匹が健在とは、計算外だった。
「……ケッ、せっかくの宴に、つまらねえ邪魔が入ったもんだ」
沼嗤う顎が、ゲップ混じりに、地の底から響くような低い声で言った。その汚濁した目は、ジンとリナを値踏みするように細められている。
「テメェらか。ワシの可愛い手下どもを眠らせた、生意気な人間は。しかも、エルフ連れとはな。上等な『デザート』になりそうだ」
ボスが下卑た笑みを浮かべる。巨漢の幹部が、まだ少し眠そうな目をこすりながらも、その巨躯を揺らして悠然と立ち上がった。小柄な幹部も、もうふらつきは見せず、蛇のような冷たい目でジンを射抜いていた。
「オレを殺しに来たのか? いい度胸じゃねえか、チビども」
ボスは、手に持っていた骨(おそらく人間のものだろう)をガリッと噛み砕き、玉座からゆっくりと立ち上がった。その巨体から発せられるプレッシャーは、先程までとは比較にならないほど重く、洞窟の空気を震わせる。
「だが、まあ、いい。久々に、少しは楽しませてもらわねえとな。退屈していたところだ」
ボスは、顎をしゃくって両脇の幹部を示す。
「まずは、こいつら二人に勝ってみろ。それができたら、ワシが直々に、テメェらの骨までしゃぶり尽くしてやるよ。かかってこい、人間のガキ!」
「……上等だ! テメェのその汚ねえ顎、二度と動かせなくしてやる!」
ジンは怒りを力に変え、叫び返す。まずは、目の前の幹部二人。こいつらを倒さなければ、ボスには届かない!
ジンが真っ先に警戒したのは、小柄な方の幹部だった。巨漢の方はパワータイプに見えるが、動きは鈍重そうだ。しかし、小柄な方は、その体格に似合わない、凝縮された純粋な殺気と、底知れない練度を感じさせる。
その予感は的中した。小柄な幹部は、背中側でクロスするように腰に差していた二本の、石か何かで粗く削り出されたような、しかし異様に長いナイフを、音もなく抜き放った。特別な構えはない。ただ、ナイフを逆手に持ち、猫のようにしなやかな足取りで、ゆっくりとこちらへとにじり寄ってくる。その動きには、一切の無駄も、感情の揺らぎも感じられない。ただ、獲物を確実に仕留めんとする、研ぎ澄まされた狩人の気配だけがそこにあった。
(こいつ……間違いなく、強い! 下手なBランクより、ずっと……!)
「『創造魔法』――大剣顕現!」
ジンは、ギルドで暴漢を薙ぎ払った時と同じ、最も強力で信頼する武器、漆黒の大剣を瞬時に創り出し、両手で構えた。
次の瞬間、小柄な幹部の姿がジンの視界から消えた。
(速い!? どこに……!?)
気づいた時には、相手は既にジンの懐深くに潜り込んでいた。大きく踏み込んできたゴブリンは、常人離れした速度で距離を詰め、片方のナイフが、まるで幻影を見せるかのようにジンの心臓付近を掠める。だが、それはフェイント。本命は、がら空きになった首筋を正確に狙う、もう片方のナイフだ!
「くっ!」
死の予感が、ジンの全身を貫く。迫る切っ先を、彼は反射的に、咄嗟に大剣を振るって防御した。
キィィンッ!
耳障りな金属音と共に、ナイフは大剣の幅広い刀身に弾かれた。しかし、ジンの腕には骨まで響くような衝撃が走り、体勢がわずかに崩れる。
(……危ねえっ……! 今の……完全に、運じゃねえか……!)
冷や汗が滝のように背中を伝う。大剣の幅が広かったから、偶然にも首への一撃を防げただけだ。相手の動きに反応できたわけじゃない。完全に、運。ダイスの目が良かったから、今、自分は生きている。もし、ほんの少しでもタイミングがズレていたら、自分の首は胴体から離れ、あの卓の上に並べられていたかもしれない。
(クソッ……! こいつのスピードと手数に、大剣じゃ対応しきれねえ! 相性が悪すぎる!)
ジンは即座に判断した。このまま大剣で戦うのは、いずれ致命的な一撃をもらう。もっと速く、もっとトリッキーに動ける武器が必要だ。
(だったら……こうだ!)
彼は手にしていた大剣を、一瞬で光の粒子に変えて霧散させる。そして、新たな武器を、彼の戦闘センスと『創造魔法』で即座に『創造』した。
彼の両手に現れたのは、小柄な幹部が持つナイフと同じくらいの長さの、しかしより鋭利で洗練されたデザインの、漆黒の短剣。二刀流。
……だが、それだけでは終わらなかった。
彼の両足、防水加工の長靴の足首あたりから膝下にかけて、脛当てのように、しかし遥かに鋭利な流線型の刃――レッグブレードがシュイン!と音を立てて生成されたのだ! それは、まるでブーツと一体化したかのように自然に装着され、蹴りや移動、さらには防御にも使える、全く新しい発想の武器形態だった。
短剣二本、レッグブレード二本。合計四つの刃が、洞窟の焚き火の光を反射し、ジンの新たな決意を代弁するように、鈍く、しかし鋭い光を放つ。
ジンは、予想外の武器形態に一瞬だけ目を見開いた小柄な幹部に向かって、獰猛な笑みを浮かべた。
「二刀流が相手なら……こっちはこれでどうだ? 『四刀流』だぜ!」
奇策か、あるいはただのハッタリか。窮地の中で覚醒したジンの新たな戦闘スタイルが、強敵である幹部ゴブリンに、そしてこの絶望的な状況に、風穴を開けることができるのか。死闘の第二ラウンドが、今、始まろうとしていた。