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2人目

夜明けの光が、東の空を淡い茜色から黄金色へと染め上げていく。それは、長く、そして過酷だった夜の終わりを告げる光だった。

「……見えてきたぞ、街の門だ」

疲労困憊の一行の中から、誰かが安堵の声を漏らした。その声に、皆が顔を上げる。視線の先には、朝靄の中に浮かび上がる灰色の城壁と、固く閉ざされた巨大な城門の姿があった。


ジン、リナ、そしてセレスに率いられた一行の姿は、お世辞にも凱旋とは言えなかった。全身に火傷を負い、セレスの応急処置でなんとか動いているジン。魔力枯渇の気だるさが抜けきらないリナ。そして、ゴブリンの巣から救出され、ジンが創造したばかりの簡素な服を身に纏った、心身ともに傷ついた女性たち。誰もが泥と煤に汚れ、その足取りは重い。しかし、その瞳には、地獄から生還した者だけが持つ、確かな光が宿っていた。


やがて一行が城門にたどり着くと、壁の上から見張りをしていた衛兵が、その異様な集団に気づき、驚きの声を上げた。

「な、なんだお前たちは!? こんな朝早くから……その格好、ただ事じゃないな!」

衛兵の一人が、警戒しながらも問いかける。

セレスが一歩前に出て、落ち着いた声で応じた。

「私たちは冒険者です。南西の『ため息の湿地』より、緊急の報告があって参りました。どうか、門を開けていただけますか」

「ため息の湿地だと? まさか……」

衛兵は、セレスの言葉と、一行の消耗しきった様子から何かを察したようだ。すぐに仲間と短い言葉を交わし、重々しい音を立てて城門がゆっくりと開かれていく。


街の中に入ると、早朝の静けさの中に、一行の存在はひどく浮き立っていた。市場の準備を始めた商人や、パン屋の店主が、驚きと憐憫の入り混じった視線を向けてくる。

「おい、見ろよ……あの冒険者たち、ひでえ格好だぜ」

「南西の方から来たってことは……もしかして、あのゴブリンの……?」

ひそひそと交わされる会話が、一行の耳にも届く。救出された女性たちは、人々の視線に怯えるように身を縮こませた。

「気にするな。もう大丈夫だ」

ジンは、そんな彼女たちを気遣うように、努めて明るい声をかける。その一言が、どれほど彼女たちの心を軽くしたことか。


一行が目指すのは、もちろん冒険者ギルドだ。朝日を浴びて輝く石畳の道を踏みしめながら、彼らは確かな足取りでギルドへと向かう。長い夜が明け、彼らの戦いは、ようやく一つの終わりを告げようとしていた。


***


ギルドの重い扉を開けると、早朝にもかかわらずカウンターで書類仕事をしていた受付嬢が、顔を上げた。そして、入ってきた一行の姿を認めた瞬間、その目を大きく見開いた。

「……あんたたち……!?」

彼女の声に、ギルド内にいた数人の冒険者たちも、一斉にこちらを振り返る。そして、次の瞬間、静かだったギルド内が、蜂の巣をつついたような騒ぎに包まれた。

「おい、あれって……この間登録したばかりの……」

「嘘だろ……あの『沼嗤う顎』に挑んで、生きて帰ってきたのか!?」

「しかも、女たちを連れてる……まさか、噂の攫われた人たちか!?」

驚愕、信じられないという疑念、そして賞賛。様々な感情が渦巻く視線が、ジンたちに突き刺さる。


「……本当に、やり遂げたのかい」

受付嬢が、カウンターから駆け寄り、信じられないものを見るような目でジンとリナ、そしてセレスを見つめた。その声は、いつもの棘のある口調ではなく、純粋な驚きと、そして安堵に震えていた。

「ああ、まあな。約束通り、片付けてきたぜ」

ジンは、肩をすくめてみせる。その痩せ我慢に、受付嬢は呆れたように、しかしどこか優しくため息をついた。

「馬鹿だね、あんた……。その怪我、ただ事じゃないじゃないか。すぐに治療室へ!」

「それより先に、報告をさせてくれ。ギルドマスターはいるか?」

ジンの言葉に、受付嬢は一瞬ためらったが、彼の真剣な眼差しに頷くと、奥の部屋へと駆け込んでいった。


すぐに、ギルドマスターである屈強な人物、ガルドスが、ただならぬ様子で姿を現した。彼は、ジンたち一行、特に救出された女性たちの姿を一瞥すると、その厳つい顔に驚きを浮かべ、そしてすぐに全てを察したように深く頷いた。

「……見事だ、小僧ども。まさか、本当にやり遂げるとはな」

ガルドスの低い、しかし重みのある声が、騒がしかったギルド内に響き渡る。

「まずは、そこのご婦人方を安全な場所へ。治療と食事、暖かい寝床を用意してやれ。話はそれからだ」

ガルドスの指示に、ギルドの職員たちが慌ただしく動き出し、怯える女性たちを優しく保護していく。その手際の良さに、ジンは安堵の息を漏らした。


「さて、聞かせてもらおうか」

女性たちが別室へと案内された後、ガルドスは、ジン、リナ、セレスの三人をギルドマスター室へと通した。

ジンは、道中の出来事、洞窟での戦い、幹部ゴブリンの強さ、そして沼嗤う顎アギトの持つ異様な再生能力と狡猾な戦術について、包み隠さず報告した。リナとセレスが、時折補足を入れる。

報告を聞き終えたガルドスは、腕を組んで深く唸った。

「……泥の体と、高い再生能力……。そして、人質を取るなどの知能の高さ。やはり、ただのゴブリンではなかったようだな。幹部2匹と沼嗤う顎を同時に相手にし、よくぞ打ち破った」

ガルドスは、特にリナとセレスの健闘を称えるように、二人を見た。リナは少しはにかみ、セレスは静かに頭を下げる。

「討伐の証拠だが……」

ジンが言いかけると、セレスが懐から小さな革袋を取り出した。

「アギトの死体から、これだけ回収してきました。奴の力の源だったのかもしれません」

袋の中から転がり出たのは、泥の中で鈍い光を放つ、歪な形状の魔石だった。

ガルドスはそれを手に取ると、眉をひそめてまじまじと見つめた。

「……間違いない。沼嗤う顎アギトの魔石だ。これがあれば、討伐の証明は十分だ」

彼はそう言うと、ジンたちに向き直り、厳粛な声で告げた。

「依頼『沼嗤う顎アギト討伐』、ランクB。ジン、リナ、そしてセレス。貴殿らのパーティによる達成を、ギルドマスターの名において、正式に認める!」


その言葉に、ジンとリナは顔を見合わせ、ようやく安堵の笑みを浮かべた。長かった戦いが、本当に終わったのだ。


「報酬だ。受け取れ」

ガルドスが差し出したのは、ずしりと重い革袋だった。中には、金貨が何枚も入っている。Bランク任務、それも指名手配級の魔物討伐の報酬は、新米冒険者にとっては破格の金額だった。

「うおっ……! すげえ……!」

ジンは、思わず声を上げる。

「当然の報酬だ。命を懸けたのだからな。それと、これもお前たちの功績だ」

ガルドスは、ジンとリナのギルドカードを受け取ると、何かの魔道具で処理をした。返されたカードには、一番下だったランクを示す銅の文字が、一つ上の鉄へと変わっていた。

「二人とも、本日付でEランク冒険者へ昇格だ。本来なら、実績を重ねて徐々に上がるものだが、今回の功績はそれに値する。……いや、それ以上かもしれん」

ガルドスの言葉に、リナは自分のギルドカードを胸に抱きしめ、嬉しそうに目を輝かせた。


「セレス殿」

ガルドスは、次にセレスへと向き直った。

「貴殿のパーティが消息を絶ってから、我々も捜索隊を出す準備をしていた。……間に合わなかったこと、そして仲間を失ったこと、心から悔やむ。だが、貴殿が無事であったこと、そして囚われていた方々を救い出す一助となったこと、ギルドとして感謝する」

「……ありがとうございます」

セレスは、静かに、しかし気丈に答えた。その瞳の奥に、仲間を失った悲しみが深く刻まれているのを、ジンは見て取った。


全ての報告と手続きが終わり、三人はようやく治療と休息を取ることになった。ギルドが用意した宿の、清潔なベッドに身を横たえたジンは、泥のように深い眠りへと落ちていった。


***


数日が過ぎ、街は落ち着きを取り戻していた。

沼嗤う顎アギト討伐のニュースは瞬く間に広まり、ジンとリナは「湿地の英雄」として、街のちょっとした有名人になっていた。ギルドで他の冒険者から声をかけられたり、酒場で一杯おごられたりすることも増えた。

救出された女性たちは、ギルドの手配で、それぞれの故郷や家族の元へと無事に帰っていった。彼女たちが去り際にジンたちに見せた、涙ながらの感謝の言葉は、ジンの心に温かいものを残した。


そして、その日の夕暮れ。ジンとリナ、そしてセレスの三人は、祝杯を上げるため、ギルドに併設された酒場に集まっていた。

「それじゃあ、改めて……俺たちの勝利と、無事の帰還に、乾杯!」

ジンが高らかにジョッキを掲げると、リナとセレスも笑顔でグラスを合わせた。

カチン、と心地よい音が響く。

「ぷはーっ! うめえ! やっぱり、死ぬ気で戦った後の酒は最高だな!」

エールを豪快に飲み干し、ジンは満足げに息をつく。

「ジンさん、飲みすぎですよ。火傷の痕、まだ痛むんじゃ……」

リナが、心配そうに眉を寄せる。

「へーきへーき! セレスさんの治療のおげで、もうほとんど治ったって!」

「私の治癒魔法は、あくまで治りを早めるだけです。無茶は禁物ですよ、ジンさん」

セレスも、穏やかに、しかし窘めるように言う。すっかり三人の間の遠慮は消え、気安い雰囲気が流れていた。


「それにしても、セレスさん、これからどうするんだ?」

ジンが、少し真面目な顔で尋ねた。仲間を失った彼女の今後を、気にかけていたのだ。

セレスは、エールのグラスを静かに見つめ、少し間を置いてから口を開いた。

「……仲間たちの弔いは、昨日済ませてきました。そして、一晩考えて……決めたことがあります」

彼女はそう言うと、意を決したように顔を上げ、ジンとリナを真っ直ぐに見つめた。

「もし、ご迷惑でなければ……私も、お二人のパーティに加えてはいただけないでしょうか」

「えっ?」

予想外の申し出に、ジンとリナは驚いて顔を見合わせる。

セレスは、静かに続けた。

「仲間を失い、私は一度、全てを諦めかけました。ですが、お二人の戦う姿を見て……特にジンさん、あなたがどんな状況でも『かっこいい』を貫こうとする姿を見て、心を動かされたのです。私も、もう一度……誰かを守るために、この力を使いたい。お二人の隣でなら、それができるような気がするんです」

その言葉には、深い悲しみを乗り越えた、真摯な響きがあった。


ジンは、セレスの真剣な瞳を見つめ返し、そして、ニヤリと笑った。

「迷惑だなんて、思うわけねえだろ」

彼は、セレスに向かって、力強く言い放った。

「前衛で無茶する俺と、後衛でそれを支えるリナ。そこに、回復もできる万能なヒーラーが加わる……。最高にバランスのいい、かっこいいパーティになるじゃねえか! 大歓迎だ、セレスさん!」

「ジンさん……!」

「私も、嬉しいです! セレスさんと一緒なら、もっと頑張れます!」

リナも、満面の笑みでセレスの手を取った。

「……ありがとうございます。ジンさん、リナさん」

セレスの目に、うっすらと涙が浮かぶ。それは、悲しみの涙ではなく、新たな希望を見つけた、温かい涙だった。


楽しい時間はあっという間に過ぎていく。戦いの記憶、互いの故郷の話、そしてこれからの夢。新たな仲間を得た三人は、夜が更けるのも忘れ、語り合った。



酒場がお開きになる頃、一人のギルド職員が、ジンたちのテーブルにやってきた。

「ジン様、リナ様。ガルドス様がお呼びです。ギルドマスター室までお越しください」


「ん? 俺たちに?」

ジンは、リナと顔を見合わせ、首を傾げながらも、職員の後に続いた。セレスは、「私はここで待っています」と、にこやかに二人を見送った。


ギルドマスター室に入ると、ガルドスが厳しい顔で地図を広げて待っていた。

「来たか。早速だが、本題に入る」

ガルドスは、地図の一点を指差す。それは、この街から少し離れた、森の奥深くを示していた。

「約束通り、月光花の密造団についてだ。奴らのアジトは、ここだと思われる」

ガルドスは、盗賊団の規模、武装、そして彼らが「月光花」を使って何を企んでいるのかについての、ギルドが掴んでいる情報を簡潔に説明した。それは、単なる密造ではなく、街の有力者を巻き込んだ、より大きな陰謀の匂いがした。

「……厄介な連中だな」

「うむ。だからこそ、お前たちに頼みたい。この件、正式な討伐依頼として受けてはくれんか?」

ガルドスの目は、真剣だった。


「……一つ、聞いてもいいか?」

ジンは、ガルドスの話を聞き終えた後、静かに口を開いた。

「アギトの魔石を調べたんだろ? 何か、分かったことは?」

あの戦いの最後、アギトが見せた不気味な嗤い。それが、ジンの心に小さな棘のように引っかかってた。

ガルドスは、ジンの問いに、僅かに顔を顰めた。

「……ああ。あの魔石は、奇妙なことに、強い『呪い』のようなものに汚染されていた。まるで、何者かに無理やり力を与えられ、その代償として理性を蝕まれていたかのような……そんな痕跡があった」

「何者かに……?」

「分からん。だが、ただのゴブリンが、あれほどの知能と力を独力で得たとは考えにくい。背後に、何かいるのかもしれん」

ガルドスの言葉は、新たな謎を提示していた。


「……なるほどな」

ジンは、腕を組んで少し考え込んだ。そして、顔を上げると、その口元には、いつもの不敵な笑みが浮かんでいた。

「面白くなってきたじゃねえか」

彼の瞳は、既に次の戦いを見据えていた。月光花の密造団、そしてアギトの背後にいるかもしれない、見えざる敵。

「その依頼、受けさせてもらうぜ、マスター。悪党どもをぶっ飛ばして、でっかい謎を解き明かす。そいつは、最高に『かっこいい』仕事だからな!」


ジンの力強い宣言に、リナも隣で強く頷く。

沼嗤う顎との死闘を乗り越え、新たな仲間との絆を深めたジンとリナ。彼らの冒険は、まだ始まったばかり。次なる試練と、より大きな陰謀が、彼らを待ち受けていた。物語は、新たな局面へと、大きく動き出す。

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