よくある異世界転生の一話
1.昏睡の車窓、断末魔の鉄塊
都心へと向かう満員電車の中。高校生の黒崎ジンは窓に額を預け、浅い眠りに落ちていた。イヤホンから流れ出すヘヴィメタルが、騒がしい車内をかろうじて遮断している。最近、課題とアルバイトに追われ、ろくに睡眠も取れていなかった。
(ああ…眠い…意識が、溶けていく…)
意識が溶け込むように、夢と現実の狭間を漂う。轟音と振動が遠くで聞こえる気がしたが、疲労困憊のジンはそれを気にも留めなかった。
次の瞬間、けたたましい金属音と激しい衝撃が全身を襲った。
「うわっ!」
ジンは反射的に目を開けたが、目の前は歪んだ鉄と飛び散るガラスの破片で埋め尽くされていた。悲鳴、怒号、そして何よりも強い恐怖が、鈍い痛みを伴ってジンを包み込む。
(なんだ……? 事故……?)
理解が追いつかないまま、ジンの体は座席から投げ出され、鈍器で殴られたような衝撃が頭を貫いた。視界が赤く染まり、意識は急速に遠のいていく。最後に見たのは、天井が崩れ落ちてくる光景だった。
2,白亜の聖域、神託の美神
次にジンが意識を取り戻したのは、真っ白な空間だった。上下左右も曖昧で、まるで何もない場所に浮いているような感覚。戸惑いを覚えるジンだったが、すぐに自分がもう生きていないことを悟った。あの激しい事故で無事であるはずがない。
「よくぞ参られた、魂の少年よ」
どこからともなく、優しくも荘厳な声が響いた。声のする方を見ると、柔らかな光の中に美しい女性が立っている。透き通るような白い衣を纏い、慈愛に満ちた瞳はジンを優しく見つめていた。
「あなたは……?」
「わたくしは、この世界の理を司る女神である」
女神と名乗る女性は、静かに微笑んだ。「そなたは、不慮の事故により命を落とした。その魂は清らかで、この世界の未来にわずかながら影響を与える力を持つと見受けられた。故に、新たな生を与えることとした」
「異世界転生……ってやつですか?」
ジンは、半信半疑ながらも、どこかで聞いたことのある言葉を口にした。女神は頷いた。
「然り。新たな世界で、そなたは特別な力を持って生きることになるだろう」
そう言うと、女神は右手をジンに向けた。眩い光がジンを包み込み、温かいエネルギーが体の中に流れ込んでくるのを感じた。
「そなたに与える力は、『創造魔法』。自身が『かっこいい』と心惹かれる事象を、具現化し、操る力である。その可能性は無限大。己の感性を信じ、世界を切り開くのだ」
「かっこいい……事象……?」
ジンが訝しんでいると、女神は再び微笑んだ。「具体的な使い方は、そなた自身が見つけることになるだろう。それでは、幸運を祈る」
光が収束し、ジンは再び意識を失った。最後に聞こえたのは、女神の優しい声だった。「どうか、この世界に新たな希望をもたらしておくれ」
3.見知らぬ大地、邂逅の序曲
ジンが目を覚ますと、そこは見慣れない森の中だった。高い木々が生い茂り、足元には湿った土と見慣れない植物が生えている。空気は澄んでいて、どこか幻想的な雰囲気が漂っていた。木漏れ日がキラキラと地面を照らし、時折、聞いたことのない鳥の鳴き声が聞こえてくる。
(ここが、異世界……本当に来ちゃったんだ)
ジンはゆっくりと立ち上がり、周囲を見渡した。自分が着ているのは、簡素な麻の服。肌触りは悪くないが、どこか頼りない。所持品は何もなかった。
(女神様は、いきなりこんなところに放り出すなんて、結構スパルタだな……)
途方に暮れていると、遠くから人々の話し声が聞こえてきた。微かに金属が擦れる音や、動物の鳴き声も混じっている。ジンは、希望を見出してそちらへ向かって歩き出した。
しばらく進むと、鬱蒼とした森を抜け、視界が開けた。そこには、広大な草原が広がっており、遠くに灰色の城壁に囲まれた街が見える。街道らしき道には、荷車を引く人や、馬に乗った騎士のような姿も見受けられた。
(あれが、人の住む場所か)
ジンは、興奮と同時に、この世界でどうやって生きていけばいいのかという不安に駆られた。言葉も通じるかわからない。お金もない。頼れる人もいない。
そんなことを考えながら歩いていると、前方から数人の冒険者らしき集団が近づいてきた。剣や杖を装備しており、中には傷を負っている者もいる。ジンは、彼らに助けを求めようと声をかけようとしたが、警戒されないように、まずは様子を見ることにした。
冒険者たちは、ジンに気づくと、訝しげな視線を向けてきた。その中に、ひときわ目を引く少女がいた。淡い金色の髪を腰まで伸ばし、青い瞳がどこか憂いを帯びている。しかし、その美しい容姿とは裏腹に、彼女は他の冒険者たちから少し離れて歩いており、重そうな荷物を一人で抱えていた。
他の冒険者たちは、時折、その少女に向かって冷たい言葉を投げかけている。
「おい、エルフの! もっと早く歩けよ! お前のせいで遅れてるんだ!」
「役立たずが! 荷物持ちくらいちゃんとやれ!」
少女、リナは、辛そうな表情を浮かべながらも、何も言い返さずに黙々と歩いている。彼女の華奢な肩が、時折小さく震えているのが見えた。
(なんだ、あの人たち……仲間じゃないのか?)
ジンは、リナがパーティ内で虐げられているような状況に、強い違和感を覚えた。自分も、元の世界ではどちらかというと弱い立場だったから、彼女の気持ちが少しだけわかる気がした。元来、魔力の高いエルフであるにも関わらず、かつて優秀だった姉が理不尽な蹂躙を受け命を落としたという過去から、リナは自信を深く喪失しているのだ。
冒険者たちは、ジンを無視するように通り過ぎていった。ジンは、彼らの後姿を見送りながら、あの憂いを帯びた青い瞳の少女、リナのことを気にかけつつ、街を目指して再び歩き始めた。
やがて、ジンは街道に合流し、しばらく歩くと、レンガ造りの建物が立ち並ぶ賑やかな街にたどり着いた。中世ヨーロッパのような雰囲気で、石畳の道には様々な人々が行き交っている。武器や防具を扱う店、宿屋、そして何よりも目を引いたのは、「冒険者ギルド」と書かれた大きな看板を掲げた建物だった。
(冒険者ギルド……あそこでなら、何か情報が得られるかもしれない)
あの虐げられていた少女、リナも、冒険者の一員だったのだろうか。ジンは、少しの気がかりを抱えながら、冒険者ギルドの扉を開いた。
ギルドの中は、活気に満ち溢れていた。屈強な戦士や、魔法使いのようなローブを纏った者たちが、酒を飲み交わしたり、掲示板に貼られた依頼書に見入ったりしている。ジンは受付を探し、そこで、先ほどの冒険者たちの中にいた、気の強そうな女性を見つけた。彼女が受付嬢のようだ。
「あの……すみません」
ジンが声をかけると、受付嬢は訝しげな表情で顔を上げた。
「なんだ、お前さん。何か用か?」
事情を説明すると、彼女はさらに眉をひそめたが、簡単な登録手続きをしてくれた。
「あんた、何か特別なスキルは?」
受付嬢に聞かれたジンは、女神から与えられた『創造魔法』について話そうとしたが、うまく説明できる自信がなかった。
「まあ、これから見つけていく、ということで……」
曖昧な返事をしたジンに、受付嬢は呆れたようにため息をついた。
「全く……まあいいわ。冒険者ランクは一番下ね。何か依頼を受けるなら、自分の身の丈に合ったものにしなさいよ」
ギルド内をうろうろしていると、一角で騒ぎが起きていた。数人の粗暴な男たちが、一人の少女を取り囲み、何かを強要しているようだ。その少女とは、先ほど街道で見かけた、憂いを帯びた青い瞳のエルフ、リナだった。彼女は怯えた表情で首を横に振っていた。
(なんだ、あれは……)
正義感の強いジンは、いてもたってもいられず、リナたちの元へ駆け寄った。
「おい、あんたら! 何やってんだ!」
突然現れたジンに、男たちは不快そうに顔を向けた。
「なんだ、てめえは! 邪魔すんじゃねえ!」
リーダー格の男が、鋭い眼光でジンを睨みつけた。他の男たちも、ニヤニヤとしながらジンに近づいてくる。
(やばい、いきなりピンチか……でも、ここでかっこよく助けたら、俺の株も上がるはず!それに、あのエルフ…なんだか放っておけない)
ジンは、咄嗟にそう考えた。女神の言葉を思い出す。『かっこいいと心惹かれる事象を、具現化し、操る力』。
(そうだ、こういう時こそ……!)
ジンは、自分が一番かっこいいと思う状況を思い描いた。それは、映画やアニメで何度も見た、主人公が絶体絶命のピンチに現れ、圧倒的な力で悪党どもを蹴散らすシーン。背後には、ヒロインが見惚れている、みたいな展開が最高だ。
「お前ら、まとめて相手になってやる!」
ジンがそう叫んだ瞬間、彼の体から強い光が放たれた。周囲の男たちは、突然の光に目を細める。
そして、光が収まった時、ジンの手には見慣れない武器が現れていた。それは、漆黒の刀身に赤い装飾が施された、禍々しくも美しい大剣だった。柄には、まるで生きているかのように脈打つ紋様が浮かび上がっている。
(なんだ、これ……かっけえ! 厨二病心をくすぐるデザインじゃねえか!)
ジン自身も、突然現れた大剣に驚きを隠せない。しかし、同時に湧き上がってきたのは、強烈な高揚感だった。この力なら、きっと…!
男たちは、ジンが取り出した大剣に一瞬怯んだものの、すぐに嘲笑し始めた。
「なんだ、そのおもちゃみたいな剣は! 素人が!」
リーダー格の男がそう叫び、ジンに襲い掛かってきた。他の男たちも、遅れてジンに続く。
しかし、ジンの中で何かが弾けた。大剣を構えた瞬間、彼の体中に力がみなぎるのを感じた。まるで、長年使い慣れたかのように、自然と剣が振れる。脳内に、剣術の奥義のようなものが流れ込んでくる錯覚すら覚えた。
迫りくる男たちを前に、ジンは冷静に剣を振るった。重い一撃は、男たちの体を軽々と吹き飛ばし、鈍い衝撃音と共に地面に叩きつけた。信じられない光景に、周囲の冒険者たちは息を呑む。リナの青い瞳も、驚愕に見開かれている。
(なんだ、この力……! かっこいいことをしている間は、無敵なのか!? まるで、俺が主人公になったみたいだ!)
ジンは、自分の身に起きた変化に驚愕しながらも、湧き上がる興奮を抑えられなかった。次々と襲い掛かってくる男たちを、研ぎ澄まされた剣技と、想像を絶する力で圧倒していく。その動きは、まるで舞踊のように美しく、そして恐ろしかった。漆黒の大剣が閃くたびに、男たちは悲鳴を上げ、地面に倒れていく。
あっという間に、ジンは全ての暴漢を打ち倒した。周囲は静まり返り、冒険者たちは信じられないものを見るような目でジンを見つめていた。リナは、目を丸くしてジンを見上げていた。その瞳には、恐怖と同時に、強い好奇心と、今まで見たことのない光彩が宿っていた。
ジンは、大剣を肩に担ぎ、ニヤリと、自信に満ちた笑みを浮かべた。
「どうよ、かっこいいだろ?」
異世界に転生し、手に入れた創造魔法。その力は、ジンがかっこいいと思う状況であればあるほど、強大な力を発揮する。そして、その力は、彼の内なる厨二病的な魂に、最高の悦びを与えていた。
(この力があれば、この異世界で無双できる! 最強の俺の伝説が、今、始まる!)
ジンは、目の前の、まだ震えているリナに手を差し伸べた。
「お嬢さん、もう大丈夫だ。俺が守ってやる」
その言葉と、自信に満ちた笑顔は、確かにかっこよかった。そして、それは、ジンがこの異世界で生き抜くための、最初の確信となった。そして、その自由で強いジンを目の当たりにしたリナの心には、今まで閉ざされていた何かが、ゆっくりとしかし確実に、芽生え始めていたのだった。