3 アトゥ・ワプア
シルヴィアが感じ取ったシスター・ローズの気配は、強力な邪悪の力に内包されていた。それは恐ろしいほど巨大で強大な力だった。
「ロイ様」
そしてロイもそこにいた。
「探しましたぞ、ヴァルトロメウス様」
「その名前は好きじゃねぇ」
「失礼致しました、ロイ様」
黒く巨大な影が、慇懃に礼をする。身長3m近い巨大な体躯だが、ロイの前では傅いて深々と頭を下げていた。
「んで、わざわざこんなつまんねーなところに俺様を呼び出しておいて、なんの用だよ」
「ご足労いただいて恐縮です。我らが望みはただ一つ。我らのすることを、見逃していただきたいのです」
「はぁ?」
片眉を上げたロイに、影は胸に手を当て、再度深々と礼をした。
「間もなく最後の仕上げの段階に入ります。これが上手くいけば、前線を100kmほど進められるのです」
「で、お前の功績になる、ってわけか」
「恐縮です」
「まぁ俺はめんどくせぇからいいけど、ウチの連れは黙っちゃいねぇと思うぜ」
ロイがそう言うと、影からはうっすらと笑いの気配が放出された。
「そちらに関しては逆に、ロイ様のお手伝いができるかもしれません」
「……ほう」
ロイもニヤリと笑った。
◆ ◆ ◆
「どこへ行っていたんですか?」
〝厩亭〟へ戻ると、すぐにシルヴィアがやって来た。部屋のある階段の方からではなく、今ロイが入ってきた玄関から来たのだ。夜も更けてきたのでエントランスには誰もいないが、そこに〝誰か〟がいた気配は残っていた。どうやら誰かと会い、どこかへ出かけていたようだ。
「あぁ? 別にどこだっていいだろ」
「シスターを見ませんでしたか?」
「シスター?」
シルヴィアは当然、ロイがどこへ行っていたのかわかっているのだろう。ロイもそれがわかった上で惚けている。
「あー、そういえばババアが一人いたな」
直接見てはいないが、建物内にいたのはわかっていた。それが拘束された女性だということも、把握していた。自分には関係がないので、無視していただけだ。
「それがなんだよ」
「助けに行きます」
「は?」
〝しー〟が大人しそうな顔に似合わず行動的で無鉄砲なのは理解しているが、なぜそういう行動に出るのかが理解できない。根拠も目的もよくわからない。
「花を売ってくれた女の子の頼みなのです」
「あー……」
酒場で花を売っていた少女。あの少女がどういう経緯でシルヴィアに〝取り入った〟のかはわからないが、〝しー〟がこの状態になったら翻意させるのは無理だとわかっている。仕方なくロイはついていくことにした。手を貸すつもりはさらさらないが。
「俺はなんもしねぇからな」
「でしょうね」
シルヴィアも事情はわかっているようだった。
その建物は町の中心街にあって、一際高い建物だった。地上五階建てで、地下も数階あるようだ。年月を経て味わい深くなった赤煉瓦に、白い石灰岩の窓枠がおしゃれだ。夜中なので当然入り口は締まっているが、その上にあるプレートは外灯があるので読み取れた。
「町庁舎……」
そこはこの町の首長である町長が執務する場所、つまり町役場だった。
「犯人は町長?」
ロイは素知らぬ顔でそっぽを向いている。シルヴィアは強い視線を送ってから、正面入口の両開きドアに手を掛けた。当然鍵が掛かっているが、シルヴィアがノブに手を触れた途端に解錠されている。ドアは少し耳障りな音をさせながら開いた。
「正面から堂々とかよ」
「だって、どうせわたしが来ることはバレてるんですよね」
ロイは何も答えず、またそっぽを向いた。中は当然暗く、誰もいない。シルヴィアは左右に視線を送り、何者かが襲って来ないか警戒した。中は一般的な庁舎と同じく、広いエントランスと受付カウンタ-、応接ブースがいくつか並んでいた。奥には通路が続き、各部署の事務室などがあるのだろう。一瞬でフロア全体を走査したシルヴィアは、この階には生命反応が一切ないことを確認した。
「下に行きます」
「あいよ」
階段の位置は把握している。コツコツと静かな中に足音だけが響き、奥の通路へと進んで行った。
「!」
階段のある通路へと入った瞬間、床から黒い影が立ち上った。シルヴィアは影から数m離れて立ち止まった。
「帰りなさい。この先は関係者以外立入禁止です」
一般的な警備霊のような気がするが、どこか不穏な気配をシルヴィアは感じた。
「ここに、不当に囚われている知人に会いに来ました」
「帰りなさい。この先は関係者以外立入禁止です」
どうやら、一定の目的のために生成された下位精霊のようだった。
「うぜぇな。さっさと先に行くぞ」
短気なロイが前に出る。スピリットがすいっと動いて、ロイの行く手を遮ろうとした。しかし次の瞬間、煙のように空中へ消え失せてしまった。ロイが思念で消滅させたのだ。
「……手は貸さないはずでは?」
「あ? 今のが手助けって、どんだけ俺のことをバカにしてるんだ?」
「……そうでしたね」
ロイと出会って一ヶ月。いまだに彼の底は見えない。考えも性格も実力も。それでも背中を預けられるくらいには信頼していた。
シルヴィアはロイの先に立って歩き始めた。
奥には上下に伸びる階段があった。シルヴィアが走査すると、下から微かな反応を得た。しかし気になったのは上だ。
「どうやらシスターは地下に囚われているようです。でも上には敵がいますね」
「敵ねぇ」
ロイは顎に手をやる。上がった口角をシルヴィアに見せないためだ。
「手分けするか?」
「え?」
「別にババアを連れてここを出るくらいならしてやってもいいぜ。大した手間じゃねぇし、どうせ帰るし」
ロイは粗野で乱暴だが、嘘はつかない。少なくとも言ったことはきちんと守る。そこは彼なりの矜持があるのだろう。
地下にも少し敵らしき反応はあるが、自分でも十分対処できるレベルだ。しかし“上”は違う。今まで対峙したこともないような、巨大で強大な気配だ。シルヴィアが走査していることには当然気づいているだろうに、まったく警戒する様子もない。要するに脅威だと思われていないのだ。
「シスターを解放すれば、“上”の敵か゛あなたを襲うかもしれませんよ」
「はっ!」
ロイは鋭く尖った犬歯を見せて笑った。
「んなわけねぇじゃん」
そういうことか。シルヴィアは内心納得し、シスターはロイに任せることにした。
これではっきりした。シスターは自分をおびき寄せるための餌だったのだと。
「アニーには謝っておかなければなりませんね。シスターにも」
シルヴィアは階段を上り始めた。2階は1階よりも狭く、その分各部屋の間取りが大きく取られているようだ。シルヴィアは迷わず奥へと進んでいく。突き当たりにあった両開きドアの前に立つ。プレートには「町長室」とあった。
シルヴィアは取っ手に手をかけ、押し開いた。
「ようこそ、我が領域へ」
低く、地響きのような声がした。
室内は部屋というにはかなり広く、広間というには狭いくらいの広さだ。左手、南側には大きな窓があり、右手には天井まである大きな書棚が設えてあった。
そして正面の壁にはトレパソの町の紋章が入った旗が張られてあり、その前の巨大な執務机には小山のように大きな男が座っていた。
「あなたは町長ですか?」
そこにいるだけで圧倒されそうな男にも怯むことなく、シルヴィアは問いかけた。
「そうだ。お前は聖火教徒のようだが、司祭ではないな。かといって一般信徒にしては高位の修道衣。ヴァ…… ロイさ、ロイの言っていたシルヴィアという修道女か」
ロイの名を呼ぶ時の言いづらそうな様子に違和感を抱きつつも、シルヴィアは静かに町長の様子を観察した。
座ってはいるが、恐らく身長は軽く2mは超えるであろう。横幅もシルヴィア3人分よりある。体重に至っては5~6人分はあるかもしれない。
褐色のスーツを着ているが、盛り上がる筋肉で今にもはち切れそうだ。頭髪は黒で丁寧に撫でつけられているが、作り物めいた印象を受ける。太い眉とぎょろりとした大きな目には、強い意志と邪悪な色が感じ取れる。口元は組んだ両手で隠されているが、間違いなく無骨な容貌だろう。
シルヴィアは部屋に入る前から走査し続けているが、この男の正体はまるで掴めなかった。
「彼がどう言っていたのか知りませんが…… 聖火教の信徒であることは間違いありません。ですからシスターを返してもらいます」
「ふん…… 聖火教のありがたい教えとかいうものか。くだらない」
町長はのっそりと立ち上がった。天井に頭を擦りつけるほどの身長で、2mどころか3mはありそうだ。完全に人間ではない。巨人族か悪魔族なのは間違いないだろう。
「わしはアトゥ・ワプア。3年前よりこの町の町長をしておる。見ての通り悪魔族だ。半分巨人族の血も混じっておるがな」
アトゥはゆっくりと執務机を回り込む。毛足の長い絨毯を通してさえ、その重さが床を振動させた。顔はやはり、古代の芸術家が彫刻した芸術品のように無骨で作り物めいていた。
「お前はもう気づいているようだが、あの老女はすでに解放されている。用は済んだからな」
「わたしを呼んで、どうするつもりなんですか?」
「こうするつもりだ」
アトゥは太い指を鳴らした。
次の瞬間、周囲は紫色の空間に閉じ込められた。
「これは…… “無限回廊”」
「ほう、この結界領域を知っておるか。ただの“封印”ではなさそうだな」
シルヴィアの眉間に初めてしわが寄る。不快の感情の現れだ。彼女にしては非常に珍しい“変化”だった。
「それを知るあなたは、生かしてはおけません」
「ほう、わしを滅ぼすとな。威勢のいいシスターだな」
アトゥは立て続けに指を鳴らした。すると何もない空間に、異形の怪物たちが次々と現れた。
「こいつらはクラスAレベルの力を持つ使役魔たちだ。さて、その威勢のいいままわしのところまでたどり着けるかな?」
「……無論です」
シルヴィアは静かにそう告げると、両手を左右下方に広げ、両の手のひらに光を集め始めた。
異形たちは濃緑色の肌をもち、表面にはボコボコとした無骨な瘤が無数に盛り上がっている。頭はなく、肩口から腕が左右に2本ずつ伸びている。身長は2mほどだが、横幅が異様に広く、アトゥと並んでも遜色ないほど凶悪な筋肉が盛り上がっている。体内に盛り上がる魔力は異常なほど高密度高濃度で、クラスAレベルというアトゥの言葉は嘘ではないようだ。
クラスAレベルとは冒険者のランクで、1人でダンジョン攻略ができるレベルだ。近接戦闘、魔法戦、治癒に索敵、マッピングにサポーターと、ありとあらゆる能力に秀でていないと与えられない。アトゥに作り出された異形たちはもちろん冒険者ではないが、単独で深いダンジョンを踏破できるほどの強さは間違いなくありそうだ。
それが都合8体。シルヴィアを取り囲むように広がっていた。
「使役魔と言っていましたね。これはどうでしょうか」
シルヴィアは両の手のひらに集めた光を、周囲に振り捲くように投げた。主と使役体の精神的なつながりを遮断する光魔法だ。
光は蛍のように周辺を漂ったが、異形たちに特に変化はないようだった。
「精神的なつながりではないようですね」
正面の異形の一体が、4本の腕で殴りかかってきた。シルヴィアは無言でそれを避ける。確かに圧倒的なパワーを感じるが、スピードはそれほどでもない。見た目に反して、物理的攻撃はあまり得意ではないようだ。
「では腕が4本ある意味は」
呪印だ。邪系統の魔法は聖属性である聖火魔法と同じく印を結ぶ必要がある。腕が4本あるということは、同時に2つの魔法を行使できるということになる。それが8体。同時に16もの魔法攻撃が来る。
「邪属性魔法とは…… 相性は最悪ですね」
シルヴィアは空中から錫杖を出し、持ったまま印を結んだ。4本の指先同士を付け、半円を組む。親指同士を付け、地を表す。手のひらから溢れた光が、半円形の模様となって増大した。
「穢れを防ぎ、清浄なる御空へ」
異形たちの邪魔法が放たれたのと同時に、シルヴィアの周囲に光のドームが形成された。聖なる防護結界だ。
空中をうねる黒に近い紫色の光が、ヘビのようにシルヴィアに迫る。都合16本のその光のヘビたちは、シルヴィアの結界に当たると激しく火花を散らせて消滅した。その祭に発生した薄い黒煙が晴れると、シルヴィアがぽつりと呟いた。
「……バカですか?」
ため息とともに吐き出される極寒の言葉。
「腕が4本あって同時に2つの印を組めるのに、なぜ同じ魔法を繰り出すのですか。それも8体全員。精神防御や時空防御まで張る準備をしたわたしが、バカみたいじゃないですか」
シルヴィアは心底呆れているようだった。