1 ロイとシルヴィア
圧倒的な軍事力と野心で、人間世界の大半が魔王によって席巻されている世界。大陸の南側は、それでもまだ比較的に安全で平穏だった。
初夏、新緑の季節。海沿いを南下する街道を、二つの人影が歩いていた。
一つは小柄な若い女性。白いローブに金色の縁取りが成されている。複雑なその文様は“聖火神”のもので、その女性が敬虔な修道女であることがわかる。フードを被っているため顔つきはよくわからないが、時折見え隠れする容貌は非常に整っており、透明感のある美しい女性だ。
もう一つは若い男。身長は高く、隣の女性の頭は男の肩よりずっと下だ。男の体つきは細身ではあるが筋肉質で、身体に張り付いた黒いシャツとぴっちりとした黒い細身のパンツは逞しい筋肉の造形を芸術的に盛り上げていた。黒髪黒目で顎の線は細く、全体的に精悍で野性的な印象を受ける。無造作に跳ねた頭髪と挑戦的な目つきからは、いかにも“やんちゃ”という形容が当てはまる。
修道女とやんちゃな男という不思議な組み合わせの二人は、年齢的にはそう離れていなように見えた。しかし恋人同士というにはチグハグで、夫婦というにはあまりにも熟成されていない不思議な雰囲気の組み合わせだった。
「なあ、もういい加減いいだろって」
男が面倒臭そうに話す。少しハスキーがかった高めの声だ。
「言ったじゃないですか。無理です」
修道女の声は平坦で、感情の起伏が感じられない。落ち着いた小さな声で、年齢の割には少し低めだった。
「なんでだよ。俺けっこうがんばったと思うけどなあ」
「あれはがんばったとは言いません。ただのストレス解消です」
「けっ! あんなクソ雑魚相手、まじめにやってられっかよ」
すれ違う馬車の行商人が、怪訝な表情で振り返る。美しい少女と整ってはいるが“やんちゃ”な感じの若い男。道行く人の目を引く要素は、過分にあった。
峠道は過酷な上り坂が続く。しかし頂上を過ぎると、眼下には碧い海原と緑の山々が広がる絶景があった。
「ふぃ~、ようやくここまで来たか。飛んでけば一瞬なのによ。ニンゲンサマはよくもまぁ、こんな面倒臭い方法で移動するよな」
男が言うと、修道女はローブの下から冷たい目を向けた。
「あなたのその無駄に長い足は、なんのためについているんですか? それに、じっくりと歩くからこそ、自然の美しさや人とのふれあいが生まれるのです。“不便益”という言葉を知っていますか?」
「へいへい、お偉いカミサマの思し召しでごぜぇますね」
「ちょっと、ちゃんと話を聞いてください」
「おっと」
男がなにかに気がついたように立ち止まる。修道女は男の視線を追って、道の先を見た。
「まぁこういうところには、たいていいるわな」
道の両脇の森から、野卑な格好をした男たちがわらわらと出て来た。手には曲刀や斧などを持っている。典型的な山賊、野盗の集団だった。
「へっへっへっ、いい身なりしてるじゃねぇか」
「女の方はかなりの上玉だぜ」
「相当な高値で売れそうだな」
「その前に味見をしねぇとなぁ」
「商品管理は大事だからなぁ」
「ちげぇねぇ」
ゲラゲラと笑う男たち。二人の背後にも同じ集団と思われる男たちが現れた。脇の森にもちらほらと人影が見え、完全に囲まれてしまったことがわかる。
「まぁだいぶ前からこっちの様子を窺ってたようだけど、数にものを言わせて襲おうってのか。人間の考えることは、いつでもどこでも同じだな」
「ロイ様、殺してはいけませんよ」
「またかよ。最近こんなクソ雑魚ばっかじゃねぇか」
修道女は手に錫杖を出した。何もない空中から、突如として現れたのだ。
“空間収納”―― それは、高位の魔法使いや僧侶が使う魔法だった。
「わたしは前を」
「へいへい、じゃあ残り全部は俺ね。相変わらず人使いの荒い」
「適材適所です」
それが戦闘開始の合図だった。
「囲め!」
前方の男たちが修道女を半包囲した。一斉に襲いかかって、拘束しようというのだろう。
「聖火の輝きよ、この者たちに慈悲を」
両手の人差し指で“山”を形作り、親指同士を繋げて“地”を指示する。その狭間には三角形の空間。そこに白い光が収束した。
「あがっ!」
修道女の真正面の男が、白目を剥いて膝から崩れ落ちた。
「な、なんだ?」
「気をつけろ、聖火魔法だ!」
「せ、聖火魔法!? なんでこんなところに“聖女”がいるんだよ!」
「くそっ、続きを唱えられる前に口を塞げ!」
残りの男たちが一斉に襲いかかってきた。
「穢れを祓い、清浄なる御霊へ」
錫杖の先から膨大な光の線が発せられ、それらが白い光の柱となってそれぞれの男たちに落ちた。襲いかかろうとした男達十数人は、全員白い光の柱に包まれた。
「あ、あはあああぁぁぁ」
全員紅潮し、口角から泡を吹いて崩れ落ちる。残った前方の山賊たちは5人だが、みな紅顔の少年ばかりだ。おそらく見習いで、荷物持ちとして連れて来られたのだろう。
「あ、ああ…… な、なにが……」
修道女が両手を下ろすと、氷のような冷たい視線で少年達を射貫いた。
「聖火の輝きで、この者たちの“悪心”を浄化しました。普通はこれで改心して善人になるのですが、心根のほとんどが悪心だったようですね。もはや一人では日常生活も送れないでしょう。連れて行きなさい」
「は、はい!」
少年達はばらばらと動き始め、山賊たちを引きずり始めた。修道女が振り向くと、そちらも同じような状況だった。
「へっ、昼飯前の準備運動にもならねぇ」
手を叩いて埃を落とすロイと呼ばれた青年が立つ周りには、数十人の山賊たちが気を失って倒れていた。
「殺してはいないでしょうね」
「殺すまでもねぇ」
「……ならいいです」
修道女は何事もなかったかのように、坂を下り始めた。
「おい“しー”!」
青年が呼ぶと、修道女は鋭い目つきで振り返った。
「そう呼ぶなと言ったはずです。私にはシルヴィアという名前が」
「別にいいだろ、なんだって。なぁ腹減ったから、さっさと街に行って飯食おうぜ」
「はぁ……」
修道女―― シルヴィアは深いため息をついて肩を落とすと、ズカズカ歩き始めたロイの後を追った。
◆ ◆ ◆
「なんだ?」
二人が町の門に近づくと、人だかりができているのを見つけた。しかも武装している集団が怒号を発し、ものものしい雰囲気である。門には町へ入ろうとしている商人や旅人が列をなしており、しかも遅々として進まない。検閲がかなり厳しくなっているのだ。
「ちょっと聞いてみます」
シルヴィアが行列の中程で途方に暮れている行商人のところへ近づいていった。
「あの、すみません」
「ああ? おわっ!」
御者台であくびを噛み殺していた商人は、突然現れたうら若く美しい修道女に驚いて落ちかけた。
「へっ、ははっ、ごめんごめん。なんだいシスター」
「一体何があったんですか? 兵士が集まっているようですし、検閲も捗っていないようなのですが」
通常、町の検閲には時間がかかるものだが、それにしてもこれほど並ぶのは年末や祝祭時くらいだ。今は秋の収穫が終わったばかり。収穫祭はもう少し先なので、これほど並ぶことはあり得ない。
すると、商人は苦笑して肩を竦めた。
「ああ、なんでも方々荒らし回ってる野盗グループがこの近くで目撃されたそうだ。かなり凶悪な奴ららしく、中には兵士崩れの戦闘の元プロもいるみたいだな。自警団じゃ相手にならねぇってんで、隣町から兵士を呼んだみてぇだぞ」
「野盗グループ……」
シルヴィアには心当たりがありまくった。
「そいつらは手が込んでてな。旅人や商人を装って町に入り込んで、夜な夜な仲間を引き入れる手口を使うみてぇだ。そんで検閲がいつも以上に厳しくなってるみてぇだ」
「わかりました。ありがとうございました」
「いいってことよ。それシスター、今夜いっしょに食事でもってあれ?」
シルヴィアはすでに歩き去った後だった。
「……ということらしいです」
「なんだよ。じゃあ、あいつらまとめて突き出せば、俺ら金もらえんじゃね?」
「そういう目的で戦ったわけではありません。それに元プロもいる数十人の野盗グループを二人で倒したとわかったら、調査で何日も足止めを食らってしまうではないですか。場合によっては…… 疑われるかもしれません」
「けっ、ほんとニンゲンサマはめんどくせぇな」
「ということで、あなたも知らないふりをしてください」
「へいへい」
二人が素直に列の最後尾に並ぶと、歩いて来た方から早馬が駆けてきた。
「お~い! 奴らが峠で全滅してるぞ!」
「ああっ!? どういうことだ? 誰か偵察を出して来い!」
「はっ!」
兵士たちが動き出す。町の入り口は、さらに騒然となった。
“謎の二人組によって、凶悪な野盗グループが全滅させられた”
その一報が“トレパソ”の町を駆け巡ったのは、半日も経たない頃だった。生き残りの子どもたちが、そう証言したらしい。“生き残り”といっても、死者は一人もいない。ただ、十数人は魂が抜けたように呆けてしまってなにも覚えていない。残りの数十人は「悪魔が」とか「化け物が」などと恐慌に陥っており、やはりまともに話ができる状態ではなかったという。シルヴィアとロイは、そういった噂話を夕食に訪れた酒場でイヤというほど聞いた。
「かろうじてバレなかったようですね」
「大金を稼げたかもしれねぇのによ、もったいねぇ」
ロイは大量のピーナッツを殻ごと口の中に放り込み、バリボリと盛大に噛み砕いた。
「それにしても気になるのは、彼らの出自ですね」
「ああん? 北の滅ぼされた国ってやつか?」
シルヴィアはコクリと頷いた。
シルヴィアたちが壊滅させた野盗グループは、元は北の“ガゼルタ”という国の兵士で、食うに困って南下してきたのだという。持っている武器や服装、顔つきや言葉の“なまり”でガゼルタだと見当つけられたらしい。
「……魔王の影響は、ここまできているようですね」
「けっ」
この広大なアーストリア大陸の北半分は、魔物の王つまり魔王の“ゼブルゼル”によって支配されていた。120年前に突如として北の端に現れた魔王ゼブルゼルは、その強大な力で村を町を国を滅ぼし、数多の魔物や魔族を従えた。
もちろん人間もただやられていたわけではなく、強大な軍事力を誇る大国や超常的な能力をもつ勇者などによって勢力を盛り返した時代もある。一進一退をくり返し、それでも徐々に魔王の勢力は南下し続け、大陸の半分がその勢力下に置かれたのが今から約50年前だ。
大陸のほぼ中央にあったガゼルタは強大な防衛力を誇る国で、“鉄壁”と謳われたヒュドラスという首都が防衛の要だった。大陸の約半分が魔王の支配下に置かれた状況でも頑強に、そして安定して抵抗し続けていた。南の国々による支援もあって、反魔王の拠点として盤石に思えた。
そのヒュドラスが落ちたのが2年前だ。
“ラーハム城の悪夢”と呼ばれるクーデターにより、ヒュドラスは内部崩壊したのだ。ダジルというガゼルタきっての勇将が王を裏切って内乱を起こし、王と王妃は処刑。一人息子の王子は行方不明となり、ガゼルタは魔王の支配下になった。何とか国外に脱出した商人などによると、王直属の近衛兵団が最後まで頑強に抵抗していたらしいが、ついには壊滅したとのことだった。
「魔王ねぇ」
ロイはつまらなそうにエール酒を飲んだ。
「かぁ~、やっぱノールダムのエールじゃねぇと、飲んだ気がしねぇな」
ノールダムはすでに100年も前に魔王によって滅ぼされていた古の国だ。広大な穀倉地帯と勤勉な農民達の、巨大農業立国だった。
ロイは盛大にゲップをすると、シルヴィアをじろりと見つめた。
「で、どうすんだ? 町長んとこ行くんだろ?」
「そうですね……」
シルヴィアは酒場の喧噪を眺めた。賑やかな中にも、どこか混じる諦観。およそ100kmまで迫った魔王の脅威。この町が“最前線”になるのは、もはや時間の問題だった。
「ヒトの歴史とは、侵略と抵抗のくり返しですから」
「滅亡と再生のくり返しじゃねぇの?」
ロイはまたバリボリとピーナッツを殻ごと噛み砕いた。