7 初々しいブルー
7 初々しいブルー
「あら、ジュディス。帰ってきたのね。あらあら。まぁ、素敵なドレスね。良く似合っているわ。これは、シェリダン様から?」
「フランシス様の婚約者のミランダ様が…そんなことより、おばあ様!どうされたのですか?」
「ああ、これ?私としたことが、ちょっとしくじってしまったのよ。今日、貴方は一日出かける日だったでしょ?だから、どうしても欲しい色があって、久しぶりに染色しようとして、やけどしちゃったのよ。もう歳には勝てないわねぇ。」
困ったように微笑むクレアの痛々しい手をそっと包んで、ジュディスは唇を噛み締めた。
「私のせいです。私が、浮ついたことをせずさっさと帰って来ていたら、こんなことにはならなかったのに。」
「ジュディス、それは違うわ。私たちの作品を大切に想ってくださるお客様と交流することも立派な仕事よ。ドレスもヘアメイクもしてくださったの?」
「あ…。はい、ミランダ様ご自身が。こんなに着飾らせてもらって、みなさん、暖かく迎えてくださって…だけど、こんなことになるのなら…。」
「ジュディス、一度姿勢を正して見せて頂戴。」
ジュディスは言われるまま、まっすぐに立つと、クレアの指示でターンして見せた。
「はぁ、美しい娘に育っていたのね。私は、心配しすぎて貴方に厳しくしすぎていたのかもしれないわ。そんな辛そうな顔はやめてちょうだい。まずは、着替えてお礼状を準備してらっしゃい。」
ジュディスはその日を境に、再び染色に没頭するようになった。美しいドレスはクローゼットに片付けたままだ。冬になる前に、染色用の植物を加工したり、クレアの作品作りのために新たな色を染めたりと大忙しの日々を送っていた。
それでもふと、あの日のウィリアムを思い出しては、、深いため息が零れ落ちた。今まで知らなかった自分の中にあふれ出したこの感情は、一体なんと言えばいいのだろう。ジュディスはそんな想いを持て余しながら染色を続けていた。
「ジュディス、ちょっといらっしゃい。」
夢中で染色していたジュディスは、ふいにクレアに呼び出された。クレアの作業場に行くと、下働きの女性たちがざわざわとはしゃいでいた。
「これ、貴方が染めたものよね?」
「ジュディス様、すごいです。こんな素敵な青は初めて見ました!」
「はぁ、なんて初々しくも切なげな色なんでしょう。ずっと見ていたくなるわ。」
クレアが問いかける間も、女性達は待ちきれない様子で話しかける。ジュディスが何を言われているのか分からず戸惑っていると、作業途中の刺繍絵を手にしたクレアが青い空の部分を指示した。
「こんなに美しい青は今まで出せていなかったと思うわ。」
見ると、クレアですら微笑みを浮かべていた。ジュディスが身を乗り出してみると、確かに切なげな美しい青が輝いている。
「これを、私が?」
「ほらほら、皆さんは作業の続きをお願いしますよ。ジュディスはこっちにいらっしゃい。」
クレアは下働きの女性たちを作業に戻らせ、ジュディスを奥のソファに座らせた。
「貴方には、アンブラ―家の血が流れているのよ。つまり、魔力を持っているという事。貴方のこれまでの染色は、自分の仕事ができるという喜びで輝いていたんだと思うわ。でも、この青は…。」
優しいまなざしで「はぁ。」と息を吐いて、クレアはジュディスに目を向けた。
「つまり、貴方の心模様が反映されるという事よ。ジュディス、質問をしていいかしら。先日のシェリダン伯爵家でどんなことがあったの?」
祖母からの意外な質問に、戸惑いつつもあの夢のような出来事を話し始めた。学校にも行かず働いていたジュディスには、歳の近いミランダとの時間はとても貴重で楽しい時間だった。その上、あんな風に着飾らせてもらって、またそれを受け入れてもらえて、恥ずかしいようなおこがましいような複雑な心境だったのだと。ところが、ウィリアムのあの表情を見た途端、心臓が破裂しそうなほどドキドキして、どうしていいのか分からなくなってしまったというのだ。だけど、帰宅したらクレアが怪我をしていて、あんな風に浮足立ていたのが悪かったのだと痛感したと。
「ジュディス、恋をしているのね? この切ない青、貴方の心情がにじみ出ているんだわ。」
祖母の一言で、ジュディスは一気に顔を赤らめた。自分の中で理解できなかった感情が『恋』だったとは、思ってもみなかったのだ。
「その気持ちは決して悪い物ではないわ。私の怪我など気にせずに、大切になさいね。あの青できっと素敵な刺繍絵が出来るわ。」
魔力を持っているなどにわかには信じがたいが、祖母がそこまで気に入ってくれた色が出せたなら、これからも頑張ろうと笑顔で頷くジュディスだった。そして、その糸を使って仕上げられた刺繍絵の青は、「ブルー・ファーストラブ」と称されて、大変人気の高い物となった。
いよいよフランシスの依頼品が出来上がった。新居に飾られたその刺繍絵は、二人の幸せな門出を祝福するような愛情あふれるものとなった。執事や侍女でさえ、刺繍絵の前を通りかかると、ふっと立ち止まってしまうほどだ。これにはフランシスだけでなく、伯爵夫人のブレンダもご機嫌で、息子たちの結婚式にはぜひ参加してもらおうと意気込んでいた。
そして、結婚式当日がやってきた。ジュディスは前にミランダからプレゼントされたドレスに身を包むが、派手な化粧や髪を結い上げるなどは気後れしてできなかった。
「大丈夫よ。今日の主役はフランシス様とミランダ様でしょ?お二人の門出をお祝いする気持ちが大事なの。」
祖母の言葉に気持ちを落ち着け、二人は馬車に乗り込んだ。伯爵家の結婚式だけあって、会場には多くの貴族令嬢が訪れていた。みなここぞとばかりに着飾り、頭の先からつま先まで、おしゃれに余念がない。そんなところにやってきたジュディスは、彼女たちの憐れんだような視線に慄いた。
「まぁ、伯爵家次期当主の結婚式ですのに、随分と手を抜いた方がいらしたものね。」
「なんだかお化粧もお得意ではないみたいですわね。お疲れなのかしら。ふふふ。」
「恥ずかしくないのかしら。お顔を隠す扇子もお持ちではないみたい。お気の毒だわ。」
聞えよがしにあちらこちらから聞こえてくる陰口に怯みそうになると、ジュディスは心の中で唱える。
―いいえ、恥ずかしがることはないはず。だって、私はちゃんとした仕事をして暮らしているんだもの。- その時、どこかの侍女がそっとジュディスの腕を引いた。
「ジュディス様ですね。ミランダ様の侍女のアニーと申します。ミランダ様からのお言いつけで、少し手直しさせていただきます。どうぞこちらへ。」
それだけ言うと、そっと別室にジュディスを連れて行き、瞬く間に髪を結い上げて行った。そして、メイクもきれいに治すと、満足げに頷いた。
「お時間を頂いて申し訳ございませんでした。クレア様がお待ちですので、どうぞこちらへ。」
アニーが鏡の前から移動すると、自分の姿が露わになってジュディスは目を見開いた。以前とはまた違ったメイクとヘアスタイルになっていたのだ。いつの間にか、ドレスに合わせた髪飾りまでついている。そして、アニーに連れられたまま会場に戻ると、クレアが嬉しそうに微笑んでいた。
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