3 シェリダン家の人々
3 シェリダン家の人々
「あら、バラの騎士様などとモテはやされているのに、なかなか婚約者が決まらないから、どんな趣味なのかしらと思っていたのに、そんな控えめに微笑んでいるだけのご令嬢がいいのなら、あなたの周りに星の数ほどいらっしゃるでしょう?さっさと婚約者を決めなさい。貴方の見た目のせいで周りの貴族からうんざりするほど縁談のお話が来るので困っているのよ。」
「い、いや。俺はまだ騎士団の中では下っ端の方ですし…・」
「下っ端だからこそ、協力して支え合って生きていける相手が必要なのです!フランシスの結婚式には、貴方も婚約者を連れて出席するのですよ!」
フランシスとは、シェリダン伯爵家嫡男フランシス・シェリダンの事だ。ウィリアムほどではないが、フランシスも美形で通っている。しかし、騒がれるのが苦手なフランシスは、さっさと親の勧める縁談に乗ったのだ。それでも、穏やかな付き合いをしているという。
母ブレンダのお小言は続いているが、ウィリアムはさっさと食事を終えると、明日も早いのでと席を立った。
「はぁ。貴方、ここは少し、荒治療が必要かもしれませんわね。」
「うん、そうかもしれないね。私は、いい子だと思うんだよ、さっき話した子。」
「貴方がそこまでおっしゃるなら、私も早く会ってみたいわ。」
シェリダン伯爵夫妻は、そんな会話をしながら、お互いに目配せしていた。
「そういえば、この食堂にもなにか飾りが欲しいですわ。」
「うん、そう言うだろうと思って、手配しておいたよ。」
それからの二人の行動は早かった。数日後には、クレアとジュディスがシェリダン邸にやってきて、夫妻の意向を聞く機会ができたのだ。
「さぁ、どうぞこちらに。」
クレアが勧められるままソファに向かうと、ジュディスはそっとそのソファの後ろに立った。貴族との打ち合わせで、下女の様に扱われるのにはもう慣れてしまったのだ。しかし、ブレンダ・シェリダン伯爵夫人は、にこやかにジュディスを手招きする。
「私は、ブレンダ・シェリダンと申します。クレア・アンブラ―刺繍爵様のお孫様と伺っておりますが、お名前を伺ってもよろしいですか?」
「はい。クレア・アンブラ―が孫、ジュディス・アンブラ―と申します。どうぞよろしくお願いします。」
簡素な服装ではあるが、丁寧なカーテシーに、伯爵夫人の瞳がキラッと光った。
「素敵なお嬢様ですわね。今回のお願いにも関わっていただけるのかしら。」
「ええ、ジュディスは下絵と糸の染色を担当しております。念のため、下絵が出来ましたら一度ご覧いただいて、ご納得いただけたら刺繍作業に入りますね。」
クレアが作業手順を説明すると、「分かりました。よろしくお願いします。」と頭を下げ、これから現地まで一緒に行ってほしいという。
表に出ると、すでに馬車が用意されていて、荷台には折り畳みテーブルやお茶のセットまで揃っていた。皆が乗り込むとゆっくりと馬車は進み、街のあちらこちらに春の日差しを浴びた見事な花壇を見ることが出来る。ジュディスは、そんな花々を見ても、「あの色で糸を染められないかしら。」などと考えていた。そして、1時間ほどで目的の場所に辿り着いた。
王都から少し離れただけなのに、田園が広がるのどかな風景が広がっていた。馬車を降りた伯爵夫人は、クレアたちを従えてこんもりとした小さな林の中に入っていく。
「こちらです。ここが私たちシェリダン伯爵家のお気に入りの場所なんですの。向こうに見えておりますのが、先代のお住まいですわ。」
夫人が紹介するときには、すでにテーブルセッティングが終わっていて、木漏れ日の中でお茶会が始まろうとしていた。勧められるまま席に着いたジュディスは、向いに見える小川のせせらぎや日の当たっている場所の花色の美しさに感動を覚えていた。ふわっと風が渡ると、さやさやと葉っぱの擦れる音と共に、木々の間から差し込む光が心地いい。陽を受けて透き通る緑も美しい。
「本当に素敵な場所ですね。ジュディス、作業を進めてくれるかしら?」
「はい、おばあ様。」
ジュディスはエプロンをつけて画材を出すと、一度目を閉じ、大きく深呼吸する。そして静かに筆を走らせ始めた。こうなれば、出来上がるまで誰にも留めることが出来ない。クレアたちは、この心地よい場所でのお茶を楽しみながら、ジュディスが仕事を終えるのを待つことになった。
風景を書き写しながら、クレアと伯爵夫人のおしゃべりをなんとなく聞いていると、ここにはシェリダン家の大切な思い出がいっぱい詰まっているのが分かる。伯爵にプロポーズされたことから始まったこの場所との縁は、子どもが生まれ、幼い兄弟が遊びまわる間も続き、少し前には、伯爵家嫡男のフランシスが、婚約者のミランダを連れてここでプロポーズする今も続いているという。
「弟のウィリアムにも、早くいい人が出来てほしいですわ。まったく、外見だけはいいものだから、雑音がうるさくて。」
「私も存じておりますわ。ウィリアム様は王宮騎士団で働いておられる優秀な騎士様なのですよね?護衛に付いておられるときでも、ご令嬢たちが随分と騒がしいのだとか。」
「まぁ、クレア様。中身はまだまだ子供ですわ。でも…。いえ、だからこそ、本当に信頼し合えるお相手が早く見つかればいいの思うのです。」
「子を想う気持ちは、みんな同じですね。」
そう返事をしながら、クレアの視線はジュディスに向けられていた。子を想う気持ちは、保護者としてジュディスを育てているクレアにもよく分かる。身分の高い相手や裕福な相手である必要はない。でも、信頼し合える相手に出逢ってほしい。それこそが幸福の基本だ。
しばらくすると、伯爵夫人が「まぁ!」と声をあげた。ちらりと覗いたジュディスの下絵が素晴らしい出来だったからだ。
「このまま額に飾りたいぐらいだわ。本当に素敵ですわ。」
「ありがとうございます。おばあ様、いかがでしょう。」
恐縮しながら出来上がった下絵をクレアに見せると、すぐにOKが出た。
「シェリダン伯爵夫人、本日は素敵な場所にご案内いただいて、ありがとうございました。それでは、刺繍作業に入りますので、2か月ほどお時間いただけますか?」
「ええ、もちろんです。ジュディスさんも、私たちの思い出の場所をあんなに素敵に描いてくださってどうもありがとう。」
「こちらこそ、ありがとうございました。」
シェリダン家に戻ってくると、簡単に挨拶を済ませて、二人は帰宅の途に就いたのだった。
素敵な場所だったなぁ。幸せが陽だまりみたいにあの場所にとどまっている気がする。きっと素敵なご家族なんだわ。ジュディスは刺繍に使う糸を染めながら、ずっとそんなことを考えていた。夫人の所作も素敵だった。優しくて、上品で。きれいな金髪だったなぁ。っとそこまで思い出していてふいにウィリアムの顔が浮かんでむっとする。
「あー、なんであんな人の顔が浮かぶのよ!」
「どうかしたの?」
振り向くと、作業場からやってきたクレアが顔をのぞかせていた。
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