Article2
〜数年前〜
「さて、女王から話にあったのはここだと思うんだが…」
「そうですね…。色々あったのに想像していたよりかは盛り上がっていますね」
リリは小さなスーツケースを、アルクは包帯が巻かれた右手でスーツケースを引いてある町に来ていた。今彼女たちは街の中心となる広場に来ており、周りを沢山の街の住人が行き来している。
そこはリリが所有する領地ではあるが目が届かない場所ということもあり、別の人間に管理を任せている町だった。ここは過去に色々あり、祖父から受け継いだ土地になるのだが訪れるのは管理権を譲渡して数年ぶりの来訪となる。
現管理者の定期的な報告では特に問題ないと聞いていたが王女の耳には違った内容が入っていたようだ。まあ、よくあることである。リリに報告する者と、王女に報告する者は全く別の人間だからだ。
基本的に王女は立場柄1つの土地に対する領主の報告を信用してはいない。多面的な角度から物事を捉えて判断をくださないといけない立場の人間だからだ。自身の手足となる間者を各土地に派遣し、領主の報告と間者の報告2つを照らし合わせて乖離が合った場合、内容によりリリ達や別のものを派遣して状況確認を行っているのだ。今回の乖離内容がリリ達を送るのにふさわしいと判断されたのだ。
リリは女王から依頼された内容を改めて思い出す。
〜〜〜
「ったく、かったるいったりゃありゃしないわ!」
白いドレスを着た紺色ショートカットの女の子がリリ達が事務所として利用している客間に入るなり、入口側のソファーにダイブした。ダイブしたおかげでティアラがコロンと床に転がり、そして彼女は履いていた履物をポイポイと脱ぎ散らかす。その女性とは遅れて30歳位の白髪で右目にモノクルを付けた男性が入ってきた。
「フランシス王女、はしたないですよ」
そんな彼女のいるソファーとテーブルを挟み反対側のソファーに座っているリリが紅茶をすすりながら声を掛ける。彼女は仮にも王女と呼称している人間が目の前で取り乱しているのに、それはいつもの光景だと言わんばかりの態度を取っている。そんな彼女の後ろには苦笑しているアルクが立っていた。
「良いじゃない、こちらとらあずっと王宮努めで息が詰まってるの!やっと息抜きができる幼馴染の家に来たってえのに貴方も王女としての振る舞いを私に求めるわけぇ〜?勘弁してよねぇ!」
「やれやれ、昔から親しくしているリリ様の前だから良いですけど程々にしてくださいね。昔と今は立場がぜんぜん違うんですから」
ため息を付きながら諦めたように男性は床のティアラを拾って胸の内ポケットにしまい、脱ぎ散らかされている靴をソファー下に揃える。服装は白色のマント、スーツ、シューズで右胸あたりに金の十字架が3本刺繍されていた。そんな彼の腰辺りには六法全書のような分厚い白色の書物が背表紙を上にして革ベルトで固定されている。
「何よ、ロベル。文句あんの?」
ジト目で不満げに唇を尖らせてロベルと呼ばれた白髪の男性に突っかかるフランシス王女と呼ばれた女性。それに首を横に振り言葉を返すロベル。
「無いです。ただだらけるのは時と場所を選んでくださいね、と言っているだけです。リリ様、申し訳ありませんね、我が主がこんな態度で…」
「いやいや、いつものことだから気にしていないよ。ロベル、相変わらず王宮はバタバタしているのかい?」
「そうですね。最近暖かくなりましたから色々揉め事が起きており、フランシス王女が直接判断くださないと行けない場面が何度もありましてですね…恐らくそれでストレスが溜まっていたのでは無いでしょうか」
「そうか、そっちも大変だなあ。こっちも色んな事件が舞い込んできて大変さ。仕事を選べばもっと楽になると思うが、如何せん立ち上げたばかりだから怪異関係ない案件とか合ったりして、ね」
「お互い忙しいですな、全く…」
「それに貴方は日々の公務に加えてそのじゃじゃ馬娘の相手もしないといけないからな」
リリはソファーの上でごろりと寝転んでクッションを抱えて足をパタパタとしているフランシス王女を見ながら、からかう様にロベルへ言葉を投げかける。彼は無言でこそあるが全くです、と言わんばかりの困ったような笑顔でハハッと乾いた声を返す。彼の立場上肯定するわけには行かないがその本心はリリへとなんとなく伝わった。
「して、フランシス王女。ワタシの下に公務上のドレスで来た、ということは何か国の仕事で来たんだろう?要件を伺っていいかい?」
「もーう、久々に合ったのに世間話に付き合ってくれてもいいじゃない…。私少し淋しいよ。後、フランシス王女はなんかやだぁ。昔みたいにフランって言ってよぉ」
「仕方ないだろ?昔と今とは立場が全然違うじゃないか。幼少の頃とはね」
「そうね、最後に会ったのは数年前の10歳位の事だったかしら。あれから7,8年位経っているのかしら…にしてもやっぱりリリ、見た目変わらないわね」
「まあ、仕方ないじゃないか。ワタシの種族上10歳までは人間と同じ歳の取り方するけど10歳以降は進みが遅くなるんだから」
自身は見た目が殆ど変わらないのに対し、年相応に年齢を重ねていくフランに寂しさを覚えてか切なそうに笑うリリ。フランはソファーの上に膝と身体の間にクッションを挟み、彼女の切なそうな表情を打ち消すかのような笑顔で言葉を返す。
「そうね。でも私からすると昔のままだから懐かしいかな。昔と変わらない、そんな風景が目の前に広がっていることを感じれて。久々に合うからリリが私がフランだと気付いてくれるか不安だったけど」
「心配しなくてもフランは入ってきた瞬間から分かったよ。仕草が昔と変わっていないじゃないか。纏っている雰囲気、見た目もあんまり変わっていないし。まあ、何よりテレビで公務執行しているときに姿を見てたから違和感はなかったよ」
「テレビ、かあ。あの私は私であって私ではなく、日々の公務に忙殺されている仮面を付けている私なんだけどね…昔は良かったなあ。お父様が生きていらっしゃって、リリと気軽に遊べて」
「6歳の頃に出会ってから10年以上の付き合いがあるんだ。テレビの姿が本当の姿なんて思っていないよ。それに機会が出来たら定期的に遊べばいいじゃないか。まあ公務もあると思うから無理しない程度に、だけどね」
「本当!?じゃあリリと会う機会があったらこんな風にだらけるね」
そんなリリとフランとの応酬が続く。旧友と久々に再開し、過去話とかが盛り上がってするようなやり取りがそこで繰り広げられていた。やがて失礼します、と声がして左目に眼帯を付け、燕尾服を着て背筋をピンと正している50位の男性がティートローリーを転がして入ってきた。トローリーは2段で上段にはティーポットとシュガーポットとクッキーを数枚乗せた皿が、下段にはティーカップとソーサーが用意されていた。
そしてその初老の男性がリリ、フランの前に2つずつソーサーとカップをことっと置く。そのティーポッドから注ごうとする。
「あ、シモンさん、私手伝いますよ」
男子が注ごうとした所、リリの後ろに立っていたアルクがシモンと呼ばれた者の手伝いを名乗りだした。そんな彼女を手で制す。
「アルクさん、ありがとうございます。私、セバス・ヴァ・シモンはまだまだ動けますから」
「そう…ですか…無理はしないで下さいね」
「アルク、心配したくなるのは分かるけどセバスはまだまだ動けるよ。彼が助けてほしい、と声を上げたなら助けて上げてやってくれ」
そう、そのように呟いてアルクは不承不承といった感じで離れて定位置につく。定位置につきつつも心配そうにセバスを見つめる。そんな彼女を尻目に慣れた手つきで紅茶を注ぎ、テーブルの真ん中へクッキーとシュガーポットをことりと置く。
「どうぞ、王宮の方の舌に合うかわかりませんがお召し上がり下さい」
「ふふ、紅茶なんてミルク入れたらみんな一緒よ。セバスさん、ミルクはあるかしら」
とんでもない暴論をかまし出したフラン。セバスは苦笑いをしながらティートローリーの上段からミルクが入った瓶を彼女の傍に置く。そのミルクをこぽこぽっと遠慮なしに自身の紅茶に注ぐ。
「フラン、紅茶にミルクを注ぐのは昔から変わらないんだな。昔を思い出したよ」
「だって美味しくないじゃない、紅茶って。飲んで宣伝かつ自国に貢献しなさいとお母様に言われているからと飲用しているだけだし。砂糖とミルクをガンガンに入れないと飲めたもんじゃないよ、この液体」
「ああ、そんなことぶっちゃけちゃったら王宮御用達を謳ってる紅茶メーカーが泣いちゃうぞ」
「いいのいいの、気にしない気にしない。所詮そのメーカー、王宮の名前外したら売れなくなるようなメーカーなんだから。こっそりとそのメーカーオリジナルの紅茶作ったけど大ゴケしてたの知ってるんだから」
「そうなんだ。知りすぎるのも考えものだな」
他愛のない会話が繰り広げられる。セバスはそんな会話を微笑ましそうに見つめ、やがて立っている2人に声をかけた。
「良かったらアルクさん、ロベルさんもどうぞ。ソファーに腰掛けて紅茶を飲んでくれませんか?」
そんな声を聞いてかリリはアルクに、フランはロベルに視線を送り見つめ合う。やがて立っている2人を主人2人が座りやすいように隣を空けて座るように促した。アルク達は素直に従い、失礼しますと声をかけてゆっくりと座る。そんな彼女たちの様子を満足気そうに頷き、ティートローリーの横に付いた。
「話を戻したいがフランシス王女、本日我がリリアルク相談所に来た理由を伺ってもよろしいか?」
リリはクッキーをお供に紅茶を飲み、一呼吸置いてから真剣な声とトーン、口調を変えフランに問いかける。それを察してか彼女はティーカップを置いて佇まいを正し、応対する。
「私としたことが失礼致しました。私、フランシス・エリザベス・キュミナス並びに従者のロベル・リエン・ウェールズはこちらリリアルク相談所に依頼があって参りました」
さっきまでのほわほわした雰囲気から打って変わり、一国を治める王にふさわしい威厳と雰囲気を漂わせ、凛とした眼差しでリリを見据えて話した。
「承知した。フランシス王女、リリアルク相談所へようこそ、貴方がワタシを求めた理由を教えてくれるかい」
リリはかしこまってセリフを投げかける。それと同時に部屋の空気も一気に変わり、緊張が張り詰められたようなピリついた空気となる。
「ありがとうございます。これは信頼できる筋から提供された情報なのですが、どうやら我が国のある地方で人が行方不明になり、そしてそこで人ならざるものが跋扈しているようです」
「行方不明はよくある話だが、人ならざるものが跋扈しているのは気になる。王女様、行方不明と人ならざる者、怪異の報告率は比例しているのか?」
「残念ながら比例しております。怪異だけならこちらで処理出来たのだがそれだけでは済まない状況かと王宮は想定した。そのため事態の究明、そして解決に向けて動いていただきたい」
「承りました。怪異の姿形とかは判明しているのか?」
「残念ながら…ただゆっくり動く者も居れば、俊敏に動く者もいるらしい。そして朝には姿を消す、そういった報告を受けている」
リリはフランとの会話を進めていき、考え込んでしまう。情報が足りず怪異の特定に至れない。フランから聞いた内容は失踪者と怪異の数は比例している、素早く動く者とそうでない者が偏在している、そして朝には姿を消していると言う3点だけ。圧倒的に情報が足りない。となれば…
「では王女、そのある地方というのは一体どこになるんだ?」
王女はその問いにためらうような素振りを見せる。そして意を決したように口を開いた。
「場所は…そう、ヴァ・ペグラム領リーアル地方レジルス町。リリ、貴方のお祖父様が居た町です」
〜〜〜
そういった訳で今リリ達はヴァ・ペグラム領リーアル地方レジルス町に居るのである。彼女達は目立たないように茶色の外套を纏い、町の入口に立っていた。
「ふうむ、来たは良いが情報が足りないな。どうするべきだと思う?アルク」
「リリ…ノープランだったんですね。えっととりあえず街の中心にある城に向かいましょうか。そこに統治を任せている領主がいるでしょ?話を聞いてみたら良いじゃないですか?」
「聞いた所で情報はないと思うがな…」
「まあまあ僅かでも情報が入るかもしれないじゃないですか」
「はいはい、それでは僅かな可能性にかけて行くとするか」
そう言ってリリはアルクに目線を送り声を掛ける。その声かけに対してアルクは返し、結論が出た。2人は外套を翻して街の中心へと足を進めた。
「申し訳ありません。そういったお話は聞いておりませんね」
ほら言わんこちゃない、と言わんばかりの視線をリリはアルクへ送る。大広間に縦で配置されたテーブルの誕生日席側に着座してリリの視線を受けたアルクは気まずくて視線を逸らす。
アルクはリリから見て左の下手側にアルクが、そしてその反対側に上質な衣服を纏ってヒゲを蓄えた40歳位のおじさんがニコニコしながら座っていた。冒頭のセリフはどうやらそのおじさんによるもののようだ。
「リリ、そんな視線を向けられても困ります…」
「ワタシは情報が手に入らないと言っただろう。スレイブ、一応代理領主であるキミだが本当に聞いたことがないのか?」
リリはアルクから視線をそらし、ヒゲを蓄えたおじさんに視線を合わす。おじさんは表情を崩さず好々爺のような雰囲気でそこに居た。彼はこの町の領主で名をスレイブというようだ。
「…そうですね。心当たりがございません。もし聞いたのならば必ず報告致します」
「まあ、それもそうだな。スレイブ・ジェリエル、君は隠すことはしないからな。だから信用してワタシの代理ではあるが領主の位置に据えたんだから」
「…信頼していただき、ありがとうございます。ところでその様な情報ってどこで入手されたのでしょうか?もしかして領民が直接リリ様に報告した、とかでしょうか?」
「いや、そういったわけではない。ワタシの領地内で片付けはしたが似たようなことが起こったもんだから気になって」
「そうでしたか。同様の事象が起こった場合、すぐに報告いたしますのでご対応いただけると幸いです」
ああ、そうリリが言うとスレイブはぎっと椅子を引き席から立つ。そして身体を翻して大広間の出口へと向かう。向っている途中でピタリと動きを止めた。
「そう言えばルノワストリートで似たような噂を聞きました」
「何!?スレイブそれは本当か!?」
「はい。少し前に聞いた噂で当時バタバタしていてすっかり忘れておりました」
「済まないな、君に町の統治を投げっぱで。近々フォローできる者を送るよ」
「いえ、好きでやっておりますのでお気になさらないで下さい。ただ、まあ少しお手伝いできる者が居ると助かりますな」
「承知した。人を見繕って送るよ。っでルノワストリートというのは町の外れかにあって山に通ずる道だったかな?」
「仰るとおりです。そこに立ち寄ったものが姿を消した、のような噂を聞いたことがあります。あくまで噂ですので何もないかもしれませんが…」
「いや、調べてみよう。他に何か困ったことがあれば遠慮なく報告してくれ」
「ありがとうございます。それでは私めは仕事に戻ります」
では、とそう言ってスレイブは会話を切って広間から出ていった。そんな彼を見ながらリリは腕を組む。その視線には疑念が含まれているようなそんな眼差しだった。
「アルク、どう思う?」
「どう…とは?」
「さっきのスレイブとワタシのやり取り、どう思う?」
「ああ。怪しいですよね」
「だよな。彼が言った『領民が直接リリ様に報告した』とか、思い出したように『ルノワストリートで似たような噂』とか言う点がな」
「確かに。直接報告されたらまずいことを隠しているかもしれないですよね」
リリがアルクを見つめて自身が懸念している点について話す。それにアルクはリリをしっかりと見つめて同調するように話を返す。
「リリ、これは恐らく罠では?思い出したように噂を言ってくるなんて」
「可能性は大いにあるだろうね。ただ、スレイブが指示して起こしていることかもしれない」
「それは確かに…」
「日本のことわざで虎穴に入らずんば虎子を得ず、みたいな話があるし、一回言われた場所に行くとしよう」
「承知しました。私もお供させていただきます」
ありがとう、そう言ってリリは席を立つ。アルクもそれに習い席を立った。リリを先頭に2人は広間を出ていき、現場へと向かう。スレイブはそんな2人が城を出ていく姿を自身の執務室から顔に影が差し、険しい形相で見つめていた。それは先程の好々爺といった感じではなく、意地の悪い笑みを浮かべ、嫉妬や憎悪、敵意といったものが組み込まれている表情のように感じる。やがて電話を取り、どこかにかけ始めた。
***
カァカァカァ…
闇を煮詰めたような真っ黒な烏が近くの電柱から飛び立つ。現時刻午後4時頃で夕方、日本でいう逢魔が時と呼ばれる異界と現実世界を繋ぐ時間の境目で怪異が活動し始める時間帯だ。
その時間帯でルノワストリートと呼ばれる場所に車に揺られて辿り着き、リリとアルクはスーツケースを引いたまま立っていた。
街へ続く道には街灯がポツポツ灯り始めている。それは等間隔で並んでいるがその間隔は遠く、どうしても暗闇といったものは現れる。そして人通りも無いので寂しい雰囲気がそこに現れていた。そこの雰囲気は山に繋がる道と比べて対極の位置に存在していた。山に繋がる道は街灯がなく、真っ暗で踏み込むもの全てを飲み込んで闇と同化させそうな闇がそこにあった。
「さて、ここがスレイブが言っていた所だが…なにも変わりないね」
「そうですね。杞憂だったのでしょうか?」
「まぁだわからんがね。少し、付近の町民に聞き込みをしてみるか」
「でも付近と言っても話が聞けそうな町民が居る場所は少し距離がありますよ」
「仕方ないじゃないか。スレイブがここになんかあるって言っていたんだから」
「それもそうですね。とりあえず近くの民家まで歩きましょうか」
2人は民家へ向かう道中と距離を想像してため息をつく。というのも近くの民家までかなり距離があるのだ。距離にして5000フィートくらいだろうか、徒歩で歩くにはかなり距離がある。乗り物が必要になる距離ではあるがそんな物を用意はしていないので歩くしか無い。そんなことを想像してしまったのだ。
「なあ、乗り物ほしくないか?」
「そうですね、確かにほしいかもです」
「だよなあ…欲しいときに呼び出すことが出来て、それ以外はコンパクトに収納出来るないし姿を消すことができる、みたいな、ね」
「そんな都合の良い存在なんて居るわけ無いでしょう。つべこべ言わずに歩きましょう」
「こんなんだったらさっきの車待たしておけばよかった」
リリはため息をつく。ここまで車で彼女たちは来たのだが、その車はお客を下ろすなりさっさと帰っていったのだ。その運転手のきあいに何も思うことはなく、むしろその方が安全と考えていたが現在引き止めなかったことを少し後悔していた。怪異の姿がすぐ見えることを期待していたというのもある。
「あ、あそこに町民っぽい子どもがいますよ」
そんな事を思っているとアルクが視線を一点を見つめてリリに声をかけてきた。彼女が見ている方を見るとそこにはバゲットが入った紙袋を抱えている10歳位、髪色が焦げ茶色、襟足が長めのウルフカットの子どもがとてとてと走っていた。
「本当だな。少し声をかけてみるか」
「そうですね、見た目的にもリリの方が近いですし、お願いして良いでしょうか?」
「全く、こういう時は自分の見た目がなかなか老けないことには感謝しないといけないよな」
自嘲気味に笑いながら少年の下へ駆け出すリリ。アルクから見たそれはまるで同い年の子どもを見つけたときの駆け寄っていくような小さな子のじゃれ合いのように見える。彼女から見るとそれは微笑ましい光景だった。
「キミ、ちょっといいか?」
「なあに、お姉ちゃん?キルに何か用ですか?」
リリが動きを止めて歩く子どもに話しかけると可愛らしく小首を掲げ、可愛らしい声で返してきた。未熟で声帯が発達していないためか、女の子男の子どちらともとれる声をしている。だが小首を傾げる所作や桃色の瞳かつ無邪気な印象のその瞳からリリは少女らしさを感じた。
「そうか、キミはキルというのか。じゃあキル、話を聞きたいのだが良いか?」
「キルに聞きたいこと…?はっ!何でキルがキルって事を知ってるの?兄ちゃんが言っていたストーカーさん!?お兄ちゃん知らない人とお話してはいけないって聞いたよ?」
「いや、そういうわけでは無い、無いよ。街の人に話を聞きたくて…えーとじゃあワタシはリリと言うんだ。キミの名前を聞いて良いか?」
「人に名前を聞く時は自分から言わないと駄目なんだぞ!」
「これはすまない。ワタシの名前はリリ・ヴァ・ペグラム、よろしく頼む。奥にいるのはアルク・ア・ジョフォン…まあワタシの友達だ」
リリがアルクに視線を合わして自己紹介を行なう。アルクはぺこりとキルに会釈を行なった。そんな2人に安心したのかキルはにこりと笑顔になり、言葉を返す。流石に小さな子だ、名前を聞くだけで警戒心を解くなんて可愛すぎる。この子の警戒心の無さは少し不安になってしまう。
「キルはね、キルジ・ミ・クドター言うんだ。あとあとお兄ちゃんがいて、ハドイっていうんだぁ。お兄ちゃんすごく頼りになるんだよ。キルが沢山の人の相手をする時とか、痛いことされているときとか必ず助けてくれるんだ」
「痛い…こと?両親にひどいことされているのか?」
「ううん、お父さんとお母さんは遠いところに居るんだって。今お世話になっている兄ちゃんが言ってた。痛いことされていたのはそのお兄ちゃんの前にお世話になっていたおじちゃん達のところ。でも、おじちゃん達のところではハドイお兄ちゃんが守ってくれていたの。だから全然怖くなかったんだよ?」
底抜けに明るく、しかし話し辛いだろうことをリリに話すキル。
リリとアルクは顔を合わし、心配そうな声色で続ける。
「今は…大丈夫なのか?ひどい事されていないのか?」
「ぜーんぜんされてないよ?今お世話になっているお兄ちゃんね、シュン兄ちゃんっていうんだけど、すっごく優しいの。沢山の人の相手することもないし、痛いことなんかされないし、ちゃんとご飯も食べさしてくれるの。シュンお兄ちゃん大好き!キルはそんなシュンお兄ちゃんのお仕事のお手伝いしているんだぁ。偉いでしょ〜お。えへへ」
「そっか、偉いね。今は痛いこととかはされていないんだね、良かった良かった」
「ねえ、ねえ、ところでリリお姉ちゃんはどうしてハドイお兄ちゃんみたいな喋り方しているの?女の子なんでしょ?」
「うーん、これは癖みたいなものかな。話し辛いかい?」
キルは自身の現状に満足していることを伝え、リリの喋り方に突っ込んできた。今まで指摘されたことがなかったため少し焦ったが癖ということを伝えて質問を投げかけた。キルは可愛らしく首を大きく横に振り、リリの問に否定の姿勢を示した。
「ううん、ハドイお兄ちゃんと同じ喋り方だから話しやすい!あ、そう言えばリリお姉ちゃん、キルに聞きたいことがあるんでしょ?聞きたいことはなあに?」
「そっか。抵抗が無いなら良いんだが…。あ、そうそうキルに聞きたいことが1つあるんだ」
「なあに?キルが答えられることなら何でも良いよ」
「済まない、ありがとう。聞きたいことというのは最近ここらへんでなんか怪物みたいなの見たことないか?」
「かいぶつ…?」
「ああ、えっと…怖いもの、キルに襲いかかりそうな怖いもの見たこと無い?」
「うーん、無いなぁ。もし怖いものが出てきてもハドイお兄ちゃんが守ってくれるから…」
「そうか。ありがとう。すまないな、変なこと聞いて」
「ううん、気にしないで!力になれなくてごめんなさい。キル、良かったらリリお姉ちゃんとまたお話したいな」
「そうだな、機会があればお話しようか」
「うん、ありがとう!キルはこのまままっすぐ行った所のシュンお兄ちゃんの所にいるからまた話そ!」
キルはそう言ってバイバイと手を振りながら足早に走り去っていった。
「まるで風の様な子でしたね。あの子」
「そうだな。あの子、キルは子どもは風の子を体現したような子だな。過去に何か合ったかは詳しくわからないが今は元気そうだね」
「全く、リリもあれくらい元気に走り回れば可愛いですのに…」
「いやいや、ちょっと待て。ワタシの見た目はあの子と一緒くらいだが年齢だとアルク、キミと一緒なんだぞ?年相応の落ち着きを持っているんだよ、ワタシは」
「冗談ですよ。ちょっとくらいからかったって良いじゃないですか」
アルクとのやり取りでぷんぷんと怒り気味のリリに対してからかうように言う。そんなリリを言葉であやしながらいなし、アルクは言葉を続ける。
アルクはにしてもあの子…そう言って顔を伏せて考え込む。そんな彼女にリリはどうしたの?と怪訝な顔で覗き込む。
「いや、何か引っかかるんですよね…」
「引っかかるって何が?」
「いや、なんか形容できないんですけど引っかかるんですよね…」
「なんだそれ。まあ良いや。もう少しで町に入るからその入口にある宿屋で情報を集めよう」
「そう…ですよね。まあ、なんか分かったら知らせます」
そのアルクの言葉にうんと頷き、止めていた足を再度進めて歩き出す。アルクもそれに習って歩き出して町の入口にある宿屋へと向った。
「うーん、そんな話は聞いたことがありませんね…」
「そうかぁ。収穫無しだな、今回も」
リリ達は宿屋につき、受付をしている女主人から情報を聞こうとする。しかしそれは不発に終わってしまった。
「お力になれなかったのにあまり言うべきではないと思いますが、お客様本日は夜も遅いし泊まって行ったらどうですか?」
「そう…だな、泊まっていこうか。アルク、今日はここでいいか?」
「そうですね。今日はここでゆっくり休んで明日また情報を集めていきましょう」
すまないね、安くしとくよとそう言って女主人が宿泊のための注意事項を取り出した。その説明をリリが受けていると受付の傍の近くにあった階段から10歳位の男の子と女の子がひょっこりと覗いてきた。そしてリリを指しながら声を上げる。
「ええ、お前みたいな子どもがここに泊まんの?後ろに居る姉ちゃんは分かるけどさあ」
「本当だ、あたしと一緒位の女の子が泊まるんだ。お家には帰らないの?」
「こら、リッカとキッカ、お客様に失礼だろ!早く部屋の準備してきな!」
男の子と女の子は女主人の一声でママこわーいといって階段をドタドタと上がっていった。何やら上の階でバタバタと作業をしている音が聞こえる。
「ごめんなさいねぇ。時間も遅いからウチの子に手伝ってもらっているんだよ。普段はバイトの子がいるんだけどね。あなたは何か探しているんでしょう?可能な限りお手伝いするから用が済んだらウチに帰るんだよ?お姉さんもしっかり見てやんな」
上でバタバタする存在を気にしながら話す女主人。リリはここ数年そんな扱いされていなかっため、少し照れくさそうに頬を掻く。両親が生きていた時はそんな事もあったろうが過去にあったある一件以来、両親世代の者からその様な扱いを受けたことがない。それが少し心地よくもあり、照れくさくもあったのだ。
「店主さん、任せておいて下さい。事が終わったらリリはちゃんと連れて帰りますよ」
アルクはクスクスと笑いながら言葉を返す。実年齢は彼女と一緒なのに見た目のせいで子ども扱いされているリリが可笑しくて笑ってしまった。そんな彼女をリリはむっと睨みつけながら店主から鍵を受け取り、階段をとっとっとと上がりだす。そんなリリの様子も子どもみたく可愛らしく頬を緩ませてしまうのであった。
「ほうら、ちびっ子にはもったいないフカフカの大人用のベットだぞ!」
だぞ!とリッカとキッカと呼ばれたちびっ子達が声を揃えて言う。
「ワタシはこう見えて18だ!お前らで言う成人している年齢なんだぞ!」
「ええ、見えねえ!嘘つくなよ!お前はどう見ても子どもだ!」
「そうだそうだ!うそつくなぁ〜」
リリの言葉を真っ向から否定してかかる子ども達。まあ確かに子ども達の言っていることは最もである。どう見ても今のリリは10歳前後の子どもだ。そんな子どもが何を言おうとも応対しているリッカとキッカは信用しない、信用できないゆえに真っ向から否定してかかるのだ。そんなリリと子どもたちの応酬が5分位経ったろうか、心做しかリリの声に涙声が混ざってきたように思える。
「ごめんなさいね、キミ達。今のリリは少し背伸びしたい年頃なんです。ここは大人になってリリの言っていることを信じてあげて下さい」
「そっかあ、じゃあしょうがないなあ。リッカ達は大人だからお前の言っていること信じてやろう!じゃあな、ちびっ子!」
そう言って子どもたちは部屋を出ていった。その子どもたちが出ていく間、リリは何か言いたげな表情できっとアルクを睨みつけてきた。目端には涙が浮び、小さい子が怖いのを我慢して頑張って威嚇しているようなそんな感じがする。本人には言わないが正直アルクはその涙目のリリを見ているとなんかこう、込み上げてくるそのなんか悦な気分に浸っていた。
「アルク、助け船を出してくれるのは嬉しかったが別の方法があったのではないだろうか。あのままじゃ10歳のくせに18歳と言い張る虚言を吐いている痛いやつになるじゃないか」
「でもそのリリの見た目で18歳は無理がありますよ」
「それはそうだが…」
「リリの本当の歳は私が把握しているから良いじゃないですか。2人だけの共通認識があるってことで」
「それを言われてしまうと弱いな」
照れたように俯くリリ。そんな彼女を尻目にニコニコしながらアルクはスーツケースを開いて寝る時に必要な品物を取り出す。パジャマとかナイトキャップとかそういった類のものだ。スキンケアアイテムを取り出すのも忘れてはならない。まだスキンケアアイテムはアルク達には必要ないと思われるだろうが肌にダメージが現れてケアするのでは遅すぎる。早めにケアしとくことに越したことはない。
「ちょっと良いかしら」
必要な物を取り出しているとコンコンとドアがノックされて女主人の声がそこから聞こえてきた。アルクはある程度物を片した後、はーいと声をかけて扉を開けた。開けるとそこには片腕にお盆を乗せた女主人と両手でお盆を持った女の子、おそらくキッカと言う名の子が立っていた。お盆の上にはステーキ、サラダ、スープ、パンが乗っていた。
「ありあわせのものだけど食事を持ってきたよ。一人じゃ持ってくるのがしんどかったからキッカに手伝ってもらってるよ」
「あ、ありがとうございます。良いんですか?食事をごちそうになってしまって…」
「良いの良いの、ウチの子がお客様達を困らせてしまったんだからそのお詫びよ。迷惑じゃなかったかい?」
「迷惑だなんてそんな、ありがとうございます、いただきたいです」
はいよー女主人は気の良い返事をして机の上にお盆を運んできた。お盆の上に置かれたステーキのジューと現在進行系で焼けている音、そして匂いが部屋の中に充満し鼻腔とお腹を責め立てる。お盆を机の上に置くと後で取りに来るね、といいそそくさと部屋から出ていった。
「ご飯まで用意してくれたのか、この宿はサービスが良いな、この町に寄った時はリピートだな」
うんうんと頷きすぐに席につくリリ。どうやら彼女はお腹が空いていたらしい。
そんな彼女の様子を見てアルクもお腹が空いていたことに気づく。アルクもリリと同じく椅子を引いて席に付いた。そしてお互いにいただきます、と声を上げて食事を取り始めた。
ズル、ヒタッヒタ、ズルッズルと外の空気を取り入れるため開け放っていた窓からこちら側へ向ってくる音がした。
リリとアルクはゆっくりと腰を上げてお互いに顔を見合わせる。その音はまるで裸足の人間がすり足で近寄ってくる音がしたのだ。普通に考えてありえない音である。一昔前ではまだ靴が製作されていなかったため、裸足で歩く人間もいただろうが今は靴がある。普通の人間ならばそれを履き裸足で歩くことなどしないはずだ。また、その足音は一体の足音ではなく複数体の足音が聞こえる。ますますおかしい。そっと窓から外を覗き込む。暗くてわからないが複数体の蠢く影がこの宿へと向っていた。
「アルク、あれはもしかして…」
「そのもしかしてかもしれないですね。リリ、どうしましょう?」
「行くしかないだろう。おそらく奴らの狙いはワタシ達だ。宿屋の主人を巻き込むわけにはいかない」
「それもそうですね。着替えている時間は無いのでシリンジポーチだけ持っていきます」
彼女たちの姿はそれぞれパジャマを着用している。リリは薄手のワンピース型のそれを、アルクは上下に分かれたゆったりとしているブラウス、パンツタイプのそれを着用していたのだ。
「こういう時は日本じゃなくて良かったな」
「本当ですよ。お陰ですぐに戦闘態勢に移ることができます」
「にしてもやっぱりその包帯が巻かれた腕、痛々しいな」
「まあ、これがあるからリリの傍に居られるってものですけど」
リリがブラウスから覗く右腕に巻かれている包帯を指摘する。アルクはこともなげに気にするな、と伝えながらベットの傍に脱ぎ置いている靴を履き始める。リリはベルトでふくらはぎを固定するタイプの茶色のウェッジヒールを、アルクは黒のローファーをそれぞれ着用した。
リリは靴履き次第窓枠に足をかけて飛び出す。一方アルクは同じく靴を履いた後はスーツケースの隠しスペースから肩掛けポーチのような物を2つ取り出して身体へと通す。そして先行して飛び出したリリを追うように部屋から飛び出した。
宿へと向ってきた蠢く影は窓から飛び出した2人に気づくとゆっくりと追い始める。幸い全体的にその影達は動きが鈍いようで、リリはもちろんアルクも距離は十分に稼ぐ事ができた。そして山へ続く道の近くに立つと蠢く集団を待ち構える。
「到着までにしばらく時間がありそうだね。詠唱して一掃する準備をするとしよう。済まないがアルク、周りを警戒してくれないか?」
「承知しました。警戒態勢に入ります」
そう言ってファイティングポーズを取るアルク。そんな彼女を見て満足してかリリは目をつむる。そして頭の中で冷たい凶器のイメージを思い描く。
「氷よ整列せよ…」
ゆっくりとリリが詠唱を行なうとパキパキパキと空気中の水分が凍っていく音が辺りに鳴り響く。
「敵を穿て 撃鋭の氷棘」
そして詠唱が終わると同時にリリの眼の前へ15cm位の小さな魔法陣が現れた後、そこから無数の氷柱が現れてそこに静止した。それと同時にリリとアルクの周りを冷たく重い空気が漂う。
リリの詠唱が終わり、暫く経つと彼女達が北方向からあの蠢く存在がやってきた。
街灯に照らされてその存在の全貌がわかる。それぞれ多種多様性別雑多の見た目をしていたが共通していたことがある。それは異臭…腐臭…死臭を放っていること、目に生気がないこと、所々臓器が露出していること、裸足であること、衣服がボロボロであること、苦しそうにうめき声を上げていることの6つが共通していた。簡単に形容するならばゾンビと呼ばれる存在がそこに存在していた。
「来たな。穿て」
そのリリの号令と共に静止していた氷柱はそれぞれゾンビの頭へ一直線に向かい、ドスっと鈍い音を立てて串刺さる。それが命中したゾンビはその場へドサッと崩れ落ちた。ある程度のゾンビはその一撃で片付けることがができたが崩れ落ちたそれを踏みのけて奥にいたゾンビがなおも彼女らの下へ進む。
リリは舌打ちをして親指を噛んで血を滴り落とし、アルクをそこにおいてゾンビ達の方へと向かう。向かう間に滴り落ちた血は凝固していき、刃渡り15センチのナイフへと姿を変えて彼女はそれを逆手で掴む。先頭のゾンビの頭へ突き刺した。
本来であれば刺さるのにも多少時間がかかるはずだが、リリのそれはゾンビの頭をまるでバターか何かのように突き刺した。周りに居た3体のゾンビは仲間を突き刺した彼女へと掴みかかろうとする。しかし彼女は突き刺したゾンビの頭を踏み台にして自身が来た方向へジャンプして地面に着地した。ゾンビ達は姿を消した仇敵を探すように周りを見回して後ろに飛んだ彼女を発見後身体を向けるが時すでに遅し。その頃には首を落とされていた。
ゾンビの頭がゴロン地面に転がる。リリはその頭を蹴り上げてまだ奥にいるのか舌打ちをする。蹴り上げられた頭は別のゾンビのそれに命中してそいつは蹌踉めいた。ざっと数えて残り10体ほど居るゾンビ。彼女は憎々しげにそれを睨みつけナイフを構えた。
「後ろから!?どんだけいるんですか!」
リリがナイフを構えると同時に最初彼女が居た場所からアルクの声がする。振り返るとそこには背後からゾンビに襲われるアルクの姿が目に入った。リリは即座に戻ろうとしたがいつの間にか他のゾンビが彼女を囲っておりそれを許さなかった。早くここに居る奴らを片付けなければアルクがやばい、速攻でけりをつける、そう思い改めて目の前にそびえ立つ腐乱死体を見据えた。
「出遅れましたね。早くリリのもとに行きませんと」
そうアルクが声を上げてリリの下へ行こうと思った時、背後からうめき声がした。振り返るとそこにはリリが応対しているようなゾンビが5体ほど居た。かなり距離が詰められているので後ろに飛び、そこから離れた。そんなアルクへゾンビはゆっくりと近寄ってくる。彼女は包帯が巻かれた女性らしい細い右腕を前に掲げる。
「主よ、私に魔を振り払う御技、御力、御神器を授け下さい。滅壊の神腕」
アルクはそう言って包帯の結び目に手をかけて引っ張った。その包帯が解かれ、そこから白銀に輝く腕が現れた。そして彼女のセリフに呼応するかのようにプシューと音を立て、その腕の形状が変化して初期の腕より二周り大きな銀の腕へと形状を変えた。まるでそれは西洋のガントレット、ヴァンブレイス、クーター、リアブレイス、ポールドロンが一体化したような見た目をしていた。
「申し訳ありません。あなた達の魂、天に還させていただきます」
アルクはその腕をグーパーグーパー動かし、地面を蹴って5体居るゾンビの内に1体へ距離を詰め、銀色の右腕で殴り飛ばす。ゾンビはその攻撃をモロに受けて山の方へ吹っ飛んでいった。それは女性の力ではまずありえない衝撃が出ているので恐らくあの腕には筋力を増加させる作用も入っているのだろう。
そして吹っ飛んでいったゾンビを尻目に近くに居るゾンビの1体を地面に叩きつけるようにその銀腕を振り下ろした。そのゾンビはグチャッと音を立てて地面に伏す。伏したゾンビにはなにやら拳の形に焦げ跡が現れており、やがて灰となり消え去った。銀腕には装備対象に力を与えるだけでなく、殴打した対象を焼き焦がすような能力もあるらしい。
「これで2つの尊い魂が主に還りました。残り3つですね」
アルクは残っている3体のゾンビへと視線を送る。不思議とその瞳に殺意はなく、対象を心から憐れむ哀しそうなそんな色が浮かんでいた。視線を送られたゾンビ達は単体では叶わないと思ったのか、一斉に彼女へ襲いかかる。彼女は一瞬たりとも焦ったりせず、左手で腰のポーチからシリンジを3本取り出してゾンビ達へ投げつけた。
そのシリンジは銀色の容器で中に液体が入っており、それが空気を切って飛んで先端の鋭い針が襲いかかるゾンビの頭に突き刺さる。それが突き刺さった瞬間、ゾンビ達の動きが鈍くなった。刺さった際、中に入っていた液体が衝撃を受けてちゃぷりとゆらぐ。
ゆっくりと動くゾンビのその隙を逃さないと言わんばかりに彼女は腕を振り上げ、まるで杭を打つかのようにそれぞれのプランジャーを押し込んだ。それに押し出され、中にある液体がゾンビの体内へ注入された。瞬間ゾンビ達の姿は背景に溶け込むように灰となり消え果てた。刺さる対象を失ったシリンジはとさっと音を立ててそれが地面に転がり落ちる。
「これで全部ですね。さあ、リリの下へ向かいましょう」
アルクはそう言いながら転がり落ちたシリンジを拾い、それを取り出したポーチとは反対のポーチにしまい、リリの方へと視線をやる。彼女は自身の血で作ったナイフを左手で振り回し、右手に15cm位の小さな魔法陣を展開していた。おそらく威力は落ちるが詠唱無しで発動できる魔法を行使しようとしているのだろう。
そんなリリの死角からゾンビが迫っていが本人はそれに気付いていない。距離もそれなりにあるので飛び込んでもそのゾンビからの一撃は免れないだろう。アルクはちっと舌打ちをして腕を掲げて人差し指、親指も立てる。子どもが指鉄砲をつくるかのように形つくったのである。そして人差し指をゾンビに向けて内側に折り込んだ。
「銃撃の神口」
アルクがそう呟くと彼女の銀腕がガシャン、ガシャンと音を立てて変形を始める。手の甲から銃口が覗き、腕の側面からカシュンと音を立てて装填口が現れた。そこ弾丸を込めるようにシリンジを一本ずつ中に入れ、計3本差し込むとその装填口を内側へ押し込む。するとガチャンと音を立てて大きな手応えを彼女は腕に感じる。その手応えはシリンジの装填が完了したことを報せるそれだった。
手の甲に現れた銃口をゾンビに向けて狙いをつけ、人差し指を立てた後に内側に折り込む。するとドンと音が鳴り、銃口から液体が発射された。おそらく腕の機構によりシリンジの中の液体が圧縮されて銃口から放たれたのだろう。それは真っ直ぐゾンビに吸い込まれるの飛び、命中して液体が散るように爆ぜた。瞬間頭は消え失せ、リリを襲おうとした対象は足から崩れ落ちるようにその場に倒れた。カシュンと音を立てて腕からシリンジが排器されアルクの足元にトサっと落ちる。
「1つ、魂が還りました。次です」
アルクは排器されたシリンジを拾い上げた後に他のゾンビに狙いをつける。なおもリリに迫りくるそれに向って同じく銃口から連続して弾を放った。それは彼女の後ろから迫るそれに命中してそれもろとも灰と化す。彼女はアルクに視線を合わしてふっと微笑む。まるでそれはありがとうと言っているようだ。
「これでまた2つ尊き命が還りましたね。リリのもとに向かいましょうか」
アルクはリリから向けられた笑みに対して微笑みを返す。そして排器されたシリンジをポーチにしまい、その後薬指と小指を立てて再度折り込んだ後に人差し指を立ててさらにそれを内側に折り込んだ。
「滅壊の神腕」
指を折り込んだ後にそう呟くと同時にまたガシャン、ガシャンと音を立てて腕が変形し、最初の銀腕に姿を変えた。どうやら彼女の腕は動かす指に呼応して腕の形状が変わる仕様のようだ。もしかすると最後に呟く言葉もキーになっているのかもしれない。彼女の右腕は特定のコマンドで変形し、怪異に対抗する武器となりうるのだろう。
アルクは腕が変形すると同時に一足飛びでリリの下へ近づいた。近づく途中、何体か彼女たちの距離が狭まるのを拒むかのようにゾンビが現れたが拳で叩き伏せて距離を狭める。やがて彼女達は背中合わせができる距離まで詰めることが出来て背中合わせとなった。
「アルク、少し遅かったんじゃないか?」
「申し訳ございません、憐れな魂達に囲まれてしまいました」
「憐れな魂…ね。キミの怪異に対する認識、尊敬するよ。ワタシからすれば眼の前のあいつらは屍が動いているようにしか思えんがね」
「屍であってもそれになるまでは尊い命の1つであったことには違いないか、と」
「それもそうか。風斬の大鎌」
そうリリがいうと彼女の前の空気が収束して迫りくるゾンビ達の首を落とした。それはまるで切れ味の鋭い日本刀のようなもので躊躇い一切なく斬り落とされたようなそんな感じだった。
「リリ、貴方のそれは無詠唱で放っても相当の威力ですね。惚れ惚れします」
「アルク、そんな事言われると照れるじゃないか。もっと言ってくれても良いんだぞ」
「リリの方向に3体、ワタシの方向に3体で計6体くらいですか」
アルクはゆっくりと周辺を見渡して呟く。そんな彼女に対し、リリは茶化すように言葉を発するが視線を合わしてくれない。アルクはずっとゾンビを警戒してまっすぐみている。
「つれないな、キミは。もっと褒めてくれないのかい?」
「無駄口はそこまでです。さっさと終わらしましょう」
「はいはい、わかったよ。アルク、ワタシはこのまま前の3体片付けるからキミ側の3体の処理をお願いしていいかい?」
毅然として反応を返さないアルクに対してリリは取り付く島もないと考えたのか肩をすくめ、次に移るべき行動を提案する。その提案に対してアルクはコクリと頷きカウントを始める。1、2、3の3で2人は眼の前のゾンビへ向かった。
アルクはゾンビの下に走ってたどり着きそのうちの1体の前にたどり着くと身を屈めて一旦足払いを行った。そのゾンビはそれに足を取られてしまい、地面に頭から伏せてしまう。彼女はそれを押し潰すかのように右腕を上から振り下ろした。その躯は一切抵抗出来ずに潰れてしまう。
ゾンビ達は自分の仲間がそんな状態になっているのにも関わらずアルクへと襲いかかる。彼らには仲間意識は一切なくただ眼の前にいるただの獲物を狩ろうする、ただそれだけだ。
彼女はそんな彼らを薙ぎ払うように腕を振り回す。肉の塊を思いっきり殴ったような感触がそれぞれ手の甲に伝わり、その度彼らは弾き飛ばされ、彼らの内1体は木にそのまま衝突してもう1体は背中から地面に倒れる。彼女は木に衝突したそれの胴体を的確に狙ってグシャとすり押し潰す。そして地面に伏せて起き上がろうとするそれに対しては頭を掴み、宙に持ち上げてグチャリと潰した。それぞれ灰となり姿を消した。
「これで私の担当は終わりましたね。リリはどうでしょうか」
「やれやれ、ゾンビというものは自分の意思は無いのかね。仲間が倒れているのを見て逃げる、とかさ。まあ屍に自分の意思を求めるのは間違っているかもしれないな」
ゾンビの方へ歩みを進め、ペン回しの要領でナイフを指から指へ弄びながらゆっくりと近づく。虫けらを見るような眼で見つめてきて、且つナイフを弄びながら近づく少女を見てしまうと並の人間なら恐怖で失禁してしまうだろう。あいにくゾンビは人ではないので臆せずに近付いてくる。
「普通の人間や怪異ならおそらく今のワタシを見ると離れていくものだがキミ達にはそれがない。哀れだよな、危機を感じる事ができない種族というものは。せっかく拾えた命を失ってしまうんだから」
リリは近づくゾンビの中、1体の攻撃圏内に入る。それはリリの攻撃射程も同じでゾンビが襲おうよりも早く対象の首筋めがけてそのまま切り落とす。対象は管制頭を失い、首から血しぶきを上げて膝から崩れ落ちた。屍にも残留している血が残っており、それも吹き出すほどあることに関心しながらも次の標的へと足を進める。
「キミ達にも血はあるんだな。屍に血は残ってないものだと思っていたよ。不味そうな血だがね」
次の標的はほぼ同位置に2体いて、同じスピードで近付いていた。なので必然的に同時に相手しないといけないわけだがそれはリリの戦闘スタイル上好ましくはない。よって1体を蹴り飛ばし、対1状態を作り出す。その状態であれば対処できるのでゆっくりと残った残りを処理する。
「残り1体か。キミには最後まで残った褒美に一瞬で葬って差し上げよう」
リリに蹴飛ばされてある程度の距離に背中から落ちたゾンビを見ながら宣告する。そのゾンビは身を捩らせながら立ち上がりそうになっていた。彼女は自身の掌をそのゾンビに向ける。
「炎よ舞い踊れ」
彼女の掌の前に直径60センチくらいの魔法陣が現れて等間隔で炎がポツポツと灯りだす。辺りがそれに照らされて、周りの暗い風景がゆっくり明るくなった。ここは町から山へ少し進んだところにある雑木林の中だった。
「一箇所に収束し」
魔法陣の周りに灯った炎はその中心へ螺旋状に収束を始める。
「我が敵を焼き焦がせ」
魔法陣の周りの炎がやがて一箇所に集まり、螺旋状に溝がある一本の槍のようなものへ形を成した。
「焼焦の螺旋槍」
魔法陣の真ん中に現れた槍のようなものは真っ赤に変貌し、そこに存在していた。その槍を炎がぐるぐると纏う様に浮遊している。そしてリリは掌を振りおろすように下げた。瞬間それは魔法陣を離れミサイルのように真っ直ぐ推進しゾンビに刺さる。威力からしてそのまま貫くのかと思ったが突き刺さったままだった。やがて刺さった箇所を起点としてゴウっと燃え盛り、ゾンビを飲み込んで燃えつくした。
「こんなものかな。他にはいなさそうだ」
「リリ、ケリがつきましたか?」
「なんとか。他にも居なさそうだしこれでフランス王女から依頼された問題はクリアしたかな」
「おそらくは。一応念の為明日見回って最終確認しましょう」
「そうだな。スレイブの態度も気になるしな」
アルクは自身の右腕に包帯を巻きながらリリに話しかける。リリはアルクに返事を返しつつ手に持っているナイフを手放す。そのナイフは地面に落ちるか落ちないかのタイミングで血に戻り、彼女へ吸収されるかのように形を消した。
「そうですね、スレイブさんの動向が気になります。急にこの場所を提示してくるなんておかしいです」
「いわれた場所に来るとゾンビが現れた。まあタイミングが良すぎる」
「杞憂だと良いのですけどね」
「ああ、一応ワタシが信頼して統治を行なうようにお願いしたからね。自信の人を見る目に曇りがないと思いたい」
「とりあえずホテルに戻りましょう。さっとシャワーを浴びたいです」
アルクは包帯が巻かれた腕で髪をかきあげてリリを見る。その腕は先ほどの太い腕ではなく、女性らしく華奢な腕をしていた。包帯が解かれると先程のように腕が太くなり、戦える腕になるのだろう。
「そう言えばキミが所属している組織から支給された聖水が入ったシリンジは使用したのか?」
「はい、5、6本程。意外と消費してしまいました」
「まあ、あれだけ敵が居たら仕方ない。空シリンジはしっかりと回収したのか?回収しておかないとうるさいんだろ?上の者が」
「ええ、回収しましたよ。使用本数の報告と使用目的を書類にまとめて送らないといけませんからね」
「組織の備品だからね。人間社会というのは大変だな」
「まあ、私の組織はまだマシな方ですよ。個人の自由が赦されていますからね。年に数回は集会に参加しないといけませんが…」
リリは会話を交わしながら雑木林を抜けて町の入口へと向かう。彼女と一緒にアルクも愚痴をこぼしながらも一緒に進む。町の入口付近に着いたところ、遠くのほうで獣の吠える音がした。それは狼の遠吠えに近い。
「珍しいな、ここらへんに狼なんか居たか?」
「聞いたことはありませんね。もしかすると最近移動してきたのかもしれません」
「最近色々と環境が変わっているから、その影響かもしれない」
そうリリとアルクが口々に言い合っているとおそらく遠吠えがあった辺りから草木をかき分ける音がカサカサと聞こえてくる。それもだんだんこっちに近付いて来ているのだ。
「こっちに近付いてきてるっぽいな。音からするに大きな獣で結構なスピードで来ているな」
「なんにせよ大きな獣が町の中で暴れたら町が大変ですね。さっと捕まえて森に帰しましょう」
「そうだね、怪異の相手するより平和的だ。友好的な生き物だと良いけどね」
そんなことを言い合っていると獣が走る音が直ぐ側にきた。そして街明かりに照らされてその近付いてきた生き物の全貌が明らかになった。それは四つん這いではあったがその状態でリリと同じくらいの背丈の大きな黒狼だった。瞳は深緋色で明確な敵意があり、こちらを睨みつけて来る。そして歯をむき出しながらグルグルと唸りつつリリとアルクの周りを警戒するようにゆっくりと回っていた。
「おいおい、あの狼さん、ワタシ達のことすっごく睨んでないか?」
「バッチリ睨んでますね。目線逸らしてくれないですね。リリ、もしかして何かしたんじゃないんですか?」
「なんでワタシなんだ。キミこそ何かしたんじゃないか?」
「そのようなこと主に誓ってしたことはありません!ってリリ襲ってきましたよ!!」
アルクがそう言うやいなや同時に彼女達へ向って狼が飛びかかってきた。アルクはリリが狼に組み付かれないように自身ごと地面に伏せる。間一髪で狼が頭上を飛び越えていき、組み付かれるのを防ぐことが出来た。狼は飛び越してしまった対象に慌てて向かい直り、もう一度飛びかかって来た。しかし今回は襲いかかるのではなく2人を飛び越えて付近で一番高いだろうビルの屋上の登って大きく吠えた。
仲間が呼び寄せられるのでは、と2人は身構えたがそんなことはなく、その代わりに狼の姿変貌していった。体毛が逆立ち、黒い雷のようなものがバチッバチと纏わりつき出す。その狼の背景には満月が映り、とてつもなく絵になっていた。狼が吠えが終わるとそこで吠えていた物体は更に2回りほど大きくなっており、黒い雷を纏っていた。そして更に吠える。
「お前達が俺らの安寧をぶち壊しに来た人間たちか?」
予定より遅れてしまい、申し明けありません…
2話目更新しました。
今回で本格的に物語が動きましたが、どうでしょうか。楽しんでいただけましたでしょうか?
毎回長いお話にお付き合い頂きありがとうございます。
今後の基本的にはタバネの話→リリアルクの追憶(本編)→タバネorリリアルクの話の流れで進みたいと思います。
次もリリアルクの追憶編が続きますのでお付き合いいただきたいと思います。
更新予定日は1月1日の20:00頃を予定しております…
長い目でお付き合い頂けると幸いです!