プロローグ
「束、海外行ってくれ」
「えっ!?」
ここはとある新聞所の所長室オフィス。束と呼ばれたその男性は出勤そうそう所長に呼び出されてそのように告げられた。所長は革張りの椅子に、束は直立した状態で部屋にいる。その部屋は所長席側にブラインドがかけられた窓があり、その反対側に束が入ってきたであろう扉があった。また、その窓はブラインドが閉じられており、日光が遮蔽されている。
「聞こえなかったか?海外に行ってくれ」
「いや、聞こえてますけど何で…急に…私が…」
「うーん、記者であるキミに任せていた新聞の1面、全く人気ないんだ」
ばっさりと切り捨てるように所長は言う。そして所長は椅子からゆっくりと立ち上がり、束をしっかりと見据え後ろ手を組む。
「ま、全くって…」
「うん、人気無いの。キミ、確か海外の言葉話せたよね」
「まあ、それなりには話せるとは思いますけど…」
「ドイツ、イタリア、英語話せるよね」
ゆっくりと所長は束に近づき右隣に立つ。話せなかったらクビにしてやるといわんばかりの雰囲気を彼は醸し出していた。
「え、あ、はい。話せます…その言語ってまさか…」
「良かった、良かった。キミも25になったから世界を見たいだろうと思ってな。っでヨーロッパというわけだ」
所長はそう言ってガッハッハっと豪快な笑い声を上げて束の肩に手を置き、回り込むように左肩側へ移動した。必然と所長が束と肩を組むような構図となる。
先ほど所長が言った言語『ドイツ』『イタリア』『英語』それぞれはヨーロッパで使われている共通言語である。束はこれから国際社会になっていくることを想定し、世界でよく使われているであろう言語を勉強していたのだ。そして確かそのことを面接、履歴書にも記載していた覚えがある。目聡くそれを所長は覚えていたのであろう。
「なあ、束、こんな都市伝説知ってるか?」
「都市…伝説、ですか?」
「そう、都市伝説。この世には人ならざるものがいて、世の中の未解決事件はすべてそいつらが起こしてるんだってよ。そんな未解決事件を取り扱う相談所の1つがヨーロッパにあるらしい。興味深い話だよなぁ、えぇっ?」
口ではそう言っているがニュアンスが違う。所長のセリフには嘲笑が含まれているような、そんな感じだった。まるで全然信じておらず興味深いと思っていない、それが言葉の端に来て取れるようなそんな感情が込められているセリフだ。
「そ、そうですね、興味深いと思います…」
もちろん束はそんなことは思っていない。彼はどちらかと言うとそう言ってオカルトじみたことなど信用していない。記者の性か自分の目で見たものしか信用しないことに決めている。しかし、この場では興味深いとそう言わないといけないような圧を所長から感じた。
「そうだよなぁ。束と意見が一致して俺は嬉しいぞ。っで、だ。その相談所はな、どこにあるか分かってないんだ。ただ、どうやらここは本当に必要と思っている奴の前に門が開かれるらしい。不思議な話だよなぁ」
は、はいと頷き言葉を返す束。所長からはとてつもなく嫌な雰囲気を感じる。しかし所長から激しめの圧を感じ、肯定以外のセリフを返せない。
「そこで、だ。俺は思ったんだ。もしかすると今のキミになら門が開かれるんじゃないか?なあ、そう思うだろ?」
所長から同意を求めるセリフが投げられる。しかしそれは同意ではなくほぼ強制で同意しろ、と言っているように感じ取れる。束はそんな所長に気圧されて再度肯定の意思を伝えるように頷く。
「だよなあ。だ、か、らキミにはヨーロッパの…とりあえずパリに行ってもらう。っで、門をくぐって彼ら?彼女ら?に話を聞いてこい。っでそれを記事に掲載しろ」
「あ、あの、旅費とか滞在費とかは…?」
「ああ、それは自腹だ。キミもさっき肯定したように門が開かれるだろうから、すぐに終わるだろうから金もそんなにかからないだろう。まあ、もし話を聞いてキミが書いた記事が面白ければ全部出してやる。ただ記事が書けなければ…な、分かるだろう?」
含みを持たせたような口調で言う所長。要するに遭遇できるはずのない都市伝説を求め、勝手に海外へ行って野垂れ死んでこいと言っている。もしそれが嫌なら記者を辞めろ、そう言っているのだ。面白い記事を書けない記者は要らない、そのため自主的に辞めることを促されている、といっても過言ではないだろう。たとえ0.001%しかなくても助かる可能性を残していることがいやらしい。自社でクビにしたら悪評がたつからな。
「ま、すぐに決めるのは難しいだろうから、そうだね、1週間後どうするか再度聞くから回答してくれ」
「は、はい、承知しました…」
「話は以上だ、では、業務に戻ってくれ」
ぴしゃりっと切り捨てるように話す所長。彼は自身の圧に気圧される何も出来ない束から離れ、よっこらしょと椅子に座り直す。そして退出を促すように扉を見やる。束は言いたいことをグッと堪えるように拳を握りしめながら退出した。束が退出する際、所長は席に座って彼を見ることは一切しなかった。
***
「お客様?お食事はビーフとチキン、どちらになさいますか?」
かっちりとした黒色の制服に身を包んだCAさんが機内カートを押して束の席の隣に来た。
1週間後、結果として彼は国際線のエコノミークラスに来ていた。有給が20日ほど残っており、1月分の給料はもらえる状態だった。有給消化も兼ねてヨーロッパを1ヶ月散策し、ワンチャン都市伝説にぶつかればいいなあ、と考えて飛行機に乗ることにした。仮にぶつかれなくても有給を使って海外旅行できると思ったらいいと考えたというのもある。余談にはなるが束の今の服装は動きやすいようなラフな格好だ。
その考えを所長に伝えた所、満足気にうなづいてくれた。お上に取らせろと言われている有給も消化してくれて、可能性は限りなく低いがスクープを持って帰って来るかもしれない。っで入手出来なければ力不足ということでクビにすればいい。どう転ぼうとも所長としては美味しい展開になる、そんな美味しい状況を逃す手はないだろう。所長の手のひらで転がされている気がしてとても癪だがそうなることを選んだ。
「あの…お客様?」
「あ、申し訳ありません。えっと…ビーフでお願いします」
「かしこまりました。こちらです」
笑顔でCAさんが機内食が載ったトレーを束の前の机に置いてくれた。そのCAさんの笑顔が真っ黒で暗雲の立ちこもった束の心に光を差し込んでくる。しかしはそれは一瞬の間だけであって良い空の旅をとCAさんがそう言って去った後すぐ、心は真っ黒で塗りつぶされる。
所長の指定した都市伝説の糸口を見つかるかどうか、見つかってもその記事が世間的にウケるか、見つからなかった場合、その後どうするか、それしか心の中にない状態だ。幸い貯蓄はあるが今回の実費旅行のせいで半分以上持っていかれてしまう。持って半年といったところか。20代も後半に差し掛かる、そんな自分を果たして雇ってくれるとこはあるのだろうか?そんな思いが心の中、立て続けに現れては消え現れては消えを繰り返す。なんにせよこの暗雲はこの旅行が完了するまで晴れそうにもない。
束は頭を抱えうなだれてしまう。幸い、自分の席の周りには他の乗客はおらず、また、窓際だったため自身のそんな姿を他の人に見られることがなかった。それが自身の中で唯一の救いだった。
彼は座席の背もたれに身体を預けて目をつむるとなんだか眠たくなってきた。海外出張後のことを考えては眠れない日々が続いており、十分な睡眠が取れていなかったのだ。そのためすぐに暗闇の中に落ちていってしまう。
それはまるで無数の手が現れて彼を背後から掴み、真っ黒で真っ暗な闇で覆われた地獄の底に引きずり込まれるようなそんなイメージで暗闇に落ちていった。