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傷痍軍人

作者: 立石和文

○銭湯・脱衣場(夜)

入湯客で込み合っている。吉田一郎(10)と吉田二郎(8)が脱いだ服を争うようにひとつの籠に押し込んでいる。一郎が先に服を脱ぎ終わり大浴場入口まで走りよる。二郎もそれに続く。一郎が戸の引手に手を伸ばすと、ガラリと戸が開いて、中から出て来た裸の山崎修三(58)とぶつかりそうになる。山崎は気難しそうな顔をしており、が


りがりに痩せていて姿勢が悪く、左腕の肘から先が無い。一郎は山崎をかわしてさっさと中に入る。山崎はそれを眼で追いながら腹立たしげに舌打ちする。そこを後からやってきた二郎が駆け抜けようとする。

山崎「こりゃっ! 走ったらいけん!」

二郎はびっくりして立ち止まり、気まずそうにその場にすくんでしまう。しおらしくなった二郎を見て、今度は山崎が気まずそうになり、脱衣場のロッカーに向かってぷいっと歩き去る。二郎はそそくさと浴場に入り、山崎の方を伺いながら引き戸を閉める。


○同・大浴場(夜)

並んで浴槽につかっている一郎と二郎。

一郎「きゅうじゅはち、きゅうじゅきゅ、ひゃくっと、よしあがろう」


うなずく二郎。


○同・脱衣場(夜)

首を振る扇風機の前で気持ちよさそうに涼む二郎。

山崎「おい、少年!」

声の方を振り返る二郎。ニコニコ顔の山崎が瓶入りのコーヒー牛乳を右手に持って立っている。

山崎「こい飲むな?」

一郎の前に瓶を差し出す山崎。二郎は戸惑って瓶と山崎を交互に見てなかなか受け取ろうとしない。山崎は不快そうな表情を浮かべる。

山崎「はよとらんか!」

いらいらした様子で二郎に瓶を押し付ける山崎。たまらずに瓶を受け取る二郎。駆け寄ってくる一郎。おびえる二郎を気遣うように見る。

一郎「どがんした?」


二郎は困惑した様子で一郎に瓶を示す。

二郎「こいもろうた」

一郎は二郎から瓶を奪い取り、山崎につき返す。

一郎「こがんなとばもらう筋合いはなか!」

山崎の顔がみるみる真っ赤になり歪む。

山崎「わ、わがその口のきき方はなんか!」

番台に座っている田村幸助(45)が山崎の大声に驚いて振り返り、対峙する山崎・一郎に気が付く。あわてて山崎に近寄る田村。

田村「なんばしよっと?」

山崎と一郎は田村には見向きもせず、興奮した様子で互いに睨み合っている。

山崎「おいがこがんな腕ばしとっけんて、なめとっとか!?」

一郎は無言で山崎を睨みつけている。


田村「まぁまぁお父さん、そがん子供相手にムキにならんでもよかやんね」

山崎は田村にかまわず、一郎を睨み据えている。

山崎「おいはねぇ、まだ若かころに戦争さい行たぁて、地雷の爆発に巻き込まれて腕ののうなったと! 日本の勝っとったら今頃英雄ぞ!」

田村は大げさに驚いた顔をする。

田村「ありゃあっ、そやぁすごかやんね! お国のために働いてくんさったとねぇ、すごかぁ! ありがたかぁ!」

興奮して肩で息をする山崎。一郎を睨みつけている。一郎は物おじせずに山崎を睨み返す。一郎の陰にかくれ、不安そうに山崎を見ている二郎。一郎の肩に手をおく田村。

田村「ほら、僕もそがんつっかからんでよかやんね。このひとは元軍人さんよ。そがん

な態度は失礼かよ。ほら、もう帰らんね。


もう遅かけんが、そとも暗うなっとっけんが。ねぇ?」

田村はそう言いながら、山崎と一郎の間に体を入れて互いの視線をふさぎ、一郎の背中を軽く押しやって出口方向に促す。田村の穏やかな圧力に気をそがれて理性を取り戻し、目を伏せて出口に歩いていく一郎。山崎と田村と一郎の様子をうかがいながら一郎に続く二郎。

○住宅街・路上(夜)

一郎と二郎が並んで歩いている。路上は家々から漏れる明かりや電柱に備え付けられた電灯のためにそれなりに明るい。網戸越しに見える夕食中の各家庭のやりとり。談笑する声やテレビの音が漏れきこえる。

一郎「お前はなんも悪うなかけんが、気にせんでよかばい」

うつむきながら歩く二郎。


二郎「うん」

一郎「さっきのごたっとは相手せんがよか、今度話しかけられても無視せろよ」

二郎「うん」

しばらく黙って歩く一郎と二郎。やがて一郎は鼻をスンスンと鳴らして、楽しそうに二郎を見る。

一郎「カレーの匂いせん?」

鼻をスンスンと鳴らして嬉しそうに一郎を見る二郎。

二郎「ほんてね」

一郎「今日晩飯なんやろ? 走って帰ろう」

一郎は走り出す。

二郎「うん!」

一郎に続いて走り出す二郎。


○神社

参道沿いに屋台が連なって出店し、たくさんの人でにぎわっている。鳥居の脇には数人の傷痍軍人がいる。白装束


に軍帽といういでたち、こわばった奇妙な表情。お経の書かれた立札の前で読経するものや、義手を付けてアコーディオンを弾くもの、義足の足のギターをかき鳴らすものなど。足元には施しを乞う粗末な椀がおかれ、小銭がいくらかいれられている。通りを行く人々は、傷痍軍人たちを気にも留めずに歩いていく。そこへ一郎と二郎が屋台を一軒ずつ覗きながら楽しそうに歩いてくる。二郎は興奮した様子で一郎を見る。

二郎「どいば買おうか迷うね」

一郎「なあ。ばってん300円しかなかけんが、よう考えて選ぼうぜ」

一郎と二郎は鳥居の脇を通り抜けようとする。二郎はそれまで夢中で屋台を見ていたが、ふと視界にはいってきた傷痍軍人のほうに目を向ける。あっと驚いた表情の二郎。傷痍軍人のひと


りに、腕を真新しい包帯でぐるぐる巻きにし、地べたに正座した山崎がいる。山崎は視点の定まらない目で、通りを行く人々にぺこぺことお辞儀を繰り返している。二郎は遠慮がちに山崎を見つめつつ、鳥居をくぐって境内に入っていく。山崎は二郎には目もくれずに、ひたすら土下座を繰り返す。一郎は怯えたようにちらちらと後ろを振り返る二郎に気が付く。

一郎「どがんした?」

二郎は一郎を不安そうに見る。二郎を見返す一郎。二郎は鳥居の方を指さす。

二郎「あっこにおる人たちって、なんばしよっと?」

一郎は鳥居の方を見て傷痍軍人たちに気が付くと、軽蔑の表情を浮かべる。

一郎「ああ、あいどんはただの乞食やんね。物乞いしよっとさ」

二郎「物乞いてなん?」


一郎「お金ば恵んでくださいてひとにお願いしよっと」

二郎「お金やらんでよかと?」

一郎はおかしそうに笑う。

一郎「いらん、いらん! 戦争で怪我したて言いよっばってんが、実際は本当かどうかわからんて。手も足も、服の中にまげて隠しとったいすっけん。あいどんは詐欺師よ」

二郎「へー」

二郎は自信満々の一郎を見て少し安心したような表情になる。一郎は気を取り直してまた屋台のほうに目を移す。二郎は鳥居の山崎の方を恐々と振り返る。山崎は相変わらずぺこぺこと土下座しているが道行く人はだれもそれを気にかけていない。二郎はポケットから300円を取り出してしばらく考えた様子でそれを眺める。一郎が二郎を振り返る。

一郎「二郎、あっちに金魚すくいのあっぞ。


行ってみろうぜ」

はっとして一郎を振り返る二郎。

二郎「うん」

駆け出す一郎と二郎の後ろ姿。額を地面に押し付けながら、横目で無表情にそれを見ている山崎。



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