邪魔しないで
やべぇ女が書きたくなりました。
ピチャン、ピチャンと水が落ちる音が響く。
うっすらと聞こえてきた音に、エマは徐々に意識を取り戻していった。
いつも通り騎士団長子息に出迎えられて、貴族院に登校して、教師の王弟殿下に授業を分かりやすくしてもらって、お昼は第一王子と第二王子、辺境伯子息も含めて楽しくご飯を食べた。
午後も同じように授業を終えて、宰相子息と勉強をして、家に帰って、それから。
「御機嫌よう、エマ・ブラウン男爵令嬢」
蜜のような甘い声に、振り向いたら後ろから口を塞がれて、そこからの記憶がない。
ハッとして目を開ければ、喉から悲鳴が漏れた。
ジメジメとした狭い部屋。壁も床も石で、その中でエマは横たわっていた。
着ている服も、可憐な制服ではなくちゃちなワンピースだ。床に接していた肌が冷たい。
後ろで縛られているらしく、腕が動かせない。もがいてもビクともせず、それどころか首に縄が巻かれている事にも気づいてしまった。
上を見ると、首から伸びた輪は天井まであり、たるみが無くなれば首をくくってしまうとわかる。
さぁっと顔が青ざめた。
怖い。得体の知れない空間と異様な状況の自分。
何よりも、天井にある軸を経由した縄の先。
そこにはウインチがあり、真横に一人の令嬢が腰掛けていた。
一人用のテーブルと椅子は豪華で、この部屋に合っていない。優雅にティーカップを傾ける様は、日常的な美しさがあってこの空間では不気味でしかない。
波打つ漆黒の髪に、アッシュグレイの瞳。交流はないが、心当たりはある。
騎士団長子息、ルバット・フロスト子爵の婚約者。
サブリナ・ミッドナイト伯爵令嬢だ。
「起きました? 御機嫌よう、エマ・ブラウン男爵令嬢」
サブリナはエマと目が合うと、淑女らしい微笑みで話しかけてくる。最後に聞いた、蜜のような甘い声だ。それだけで、背筋が凍りついた。
エマをここに連れて来た主犯である事は間違いない。
だが、把握していたとしても、動揺も何もなしに普段通りで居られるはずがない。
エマが覚醒した事で、サブリナはカップを置き、代わりに書類を手に取って目を通す。
パラ、パラと紙のめくる音がやけに響き、心臓が痛いくらい跳ねる。
分からない。何も分からない。
こんなイベント、記憶にない。
「エマ・ブラウン男爵令嬢。十五年前、王都からやや離れた小さな村で誕生。母一人子一人で幼少期を過ごす。優しい性格だったが、ある日を境に一変。自分はヒロインで、いずれ父親であるブラウン男爵が迎えに来ると村中に吹聴。幼子の戯言と流されていたが、母親は必死で諌めていた。性格も高飛車、同い年の異性を手玉に取り、母親に対しての苦言が殺到。三年前、 母親死去。身寄りのなくなった貴女を憐れみ、あわよくば愛らしい顔と強欲な性格で高位貴族との繋がりをと求めたブラウン男爵によって養子に。しかし、貴族教育の成績は芳しくなく」
淡々と告げられていく自分の過去に、身体が震え始める。
それの何が悪いか分からない。何せ、エマは乙女ゲームのヒロインだから。
『成り上がり令嬢はイケメン達に愛される』。タイトル通り、良くも悪くも王道展開のゲームだ。
自分は好きだった。だから、車に撥ねられて、気がついたらエマになっていた事に感謝している。
ゲームの期間は入学から卒業までの三年間。まだ、半年しか経っていない。
ライバル令嬢が動くには早すぎる。
「以上。相違はありませんか?」
「デタラメです! あたしはそんな事していません!」
恐ろしいが、ライバル令嬢の思い通りになるのも癪だ。
今のエマに出来る事は、否定だ。早く解放されて、王子達に告げ口してやる。そう意気込むも、未だに身体は震えが止まらない。
アッシュグレイの瞳が、エマを映す。口を閉じている今しかないと、畳み掛けた。
「こんな事をして、一体どういうつもりですか!? 酷いです! 早く、外に出してください! 今ならまだ、誰にも言いませんから……!」
「『自分に何かしたら、周りの男性達に頼る』。そう言っているようなものね。ご自分の立場、先に分からせてあげるわ」
言うやいなや、サブリナは隣にあるハンドルに手を伸ばす。クルクルと動かせば、その分だけ縄が巻取られていく。
そして、その縄の先は自分の首。
「ちょっ、やめ、グゥッ……!」
首の縄が、上昇していく。喉が絞まって苦しい。
手が使えない為、外す事も抵抗する事も出来ない。
無理やり上がる縄につられ、顔がどんどんと上がる。
苦しい、苦しい、呼吸が出来ない。
吊られないように、必死で身体を起き上がらせる。それでも限界があり、気がつけば足のつま先だけで体重を支えていた。
あと少し上がれば、地面から身体が離れる。恐怖と苦痛で涙がポロポロと落ちていった。
「苦しい? とても辛そうだわ」
「………………っ!」
「私の言葉、きちんと答えてちょうだいね?」
その言葉と共に、急に縄がたるんだ。力が入らずその場に座り込み、咳き込みながら必死で呼吸するエマ。
その姿を、サブリナはじっと眺めている。落ち着いたエマは、怯えてサブリナを見上げた。
本気だ。この令嬢は、本気で自分を殺す。
そこに、罪悪感も何も持たない。最初から変わらない表情と瞳が、そう物語っている。
反論する心は折れた。あとは機嫌を損ねないようにするしかない。
「それで、先程の報告に相違は?」
「あ、ありま、せん…………」
「そう。なら、次の質問よ。どうやってルゥを誑かしたの?」
すっと、細めた目がエマを捕える。その裏にある嫉妬心を強く感じ、また悲鳴を上げた。
言えない。否、言っても嘘としか思えない事だ。
先程の苦しみを思いだし、また涙が零れ出した。
「言いたくないのね、なら……」
「い、言います! 言います! ただ、信じられないような話なんです!」
「それは私が決めるわ。正直に話してちょうだい」
促されて、エマは全てを吐いた。
自分は異世界で死んだ人間で、エマがヒロインの乙女ゲームをした事。
乙女ゲームとは、恋愛を楽しむ遊戯で、選択肢や贈り物で好感度を上げる事。
ヒロインが卒業する時に攻略に成功していれば、その対象が婚約者であるライバル令嬢との婚約を破棄してヒロインを選ぶ事。
他にも、このゲームについて知っている事を全て話した。
サブリナは真剣な表情で聴くだけで、反応が薄い。
死にたくない。その思いだけで、エマは必死に説明をする。
最後まで終えても、サブリナの態度は変わらない。
「異性を攻略する遊戯ねぇ……聞いていて、あまりいいものではないわ」
「し、信じて、ください」
「あら。滑稽な話ですけど、流石に死の淵で嘯く、ならもう少しまともな話をするでしょう。それに、攻略方法? そうでも無ければ、ルゥが私以外に靡くはずないもの」
初めて、サブリナが表情を変えた。
うっとりと頬を染め、手を添え、笑っている。
その表情は恋する乙女そのものでありながら、狂気が滲み出ている。
「ルゥと婚約者になったのは五年前。でも、その前からよくお会いしたの。私、この暗い髪色と目の色で同い年の子達に避けられていたわ。でも、ルゥだけは違ったのよ。夜は星空が綺麗に見えるから好きだと言って、だからと赤くなりながら言い淀むルゥの言いたい事はわかったわ。私の色も綺麗だと遠回しに褒めてくれたのよ。それだけで嬉しくて嬉しくて彼が私の唯一なんだって幼いながらも気づいて、お父様やお母様に彼と結婚したいと初めて駄々を捏ねて!」
思い出に浸るサブリナの目には、もはやエマは映っていない。
ルバットは騎士を目指す寡黙な青年だ。ぶっきらぼうながらも優しく、少しずつエマに心開いて口数や笑顔が増える様子が人気なキャラである。
その婚約者であるサブリナは、愛が重いとキャラ紹介では書かれていた。実際、離れたルバットの心を取り戻そうと自死を仄めかすイベントがある。
それに葛藤するルバットをエマが慰め、穏便に婚約解消する方法を模索するのだ。
かなりの特殊な条件があり、実際観た人は少ないだろうイベント。
その根本にある愛情が、目の前で展開されている。
「ルゥはね、灰色が好きなの。私の目の色だから自分の持ち物に入れたいって。とても素敵よね。それで、私への贈り物では桃色か黄色。桃色は私の好きな色でね、お花とかは色んな桃色のお花の花束をくれるの! 黄色は貴女でもわかるでしょ? 彼の髪色よ。でも、それだけじゃないわ。星空が好きだから、髪飾りやイヤリングを黄色にすると、私の髪に夜空が広がるのよ! それをつけて見せると、赤くして顔を背けて、綺麗だって一言! それだけで嬉しくて、そのまま彼にエスコートされる時間が何よりも好き! もちろん、彼といる時間は何事にも変えられない大切な時間で早く嫁いで彼と一緒に過ごしたいわ! だから」
サブリナは一度言葉を止めて、エマを見直した。
一瞬で感情をなくした表情に凍りつく。
「邪魔する貴女はいらないわ」
抑揚のない声は、恐怖を煽る。
そのまま、再びハンドルに手を伸ばすサブリナに、エマは我も忘れて叫んだ。
「違う! ルバットも他の奴らも、あたしの目当てじゃない!」
ピタッと、サブリナが動きを止める。誤解を正さないと死ぬ。その思考のまま、エマは真の目的さえも自供した。
前世の推しの攻略。せっかくヒロインに転生したなら、最推しと結ばれたいに決まっている。
エルモア・ノイスト皇子。隣国の第二皇子で、一つに縛った白銀の髪と華奢な身体が儚げな印象を出している。
実際にエルモアは幼少期はベッドから起き上がれない程の病弱で、だいぶ改善した今でも運動より音楽を好む。
ノイスト皇国はどちらかと言えば騎士国家。剣術の授業などが多い自国の貴族院よりも、友好国である我が国の貴族院の方が合うだろうと、こちらに留学してくるのが二年目の春。
力関係は向こうが上な為、まさに天上人である。
「エルモア様と知り合うには、出会いイベントがないとダメなの! それには、他の奴らの好感度を上げなきゃいけないのよ!」
「そうねぇ。わざわざエルモア様を紹介する人なんて、殿下達や側近候補達にしか出来ない所業だわ」
「だからっ! ルバットも王子もどうでもいいの! エルモア様と出会う為に仲良くしているだけなんだから! もう、ここから出してよ!」
何とか繕っていた淑女の仮面を外し、エマは叫ぶ。
ただただ、エルモアと恋に落ちたいだけなのに。
ライバル令嬢如きがヒロインの邪魔するな。
それだけを喚き続けるエマに、サブリナはニッコリと微笑む。慈愛に満ちた笑みは、やっと解放されるとエマを安堵させた。
「つまり、ルゥを踏み台にするのね」
開いた瞳に、笑みはない。
弁明しようとする前に、サブリナがハンドルを回し始めた。
また、首が圧迫される。先程と同じく爪先立ちにされ、苦しくて仕方ない。
涙で潤む視界で、サブリナが近づいてくる様が見れた。
「最近ね、ルゥが赤い花をくれるのよ。貴女の髪色。ルゥは気遣いが苦手だから、無意識でしょうね。そこまで貴女がルゥの心にあるのが嫌。だから、私の方がルゥを愛していると証明して、貴女には修道女にでもなってもらう予定だったの」
「ぁ……………!」
「でも、蓋を開ければこれよ。他の男の為に、ルゥを弄んだ。貴女は遊戯の世界と、馬鹿の一つ覚えみたいに言っていたけど、それが何? 私達にとってはここが現実よ。その遊戯も、学院にいる三年間だけ。その後、遊戯の選択肢やイベントなしに、成績の低い貴女が他国の皇子妃を務められるの? きっと無理ね。今でさえ、選択肢に支配されているもの」
耳元に囁かれる内容に反論しようにも、声が出ない。
エンディング後なんて考えもなかった。
だって、ヒロインは幸せになる事が決定しているのだから。
御伽噺も、ヒロインとヒーローが結ばれて幸せに暮らしました、で終わるのだ。
幸せになるのだ。絶対。勝手に幸せになっていくのだ。
「浅はかな貴女の考えで、隣国と亀裂を作りたくないわ。下手に戦争にでもなったら、騎士を目指すルゥが一番危険だもの」
サブリナが離れ、再度ハンドルに手をかける姿に目を開く。止める術などなく、縄が巻き取られていく。
ついに足が地面から浮き、全体重が首にかかる。
苦しい、助けて、死にたくない。
叫びの代わりに、空気を求めた舌が出る。それでも、空気が身体に入る事はなく、徐々に目の前が暗くなっていく。
「さようなら、エマ・ブラウン男爵令嬢。さようなら、その中に転生したという何処かの誰かさん」
エマ・ブラウン男爵令嬢の突然の自死。
それだけでも話題に上がったが、人々の興味を更に引き立てる事態が起きた。
彼女の部屋を探索した王立騎士団が見つけたノート。そこには、名だたる高位貴族令息の名前と細かいプロフィール、攻略方法がびっしり書かれていた。
すぐに国王へ報告が行き、名前の書かれた令息を集めて事情聴取。
結果、このノート通りの出来事があった事が判明した。
念の為にと、エマ・ブラウン男爵令嬢の死体は鑑定に回されたが、魅了などの魔法は使った痕跡なし。
一人の令嬢が、高位貴族の令息達を侍らせていた。
実際、半年の間でどんどんエマにのめり込んでいく姿は、生徒か教師であれば目撃している。
邪魔になった令息達の誰かが、婚約者を取られそうな令嬢達の誰かが、それとも関係の無い第三者か。
平民達はあれそれと憶測と噂話を飛びかわし、最終的には国中が知る貴族社会を揺るがす大事件となった。
国王の名の下で話し合いが行われ、まず宰相子息、辺境伯子息の婚約は令息有責で破棄された。
婚約者の令嬢が拒絶を示したのだ。強くは引き止められない。
王弟殿下は恋人がいたが、破局。こちらも有責側である王弟殿下が慰謝料を出したという。
王子二人は教育の問題上、簡単に婚約破棄は出来ない。道を踏み外す前という事で、なんとか婚約続行となった。
だが、離れた婚約者の心を取り戻すには時間がかかる上、王族としても白い目で見られるだろう。
そして、騎士団長子息。婚約者の意向で、数ヶ月の停学という軽い処分となった。
「サナ」
愛おしい声が聞こえ、サブリナは王家から渡された資料から顔を上げた。
侍女が開けた扉の前に、ルバットが立っている。
輝く金の髪に緑の目。人よりも大きい身体を縮こませ、照れくさそうに顔を背けている。
その手には、様々な桃色の花が集められた花束。
「ルゥ。また来てくれたのね!」
嬉しさで破顔しつつ、サブリナはルバットに近づく。ルバットはサブリナに小さく頷き、花束を優しく差し出した。
「これ……手土産。いつもと、同じで…………ありきたりかも、しれないが」
「そんな事ないわ。私が好きな色の花束! ルゥが選んでくれた物は何でも嬉しいわよ!」
素直に気持ちを伝えれば、更に顔を赤らめるルバット。見た目はクールで中身はキュート。そのギャップも魅力的だ。
まだ真昼間だが、ルバットは停学中。サブリナも、ルバットがいない学院に興味が無い為、自主的に休んでいる。
ルバットを支えるべく学んだ知識は、既に学院卒業レベルに達している。引き止める教師が出したテストで証明してきたので、家に引きこもってルバットと交流しても何ら問題ない。
手元の花束を見ながら、サブリナは口元を緩ませる。綺麗な桃色。赤色は一つもない。
「その…………アクセサリーでも、贈れればいいんだが……」
「停学中はお小遣いも制限するって、お義父様が怒っていたものね。無理しなくてもいいのよ? パーティー関係も、貴方がいないとつまらないから、全て断ってあるの」
「そう、か…………サナ」
「なぁに?」
「えっと、その………………婚約、続けてくれてありがとう」
「ふふ、当たり前の事を聞かないの」
真っ赤な顔で、それでいて真剣な表情でサブリナに告げるルバット。
それが彼なりの愛情表現だとわかっているサブリナは、満面の笑顔を浮かべた。
ヤンデレ令嬢、書いてて楽しかったです。
ルバットにちょっかい掛けなければ、サブリナは無害です。
乙女ゲームと違うとエマは嘆きましたが、エマ以外にとってはここが現実なので。展開が変わるのは当たり前。
エルモアルートに行っても幸せになれず、数年後にはサブリナが言っていた通りになるでしょう。
読んでいただきありがとうございます!
他にも異世界恋愛、ハイファンなど書いていますのでお時間があれば読んでみてください!