下
廃墟と化した街の中をアレックスにエスコートされて歩く。
この街に構えたヴラドクロウ公爵家の……いや、爵位を剥奪されたのだからもうただのヴラドクロウ家だ。その屋敷まで案内してくれるらしい。
焼け焦げ、崩れ落ちた町並みを進む。
道のあちこちに苦悶の表情のまま身を捩り、固まった死体がある。
恐怖と苦しみの中で死に、その瞬間のまま炭となって時間を停められたのだ。
まさしく、地獄に落とされたような想いだったろう。
この惨状にあって、果たして屋敷は無事なのだろうか。
「お嬢様、お屋敷に到着いたしました」
むべなるかな、アレックスが示した先にあるのは焼け落ちた廃墟だった。
こんな場所に案内して一体どうしようというのか。
いや、そんなことよりも――
「お父様は、お父様はご無事なのですか!?」
思わず勢い込んで尋ねる私をアレックスが手のひらで制する。
「ご当主様の魂は健在でございます」
「魂は……?」
「ご当主様は2年前、その命を贖いとしてお嬢様の反魂の儀を行ったのでございます」
「それでは……お父様は?」
「ご当主様の魂と志は、お嬢様と共に」
思わず膝の力が抜け、その場に崩れ落ちそうになる。
アレックスが手を引いて、地面に倒れ伏す前に支えてくれた。
「ここは高貴なお方が休むには不似合いな場所です。こちらにいらしてください」
私は半ば放心したまま、アレックスに手を引かれて歩きはじめた。
* * *
そこは、屋敷の地下室だった。
壁一面の本棚に見知らぬ言語で書かれた本が一杯に詰め込まれている。
部屋の中央の床には魔法陣が描かれており、中央には髑髏が置かれていた。
左のこめかみに筋状の傷跡が残っている。
父は常々、戦場で負ったこめかみの傷を自慢の種にしていた。
この髑髏は、まさか……。
「お父様、なの?」
「おっしゃるとおりです、お嬢様」
膝をつき、髑髏を両手で抱きしめようとするとアレックスに止められる。
「申し訳ございません、お嬢様。ご当主様の遺骨を動かせば、お嬢様にかけられた反魂の術式が壊れてしまいます。もはやこのような世に未練はないとなればお引き止めはしませんが」
そのときは私もお供しますよ、とアレックスは微笑んだ。
「せっかく生き返したのに、その日のうちに執事と心中では、お父様も浮かばれないわね」
「ご理解いただけて幸いです」
「それで、お父様は私に何を言い遺したの?」
アレックスは、父の魂と志は私と共にあると確かに言った。
つまり、私に託した想いがあるはずなのだ。
「たとえどんな身に堕ちようと、貴族の責務を果たせと。そうおっしゃっておいででした」
アレックスから聞いた父の遺言を噛みしめる。
私が死んだあの日から2年。
その間にどんな政変があったのか詳細はわからないが、私が想像した最悪を上回る速度で状況が悪化しているのだろう。
仲の良かった同級生や、王都に住む民たちの姿が脳裏をよぎる。
「この国を、民を守れと、そうおっしゃりたかったのですね」
畢竟、それが青い血の責務だ。
だが――
「それだけの力が、わたくしにあるのでしょうか?」
「ご安心ください。いまのお嬢様には己の意を通す力がございます」
「どういうこと?」
アレックスの説明を聞き、たしかにその力があればこの国を救えると確信する。
「そろそろお腹がお空きでしょう? お食事の用意をいたしますので、それまで寝室でおくつろぎください」
アレックスは再び私の手を取り、隣の部屋へと案内をした。
ドアを開けると、そこには先ほどの部屋とはまったく違う空間になっていた。
床には動物の柄が織り込まれたカーペットが敷かれ、窓もないのにピンク色のカーテンが壁にかけられている。
ベッドは小さいが、装飾入りの天蓋がついており、枕元にはウサギやクマのぬいぐるみが並べられている。
それを見て、私は思わずくすりと笑ってしまう。
「この部屋を用意したのはお父様の指示? それともアレックスの趣味?」
「ご当主様と相談の上、お嬢様がお好きなものをひとつでも多くと」
「わたくし、もう少女じゃなくて淑女なのだけれど」
「それは失礼をいたしました」
張っていた気持ちが一気に溶けた気分だった。
ベッドに倒れ込み、その柔らかい感触を楽しむ。
「お嬢様、淑女としてははしたないですよ」
「だってわたくしは少女ですもの。それよりもアレックスもやってみなさい。柔らかくて最高のベッドですわ」
「そんな不敬なことは」
「いいからおやりなさい。ヴラドクロウ公爵家令嬢としての命令です」
「はあ……」
アレックスが私の隣に恐る恐る倒れ込む。
「どう? 気持ちいいでしょう?」
「ええ、まあ……そうですね」
私は寝転んだアレックスの首に両腕を絡ませる。
「お嬢様!?」
咄嗟に腕を振りほどこうとするアレックスの耳に顔を寄せ、囁きかける。
「アレックスはわたくしが嫌いなの?」
「そんなことは……いや、そういうことではなく、はしたなくございます」
「難しいことはわからないわ。わたくし、少女ですもの。」
「もう、都合のいいことばかり……」
諦めたアレックスの胸に顎を乗せ、言葉を続ける。
「わたくしね、本当はアレックスのお嫁さんになりたかったの」
「そんなもったいない」
「アレックスはわたくしがお嫁さんになったらうれしい?」
「あまりにも身分違いで、考えることもございませんでした」
「爵位なら取り上げられたわ。私はもうただの平民」
「ついさきほど公爵令嬢としてご命令されたばかりでは……」
「それなら貴族として命令します。わたくしがお嫁さんになったらうれしい? うれしくない? はっきりお答えなさい」
「ああ、もう本当にめちゃくちゃだ……」
「ほら、早くお答えなさい」
アレックスの唇から洩れた言葉を聞いてから、私はアレックスに全力で抱きついた。
* * *
死の軍勢が、王都への街道を進む。
半身が焼けたもの、全身が焼け焦げたもの、片腕がないもの、両足がなく地を這うもの、槍に貫かれたもの、撃ち込まれた剣を肩に食い込ませたままのもの。
兵士の男、パン屋の女、行商の若者、宿屋の女将、初老の農夫、くたびれた娼婦、身なりのよい貴族に裏街のごろつきに物乞いの老人。
死因から身分まで、ありとあらゆる死の有様を体現する大軍勢だ。
ほとんどの者たちは、私が蘇ったあの街の死者たちが元になっている。
私とアレックスは、その先頭で矢に射抜かれて死んだ馬に二人乗りしていた。
「お嬢様も乗馬の心得はおありでしょう?」
「淑女が軍馬を操るなど、はしたないですわ」
「まったく、ああ言えばこう言う……」
アレックスはため息をついて手綱を操る。
私はアレックスの体温を背中に感じて上機嫌だ。
これから戦争を始めるのだ。いまこの瞬間くらい楽しんだっていいだろう。
王城の尖塔が地平線の先に見えてくると、ついで生者の大軍勢が視界に入った。
王国に攻め入り、好き放題に蹂躙してくれた隣国の軍勢だ。
はじめのうちは意気軒昂にこちらへと向かってきたが、距離が近づくにつれて静かになっていく。
こちらの異様な姿に気がついたのだろう。
戦う前から逃げ出す者も現れ、隊列が乱れはじめる。
それを見て、私は死の軍勢に号令をかける。
――かかれっ!
――あなたたちの無念を、
――恨みを、怒りを、憎しみを、
――いまここで存分に晴らしなさい!
無数の死が生者の軍勢に殺到し、思いのままに蹂躙する。
敵兵たちも必死に反撃をしているが、死んだものを再び殺すことはできない。
噛みちぎられ、引き裂かれ、そして私たち死の軍勢に仲間入りする。
「神に祈れ! 聖句を唱えろ! 聖水をまくのだ!」
聖職者らしい一団が前に出て、何やら祈祷をはじめる。
これまでの道のりで何度となく敵軍を打ち破ってきたので、不死者対策をしてきたのだろう。
不死者はこの世に残した未練を断ち切ることさえできれば、魂が神の御許に還り正しい輪廻に戻ると言われている。
だが、無駄だ。
貴様らの神では、私たちの地獄に落ちた魂は救えない。
私たちを地獄に落とした者たちが信じる神に、誰の魂も救いを求めたりはしない。
震えながら神に祈る聖職者たちをいとも簡単に葬り去ると、生者の軍勢は完全に統制を失って逃亡をはじめた。
一人として逃がすつもりはない。私たちの王国を、私たちの民を害した罰は存分に味わってもらわねばならないのだ。
道中で集めた情報によると、王都はすでに攻略され、王族はすべて処刑台の露へと消えたそうだ。
イログールイ王子やネトリー、その取り巻きたちもきっと死んだのだろう。
もはや王国は滅び、民も多くが死んだ。
しかし、そんなことは関係がない。罪には罰を以って贖いとさせ、そして生き残った民たちを守らなければならない。
それが父が私に託した使命だ。
そして、父が私に残してくれた「死者を操り、使役する力」の使い途なのだ。
「失礼ですがお嬢様、責務とはそれだけでございましょうか?」
アレックスの言葉に、私は思わず考え込んでしまう。
民の命を守るだけではたしかに不十分だ。
国を富ませ、民の暮らしを豊かにしなければならない。
幸いにして私の力はそれにうってつけだ。
本来なら国庫に大きな負担をかける軍備や土木もほとんど肩代わりができる。
「そういうことではなくですね、お嬢様」
さらに難しい問題があるのか……。
統治や政治の勉強はしてきたが、所詮は机上の学問だ。
ヴラドクロウ家の執事として実際に政務に携わってきたアレックスの助言を聞きながら、もっといろいろなことを考えなければならないだろう。
「そうではなくてですね、お嬢様」
「もう、もっとはっきり言ってくださらないとわかりませんわ」
私が聞き返すと、アレックスはさも言いづらそうに咳払いをした。
「……貴族には、己の血を残すという重要な責務がございます」
私は全身の血が一気に顔に上るのを感じた。
「私との子どもではご不満ですか? お嬢様」
なんていう最悪なプロポーズだ!
私はごんごんとアレックスの胸に後頭部をぶつけ、その逞しい感触と温かい体温にたしかに幸せを感じていた。
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