第69話【夢の代償】
穏やかな1日を過ごした鋭時は、
新たな決意を胸にステ=イションを後にした。
「ここがネプスティクスか……ターミナルの造りに違いは無いんだな……」
先頭に立ってテレポートターミナルに降り立ったセイハは、拍子抜けしたように周囲を見回す。
「互いの座標が封じられてるだけで、テレポートターミナルは共通規格だからね」
続いて降り立ったドクは、相違の無い理由を説明してから軽く肩をすくめた。
「俺とシアラが出逢ったロジネルはステ=イション型になったんだろ? そこから他の居住区の座標って分からなかったのか?」
「ロジネル型にはジゅう人の認識を阻害する装置があって、そいつを今回みたいに停止しない限りは座標の存在すら気付かないんだ」
隣まで歩いて来た鋭時が疑問を口にし、静かに頷いたドクは難しい顔で微笑む。
「言われてみれば他にも人間の居住区があるんだろうけど、よく分かんないね」
「どういうカラクリか知らないけど、何でこんな面倒な事をしたんだい?」
後ろを歩いていたミサヲが券売機の上にある料金表に何度も目を凝らし、同じく目を凝らしていたセイハが呆れ気味に首を傾げた。
「出来る限り人間を残すのが、当時の政府からの要望だったからね」
「ロジネルは3年経っただけで、ジゅう人が半数を超えたって聞いたわ」
遠い目をして頷いたドクが軽くため息をつき、ミサヲの隣を歩いていたヒラネは納得した様子で頷く。
「もし他の居住区まで入れたら、今頃人間の数が半分以下になってた訳か……」
「理屈はどうあれ、人間を残そうとしたご先祖に感謝だよ」
続けて頷いたセイハが大袈裟に肩をすくめ、ミサヲは目を細めて頷いた。
「謎解きも人間見物も後回しだ、まずは十善教のアジトに向かおう」
「そうだな。おいドク、頼んだぜ」
満足そうに頷きながらターミナルを出たドクの肩に腕を掛けたミサヲは、遠くに見えるガラスのようなドームを指差す。
「ああ、こっちだ」
「そっちは再開発区だろ? 居住区に行かないのかよ?」
軽く頷いたドクが反対方向を親指で指し示し、ミサヲは怪訝な顔で聞き返した。
「十善教のアジトは居住区の中心近くにあるけど、こっちに裏口があるんだ」
「随分と詳しいな、どうやって調べたんだよ?」
「蛇の道は蛇、ってやつだよ」
涼しい顔で答えたドクにミサヲが呆れ顔で聞き返し、ドクは含み笑いを返した。
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「ここが入口なのか?……」
「かつて地下鉄と呼ばれた、【大異変】以前の交通機関だよ」
しばらく【遺跡】を進んだ鋭時が地下へと続く階段を慎重に見詰め、ドクは呆れ気味に説明する。
「確か、地下に通したトンネルに鉄道を走らせるんだったか……?」
「何か思い出したんですかっ、教授っ!」
「図鑑で見ただけだ。それに今は十善教のアジトだ、油断するなよ」
頭に浮かんだ呟きを聞き逃さなかったシアラに迫られた鋭時は、静かに首を横に振ってから階段を睨み付けた。
「警報装置やカメラの類が見当たらないし、随分と無防備だな」
「そんな物を置いたら怪しまれるし、何より天然の用心棒が徘徊してるからね」
細長く伸ばしたスライム体を戻したセイハが呆れた様子で頭を掻き、思わず吹き出したドクは涼しい顔で肩をすくめる。
「なるほど確かに効率的だ」
「【空間観測】……人間が2人にZKが4体?」
自分達の居場所を思い出したセイハが釣られて笑い、ウサギのぬいぐるみを腰に付けてメイド姿になったシアラは探索術式を発動して怪訝な表情を浮かべた。
「ZKに襲われない仕掛けでもあるのだろう、中にいる人間を生け捕りに出来れば何か分かるかな……?」
「だったら人間を締め上げて、ウラ姉を騙した奴等の居所を吐かせりゃいい」
共有式を確認したドクが施設の仕組みを推測し、セイハは腰に差した短刀、ヘルファランに手を掛けて力強く頷く。
「それが一番手っ取り早いな」
放電銃ミセリコルデを構えたミサヲを先頭に立ち、一行は慎重に階段を下って行った。
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「ステ=イションの化け物共が来たみたいだね、灰田君」
「はい、亀島司祭。今すぐ手勢を……」
白い法衣に身を包む初老の男が革張りのソファに腰掛けたまま口を開き、灰田と呼ばれた細身の中年は慌てて携帯端末を取り出す。
「必要ないよ、灰田君」
「ですが、このままでは……」
不機嫌な様子で首を横に振った亀島と呼ばれた男が言葉を遮り、ハンカチで額の汗を拭った灰田は弁明を試みる。
「例の鉄砲玉もヘビ女も負けたと聞いた。若者も化け物も全く使えないね」
「こうなったら、化け物女を釣るために雇った者達を向かわせて責任を……」
苛立った様子の亀島が手下の失敗を鼻で笑い、灰田は再度携帯端末を手に取る。
「あいつらならもういないよ」
「まだ契約が残ってるはずですが?」
詰まらなそうにため息をついた亀島が首を横に振り、慌てて灰田は聞き返した。
「ああ、だからZK様の生贄にしたよ」
「なっ!?」
事も無げに頷いた亀島の口角が上がり、灰田は言葉を失う。
「代わりはいくらでもいるだろ? 何が問題なのかね?」
「い、いえ……」
「まあいい、化け物共の最期を見物と行こうか」
自分の行動に全く疑いを持たない様子の亀島に灰田が消え入るような声を返し、亀島は手元の携帯端末を操作してバーチャルディスプレイを起動した。
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「ひと足遅かったか……」
「まさか奴等、信者をZKに食わせたのか!?」
階段を下りてホームの手前で足を止めたミサヲが苦い顔を浮かべ、ZKの動きに違和感を覚えたセイハが大声を上げる。
「それならいくらかマシだったよ……」
「ウラちゃん達を覚醒させるために連れて来た人間ね」
咄嗟に遮音障壁を展開したドクが静かに首を横に振り、信じがたい様子で頷いたヒラネはそのまま俯いた。
「十善教の信者ではジゅう人を覚醒させられないからね」
「じゃあウラ姉の思い人も!」
否定する事無くドクが頷き、セイハは思わず大声を上げる。
「ウラホが命張って守ったのに、こんな事!」
「こうなったら助ける術がない、1秒でも早く駆除するのがせめてもの供養だ」
怒りに声を震わせたミサヲが握りこぶしを壁に打ち付け、悲痛な決意と共に首を横に振ったドクはTダイバースコープを起動した。
「でも人間はどうすんだ? このままだと逃げられるぜ」
「配置を考えるに、奴等はZKに絶対の自信を置いてるね」
大剣型の金属板、クロスジャルナーを構えたセイハが線路を挟んで反対側にあるホームを睨み付け、追尾式を確認したドクは慎重に頷く。
「ほえ? どういう事ですかっ?」
「あの線路を抜けない限り、人間のいる部屋にもテレポートエレベーターにも辿り着けないだろ?」
小首を傾げたシアラが小声で尋ね、鋭時は向かいに見える階段を指差した。
「あっ、そういう事ですねっ……ミサちゃん、ZKは駆除できないんですかっ?」
「駆除は出来るだろうけど、その間に逃げられちまう」
小さく頷いたシアラが線路上を徘徊するZKを指差し、ミセリコルデを手にしたミサヲは静かに首を横に振る。
「だったら早くここを抜けないと」
「人間の動きを見る限り、あたし達とZKの戦いを高みの見物って腹積もりだな」
向かいの階段を見詰めたシアラが今にも駆け出さんと足のバネを溜め、追尾式を確認したミサヲは呆れながら苦い顔を浮かべた。
「ふむ……ここは二手に分けようか? ZKは4体だから駆除も4人……」
「あたしとヒラネとセイハ……それとドクだ」
しばらく考えたドクが追尾式を通じて数を確認し、小さく頷いたミサヲは簡単に人選を済ませる。
「元よりそのつもりだ、鋭時君とシアラさんは人間の確保を頼めるか?」
「このメンツなら仕方ないか……」
即座に頷いたドクに渋々同意した鋭時は、右腕を意識しつつ目的地までの距離を確認した。
「俺ノ足ナラ、スグニ抜ケラレル」
「おまかせくださいっ、一気に突っ切りましょうっ!」
スムーズに切り替わった星白羽が淡々と答え、力強く頷いたシアラは結界を操る日傘、メモリーズホイールを取り出す。
「すまないがレーコさん、2人に着いて行ってくれないか? 言葉が通じるなら、きっと助けになれる」
「かしこまりました、マスター」
「では行きますよっ!【隠形結界】!」
向かい側のホームを見据えたドクの頼みをレーコさんが快諾し、シアラは術式を発動して鋭時共々姿を消した。
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「【霧葬暗器】!」
「相変わらず見事な切れ味だな……」
黒ヘビのぬいぐるみを腰に付けたシアラが結界を圧縮して作った短刀で駅員室の扉を細切れにし、鋭時は呆れながら感心する。
「な、何事だ!?」
「夜分遅くに失礼致します。亀島さんと灰田さんをご存じないでしょうか?」
バーチャルディスプレイを見ていた亀島が驚きながら振り向き、音も無く部屋に入ったレーコさんが丁寧な仕草でお辞儀した。
「はぁ!? 何で我々の事を?」
「え? あーっ! この人達!」
突然の出来事に慌てた灰田が思わず聞き返し、しばし固まっていたシアラは突然大声を上げて2人を指差す。
「こいつはいいや、探す手間が省けたぜ!」
「【爆火球】!」
状況を理解して不敵な笑みを浮かべた鋭時がアーカイブロッドを構えると同時に亀島が術式を発動し、辺りは炎と煙に包まれた。
「大丈夫ですかっ、教授っ!」
「シアラのおかげで何ともないぜ、ありがとう。それで、奴等は?」
咄嗟に水結界を展開したシアラに礼を述べた鋭時は、晴れつつある煙を見回す。
「2人ともあちらの扉から逃げて行きました」
「レーコさんはここに残ってドク達に伝言を頼む。俺達は奴等を追うぞ!」
押さえていた裾から手を離したレーコさんが部屋の奥へと手を差し伸べ、鋭時は簡単な指示を出しながら扉に向かう。
「わかりましたっ、教授っ!」
「鋭時さん、シアラさん、お気を付けください」
ネコのぬいぐるみを腰に付けて和服姿に戻ったシアラが鋭時の後を走って追い、レーコさんはお辞儀をして2人を見送った。
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「待ってください、亀島司祭」
「早くしたまえ、化け物に追い付かれるではないか」
薄暗い廊下を必死に走る灰田に呼び止められた亀島は、不機嫌そうな様子で足を止める。
「ここに化け物が入ったと知れたら、本部がどう思うか……」
「残念だよ、灰田君。化け物と内通してたなんて……」
ようやく追い付いた灰田が肩で息を整え、顔から笑みの消えた亀島はナイフ型の術具を構えた。
「亀島司祭、何を?……そんな嘘までついて保身を……!」
「【火炎矢】」
ただならぬ気配を感じた灰田が身構え、亀島は躊躇う事無く術式を発動する。
「ぎゃぁ!?……あ、あ」
「これでもう、化け物共も追って来れまい」
炎に包まれた灰田が悶絶し、亀島は気に留める事無くテレポートエレベーターを操作した。
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「遅かったか……」
「そんなぁ、ここまで来て逃がすなんて」
周囲を確認した鋭時が吐き捨てるように唸り、シアラも力無く肩を落とす。
「いや、このテレポートエレベーターは凍鴉楼のと同じだ、これならいける」
「指輪をつなげて何をするんですか、教授っ?」
テレポートエレベーターを確認した鋭時がリッドリングからケーブルを伸ばし、シアラは不思議そうな顔で覗き込む
「以前、ヒカルさんに操作ログを見る裏技を教えてもらったんだ」
「ほえ? つまり、どういう事ですか?」
リングを嵌めた指で宙を叩く仕草をした鋭時が得意気に微笑み、シアラは小首を傾げる。
「これで逃げた亀島を追える!」
「さすがは教授ですっ! 早く追いましょう!」
軽く肩をすくめた鋭時が簡潔に説明し、目を輝かせたシアラは力強く頷いた。
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「奴等も二手に分かれる気か……」
「離れた2体はワタシ達で駆除するわ、ミサヲお姉様とドクは残りをお願い」
ホームの柱に隠れたセイハがZKの動きを分析し、潜行魔法の中からそれぞれのZKを指差したヒラネは小さく頷く。
「分かった、こっちは任せてもらおう」
「2人とも気を付けろよ」
隣の柱からドクが頷きを返し、後方で警戒していたミサヲも小声で手を振った。
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「また二手に分かれやがった……」
「人間の生き血を吸って、気分が大きくなってるのね」
スライム体で周囲の景色に溶け込んだセイハが呆れ気味に線路を見下ろし、潜行魔法に隠れたヒラネは複雑な顔で行動を分析する。
「酔っ払いかよ……」
「でもこっちには好都合よ、1体ずつ駆除しましょう」
「任せろ、ヒラ姉」
心底軽蔑する表情を浮かべたセイハにヒラネが気を取り直すように頷き、頷きを返したセイハはホームに沿って移動を始めた。
▼
『ギ~……ギギ!?』
「そんな顔で……!」
白骨状の顔を赤く染めて線路を千鳥足で歩くK型ZKが気配を察して振り向き、ホームから飛び降りたセイハはクロスジャルナーを構える。
『ギギッ!?』
「させるか!」
『ギェッ!?』
ZKが鉤爪を振り上げるより早くセイハがクロスジャルナーを振り払い、ZKは悲鳴にも似た音と共に反転して背を向ける。
「これで!……」
『グギェ……』
「おととい来やがれ……」
腰から抜いたセイハのヘルファランに襟首を刺されたZKが崩れ去り、セイハは唾棄するように睨み付けてから立ち去った。
▼
『ギ?……ギギッ!?』
「【捕縛縄】」
異変に気付いたI型ZKが左右に分かれる予備動作に入り、潜行魔法から半身を出したヒラネは術式を発動してZKの身体を縛り付ける。
『ギッ!』
「【濾繍引極】」
近くの壁にもたれ掛かったZKに近付いたヒラネは、ツィガレッテロアの先端をZKの胸に押し当てて魔力の糸を流し込む。
『ギッ!?……ギィ~……』
「ふふっ、ばかね」
外殻の隙間を縫って侵入した魔力の糸に握り潰された胸部動力核が激しい点滅の後に消滅し、ヒラネは崩れるZKを一瞥して立ち去った。
▼
『ギィ、ギギィ~』
『ギギ、ギギ』
階段を塞ぐように座ったL型ZKが笑うように何かを口に流し入れ、手前のP型ZKは相槌を打つように首を揺らす。
「まるで酒盛りだね……」
「何を飲んでるか、確認したくもねえな」
線路を渡ってホームの下から覗き込んだドクが小さくため息をつき、隣で様子を確認していたミサヲは苦々しい顔で頷く。
「俺は手前のP型を駆除する、ミサヲさんは奥のL型を頼んだよ」
「任せろ、ドクこそ頼んだぜ」
一度線路に降りたドクが割り振りを決めてホームに上がり、軽く頷いたミサヲはホームの下から移動を始めた。
▼
「ここはホーミングギャロットで」
『ギギッ!?』
ホームの柱に隠れたドクがLab13から取り出した機械仕掛けの糸を投げ付け、P型ZKは首に巻き付いた糸に引き倒される。
『ギッ!?……ギェ、ギェ!』
「逃げたのは意外だが、こっちには好都合だ!」
『ギッ!? ギッ!? ギッ!?』
悲鳴のような音を出したL型ZKが逃げ出し、密かに安堵したドクは天井に張り出した照明を支点にP型ZKを宙吊りにした。
「機械刀にはこんな使い方もある。機械刀昴、起動!」
背を向けてから膝をついてホーミングギャロットを肩で押さえたドクは、事前に取り出していた懐中電灯から伸ばした光の刃を糸に当てる。
『グギゥッ!?』
「やったね……」
糸を伝った光の刃に頸部のバイパスを切断されたZKが崩れ去り、ドクは小さく呟いてホーミングギャロットを回収した。
▼
「さすがはドクだ、上手く引き剥がしやがった……【知覚反射】」
『ギ! ギギギー、ギギッ!』
小さく頷いて術式を発動したミサヲがホームに上がり、安堵した様子で近付いて来たL型ZKがドクのいる方向に槍状外殻を向ける。
「侵入者だって? あたしが片付けてやるよ……なんてな」
『ギギャッ!?……ギィ……』
適当に相槌を打つミサヲが隙を突いてミセリコルデの引金を引き、胸部動力核を破壊されたZKは悲鳴のような音と共に崩れ去った。
▼
「お待ちしておりました、マスター」
「ふむ……何があったんだい、レーコさん?」
「この部屋にいたのは標的の亀島と灰田の2名でした……」
それぞれ担当するZKを駆除して合流した4人をお辞儀して迎えたレーコさんに先頭のドクが状況を確認し、レーコさんは報告を始める。
「……鋭時さんとシアラさんは2名を追い、私は報告のために残りました」
「2人だけで行かせたのかよ!?」
「レーコさんはテレポートエレベーターを使えない、現時点ではベストな判断だ」
報告を終えてお辞儀をしたレーコさんにセイハが食って掛かり、首を横に振って制止したドクは慎重に奥の扉に近付いた。
▼
「鋭時君とシアラさんは亀島を追ったようだね」
「こいつのせいでウラちゃんは……!」
行き止まりに金属板の埋まった短い廊下を確認したドクが簡単に状況を推測し、ヒラネは廊下の片隅にうずくまる灰田にツィガレッテロアを構える。
「待ちな。どうせ助からないんだ、放っときなよ」
「取り敢えず、ここの内部を確認しよう」
「ああ、どうせ向こうには行けないからな」
ヒラネの肩を掴んだミサヲが静かに首を横に振り、ドクの案に賛同したセイハを先頭に一同は踵を返した。
▼
「ここまで来れば……な、何でここに!?」
「さあね、冥土のみやげにもならないぜ?」
人気の無い倉庫の壁に向かって肩を撫で下ろした亀島が背後の足音に驚いて振り向き、アーカイブロッドを肩に乗せた鋭時は不敵な笑みを返す。
「ならば黙って消えるがいい!【魔核起動】!」
「マジックキャンセラー搭載型ゴーレム……こんなのまで用意してたのかよ」
「【熔滅結界】」
激昂してナイフ型術具に意識を込めた亀島が近くのゴーレムを起動し、呆れる鋭時の隣で黒ネコのぬいぐるみを腰に付けたシアラが術式を発動した。
「なぁ!?」
「俺達にマジックキャンセラーは通じない……これで終わりか?」
瞬時に溶けたゴーレムに亀島が驚きの声を上げ、つまらなそうにため息をついた鋭時はアーカイブロッドを水平に構える。
「くっ!」
「【圧縮空棍】……【凍結環獄】」
慌てた亀島がナイフ型術具を構え直し、鋭時は釣竿状のロッドを伸ばして亀島の足元に青白い輪を出現させた。
「な、なんだ!?」
「足元の輪は1時間後に消える、それまで中にいれば命だけは助けてやるよ」
思わず術式の発動を止めた亀島に手のひらを向けた鋭時は、含み笑いを浮かべて足元の輪をアーカイブロッドで指し示す。
「もし出たらどうなるのかね?」
「一瞬で足元から全身が凍り付くだけだ」
警戒して足を止めた亀島が慎重に聞き返し、鋭時は事も無げに肩をすくめる。
「ハッタリでは無いようだね、好きにしたまえ」
「あばよ、その汚い面は二度と見ないだろうけどな」
観念した様子の亀島が術具を収め、軽く笑った鋭時は背を向けて手を振った。
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「ところで教授っ、みんなと合流するにはどこを押せばいいんですかっ?」
「こっちは知らないテレポートエレベーターだし、直接外に出るか」
「背中がガラ空きだ! 【爆火……!?」
テレポートエレベーターを前に悪戦苦闘する2人の侵入者に再度ナイフ型術具を構えた亀島は、突然目眩のような感覚に襲われて動きが止まる。
▼
(何だ? いったい何が起きたんだ?)
急に動きを止めた体に戸惑う亀島は、動かぬ眼球が映す風景に意識を集中する。
(ナイフが凍って!……体が動かん!?)
ようやく目が慣れた亀島は足元の輪から僅かに突き出た切っ先の変化に気付き、慌てて放そうとした手も全く動かず恐慌に陥った。
(いや、化け物共も止まって?……そうか、時間の流れが遅くなったのか)
しばらくして落ち着きを取り戻した亀島が見える範囲を再度観察し、異常事態の正体を推測する。
(意識を集中すれば無詠唱でも術式を発動出来るし、練習する時間なら充分ある。バカめ、余計な機能を追加したな)
思わぬ打開策が浮かんだ亀島は、心の中で余裕の笑みを浮かべた。
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(ようやくコツを掴んだぞ……【火炎矢】!)
気の遠くなるような長い年月を訓練に費やした亀島は、柄まで凍結の迫る刀身に意識を集中して火矢の術式を発動させる。
(何で火が!?……もう一度発動なんて……いかん、手が……)
切っ先に灯った火が瞬く間に消え去り、術式の正体を理解出来ない亀島は数十年振りの恐慌に陥る。
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(早く殺してくれ……頼む……)
ナイフを通じて凍り付いた腕と共に心が折れた亀島は、死を渇望しながら遥かに長い時を過ごし続けた。
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「ありゃ? やっぱり動きやがったか」
「でも一瞬で終わらせるなんて、教授はお優しいですねっ」
氷の砕け散る音に気付いた鋭時が呆れ顔で振り向き、続いて振り向いたシアラは尊敬の眼差しで鋭時を見詰める。
「まあな……」
(脳内の時間感覚を現実と切り離す操夢のギフト、あの男が凍り付く一瞬は千年に引き伸ばしといた)
曖昧な笑みを返して頭を掻いた鋭時は、複雑な表情を浮かべて再度振り向いた。
「あんたは長い間夢を見れた。若者が夢を見れなくなったのと引き換えに……」
「ほえ? どうしたんですかっ、教授っ?」
小さくため息をついた鋭時が吐き捨てるように呟き、シアラは上目遣いで小首を傾げる。
「何でもない、合流を急ごう」
(今の俺にはこれしか出来ない。安らかに眠ってくれ、ウラホさん……)
「体ヲ低クシロ、シアラ!」
静かに首を振った鋭時が僅かに顔を綻ばせて天を仰いだ瞬間、突然切り替わった星白羽が大声で叫ぶ。
「えっ!?……うわわぁ!」
「っと……いったい何が起きたんだ?」
戸惑ったシアラが反射的に身を屈めた直後に倉庫が大きく揺れ、揺れの収まりを確認した鋭時は慎重に立ち上がった。




