表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

65/70

第65話【月下氷人】

知り合いを名乗る偽物に襲われた鋭時(えいじ)は、

偽物を返り討ちにして捕らえた。

「うっ……ここは?」

 目を覚ました乾側(ひしき)は、朦朧とする意識の中で周囲を見回す。

(あの世?……ではないな……オレは何で……)

「生きてるんだ?」

 剥がれかけた廃ビルの壁を見た乾側(ひしき)は、思わず疑問を口に出した。



(やっこ)さん目が覚めたみたいだぜ、ドク」

「お前は燈川鋭時(ひかわえいじ)!?……!」

 顔を上げた鋭時(えいじ)が入口に向かって声を掛け、我に返った乾側(ひしき)は椅子に拘束された自分に気付く。

「あなた馴れ馴れしいですよっ! どうして教授の命を狙ったんですかっ!」

「おーいシアラさん、尋問が支離滅裂だと何も喋れないよ~。少し落ち着こうね」

 苛立ちを隠せない様子のシアラが乾側(ひしき)に険しい顔を向け、鋭時(えいじ)は冷静に(なだ)める。


「ジゅう人まで!? くっ、(ほど)きやがれ……!」

「あんたも落ち着けよ、別に取って食おうって訳じゃ無いんだから」

 シアラの正体に気付いた乾側(ひしき)が暴れ出し、鋭時(えいじ)は疲れた様子でため息をつく。

「これが落ち着いていられるか! オレは何も話さないぞ!」

「あんたの雇い主は見当が付いてるし、何も聞く気は無いぜ」

 激しく首を横に振った乾側(ひしき)が険しい顔で睨み付け、鋭時(えいじ)は静かに首を横に振って釘を刺した。


「ふざけんな、裏切り者め!」

「またそれかよ……いったい(おれ)が何したって言うんだ?」

 再度首を横に振った乾側(ひしき)は表情を変えず、小さくため息をついた鋭時(えいじ)は呆れ顔で聞き返す。

「もしかして教授の事を何か知ってるんですかっ!?」

「どうだかな……知り合いを自称してたけど、偽物は確定だ」

 乾側(ひしき)を観察していたシアラが目を輝かせるが、鋭時(えいじ)は静かに首を横に振った。


「手掛かり無しですかぁ……残念ですねぇ」

「とは言え、完全にゼロって訳でも無いみたいなんだ」

 途端に目を曇らせたシアラが項垂(うなだ)れ、気まずそうに頭を掻いた鋭時(えいじ)は入口から戻って来たドクに目を向ける。

「それは興味深いね、是非教えてくれないかな?」

「大した事じゃ無いけど、十善教(じゅうぜんきょう)が何やら吹き込んでたみたいでさ……」

 静かに頷いたドクがTダイバースコープを起動し、軽く首を横に振った鋭時(えいじ)乾側(ひしき)と対峙していた時の事を話し始めた。



「……という訳なんだ」

「手掛かりと呼ぶには少々弱いけど、(オレ)も興味が湧いて来たよ」

 ひと通り話し終えた鋭時(えいじ)が息を整え、顎に手を当てたドクも深く頷く。

「教授が裏切り者だなんて、失礼な話ですっ!」

「それも十善教(やつら)の手口なんだろ、こいつを責める気にはなんねえよ」

 怒りを抑える事無く大声を上げるシアラを(なだ)めた鋭時(えいじ)は、小さくため息をついて乾側(ひしき)を親指で指し示した。


「いっその事、十善教(やつら)にひと泡吹かせようか?」

「異論は無いけど、どうするつもりなんだ?」

 軽く頷いたドクが悪戯じみた笑みを浮かべ、鋭時(えいじ)は賛同しながらも首を(かし)げる。

「簡単な話だ、彼をハクバのジゅう人に売り飛ばすんだよ」

「なっ……!?」

「えーっ!? この人、全然魅力がありませんよっ!」

 悪戯じみた笑みを浮かべたままのドクが大袈裟に肩をすくめ、乾側(ひしき)の呻きを遮るようにシアラが大声を上げた。


「おーいシアラさん、魅力じゃなくてA因子だからね……って、そんなにこいつのA因子は少ないのか?」

真鞍(まくら)署長より少し低いと言えば、想像が付くかな?」

 慣れた様子でシアラに苦言を呈した鋭時(えいじ)が疑問を口にし、Tダイバースコープを覗いていたドクは複雑な笑みを浮かべる。

「ああ、何となく……大丈夫なのか?」

「問題無い、工夫次第で買い手は付くものだよ」

「工夫? いったい何をする気なんだ?」

 複雑な笑みを浮かべた鋭時(えいじ)にドクが涼しい顔で肩をすくめ、鋭時(えいじ)は興味を持った様子で聞き返した。


「まず人間を欲しがってるジゅう人を探さないとね。シアラさん、頼めるかい?」

「わかりましたっ!」

 悪戯じみた笑みを浮かべたドクが真剣な表情に切り替わり、シアラは弾むような声を返す。

「すまないがレーコさん、シアラさんと一緒に居住区に行ってくれないか?」

「かしこまりました、マスター」

 無言でシアラに頷き返したドクがレーコさんに同行を頼み、レーコさんは丁寧な仕草でお辞儀をする。


「いってきますねっ、教授っ!」

「ああ、気を付けてな」

 出口に向かったシアラが大きく手を振り、鋭時(えいじ)は軽く手を振って見送った。



「何をするつもりだ!? オレの魔力は簡単に増えないぞ!」

「なあドク、A因子に魔力って関係してるのか?」

 目の前のやり取りに不安を覚えた乾側(ひしき)が大声で虚勢を張り、興味を持った様子の鋭時(えいじ)はドクに質問を投げ掛ける。

「たぶん魅力を魔力と聞き間違えたんだ、魔力もA因子も真面目な人間が多くなる傾向にあるからね」

「そのせいでオレの仲間はジゅう人に!……」

 静かに首を横に振ったドクが涼しい顔で肩をすくめ、乾側(ひしき)は噛み付かんばかりの大声を上げた。


「ん? もしかしてキミはロジネルに住んでたのかい?」

「ロジネル? 3年前の祝福と関係してるのか?」

 興味を持ったドクが乾側(ひしき)に質問を投げ、横から鋭時(えいじ)(わず)かな知識を頼りに質問を返す。

「あれが祝福だと!? あんな殺し方をしておいて!」

「ころ……っ!? 何を言ってんだ?」

 感情を抑え切れなくなった乾側(ひしき)が逆上し、一瞬驚いた鋭時(えいじ)は怪訝な顔を返した。


「とぼけるな! 」

「落ち着いてくれないかな? 鋭時(えいじ)君はこの間まで、記憶を失ったままロジネルを彷徨(さまよ)ってたんだ」

 尚も怒りの冷めやらぬ乾側(ひしき)(なだ)めたドクは、白衣のような黒服のポケットに手を入れて警戒を解くように微笑む。

「なっ……!? 記憶だと……?」

「3年前にキミの身に起きた出来事こそ、今のボク達に必要な情報だ」

「そこまで言うなら話してやる! 最初は小さな行方不明事件だった……」

 真実を直感して戸惑う乾側(ひしき)にドクが念を押して問い質し、軽く首を横に振った乾側(ひしき)鋭時(えいじ)を睨みながら話を始めた。



「……逃がしてくれた仲間は断末魔の声さえも途切れた! これで全部だ!」

「ジゅう人がロジネルの住民を襲い、その首謀者が(おれ)だって!? 出鱈目も程々にしとけよ」

 耳朶(じだ)に残る(わず)かな声を逃すまいと(うつむ)乾側(ひしき)に睨まれた鋭時(えいじ)は、大袈裟にため息をついてから険しい顔を向ける。

「ふむ……これなら『商品』に仕立てるのも簡単そうだ」

 両者を仲裁するように移動したドクは、そのまま乾側(ひしき)に含み笑いを浮かべた。


「何をする気だ!?」

「もう少し話をするだけだよ」

 慌てた乾側(ひしき)が体を仰け反らせ、ドクは含み笑いを浮かべたまま軽く頷く。

「これ以上話す事は何も無い!」

「大丈夫、聞いてもらうだけで構わないから」

 仰け反らせた体を元に戻した乾側(ひしき)が激しく首を横に振り、ドクは涼しい顔で肩をすくめた。


「どういう意味だ……?」

「そのままの意味さ、キミの誤解をひとつずつ解いて行く」

 毒気を抜かれた乾側(ひしき)が怪訝な顔で聞き返し、黒服のポケットに手を入れたドクは確信した笑みを浮かべて頷く。

「誤解……!? そんなはずは……」

「まず女性ジゅう人は、同族より人間の種で繁殖する事を好むんだ。キミの仲間は誰も命を落としてないよ」

 またしても真実の直感が頭に走った乾側(ひしき)が困惑し、軽く頷いたドクはジゅう人の基本的な習性を説明した。


「何だって!?……本当だとして、何で主任達が襲われるんだよ! あの人達は、オレより……」

「コミュ力か甲斐性か知らんが、端的に言えばモテなかった」

 真相に抗って大声を上げた乾側(ひしき)が徐々に声のトーンを落とし、ドクは理解を拒む理由を簡潔に返す。

「くっ!……ああそうさ! 何であの人達なんだよ! どうして巻き込むんだ!」

「女性ジゅう人にとって人間の男が持つA因子だけが選択基準なんだ」

 一瞬言葉を詰まらせた乾側(ひしき)が激しく反論し、ドクは涼しい顔で肩をすくめた。


「A因子? そんなもの聞いた事無いぞ!」

「ロジネル型なら情報を伏せてても不思議は無いな……仲間は独身だった?」

 困惑しながら憤る乾側(ひしき)の態度に頷いたドクは、冷静な口調で質問を返す。

「チームは、オレを含めて全員独身だったよ!」

「でもキミだけは女性との交際経験があった、もっと踏み込めば婚約してた」

 憤りの勝った乾側(ひしき)が投げやり気味に返答し、静かに頷いたドクは遠回しに差異を指摘した。


「なっ!?……ああ、そうだよ! あの騒動で婚約も消えたけどな!」

「婚約を解消してもA因子が低いままなんて興味深いな……」

 (ことごと)く的中する指摘に言葉を詰まらせた乾側(ひしき)が血相を変えて怒鳴り返し、ドクは興味を持った笑みを浮かべる。

「はぁ!? 何を面白がってんだ!」

「これは失礼。心に決めた相手がいないのに、数値が低いのは珍しく思ったのさ」

 憤りを見せる乾側(ひしき)に軽く手を振ったドクは、自分の興味を包み隠さず明かした。


「そんなもん、オレが知るか! だいたいA因子って何なんだよ!?」

「順を追って説明しよう。ジゅう人は生物の波動が見えるんだが、相手が人間だと記憶も読めるんだ」

 怒り疲れた乾側(ひしき)が弱音を滲ませつつ質問を返し、冷静に頷いたドクはジゅう人の身体的特徴を説明する。

「何だって!? 何で(おれ)の記憶は……」

「いいところに気付いたね、鋭時(えいじ)君。記憶と言っても脳内を走る特定の電気信号、A因子は記憶の欠片なんだ」

 今まで黙っていた鋭時(えいじ)が驚きの余り小さく唸り、ドクは嬉しそうに微笑みながら説明を続けた。


「事前に決めたパターンだけを読む、って事か……」

「その通りだ。真正A因子は交際の有無や長男など素性に関わる記憶で、祟紡侖(すいぼうろん)の概要や【忘却結界(メモリーブロック)】は疑似A因子になるんだ」

 複雑な表情で(うつむ)鋭時(えいじ)に頷いたドクは、今までにない笑顔で説明を続ける。

「【忘却結界(メモリーブロック)】!? じゃあシアラ達が覚醒したのは……」

鋭時(えいじ)君が思い出せない記憶には真正A因子の信号があるよ、【忘却結界(メモリーブロック)】だけでタイプサキュバスを覚醒させるのは不可能だ」

 思わぬ単語を耳にした鋭時(えいじ)が血の気の引いた顔をするが、静かに首を横に振ったドクは軽く微笑んで頷いた。


「確かに、記憶を失った直後でも恋人がいない直感だけは働いてたからな」

「ハハッ、いかにも鋭時(えいじ)君らしい話だ」

 心当たりを思い出した鋭時(えいじ)が力強く頷き、思わず吹き出したドクは肩を震わせて笑い続ける。

「何がおかしい! そいつはロジネル襲撃の首謀者じゃないのか!?」

「パトロンに何を吹き込まれたかは知らないけど、鋭時(えいじ)君はジゅう人を知ってから1年と経ってないよ」

 いつの間にか無視されていた乾側(ひしき)が大声で怒鳴り、笑いの治まったドクが真剣な表情でポケットに手を入れた。


「そ、それじゃあ……」

「時系列を考えたら、まず不可能だ」

 脳に直感が走った乾側(ひしき)が言葉を詰まらせ、静かに頷いたドクは首を横に振る。

「もっとも今では、晴れて人間の敵になったけどな」

「どういう意味だ?」

 軽く伸びをした鋭時(えいじ)が肩をすくめ、乾側(ひしき)は慎重に聞き返した。


「訳あって寸止めしてるが、(おれ)もジゅう人に取り込まれた身でね」

「それじゃあ主任達と同じ……それが何で人間の敵になるんだよ?」

 小さくため息をついた鋭時(えいじ)が自嘲気味に笑みを返し、驚愕しながら複雑な表情を浮かべた乾側(ひしき)が睨みながら聞き返す。

「人間を増やさずにジゅう人を増やすからな……」

「ジゅう人を? 人間との間ならハーフとかじゃないのか?」

 軽く頭を掻いた鋭時(えいじ)が曖昧な笑みを浮かべ、乾側(ひしき)は眉を(ひそ)めて聞き返した。


「遺伝子の近い人間とジゅう人の間からは、固有の遺伝子を受け継いだジゅう人か受け継がなかった人間の男児が生まれる」

「分かったけど解せないね、何で曖昧な人間を優先するんだ?」

 鋭時(えいじ)と代わるように説明をしたドクが含み笑いを浮かべ、小さくため息をついた乾側(ひしき)は小さく首を横に振る。

「遺伝子の特性上ジゅう人同士では1人しか産めない子供も、人間が相手だと幾らでも産める」

「つまり数の問題って訳かい」

 大きく手を広げる仕草を交えて説明をしたドクが涼しい顔で肩をすくめ、乾側(ひしき)は半ば納得して頷いた。


「更に言えばジゅう人の女性はA因子の高い男に群がる習性がある、平たく言えばハーレムだ」

「じゃあ主任達は今頃……」

 ポケットに手を入れたままのドクが楽しそうに笑みを浮かべ、乾側(ひしき)(うつむ)き言葉を失う。

「3年前だから定員ギリギリまで覚醒させてるだろうね」

「あの人達がジゅう人を増やし続けてるだって?……冗談きついぜ」

 腕を組んで頷いたドクが悪戯じみた笑みを浮かべ、鼻で笑った乾側(ひしき)は縋るように首を横に振った。


「キミの仲間以外にも多くの人間が捕まったと聞いたからね、よく出来てるよ」

「それじゃあ、人間の数は……」

 大袈裟に肩をすくめたドクが含み笑いを返し、簡単な暗算をしてしまった乾側(ひしき)は愕然と呟く。

「ボク達の目的、ご理解いただけたかな?」

「ふざけんな! オレの仲間が人間を裏切る訳無いだろ!」

「ちょうどいい、説明するより実践した方が早いかな?」

 楽しそうに微笑むドクの言葉を遮るように怒鳴った乾側(ひしき)が激しく首を横に振り、入口の気配に気付いて密かに微笑んだドクは涼しい顔で肩をすくめた。



「教授っ、マーくんっ、連れて来ましたよ……うわわっ!?」

「な、何を!?……ンむ!?」

 弾むような声を上げて手を振るシアラの後ろからオーバーオール姿の女性が駆け出し、驚く乾側(ひしき)に唇を重ねる。

「うわぁ……コマりん大胆……」

「これが途切れた断末魔の正体かよ……」

 口に手を当てたシアラが激しく揺れる馬のような尻尾を眺め、乾側(ひしき)に覆い被さる2本の角が生えた黒髪の女性から目を逸らした鋭時(えいじ)は複雑な表情で頷いた。


「半覚醒したジゅう人は、そのまま完全覚醒する為に粘膜同士の接触を図るんだ」

「じゃあ(おれ)も、いずれは……」

「ところでマーくんっ、どんな魔法を使ったんですかっ? あの人の魅力が教授と同じくらいになってますよっ?」

 悪戯じみた笑顔で頷くドクの説明に鋭時(えいじ)が言葉を詰まらせ、シアラが遮るように質問を差し挟む。

「それは企業秘密でお願い出来るかな? いずれ機会が出来たら、鋭時(えいじ)君を通じて教えるから」

「わかりましたっ!」

 困惑した顔を作ったドクが悪戯じみた笑みを浮かべ、シアラは素直に頷いた。


「こらっ! 商談前に売り物に手を出す子がありますか!」

「ぴょい!?」

 同じ【証】を持つ黒髪の女性に尻を叩かれた女性は、乾側(ひしき)から唇を離して奇妙な声を上げる。

「まずは自己紹介ね、椎戒(つちかい)チカイよ」

椎戒(つちかい)コマリですぅ……」

 尻を叩いた方の女性が落ち着いた様子で頭を下げ、叩かれた方の女性も袖で口を拭ってから頭を下げた。


「ご丁寧にどうも、ドクター・マリノライトです」

燈川鋭時(ひかわえいじ)です」

 流れるようにドクもお辞儀を返し、続けて鋭時(えいじ)も頭を下げる。

「あんたがシアラちゃんの言ってた教授さんね?」

「え? はい」

「仕掛けはともかくシアラちゃんが覚醒するんだから、相当な色男なのね」

 挨拶が終わるや否や顔を覗き込んむチカイに鋭時(えいじ)が戸惑いながら頷き、チカイは時折シアラに目を向けながら何度も頷いた。


「えー……っと」

「お母様、それより旦那様を早くぅ」

 返答に困った鋭時(えいじ)が考え込み、コマリが遮るようにチカイの腕を掴む。

「少し落ち着きなさい。ごめんなさいね、娘が手を付けた人間は言い値で買うわ」

「出来るだけお安くしますよ、しかしタイプバイコーンとはね……」

 コマリを(たしな)めたチカイが口元に手を当てて微笑み、引き気味に愛想笑いを返したドクは密かにため息をついた。


「コマりんとは、前に来た時に知り合いましたっ!」

「そういう事か……いやはや、参ったな……」

 誇らし気な笑みを浮かべたシアラが胸を張り、ドクは困惑した様子で頭を掻く。

「なあドク……何か(まず)いのか?」

「逆だよ、彼の買い手としては最高のジゅう人なんだ」

 反対側から鋭時(えいじ)が心配そうに小声で話し掛けるが、静かに首を横に振ったドクは笑いを堪えながら肩をすくめた。


「それってどういう?」

「バイコーンは二角獣とも呼ばれ、一角獣と対を為す存在と言われて来たんだ」

 要領を得ない様子の鋭時(えいじ)が聞き返し、ドクは種別の元となった架空生物の説明を始める。

「それがジゅう人の種別と、どう関わってるんだ?」

「一角獣は清らかな処女(おとめ)しか背に乗せない伝承があって、二角獣はその逆なんだ」

 説明の傾向を把握した鋭時(えいじ)が頷き、ドクは地球側の伝承を簡潔に説明した。


「つまり、ジゅう人の場合は更に男女を逆にする?」

「ジゅう人には珍しく、通常の覚醒条件に経験済みを含むのがタイプバイコーンと呼ばれる所以だ」

 静かに頷いた鋭時(えいじ)が慎重に聞き返し、軽く頷いたドクは大袈裟に肩をすくめる。

「だからどうしても他の()のお手付きになって、正妻になれる事は滅多に無いの」

「うわっ……っと、失礼した」

 いつの間にか間に入っていたチカイが感慨深く頷き、反射的に身を仰け反らせた鋭時(えいじ)は軽く頭を下げる。


「あれだけの上物を娘に紹介してくれたんですもの。感謝してもしきれないわ」

「お気に召していただき光栄です」

 静かに首を横に振ったチカイが口に手を当てて微笑み、柔らかな微笑みを返したドクは丁寧に頭を下げた。



「ぐっ!」

「旦那様、何を!?」

 隙を見計らっていた乾側(ひしき)が突如呻き声をあげ、コマリが慌てて駆け寄る。

「舌を噛んだくらいでは死なないよ?」

「今さら死ぬつもりはねえ、ただ少しだけ正気を保ちたかっただけだ」

 口元に流れる血を見たドクが呆れ顔で肩をすくめ、鼻で笑った乾側(ひしき)は反対側にも犬歯を立てた。


「すまないがレーコさん、シアラさんと一緒に向こうで待っていてくれないか?」

「かしこまりました、マスター。お二方はこちらへどうぞ」

 小さくため息をついたドクに頼まれたレーコさんは、丁寧にお辞儀を返してから隣の部屋に手を差し向ける。

「でも、旦那様は……」

「少しは我慢なさい! まずは向こうで商談よ!」

 未練がましく伸ばすコマリの手をチカイが掴み、そのまま隣の部屋に移動した。



「これでいいかな?」

「オレはもう抑えが利かねえ、素直に負けを認める。あんたの言葉は正しかった、仲間も今頃は大勢の子供に囲まれてるだろう」

 呆れた様子で周囲を見回したドクが肩をすくめ、睨み付けるように頷いた乾側(ひしき)は堰を切ったように早口で捲し立てる。

「でも、それだけじゃ無いんだろ?」

「何でもお見通しとは、いけ好かない奴だ。この計画の穴を見付けたよ」

 静かに頷いたドクが含み笑いを浮かべ、ため息をついて呼吸を整えた乾側(ひしき)は含み笑いを返した。


「流石に何でもは知らないよ、後学の為に穴とやらを教えてくれないかい?」

「この計画の首謀者は本物を知らねえ。本物以上の出来栄えだが、所詮は偽物だ」

 静かに首を横に振ったドクが興味を持った様子で質問を返し、勝ち誇った笑みを浮かべた乾側(ひしき)はジゅう人の正体を仄めかす。

「何かと思ったら、そんな事か」

「なっ!? どういう意味だ!?」

 鼻で笑ったドクが大袈裟にため息をつき、乾側(ひしき)は慌てて聞き返した。


「そもそもこの計画は、本物を知る機会の無い人間がメインの標的だ。キミの言う本物以上が、彼等が生涯で触れる事の出来る唯一の『本物』になる」

 小さく首を振ってから淡々と説明をしたドクは、勝ち誇った笑みを浮かべて肩をすくめる。

「それなら……記憶の限りを記録に残せば、いずれ有志が……」

「構わないけど、誰が記録を読めるんだい?」

 静かに(うつむ)いた乾側(ひしき)が人間に希望を託す決意を固めるが、詰まらなそうにため息をついたドクが冷たい口調で質問を返した。


「え?……」

「同じ穴を見付けて希望を託した人間は過去にも大勢いるけど、どれも人間側には渡ってないでしょ?」

 決意の不備を指摘された乾側(ひしき)が小さく呻き、ドクは追い討ちとばかりに類似した記録の有無を確認する。

「オレ以外にも……?」

「見破りやすい弱点だから残して置いた、人間側には付け入る(すべ)も無いからね」

「じゃあ人間はいつまで経っても計画を阻止するどころか、気付く事さえも……」

 言葉を詰まらせて呆然とする乾側(ひしき)にドクが悪戯じみた笑みを浮かべ、乾側(ひしき)は尚も呆然としたまま呟いた。


「計画に分かりやすい大穴を開けておけば、細かいミスが見付からずに済む訳だ」

「馬鹿な……オレの覚悟は……くっ」

 勝ち誇ったようなドクの言葉を聞いている最中に我に返った乾側(ひしき)は、奥歯を噛む動作を始める。

「カプセルはシアラさん特性の強壮剤に入れ換えといたよ」

「はぁ!? どこまでやらせたいんだよ!?」

 肩で笑いを堪えたドクが含みを持たせて続けるように促し、思わず大声を上げた乾側(ひしき)は半ば呆れて憤る。


「種の保存の為に命を奪いに来て、全く真逆の結果になるなんて皮肉なもんだね」

「ふざけんな! 今すぐ殺せ!」

 時間さえも凍らせるような冷たい目を向けたドクが肩をすくめ、逆上した乾側(ひしき)は縛られている椅子ごと立ち上がろうと暴れ出した。


「【睡眠接触(スリープタッチ)】!……別にいいですよね?」

「構わないよ、これ以上話す事も聞く事も無いからね」

 乾側(ひしき)の額にヘビのぬいぐるみを当てたシアラが冷たく微笑み、ドクは涼しい顔で肩をすくめる。

「旦那様、お可哀そうに……」

「お騒がせしてすまなかったよ、でも押し当てる必要はあるのかい?」

 続けて駆け寄って来たコマリが乾側(ひしき)の頭を胸に抱き寄せ、軽く頭を下げた鋭時(えいじ)が複雑な笑みを浮かべて視線を上に向けた。


「ちょっとした役得でございます、帰るまでに仲間が増えるでしょうから……」

「これを持って行くといいよ。この外套なら彼のA因子を隠す事が出来る」

 頬を赤く染めたコマリが胸に沈めた乾側(ひしき)の頭に顔を近付け、ドクはLab13(ラボサーティーン)から外套を取り出す。

「へぇ……こいつがあれば誰も覚醒させずに持ち帰れるんだね?」

「せっかく買い取って戴けるんです、ちょっとしたアフターサービスですよ」

 最後に戻って来たチカイが感心しつつ外套を受け取り、ドクは得意満面で頷きを返した。


「それであの値段なんて、ちょっと良心的や過ぎないかい?」

「ボク達の本職は発明家と掃除屋なので」

 半ば呆れたチカイが複雑な表情を浮かべ、ドクは涼しい顔で肩をすくめる。

「代金ならレーコさんが指定した口座に振り込んだから、遠慮なく持ち帰るわね。大事にするんだよ、コマリ」

「今夜はたくさんの愛を捧げましょう。明日はお友達を招いて紹介しませんと……どなたをお誘いしましょうか?」

 笑いを堪えたチカイが乾側(ひしき)に外套を被せ、口元を綻ばせたコマリは赤子のように抱きかかえた乾側ひしきを見詰めた。


「よかったですねっ、コマりん! 末永くお幸せにっ!」

「ありがとう、シアラちゃんも早く繁殖出来る事を祈るわね!」

 大きく手を振って祝福するシアラに軽く頭を下げて微笑んだコマリは、チカイと共に出口に向かう。

「はいっ! がんばりましょうねっ、教授っ……!」

「そう……だな」

 コマリ達を見送ったシアラが小声で話し掛けてから満面の笑みを浮かべ、鋭時(えいじ)は複雑な笑みを返して頭を掻いた。


「完全覚醒したジゅう人をよく覚えておくんだね、鋭時(えいじ)君。月下氷人を気取っても所詮は人を攫って売り払った極悪人、いずれツケを払う時が来るんだから」

「分かってる、あんなの一生忘れられる気がしないぜ……」

 疲れた様子で頭を掻いたドクが曖昧な笑みを浮かべ、小さく頷いた鋭時(えいじ)は複雑な面持ちで呟いた。

次回の更新は8/25(金)の予定です

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ