第59話【白と黒】
鋭時達は偽研修生の生け捕りに失敗したが、
ささやかな収穫に満足していた。
「いらっしゃいませドクター。本日はどのような用向きでしょうか?」
「おはよう、チセリさん。鋭時君はいるかな?」
鋭時達が偽の研修生を返り討ちにした翌日、グラキエスクラッチ清掃店の入口でお辞儀をするチセリにドクが気さくに手を振って挨拶する。
「旦那様ならいらっしゃいますが、本日は……」
「分かってるよ、今日は検診日だったね。それでボクも着いて行こうと思うんだ」
俯いて言葉を濁すチセリに頷きを返したドクは、涼しい顔で目的を告げる。
「おいドク! 大概の野暮は見逃して来たけど、今回ばかりは聞けねえな!」
「マーくんっ! 教授の診察はわたし達の大事な時間なんですからっ!」
店の奥からミサヲが半ば呆れて声を荒げ、シアラも椅子に座った鋭時との間まで移動しながら不機嫌な表情を浮かべた。
「若奥様の言う通りです、ドクター。旦那様の診察は今のスズナ様にとって貴重な逢瀬の時間、出来ればご遠慮を」
「出来る事ならボクも鋭時君達の邪魔をしたくないよ、でも今回はボクがいた方がスムーズに説明出来ると思うんだ」
慎重に言葉を選ぶチセリの苦言を聞きながら深く頷いて店の中に入ったドクは、ソファの背もたれに腰を預けながら肩をすくめる。
「ほえ? どういう事ですかっ、マーくんっ?」
「もしかして星白羽の件か?」
言葉の真意を理解出来なかったシアラが小首を傾げ、しばらく考えていた鋭時が心当たりを聞き返した。
「星白羽……様? その方と旦那様はどのようなご関係でございますか?」
「詳しい事はスズナさんを交えて説明するけど、平たく言えば拒絶回避の正体だ」
初めて聞く名に今度はチセリが首を傾げ、頭を掻いたドクが簡潔に説明する。
「拒絶回避の正体が分かったのですか!? でも何故ドクターが?」
「詳しく説明出来るのがボクだけだからね」
思わず狼のような耳をピンッと立てたチセリが息を整えてから理由を尋ね、軽く頷いたドクは涼しい顔で肩すくめた。
「なら仕方ねえな……ヒラネ達も帰って来てるし、今日の駆除は2人を誘うよ」
「そうしてくれると助かるよ。本当はレーコさんを貸したいところだけど、先約があってね」
釈然としない様子で頭を掻いたミサヲが大きく伸びをし、安堵のため息をついたドクは複雑な笑みを返す。
「署長の所か……今回は何を企んでるんだ?」
「今はそれどころじゃないよ、昨日の後始末が片付いてない」
「そういう事なら分かった、行ってくるぜ」
腕組みしながら頷いたミサヲの悪戯じみた笑みにドクが涼しい顔で肩をすくめ、ミサヲは軽く頭を掻いてからミセリコルデを肩に掛けて出口に向かう。
「2人に星白羽をお披露目すんのは、帰って来てからだ」
「ははっ、お手柔らかに頼みますよ……お気を付けて」
すれ違いざまに声を掛けたミサヲに身をすくめた鋭時は、複雑な笑みを浮かべてぎこちなく手を振る。
「ミサちゃん、いってらっしゃーいっ!」
「いてらっしゃいませ、ミサヲお嬢様。では私達も参りましょうか?」
「さんせーいっ!」
大きく手を振るシアラの隣でお辞儀をしながら見送ったチセリが出口に手を差し伸べ、シアラは振っていた手を伸ばしたまま大きく頷いた。
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「いらっしゃーい、鋭時お兄ちゃん」
「ちょっとヒカル! それだといかがわしいお店になっちゃうでしょ!」
診察室に入った鋭時をナース姿のヒカルが悪戯じみた笑顔で迎え、椅子に座ったスズナが大声で注意する。
「何でヒカルさんがここに!? それにその格好は……?」
「スズナお姉ちゃんに頼んだのさ。服はここのを借りたんだよ」
驚く鋭時の疑問に答えたヒカルは、腰を軽く振ってスカートを揺らした。
「この間のチャイナドレスも良かったですけど、こっちの服も可愛いですよっ! ルーちゃん」
「ありがとう、シアラお姉ちゃん。鋭時お兄ちゃんはどう思う?」
鋭時の後ろから診察室に入って来たシアラが鼻息荒く何度も頷き、気を良くしたヒカルはスカートの裾を摘まみながら鋭時に微笑み掛ける。
「そ、そうだな……いいと思うよ……」
「いい事思い付きましたっ! 来てくださいっ、マハレタ!」
愛想笑いを返した鋭時が言葉を詰まらせながら軽く頷き、目を輝かせたシアラは着物の袖からヘビのぬいぐるみを取り出した。
「どうです教授っ? ルーちゃんとお揃いになりましたよっ!」
「あ、ああ……いいと思うよ……」
ナース姿になってヒカルの隣に立つシアラに、鋭時は複雑な笑みを浮かべながら相槌を打つ。
「むー……やっぱり刺激が足りないのでしょうか……? ルーちゃん、例のあれを見せてくださいっ!」
「いや、そういう意味じゃなく……」
「ごめーん、今日はあれ穿いて来てないんだ。でも見せられないもんじゃないし、ちょっと見てみる?」
しばらく腕を組んで考えていたシアラがヒカルのスカートに目を向け、制止する鋭時の言葉を遮ったヒカルが再度スカートの裾に手を伸ばした。
「だからヒカルさんも……」
「ヒカル! これ以上ふざけるにゃら、協力は無かった事にするわよ!」
慌てた鋭時が手のひらを向け、スズナも猫のような耳と2本の尻尾を立てる。
「勘弁してよ、スズナお姉ちゃん。ここからは真面目にするからさ」
「分かったのにゃら、わたくしが診察を始めるまで大人しくしてにゃさい」
思わぬ大声に身をすくめたヒカルが裾から手を離し、スズナは満足そうに頷いて聴診器型の術具を取り出した。
「助かったよ、スズナさん。ところで協力って言うのは……?」
「鋭時お兄ちゃんの動きを分析したかったから、スズナお姉ちゃんに頼んだのさ」
安堵のため息をついた鋭時が質問し、縁の赤い眼鏡を手に当てて微笑むヒカルがスズナに代わって自身の目的を答える。
「なるほど……星白羽の協力を得られない以上は、有効な策かもな……」
「えーじしゃま? 星白羽……さんとはどにゃたの事ですか?」
「そうだよ、鋭時お兄ちゃん? 星白羽なんて名前初めて聞くよ?」
ひとり納得した鋭時が頷き、スズナとヒカルが怪訝な表情を浮かべて口々に聞き返して来た。
「2人とも落ち着いてください。ドクターの言葉ですと、星白羽様は旦那様の拒絶回避に関わるお方だとか……」
「ドクの?……って、何でドクがここにいるのよ!?」
鋭時の後ろに控えていたチセリが静かに窘め、部屋の入口に立つドクに気付いたスズナが思わず大声を上げる。
「新しく分かった事を説明出来るのがボクしかいないからね、野暮は承知で着いて来たんだ」
「そういえば昨日は偽研修生に会ったんだよね? 成果は……もしかして聞いちゃいけない事だった?」
涼しい顔で理由を説明したドクにヒカルが食い入るように質問するが、徐々にトーンダウンして気まずそうに頬を指で掻いた。
「真鞍署長から口止めされてるから詳しくは話せないけど、偽研修生の生け捕りは出来なかったんだ」
「でも大きな手掛かりが見付かりましたっ! 教授の記憶が戻れば拒絶回避も無くなるってわかったんですっ!」
複雑な表情で首を横に振ったドクを遮るように、満面の笑みを浮かべたシアラが身を乗り出す。
「本当ですか!? 詳しく教えてください、シアラちゃん!」
「えー……っと、それは……」
予期せぬ手掛かりに興奮したスズナが椅子から立ち上がって聞き返し、シアラは目を泳がせながら口籠ってしまった。
「悪いな、スズナさん。俺もシアラもイヌガミに関してはさっぱりなんだ」
「犬神ですって!? 旦那様、拒絶回避と犬神にどのようなご関係が!」
気まずそうに頭を掻いた鋭時が愛想笑いを浮かべると、今度は後ろに控えていたチセリが尻尾を激しく振りながら顔を近付ける。
「チセリさんも落ち着いてくれないか? ドクが順を追って説明するからさ」
「失礼しました、旦那様。説明をお願い出来ますか、ドクター?」
「任せてくれ。イヌガミとは暗示装置で脳内に専用の人格回路を作り出し……」
制止した鋭時の両手のひらを見て我に返り頭を下げたチセリが振り向き、目が合ったドクは軽く深呼吸をしてから説明を始めた。
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「……接客用に開発された疑似多重人格なんだ」
「ありがとうございますドクター、長年の疑問が解消されました。では、旦那様の中にイヌガミが?」
説明を終えてひと息ついたドクにチセリが深々と頭を下げ、躊躇いがちに鋭時の顔を見詰める。
「本来の用途を考えればイヌガミはスムーズに会話が出来るんだけど、星白羽君は特殊な事情があるからね」
「俺ハ、話スノガ苦手ダ」
頬を指で掻いたドクが複雑な表情で肩をすくめると、鋭時の口から無機質な声が発せられた。
「旦那様?……いえ、あなたが星白羽様ですね?」
「ソウダ」
心配そうに鋭時の顔を眺めたチセリが確信と共に聞き直し、星白羽は短く頷く。
「お初にお目に掛かります。私は……」
「知ッテイル、凍鴉楼ノ管理人」
「左様でございますか、失礼しました。いつも旦那様の中におられたのですよね」
丁寧な仕草でお辞儀をしたチセリの言葉を星白羽が遮り、チセリは力無く尻尾を下げながら頭を下げた。
「おい星白羽、そんな言い方は!……って、急に戻るなよ。すまないチセリさん、どうやら回避能力に全振りしてて俺より口下手みたいなんだ」
「いえ、お気になさらずに。今はイヌガミについての調査を優先しましょう」
苦言を呈そうとした途端に主導権が戻った鋭時がぎこちなく愛想笑いを浮かべ、チセリは静かに首を横に振ってから微笑み掛ける。
「そう言ってもらえると助かるけど、パスコードが分からないと何も出来ないのが実情でね……」
気恥ずかしそうに頷きを返した鋭時がしばらく考え、複雑な笑みを浮かべて頭を掻いた。
「ねえドク、暗示装置ってどこにあるか分かるかい?」
「ちょっとヒカル! そんにゃ事聞いてどうすんのよ?」
鋭時とチセリのやり取りを見ていたヒカルが赤い縁の眼鏡に手を当て、スズナが慌てて問い質す。
「暗示装置を解析すれば、パスコード無しで設定変更出来るかもって思ったんだ。ぼくの端末では鋭時お兄ちゃんの頭を解析出来ないからね」
「ふむ……用途と歴史を考えたらステ=イション型、ロジネル型のどちらにもある筈だが……」
頭の後ろで手を組んで微笑んだヒカルが冗談交じりに眼鏡の縁を軽く持ち上げ、ドクは顎に手を当てて考え込んだ。
「でもそんな装置、見た事も聞いた事も無いよ?」
「確かにイヌガミは人間専用の装置だから、ジゅう人には無用の長物か……」
目を閉じてしばし記憶をたどったヒカルが小首を傾げ、腕を組んだドクも静かに首を横に振る。
「考えてみりゃ、博物館にも展示してなかったな……」
「ステ=イションで開発した技術だけど、ジゅう人が早い段階で定着したからね」
「じゃあ、他の居住区を探すしかないか~」
しばらく記憶を辿ってから首を横に振った鋭時にドクが涼しい顔で肩をすくめ、ヒカルは複雑な表情で頷いた。
「ならボクから署長さんの方にそれとなく話を通しておくよ」
「それは少し待ってくれないかな、ドク? 少し試したい事があるんだ」
小さく頷いてから微笑んだドクに手のひらを向けて制止したヒカルは、再度頭の後ろに手を組んでから悪戯じみた笑みを浮かべる。
「ん? 別に構わないけど、無茶だけはしないでね」
「分かってるよ、ドク。もしかしたら協力を頼むかもしれないけどね」
思わぬ反応に肩をすくめたドクが軽く頷き、ヒカルも悪戯じみた笑みを浮かべたまま頷いた。
「本当に大丈夫にゃのかしら?……でも、えーじしゃまの中に水面の王子しゃまがいたにゃんて」
「ははっ……言われてみれば、王子は星白羽の方だったな」
小さくため息をついたスズナが目を細めて舐め回すように鋭時の全身を見詰め、熱視線を浴びた鋭時は頭を掻きながら複雑な笑みを浮かべる。
「そうだっ! スズにゃんの術式で王子様を外す事ってできますかっ?」
「せーしろーしゃまが魔術的にゃ存在でしたら治療法も思い付くのですが、脳内の人格とにゃると……」
同じく鋭時を見詰めていたシアラが思い出したようにスズナに顔を近付けるが、スズナは静かに首を横に振った。
「そうですか……」
「ステ=イションの医者が総力を挙げても見付けられにゃかった程に、今の医療は術式に依存してますので……」
力無く笑いを浮かべたシアラがそのまま肩を落とし、スズナも聴診器型の術具を手に取りながら俯く。
「ステ=イションでイヌガミを使ってた時期もあるんだし、記録くらい残ってると思うよ」
「ドクに仕切られるのは癪ですけど、仕方ないですね。本日の診察が終わったら、各病院に連絡してみます」
腕を組んで考えていたドクの提案に不機嫌な表情を返したスズナは、聴診器型の術具を手にしたまま反対側の手で肩に掛かった髪を掬うように払った。
「やっぱり診察はするんだ……」
「当然です! えーじしゃまの健康管理もわたくしの大事にゃ役目ですから!」
指で頬を掻きながら呟く鋭時に、スズナは聴診器型術具を手にして前屈みに顔を近付ける。
「ボクはお邪魔のようだね、ごゆっくりどうぞ」
「ちょっ!? ドク!?……」
スズナの様子を見て肩をすくめたドクが診察室を出て行き、慌てて呼び止めた鋭時は間に合わずにゆっくりとスズナの方を向いた。
「それではえーじしゃま、いつものように服をお脱ぎください」
「はぁ……覚悟は決めた筈なのに、どうにも慣れないんだよな……」
興奮を隠せない様子のスズナが満面の笑みを浮かべ、女性陣全員がスズナの傍にいる事に気付いた鋭時はスーツのボタンを外しながらため息をついた。
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「昼はマキナさんの所でいいかな?」
「ここらでボクは単独行動させてもらうよ、これ以上邪魔をするのは忍びない」
病院を出て軽く伸びをした鋭時にドクが軽く手を振り、そのまま別行動を取ろうとする。
「せっかくですから、お昼はご一緒しませんか? 星白羽様をマキナ様に紹介する必要もありますし」
「マキナさんか……確かに知って置いてもらった方が後々楽だな……」
柔らかい物腰で引き止めたチセリが丁寧な仕草でお辞儀をしてから微笑み、足を止めたドクはしばらく考えてから静かに頷いた。
「かしこまりました、ドクター。旦那様もよろしいでしょうか?」
「もちろんオッケーだよ、ドクがいてくれると何かと心強い」
丁寧な仕草でお辞儀をしたチセリに、鋭時も快く頷く。
「教授が決めたのなら、わたしもオッケーですよっ!」
「ありがとう、ご一緒させてもらうよ」
鋭時のスーツの袖を掴んだシアラも満面の笑みを浮かべ、軽く頷いたドクは顔を微かに綻ばせて同じ道を歩き出した。
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「来たようですね、こちらのスパゲッティが旦那様のですね?」
「ありがとうチセリさん」
全自動食堂マキナの壁際の椅子から立ち上がって配膳用ロボットの前に移動したチセリは、スパゲッティナポリタンの載った皿を斜め向かいの鋭時の前に置く。
「どういたしまして、旦那様。こちらのパンケーキが若奥様で、ドクターはチーズバーガー?」
「昔の知り合いの大好物で、よくテイクアウトして食べてたんだよ。それでボクも久しぶりに食べたくなってね」
軽く頭を下げてから正面のシアラに皿を置いたチセリが次の皿を取る手を止め、隣に座っていたドクが照れ笑いを浮かべながら理由を話した。
「そういやこっちでもテイクアウト出来るんだったな、今度使ってみるか……」
「今度使ってみましょうねっ、教授っ! ではいただきましょうっ!」
振り向いて入口付近にある巨大な自動販売機を眺める鋭時に、同じく振り向いて頷いたシアラがテーブルに向き直る。
「そうだな、生きてさえいればいつでも使える……いただきます」
軽く頷いて小さく呟いた鋭時は両手を合わせ、粉チーズを掛けてからフォークを手に取った。
フォークで絡めたスパゲッティを入れた鋭時の口の中に、小気味良く切れる麺の歯応えと共にトマトケチャップの風味が広がる。
噛み締めるたびに広がる酸味と甘味に粉チーズやベーコンの旨味と玉ねぎなどの野菜の歯応えが混じり、満足して飲み込んだ鋭時は次のスパゲッティをフォークで絡め取って口に入れた。
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「ところでチセりんは、いつもペンネですよねっ」
ふと気が付いてパンケーキを食べる手を止めたシアラは、トマトソースを絡めたペンネを口に入れたチセリの方に顔を向ける。
「詳しく話すと長くなりますが、エネルギー効率と食べやすさを考えた依施間家の伝統食と言ったところでしょうか」
「チクラさんも同じものを食べてたけど、そういう理由があったのかい」
静かに噛み締めたペンネを飲み込んだチセリが口元に手を当てて微笑み、店の奥から出て来たマキナが納得しながら頷いた。
「マキナママ! こんにちはーっ」
「こんにちは、シアラちゃん。今日はなんだか珍しい組み合わせだねえ」
振り向いて大きく手を振るシアラに軽く手を振って返したマキナは、テーブルを見回してから首を傾げる。
「ヒカル様は病院でスズナ様の手伝いを、ミサヲお嬢様はヒラネ様達と【遺跡】に行きましたので」
「そうなのかい、今日は鋭時くんの検診だったんだね?」
「はい、ドクターにも同行いただきました」
立ち上がって頭を下げたチセリの説明を聞き終えたマキナが頷き、チセリは再度頭を下げた。
「ドクが? そりゃまた随分と野暮な事をしたもんだねえ」
「いえ、ドクターには旦那様の拒絶回避について説明をいただきました」
思わぬ言葉に驚き呆れるマキナに、チセリは静かに首を横に振ってから微笑みを返す。
「鋭時くんの? それは是非聞かせておくれよ」
「もちろんだ、マキナさんにも説明する為にボクが同行したんだから」
更に思わぬ言葉に狐のような耳を立てたマキナが狐のような尻尾を揺らしながら近付き、快く頷いたドクは星白羽に関する説明を始めた。
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「そういう事だったのかい……星白羽くんは好きな食べ物とかあるのかい?」
「俺は《居ヌガ身》、味覚モ燈川鋭時ト共有シテル」
説明を聞き終えて深く頷いたマキナが鋭時に声を掛けると、体の主導権を奪った星白羽が静かに答える。
「星白羽くんは鋭時くんと同じ体に入ってるから仕方ないわね」
「ココノ料理ハ美味シイ、感謝シテル」
「あらあら可愛いところもあるじゃないの、これからも鋭時くんを頼んだよ」
「可愛いだってよ、星白羽。よかったな」
耳と尻尾を力無く下げたマキナに星白羽が短く頭を下げ、優しく微笑みを返して店の奥へと戻るマキナを見送りながら主導権を取り戻した鋭時は笑いを堪えながら胸に手を当てた。
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「さて、午後はどうしようか?」
「できれば教授と2人きりになりたいのですが……」
ひと息ついたドクがテーブルを見回し、シアラは鋭時を見詰めながら遠慮がちに声を上げる。
「それなら地下訓練室を使うといいよ。元々ボク達4人しか入れない設定にしてるからね」
「ではドクター、今から旦那様と若奥様だけが入れるよう設定しますね」
即座に場所を提案したドクが肩をすくめ、隣でチセリが眼鏡を通じて管理AIにアクセスを始めた。
「よろしく頼むよ、チセリさん。終了は何時に設定するか……」
「それでは旦那様と若奥様が部屋を出た時に設定を戻すようにしましょう」
軽く微笑んでから考え込むドクに、チセリはあっさり解決策を提示する。
「ありがとうっ、チセりんっ! そんなに長くならないと思いますよっ!」
「はい、心行くまで逢瀬をお楽しみくださいませ」
深く頭を下げたシアラが満面の笑みを浮かべ、チセリも応援するように微笑みを返してから丁寧な仕草でお辞儀した。
「いや待て、色々と待て……」
「細かい事はいーじゃないですかっ、教授っ!」
「あのな……」
息もつかせぬ展開で予定を決められた鋭時が慌てて声を上げるが、スーツの袖をシアラに掴まれてため息交じりに言葉を呑んだ。
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「今日は黒モードをお披露目しようと思いますっ!」
「昨日話してた戦闘用の?」
地下訓練室に入ると同時に胸を張ったシアラに、鋭時は曖昧に頷いてから慎重に聞き返す。
「そのとーりですっ! まずはツォーンから行きますよっ!」
「ん? その服は……」
大きく頷いて答えたシアラが腰に付けたネコのぬいぐるみに触れると同時に黒く変わり、鋭時は同時に変化した黒い服を見ながら小さく声を上げた。
「教授の好みだと思って、服はだーくめさんを参考にしましたっ!」
「あのな……」
多数のフリルに包まれた鳥かごのように膨らんだスカートの裾を掴んだシアラが微笑み、鋭時は呆れた様子で額に手を当てる。
「この格好の時はマジックキャンセラーでも消せない術式を発動できますっ!」
「それで昨日は窮地を脱したのか……でもマジックキャンセラーを破る術式なんてどうやって?」
気を取り直したシアラが結界服の能力を簡潔に説明し、鋭時は興味を持って聞き返す。
「詳しい事は言えないのですが、2つの術式を結界の中で融合させますっ」
「なるほど、俺には真似出来ない芸当だ。たいしたもんだよ……」
指で頬を掻いたシアラが口ごもり、鋭時は軽く頷いてから微笑みを返した。
「えへへ……次はマハレタですねっ! この仔は近接戦闘に特化しましたっ!」
鋭時を見詰めながら照れ笑いを返したシアラが黒く変わったヘビのぬいぐるみを袖から取り出して腰に付け、裾を膝上まで短くした黒い着物姿に変わる。
「近接? その水みたいな膜は?」
裾の下から覗く白いタイツから目を逸らした鋭時は、シアラの周囲を覆う透明な膜に気付いて聞き返した。
「シロちゃんのスライム体を参考にした水結界ですっ! これでどんな攻撃も受け流せますっ!」
「ん? 普通の結界服でも戦略術式に耐えられるんじゃなかったか?」
腰回りの水結界を軽く撫でたシアラが大きく胸を張り、鋭時は首を捻って疑問を返す。
「ZKの攻撃でも破けないのは確かなんですが、押し返されたり跳ね飛ばされたりしますので……」
「なるほど、シアラも色々考えてんだな」
両手で裾を掴んだシアラが顔を赤らめて頷き、得心の行った鋭時は感心しながら深く頷いた。
「続いてマフリクですねっ! この仔は砲撃能力を上げましたっ!」
気を取り直して微笑んだシアラがヒツジのぬいぐるみを腰に付け、黒いボディスーツの上に白い軍服を羽織った姿になる。
「砲撃って【高速石弾】みたいな術式か?」
「はいっ! マーくんの銃を参考に組み上げた電磁誘導術式を使って石弾を高速で連射できますよっ!」
「ドクが聞いたら興味を持ちそうな仕掛けだな……」
体のラインが見えない軍服へと視線を向けた鋭時に大きく頷きを返したシアラが体の向きを変え、鋭時は視線を上に向けながら誤魔化すように感心した。
「いつかはマーくんにも見せてあげましょうねっ! 最後はヴィーノですっ!」
楽しそうに微笑んだシアラが黒く変わったウサギのぬいぐるみを腰に付け、白いフリルがスカートのように揺れる黒いレオタード姿になる。
「おっと……それはどういう目的の……?」
「わたしの【証】を利用して空を飛べるようにしましたっ!」
起伏の少ない柔らかな稜線を目の前にした鋭時が言葉を詰まらせながら質問し、軽く息を吸って頷いたシアラは背中から蝙蝠のような羽を広げた。
「羽と尻尾、それに角もあるんだな……」
「どう……ですか? 教授っ?」
羽と同時に視界に入った先端がハートの形をした細い尻尾をしばし眺めた鋭時が髪の間の小さな突起に気付き、後ろ手を組んだシアラが上目遣いで尋ねる。
「シアラの本当の姿なんだよな? 上手く言えないけど可愛いと思うよ……」
「ありがとうございますっ! 記憶が戻ったら最後の【証】も見てくださいっ!」
「残りは確か……その時が来たら見るしか無いんだろうし、覚悟は決めとくよ」
遠慮がちだが力強く頷いた鋭時に満面の笑みを返したシアラが腹部を軽く撫で、鋭時は頭を掻きながら複雑な笑みを返した。
「ちょっと大げさですよっ、教授っ!」
「そうかもな……でもシアラだって今の格好になる時は相当覚悟をしたんだろ?」
大笑いしたシアラが再度腰の後ろに両手を回し、釣られて笑った鋭時は軽く息を整えてから真剣な表情で聞き返す。
「確かにちょっとだけ勇気を出しましたけど、教授なら優しく受け入れてくれると信じてましたからっ!」
口元を緩ませつつも神妙な面持ちで俯いたシアラは、すぐに目を大きく見開いて鋭時を見詰めた。
「一応予備知識はあったからな……」
「ほえ? 何の事ですかっ?」
指でこめかみ辺りを掻きながら呟いた鋭時に、シアラは小首を傾げて聞き返す。
「何でもないよ、色々とありがとな」
「どういたしましてっ! 教授もきっと王子様と分かり合えると思うんですっ!」
慌てて首を横に振った鋭時が誤魔化すように微笑み、嬉しそうに微笑みを返したシアラは鋭時の顔と胸辺りを交互に見詰めた。
「そういう事か……ありがとうシアラ、俺も今の自分と向き合ってみるよ」
「ソレナラ、訓練ガ良イダロウ」
得心の行った様子で頷いた鋭時が頭を掻いて礼を述べた直後、星白羽が主導権を奪って口を開く。
「いきなり出てくんな、星白羽。今まで救ってくれた恩もあるし、取り敢えずDDゲートで実力を確認するぞ」
「任セロ」
主導権の戻った鋭時が複雑な表情で訓練室中央の装置を見詰め、再度主導権を奪った星白羽が小さく頷いた。
「起動確認、いつでも行けるぜ」
「ありがとうございますっ! 教授も王子様と仲良くしてくださいねっ!」
DDゲートの操作を終えた鋭時に礼を述べたシアラは、そのまま顔と胸を交互に見詰めて微笑む。
「おーいシアラさん……言いたい事は大体分かったよ。よろしく頼んだぜ、相棒」
「相棒……悪クナイ響キダ」
苦言を呈そうと口を開いて小さくため息をついた鋭時が胸を軽く叩き、すぐさま主導権を奪った星白羽は口元を緩めて微笑んだ。




