第58話【居ぬが身】
それぞれの機転で命の危機を脱した掃除屋達、
未だ窮地にいる鋭時は、体が勝手に動き出した。
(なんで急に体が……?)
「落チ着ケ、コノ体ヲ守レト命令シタダロ」
(命令? どういう事だ?)
事態を理解出来ないままの鋭時が考えを巡らせ始めると、勝手に動き出した体が肩に手を当てて窘める。
「ハッ! 何をブツブツ言ってやがんダ!」
「無駄ダ、攻撃ハ見切ッテル」
(この動き!? これが俺なのか?)
苛立った様子のドウシュウが水流で軌道を変えた鎖を打ち付けるが、鋭時の体は僅かに軸足を逸らして躱した
「ちょこまかト! 武器も無いのに往生際が悪過ぎるゼ!」
「俺ニ触レルノハ、許サナイ」
(何をする気だよ!)
水流に意識を集中したドウシュウが何度も鎖を持ち上げては振り下ろし、全てを躱した鋭時の体は袖から銛と釣り針を合わせた形状の首飾りを取り出す。
「あ-ン? そんな金具で何が出来るんだヨ!」
「【圧縮空壁】……無駄ダ」
(防御術式を刃にするとか、俺の発想そのままじゃないか!)
すぐに警戒を解いたドウシュウが鎖を打ち付けるが、術式を発動した鋭時の体は高密度の空気を纏った釣り針を振って鎖を切り落とした。
「なっ!? 何しやがっタ!?」
バランスを崩したドウシュウが慌てて体勢を戻すと同時に鋭時の体が無言で踏み込み、ドウシュウの肩に銛のように尖った釣り針の先端を刺す。
「ぐぁ!? 何なんだよ、こいつ?」
苦痛に顔を歪めたドウシュウが肩を押さえながら距離を置き、鋭時の体は慎重に距離を詰めながら釣り針を構え直した。
「分かった、降参するゼ。何でもするから見逃してくれヨ?」
(くっ、生け捕りにしないと情報が……)
切れた鎖を捨てたドウシュウが両手を上げ、釣り針を構えて近付いていた鋭時の体は動きを止める。
「甘いゼ、【水流操作】!……はァー!?」
「俺ハ、嘘ヲ許サナイ」
(やっぱりそうなるよな~……)
頭を下げたドウシュウがパーカーの下から新たな鎖を取り出して打ち付けるが、鋭時の体は釣り針で鎖を切り落とした。
「ま、待て……うわぁぁぁァ!」
(やばい! このままだと手掛かりが!)
鎖が切れた事で水流を操る術式がドウシュウに向かい、鋭時は体が動かないまま心の中で叫ぶ。
(あ……)
「かはッ!?……」
自分の意思で体を動かそうと足掻く鋭時の目の前で、背を向けて逃げようとしたドウシュウが水流に喉を貫かれて地面に倒れた。
「頭ヲ返スゾ、燈川鋭時」
「何だって!?……っと、声が戻ったのか……」
緊張を解いた体が釣り針を袖に戻し、鋭時は自分の声に驚いて喉に手を当てる。
「体も戻ってる……まずはアーカイブロッドだ」
自分の意思で動く手足を確認した鋭時は、遠くに飛ばされたアーカイブロッドの元へ走った。
▼
「【治療光】……分かっちゃいたけど、手遅れか……」
取り戻したアーカイブロッドに意識を集中した鋭時が治癒術式の発動をするが、倒れたドウシュウは全く息を吹き返さずにため息をつく。
「俺の命を狙ってたとはいえ、気の毒な最期だ……」
思わぬ幕切れに複雑な表情を浮かべた鋭時は、アーカイブロッドをスーツの袖に組み込んだ収納術式に戻した。
「しかし、手掛かりどころじゃなくなったな……」
「教授ーっ! ケガはありませんかっ!」
額に手を当てた鋭時が考え込んだ瞬間、背後から弾むような声が飛んで来る。
「シアラ!? よかった、無事だったか……」
「うわわっと……って、まさか教授がこれを!?」
和服を着た声の主を確認した鋭時が安堵のため息をつきながら体の軸を逸らし、勢い余って通り抜けたシアラは倒れたドウシュウに気付いて驚きの声を上げた。
「まあ、そうなるな……説明はドクと合流してからでいいか?」
頬を指で掻きながら複雑な笑みを浮かべた鋭時は、軽く屈伸してから元来た道を親指で指し示す。
「わかりましたっ! では行きましょうっ!」
「いえ、こちらで待機をお願い出来ますか?」
満面の笑みを返したシアラが鋭時のスーツの袖を掴むと同時に、女性の姿をした立体映像が2人の前でお辞儀した。
「おっと……レーコさんか。ドクも無事なんだな?」
「はい、ミサヲさんと合流してこちらに向かって来ています」
概ねの状況を把握した鋭時が軽く頷き、笑顔を表示したレーコさんは再度丁寧な仕草でお辞儀する。
「そういう事なら、少し待つか」
「わかりましたっ!」
状況を理解して頷いた鋭時が近くの縁石に親指を向け、シアラは袖を掴んでいた手を離して大きく頷いた。
▼
「それにしても……」
「公園で教授と2人きりですかぁ……」
しばらくして縁石に腰掛けた鋭時が重々しく口を開き、ひとつ離れて隣の縁石に座ったシアラも遠い目をして呟く。
「冗談でもデートなんて言える気分じゃないな……」
「ですねぇ……」
倒れたドウシュウを見張りながら頭を掻いた鋭時にシアラが力無く相槌を打ち、再度沈黙が2人を支配した。
▼
「シアラぁー! 大丈夫だったかーっ!」
「うわわっ……むぎゅぅ」
いつまでも続くかと思われた静寂をミサヲの大声が破り、豊満な胸の谷間に顔を埋めたシアラが手足をバタバタと動かす。
「無事で何よりですけどスキンシップは程々にしてくださいよ、ミサヲさん」
「ああ、鋭時も無事で何よりだ」
安堵のため息をついた鋭時が複雑な顔で立ち上がり、谷間から覗くシアラの頭を軽く撫でたミサヲが振り向いて微笑みを返した。
「ふむ……やはり苦戦させてしまったかな……」
「無事だったのかドク! すまない、生け捕りは無理だった……」
倒れたドウシュウに気付いたドクが静かに俯き、胸を撫で下ろした鋭時は静かに首を横に振る。
「それはボクも同じだよ、かなり苦戦を強いられた」
「あたしもな……まさか足止めじゃなくて命を取りに来るなん思わなかったぜ」
複雑な笑みを浮かべたドクが肩をすくめ、ゆっくりとシアラを降ろしたミサヲもため息をついて頭を掻いた。
「大丈夫ですか、ミサちゃん!? ケガはありませんかっ?」
「問題無いぜ。それよりシアラはどうだったんだ?」
足元から声を掛けて来たシアラの頭を撫でながら微笑んだミサヲは、そのまましゃがんで聞き返す。
「わたしも命を狙われました……まさかマジックキャンセラー使うなんて……」
「なんだって!? シアラこそ大丈夫なのかよ!?」
身震いするようにして俯いたシアラが躊躇いがちに口を開き、近くで聞いていた鋭時が慌てて聞き返した。
「ご安心くださいっ! 大事な所は見られませんでしたからっ!」
「おーいシアラさん、俺が心配してんのは……ともあれ無事で何よりだ」
堂々と胸を張るシアラに呆れた鋭時だが、苦言を途中で止めて優しく微笑む。
「敵の思惑を見誤ってたよ、すまない」
「いや、ドクの判断は正しかったぜ。俺の考えてた作戦だと、こっちが更に不利になってたよ」
神妙な顔付きをしたドクが頭を下げるが、手のひらを向けてから首を横に振った鋭時は指で鼻の頭を掻きながら俯いた
「鋭時の言う通りだぜ、あたし達はともかく向こうはお構いなしだからな」
「ふむ……確かにボク達は手の内を隠すのが不文律だからな」
同意するように頷いたミサヲが小さくため息をつき、しばらく考え込んだドクも静かに頷く。
「あのマジックキャンセラーにみなさんを巻き込んでたと思うと……」
「俺も真っ先にアーカイブロッドを狙われたからな……」
「こっちも【耐雷防壁】を使うタイプ雷獣なんて初めてだぜ」
再度身震いするように俯いたシアラの横で鋭時がスーツの右袖に視線を落とし、ミサヲも肩のミセリコルデを揺らしてため息をついた。
「そういえばマーくんはどうだったんですかっ?」
「ボクも発明品の悉くが【融解焼壁】に焼かれて苦戦したよ」
重苦しい空気を振り払うようにシアラが口を開き、ドクは相手の手の内を簡潔に説明してから肩をすくめる。
「ドクを苦戦させるなんて、奴等は相当念入りに計画立ててたみたいだな……」
「飛び道具ばかり得物にしてるから、どうしてもね」
驚きを隠す事無く鋭時が呟き、ドクは静かに頷いて複雑な笑みを返した。
「ドクは本も入れてるからだろ?」
「それでもLab13には若干の余裕があったからね、何とか命拾い出来たよ」
2人の会話を聞いていたミサヲが呆れた様子で頭を掻き、ドクはばつが悪そうに笑みを返して肩をすくめる。
「確かドクの使うそれって、収納術式じゃ無いんだよな?」
「ああ。収納術式を生体演算装置だけで再現すると、ボクが2人入れるスペースを作れるんだ」
躊躇いがちに肩口辺りを指差した鋭時に軽く頷いたドクは、Lab13に指の先を入れながら簡潔な説明した。
「そいつは便利そうだな、今度教えてくれないか?」
「こいつは脳への負担が大きいから、いくらミサヲさんの頼みでも難しいかな?」
少し離れて説明を聞いていたミサヲが興味を示して近付き、ドクは白衣のような黒服のポケットに手を入れてから静かに首を横に振る。
「分かった。ドクがそこまで言うなら仕方ないな……」
「ご理解感謝するよ」
軽く頭を掻いたミサヲが静かに頷き、ポケットから手を出したドクも軽く頷きを返した。
「ところで鋭時君はどうやって窮地を脱したんだい?」
「そうだな……どう説明すれば……」
密かに安堵のため息をついたドクが気を取り直して倒れているドウシュウに目を向け、鋭時は言葉を濁らせる。
「ただの知的好奇心だから答えられる範囲でいいよ?」
「それが、俺も良く分からないんだ……」
軽く手を振ったドクが警戒を解くように微笑むが、鋭時は沈んだ顔で首を横に振った。
「分からない? 確かに自滅してるようだが……」
「鎖を切ったのは俺だよ。でも……体が勝手に動いたんだ」
倒れているドウシュウを確認しながら聞き返したドクに、鋭時は頭を掻きながら慎重に答える。
「ほえ? 教授の中に誰かがいるんですかっ?」
「言われてみれば……俺の中に死神でもいるのか?」
話を聞き終えたシアラが小首を傾げ、軽く頷いた鋭時は冗談めかして自分の胸に手を当てた。
「俺ハ死神デハナイ」
「教授っ!? どうしたんですかっ!」
突然鋭時の口が無機質な声を出し、シアラは思わず身構える。
「シアラに手を出すな!……戻った!? すまない……口が勝手に……」
「今ハ危害ヲ加エナイ、命令ダカラナ」
自分の体を止めようと大声を上げた鋭時が主導権を取り戻すが、すぐに謎の声に奪い取られる。
「何なんだよ、お前は!?」
「俺ハ、オ前ノ《居ヌガ身》ダ」
再度自分の主導権を取り戻した鋭時が問い質すと、謎の声が呆れた様子で質問に答えた。
「やはり拒絶回避はイヌガミだったのか……」
「犬神ってチセリが前に言ってた?」
「どうすれば教授に触れるようになるんですかっ? マーくんっ!」
謎の声が発した言葉を聞いたドクが得心の行った様子で頷き、ミサヲとシアラが同時に疑問を口にする。
「待ってくれ、ボクもやっと確信を持てたんだ」
「じゃあドクはイヌガミの事を知ってるのか?」
困惑したドクが慌てて両手のひらを向け、今度は鋭時が質問を投げ掛けた。
「イヌガミは[INserted Unafraid Graceful Action Mechanical Individuality]から取った頭文字で、業務代行疑似人格とでも言えばいいかな?」
軽く深呼吸したドクは、イヌガミについて簡単に説明してから頭を掻く。
「人格? 機械を使うのに?」
「暗示装置で脳内に専用の人格回路を作り出し、接客や電話対応に使うんだ」
説明を聞き終えた鋭時が首を傾げ、ドクはイヌガミの仕組みを説明してから肩をすくめた。
「何でまた、そんな大掛かりな事を……?」
「直接人と触れ合う業務というのは、場合によって理不尽な客の対応までする」
仕様技術に対する目的の狭さに疑問を持って呟いた鋭時に、ドクは用途の本質を簡単に説明する。
「確かに何でもロボットやゴーレムに任せっきり、って訳にも行かないよな」
「それでシショクの12人は適応人材の不足を見越して、適性の無い者でも業務をスムーズに出来るよう開発したんだ」
ロジネル型居住区の労働力事情を思い出した鋭時が深く頷き、ドクは奇妙な接客技術が開発された理由を簡単に説明した。
「でもよ、接客と拒絶回避に何の関係があるんだい?」
「接客は基本的に、客と触れないようにするものだからね」
両者の接点が見付からずに首を捻る鋭時に、ドクは至極単純な答えを返して肩をすくめる。
「つまり、客とぶつからずに移動する能力って事か?……」
「俺ノ接触回避機能ハ、最大ニ設定サレテル」
しばらく考えて拒絶回避の正体を推測した鋭時に、《居ヌガ身》が鋭時の口から答えを返した。
「まさか接客マニュアルの数値を変えただけで、拒絶回避になるなんてね……」
「誰が考えたか知らんが、とんだチートだぜ……」
「何ヲ言ッテル? 忘レタノカ?」
肩から崩れ落ちるように力無く笑うドクに続いて鋭時もため息をつくが、またも《居ヌガ身》が主導権を奪う。
「もしかして王子様は教授の事を知ってるんですかっ!?」
「おーいシアラさん、その呼び方は止めようね~……」
瞳を輝かせてスーツの袖を掴んだシアラに、鋭時は呆れた様子で苦言を呈する。
「ほえ? では教授の中の方は何とお呼びすればいいんですかっ?」
「俺ノ名ハ星白羽、燈川鋭時ガ名ヲ付ケタ」
小首を傾げたシアラが鋭時の胸の辺りを見詰め、主導権を奪った《居ヌガ身》が淡々と名乗った。
「何も思い出せないな……記憶を失う前の話か?」
「ソノ通リダ」
主導権が戻った手で頭を押さえた鋭時が小さく呟き、星白羽は再度体の主導権を奪って頷く。
「じゃあ記憶を失う前の教授を知ってるんですねっ!」
「俺ノ記憶能力ハ、最低値ニ設定サレテル」
大きく目を見開いたシアラが詰め寄るが、主導権を奪ったままの星白羽は静かに首を横に振った。
「なるほど、回避技能のみを上げた代償という訳か」
「せっかく手掛かりが見付かったと思ったのに、ふりだしですかぁ……」
拒絶回避の本質を理解したドクが静かに頷き、シアラは力無く項垂れる。
「そうでもないかもよ? シアラさん」
「ほえ? マーくん、どういう事ですかっ?」
顎に手を当てたドクが軽く頷き、シアラは小首を傾げて聞き返した。
「拒絶回避の正体が疑似多重人格で意思疎通出来るなら、交渉も出来ないかな?」
「あっ! ハグしても逃げないように頼むんですねっ!」
遠回しに説明したドクの言葉を理解したシアラが頷き、満面の笑みを浮かべて鋭時を見詰める。
「いや待て、色々と待て……」
「俺ハ、人ニ触レナイ命令ヲ受ケテル」
主導権を取り戻した鋭時が慌てて口を開こうとするが、星白羽が主導権を奪って首を横に振った。
「女の子に抱き着く接客なんてあったら、確かに大問題だ」
「それじゃあ教授にハグできないじゃないですかっ!」
納得して頷いたドクが肩を震わせて笑い、シアラは鋭時とドクを交互に見ながら大声を上げる。
「なあ星白羽、シアラが抱き付く時だけは堪えてくれねえか?」
「命令ニ反スル事ハ出来ナイ」
「なんだよ、色男の癖に融通が利かねえな……」
後ろで静観していたミサヲが愛想笑いを浮かべて妥協を持ち掛けるが、星白羽に素気無く断られて頭を掻きながら不満を口にした。
「ダメですよっ、ミサちゃんっ! スズにゃんやチセりんもいるんですからっ!」
「悪かったよ、シアラ。2人も繁殖を楽しみにしてんだったな」
軽く深呼吸したシアラが静かに首を横に振り、ミサヲは頭を掻いて曖昧な笑みを返す。
「ふむ……星白羽君、麻酔を受けるまで回避しないようには出来ないかな?」
「麻酔?……そうか! 先に分子分解術式を取り除くんだな……!」
しばらく考え事をしていたドクが新たな提案を持ち掛け、主導権の戻った鋭時が興奮気味に聞き返した。
「業務中ニ手術ヲ受ケル権利ハ無イ」
「確かに職務放棄は大問題だね」
鋭時が話し終えた直後に主導権を奪った星白羽が淡々と答えて首を振り、ドクは再度肩を震わせて笑い出す。
「笑い事じゃねえだろドク! 星白羽もどうにか曲げらんねえのかよ?」
「命令ノ変更ガ必要ダ」
苛立ち紛れに怒鳴ったミサヲが鋭時の方へ顔を向けるが、主導権を奪ったままの星白羽は無機質な声を返した。
「だったら命令を解除するよ。俺が命令したんだから解除も出来るだろ?」
「変更ニハ、《パスコード》ノ入力ガ必要ダ」
主導権が戻ると同時に自分の体に話し掛けた鋭時だが、星白羽は即座に主導権を奪って首を横に振る。
「そうなんですかっ!? 教授っ、お願いしますっ!」
「パスコードだって!? 入力なんてどこにするんだよ?」
瞳を輝かせたシアラが鋭時の顔を見詰めるが、主導権の戻った鋭時は聞き覚えの無い言葉に戸惑いだけを見せた。
「知らないんですか……?」
「すまない……少なくとも記憶には無い……」
言葉を詰まらせたシアラが瞳を曇らせ、鋭時は気まずそうに頭を掻く。
「そうですかぁ……」
「どこまでマニュアル人間なんだよ、星白羽は」
意気消沈したシアラが肩を落とし、ミサヲは苛立ちが治まらないまま鋭時の体を射抜くように睨み付けた。
「俺ハ、人間ニ組ミ込ム《マニュアル》ダ」
「はんっ! 気の利いた事を言えるんだったら、もうちょい融通利かせろよ!」
再度主導権を奪った星白羽がミサヲの言葉を淡々と訂正し、瞬時に顔が紅潮したミサヲが大声で怒鳴り付ける。
「落ち着きなよ、ミサヲさん。このままだと鋭時君の負担が大きくなるだけだ」
「これが落ち着いてられるかよ! こうなりゃスズナに診せて、鋭時から星白羽を引っ剝がしてやる!」
静かに首を横に振って窘めたドクに怒鳴り返したミサヲは、そのまま懐から携帯端末を取り出した。
「それこそ無理だよ。鋭時君は何度もスズナさんに診てもらったけど、星白羽君を見付けられなかった」
「言われてみればそうか……スズナの術式で見付からないもんを勘だけで剥がせ、なんて無茶な話だよな……」
静かに首を横に振ったドクが再度窘め、我に返ったミサヲは携帯端末を手にしたまま項垂れる。
「ねえマーくん、他に方法は無いんですか?」
「そうだ星白羽君、設定した数値の変更は出来るかい?」
目に涙を溜め出したシアラが弱々しい声で尋ね、しばし考え込んだドクが新たな質問を星白羽に投げ掛けた。
「ソレモ無理ダ」
「どうしてですかっ!?」
即座に首を横に振った星白羽に、シアラが涙を散らしながら問い質す。
「数値ノ変更ニモ《パスコード》ノ入力ガ必要ダ」
「予想はしてたけど、やはりそうか……」
眉ひとつ動かさない星白羽が淡々と答え、ドクは確信した様子で深く頷いた。
「でも教授はパスコードを知らないんですよね……」
「星白羽君はパスコードの場所を知ってるのかな?」
一旦首を横に振ったシアラが上目遣いで鋭時の体を見詰め、ドクは新たな質問を間髪入れずに投げ掛ける。
「《パスコード》ハ、燈川鋭時ノ記憶ニアル」
「じゃあそれって……!」
「俺の記憶が戻れば拒絶回避を無くせるのか!」
静かに頷いた星白羽の言葉を聞くと同時にシアラが目を輝かせ、体の主導権が戻った鋭時も興奮気味に大声を上げた。
「《パスコード》ガ正シケレバ、ドンナ命令デモ俺ハ聞ク」
「ふむ……鋭時君がどの居住区で記憶を封じられたか……」
「会話機能モ最低値ニ設定シテル、ソロソロ限界ダ……」
再度主導権を奪って頷いた星白羽への質問をドクが考えていると、突然星白羽の張り詰めていた気配が消える。
「え!? おい……完全に消えちまったのか?」
「拒絶回避が消えたんですかっ!? では!……うわわっ!?」
唐突に主導権が戻って慌てる鋭時目掛けてシアラが素早く飛び掛かるが、鋭時は僅かに軸足を逸らしてシアラを躱した。
「おっと……すまない、拒絶回避は残ってるみたいだ」
「そんなぁ……」
無意識に動いた鋭時が気まずそうに頭を掻き、シアラは力無く肩を落とす。
「だいぶ複雑な状況みたいだし、帰ってから考えようか?」
「そうだな……頼りにしてるぜ、ドク」
2人のやり取りを見ていたドクが公園の出口を親指で指し示し、鋭時は項垂れたままのシアラを見てから肩をすくめた。
▼
「このタイプ河童はLab13に入れてくよ」
「あたしが仕留めたタイプ雷獣も入れてもらってるし、タイプサラマンダーだって入ってんだろ?」
Lab13を起動したドクがミサヲに近付き、ミサヲは軽く拾い上げたドウシュウを躊躇いがちにLab13へ放り込む。
「でも流石に野ざらしにする訳にも行かないだろ?」
「そりゃそうだけど、ドクの方は大丈夫なのかい?」
Lab13への収納を確認したドクが肩をすくめ、軽く肩で笑ったミサヲが再度聞き返した。
「詳しくは秘密だけど、若干の余裕はあるから大丈夫だよ」
「そっか、あとはシアラを襲ったタイプノームか……」
白衣のような黒服のポケットに手を入れたドクの説明に頷きを返したミサヲは、複雑な表情でシアラの方を見る。
「ミサちゃん、あのジゅう人の回収はちょっと難しいかと……」
気に掛けるようなミサヲの視線に気付いたシアラは、静かに首を横に振ってから説明を始めた。
「……戦闘用に特化した黒モードで対処したのですが、最期はZKの餌食になってしまって……」
「そこまで策を練ってたのかよ、奴等は…」
俯くシアラの説明を聞き終えたミサヲは、自分の手のひらに拳を打ってから頭を掻く。
「半覚醒したタイプサキュバスは相当な脅威だし、情報収集も含めてかなり周到に準備してたと思うよ」
「俺達を4組に分けたのも対策の一環って訳か……」
2人の様子を見た静かに首を横に振ったドクが小さく肩をすくめ、小さく頷いた鋭時は考え込み始めた。
「ところでシアラ、黒モードって新しい服なんだろ? 今度見せてくれよ」
「それはちょっと……」
話がひと段落して新しい玩具を前にした子供のような笑顔を浮かべるミサヲに、シアラは俯いたまま言葉を濁す。
「掃除屋の不文律を忘れたいのかい、ミサヲさん?」
「分かったよ。とはいえ……」
シアラの窮状を見兼ねたドクが軽く咳払いし、言葉を詰まらせたミサヲは周囲を見渡した。
「結局誰も生け捕りには出来なかったのか……せっかくの手掛かりだったのにな」
「向こうにも失敗の報は届いたよ。鋭時君が生きてる限り、手掛かりは向こうからやって来るさ」
ひと通り見回して頭を掻くミサヲに対し、ドクは涼しい顔で肩をすくめる。
「あまり喜ばしい状況じゃねえけどな」
「鋭時君の記憶が戻ったらすぐに居住区で匿えばいい」
渋い顔をして首を横に振ったミサヲが鋭時の方に顔を向け、静かに頷いたドクも同じ方に顔を向けた。
「教授はわたしが守りますっ! シショクの願いに誓ったんですからっ!」
「鋭時君の記憶が戻れば拒絶回避の解除も出来る。これが確信に変わっただけでも今回は大きな収穫だよ」
2人の視線に気付いたシアラが鼻息荒く頷いてから鋭時を見詰め、ドクも鋭時に近付いて微笑み掛ける。
「でも……その度に俺達はジゅう人の命を……」
「教授は悪くありませんっ! 教授の命を狙う人が悪いんですっ!」
ドクの声で我に返った鋭時が複雑な顔で口を開き、スーツの袖を掴んだシアラがゆっくりと首を横に振った。
「そりゃそうだけどさ……」
「答えはすぐ出るもんじゃ無いぜ……」
尚も複雑な表情を浮かべた鋭時の言葉を、優しく微笑んだミサヲが遮る。
「ミサヲさん?」
「それでも生きてるうちは、自分の命と向き合うんだ……あたしはそうして来た」
思わず聞き返す鋭時の視線から顔を逸らしたミサヲは、鼻の頭を指で掻きながら胸を張って言葉を続けた。
「ありがとうミサヲさん……帰ったら考えてみますよ」
「わたしもいますからねっ、一緒に考えましょうっ!」
僅かだが顔を綻ばせた鋭時が頭を下げ、スーツの袖を掴んだシアラが上目遣いで満面の笑みを浮かべる。
「そうだな……よろしく頼むよ」
(俺は、シアラを悲しませたくない……誰が何を言おうと、これだけは譲れない)
シアラに微笑みを返した鋭時は、帰路に足を踏み出しながら心の中で強く決意を固めた。