第52話【瞳の先に】
【大異変】からの復興の翳で進み続けていた絶滅計画、
自分の知る誰にも損が無いと確信した鋭時は淡々と受け入れた。
「ちわーっす、王子様、シアラ! ミサ姉いるか?」
ドクの主催した食事会から数日経った日の朝、グラキエスクラッチ清掃店の扉を勢い良く開けながら軽く挨拶したトレーニングウェア姿のセイハが店舗スペースで簡単な朝食を終えた鋭時とシアラにミサヲの所在を尋ねる。
「ここにいるぜー……っと、また避けられたか」
セイハの来訪に合わせて扉の横へと移動していたミサヲがセイハに抱き着こうとするが、セイハが素早く横に跳んでミサヲの腕は空を切り自分の胸を抱きしめた。
「へへっ、ミサ姉の動きは読みやすいからな」
「抜かせっ、それより朝っぱらから何の用だい?」
悪戯を成功させた子供のように笑みを浮かべるセイハに軽口を返したミサヲは、自分の胸を抱きしめた手をほどいて頭を掻きながら聞き返す。
「昨日うちの店に来た客がさ、【遺跡】でP型ZKを見掛けたって言うんだ」
「何だって!? それで駆除は出来たのかい?」
神妙な顔付きへと変わったセイハが訪問の理由を答えるや否や、ミサヲは驚きを隠せない様子でセイハの話を遮って聞き返した。
「いや、かなり大規模になってたから逃げ帰って来たんだとさ。それで注意喚起を兼ねてここに来たって訳さ」
「P型、サイコマグノリアか……セイハさん、そいつはそんなに危険なのか?」
静かに首を横に振って呼吸を整えてから説明を終えたセイハに、コーヒーを飲み終えた鋭時が紺色のマグカップをテーブルに置いてから話題に上ったZKについて尋ねる。
「そうだぜ、王子様。P型単体なら何も問題無いんだけどさ、あれはいつの間にか仲間を増やす性質を持ってやがるからな」
「仲間を? まさかDDゲートに出て来た手に負えない数の群れはまさか……」
スライム体で作った巨大な両腕を組んで頷いたセイハが簡単な説明を終えてから自分の手で頭を掻き、訓練中の出来事を思い出した鋭時は腕組みしながら呟いた。
「お察しの通りだぜ、鋭時。何故かは知らんがP型のいる群れは数が多くて種類もバラバラなんだ」
「アタシ達相手に催眠術みたいなの使って来るくらいだし、仲間にも何らかの術を使って増やしてるんじゃないかって推測する同業者はたくさんいるぜ」
鋭時の疑問に答えるように頷いたミサヲに続き、セイハも頷きながらP型ZKの特性に対する仮説を簡単に説明する。
「ほえ? シロちゃん達でもわからない事があるんですかっ?」
「おーいシアラさん、掃除屋の役割はZKの駆除だぞ。それにZKは捕獲も死骸の回収も困難だから、殆どが観測データだってドクが教えてくれただろ?」
ホットミルクを飲み終えて桜色のマグカップをテーブルに置いたシアラが小首を傾げて聞き返し、額に手を当てた鋭時は呆れた様子で窘めた。
「王子様の言う通りだぜ、シアラ。詳しい事は専門家に任せる以外に無いんだし、アタシ達は生き延びるのに必要な情報を優先して覚えるんだ」
「本来なら戦闘の記録を研究者連中に渡すのが筋なんだろうけどよ、誰も手の内を明かしたがらねえからな……」
鋭時の苦言に同意して頷きながら情報収集の優先順位を説明したセイハに続き、ミサヲが複雑な表情でZKの生態研究が進まない理由を説明する。
「結局のところ駆除とデータ集めの出来るドクが、ひとりで研究を頑張ってるのが実情だよな~」
「だからドクは俺達にも協力してくれてるのか……」
「ヒラ姉はドクの事をひとつの行動で複数の目的を同時に果たすような性格だって言ってたけどさ、何考えてんのか分かんないのは今に始まった事じゃ無いからな」
同じく複雑な表情で頷いたセイハの言葉に鋭時が納得しながら呟き、難しい顔でヒラネの言葉を持ち出してから諦めたように微笑んだセイハも頬を指で掻いた。
「それでここに来た本当の目的は何だい? シアラと鋭時が作った索敵術式なら、縄張りに踏み込むような迂闊な真似はしねえぜ」
「やっぱりミサ姉には気付かれてたか。場所が分かってんだから、うちとミサ姉で手を組んで駆除出来ないかなってヒラ姉からの伝言だ」
小さくため息をついてから両腕を組んだミサヲに本題を切り出されたセイハは、自信に満ちた笑みを浮かべながら儲け話を切り出す。
「なるほど、ヒラネの考えそうな事だ」
「まあな。早いところ駆除しねえと危険なのは確かなんだし、ミサ姉達にも協力を頼めないかって話になったんだ」
儲け話の出どころを理解したミサヲが大きく頷き、セイハも軽く頷いてから話を持って来た経緯を説明した。
「確かに相当な【破威石】が手に入るだろうな。でも悪いな、今日はドクの先約があるんだ。代わりと言っちゃなんだけど、シアラと鋭時なら貸せるぜ」
「ちょっと待てよ、ミサ姉!? シアラはともかく王子様には危険過ぎるぜ!」
経緯を理解しながらも難しい顔をしたミサヲが即座に悪戯じみた笑みを浮かべ、驚いたセイハは思わず大声で反論する。
「俺の記憶を戻すにはZKの駆除が必要なんだし、数が多けりゃ新しい手掛かりが見付かるかもしれない。お心遣いはありがたいけど、同行させてもらえないか?」
「それに教授の事はわたしが絶対に守りますっ!だから一緒に行きましょうよっ、シロちゃんっ!」
反論を予測していたかのように自分の考えを伝えた鋭時に続き、シアラが真剣な表情でセイハに頼み込んだ。
「この状況でシアラが反対しないなんて珍しいな……何かあったのか?」
「えへへ……この間の食事会から帰った教授が更にカッコよくなったんですっ!」
自分の予想と異なる反応に疑問が浮かんで質問したセイハに対し、シアラは少し照れ笑いを浮かべてから大きく見開いた丸い目を輝かせて質問に答える。
「ああ、あん時はチセリもここに来るなり大騒ぎしてたな。病院の方でもスズナが大変だったんじゃないか?」
「ええまあ、それなりに……」
「スズにゃんも教授の事をとっても嬉しそうに見詰めてましたよっ! それで少し暴走しそうになったんで、結界も重ね掛けしたんですっ!」
横で話を聞いていたミサヲが思い出し笑いを浮かべつつ想像し得る最大の騒動を尋ね、曖昧に言葉を濁そうとする鋭時を遮ったシアラが満面の笑みを浮かべて事のあらましを説明した。
「へぇ、じゃあ今度こそ鋭時はスズナの……」
「見てない! 俺はすぐに診察室を出たから!」
悪戯じみた笑みを浮かべながら目を細めるミサヲの言葉を大声で遮った鋭時が、簡潔かつ力強く自身の取った行動を説明した。
「そっか、鋭時はそういう人間だもんな。楽しみを先に取っとくのもいいもんだ」
「た、楽しみだなんて、そんな!? 俺はただ責任を……」
「分かってる。スズナとチセリの事よろしく頼んだぜ、もちろんシアラもな」
安堵と失望が混じったかのような表情で頷いたミサヲの言葉に鋭時は再度慌て、手招きするような仕草で宥めたミサヲは信頼を寄せた眼差しで鋭時を見詰めた。
「楽しそうで何よりだ、ミサ姉……それでシアラ、王子様がカッコよくなった話と何がどう関係してるんだ?」
「あの日の教授はマーくんと話してから帰って来たんですけど、あの時マーくんと話すのを決めたのは教授なんですっ!」
一連のやり取りを楽しそうに見詰めていたセイハが改めてシアラに理由を尋ね、シアラは満面の笑みを浮かべながら答える。
「どういうことだ? チセ姉がいりゃ、話がスムーズに進むんだけどな……」
「チセリさんは朝の用事があるって言ってたから、今日は多分入れ違いになるよ。それでシアラの話なんだけど、どうやら俺のA因子が更に増えたみたいなんだ」
全く話が見えて来ずに周囲を見回しながら困惑を続けるセイハに鋭時がチセリの予定を伝え、続けてシアラの話を自分なりの解釈を交えながら説明した。
「そうですっ! 教授が自分で決めただけでカッコよくなったんですっ! だからわたしは、教授の決めた事を全力で支えるって決めたんですっ!」
「覚悟があんのは分かったよ。ヒラ姉にはアタシの方からも言っとくけど、慢心は禁物だぜ」
鋭時の説明に同意しながら大きく頷くシアラの決意を汲んだセイハは、鋭時達の同行に一応の許可を出しつつ釘を刺す。
「俺だって掃除屋の端くれ、引き際も分別も弁えてるつもりだ。よろしく頼むぜ、セイハさん」
「ああ、こちらこそよろしく! じゃあアタシはヒラ姉に話をして来るから、後で乙鳥商店まで来てくれよ。じゃあな」
セイハの言葉を真摯に受け止めて深く頷いた鋭時が自信に満ちた笑顔を浮かべ、スライム体で作った大きな手の親指を立てたセイハは上機嫌で店を出て行った。
▼
「ミサヲさんすいません、俺の我儘で迷惑掛けてしまって……」
「最初に鋭時をヒラネに貸すって決めたのはあたしなんだ、気にしなくていいぜ。それと、無理だけは絶対にすんなよ」
店を出たセイハを見送ってから振り向いて頭を下げて来た鋭時に対し、ミサヲは照れ臭そうに頭を掻いてから突き出した拳の親指を立てる。
「もちろんですっ! もう教授には騙されないですからっ!」
「あの時はあれがベストだと思ったんだ。二度とあんな真似はしないって……」
握った両手を胸の前に持って来たシアラが鼻息荒く頷き、気まずそうに頬を指で掻いた鋭時は弁明しながら乾いた笑みを浮かべた。
「それだけあたし達は鋭時を大切に思ってんだ、いい薬になったろ? ヒラネ達を待たせるのも悪いし、ここはあたしが片付けるから行って来な」
「ありがとうございますっ、ミサちゃんっ! いってきまーすっ!」
慈しむように細めた目で鋭時を見詰めたミサヲがテーブルの上へと視線を移して後片付けを買って出て、軽く礼を述べたシアラがそのまま店の出口へと駆け出す。
「ちょっと待ってくれよ、シアラ。それじゃあミサヲさん、いってきます」
「ああ、いってらっしゃい」
無駄と知りながらもシアラを呼び止めた鋭時が身の回りを軽くチェックしてから後を追い、ミサヲは優しい笑顔で2人を見送った。
▼
「おはようございます、ヒラネさん」
「ラコちゃんっ、おっはよーっ!」
乙鳥商店の前に立つオレンジ色のベストとハーフパンツを身に付けてつばの広い帽子を被ったヒラネに挨拶した鋭時に続き、シアラも弾むような声で挨拶する。
「だからシアラ、挨拶くらいはきちんと……」
「おはようえーじ君、シアラちゃんも。ワタシは元気なシアラちゃんが好きよ? えーじ君は、どんなシアラちゃんが好きなのかな?」
疲れた様子で額に手を当ててシアラに苦言を呈そうとした鋭時をヒラネが遮り、腰を屈めながら上目遣いで鋭時に聞き返した。
「どんなって、俺の都合でシアラを束縛する訳には……悪かったよ、シアラ」
「気にしないでくださいっ、むしろ教授になら身も心も束縛されたいですっ!」
唐突な質問に対して面食らいながらも質問の意味を理解して頭を下げた鋭時に、シアラは静かに首を横に振ってから期待の眼差しを向ける。
「そんな趣味は俺には無いんだし、冗談でもやめてくれよ。シアラにもみんなにも好きにしてくれるのが一番……」
「あら? ワタシやセイちゃんまで、えーじ君を好きにしていいのかしら?」
眩いばかりのシアラの視線から逃れるように首を横に振った鋭時が自分の考えを説明した瞬間、今度はヒラネが身を乗り出して悪戯じみた笑みを浮かべた。
「あー……またやっちまったか……」
「そんなに王子様を困らせないでくれよ、ヒラ姉。早いとこ駆除に行こうぜ」
思わず口を押えたが既に遅いと悟った鋭時が口元から手を離してため息をつき、近くの壁に寄り掛かっていた白いタキシード姿のセイハが呆れ顔で出発を促す。
「セイちゃんの言う通りね、そろそろ行きましょうか?」
「はーいっ。よろしくお願いしますね、ラコちゃんっ!」
「王子様も行こうぜ? 聞きたい事なら道すがら答えるからさ」
「ああ、よろしく頼むよ」
セイハの意見を素直に聞き入れたヒラネがシアラの手を取りながら凍鴉楼の正面玄関に向かい、セイハに声を掛けられた鋭時も静かに頷いて正面玄関に向かった。
▼
「【反響索敵】……周囲には誰もいませんよっ」
「よし分かった、ここからは特に慎重に行くぜ」
テレポートターミナルが見えなくなった辺りで腰にウサギのぬいぐるみを付けてメイド姿になったシアラが索敵術式を発動しながら周囲の安全を確認し、セイハも背負っている大剣型の金属板、クロスジャルナーをすぐ振れるようにスライム体で覆いながら慎重に歩みを進める。
「2人とも気持ちは分かるけど張り切り過ぎよ、そんな事してたら【遺跡】に着く前に疲れちゃうわよ」
「でもよ、ヒラ姉。いつ王子様を狙う奴が出て来るかも分からないんだぜ」
シアラとセイハの様子を眺めていたヒラネが呆れた様子で微笑むと、セイハは鋭時の背後を守るように移動しながら反論した。
「この間ドクが話してくれた十善教だったか……どうも実感湧かないんだよな」
「えーじ君が覚えてなくも、向こうからしたら生きてるだけでも都合が悪い理由があるのかもしれないわ。チセ姉ちゃんなら何か分かるんだろうけど……」
セイハとヒラネに挟まれ困惑しながら頭を掻く鋭時に、前を歩くヒラネも複雑な表情を浮かべて考え込む。
「そんなもんどうだっていいさ。どんな理由があっても、王子様の命を奪っていい言い訳にはならねえんだからさ」
「セイちゃんの言う通りね。もしもこの先えーじ君を助ける事で何万人もの人間が犠牲になるとしても、ワタシはえーじ君の命を守るわ」
「もちろんですっ! わたしも教授を全力で守りますよっ!」
人間側の事情に全く関心を示さないセイハにヒラネが同意して頷き、鋭時の隣を歩いていたシアラも自分の周囲にぬいぐるみを浮かせながら強く頷いた。
「頼もしい話だ、そのぬいぐるみ達は伊達じゃねえって訳か。そういやシアラは、どうやってぬいぐるみで戦うんだ?」
「セイちゃん、仲間の手の内を探るのは御法度よ」
シアラの周囲を飛び回るぬいぐるみを物珍しそうに眺めながら尋ねるセイハに、ヒラネが柔らかい口調で注意する。
「いいじゃねえかよ、ヒラ姉。これから一緒に駆除するんだし、見せられる範囲で見せてもさ」
「それもそうね……じゃあ最初はセイちゃんにお願い出来るかしら?」
注意されても尚興味の尽きないセイハが理屈を捏ねながら反論し、ヒラネは渋々頷いてからセイハからの説明を促した。
「任せてくれ、と言ってもアタシの得物は以前話した通りこのクロスジャルナーとこっちのヘルファラン。ヘルファランの鞘は術具にしてるけど、この2本の得物をスライム体で振り回すのがメインだ」
「それで術式も機械も無しにZKの外殻を貫けるって訳か……」
子供のように目を輝かせたセイハが背中にある金属板、クロスジャルナーと鞘に納めた短刀、ヘルファランをスライム体に絡めて器用に前へと持ち出し、セイハの鮮やかなスライム体捌きを眺めていた鋭時が感心しながら頷く。
「そうなの、えーじ君。セイちゃんは凄い力持ちだから頼りになるの。次の説明はワタシでいいかしら?」
「ああ頼んだぜ、ヒラ姉」
鋭時の隣に移動しながら誇らし気に微笑んだヒラネが足元の潜行魔法から縦長に伸ばした球体を長い筒の先端に付けた杖を取り出し、説明を終えたセイハは信頼の眼差しでヒラネを見詰めながら頷いた。
「ワタシの得物はこの杖、ツィガレッテロアね。攻撃術式や防御術式はもちろん、治癒術式や生活術式全般もひと通り組み込んであるわ」
「全属性の魔法をひとつにまとめるなんて、ラコちゃんは凄いんですねっ!」
愛用の魔法杖、ツィガレッテロアを片手で軽く振りながら組み込んでいる術式を説明したヒラネに、鋭時を挟んで隣を歩くシアラが興味深そうに話し掛ける。
「ちっとも凄くないわよ。制御の簡単な術式ばかりで、大技はひとつの属性しか入ってないの。でも、これ以上は秘密よ」
「そういえば初めて店に行った時も、その杖から術式を譲ってもらったんだよな」
ツィガレッテロアをてにしていない方の手を軽く手を振ったヒラネが種明かしをしながらシアラの方を向いて優しく微笑み、2人の間に挟まれる形となった鋭時が僅かに顔を赤らめながら鼻の頭を指で掻いた。
「ええ、あの時の写真は肌身離さず持ってるわよ。見てみる?」
「ちょっ、え!?」
嬉しそうに頷いたヒラネがベストの胸元を僅かに広げながら悪戯じみた微笑みを浮かべ、鋭時は自然と下りた視線を慌てて上へと逸らす。
「うふふ、冗談よ。後はタイプマンドラゴラ固有の潜行魔法なんだけど、こっちは偵察とかに使う程度ね」
「ありがとうヒラネさん、セイハさん。次は俺か? 俺の得物もドクからもらったアーカイブロッドだけで、簡単な術式を改良した攻撃術式を幾つか組み込んでる」
口元に手を当てて微笑んだヒラネが足元を指差してから説明を終え、礼を述べた鋭時が引き継ぐようにスーツの袖に組み込んだ収納術式から取り出したアーカイブロッドを前方に向けながら簡単に説明した。
「そっか……えーじ君は人間だから、魔力の消費が大きな術式は使えないのよね。それでもZKを駆除出来る術式を作れたんだから偉いと思うわよ」
「さすがラコちゃんっ、目の付け所が違いますっ! わたしも誇らしいですっ!」
静かに頷いて納得したヒラネが弟を褒める姉のような笑みを浮かべ、嬉しそうに微笑みながら頷いたシアラが一行の前に躍り出て誇らし気に胸を張る。
「いや待て、色々と待て。何でシアラが……」
「まあいいじゃないですかっ、教授っ! 最後はわたしですねっ、まずは今着てるヴィーノですけど……」
疲れた様子で手を額に伸ばした鋭時の苦言を遮ったシアラが腰に付けたウサギのぬいぐるみに手を当てて自信作の説明を始め、一行は最も長くなるシアラの説明を聞きながら【遺跡】との境界線に向かった。
▼
「まさか、よりによって小学校とはね……」
(間違ってもドクの話してた学校の訳は無いだろうけど、ちょっと複雑だな……)
再開発区を抜けて昼を回る前には【遺跡】の中で原形を留めた廃校を遠くに確認出来る場所へと辿り着いた鋭時は、固く閉ざされた校門の門柱に設置された上部の欠けた看板を【圧縮空鏡】で眺めながら複雑な表情を浮かべる。
「どうかしましたかっ、教授っ?」
「いや、何でもない。それより索敵を頼めるか?」
「わかりましたっ、教授っ!【反響索敵】」
心配そうな顔で声を掛けて来たシアラに気付いた鋭時が術式を解除してから軽く首を横に振ってから安心させるように微笑むと、大きく頷いたシアラは頭に付けたリサーチャーブリムから伸ばしたウサギの耳型術式アンテナに意識を集中しながら術式を発動して魔力を帯びた超音波を飛ばした。
「……P型以外にK型4体にL型2体、B型とI型が1体ずついますね……」
「さっきも思ったけど、この索敵の共有は便利だな。それでどう仕掛けようか?」
廃校の中から跳ね返って来た超音波の結果をシアラと共に分析しながら感心したセイハは、腕組みしながらヒラネに作戦を尋ねる。
「少なくとも闇雲に突っ込むのは得策じゃ無いわね……」
「でもヒラ姉。型はバラバラなんだし、ロクな連携して来ないんじゃねえか?」
同じく索敵術式の結果を受け取ったヒラネが大まかな作戦の傾向を口にすると、セイハが楽観的な意見を返した。
「確かにロクな連携は出来ないでしょうけど、思わぬ事故を防ぐにも分散させるに越した事は無いわよ」
「じゃあヒラネさん、何かで気を引き付けるって手はどうかな?」
セイハの意見を聞き入れつつも安全策を重視するヒラネに、今度は鋭時が作戦を提案する。
「同じ事を考えてたところよ、えーじ君。それなら上手く分散出来るかも……」
「ほえ? どうして注意を引くとバラバラになるんですかっ?」
唇の端を緩ませたヒラネが作戦成功の確率を試算すると、シアラが不思議そうな顔で聞き返した。
「ZKは異界の潜兵って名前通り自分達の縄張りを守るだろ? 襲撃を受けた時は周囲を警戒するために、それぞれが持ち場につくのさ」
「仮に統制の取れてない群れだとしても型が違えば移動速度も変わるから、自ずとバラバラになって各個撃破しやすくなるはずだぜ」
ヒラネに代わってZKの習性を説明したセイハに続き、鋭時も予測が外れた際の保険となる策を説明する。
「なるほどっ、そういう事ですかっ! わたしは【隠形結界】で挟み撃ちにする方法しか浮かびませんでしたっ!」
「挟み撃ちかぁ……それもいいわね。シアラちゃん、えーじ君を連れて反対側まで縄張りの境界沿いに回れるかしら?」
「それくらいなら簡単にできますよっ!」
2人の説明に納得して深く頷いてから照れ笑いを浮かべたシアラの作戦に興味を持ったヒラネが聞き返し、シアラは自信に満ちた笑みと共に大きく胸を張った。
「分かったわ、シアラちゃんとえーじ君の移動が終わり次第ワタシ達がこっち側でZKをおびき寄せる作戦で行きましょう」
「ヒラネさん達に気を取られた隙に背後から奇襲か……」
3人を順々に見回しながら頷いたヒラネの立案した作戦を聞いた鋭時は、自分の役割を理解しつつも俯いて呟く。
「どうした王子様、悩みが顔に出てるぞ?」
「ふふっ、もしかしてワタシ達の事を心配してくれてるのかしら?」
表情を曇らせた鋭時に気付いたセイハがからかうように声を掛け、ヒラネも軽く微笑みながら鋭時に聞き返した。
「え!? 確かに……2人とも俺と比べものにならない経験を積んだ掃除屋だから失礼とは思うけど、やっぱりどうしてもね……」
「やっぱりえーじ君は優しいのね。掃除屋の腕前を信用してもらった上で心配までしてくれるんだもの、シアラちゃんやスズナちゃんが夢中になるのも分かるわ」
突かれた図星を誤魔化すように頭を掻きながらも複雑な表情で口ごもった鋭時を見て口元を緩ませたヒラネは、息を整えてから目を細めて優しく頷く。
「こっちは何も心配いらねえ。きちんと王子様を守ってくれよ、姫騎士シアラ」
「おまかせくださいっ、ラコちゃん、シロちゃん! 着るのはツォーンですけど、心は常に姫騎士ですっ!」
スライム体で作った両腕で力こぶを作る仕草をしたセイハが自分の親指を立てて片目を瞑り、シアラは腰のぬいぐるみをウサギからネコに変更して随所にフリルのあしらわれた着物姿に変わりながら大きく頷いた。
「ははっ……頼もしい限りだな。俺もせいぜい足を引っ張らないように頑張るよ」
「頼りにしてるぜ、王子様。それでヒラ姉、シアラ達の到着はどう確認する?」
乾いた笑いを浮かべるだけの鋭時に気兼ねなく微笑み掛けたセイハだが、作戦の重要事項が決まっていない事に気付いて疑問の声を上げる。
「あー……再開発区はともかく【遺跡】の中だと、携帯端末が完全に圏外になるんだったな……どうすればいいか……」
「いい方法があるわ。【刻宣眼】を使うのよ」
同じくセイハの言葉で作戦の見落としに気付いた鋭時がスーツの内ポケットから携帯端末を取り出して難しい顔をするが、ヒラネは全く心配の無い様子で解決策を持ち出した。
「【刻宣眼】って時計の文字盤を片目に映し出す術式だろ?外に見せる分と自分で見れる内側の両方を同時に……そうか! それで時間を合わせればいいの……か」
「確かに時間で待ち合わせれば連絡はいりませんねっ」
術式名を聞いて効果を思い出した鋭時が用途に気付いて大声を出しつつも徐々にトーンを落とし、隣でシアラも小声を弾ませながら小さく頷く。
「その通りよ、えーじ君、シアラちゃん。2人とも持ってるかしら?」
「マハレタに入ってますよっ、教授は大丈夫ですかっ?」
「大丈夫だ、生活術式はひと通りアーカイブロッドに入ってる」
嬉しそうに微笑んだヒラネに聞かれたシアラがヒツジのぬいぐるみを袖の中から取り出して頷き、携帯端末を元に戻して頷いた鋭時もスーツの右袖からアーカイブロッドを取り出した。
「はぁ……こっちも準備出来てるぜ、ヒラ姉」
これまでのやり取りを見て観念しながら深くため息をついたセイハが鞘に納めたヘルファランをスライム体から取り出し、鞘を自分自身の手で握り締める。
「みんな準備オッケーね。それじゃあ、せーの」
「「【刻宣眼】」」
各々の手にした術具を確認したヒラネがツィガレッテロアを握りながら合図し、4人は各々の術具に意識に集中して術式を発動した。
▼
「やっぱりこうなるのかよ……せっかくシアラと王子様がいるんだから別の方法が見付かると思ったのに」
「ほえ? シロちゃんは、この術式嫌いなんですか?」
魔力によって表示された右目の時計を隠すように手のひらで覆ったセイハが再度ため息をつき、セイハの顔を覗き込むように近付いたシアラが上目遣いで尋ねる。
「まあ……な。何て言うか、青かった頃の自分を思い出しちまう」
「ふふっ。確か……時の姫騎士だったかしら?」
シアラの右目に表示された時計から視線を逸らしながら頭を掻いたセイハの後ろから、ヒラネが思い出し笑いをしながら声を掛ける。
「わっ!? だから毎回そのネタでからかうのは止めてくれよ、ヒラ姉……」
「いいじゃないの、あの頃のセイちゃん可愛かったんだし」
ヒラネの言葉を掻き消す勢いで大声を上げたセイハが周囲を見回しながら小声で苦言を呈するが、ヒラネは思い出を語りながら優しく微笑んだ。
「ラコちゃん、昔のシロちゃんってどんな感じだったんですかっ?」
「おーいシアラさん、今はそんな事を聞いてる場合じゃないでしょ。ヒラネさん、時刻合わせと開始時間の決定をお願い出来ますか?」
目を輝かせてヒラネに尋ねるシアラに気付いて慌てふためくセイハを見兼ねた鋭時は、静かな声でシアラに苦言を呈してからヒラネに作戦の開始を提案する。
「えーじ君の言う通りね。まずワタシの【刻宣眼】に同期してもらえるかな?」
「助かったぜ、王子様。オッケーヒラ姉、こっちは合わせたぜ」
「わたしもオッケーですっ」
「俺も終わりました」
口元に手を当てて微笑んだヒラネの指示に安堵のため息をついたセイハが右目に意識を集中してから頷き、続くシアラと鋭時も右目に意識を集中してから頷いた。
「次に秒針が0を指してから10分後に、ワタシがこっちでZKの気を引くわね」
「わっかりましたーっ! それじゃあ行きましょうっ、教授っ!」
自分の視界に映し出された時計の針を確認したヒラネが作戦開始時刻を決定し、弾むような声で返事をしたシアラが腰に取り付けたネコのぬいぐるみに組み込んだ収納術式から結界を操作する日傘、メモリーズホイールを取り出す。
「ああ。よろしく頼んだぜ、シアラ」
「では、【隠形結界】」
「へぇ……見事なもんだ。それじゃアタシはあっち側から行くから後を頼んだぜ」
「ええ、こっちは任せてちょうだいね」
広げた日傘まで慎重に近寄って来た鋭時を確認したシアラが結界術式を発動して姿を消し、続いてセイハとヒラネも互いに頷いて各々移動を開始した。
▼
「しかし見事なもんだ……時折縄張りに足を踏み入れてんだろうが、全く見付かる気配が無いぜ」
「えへへ……初めて教授に出逢った時も、こんな感じで歩いてましたよねっ?」
廃校の裏手に向かいながら姿を隠す結界の効果に感心する鋭時に、シアラが目を輝かせて見詰めて来る。
「そういえばそうだな……あの時は掃除屋になるなんて夢にも思ってなかったぜ」
「わたしもまさか教授と永遠を誓い合うまでの間に、こんな事があるなんて思いもしませんでしたっ」
記憶を失った日の事を思い出した鋭時が右目に映し出された時計を確認してから頭を掻き、シアラも右目の時計を確認してから満面の笑みを返した。
「今までの話を額面通りに受け取れば、そうなるんだよな……すまない」
「教授は何も悪くありませんっ! 悪いのは教授に呪いを掛けた人間ですっ!」
思い掛けない言葉に複雑な笑みを浮かべながら軽く頭を下げた鋭時に、シアラは力強く首を横に振ってから真剣な眼差しを向ける。
「そうだよな。まだ1年……あの時から数えたらだいたい10か月はあるんだし、必ず恩返し出来るようにはしてみせるさ」
「わたしも協力しますよっ、教授っ! それでこの間はマーくんと2人きりで何を話してたんですかっ?」
小さくため息をついた鋭時が軽く計算しながら優しく頷くと、シアラは鼻息荒く頷いてから唐突に話題を変えた。
「随分いきなりだな……他愛のない世間話だよ、」
「そんなはずないですっ! とてもだいじな話をしてたに違いありませんっ!」
思わぬ質問にドクとの会話が脳裏に浮かんで焦った鋭時が平静を装いつつ適当に答えるが、シアラは強く首を横に振ってから鋭時の顔を覗き込む。
「な、何を根拠にそんな……」
「教授がカッコよくなったからですっ!」
自分の心を見透かすようなシアラの視線に鋭時が狼狽を隠す事無く聞き返すと、シアラは陶酔し切ったように目を細めて鋭時の顔を見詰め出した。
「そういう事か……何が原因で俺のA因子が活性化したのかはドクが調査中だし、呪いが解ければ調べる必要も無くなるだろ」
「言われてみればそうですねっ、さすがは教授ですっ!」
真相を突き止めようとするシアラの真意を理解して安堵した鋭時は静かに頷いて自分の胸を軽く叩き、シアラは目を輝かせて鋭時を見詰めたまま何度も頷く。
(この前の話で色々考えちまったけど、ここまで真っ直ぐ俺を見てくれてるんだ。今はそれだけで充分じゃないか)
心の中で安堵のため息をついた鋭時は、不安の闇を取り払う光のようにも思えたシアラの視線を瞳に映る文字盤越しに眺めながら吹き出すように微笑んだ。
「どうしました、教授っ?」
「何でもない。時間は前にしか進まないんだ、少し急ぐぞ」
小首を傾げて見詰めるシアラに気付いて誤魔化すように頭を掻いた鋭時は、軽く深呼吸してから瞳に映し出した時を刻み続ける針と共に前を向いて歩みを速めた。