第51話【凡人の物語】
ドクの主催した食事会は無事終わり、
一行は全自動食堂マキナを後にした。
「おいおい署長さんよ、大丈夫かい?」
「な~に、ちょっと飲み過ぎただけだ。僕だってこの歳になれば酒との付き合い方くらいは心得てるし、夜風に当たれば直に酔いも醒めるよ」
食事会を終えて凍鴉楼の正面玄関へと向かう中、呆れて声を掛けて来たミサヲに真鞍は顔を赤らめながらもしっかりとした足取りで軽く手を振る。
「そうですね……今の酩酊状態ならアルコールの分解も順調に進みますし、帰宅に支障は無さそうです」
「スズナがそう言うなら大丈夫なんだろ、でも無理はすんなよ」
ポシェットに組み込んだ収納術式から聴診器型術具を取り出したスズナが真鞍の体にかざし、診断結果を聞いたミサヲは安心した様子で片目を瞑る。
「協力を感謝する、博沢スズナ。真鞍署長は自分が責任を持って連れて帰るので」
「大袈裟だな~蔵田君は。いざとなれば警備ロボットもいるんだ……っと、それで思い出した。これ以上待たせるのは色々とマズいし、そろそろ失礼するよ。今日はありがとう、ドク。また何かあったら連絡してくれ」
「本日はありがとうございました、ドクター・マリノライト。では失礼します」
直立してスズナに敬礼をした蔵田に心配掛けまいと微笑んでから外へと向かった真鞍に続き、蔵田は再度敬礼をしてから真鞍の後を追った。
「蔵田君はもう少しいてもいいよ? お姉さんや妹さんと話す事もあるだろ?」
「いえ、そのような事は……」
後ろから着いて来た蔵田に気付いて立ち止まった真鞍が振り向き、蔵田は複雑な表情で遠慮がちに後ろを振り向く。
「署長さんの許可も下りてんだし、いいじゃないか。うちで飲み直すか?」
「ミサヲお嬢様、蔵田副署長には真鞍署長の護衛という大事な任務がございます。凍鴉楼の住人が警察官の重要な任務の妨害をするなど、凍鴉楼の管理人たる私が認めませんよ」
振り向いた蔵田と目が合ったミサヲが悪戯じみた笑みを浮かべて手招きし、隣に立っていたチセリが丁寧な口調で囁くように注意した。
「わ、分かったよ……また時間がある時にでも来てくれよ、ミノリ」
「世話になったな、相曽実ミサヲ、依施間チセリ。また何かあったら連絡する」
ただならぬ気配に身をすくめてから力無く手を振るミサヲに安堵したかのような笑みを返した蔵田は、振り返って敬礼してから柔らかな笑みを浮かべる。
「かしこまりました、兄様。おやすみなさいませ」
「おやすみ~、ミノリ」
狼のような尻尾を緩やかに振りながら丁寧な仕草でお辞儀をしたチセリに続き、ミサヲも再度蔵田に向かって手を振った。
「それと燈川鋭時。このような事を言えた義理は無いかもしれないが、姉さん……相曽実ミサヲと依施間チセリの事をよろしく頼む」
チセリの隣で無言のまま軽く頭を下げた鋭時の方を向いた蔵田は、躊躇いがちに頬を指で掻いてから頭を下げる。
「ミサヲさんにもチセリさんにも助けられてるし、俺の出来る範囲で協力するよ」
「そうか、感謝する。では失礼」
横目でチセリ達を見ながら頭を掻いた鋭時がぎこちなく微笑み、蔵田は直立して敬礼を返してから先に外へ出て行った真鞍を追い掛けて凍鴉楼を出て行った。
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「相変わらず真面目だね~ミノリは。こっちはどうする? 結構飲んだし、今日は解散するか?」
「そうね、ワタシは一度お店に帰るわ。セイちゃんはどうする?」
カラスのような黒い羽を僅かに広げて走って行った蔵田の後ろ姿を見送ってから周囲を見回したミサヲの質問に、ヒラネは正面玄関を挟んで全自動食堂マキナとは反対側の位置にある乙鳥商店を眺めてからセイハに顔を向ける。
「アタシも今日は店に帰るぜ。またな、王子様」
「ああ、おやすみなさい。ヒラネさん、セイハさん」
「ラコちゃん、シロちゃん、まったねーっ」
「おやすみなさい、シアラちゃん。またね、えーじ君」
ヒラネに同意して頷いてから軽く手を振って歩き出したセイハに鋭時とシアラが挨拶を返し、ヒラネも優しい笑みと共に挨拶を返してから乙鳥商店へと向かった。
「ぼくも今日はこれで帰るよ、新発明の調整があるからね」
「ちょっとヒカル! 変にゃものを作ったら承知しにゃいからね」
頭の後ろで両手を組みながら周囲の様子を見ていたヒカルが隙を見計らうように歩いて来た廊下の端にあるテレポートエレベーターに向かって走り出し、いち早く気付いたスズナが追い掛けながら声を掛ける。
「分かってるよ、スズナお姉ちゃん。おやすみ、鋭時お兄ちゃん」
「おやすみにゃさい、えーじしゃま。みしゃお姉しゃまとシアラちゃんも、これで失礼しますね。待ちにゃさいよ、ヒカル!」
立ち止まって後ろを向いたヒカルが軽く手を振ってから再度走り出し、釣られて振り向いたスズナも簡単に挨拶してからヒカルの追跡を再開した。
「スズナさん、ヒカルさん、おやす……み」
「ほえ~……2人とも、もう消えちゃいましたよ……」
手を振りつつ挨拶を返そうとした鋭時の言葉が途中で止まり、隣にいたシアラも遠くを見るように手のひらを額に当てながら呆然と呟く。
「やれやれ、随分と忙しい事だな……あのお転婆娘が何企んでるか知らないけど、とりあえずスズナに見張りを任せるしかないか……」
「後で私も様子を見て参りますね。ところで、ミサヲお嬢様はお店に戻ってから飲み直されますか?」
呆れた様子でスズナ達の消えた方を眺めたミサヲが成り行きに任せる事を決めて頭を掻き、防犯カメラの映像を確認出来る丸眼鏡の操作を終えたチセリがミサヲの予定を尋ねて来た。
「あー……かなり飲んだし、今日はあたしも帰って寝るぜ」
「かしこまりましたミサヲお嬢様、本日は私もここで失礼させていただきます。旦那様、若奥様、おやすみなさいませ。ドクター、本日は御馳走様でした」
「おやすみ、チセリさん」
「チセりん、おやすみーっ!」
しばらく考える振りをしたミサヲの返答に対してチセリは丁寧な仕草でお辞儀を返してテレポートエレベーターへと向かい、鋭時とシアラも各々挨拶を返しながら見送った。
「さて、あたし達も帰るか。今日は世話になったな、ドク」
「今日はごちそうさまでしたっ、マーくんっ」
軽く伸びをしてからテレポートエレベーターへと向かうミサヲに続き、シアラも歩きながらドクに礼を述べる。
「どういたしましてミサヲさん、シアラさん。ボクは自販機街に寄って帰るね」
「もしかして煙草か? だったら俺も着いて行っていいかい?」
2人に対して軽く頭を下げて返したドクがテレポートエレベーターに到着すると同時に別行動を示唆し、興味を持った鋭時が同行を願い出た。
「構わないけど、鋭時君は煙草を吸わないよね?」
「そうですよっ! 教授はもっと自分を大切にしてくださいっ!」
予想外の提案に思わず意図を聞き返したドクに続き、シアラが心配そうな表情を浮かべて鋭時のスーツの袖を引く。
「ああ、記憶を失ってる今はね。でも失う前の俺はどうだったのか分からないし、吸えば何か思い出せるかもしれないって考えたんだ」
「ふむ、試す価値はあるか……」
スーツの袖を強く掴むシアラに視線を落とした鋭時が曖昧な笑みを浮かべながら理由を説明し、ドクは顎に手を当ててしばし考えてから静かに頷き呟いた。
「じゃあ、わたしも着いて行きま……うわわぁっ!?」
「そういう事なら分かったぜ。シアラはこっちで押さえておくから出来るだけ早く帰って来いよ、鋭時」
ドクの呟きを聞き逃さなかったシアラも着いて行こうとするが、鋭時のスーツの袖を掴む手が緩んだ隙を突いてシアラを抱き上げたミサヲが鋭時に向かって片目を瞑る。
「恩に着るぜ、ミサヲさん。シアラもすまない、出来るだけ早く終わらせるよ」
「あまり気が進みませんけど、教授の記憶が戻るのなら仕方ありませんね……」
思わぬ助け舟となったミサヲに礼を述べた鋭時はシアラに微笑みを向けて片目を瞑り、ミサヲに抱えられたままのシアラは項垂れそうになる頭を持ち上げて力無く微笑みを返した。
「だからすまないって。もし今回煙草を吸って記憶が戻っても、金輪際煙草は絶対吸わないって約束するから勘弁してくれよ……」
「わかりましたっ、教授とはフレンチの約束がありますものねっ!」
訴えかけるかのように潤んだ瞳に見詰められて居心地悪そうに頭を掻いた鋭時の説得を聞いた瞬間、シアラは満面の笑みを浮かべてから小さく舌なめずりする。
「あー……そんな約束もしたな。念入りに【身体洗浄】を使っておくよ」
「話が決まったんなら先に帰るぜ。おいドク、鋭時に変な事を吹き込んだりしたら承知しないからな」
「そうですよっ、マーくんっ! おやすみなさい」
「分かってるよ、ボクだってみんなと鋭時君の関係は良好であって欲しいからね。おやすみなさい」
指で頬を掻きながら念を押すように微笑む鋭時に安堵のため息をついたミサヲがドクに釘を刺しながらテレポートエレベーターを操作し、続くようにシアラからも心持ち険しい目付きを向けられたドクは乾いた笑みを浮かべながらぎこちなく手を振った。
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「疑われんのも無理ないか……ボク達も行こうか? 場所は13階のMだ」
「13階のMだな、分かった」
目の前から姿を消したミサヲ達に安堵のため息をついてから目的地の説明をしたドクに、鋭時は軽く頷きながら復唱する。
「ボクが先に行くよ。すまないがレーコさんは、鋭時君が移動を終えたら研究所に帰っていてくれないか?」
「かしこまりましたマスター」
テレポートエレベーターの操作を始めたドクが隣に佇むレーコさんを呼び寄せて鋭時のサポートを依頼し、レーコさんは真剣な顔付きを表示しながら丁寧な仕草でお辞儀を返した。
「それじゃ、お先に」
「俺も行くか、13階の……Mだな」
手を振ると同時に目の前から姿を消したドクを確認した鋭時は、いつも利用する場所よりひとつ上に表示された箇所を指差しながら後ろを振り向く。
「はい鋭時さん、問題ありません」
「二重チェックありがとう、レーコさん。じゃあ行ってくるよ」
横から行先を確認したレーコさんが柔らかな微笑みを表示しながら頷き、鋭時は緊張が解けた様子で微笑みを返しながら移動キーを押下した。
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「……そういや、こっち側から来るのは初めてだな……」
「鋭時君おつかれ、こっちだよ」
目の前に見える金属板が瞬時に自動販売機が片側の壁に並んだ廊下へと変わった鋭時は周囲をゆっくりと見渡し、何も無い方の壁に寄り掛かっていたドクが鋭時に声を掛ける。
「お待たせドク。ここは……いつも使ってる庭園型バルコニーから見た事無い気がするんだが……」
「ここは庭園型バルコニーと真逆の方向にあるし、ここの住人が普段使う場所とも離れてるから滅多に人が来ないんだ。ここを曲がった先が喫煙室だけど、鋭時君も何か飲むかい? 自動管理だから人が滅多に来なくても、売り物は充実してるよ」
軽く手を振った鋭時が見慣れぬ順番に並んだ自動販売機の列を眺めながら疑問を呟き、自分達の現在位置を簡単に説明したドクが安心させるように微笑みつつ壁に並んだ自動販売機を親指で指し示した。
「いや、かなり飲んだからいいよ。それと出来れば煙草の方もなんだけど……」
「煙草は俺と2人きりになる為の口実だろ? 何を聞きたいんだい?」
頭を掻きながら飲み物を断り口ごもった鋭時に予想が的中した喜びを隠しながら微笑んだドクは、そのまま鋭時の本心を問い質す。
「やっぱりバレてたか……腹芸は苦手だし単刀直入に言うと、聞きたいのはドクの目的についてだ」
「いつかはこういう日が来ると思ってたよ。ここでは万一の事があるし、喫煙室で話そうか?」
大きくため息をついた鋭時が同行した理由を簡潔に説明すると、観念したように頭を掻いたドクは軽く周囲を見回してから廊下の奥を指し示して歩き出した。
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「ここが喫煙室……意外と狭いんだな」
「凍鴉楼が出来た当初から喫煙者は数名の人間のみ、それ以降の利用者を考えればこれでも広いくらいだ」
テーブルのような台座と一体化した空気清浄機が中心に設置された部屋に入った鋭時が軽く部屋全体を見回し、先に入っていたドクが自分達のいる喫煙室の簡単な変遷を説明しながら奥の壁に寄り掛かる。
「言われてみればジゅう人は煙草が苦手だもんな、だからこうやってドクとサシで話せる訳なんだけどさ」
「ここまでする以上、ある程度の確信はあるんだろ? どこで気付いたんだい?」
外を何度も確認してから扉を閉めた鋭時が神妙な顔付きで頷くと、ドクも静かに頷いてから探るように質問を投げ掛けた。
「そうだな……初めてステ=イションに来た日に聞いた、人間とジゅう人の間から生まれる子供だ。何でハーフとかではなく、きっちり分かれるか気になったんだ」
「まさか、そこで気付いたとはね……答えは簡単だ。人間とジゅう人の遺伝子には多くの共通点があって、ジゅう人固有の遺伝子を受け継げばジゅう人に、受け継がなかった男児が人間として生まれるんだ」
しばし上を向いて疑問を持つきっかけを思い出した鋭時に、ドクは白衣のような黒服のポケットに手を入れて疑問に答えつつ人間とジゅう人の違いを説明する。
「なるほど、やっぱりジゅう人から生まれる人間は男だけだったんだな……」
「やれやれ、誤魔化すつもりが逆に確信へと近付けてしまったようだね」
「こんなのは初歩的な算数の問題だ、確実に数が減る計算になる」
深く頷きながら静かに呟く鋭時に気付いたドクが自嘲気味に肩をすくめ、鋭時は軽く鼻で笑ってから感心した様子で頭を掻いた。
「確かにそういう計算になるかもしれないけど、ジゅう人だって生物である以上は仕方の無い事だ。それに彼女達はA因子の強い人間相手にしか好意を持たないし、人間との共存を望んでるのは紛れもない事実だよ」
「それこそ最後のピースだったんだ。A因子の強い人間の男が人間の女性からどう見られてるか考えれば、本当によく出来た仕組みだよ」
人間との争いを避けるジゅう人の習性を説明したドクが静かに首を横に振るが、対する鋭時も静かに首を横に振ってからひとりで納得して大きく頷く。
「そこまで気付いてたなら仕方ないか……Aというのはアポトーシスの事なんだ、そして俺の目的は二度と口に出さないと誓った言葉の内容そのままだよ。今ここでキミと事を構える気は無いけどね」
「そっか……そう言ってもらえると俺も助かるよ。まだ【反響索敵】にドクだけを識別する式を組み込めてないからな」
観念してため息をついたドクが黒服のポケットに手を入れたまま目的を明かして争う意思が無い事を伝えると、左手でドアノブを掴みながら右腕に力を込めていた鋭時は腰から崩れ落ちるように全身の緊張を解いた。
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「やれやれ……考え過ぎる性格も難儀なもんだね」
「まあな、それにしてもよく練られた絶滅計画だぜ……見事に人間の心理を逆手に取った淘汰のプロセスだよ」
吹き出しそうになるのを堪えながら頷いたドクに釣られて顔を緩ませた鋭時は、そのまま感心した様子で頭を掻く。
「いや。俺は200年前からの計画に便乗しただけで、お膳立ては全てシショクの12人が残してくれてたんだよ。ZKなんていう転移して来た怪生物を考えれば、人間に近しい生体構造を持った異世界人の転移なんて奇跡レベルの話だからね」
「そんな、まさか……じゃあ、あいつらは……?」
ポケットから手を出したドクがやや大袈裟に肩をすくめながら2種類の転移者の相違点を挙げ、鋭時は愕然とした様子で言葉を絞り出すように質問を返した。
「工場で作られプログラミングされたのは、あくまで第一世代だけさ。それ以降は人間と寸分違わぬ繁殖行為によりプログラムを願いに変えて継承して来た正真正銘紛う方なき愛の結晶、れっきとした自然生物であり尊重されるべき個々の人格だ」
「じゃあ、今のジゅう人はちゃんとした……」
再度黒服のポケットに手を入れたドクから説明を聞いた鋭時は、強張らせていた体をほぐしつつ声を絞り出す。
「ああ。敢えて学名を付けるなら、ホモ・モンストルムとかホモ・キマエラとかになるだろう。登録されるのは遥か先になるだろうけどね」
「そうか、あいつの存在は否定されないんだな……それだけ聞けて安心したよ」
ポケットに手を入れたままのドクが自信を持って頷き、想像し得る最悪の事態を回避出来たと理解した鋭時は額に手を当てながらぎこちない笑みを浮かべた。
「まさか、それだけの為に俺と対峙する危険まで冒したのか? 安心していいよ、彼女達が人間に対して持つ感情は邪心無き真心だからさ」
「違和感に気付いちまったからには調べたくなったんだよ、あいつを自由に出来るヒントが見付かると思ったからな」
複雑な表情で頬を指で掻いてから再度ポケットの中に手を入れたドクに、鋭時は照れ臭そうに頭を掻きながら正直に理由を告げる。
「計画の方はあくまで俺の独断だ。彼女達の誰もが計画に気付いてないし、恐らく理解も出来ないだろうからね。それで、鋭時君はこれからどうするんだい?」
「どうもしないさ。ドクの考えてる手段が今生きてる人間に危害を加えないのなら特に妨害はしないし、出来る範囲で協力はするよ」
ポケットから出した両手のひらを見せてから静かに首を横に振ったドクが余裕のある表情で質問を返すと、鋭時は両手のひらを肩まで上げてから軽く肩をすくめてドクの計画に協力を申し出た。
「それはありがたいが、念の為に理由を聞こうか?」
「簡単な話だ、こんなにも綿密かつ馬鹿げた計画の阻止なんて俺ひとりでは絶対に無理だ。誰にも協力を頼めないし、ドクをどうにかすれば終わるって話でもない」
密かに安堵のため息をついて黒服のポケットへと手を入れたドクの質問に対し、鋭時は涼しい顔で単独での計画阻止が不可能である理由を淡々と説明する。
「そこまで考えてたとは大したもんだ、後学の為に俺をどうにか出来ないと悟った経緯を聞かせてくれないか?」
「やっぱりドクはただ者じゃないな。まず計画をあいつらに話したところで協力は望めないし、ドクの手数を考えれば単独で命を奪うのは不可能。残る手段はドクを人間だとバラして街の住人に捕えさせる方法だが、ジゅう人に成り済ます装置とは別にA因子を遮断する装置を持ってるからこれも不可、って訳だ」
平静を装いつつも内心舌を巻いたドクが更に質問を重ね、複雑な笑みを浮かべて頭を掻いた鋭時は独自に分析したドクの能力と自らの力量差を答えた。
「やれやれ、これの裏を見抜かれてたとは恐れ入ったよ」
「まあな、そのためにA因子がどんなもんか聞いたんだからさ。俺にはそんな労力割いてまで見ず知らずの人間守る義理は無いし、ドクの計画を阻止したらあいつが悲しむ……」
シャツの胸ポケットに入れたカード型装置を取り出しながら呆れた様子で小さくため息をついたドクに心持ち誇らし気な笑みを返した鋭時は、持論を展開しながら覚悟を決めたように小さく頷く。
「たったそれだけの為に同族を裏切る覚悟が?」
「覚悟なんて無いさ、記憶無いし……もしあいつが人間だったなら、俺もナニカに妨害されながら人間という種の保存に尽力したさ。縁なんてそんなもんだろ?」
「それもそうだね。でも、それがどんな結果をもたらすのか分かってるのかい?」
神妙な面持ちで意思を確認したドクに対して静かに首を横に振った鋭時が自分の判断基準を説明しながら冷笑を浮かべ、納得して頷いたドクは肩で笑いを堪えつつ再度覚悟を確認した。
「水子にもなれなかった魂がジゅう人の子供として生を受けるだけの話だろ?」
「そこまで理解してるとは、いやはや見事なもんだ」
達観した様子で肩をすくめた鋭時を見て呆気に取られたドクは、安堵のため息をつきながら静かに首を横に振る。
「少し考えれば損得なんて誰でも分かるもんさ、道徳のお勉強なんて必要無いよ」
「俺としても正義より利益に拘る人の方が信用出来るよ、何せ話が通じるからね。これからキミと俺は運命共同体だ、よろしく頼むよ」
「ああよろしく、と言っても具体的に何かが変わった気はしないけどな……」
鼻の頭を指で掻きながら肩で笑う鋭時にドクが大きく頷いてから突き出した手の親指を立て、笑いが収まって目に溜まった涙を指で拭いた鋭時も親指を立ててから複雑な表情で頭を掻いた。
「そりゃそうさ、俺の計画におけるキミの役割は多くのジゅう人と関係を持つ事に変わりないんだから。そして計画最大の障害がキミに掛けられた呪いである以上、取れる手段も変わらないよ」
「つまり、ドクが最後まで俺の記憶探しを手伝う確約取れただけか……にしても、何でシショクの12人はこんな計算ミスに気付かなかったんだ?」
涼しい顔で肩をすくめて取り巻く状況を再確認したドクに対して小さくため息をついた鋭時は、腕組みしながら予想出来得る人口の比率に考えを巡らせ首を捻る。
「逆だよ、そもそもこの計画はシショクの12人が立てたものなんだ」
「なるほど、そういう事か……いや待て、色々と待て。何で俺は何も思い出せないどころか実感すら湧かないんだ?」
静かに首を横に振って含み笑いを浮かべたドクが至極単純な種明かしをすると、鋭時は得心の行った様子で頷きかけてから新たな疑問に躓いた。
「あー……そういや鋭時君はシショクの12人だった前世の夢を見たんだよね? あの夢自体がここに来ても自制心を保つ人間に向けてシショクの12人が用意した最後のひと押しだったんだ」
「夢を用意!? そんな話が……そうか! DDゲートなんてものがあるんだし、夢を見せるだけなら雑作もない訳か!」
気まずそうに頭を掻きながらTダイバースコープを起動して記録を眺めたドクの説明を聞いた鋭時は一瞬言葉を失うが、すぐに自分の身に起きた出来事を理解して興奮気味に頷く。
「ここに来れた時点で多少は特別なのかもしれないけど、平たく言えばキミは誰の生まれ変わりか分からない普通の人間だ。変な希望を持たせて申し訳なかったよ」
「別にドクのせいじゃ無いんだろ? 肩の荷が下りてすっきりした気分だぜ、まだ誰にも言えないけどさ」
頬を指で掻きつつ複雑な表情を浮かべたドクが頭を下げるが、手のひらを向けて首を横に振った鋭時は穏やかな表情で伸びをしてから気まずそうに頭を掻いた。
「ふむ……鋭時君をシショクの12人の生まれ変わりと信じてるのは、今のところシアラさんとチセリさんだけだよね?」
「まあ、そうなるな。どうやって説明すればいいか……」
顎に手を当てたドクがTダイバースコープの記録を眺めつつ現状を確認し、腕を組んで頷いた鋭時が難しい顔で考え込む。
「それなら問題無いよ、2人とも今の鋭時君のA因子を見て覚醒してるんだから」
「なるほど、呆れるほど便利な仕掛けだ。でもドクはどうしてこの計画を?」
「俺は少しだけ人間に絶望してるからね……少し昔話をしていいかな?」
あっさり解決策を示したドクに鋭時が感心して頷いてから軽く質問すると、心の傷を抉られたように片目を顰めたドクが平静を装いつつ質問を返した。
「ああ頼むぜ、俺の記憶の手掛かりになるやもしれん」
「そう身構えるもんでも無いよ、どうしようも無い程に詰まらない話だから。俺が小学生の時に油性ペンのインクの染みが教室の壁に付いた事があって、一番近くに座ってた俺が犯人だと決め付けられて酷い糾弾を受けたんだ」
真剣な表情で頷く鋭時に曖昧な笑みを返したドクは、深呼吸してから少年時代の出来事を話し始める。
「でもそれってドクが犯人じゃなかったんだろ?」
「無論だ、当時の俺が持ってたのは水性ペンだけだったからね。それでも同級生は聞く耳を持たずに、自分達の正義を暴走させて人格を否定する糾弾を続けたんだ」
話がひと段落したタイミングを見計らった鋭時の質問に自信を持って頷き返したドクだが、直後に額に手を当てて半ば嘲笑するかのように自らの身に降りかかった出来事を語った。
「自分の正義を疑わない、ってのは究極の邪悪……子どもだからって許される訳が無えよな……」
「それで翌日に真犯人が名乗り出て、クラス全員の前で頭を下げたんだ。そしたら担任もクラスの全員も真犯人を褒め称えて一件落着、前日に俺を激しく糾弾してた事なんて誰もが忘れてたよ」
自分の記憶に照らし合わせた鋭時の相槌に合わせて息を整えたドクは、心の底で澱み続ける闇を吐き出すかのように顛末を語り終えてから静かに肩をすくめる。
「酷い話だ……人間ってものがつくづく嫌になるぜ」
「全く持ってその通りだ。その時に俺は所詮人間の本質は保身と裏切りだと悟り、時が経って偶然シショクの12人が残した記録を見付けて今に至るって訳さ」
「そう……だったのか……」
心の底から湧き出す怒りを振り払うように首を横に振った鋭時に同意して頷いたドクが自らの得た教訓と発明家になった経緯を簡単に話し、額に手を当てつつ壁に寄り掛かった鋭時は肩を落として小さく呟いた。
「時が経てば癒える傷なんだろうけど、この力を手に入れるまでの間に傷が癒える出来事なんて何ひとつ無かったよ……」
「なるほどね。万が一にも結末を見届ける事になっても、この計画に乗るだけなら全く心が痛まない訳か……」
自嘲気味に自分の妄執を冷笑したドクが遠い目をして確信するかのように小さく頷き、顎に手を当てて考えていた鋭時は感心しながら小さく頷いた。
「計画を積極的に進める理由にならないが、平和的かつ人道的な絶滅計画の過程をのんびり眺めてても自分を許せる言い訳くらいにはなるよ」
「俺の心臓に呪いを掛けたのも俺と同じ人間だけど、計画に加担すれば俺みたいな思いをする人間が減るかもしれない。俺の言い訳はこれで充分だ」
自分の目論見まで気付かれて僅かに顔を綻ばせたドクが含み笑いを浮かべながら肩をすくめ、鋭時も自分の心臓を抉り出さんとばかりに胸を掴んだ手を放してから照れ臭そうに微笑んだ。
「結局俺達は心の傷に取り憑いたシショクの12人の亡霊に踊らさてれるだけの、ただの道化なのかもしれないな」
「それでいいと思うぜ? ドクも俺も物語の主人公じゃないし、主人公だとしても俺には『生きててありがとう』って言ってくれたあいつに恩を返すまでの物語だ。不良が更生する感動の押し付けより、この計画をサイドストーリーにする方が余程性に合ってるぜ」
小さくため息をついてから自嘲気味に鼻で笑うドクに涼しい顔で首を横に振った鋭時は、照れ臭そうに鼻の頭を指で掻いてから晴れやかな顔で上を向く。
「確かに俺達にはこっちの方が似合ってる。生きてる間に結果を見届ける事は無いだろうけど、キミ達の生活が刺激に満ちたものになる事だけは保障するよ」
「なるほど、そうやって凡人に家庭を持たせて協力者に仕立てて来た訳か」
「良心の呵責が無いし、今のままでは絶対手に入らない家庭を提供する。ついでに言えば他の協力者との接触は必要無いし、何かの組織になってる訳じゃない」
悩みを振り払うかのように肩をすくめてから自信に満ちた笑みを浮かべたドクに鋭時が感心して頷き、ドクは気楽な笑みを浮かべながら首謀者の現存しない計画の概要を説明した。
「そいつは随分と気楽でいいな。ところで、この計画が人間側に漏れる危険は?」
「もちろんあるよ。計画の概要はロジネル型の中枢部にも記録されてるだろうし、強い繋がりのある奴等も把握してるはずだ。それでなくとも情報なんて擦り切れて穴の開いた袋に入れた砂のようなもの、いずれは漏れるものさ」
しばらく肩を震わせて笑ってから神妙な顔付きで質問した鋭時に、ドクは平然と頷きながら情報漏洩の可能性を情報の本質と交えながら説明する。
「それじゃあ、いずれ計画は阻止されるじゃないか!?」
「現世に潜む常世の翳を撚り合わせて張り巡らせた祟紡侖だ。生半可な妨害は逆に協力者を増やすだけだし、協力者となった男は覚醒したジゅう人が守ってくれる」
思わぬ回答に驚き慌てた鋭時が大声を上げるが、ドクは涼しい顔で計画の本質を説明しながら阻止される可能性を否定した。
「言われてみれば、確かにそうか……あいつらが俺を守るのも理に適ってるな」
「それに加えて結末が分かるのが500年や1000年も先の上に、未来の人間が頑張りさえすればジゅう人は淘汰される計算だ。こんな条件下で本腰入れて計画の阻止を考える人間なんて極僅か、大半は生産性の無い遠吠えに終わるよ」
嬉しさと恥ずかしさが入り混じったかのような表情で頭を掻いた鋭時に、ドクは自信に満ちた笑顔で計画の更なる仕組みを説明する。
「なるほど……ジゅう人同士の出産数を人間同士よりも少なくしたのは、そういうからくりがあったからなのか」
「この計画は断崖絶壁に建てられた砦の側壁に、何処から見ても分かる程の大穴があるようなもの。誰もが大穴に気を取られて全体の構造を把握しなくなるものさ」
腕組みした鋭時が得心の行った様子で何度も深く頷き、ドクは仕掛けが施された理由を交えつつ計画の全体像を簡単に説明した。
「でもよ、男の協力しか得られないんじゃ、いずれ破綻するんじゃないか?」
「そうでもないさ。協力者はスペックの低い男だけで、残った男性の質が上がると女性は喜ぶんだ。他にも対策はいくつか練ってあるし、いずれ説明するよ」
今まで聞いて来た説明を基に鋭時が新たな疑問を口にするが、ドクは涼しい顔で肩をすくめて含み笑いを浮かべる
「そいつは興味深いな。記憶の手掛かりにもなりそうだし、是非お願いするよ」
「分かった、俺は今まで通り協力するよ。シアラさん達も心配してるだろうから、そろそろ帰った方がいい。くれぐれも今日の会話は気取られないように頼むよ」
密かに安堵のため息をついてから軽く頷いた鋭時が期待で持ち上がりそうになる口角を押さえながら決意を固め、釣られて含み笑いを浮かべて返したドクも静かに頷いてからLab13に手を入れつつゆっくり微笑んだ。
「確かに今日の記憶だけは消したいものだよ。いや、こんな面白い悪巧みの記憶を消すなんて勿体無いか。今日はありがとなドク、おやすみ」
「ああ、おやすみ鋭時君」
ドクの真意を汲みながらも小さく笑って頷いた鋭時が晴れやかな笑顔で喫煙室の扉を開け、空気清浄機の台座にLab13から取り出したマルボロのソフトケースとジッポライターを載せたドクは軽く手を振って鋭時を見送った。
▼
「ふむ……元々高い真正A因子に相当量の疑似A因子を上乗せしてるから危険域に突入するのも時間の問題、そろそろ本腰を入れないといけないな……ひとり残った俺をあいつらはどう思ってんだろうな……」
扉が閉まった事を確認したドクは台座の隅に重ねられていた金属製の灰皿を1枚手元に寄せながら当面の問題を確認するように呟き、咥えた煙草に火を付けて煙を吐き出してから立ち上る紫煙を遠い目でしばし眺めていた。