第5話【発明家の隠した思惑】
ZKを退けた鋭時は助けを呼びに行ったシアラと再会するが、
シアラは勢い余って廃ビルの柱に抱き付いた。
「あははっ……勢いで抱きしめてほしかったのですが、やっぱりダメでしたかっ」
「まさか俺もこんな状態から拒絶回避しちまうなんて思わなかったよ、悪かった」
柱から離れて力なく笑うシアラを見た鋭時は、自身の身体に備わった反射神経に戸惑いながら申し訳なさそうな表情で頭を掻く。
「教授は何も悪くありませんっ! おかげで再会出来たんですから……っ!」
「ん? どうした? 俺の顔に何か付いてるのか?」
振り向いて鋭時の顔を見上げたシアラが愕然とした表情で息を飲んでから言葉を詰まらせると、唐突なシアラの変化を不思議に思った鋭時が平然と聞き返す。
「どうしたも何もひどいケガじゃないですかっ! すぐ治癒術式を使いますねっ」
鋭時の傷だらけの顔を指摘したシアラが慌てて腰に付けたウサギのぬいぐるみを外そうとするが、鋭時は手のひらを突き出してそれを制止した。
「何かと思えばそんな事かよ……こんなのかすり傷だ、舐めときゃ治る。それよりここを出るまでは魔力は温存しておかないと」
「じゃあわたしが舐めますっ! そこを動かないでくださいっ」
「は、はぁっ!? 何言ってんだよ!? 今はふざけてる場合じゃないだろ!」
手の甲の傷を眺めながら心配を掛けまいと軽口を叩いた鋭時はシアラの予想外の返答に思わず声が裏返るが、シアラは動じる事なく顔を近付けてくる。
「ふざけてなんかいませんよ? だって顔の傷は自分で舐められないでしょっ?」
「いや、だからそういう意味で言ったんじゃなくてだな……」
「ご安心くださいっ、教授っ! この日のために毎晩練習しましたからっ……ってうわわっ!?」
「やっと追いついた! 急に離れるんじゃないよ、肝を冷やしただろぉ」
後ずさりしながら言葉を濁す鋭時に舌なめずりしながら迫っていたシアラだが、シアラの後を追って来たミサヲに抱き上げられて驚きのあまり大声を上げた。
「勝手に走ったのは謝りますからっ、いきなり抱き付かないでくださいよーっ!」
「とりあえず助かったぜ……あんたがシアラを連れて来たのか? えー……っと」
先程までは落ち着いた様子で自身に迫って来ていたシアラが子供のように手足をバタバタと動かす様子に呆れた鋭時は、頭に角を生やして肩にライフル銃を掛けた長身の女性に礼を言いながらも言葉を詰まらせる。
「あたしはステ=イションで掃除屋稼業をしてる相曽実ミサヲ。ミサヲでいいぜ」
「改めて礼を言うぜミサヲさん。俺は燈川鋭時、呼び方はそっちの都合に任せる」
気さくに名乗ったミサヲに礼を言い直した鋭時がシアラの例も踏まえて投げやり気味に自己紹介する間も、ミサヲは鋭時を下から上まで舐め回すように観察する。
「よろしく、鋭時。それにしてもこんな所に人間とは珍しいねぇ……へぇ、ナリは華奢だがモノはいい。さすがはシアラの思い人だ」
「いや……何を聞いたか知らんけど、シアラとは成り行きで知り合っただけだよ」
額に手を当てて不機嫌な様子で答えた鋭時の顔を眺めていたミサヲは、上機嫌で抱きかかえたままのシアラの耳元で囁く。
「なあシアラ、照れるとか可愛いところもあるじゃないか。こんなに上物の人間をどこで見つけたんだよ?」
「教授との馴れ初めですねっ! では……運命の出逢いから永遠を誓い合うまでのめくるめく愛の日々をお話ししましょうっ!」
目を見開いて満面の笑みを浮かべてからミサヲの質問に答えようとするシアラに対し、鋭時はため息をつきながらジト目で睨み付けた。
「おーいシアラさん、知り合ってから半日くらいしか経ってないだろ? 何を話すつもりなんだ?」
「ちょっとだけ願望を混ぜて脚色してもいいじゃないですかっ、後で事実にすればいいんですからっ。あと教授のリクエストもちゃんと聞きますから、やりたい事を何でも言ってくださいねっ」
「いや待て、色々と待て。今から話そうとしてたのはどう考えてもちょっとどころじゃない脚色だろ。だいたい願望って何なんだよ?」
額に手を当て呆れる鋭時がぼやくように質問すると、シアラは急に顔を赤らめて恥ずかしさと嬉しさが混じった表情で俯いた。
「ジゅう人の願望を明け透けに言ったら風情が無くなるじゃないですかぁ。でも、教授がそういうのをお好みなら、わたしも教授に従いますよっ」
恥じらいながらも満面の笑みを向けて来たシアラに、鋭時は表情を険しくする。
「だから待てよ……何で、何で俺に従うとか言えるんだよ? 俺のせいであんなに危険な目に遭ったんだぞ? もう俺に関わらないでくれよ!」
堪らず鋭時が大声で怒鳴ると辺りが重苦しい空気に包まれ、しばしの沈黙の後に鋭時が気まずそうに言葉を絞り出し始めた。
「その……大きな声出して悪かった……あと、俺の早とちりでこんな危険な場所に迷い込んだだけでなく、命を狙われる危険にも巻き込んで悪かった。俺はこれ以上シアラに迷惑かけたくないんだよ」
鋭時が慎重に言葉を選びながら必死に謝罪してシアラと距離を置こうとすると、それまで呆然としていたシアラの目に涙が溜まり出す。
「そんな風に自分を責めないでくださいっ! そんな悲しいことを言われたら……わたし……わたし……」
(嫌われるのも当然か、だがその方が気楽でいい。でも泣かせたのは悪かったな、もっと早くこう出来れば良かったんだが……)
今にも泣き出しそうなシアラを見た鋭時が気に病みながら静かに安堵のため息をついた瞬間、その安堵を打ち砕く言葉がシアラの口から飛び出て来た。
「わたし、もっともーっと強くなって教授をずーっと守りますねっ! シショクの願いに誓ったんですからっ!」
「さすがはシアラ、マジ天使! ますます気に入ったぜ!」
「わわわっ、むぎゅっ」
「いや、ちょっと待て! 何でそうなる? さすがにおかしいだろ!……それとも俺がおかしいのか?……んなわけねえ……何がどうなってるんだよ……?」
まるで予想と異なるシアラの言葉とシアラを胸に埋めるように抱きしめて褒めるミサヲに鋭時は自身の常識を疑うが、結論など出るはずも無く頭を掻き続ける。
「ぷはっ。もう、ミサちゃんったら苦しいじゃないですかぁ」
「ミサちゃんってあたしの事かい? どこまでも可愛いんだよぉ、シアラは!」
「むぐーっ……だから放してくださいーっ、ミサちゃん」
「やれやれ、人を助けに来ておいて何してんだか」
再びミサヲに抱きしめられたシアラがもがいているところに後ろから黒ずくめの青年が呆れた様子で声を掛け、気付いたミサヲが興奮気味に振り向いた。
「よぉドク、レーコさんとの話は終わったか? あれほどの上物は滅多に拝めないけど、あたしはシアラの方が可愛くてねぇ」
「まったく仕方ないな、またミサヲさんの悪い癖が始まったか」
呆れて肩をすくめるドクが右耳の後ろに手を触れると、僅かに聞こえる起動音と共に片眼鏡型の立体映像が出現した。
「ふむ……シアラさんの口振りから人間だろうと思ってたけど、まさかこれほどのA因子とは思わなかったよ」
「今度は何だよ? いったい俺に何が付いてるって言うんだ?」
立体映像の片眼鏡を通して感心しながら観察をするドクに鋭時が不機嫌な口調で聞き返すと、ドクは軽くお辞儀をして微笑んだ。
「おっと失礼。ボクはマリノライト、ステ=イションのしがない発明家さ、ドクでいい。キミが鋭時君だね、さっきレーコさんから概ねの事情は聞いたよ」
「燈川鋭時だ。レーコさんから……って、ドクがレーコさんのマスターなのか?」
「その通り、理解が早いと助かる。諸々の詳しい事はステ=イションに着いてから話そう、ここに長居は危険だ」
質問する鋭時に上機嫌で答えたドクがすぐに出発するよう提案すると、ミサヲの抱擁からようやく脱したシアラが大声で呼び止めた。
「待ってくださいマーくん! その前に教授のケガを治さないとっ」
「マーくんって俺の事か!? 出来ればボクの事はドクって呼んでもらいたかったんだけどな……」
「連れが世話になったというのに、迷惑かけてすまない」
「いや構わないよ。名前は言葉で言葉は魔法に通じるからか、魔力が高いタイプのジゅう人は親しい人への魔法的干渉を避ける為に呼び名を本能的に変えると聞いた事があるんだ。これはこれで貴重なデータだよ」
額に手を当てて疲れた表情で謝った鋭時に対し、ドクは苦笑いを浮かべながらも楽しそうに説明する。
「ドクはジゅう人に詳しいのか? 俺はそこら辺の記憶が全く無くてさ」
「詳しいも何もボクもジゅう人だからね、ちなみタイプはレプラコーンだよ」
「そいつは失礼した、てっきりドクも人間だと思ったよ」
苦笑いを浮かべて答えるドクに鋭時は気まずそうに頭を掻いて再度謝罪するが、ドクは特に気にする風もなく説明を続ける。
「構わないよ、タイプレプラコーンは見た目も能力も人間そっくりなんだ。それに今の時代、人間は珍しいのさ。【大異変】を境に人間の数は減る一方だからね」
「人間は珍しい……のか? 全く実感が湧かないけど、記憶が無いからか……?」
自分が希少な存在とドクに聞かされて何かを思い出せないか鋭時が考え込むと、いつの間にか近寄って来たシアラが鋭時のスーツの袖を引いた。
「珍しいなんて関係ありませんよっ、教授は教授なんですからっ! さぁ、今から治療しますから絶対に動かないでくださいねぇ~」
「いや待てよ、落ち着け。拒絶回避で何をしでかすか分からないんだぞ……そもそも何で戻って来たんだか……」
口を縦に窄めて舌を艶めかしく動かしながら顔を近付けて来たシアラから逃げるように体をのけぞらせた鋭時が小声でぼやくと、ドクが楽しそうに疑問に答える。
「【遺跡】の真ん中で見つけたんだ、まさか置いてくるわけにもいかないだろ?」
「やけに助けが早いと思ったら……どうにも俺は詰めが甘い人間らしいな」
必死に知恵を絞って立てた作戦をドクがシアラを保護した時に見抜かれていたと理解した鋭時は、照れ臭そうに鼻の頭を掻く。
「鋭時君の思惑が何となく分かったから急いで来たんだ、間に合って良かったよ。あと治療は受けといた方がいい。タイプサキュバスの魔力は底なしだ、その程度の傷を治したところで消耗は無いに等しいからね」
目の前の人間の思惑を見抜いた上で阻止出来たと知って上機嫌のドクがひときわ楽しそうに説明すると、ひと呼吸おいてから険しい表情に変わった。
「それにZKの好物は人間の生き血だ、もう分るよね?」
「つまり、俺が術式の治療を受ければZKに気付かれなくなる。結果的にシアラを助ける事になるんだろ?」
含みを持たせたドクの言葉で傷口から血が流れた途端に身を隠した場所をZKに知られた時の事を思い出した鋭時は、頭を掻きながら渋々承諾する。
「ほえ? 教授、マーくん、つまりはどういう事ですか?」
「えーっとだな、その……さっきはキツイ事を言って悪かったよ。改めて術式での治療を頼めるか?」
鋭時とドクを交互に眺めながら不思議そうな顔をするシアラに鋭時が頭を掻いて照れ臭そうに頼むと、シアラは見る見る満面の笑顔に変わっていった。
「おまかせください、教授っ! マハレタ、ヴィーノと交代ですっ!」
大きく胸を張り治療を快く承諾したシアラは、腰に付けたウサギのぬいぐるみをヘビのぬいぐるみに交換する。
次の瞬間メイド服が光に包まれて随所がフリルで飾られたナース風の白い服へと変わり、下ろした髪も魔力で巻き上げられて髪留めから変化したナースキャップのような帽子に収まった。
「お待たせしましたっ! 今はこの服でお世話しますけどぉ、リクエストがあれば何でもお好きな服に着替えますねっ!」
「だから何のリクエストだよ……治療が終わった後は動きやすくて丈夫な服にでも着替えてくれ、ステ=イションに着くまでは危険なんだからさ」
照れながらも嬉しそうな表情を浮かべるシアラに対し鋭時が額に手を当てながらため息交じりに返すと、シアラは腰に付けたヘビのぬいぐるみから針を下に向けた注射器のような形をした短い銀色の杖を取り出す。
「わかりましたっ! でも我慢できなくなったら、いつでも言ってくださいねっ。ではいきますよぉ~【全快白霧】!」
シアラが微笑みながら手にした杖に意識を集中させて術式を発動させると同時に鋭時の全身が突如白い霧に包まれ、手と顔に付いた無数の傷が見る見る塞がった。
「痛みが引いた……ありがとな、シアラ。にしても……あれだけの傷を跡も残さず治すなんて見事なもんだ」
「お褒めいただき光栄ですっ、教授っ! この治癒術式は断裂や破裂、切開や切断からも瞬時に全身を完全回復できるよう改良を重ね、わたしの体にも自動発動するよう組み込んでありますよっ!」
完全に傷の癒えた自分の両手を見ながら手放しで術式を称賛する鋭時にシアラが満面の笑みを浮かべて術式の説明を始めると、鋭時は顔を曇らせて小さくため息をついた。
「本当に大したもんだよ……シアラは危険に備えてこんなに凄い術式を用意してたというのに、俺は何も持っていなかった。俺はどこで何をしていたんだか……」
「何も心配ありませんよっ、教授っ! このシュラーフェンアポテーケなら教授の助けになりますっ! わたし、教授となら危険だなんて思ってませんからっ!」
両手で握りしめた注射器型の杖、シュラーフェンアポテーケを眼前に差し出して満面の笑みを浮かべるシアラに、鋭時は困惑しながら苦笑いを浮かべた。
「ははっ……助けてくれるのはありがたいが、何でもかんでもシアラに頼る訳にはいかないだろ。出来るだけ自分で頑張れるようにはしないと」
「ご安心ください教授っ! シュラーフェンアポテーケは全身の感覚を強化させるおクスリや、何時間も疲れないおクスリを術式で作れますからっ」
「うん? 強化系の補助術式か……? 記憶が無いから何とも言えないけど、俺の知ってる術式とは随分と毛色が違うな……」
シアラの説明する術式に違和感を覚えた鋭時がまたしても考え込むが、シアラは気にも留めず説明を続ける。
「他にも色々なおクスリを作れる術式を組み込んでますよっ! 例えば睡眠薬なら微睡から昏睡まで、シビレ薬なら手足が動かない程度から仮死状態にするものまで作れますっ。もちろん本質は魔法なので副作用や後遺症も無く安全ですよっ」
「薬に変換すると複雑な魔法効果を構築しやすい……のか?……どうもイメージが掴み難い術式だな……」
術式の説明を聞いた鋭時が考え込んでいると、シアラが顔を覗き込んで来た。
「教授っ、どうしましたか? 教授の欲しいおクスリ、何でも作りますよっ」
「ん? ああ悪い、考え事に没頭していたようだ。薬か……今すぐこれってものは浮かばないな……今の俺が一番欲しいのは失くした記憶で……」
期待に満ちた眼差しで見詰めて来るシアラに謝罪しつつも思考癖を止められない鋭時が自身の目的を確認し直すと、ある事に気付いてしばらく黙り込んだ。
「なあシアラ、そのシュラー何とかって杖で俺の記憶喪失を治す薬を作る、というのは……さすがに無理……だよな?」
頬を掻きながら遠慮がちに聞く鋭時に、シアラも申し訳なさそうな顔を向ける。
「ええっと、その……さすがに運命の人がそこまで難しい病気を持ってるなんて、考えてもいませんでした……ごめんなさいっ教授!」
「い、いや……こっちこそ無理を言って悪かった。記憶はステ=イションに着けばどうにかなるだろうし、ケガを治してもらっただけでもありがたいよ」
深々と頭を下げるシアラに、鋭時も慌てて無茶な要求を謝罪しながらぎこちなく微笑む。
「記憶が無くて心細いのに、わたしを気遣ってくださるなんて……わたし、教授に出逢えて幸せですっ」
「だから何でそうなるんだよ……」
嬉しそうに照れ笑いをするシアラに鋭時が困惑していると、いつの間にか部屋を出ていたミサヲが苛立った様子で部屋に戻って来た。
「ダメだ、どこにもZKがいやがらねえ。これじゃあ今夜の酒にありつけねえぞ、どうなってやがる?」
「おやお帰り、どこに行ったのかと思ったらZKを探してたんだね」
鋭時達から離れた所で壁に寄り掛かっていたドクが声を掛けると、ミサヲは頭を掻きながら腰を下ろす。
「まあな。せっかく上物の人間を目の前にして抱きかかえたままってのも酷だし、シアラが満足するまでにここら辺の掃除をと思ったんだけどね」
「折角気を利かせてもらったのに悪いけど、たぶんどちらも不可能だよ」
「あ? おいドク、それどういう意味だよ?」
「ミサヲさん落ち着いて下さい。私が今から説明しますから」
労いながらも苦笑いを浮かべるドクをミサヲが不機嫌そうに睨み付けると同時にレーコさんが宥めるように割って入り、鋭時を廃ビルで見付け出してからドク達が到着するまでに得た情報をかいつまんで説明した。
▼
「何だってっ!? それじゃ誰も……」
レーコさんの説明を聞き終えたミサヲが勢いよく立ち上がってから部屋中全ての空気を震わせるかのような大声を上げた途端、ドクが即座にレーコさんに近付いて背中から手を通す。
「ひゃん!?」
「ごめんねレーコさん、勝手にモード変更して」
立体映像であるはずのレーコさんがドクに手を入れられて短く悲鳴を上げたかと思うと、眠るような表情に変化して周囲が静寂に包まれた。
「鋭時を食えないだろ! 話が違う……ぞ……? って、おいドク。レーコさんに遮音障壁なんか出させてどうしたんだよ?」
怒鳴っている途中でレーコさんの展開した即席の防音室に入れられたと気付いたミサヲは、レーコさんに遮音障壁を起動させたドクを問い詰める。
「ミサヲさんこそ落ち着いて、今の言葉を鋭時君に聞かれたら警戒されるだろ?」
「でもよ、あんな美味そうな人間を目の前に大人しくしろとか、あたしはともかく街の連中には無理な話だぜ?」
冷静に宥めるドクにミサヲが噛み付かんばかりに反論するが、ドクは動じる事も無く説明を続ける。
「確かにあの衝動を抑えるのは難しいね……でも鋭時君がここでステ=イションに不信を抱けば、街に来てもらえないだろうね」
「鋭時もだけどよ……あんなにかわいいシアラとお別れなんて、そんな殺生な話はないぜ! なあドク、どうにかならねえのか?」
「あはは……その趣味は相変わらずだね……取り敢えずボクの方でも手は打つよ。そろそろ鋭時君も怪しむ頃合いだから遮音障壁を解除するけど、くれぐれも迂闊な行動は控えるように」
ドクの説明を聞いてこの世の終わりの様な顔をするミサヲだが、ドクは苦笑いを浮かべながらも容赦なく釘を刺す。
「レーコさん、咄嗟の事とはいえすまなかったね、通常モードに戻っていいよ」
「かしこまりました、マスター」
ひと通り話し終えたドクがレーコさんの立体映像の体に差し込んでいた手を引き抜くと、レーコさんは遮音障壁を解除して元の笑顔を表示した。
「な、何事だ!? ドク、レーコさん、ミサヲさん、いったいどうしたんだ?」
「驚かせてすまなかったよ、【遺跡】から出るための打ち合わせをしていたのさ。商売柄隠しておきたい事もあるから、ちょっとだけ細工はさせてもらったけどね」
ミサヲの大声が突然消えた後から全く音の聞こえて来ないドク達を不審に思った鋭時が近付いて声を掛けると、ドクは落ち着いて音の消えた理由を説明する。
「そういうものなのか、急に音が消えたから何事かと思ったぜ」
「あ……ああ、シアラと鋭時を安全な場所まで連れてく話し合いをしてたんだ」
一応の納得を示した鋭時の肩をミサヲが誤魔化すよう掴もうとした瞬間、鋭時は僅かに後ずさりして即座に躱した。
「あー……すまない。どうも俺は人との接触を無意識に拒絶するらしくて、俺自身何でこんな癖があるのか見当すら付いてないんだ」
空を切った手を呆然と眺めるミサヲを見た鋭時は、両手を上げながら自分でさえ理解していない拒絶回避について釈明する。
「ミサちゃんごめんね、教授も悪気があってあんな事をしたわけじゃないの」
「ドクとレーコさんから話は聞いてたけど、まさかここまでとはねぇ……あたしは別に構わないけど、シアラが今まで全く触れなかったのが信じられないよ」
上目遣いで謝って来たシアラの声で我に返ったミサヲが頭を掻きながら不機嫌を顕わにした表情を浮かべると、シアラは優しく微笑みながらミサヲに抱き付いた。
「わたしの心配をしてくださって、ありがとうございますっ。ミサちゃんは優しいですねっ」
「うはっ、こいつは堪らんな。なあ、シアラは鋭時に触れなくて淋しくないか? 何ならあたしが鋭時を捕まえる手伝いしてやろうか?」
抱き付いて来たシアラに口元を緩ませたミサヲが慣れた様子でそのままシアラを抱き上げて笑いかけると、シアラは少し考えてから顔を上げて微笑みを返す。
「淋しくないと言えば嘘になりますけど、教授は記憶が戻れば好きにしてもいいと言ってくださったので、わたしは大丈夫ですよっ」
「くぅ~、シアラは天使だね~! あたしもシアラを手伝っていいかい?」
「もちろん大歓迎ですよっ! 教授の記憶はステ=イションに行けば戻りますっ、まずはステ=イションに連れて行ってくださいっ!」
シアラの健気な態度に感動するミサヲが協力を申し出ると、シアラは大きく目を見開きながら身を乗り上げて鋭時をステ=イションへ案内するよう頼み込んだ。
「お安い御用だ、ステ=イションに帰るぞ! そしたらシアラと鋭時の歓迎会だ、派手に飲むぞー……!」
返事を聞いたミサヲは興奮気味にシアラを抱き上げ走り出そうとしたが、自身が今この【遺跡】にいる理由を思い出して立ち止まってからシアラを丁寧に降ろして両手で頭を抱え出した。
「だぁぁー! 何してんだあたしは! このままじゃ酒も買えねえじゃねーか! だからといって、シアラを連れたままでZKを探し回る訳にもいかねーだろ……あー! もうどうすりゃいいんだよ!」
頭を抱えたミサヲが大袈裟に悩みつつ騒いでいると、ガラクタの散らばった床にしゃがんで何かを拾っていたドクが声を掛ける。
「落ち着きなよ、ミサヲさん。鋭時君とシアラさんをステ=イションまで護衛して報酬を受け取れば問題ないだろ?」
「そりゃあ酒代が入れば文句はねえけどよ、肝心の銭をどこの誰が出すんだよ? ただ連れ帰ってもそれだけじゃあ意味無いんだぜ」
「悪いけど俺も小銭を数枚しか持ってないんだ。俺はどうなっても構わないから、シアラだけでも助けてくれないか?」
「心配いらないよ、報酬なら鋭時君から前払いで受け取ったから」
不機嫌を隠しもせず声を荒げるミサヲと諦めと自棄が入り混じった表情の鋭時にドクは事もなげに言うと、手のひらを広げて床から拾った鈍く光る複数の結晶体を見せた。
「これは鋭時君がここで駆除したZKの【破威石】だ、ステ=イションに着いたら精算しよう」
「うはっ、ドクにしちゃあ随分粋な事を言うじゃないか。それにこれだけあれば、あたしの取り分だけでもしばらくは酒に困らないぜ」
「なあドク、その【破威石】っていったい何なんだ?」
いくつもの【破威石】を目の前にして上機嫌のミサヲとは対照的に新たな疑問が増えた鋭時が質問すると、ドクは楽しそうに説明を始めた。
「ZKを駆除、つまりは破壊すると【破威石】と呼ばれる結晶体だけを残すんだ。そして居住区では、この【破威石】を高値で引き取ってもらえる。これはここのZKを駆除した鋭時君の物だよ、精算するまで預からせてもらうけどね」
「そいつのおかげでステ=イションまで案内してもらえるのはありがたいけどよ、何でわざわざ俺に教えるんだ? ドクがこっそり持って行く事も出来ただろ……」
説明を聞いて感謝しながらも納得いかない様子の鋭時に、ドクは含みを持たせた笑みを浮かべた。
「ボク達もステ=イションにキミ達を連れて行く方便が欲しかったからね。キミの記憶の手掛かりがステ=イションにあるなら、今はこの話に乗ってくれないか?」
「まあステ=イションに行くのはこっちとしても当初の予定通りだし、断る理由は特に無いな。分かった、よろしく頼むぜ」
わざとらしい誘いに苦笑いを浮かべた鋭時がドクに案内を頼むと、いつの間にかネコのぬいぐるみを腰に付けて着物姿に戻ったシアラが寄って来て鋭時のスーツの袖を掴んだ。
「良かったですねっ、教授っ! これで教授の記憶も元に戻りますよっ!」
「あのな……ステ=イションがどんな所か知らないし、着いてすぐ記憶が戻るとは限らないんだぞ……」
疲れた様子でため息をつく鋭時に、シアラはさらに強く袖を握り締める。
「やっぱり教授は心配性ですねっ、でもご安心くださいっ! ステ=イションにはジゅう人がたくさんいるはずですから、きっと教授も歓迎されますよっ!」
「歓迎ね……俺の目的は記憶だけなんだが、素直に手掛かりを探せるのやら……」
「教授ぅ、まさかステ=イションに行かない……なんて言わないですよねぇ?」
考え事を呟きながら俯いた鋭時の横顔をシアラが心配そうに覗き込んでいると、ドクが近付いて来てフードの付いた袖の無い黒い外套を投げ渡した。
「安全な場所まではその外套を被るといい。そいつはA因子を遮断する人工繊維で出来てるから、ステ=イションでも鋭時君が人間だと気付かれずに行動が出来る。急場凌ぎで申し訳ないが使ってくれ」
「ステ=イションにはこんなものまであるのか……どうだ、シアラ? これで俺が人間に見えなくなったか?」
受け取った黒い外套をすぐに被った鋭時がそのままシアラに尋ねるが、シアラは不思議そうに鋭時を眺め続ける。
「えーっと? 特に変化はないですねぇ……教授は教授ですよ?」
「シアラさんは既に鋭時君のA因子を認識しているから、もう隠せないよ。これで隠せるのは、まだA因子を認識してないジゅう人に対してだけだからね」
鋭時とシアラのやり取りを見ていたドクが苦笑交じりに投げ渡した外套の効果を説明すると、鋭時は脱いだ外套を手に取りながら呟いた。
「なるほど、そういうもんなのか。ところでドク、さっきから言ってるA因子って何なん……だ!?」
記憶の片隅にすら無いA因子という言葉の意味を質問しようと鋭時が顔を上げた瞬間、いつの間にか近付いていたドクが突然何もない場所から杖を取り出しながら鋭時の頭に向かって勢いよく振り下ろした。