第45話【核心への確信】
ロジネル型居住区における人間の不幸を知った面々だが、
ドクの不用意な一言で一斉に殺気立ち、鋭時は身をすくめた。
「みんな落ち着いてくれ……ドクだってそんなつもりで言ったんじゃないんだし、俺はどこにも行かないよ」
「旦那様の仰る通りです。若奥様も皆様も落ち着いてくださいませ」
一斉に殺気立つ女性陣を慎重に説得する鋭時に続き、落ち着いた様子のチセリが柔和な微笑みを浮かべて宥める。
「約束ですよっ、教授っ! ずーっと一緒ですからねっ!」
「鋭時お兄ちゃんの言う通りだね、まずはドクの話を聞かないと」
僅かに平静を取り戻しながらスーツの袖を掴み続けるシアラに感化されたのか、ヒカルが白いサロペットの内側に組み込んだ収納術式から手を放す。
「そうね……ドクには何度か助けてもらったし、えーじ君の面倒も見てくれてる。まずは話を聞かせてもらいましょうか?」
「ああ、ヒラ姉の言う通りだ。返答次第じゃ容赦しねえぜ?」
「さあドク、何のつもりであんにゃ事言ったのか説明してちょうだい!」
続くようにヒラネとセイハが臨戦態勢を解くと、スズナが険しい目つきでドクを問い詰めた。
「酔った上での失言とはいえ、みんなを不安にさせて申し訳なかった。もし多くの人間がキミ達のように優しければ、ボクもこんな考えを持つには至らなかったよ」
「おいドク。さっきのあの言葉、酒の席での戯言なら聞き流すが、そうでないならシショクの願いに誓って容赦しないぞ」
頭を下げながら白衣のような黒服のポケットに手を入れたドクに、推移を静かに見守っていたミサヲが小さくため息をついてから落ち着いた口調で凄む。
「流石に飲み過ぎただけだよ、鋭時君に協力する方が余程ボクの理想に適うんだ。これからも人間に直接手を下す真似は絶対にしないし、キミ達のいる所では二度と人間の絶滅なんて口に出さないよ」
「分かった、ならこの件はこれで手打ちだ。みんなもそれでいいだろ?」
項垂れて頭を押さえたドクが静かに首を横に振ってから人間に直接危害を加える意思が無い事を伝えると、ため息をついたミサヲが頭を掻きながら周囲を見回して手打ちを提案した。
「ここに来る前にあんな話を聞いたら、俺だって同じ考えを持っちまうよ……でもまだジゅう人を知らない人間がロジネル型の居住区にはたくさんいて、俺の記憶を戻す過程で助けられるってドクが言ってたんだ。だからここは穏便に……」
「そうか! 鋭時お兄ちゃんはロジネル型居住区から来たからロジネル型居住区の場所を知ってるんだ! 確かにドクの協力は必要不可欠だね」
慎重に言葉を選ぶ鋭時の説得の意図に気付いたヒカルが兎のような耳を揺らすと同時に両手を叩き、新たな悪戯を思い付いた子供のような笑みを浮かべる。
「ちょっとヒカル、勝手に決めにゃい!……えーじしゃまとみしゃおねーしゃまに免じて聞かにゃかった事にするけど、次は承知しませんからね!」
「これから先もマーくんが教授の記憶探しを手伝ってくれるのでしたら、わたしもスズにゃんと同じで聞かなかった事にしますよっ!」
真っ先に鋭時からの提案を受け入れたヒカルに不機嫌な表情を浮かべたスズナが心を落ち着かせるように肩にかかった髪を掬うように払いながら提案を受け入れ、シアラも鋭時のスーツの袖を強く握りながら提案を受け入れた。
「スズナちゃんとシアラちゃんが目を瞑るのなら、ワタシから言う事は無いわね」
「アタシもヒラ姉と同じだ。偉かったぜ、スズナ。シアラもな」
目を細めて鋭時の両隣を眺めながら静かに頷いたヒラネに続き、セイハも大きく頷いてからヒラネの視線の先へと目を向けて微笑む。
「皆様ありがとうございます、ドクターも今後はお気を付けくださいませ」
「やれやれ助かった……とはいえ興が醒めて申し訳ない、今日はこれで失礼させてもらうよ。強盗団のアジトは分かり次第連絡するから」
重苦しい空気が消え去り胸を撫で下ろしたチセリが軽くお辞儀をしてからドクに釘を刺し、安堵の表情を浮かべながら頭を掻いたドクは立ち上がると同時に自前の椅子をLab13の中に仕舞った。
「お待ちください、マスター」
「すまないがレーコさん、先に帰っててくれないか? ボクは自販機街で一服してから帰るよ」
「かしこまりました、マスター」
呼び止めて来たレーコさんに対して研究所へ戻るよう頼んだドクは、Lab13の中からマルボロのソフトケースを取り出しながら店の出口へと向かう。
「じゃあなドク、情報待ってるぜ。あと煙草は程ほどにしておけよ」
「こういう時に合法薬物しか使わないのは交友が健全な証拠だ、心配無用だよ」
「なーにワケわかんないこと言ってんだか……」
軽口を叩いて見送るミサヲに背を向けたまま手を振ったドクが店から出て行き、ミサヲはドクの閉めた扉を眺めながら呆れた様子で呟いた。
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「レーコさんはしばらく残っててくれてもいいぜ」
「いえ、マスターの指示ですので失礼します。本日は申し訳ありませんでした」
ドクに続いて店を出ようとするレーコさんをミサヲが引き止めようとするが、レーコさんは微笑む表情を映して断ってから真剣な表情へと切り替えて深々と頭を下げる。
「レーコさんは何も悪くないですっ! 教授もマーくんを信用してるんですから、わたしはもう大丈夫ですよっ!」
「シアラの言う通りだぜ。ドクの性格にはあたし達も慣れてんだし、レーコさんが気に病む事は無いよ」
「皆様ありがとうございます、今後ともマスターをよろしくお願いいたします」
激しく首を横に振ってから微笑み掛けるシアラに続いてミサヲが頭を掻きながらフォローし、レーコさんは再度深々と頭を下げてから音も無く店の扉をすり抜けて行った。
「まいったな、ドクの方こそ馬鹿な真似をしでかさないだろうね」
「ドクの目的は……ジゅう人の文化と俺の記憶を戻す事だし、上手く言えませんが人間を直接傷つけるような真似はしませんよ」
ドクとレーコさんを見送ったミサヲが疲れた様子で壁へと寄り掛かるが、鋭時はぎこちなく言葉を選びながらも確信した様子でドクの取り得る行動について危険が無い事を示唆する。
「そこまで鋭時が考えてるなら大丈夫なのかもな。先の事は考えても仕方ないし、今日はもうお開きにするか」
「分かったよ、ミサヲお姉ちゃん。ぼくも早く帰って鋭時お兄ちゃんの記憶を戻す方法が無いか考えてみたくなっちゃったよ」
ドクに対する鋭時の考え方を聞いて軽く頷いたミサヲが肩をすくめてから解散を提案すると、赤い縁の眼鏡を通して鋭時の観察を続けていたヒカルが立ち上がって店の出口へと駆け出した。
「もうヒカルったら……えーじしゃま、みしゃおねーしゃま、これで失礼します。シアラちゃんもまたね」
「せっかく来てもらったのに申し訳なかったね。おやすみなさい、スズナさん」
そのまま駆け足で店を出て行ったヒカルを追い掛けようと立ち上がったスズナが軽くお辞儀をしてから手を振り、軽く頭を下げた鋭時が出来る限りの優しい笑顔を浮かべて手を振る。
「えーじしゃまは悪くありませんよ。それにそんにゃ優しい声でおやすみにゃさいにゃんて言われたら、耳が幸せ過ぎてほとばしってしまいます……」
「よかったな、スズナ。ヒカルの事、よろしく頼んだぜ」
「ルーちゃん、スズにゃん、まったねーっ!」
慌てて鋭時に手のひらを向けたスズナが片耳とスカートの裾のそれぞれを片手で押さえながら顔を赤く染め、優しく微笑んだミサヲとシアラがそれぞれ手を振って見送った。
▼
「ワタシ達も片付けを済ませてからお暇するわね」
「いえ、片付けなら俺がしますよ」
空になった食器の並ぶテーブルを見回したヒラネが腕まくりしてから後片付けの準備を始めるが、鋭時が手のひらを向けて制止してから立ち上がる。
「片付けなら私達にお任せくださいませ、旦那様」
「チセ姉の言う通りだぜ、王子様はもう休んでろよ」
「食洗器の使い方なら覚えましたし、大丈夫ですよ。みなさんの方こそ色々あってお疲れでしょう?」
同じく後片付けを始めようとしていたチセリとセイハが鋭時に休むよう促すが、鋭時は周囲の女性陣を気遣うように愛想笑いを浮かべて後片付けを買って出た。
「御心配ありがとうございます、旦那様。でも本当は考え事があるのですよね?」
「やっぱりチセリさんの目は誤魔化せないよな……勝手ばかり言って申し訳ない。少しひとりで考えたいんだ」
丁寧な仕草でお辞儀をしつつも優しく微笑むチセリに本心を見抜かれた鋭時は、指で頬を掻きながら後片付けを買って出た理由を素直に打ち明ける。
「かしこまりました旦那様。こちらで捨てるものだけは私達で片付けますから、旦那様は食器の方をお願いします。若奥様とミサヲお嬢様もよろしいですね?」
「分かりましたっ! お言葉に甘えてお先に休みますねっ、教授っ!」
「悪いな、シアラ……恩に着るぜ」
再度丁寧な仕草でお辞儀をして柔らかく微笑むチセリに同意したシアラが鋭時のスーツを掴んでから見上げるように微笑み、鋭時は指でこめかみ辺りを掻きながら複雑な笑みを浮かべた。
「いいんですよっ、考えてこその教授なんですからっ」
「あたしもいいと思うぜ、鋭時が考え事をすれば記憶が戻るんだろ? でも無茶はすんなよ」
スーツの袖から放した手を後ろに回したシアラが笑みを浮かべ、頭を掻きながらシアラに同意したミサヲが鋭時に向かって親指を立てる。
「分かってますよ、ミサヲさん。無理だと分かったら遠慮なく頼るんで」
「いい心構えだ、やっぱり鋭時は凄いよ……」
静かに頷いた鋭時が自信に満ちた笑みを返し、ミサヲは感心した様子で再度頭を掻いてから頷いた。
「ミサヲお姉様とチセ姉ちゃんが決めたんなら、ワタシが出る幕は無いわね」
「ゴミならもう纏めてあるぜ。帰りにダストシュートに寄ればいいんだろ?」
満足そうに微笑みながら頷いたヒラネに近付いたセイハは、スライム体で作った手に持ったゴミ袋を見せながら自分の手の親指で出口を指し示す。
「ありがとう、セイちゃん。ワタシ達はこれで失礼するわね、おやすみなさい」
「分かったぜ、ヒラ姉。それじゃみんな、またなー」
「では私もこれで失礼致します、お休みなさいませ」
既に自分達の役割を終えたヒラネとセイハがそれぞれ挨拶してから店の出口へと向かい、続くチセリも丁寧な仕草でお辞儀をしてから店を出て行った。
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「おやすみなさーいっ! では、わたしも……寝る前にお風呂でしたねっ。覗きに来ないとダメですよっ、教授っ」
「そこは『覗いたら駄目』だろ? 普通」
店の出口に向かって手を振ってから満足そうに頷いたシアラが居住スペースへと向かう途中で鋭時に微笑み掛け、鋭時は呆れた様子でシアラに聞き返す。
「あはは、そうとも言いますねー……では、しつれーい」
「まったく、何考えてんだか……」
誤魔化すように笑ってから手を振ったシアラがいそいそと居住スペースに入り、鋭時は呆れた様子でため息をつきながらテーブルを見回した。
「よーっし、風呂ならあたしも入るか。おーい鋭時、シアラ借りるぞー」
「ミサヲさんも何で俺に許可取るんだか……取り敢えずシアラが困らない範囲でのスキンシップでお願いしますよ、今の俺ではあいつを慰められませんから」
シアラを追うように居住スペースへ向かうミサヲからの言葉に思わず吹き出した鋭時は、愛想笑いを浮かべながらミサヲに釘を刺す。
「慰め合うとか嬉しい誤解だが、そこまで行っちゃいけないんだよなあ。我ながら健気なもんだぜ」
「その趣味のおかげで助けられたようなものだから強くは言えませんけど、少しは自重してくださいよ……」
足を止めて鋭時の苦言を軽く流したミサヲが自分の胸を両手で抱き締めるように抱え、僅かに顔を沈めた鋭時が頭を掻きながら小さくため息をついた。
「そりゃ出来ない、可愛い女の子を抱いて愛でて守るのはあたしの当然の使命だ」
「何ですそれ、意味が分かりませんよ」
余裕のある表情で静かに首を横に振ってから自分の行為を正当化するミサヲに、鋭時はジト目で聞き返す
「そんな目で見るなよ。あたしはシアラやスズナと違って17か18の頃までには体が今の大きさまで成長した上に、ジゅう人は役割が来るまで同性でつるむ習性があるんだ。だからなのか子供の頃から周りのみんなに姉のように慕われて来たし、今でもあたしはそんなみんなを愛おしく思ってる」
「そうなんですか、俺はてっきり……」
「あとな、どの娘も頬っぺたや二の腕を触るとぷにぷにしてて気持ちいいんだよ。幾つになってもあれは堪らんね~……ってなんだよ、その顔は~?」
誤魔化すように笑ってから真剣な表情と口調で自分の考えを語るミサヲに鋭時は軽く頷いてから表情を和らげ出すが、途端にミサヲが表情を崩しながら再度自分の胸を両手で抱き締めるように抱え出して鋭時は元のジト目に戻った。
「何でもありません。あまりシアラを困らせないでくださいよ、今はミサヲさんに頼るしか無いんですから」
「分かってる。あたしもシアラの泣く顔は見たくないし、あたしも……急がないとシアラが風呂から出ちまうな。待ってろよ~! マイエンジェール!」
諦めと不安が混ざり合ったかのような複雑な表情を浮かべた鋭時に自信に満ちた笑みを返したミサヲは、結んだシャツの裾をほどいて脱ぎ始める。
「ちょっ! ミサヲさん!? いきなり脱がないでくださいよ! いくらなんでも無防備じゃないですか?」
「減るもんじゃ無いし別にいいだろ? 色々あって体に熱がこもってんだよ」
「いやいや、俺が見るのは色々とマズイでしょ」
慌てて大声を上げた鋭時をからかうようにミサヲがボタンを全て外したシャツの裾を掴んで激しく扇ぎ、慌てた鋭時は自分の目とミサヲの胸元の間を隔てるように手のひらを広げながら必死に止めた。
「確かにまだ早かったな……残りは向こうで脱ぐよ。おやすみ、鋭時」
「おやすみなさい、ミサヲさん……やっと行ってくれたか……あいつとの会話だけでも疲れるってのに、ミサヲさんにまでからかわれたら身が持たないぜ……」
悪戯じみた笑みを浮かべながら居住スペースへと入って行ったミサヲを見送った鋭時は、安堵の表情を浮かべながらため息をつく。
(それでも記憶を失う前の俺には無かった経験なんだよな……)
しばらく考え事をしていた鋭時の脳裏にミサヲの胸元で激しく揺れる2つの塊が浮かぶ。
「さすがに節操無さすぎだろ……と、とにかく片付けだ!」
全力で首を横に振った鋭時は、そのままテーブルの上の食器を纏め始めた。
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(今日話した感じだと、ドクの本当の目的はジゅう人界へ行く事じゃ無いのか?)
ようやく平静を取り戻した鋭時は【圧縮空壁】を改良して作り出した空中に浮く盆に食器を重ねて載せ、そのままキッチンに運びながら思考癖を暴走させないよう慎重に考えを纏め始める。
(考えてみれば、数万人にも及ぶジゅう人が【大異変】から転異暦変更までの間に地球に来てるのに、転異暦変更以降はジゅう人界から来た者はひとりもいない……つまり地球とジゅう人界を繋ぐ次元の裂け目みたいなもんが再び発生する可能性はほぼゼロになる……だとすると、ドクの本当の目的は何だ?)
キッチンに入った鋭時は全自動食器洗浄機の中で洗い流される食器をぼんやりと眺めながら、訓練を受けた初日から今日までにドクから受けた説明の疑問点を纏め出した。
「今のドクにとってジゅう人界へ行くよりも俺の記憶を戻すのが最良の手段だ……ドクの本当の目的はおそらく……っといけね」
いつの間にか口を開いて考え事に没頭している自分に気付いた鋭時は慌てて口を噤んで周囲を見回し、居住スペースの廊下にそっと近付いて中の様子を窺う。
(2人はまだ風呂か……構造上脱衣所を挟むし、俺の声は届かなかったよな。でも危なかった……やはり思考癖を抑えるのは無理か、今日はここまでにして置こう)
風呂場の大きなガラス戸から見える明かりを確認した鋭時は軽く安堵のため息を漏らし、キッチンの全自動食器洗浄機のタイマーを確認してから寝室に向かった。
▼
「1か月経っても情報が全く無いとはね……いったい燈川君は何者なんだ?」
時間は戻り鋭時達が店に帰り着いた頃、ステ=イション外周署の署長室の椅子に腰を掛けた真鞍は、各ロジネル型居住区の警察署から送られた行方不明者リストや捜索願の写しを机に置いてから顎に蓄えた髭を指で撫でる。
(みんな真面目に働いてるし、せめてこれくらいはと思ったんだけどね……)
刑事として現場で働いていた真鞍が20年近く署長不在であったステ=イション外周署の署長に着任して半年が経つが、ステ=イション型居住区の警察署長は代々人間が就任する慣例だけが残ったため業務は副署長を中心に滞りなく動いている。
お飾りの署長とは言え1日中椅子に座り続ける職務が性に合わない真鞍は簡単な雑務などを引き受けては現場を駆け回るなどして署員を手伝い、ドクから頼まれた鋭時の素性調査も簡単な雑務の一環のはずであった。
(結局辿り着けずにこの有様……机の惨状を見たドクは何かの酒に例えてたけど、何だったかな……?)
プリントアウトした紙資料の山が幾つも重なった机を眺めていた真鞍がドクとの会話を思い出しながら苦笑していると、何者かが署長室の扉をノックする。
「真鞍署長、お聞きしたい事があるのですが、よろしいでしょうか?」
「分かった、蔵田君。ロックは解除してあるから入って来てくれ」
扉の向こうから聞こえて来たステ=イション外周署の副署長、蔵田の声に対し、真鞍は気さくに答えながら入室を促した。
「はっ、失礼します」
「お疲れ、蔵田君。今コーヒー入れるから、そこに座って待っててよ」
機械式の扉が横に開くと同時に入って来て敬礼をする背中にカラスのような黒い羽を生やした制服姿の青年に軽く敬礼を返した真鞍は、壁際の棚に備え付けられたコーヒーサーバーを指差してから応接用のソファに座るよう促す。
「ですから真鞍署長、そういうのは……」
「この部屋くらいは僕の好きにさせてよ」
「仕方ありませんね、分かりました。お言葉に甘えさせていただきます」
慣れた口調で苦言を遮る真鞍に蔵田は観念したように返事をしてソファに座り、真鞍は嬉しそうに壁際の棚からプラスチックのカップを2つ取り出してコーヒーを注いだ。
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「お待たせ。ところで、聞きたい事と言うのは?」
「ありがとうございます、いただきます……お聞きしたいのは今日の強盗団追跡の件ですよ、どうしてあんな危険な場所にひとりで行ったのですか!?」
持って来たカップの片方を蔵田の前に置いた真鞍が向かいのソファに座ってからコーヒーをひと口啜り、蔵田もひと口飲んでから険しい顔付きで口を開く。
「そんな恐い顔しないでよ~。僕だって刑事の端くれ、引き際は弁えてるよ。現にこうして無事に帰って来てるんだし」
「そういう問題ではありません! ロジネル型居住区では一介の刑事だったのかもしれませんが今は違います、真鞍署長の身に何かあったらどうするんですか!?」
誤魔化すように愛想笑いを浮かべた真鞍に対して蔵田は苛立ちを隠せずに大声を上げてから複雑な表情を浮かべた。
「さっきの会議で強盗団には賞金を懸けて掃除屋達に任せるって決まったんだし、みんな心配してくれてるのは分かったから、これ以上は勘弁してよ~」
「はぁ……仕方ありませんね。強盗団の件が解決するまで居住区から出ないと約束してください」
尚も愛想笑いを浮かべながら頭を掻く真鞍に対して疲れた様子でため息をついた蔵田は、目の前の人間の身を案じて念入りに釘を刺す。
「それは約束する。しばらくはそこの案件で資料とにらめっこだ」
「燈川鋭時ですか……昼過ぎ頃に【破威石】の換金に来ていたらしく、換金所から出るのを見掛けた女性署員達が盛り上がってましたよ」
真剣な表情に戻してから頷いた真鞍が机の上を指し示し、言わんとするところを察した蔵田が日中の出来事を複雑な表情で報告した。
「僕も【遺跡】の入り口で会ったよ。お嬢ちゃんと2人きりで……っとすまん」
「別に構いませんよ。榧璃乃シアラ本人も言っていましたけど、我々ジゅう人からすれば法的に制限のある年齢を超えれば歳なんてあって無いようなものですから。それで燈川鋭時と榧璃乃シアラとは何を?」
大きく頷いてから昼間の出来事を話した真鞍は言葉を詰まらせるが、蔵田は眉を顰める事無く頷いてから質問を返す。
「ただの他愛のない雑談だよ。デートみたいに仲良く並んで歩いてたけど、駆除はきっちり出来てるようだね」
「並んで歩いただけ、ですか……依施間チセリから聞いた通り、燈川鋭時の容体は相当深刻なようですね……」
蔵田からの質問に真鞍が冗談を交えつつ安心した様子で答えると、蔵田は自身の持つ情報と照らし合わせながら難しい表情で俯いた。
「蔵田君の妹さんだったかな? お姉さんの住んでるビルの管理人をしてる……」
「はい、燈川鋭時が凍鴉楼に初めて入った日に出逢って覚醒したそうで、その時の事を嬉しそうに話してましたよ。同時に燈川鋭時に掛けられてた術式の件では相当怒ってましたけどね」
しばらく考えてから聞き返した真鞍に素直に頷いた蔵田は、我が事のように照れ笑いを浮かべながらも途中で顔を曇らせる。
「僕もドクから聞いたよ……ひとりの人間にこれだけの事をしておいて警察には、少なくとも僕の所に入ってくる情報が無いと来てる。つくづく人間が嫌になるよ」
「真鞍署長は何も悪くないですよ。ステ=イション型居住区とロジネル型居住区の関係を考えれば、これも仕方の無い事です」
別の情報源から同じ情報を得ていた真鞍が心底参った様子で額に手を当てながら僅かに首を横に振ると、蔵田は静かに首を横に振って返してから2種類の居住区に横たわる弊害を指摘してため息をついた。
「僕もここに来るまでジゅう人をよく知らなかったからな。ロジネル事件の聴取に駆り出された時に簡単な講習は受けたけど、数が多くて考える暇も無かったよ~」
「人間にジゅう人を理解してもらうには相当の時間が必要のようですね……無論、我々ジゅう人も人間を知らなさ過ぎました。まさか同族に対してあんな惨い呪いを掛ける者までいるなんて……」
現場を懐かしんで微笑む真鞍に軽く頷いて返した蔵田だが、自身の想像の及ばぬ事態を思い返して顔を沈める。
「僕も信じられないけど、これが現実だよ。だからこそ燈川君は絶対に助け出してお嬢ちゃんと、それからもちろん蔵田君の妹さん達を幸せにしてもらわんとな」
「幸せになって欲しいのは本心ですが、少しだけ複雑ですね。これから燈川鋭時をどう認識すればいいか……」
静かに首を横に振ってから軽く頷いた真鞍が励ますように笑みを浮かべ、蔵田は頭を掻きながら照れ笑いにも取れる複雑な表情を返した。
「どうやら妹の心配をする兄というのは、人間とジゅう人で共通するみたいだね。燈川君の件が落ち着いたら蔵田君の番だし、僕も協力するよ。気になる女の子とかいないのかい?」
「いえ、自分はジゅう人ですので繁殖のパートナーを選ぶ事は……」
「え? そうなの?」
人間とささやかな共通点に顔を綻ばせて勢いよく質問をした真鞍だが、困惑した表情を返して来た蔵田の思わぬ返答に思わず聞き返す。
「はい、どのジゅう人も全身から興奮を抑制して精神を鎮静化させて生物の性欲を減衰させる魔術的な音波を常時発しています。そのせいなのか生まれ付きなのかは分かりませんが、繁殖の知識はあっても実践したい欲が少ないのです」
「それじゃあ女の子を人間に取られっぱなしじゃないか……ちょっと待てくれ! ステ=イションにはジゅう人のご夫婦もいるけど、どういう事なんだね……?」
真剣な表情に戻った蔵田がそのまま表情を崩さずにジゅう人の特異体質から来る習性を説明すると、複雑な表情で呟いた真鞍が説明の矛盾に気付いて聞き返した。
「すいません、言葉足らずでしたね。ジゅう人の女性は人間の持つA因子によって繁殖本能を覚醒させますが、ジゅう人の男にもN因子という物質があります」
「ああ、ここの署長になる際の講習で聞いたよ。確かA因子と効果は同じだけど、ひとりの女性にしか効果が無いんだったかな?」
説明不足を素直に詫びてからジゅう人男性の脳内で分泌される化学物質に関する説明をした蔵田に、真鞍は以前に聞いた話を思い出して再確認しながら聞き返す。
「ええ、その通りです。このN因子によって覚醒したジゅう人の女性は自分を覚醒させた男のみを興奮させる物質を体内で生成しますので、ここで初めてジゅう人の男は性欲を持てるんです」
「そうか……ステ=イションは可愛い女の子が多いと聞いたから期待してたけど、話し相手にされなくて安心したよ。ちょっと寂しいけどね」
静かに頷いて答えた蔵田がジゅう人同士の繁殖のプロセスを淡々と説明すると、呆然としながらも頷いた真鞍が引きつったような複雑な笑みを浮かべながら力無く頭を掻いた。
「上層部もA因子の低い人間を署長に選んだのでしょう、我々ジゅう人からすれば少々残念な話ですけどね……」
「そういえばここに来る前にも何度か機械のチェックを受けたよ。相曾実君の件が相当堪えてたみたいだねえ」
合わせるように頷いてから愛想笑いを浮かべた蔵田に対し、真鞍も署長就任前の出来事を思い出しながら納得するように大きく頷く。
「あの、真鞍署長……署内で父の話題は……」
「詳しい説明を忘れてたね、上からのお達しは女性ジゅう人の前で話題に出さない事だから。今ここには僕と蔵田君だけしかいないし」
上層部からの通達に反する発言に気付いた蔵田が静かに諫めるが、真鞍は通達の詳しい内容を説明してから悪戯じみた笑みを浮かべた。
「なるほど、そういう事でしたら」
「とは言え……僕にとっては20年前に顔を合わせたきりなんだ。あの相曾実君が忘れ形見を残して居なくなってたなんて、今でも信じられないよ」
真鞍の笑みに釣られて吹き出しそうになるのをどうにか堪えて頷いた蔵田に頭を掻きながら愛想笑いを返した真鞍は、感慨深そうに目を細めながらも複雑な表情で蔵田を見詰める。
「真鞍署長は、父とはどのような関係だったのでしょうか?」
「ただの同期さ。僕が現場を駆け回ってる間も、相曾実君はキャリアを積んで出世街道を歩いてた。ここの署長になる前にはもう疎遠になってたし、どういう経緯で署長になったのかは知らないんだ」
気恥ずかしそうな笑みを返した蔵田が微かに期待するような面持ちで父親の事を真鞍に尋ねると、真鞍は若い頃の思い出を話しつつも蔵田の期待に応えられないと気付いてばつが悪そうに頭を掻いた。
「そうですか……」
「まあそうしょげなさんな。A因子の低い僕はここで自由に動けるみたいだいし、相曾実君の事を思い出したら話してあげるよ」
普段の冷静な態度からは全く考えられない程に落ち込む蔵田を励ました真鞍は、自分の立場を利用した協力を約束する。
「ありがとうございます、真鞍署長。人間の女性がA因子の低い人間男性に魅力を感じるのも頷けます」
「ははっ、魅力は買い被りすぎだよ。確かに大事な人に出会う事は出来たけどな」
目に見えて分かる程に立ち直った蔵田が納得した面持ちで真鞍を見詰め、蔵田の羨望に気付いて左手のひらを向けた真鞍はそのまま左手薬指に嵌めた指輪が視界に入って目を細めた。
「失礼ですが真鞍署長については少しだけ調べさせていただきました。奥様の事は残念としか申し上げようがありません」
「15年も前の話だ。辛くないと言えば嘘になるが、君が気に病む事じゃないよ。それにここに来たのも、天国のあいつが導いてくれた運命のような気がするんだ」
突然テーブルに身を乗り出すように腰をかがめて小声で話し出した蔵田の意図を察した真鞍は、同じく顔を突き出して小声で話しつつ左手の指輪を右手で覆う。
「運命ですか……ですが、この街にあの事件の手掛かりがあるとはとても……」
「僕も最初はそう思って落胆したよ。だが、急がば回れとはよく言ったもんだ」
言葉の意味を捉え兼ねた蔵田が視線を手元に逸らしてから言葉を濁すと、真鞍は蔵田の困惑を理解するように頷いてから満足そうな笑みを浮かべた。
「それはどういう……」
「人間相手に平然と非道を働くような奴等がジゅう人に同じ事をしない訳が無い、しかもちょっかいを出す方法には限りがあるから必ずボロが出る」
尚も真鞍の言葉を理解出来ずに首を捻る蔵田に対し、真鞍は推理を交えた自身の思惑を説明する。
「確かに……そういう意味ではジゅう人だけの街で働くなんて数奇な運命ですね」
「この偶然には感謝してるよ、中々面白い人物にも知り合えたからね。しばらくはひとりで燈川君の素性探しだけどね……」
ようやく真鞍の言葉を理解した蔵田が身を乗り出した体勢のまま小声で頷くと、真鞍も同じ体勢で頷いてから体勢を戻して書類の詰まれた机を親指で指し示した。
「いえ、手が空いたら我々も協力しますよ」
「そうしてもらうと助かるよ、今はまだ情報が少ないからね。今日はもう遅いし、僕はもう休んで続きは明日にするかな。蔵田君も無理はしないでくれよ」
爽やかな笑顔を浮かべながら協力を約束する蔵田に礼を述べた真鞍は、そのまま立ち上がって大きく伸びをする。
「了解しました、自分はまだ仕事が残っているのでこれで失礼します」
「分かった。お疲れ、蔵田君」
既に温くなったコーヒーを飲み干して立ち上がった蔵田が敬礼してから署長室を出て行き、真鞍は気さくに笑って蔵田を見送った。
▼
「それじゃ僕は帰るから、よろしくな」
「カシコマリマシタ、真鞍署長」
空になったプラスチックのカップをゴミ箱へと捨ててから署長室を出ようとした真鞍が後ろを着いて来た3台の警備ロボットに声を掛けると、代表するかのように1台が返事をしながら前に出る。
(もっともこいつらの目的は護衛ではなく監視だろうがな)
署長室の扉を開けた警備ロボットの背面を眺めていた真鞍は、律儀に受け答えをしてくるロボットとの面倒な会話を避けるために心の中で毒づいた。
(相曾実君の起こした「不祥事」の再発防止、もうひとつは……もう少しで奴等の手掛かりが見付かりそうなんだ。しばらくは大人しくしておくよ)
複雑な表情を浮かべながら心の中で呟いた真鞍は、警備ロボットの誘導に従って署長室を後にした。