第40話【底もあり切り札もあり】
凍鴉楼の庭園型バルコニーで術式を改良した鋭時とシアラは、
ステ=イション式武術の極意に気付いてDDゲートの訓練をクリアした。
「今なら分かるぜ。最初に聞いてたら逃げる事ばかりを考えて、ロクな攻撃手段を思い付けなかったろうな」
夢の中に入り込む訓練装置、DDゲートの訓練を思い返して頷く鋭時に、ドクも満足したように頷いてから口を開く。
「大切なのは逃げる事じゃ無くて生き延びる事なんだ。武術の極意も駆除のコツも戦況の変化や成長の具合で毎回変わるが、変えられるのは生きてればこそなんだ」
「生き延びるのが最大の極意か……確かに生きてなきゃ次がないものな……」
DDゲートによる訓練の真の目的をドクがひと通り説明すると、鋭時は納得して大きく頷きながら神妙な面持ちで呟いた。
「そのとーりですっ、教授がいないと子供が増えませんからっ!」
「おーいシアラさん、俺はそういう意味で言ったんじゃないぞー」
落ち着いた空気を破るかのようなシアラの笑みに、鋭時は手で額を押さえながら呆れた口調で釘を刺す。
「いーじゃないですかぁ、教授ぅー。何するにも生き甲斐は大切なんですから……うわわっ!?」
「シアラの言う通りだ! ここ最近は早く帰ってシアラをハグするのが生き甲斐になってるぜ!」
「……むぎゅぅ……」
難しい顔をする鋭時に甘えるような声色で反論するシアラをミサヲが抱き上げ、シアラの顔は驚きの声諸共ミサヲの胸に挟まれ埋もれた。
「やれやれ、これも極意の賜物とは言え困ったもんだ……それで鋭時君、今までの訓練で何か思い出せたかい?」
「いや、結論から言えば何も思い出せなかったよ。記憶を失う前の俺がどんな人間なのかは漠然と思い出せたけど、住んでた居住区や拒絶回避の事はさっぱりだ」
呆れながら肩をすくめたドクがひと呼吸置いて核心に迫る質問を鋭時にするが、鋭時は自分の素性に至らない僅かな成果を思い出して静かに首を横に振る。
「ふむ……【遺跡】やZKに関する情報を提供したから、ある程度は思い出せると踏んでたが……これは少々アテが外れたかな……?」
「せっかくここまでしてもらったのに、面目ない……」
自身の目算が外れたと確信したドクが腕を組みながら難しい顔をすると、鋭時は沈んだ表情で頭を掻いた。
「……ぷはぁ! 教授は何も悪くありませんよっ、悪いのは教授を呪った人間なんですからっ!」
「シアラの言う通り、鋭時の呪いは必ず解ける。無茶だけは絶対にすんなよ」
ようやくミサヲの胸から顔を脱して鋭時を元気付けようと微笑むシアラに続き、ミサヲも同意するように頷いてから空いた方の手の親指を立てる。
「無茶するなと言われても、手掛かりは【遺跡】に行くしか無いからな……」
「当然の話だけど、【遺跡】はもちろん再開発区に入る時にもミサヲさんの許可が必要だよ。これは鋭時君の安全を考えての事だ」
忠告を理解しながらも他に手段の思い付かない鋭時が頬を指で掻きながら乾いた笑いを浮かべると、ドクは呆れた様子で肩をすくめてから釘を刺した。
「分かってるよ、ドク。ここから先は本当にやり直しの利かない本番だ、先輩方の意見にはきちんと耳を傾けるぜ」
「いい心構えだ。って言いたいけど、鋭時の本番は記憶を戻してからだぜ。これが先輩としての最初のアドバイスだ、絶対に忘れんなよ」
2人の度重なる忠告を通じて自分の置かれた立場への理解を示した鋭時に対し、ミサヲは再度親指を立てながら悪戯じみた笑みを浮かべる。
「あー……ははっ、そういう意味ならまだ先か……ったく、勘弁してくれよ……」
「でもミサちゃんの言う事は大切ですよっ、教授っ! これからわたしもずーっと教授といっ……うわわっ、またですか……わぷっ!?」
ミサヲの言葉と笑みに含んだ真意をしばらく考えて理解した鋭時が呆れた様子で頭を掻くと同時に興奮したシアラが身を乗り出すが、すぐミサヲに抱きしめられて再度胸の谷間に顔を埋めた。
「あたしもシアラとずっと一緒だ! よし、今日はシアラと鋭時の合格祝いだ! とことん飲むぞ!」
「こうなったミサヲさんは誰にも止められないな……あまり羽目を外さないようにしてくれよ、まだ何も解決してないんだからさ」
シアラを抱きしめたまま意気揚々と帰ろうとするミサヲに、ドクは諦めた様子で小さくため息をついてから自制を促す。
「言われなくても分ってるぜ、明日はさっそく【遺跡】に入るからさ」
「分かった、明日は俺も同行するよ。それと鋭時君は少しここに残ってもらってもいいかな?」
気さくに笑みを返したミサヲが真剣な表情に切り替わって翌日の予定を話すと、ドクも安心したように頷いてから鋭時の方へ顔を向けた。
「おいドク。せっかくのめでたい日にシアラを鋭時から引き離すなんて、いったいどういう了見だい?」
「ぷはっ……そうですよっ、マーくんっ! 教授をどうする気なんですかっ?」
鋭時が返事をするより早く抗議するミサヲに続き、再度谷間から脱したシアラも抗議の声を上げる。
「大した事じゃ無い、ちょっとした合格祝いをね。人間同士、男同士の大事な話になるから、しばらく2人きりにして欲しいんだ」
「しょうがねえな、あまりシアラ達を待たせんなよ」
女性陣からの猛抗議にも物怖じせずに肩をすくめたドクが含みを持たせた笑みを浮かべると、ミサヲは空いた方の手で頭を掻いてから渋々譲歩した。
「ありがとう、出来る限り善処はするよ。それと、もうひとつ野暮をいいかな? 俺は別件の用事があるから欠席させてもらう、レーコさんも待たせてるからね」
指でこめかみを掻きながら譲歩に感謝したドクは、そのまま自分の予定を話して別行動を示唆する。
「……分かった、あまり無茶すんじゃねえぞ。じゃあ先に帰ってるぜ、鋭時」
「早く帰って来て下さいねっ、教授っ!」
「ああ、分かった。終わったらすぐ帰るよ」
しばし考えてから頷いて訓練室を立ち去るミサヲに抱えられたシアラが悲壮にも近い表情で微笑むと、鋭時は出来る限りの柔らかな表情を浮かべて見送った。
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「やれやれ、ここから店まですぐだって言うのに大袈裟なんだよ……」
「とはいえ半覚醒してから1か月も進展が無いのは相当にイレギュラーな事態だ、早く戻るに越した事は無いだろう」
「そう……なのか。それでドク、大事な話っていったい何なんだ?」
呆れた様子で部屋から出て行ったミサヲ達を見届けた鋭時だが、神妙な面持ちで現状を危惧するドクの言葉に息を飲んで即座に本題を切り出す。
「時間が惜しいから、すぐ説明に入るよ。鋭時君が使ってるアーカイブロッドの、もうひとつの機能を教えようと思ってね」
「アーカイブロッドの隠し機能って事か? こいつにはそんなのがあるのか……」
「そんなところだ、機能を起動する為のパスワードを送信した。頭の中で念じれば生体演算装置が起動してくれるはずだ」
簡潔に説明をしたドクが片眼鏡型の立体映像、Tダイバースコープを起動すると鋭時は右腕を軽く振ってスーツの袖に組み込んだ収納術式からアーカイブロッドを取り出し、ドクは片満足そうに頷いてからTダイバースコープを操作した。
「このパスワードは!? これがアーカイブロッドの本当の名前……」
「そういう事だ、使い方を載せたマニュアルも添付してある。ただし使いどころは難しいから、よく考えて使うんだよ」
アーカイブロッドに送られて来たパスワードを読み取って驚き聞き返す鋭時に、ドクは悪戯が成功した子供のように微笑んでから神妙な顔付きで注意を促す。
「ああ分かってるぜ、ドク。こいつは滅多に人前で使えるもんじゃないからな……でもいいのかい、俺がこれを持ち続けても?」
「構わないよ、それは鋭時君が持ってた方が色々と効率がいい。そうだ、今ここで試してみるかい?」
忠告した理由を即座に理解して頷いた鋭時が慎重に質問を返すと、ドクは涼しい顔で答えながら多重次元収納装置Lab13に手を入れた。
「そうだな……せっかくだから頼む。1日も早くこいつに慣れておきたいからな」
「任せてくれ。ただし、時間は長く取れないよ」
既に質問の体を成していない質問に鋭時が真剣な表情で答えると、ドクは玩具を自慢する子供のような笑みを浮かべながら金属の支柱をLab13から取り出した。
▼
(とんでもない威力だったが滅多に使えねえ、文字通り切り札って訳だ……ドクが隠したがるのも無理ないぜ……その上で初っ端から俺に手渡したんだから、色々と余裕があるんだろう……俺も満足してられないな……)
「「合格おめでとう!」」
地下の訓練室から出て来た鋭時が難しい顔でスーツのポケットに入れていた物を取り出しながらグラキエスクラッチ清掃店の扉を開くと同時に、大勢の祝福の声が出迎える。
「うわぁ!?……っと、あ、ありがとう……」
「お帰りなさいっ、教授っ! その指輪ってもしかして……!?」
予期せぬ出来事に驚いた鋭時がぎこちなく礼を言いながら手にした光をほとんど反射しない漆黒の金属で出来た飾り気の全くない無骨な指輪をポケットに戻そうとするが、期待に満ちた表情を浮かべたシアラが鋭時のスーツの左袖を右手で力強く掴んでから自分の左手を差し出した。
「違う! 断じて違うからな! いくら俺が野暮でズボラでも、ここまで不格好な指輪を剥き出しで渡さないぜ……」
「それが鋭時お兄ちゃんの作った機械なのかい? 外からだと普通の指輪型術具にしか見えないや」
シアラの計画的な勘違いを必死に否定する鋭時に茶色い服と白いサロペット姿のヒカルが近付き、赤い縁の眼鏡型装置を通して興味深く指輪を分析する。
「やっぱりヒカルさんには見抜かれてたか……俺の戦い方は術式がメインだから、術式もいくつか組み込めるようにしてみたんだ」
「へぇ……そこに道具を仕込んで、ちょっとしたサバイバルツールにしたんだね。でも何で指輪の形にしたんだい?」
手にした指輪の正体を明かされ感心した鋭時が気恥ずかしそうに頭を掻いてから質問に答えると、ヒカルはさらに指輪の内部を分析しながら疑問を口にした。
「普段は指に嵌めて防御術式を発動すれば、ちょっとした盾になるかと思ってね。取り敢えずリッドリングって名付けたよ」
「凄く面白そうじゃないか、さすがは鋭時お兄ちゃんだよ! ぼくも手伝うから、もっと見せて……うわぁ!?」
人差し指に指輪を嵌めた右手のひらを少し前に向けてから照れ笑いをする鋭時にヒカルが興奮して顔を近付けるが、突然体が浮かび上がって大声を出す。
「そこまでだ、ヒカル。今日は鋭時とシアラの合格祝いで誘ったんだ、本業はまた今度にしろ」
「でもミサヲお姉ちゃん、あんなに面白そうな機械を前に我慢なんて出来ないよ」
「あはは……今日はみんなもいるし、時間のある時にアドバイスを頼むよ」
呆れた顔で窘めて来たミサヲに抱えられたヒカルが好奇心を抑えられない様子で抗議すると、鋭時は頭を掻きながらぎこちない微笑みを浮かべてヒカルを宥めた。
「本当かい!? きっとだよ、鋭時お兄ちゃん!」
「あらら……また器用に逃げたもんだねえ……」
鋭時の言葉を聞いて目を輝かせたヒカルはミサヲの腕から抜け出して店の奥へと駆け出し、ミサヲは空気を抱くように曲げた腕を戻しながら呆れて頭を掻く。
「もう、ヒカルったら……おめでとうございます、えーじしゃま。その……」
「ありがとうスズナさん……心配させ続けてすまないけど、必ず診察を受けに帰るから……」
ヒカルと入れ替わるように近付いて来た水色のワンピース服姿のスズナが複雑な表情で俯くと、鋭時は気まずそうに頭を掻いてから極力柔らかい笑みを浮かべた。
「はい……ごめんにゃさい……やっぱりえーじしゃまが心配で……みゃあっ!?」
「安心してスズナちゃん。ミサヲお姉様やシアラちゃんがいるんだし、ワタシ達も出来る限りの手助けをするから」
鋭時の抱える事情を理解しながらも複雑な表情で見上げるスズナは、潜行魔法で背後から近付いて来たブラウスにジーンズ姿のヒラネに猫のような耳を撫でられて思わず大声を上げる。
「ふみゃぁ……くすぐったいですよぉ、ヒラネお姉しゃまぁ」
「うふふ、スズナちゃんは可愛いわねぇ。えーじ君の記憶が戻ったら、たっぷりと可愛がってもらうのよ」
髪と耳を優しく撫でられて目を細めたスズナが振り向いて弱々しく抗議するが、ヒラネは優しく微笑みながらワンピース服の後ろの穴から伸びた2本の猫のような尻尾の付け根を軽く撫でた。
「うみゃ!? えーじしゃまがわたくしを……みゃ、みゃぁ……」
「あらあら、スズナちゃんは何を想像しちゃったのかなぁ~?」
恥ずかしそうに顔を赤らめて尻尾の先端同士をもじもじと合わせるスズナを見て嬉しそうに微笑んだヒラネは、耳元で囁きながらスズナの髪と耳を撫で回す。
「そこら辺で勘弁してくれないか、ヒラネさん……確かにスズナさんの件も責任を取らないといけないんだろうけどさ……」
「ごめんね、えーじ君。スズナちゃんには幸せになって欲しいから、色々とね……それはそうと合格おめでとう、これで記憶を戻す足掛かりが出来た訳ね」
今にも沸騰せんとばかりに顔を赤らめるスズナを見兼ねた鋭時が頭を掻きながら止めに入ると、ヒラネはスズナから放した手を誤魔化すように後ろへと回してから微笑んだ。
「まあ、まだ足掛かりですけどね……」
「とりあえず先送りする事しか出来ないんだし、今夜はたくさん食べて明日からの記憶探しに備えてちょうだい」
潜行魔法で僅かに沈みながら近付いて下から覗き込んで来た視線を避けるように指で頬を掻いた鋭時に、ヒラネは店舗スペースに置かれた2つ並べたテーブルへと手を差し伸べる。
「そうだぜ、王子様。ミサ姉に頼まれて店から色々持って来たんだ」
「ありがとうヒラネさん、セイハさん。遠慮なくいただくよ」
出迎えを終えてすぐに食卓の準備に戻っていたトレーニングウェア姿のセイハがスライム体で作った複数の手で器用に料理の入った皿などを並べながら誇らしげに笑い、鋭時は2人に礼を言いながら袖を掴むシアラと共にテーブルまで移動した。
「改めて合格おめでとうございます、旦那様。ささやかではございますが、合格をお祝いする席を用意いたしましたのでこちらへお掛けください」
「ありがとう、チセリさん。合格と言っても、記憶が戻ってないから何の解決にもなってなくて申し訳ない気もするけど……」
横に並べた2つのテーブルの縦にひとつだけ置かれた椅子まで近付いた鋭時は、丁寧な仕草でお辞儀をしてから椅子に座るよう促したチセリに曖昧な笑みを返す。
「それは重々承知しております。旦那様の記憶が戻った暁には、今回以上に盛大なお祝いを考えております。その時こそは私も腕によりを掛けますね」
「ああ、俺もその日が来るよう頑張ってみるよ」
再度丁寧な仕草でお辞儀をしたチセリが胸に手を当てながら自信に満ちた様子で微笑むと、鋭時は覚悟と期待の入り混じった複雑な表情を浮かべて椅子に座った。
「チセりんのお料理の後はわたし達ですねっ! ワクワクしますっ!」
「ははっ……今までの話を額面通りに受け取れば、恩返しを出来る手段は他に何も無いんだろうけどさ……」
「あの、えーじしゃま。こちら、よろしいですか……」
慣れた様子でスーツの袖から手を放して期待に満ちた表情を浮かべながら左隣に当たる2人掛けソファの右側に座ったシアラに困惑した様子で頭を掻く鋭時の背後から、スズナが遠慮がちに声を掛けて来る。
「遠慮しないでくださいっ! スズにゃんだって教授が大好きなんですからっ!」
「おーいシアラさん、そういう言い方はスズナさんに迷惑……」
「迷惑じゃにゃいですよ、わたくしもえーじしゃまが大好きにゃんです! 今日はいっぱい飲んでくださいね、もし酔いつぶれてしまっても医師のわたくしが責任をもって治療しますので!」
満面の笑みを浮かべて手招きしたシアラに対し鋭時が額に手を当てながら苦言を呈そうとするが、スズナは大声で遮ってから驚き振り向いた鋭時を見上げて自信に満ちた笑みを浮かべた。
「あー……そいつは頼もしい話だが……俺はそんな酒に強くなかったみたいだし、これ1本あれば充分だぜ」
「だからミサ姉は、そいつだけは必ず持って来るよう言ってたのか」
気まずそうに頭を掻いてから缶ビールを1本手に取って微笑んだ鋭時に気付いたセイハは、納得した様子で大きく頷きながら既にシアラの隣に座っていたミサヲの方を向く。
「まあな、最近の鋭時のお気に入りだ、と言っても週1回のペースだから数自体はこいつとトントンだけどな。なんでも、前に飲んでた記憶があるんだとよ」
「本当なの、えーじ君!? たくさん持って来てるから遠慮無く飲んで……って、そんなに強くないのよね……?」
嬉しそうに笑いながら手にした冥酒樽灘の酒瓶と見比べたミサヲから缶ビールを注文した理由を聞いたヒラネが店から持って来た缶ビールを取り出そうとするが、直前の言葉を思い出して手を止めてから鋭時に聞き直した。
「ええと……具体的な事は何も思い出せなかったけど、飲み過ぎて酷い目に遭った記憶だけはあるんで……」
「お酒って手もあるのか……」
恥ずかしそうに頭を掻いて話す鋭時の不確かな失敗談に興味を持ったヒカルが、スズナの隣に座ってから食べ物や飲み物を置いたテーブルの上を見回す。
「ちょっとヒカル、変にゃ事を考えてにゃいでしょうね?」
「そんな事考えてないよ。それより早く乾杯しようよ、鋭時お兄ちゃんの持ってるビールがぬるくなっちゃうよ」
猫のような耳をピクッと動かしてヒカルの呟きを拾ったスズナが疑いの眼差しで問い詰めると、ヒカルは慌てて鋭時の方を向いてから誤魔化すように微笑んだ。
「ヒカルにしちゃあ気が利くじゃないか、とりあえず全員何か飲み物持ってくれ」
「オッケー、ミサ姉。スズナとヒカルはこいつでいいか? シアラは……」
酒瓶と桝を持ったミサヲがシアラの隣を開けるように移って座り直し、ヒカルの隣に座ったセイハが複数の果物のイラストがプリントされた缶ジュースをスズナとヒカルに慣れた手付きで渡してからテーブルに置いた飲み物類を確認する。
「わたしもスズにゃん達と同じのをお願いしますっ!」
「はいよっ」
「ありがとうございますっ、シロちゃんっ!」
タイプサキュバスの魔力を補充可能な飲み物を探していると気付いてスズナ達の手元を見たシアラにセイハが同じ缶ジュースを手渡すと、シアラはセイハに向けて満面の笑みを返した。
「他に飲みたいもんがあったら言ってくれ、店にすぐ行けるからな。チセ姉は……もう決まってるな」
「はい、私はこちらのアイスティーをいただきますね」
気遣いを返されたと気付いたセイハは優しく微笑んでから、シアラの隣に座ってペットボトルに入ったアイスティーをグラスに注ぐチセリを見て表情を崩す。
「オッケー、チセ姉。アタシはとりあえずこれをいただくけど、ミサ姉とヒラ姉はどうする?」
「あたしはいつも通りこいつだ。ヒラネはどうする?」
「そうね、ワタシもこっちをいただくわね」
満足そうに頷いたセイハが缶ビールを手に取りながら向かい側に質問をすると、ミサヲがいつもの様子で冥酒樽灘を桝へと注いだのに続いてミサヲの左隣に座ったヒラネも近くに置いた空のグラスを手に取った。
「飲み物は行き渡ったようだな、それじゃあシアラと鋭時の掃除屋合格を祝して」
「「かんぱーい!」」
ひと通り見回したミサヲの掛け声と共に、全員が顔の高さまで飲み物を上げる。
「くぅーっ! 綺麗どころに囲まれて飲む酒は格段に美味いね~!」
「もうミサヲお姉様ったら、それはえーじ君のセリフでしょ?」
桝を両手で持ち直したミサヲが縁に口を当てて静かに飲み干してから満足そうな笑みを浮かべると、同じく隣でグラスを両手で持ち直してから半分ほど飲み終えたヒラネが悪戯じみた笑みを浮かべた。
「いや待て、色々と待て。いくらなんでも俺はそんな事言わないぜ」
「あら? ワタシ達と飲むのは嫌だったかしら?」
吹き出しそうになるビールを寸でのところで押さえた鋭時に、ヒラネは泣き出しそうな顔を作ってみせる。
「え、あー……いや、そういう意味じゃなくて……」
「ヒラネお姉しゃま、えーじしゃまを困らせにゃいで下さい!」
予期せぬ難問に鋭時が言葉を詰まらせていると、缶ジュースをテーブルに置いたスズナが大声で注意した。
「あらあら、可愛い姫騎士様の登場ね。うふふ、えーじ君の優しさに甘えてふざけ過ぎちゃったかしら? ごめんなさいね」
「もう酔ったのかい、ヒラネお姉ちゃん? スズナお姉ちゃんから言い返すなんて驚いたよ、これも鋭時お兄ちゃんへの愛のおかげなのかな?」
口元に手を当て誤魔化すように微笑むヒラネを呆れた様子で見ていたヒカルは、そのままスズナの方を向いて悪戯じみた笑みを浮かべる。
「ちょっとヒカル、変にゃ事を言わにゃい! わたくしにはえーじしゃまの記憶を戻す手助けが大事にゃだけで……愛だにゃんて大それた事は……」
「いーじゃないか、正面から堂々と甘えたって。鋭時お兄ちゃんは優しいんだし、きっと南方の魔法使いみたいに……ぴゃうっ!?」
今までの自分ではありえない行動に遅まきながら戸惑っていたスズナをからかうようにヒカルが自分で自分を抱きしめるような仕草をするが、後ろから兎のような耳を掴まれて悲鳴のような奇妙な声を上げた。
「そこまでだ、ヒカル。スズナはアタシ達と違って半覚醒してるし、下手に煽って覚醒を進行させたら取り返しのつかない事が起こるかもしれないんだぜ?」
「分かってるよ、セイハお姉ちゃん。鋭時お兄ちゃんの記憶が戻った時は、ぼくも覚醒させてもらう約束したからね」
スライム体を元に戻しつつ自分の右手に持った缶ビールをひと口飲んでから顔を近付けて来たセイハに小声で注意されたヒカルは、頭の後ろで手を組んで無邪気な笑顔を浮かべながら鋭時の方へ視線を移す。
「そういえば教授っ、何か思い出せましたかっ?」
「いやわりい、漠然と寝床の前で飲んだ記憶だけだ。さすがにすぐに何もかもって訳には行かないよ……」
ヒカルの視線に気付いたシアラが缶ビールをゆっくりと飲む鋭時に質問すると、鋭時は缶ビールをテーブルに置いた手と反対側の手を顔の正面で垂直に立てながらぎこちなく微笑んだ。
「こちらこそすいません教授、変な事言っちゃったみたいで……」
(嫌な事を忘れるために飲むはずの酒で大事なものを思い出そうとするんだから、俺の方が随分と変な人間だよ……)
誤魔化すように缶ジュースを両手で持ったシアラを見た鋭時は、そのまま黙って自嘲するような複雑な笑みを浮かべる。
「どうかしましたかっ、教授っ?」
「な、何でもない! とにかく食おうぜ、明日から本格的な仕事になるんだし」
「わかりましたっ」
心配そうな顔で覗き込んで来たシアラに慌てた鋭時が取り皿を手に取って料理を盛り始めると、シアラは心配を吹き飛ばすような微笑みを浮かべた。
(こいつは定番中の定番の組み合わせだ、合わない訳がない)
シアラと自分の取り皿に料理を取り分け終えた鋭時は、箸で掬ったマスタードを塗ったソーセージをひと口齧ってからビールを流し込む。
マスタードの風味が鋭時の口を通して鼻に抜けた後に程よく火を通して香ばしくなった脂が肉汁と混じり合って口いっぱいに広がり、数回噛み締めて広がる旨味と同時に纏わり付いて来た僅かな脂っこさを爽快な炭酸と苦みを持ったビールで洗い流してから残りのソーセージも同様に口に運んでからビールで流した。
次にひと口大に切られたピザを口に入れてからビールを口にした鋭時は、溶けたチーズとトマト風味のソースの混じった重厚な酸味や甘味などが広まった口の中を爽快な苦みと合わせて飲み込む。
続けて鋭時はパックから取り皿に載せたマグロの寿司に醤油を少し垂らしてから口に入れると、鮮度を保たれた赤身独特の旨味と酢飯の仄かな甘味が醤油の風味と共に広がった後から染み出て来たワサビの辛みが鼻を抜け、しばし噛み締めて味を楽しんだ鋭時は缶を手に取り残ったビールを流し込むように飲み終えた。
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(ふぅ、つい勢いよく飲んじまうな……)
「いい飲みっぷりだな、それで下戸だなんてもったいないぜ」
缶をテーブルに置いてひと息つく鋭時の顔を見たミサヲは、食べ終えた焼き鳥の串を取り皿に置いてから嬉しそうに笑いながらも複雑な表情へと変わる。
「でももう顔が真っ赤じゃない、後はアルコールの入ってない方がいいわよね?」
「あはは……そうですね、そこのウーロン茶もらえますか?」
ミサヲの隣で取り皿に載せた酒盗を箸でひとつまみ口にしてからグラスに入れた冥酒樽灘を美味しそうに飲んだヒラネが心配そうな表情で見詰めながらテーブルの端に置いた飲み物を手で指し示すと、既に顔を赤くした鋭時が恥ずかしそうに頭を掻いてからペットボトルを指差した。
「はいよっ、王子様」
「ありがとう、セイハさん……どうしたんだ、シアラ?」
セイハの伸ばしたスライム体の腕からペットボトルのウーロン茶と空のグラスを受け取った鋭時は、自分を見詰めて来る視線に気付いて聞き返す。
「お酌させてくださいっ、教授っ!」
「それなら俺の拒絶回避も暴発しないか……分かった、お願いするよ」
少し顔を赤らめたシアラが勇気を振り絞るかのように震える手でペットボトルを指差すと、しばし考えた鋭時は出来るだけ優しく微笑みながらペットボトルの底がシアラに向くよう持ち替えて拒絶回避が暴発しないよう慎重に手渡した。
「ありがとうございますっ! わたし、教授に出逢えて最高に幸せですっ!」
「こんな事で幸せに……違うな、今はこういう事でしか……それも違うな……」
受け取ったペットボトルのキャップを外しながら満面の笑みを浮かべたシアラを見た鋭時は、グラスを持つ手と反対の手を顎に当てて考え込み始めてしまう。
「どうしましたっ、教授っ?」
「すまねえ、いつもの悪い癖が出てたみたいだ。よろしくお願いするよ」
両手でペットボトルを持ったシアラが心配して鋭時に声を掛けると、思考癖から現実に返った鋭時は気まずそうに頭を掻いてからグラスをシアラに差し出した。
「いいじゃないですかっ、教授は教授なんですからっ! もっと食べて、たくさん考えれば記憶もきっと戻りますよっ!」
「そうだな……頭に栄養が回れば、きっといい考えも浮かぶな……」
鋭時の行動全てを好意的に受け止めるかのような満面の笑みを浮かべてグラスにウーロン茶を注ぎ始めたシアラに、鋭時は自分でも意味が分からないような理屈を口にしながら力の抜けた笑顔を返す。
「ふふっ、やっぱりえーじ君とシアラちゃんは面白いわね。これからが楽しみね」
「ああ、本番はこれからだからな……」
目を細めて鋭時達を眺めるヒラネの笑顔に対して神妙な表情を浮かべたミサヲの呟きは周囲の会話に溶け、ささやかな宴会は盛り上がりを加速させて行った。
▼
「2人ともお疲れ様、明日は【遺跡】に行くからきちんと休むんだぞ」
「りょーかいですっ、ミサちゃんっ! ところで教授っ! あの指輪、わたしにも見せてもらえますかっ?」
飲み会の後片付けを終えて出席者が全て帰った店内を軽く見回してからソファに座ったミサヲに明るく返事をしたシアラは、そのまま鋭時に近付いて両手のひらを差し出す。
「いいけど、まだ試作段階なんだ。あまり期待すんなよ……」
「ありがとうございますっ!……組み込んだ【圧縮空壁】を手のひらに発動させて攻撃を受け止める仕組みですか……」
恥ずかしそうに頭を掻いた鋭時は拒絶回避が暴発しないようシアラが差し出した手のひらの少し上からリッドリングを落とし、シアラは受け取ったリッドリングに組み込まれた術式を眺めながら感心するように何度も頷いた。
「他にどの術式入れるか、まだ決めてないんだ。機械仕掛けの部分も改良の余地があり過ぎるし、まだまだ底が浅過ぎだぜ……」
「でしたら今度ルーちゃんと一緒に、あのお庭に行きましょうよっ」
照れ笑いして頬を指で掻く鋭時に、シアラは目を輝かせて解決策を提案する。
「この間の庭園型バルコニーか? すっかり気に入ったみたいで良かったよ」
「えへへ……あそこで教授とたくさんお話しできましたからっ!」
「そういう理由かよ……少しは俺のいない所で羽を伸ばしても……これは違うな、普段は束縛したいようにも聞こえちまうか……」
唐突な提案に驚きつつも顔を綻ばせた鋭時にシアラが照れ笑いをしながら理由を話すと、鋭時は顔を曇らせて言葉を選びながら考え込みだした。
「ご安心くださいっ! 教授が寝室でお休みの時に伸ばしてますのでっ!」
「そんな短い時間で良い訳無いだろ……何て言うか、こう……もっと自由に自分の好きな事をする時間を……」
自信満々の笑顔で胸を張るシアラに鋭時はますます表情を曇らせ、慎重に言葉を選びながら説得を試みる。
「野暮言うなよ、鋭時。シアラにとって……いや、他のジゅう人にとっても鋭時の近くにいるのが何よりも大切なんだ。他にどんな理由で傍にいるんだよ?」
「言われてみれば、よく分からないな……俺には経験が無いのか……?」
「無くていいじゃないですかっ、わたし達は人間とは違うんですからっ! 教授はこれから、わたし達ジゅう人の事を知るだけでいいんですっ!」
見兼ねて口を挟んで来たミサヲの質問に鋭時が困惑した様子で自問自答すると、シアラは不要な疑問を消し去らんばかりに柔らかな笑顔を浮かべた。
「ははっ……これからを考えればジゅう人の事だけを知るのがいいんだろうけど、記憶を探す必要もあるからな」
「あ、そうでしたね……わたしも強くなって教授を守るんでしたっ!」
笑顔に同意する妥当性を理解しながらも静かに首を横に振った鋭時に、シアラも照れ笑いしてから覚悟を決めて丸い目を見開く。
「その調子だ、シアラ。鋭時の記憶探しが目的だと言ってもZKがこっちの事情を聞く訳ねえからな、本職の掃除屋として気合入れろよ」
「わかりましたっ、ミサちゃんっ! 教授っ、これありがとうございましたっ!」
満足そうに微笑んだミサヲが真剣な面持ちで覚悟を促すと、シアラは強い意志を込めて頷いてから鋭時にリッドリング差し出した。
「そうだな……明日はいよいよ本当の命を賭けるんだよな……」
(何があってもシアラだけは守らないと……)
拒絶回避が暴発しないようシアラにリッドリングを手のひらに落としてもらった鋭時は、覚悟を決めるように呟いてから静かにリッドリングを握り締める。
「弱気は禁物だぜ、鋭時。ゲートの訓練をクリアした2人の実力は本物だ、明日に備えてしっかり休むんだぜ」
「ここまで来たんだから後は腹を括るしかねえ。よろしく頼んだぜ、ミサヲさん」
「おやすみなさいっ、教授っ!」
「ああ、おやすみ。明日からよろしくな」
不安を取り払うような微笑みを浮かべたミサヲに鋭時は覚悟を決めて強く頷き、各々挨拶を交わして寝室へと入って行った。
次話執筆にあたって過去に投稿した話を見返したところ、
個人的に気になる箇所の修正を行う事にしました。
ストーリーや設定を変更する予定はありませんが、
修正は複数箇所に及ぶので、更新が遅れる可能性があります。




