第4話【少女は涙を流して物言わぬ塊に抱き付く】
助けを呼ぶためにターミナルへ戻る途中で道に迷ったシアラは、
途中で異界の潜兵を探す2人組のジゅう人に捕まった。
「おいおい、可愛い顔でそんなに暴れないでくれよ、ここら辺は危険なんだから。どうやってここまで来たかは知らないけど、放置するわけにもいかないからな」
「危険なのは知ってますっ! そうだっ! 教授……教授を助けてくださいっ! 骨の……骨の怪物に襲われているんですっ!」
拘束の目的が自分の保護だと理解したシアラは言葉を詰まらせつつ必死に鋭時の救助をミサヲに頼み出したが、事情を知らないミサヲは不機嫌な表情に変わった。
「教授? 誰だか知らねーけど、立場を笠に着てこんなにも可愛い娘を【遺跡】に連れ込む奴なんて助けるのは御免だね」
「そんなぁ……約束を果たせたと思ったのに……出逢えた人も守れず、シショクの願いも果たせないなんて……わたし、これからどうすれば……」
すげなく断られたシアラはその場で大粒の涙を流しながら泣き始め、それを見たミサヲは慌てふためく。
「わっ、おい、泣くなよ。あたしはシアラのためを思ってだな……」
「気安く名前で呼ばないでくださいっ! あなたが教授を助けられないんでしたら他の人を探しますっ! わたしを離してくださいっ!」
「だから、暴れるなって。なあドク、どうにかできないか?」
さらに激しく暴れるシアラに手を焼くミサヲは、顎に手を当て考え事をしているドクに話を振る。
「ふむ……シアラさんだったね、その教授さんの所に案内をお願い出来るかな? ああ、自己紹介がまだだったね? ボクはマリノライト、ドクと呼ばれるしがない発明家さ。今日はミサヲさんの仕事の手伝いでここまで来てる」
「なっ!? おいドク、何言ってやがんだ! 護衛も無しに【遺跡】に入るような奴を助けたって銭にならないだろ! よく考えろよ!」
シアラへの説得を期待したミサヲはドクの予想外の反応に声を荒げるが、ドクは気にする様子も無く言葉を続けた。
「ミサヲさんこそよく考えてみてよ。シアラさんの言う骨の怪物はおそらく、いや確実にZKだ。たぶん異界の潜兵の縄張りに迷い込んだのだろう。そしてボク達はZKを探している」
「なるほど……確かにZKの目撃情報と考えりゃ、これほど有益なものは無いぜ。相変わらずドクは抜け目無いな」
「まあそんなところだ、レーコさん来てくれるかい?」
「お呼びですか、マスター」
ひと通り会話を終えたドクが近くの廃ビルに向かって声を掛けると、長い黒髪に縹色の振袖姿の女性が柔らかく落ち着いた声と共に音も無く壁から姿を現した。
「うわわぁっ!? 壁から女の……人? え? 幽霊? え? え?」
「あー……やはりそういう反応になるよね……これはボクの造った完全立体映像式アンドロイド試作零号機のレーコさんだよ」
驚いて自分を捕えていたはずのミサヲに抱き付くシアラに苦笑しながら、ドクは自らの発明品の説明を始める。
「レーコさんは一般的な立体映像式と違って映像を投影する装置が無いから、壁もすり抜けられるし、自由に飛び回れる。アンドロイドと呼んでるけど、人造人間というより人造幽霊とでも言えばいいのかな」
「マスター。私が呼ばれたのは、何か用事があったからではないのですか?」
出来る限り簡潔な説明を心掛けていたドクだが、それでも説明が長くなる気配を察したレーコさんに遮られてドクはまたも苦笑した。
「そうだったね。すまないがレーコさん、先に行ってシアラさんの言う教授さんを安全な場所へ誘導してくれないかな、シアラさんの出て来た方角へ行けば見つかるはずだから」
「かしこまりました、マスター」
申し訳なさそうにドクが頼むとレーコさんはその場でお辞儀をし、シアラが飛び出して来た方向へ音も無く飛び去り闇の中へ消えていった。
「さて、ボク達も急ぐとしようか。シアラさんには道案内をお願い出来るかな? レーコさんの位置は分かるけど、真っ直ぐ向かえないからね」
「えー……っと? それって……もしかしてっ!?」
理解の追い付かない出来事が立て続けに起きて呆然と眺めていたシアラだが、レーコさんの消えた方へ歩き出したドクの言葉で我に返り瞳に輝きを取り戻す。
「そういうこった。ドクが何を考えてるかは分からないが、教授って奴もついでに助けてやるよ。運んでやるから案内頼むぜ!」
「うわわっ!?」
言うが早いかミサヲはシアラを左脇に抱え、そのままドクを追って走り出した。
「そろそろ本当の狙いを教えろよ、うまい儲け話があるんだろ?」
ミサヲはドクの左側面に追い付き、耳打ちするように小声で話しかける。
「ボクの考えが正しければ、シアラさんと教授さんはステ=イションに途方もない利益をもたらすよ。それこそ想像も付かない程の大きな利益がね」
「なんだそりゃ? それよりもまずはZK駆除して今夜の酒代だ、急ぐぞドク」
ドクの言葉をいまいち理解出来ずに首を傾げるミサヲだが、すぐに気持ちを切り替えて走る速度をさらに上げた。
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「あれですっ、あのビルでわたしと教授は骨の怪物に襲われましたっ!」
ミサヲに抱えられたままのシアラが逃げて来た道を戻りながら案内していると、前方に見覚えのある廃ビルが現れて大声で指差して一行は立ち止まった。
「ふむ、レーコさんの反応もあの中からか……誘導出来る状態ならいいが……」
廃ビルの前でドクがしばし意識を集中した後に険しい表情に変わり、それを見たミサヲが小声で話しかける。
「おいドク、どうするよ? ここまで来て間に合いませんでした、とかシャレにもならんぞ」
「そうだね、まずはボクが様子を見て来るからミサヲさんとシアラさんはここで待っててよ」
銃身の下部に細身の懐中電灯を取り付けた拳銃を懐から取り出したドクが片手で制止する仕草をしながら廃ビルに向かおうとすると、唐突にシアラが声を上げた。
「待ってくださいっ! わたしにも手伝わせてくださいっ!」
「おいおい、手伝うって言うけどな……ZKに生半可な攻撃は通じないんだぜ」
「わたしの攻撃術式では歯が立たないのは充分承知しています、でも探索術式ならお役に立てますっ!」
急な申し出に呆れながら諭そうとするミサヲに、少しでも早く鋭時と再会したいシアラは語気を強めて反論する。
「いや、だから……シアラが今ここに入るのはちょっと色々ヤバいんだよ……」
「まあまあミサヲさん、ここまで言うんならシアラさんにも着いて来てもらおう。どんな術式を使うのか興味もあるしさ」
想定されうる最悪の事態を懸念してミサヲは言葉を濁すが、逆にドクはシアラの術式に興味を持ちはじめミサヲの説得に回った。
「はぁ、またドクの悪い癖が始まったか。こうなったらしょうがねえ、その代わりあたしから離れるなよ」
2人の意気に折れたミサヲは観念したようにため息をつき、抱えていたシアラをゆっくり降ろした。
「わかりましたっ! 来てくださいっヴィーノ、ツォーンと交代ですっ!」
同行を許可され力強く礼を言ったシアラは、和服の袖からウサギのぬいぐるみを取り出して腰に付けているネコのぬいぐるみと入れ替える。
次の瞬間、シアラの着ていた和服が眩く光ったかと思うと白いエプロンと紺色のロング丈のワンピースを組み合わせたメイド服に変わり、髪に結んでいたリボンも白いレースをあしらったホワイトブリムへと姿を変えて頭頂部に移動すると同時に束縛を解かれた髪がふわりと後ろへと広がった。
「さっきの服も可愛いけど、このメイド服も可愛いじゃないか! これはどういう仕掛けなんだい?」
「うわわぁっ!? いきなり抱き付かないでくださいよぉ……いくら結界魔法でもシワになっちゃうじゃないですかっ」
「なるほど、その服は結界術式を応用したものなのか。流石はタイプサキュバスの魔力ってわけだね」
興奮したミサヲに抱き付かれて必死に抗議するシアラを見ながら、ドクはひとり納得したように頷く。
「ヴィーノは風系統の術式担当ですから、多くの探索術式も使えますよっ」
「よし分かった。シアラさんの探索術式でZKを見付け出し、ボク達で駆除しつつ教授さんを助け出す。ミサヲさんもそれでいいね」
ようやくミサヲの抱擁から脱したシアラが頷くドクの独り言に答えるかのように自分の使える術式を説明すると、ドクは簡単な作戦を立ててミサヲに伝える。
「それで構わないぜ。何度も言うけどシアラは絶対にあたしから離れるなよ」
「分かりましたっ! 教授、無事でいてくださいねっ……」
ドクの立てた作戦に同意したミサヲが慎重にビルの入口へ向かうと、髪留めからウサギの耳のような飾りを伸ばしたシアラが小さく祈ってミサヲの後を追った。
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「【圧縮空筋】! つっ、まだ遅いのかよ!?」
時間は少し戻ってシアラがミサヲ達に保護された頃、自分を襲う骨のような怪物の名前がZKだと知る由もない鋭時は、ZKが鉤爪を振る瞬間に合わせてスーツのズボンに組み込んだ圧縮した空気のバネで跳躍力を上げる術式で攻撃を躱した。
だがZKもバネ状の脚を伸ばして速度を上げるために回避が遅れ、首筋を庇った手の甲に新たな傷がひとつ増える。
「魔力は充分残ってるけど、こう何度も斬られると気が滅入るな……」
近くの柱の陰に隠れた鋭時は、周囲の空気を圧縮して障壁を作る防御用の術式を貫通して斬られた傷を見ながら疲れ様子で呟いて項垂れる。
ZKがシアラを追わないような距離を保って攻撃を受け続けた鋭時であったが、体よりも先に心が限界を迎えていた。
(あの鉤爪、【圧縮空壁】を解けば苦しまずに死ねるだろうか?)
次の攻撃を警戒してZKを観察していた鋭時は突然吸い込まれるかのように柱の陰から身を乗り出し、近付く途中で瓦礫に蹴躓いて我に返り再度隠れる。
「くっ……今のは何だ? 生き残れないのは分かってるけど、まだ早いだろ……」
自分の無意識の行動に憤った鋭時が考えを切り替えるために頭を振ると、上階に延びる階段が視界に入って来た。
(階段か……上が崩れてなけりゃいいが……こうなりゃイチかバチかだ!)
ZKを警戒しながら階段へ目を向けてしばし考えた鋭時は、意を決して階段へと走り出す。
「【圧縮空筋】! こっちに来やがれ、化け物!」
術式で加速を付けた鋭時は、近くに落ちていた瓦礫をZKに投げ付ける。
『ギギッ!? ギギー!』
瓦礫が頭部に当たったZKが怒ったような声を上げて追いかけてくるが、鋭時は目もくれずに階段側面の壁を蹴りながら上の階へ消えていった。
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『ギギギ?』
鋭時を追って上がって来たZKは、誰もいない廊下を慌てた様子で走り回る。
(上手く行ったか……ここなら時間を充分稼げる。これでもう、あの骨があいつを追い掛ける事も無いだろう)
階段を上がってすぐの部屋に入って素早く扉を閉めた鋭時は、自分に気付かないZKを確認して安堵の表情を浮かべた。
土壇場で鋭時が思い付いた、骨の怪物を挑発してから逃げて隠れるという単純な作戦は今のところ功を奏しているようである。
(さて、次はどうするかな?)
部屋の前を何度もZKが通る骨とガラクタがぶつかり合うような音が響き、まだ自分を狙っているのだと鋭時は確信しつつ考え事に没頭し始めた。
(しかし、ひとりで考え込む方が落ち着くとはね……あいつには悪いが、どうやら俺は孤独を好む人間らしいな。明るくなれば周囲の状況も分かるだろうし、まずは朝まで待つか……)
助け合う相手の無い状況にあっても考え事をするだけで安心している自分に軽く自嘲した鋭時は、夜明けまでの長丁場に備えて小声で術式を発動する。
「【栄養補給】……っつ、治癒系術式が無いのは両方の意味で痛いな」
魔力で生成された栄養素が全身の血管に行き渡るのを感じた鋭時は、同時に頬の傷口から血が滲み出る苦痛に顔をしかめる。
だがそれも束の間、術式を発動してからZKの足音が急に変わって確実に鋭時の隠れる部屋を目指すものとなり、鋭時に戦慄が走った。
(いよいよ覚悟をする時か……最期に可愛い女の子と話せたんだし、悪くない人生だったかな? 元より約束を守る気なんて無かったんだ、だから俺の事はすぐにでも忘れて自分の人生歩んでくれよ)
少しずつだが確実に近付いてくるZKに覚悟を決めた鋭時は、ネクタイを外して全身を覆っていた【圧縮空壁】を解除する。
ZKの鉤爪から致命傷を防いだ空気の障壁も拒絶回避を活かせない狭い場所では無駄に死を長引かせるに過ぎないという判断であったが、ネクタイを外し終えると同時に後ろから聞こえて来た物音に素早く振り向いた自分に気付いた鋭時は思わず吹き出した。
「ははっ、何だかな……死を覚悟したはずなのに、こんなのにビビるとはね……」
ガラスの割れた窓から入った風に飛ばされたと思しき何かが落ちたはずみで床に舞い上がる埃を眺めて張り詰めていた緊張が解けて落ち着きを取り戻した鋭時は、ZKに切断された金属製の足場用パイプを左手に捨てずに握っている事に気付く。
「そう……だな。今の俺は諦めてるけど、記憶を失う前の俺だか本能だかは諦めてないわけか。結局人間は腹か首しか括れない、だったら今は腹を括った方が幾分かマシってもんだ。俺が生き残る策を考えるから、俺も思い通りに動いてくれよ」
鋭時は自分の胸に手を当てて拒絶回避を持つ自分の体に言い聞かせると、部屋の奥まで移動してから手にした金属製のパイプに外したネクタイを結び付け始めた。
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『ギギー!』
しばらくして奇怪な声と共に扉が開き、ZKが部屋に入り込んで周囲を見渡す。
「こっちだ!【重力操作】!【圧縮空筋】!」
部屋の奥で待ち構えていた鋭時は扉が開く瞬間を合図に靴とズボンに組み込んだ術式を発動してから全速力で入口のZKに向かって走り、ZKがバネのような脚を縮めたタイミングを見計らって天井まで跳躍した。
『ギギッ!?』
ようやく見付けた人間が目の前で取った予期せぬ動きに戸惑って動きの止まったZKを見定めた鋭時は、そのまま体を反転させて両足が天井に付いた瞬間に連続で術式を発動する。
「【圧縮空壁】、【圧縮空筋】ついでに【重力操作】!」
術式発動と同時に天井を蹴った反動でさらなる加速を付けた鋭時は、ネクタイを結び付けた金属のパイプを両手で振り上げてZK目掛けて落下する。
「これでも食らえー!」
スーツの袖に沿って出現した圧縮空気のバネで腕力を上げた鋭時は、矢のように落下しながら手にした金属のパイプを力任せに振り下ろす。
『グギギャー!?』
ドスッという鈍い音と共に金属のパイプは硬い外殻に覆われたZKの胸を易々と貫いて床にまで深々と突き刺さり、ZKは悲鳴にも似た声を上げて動きを止めた。
(ここまでイメージ通りに動けるとか……記憶を失う前の俺は何者だったんだ?)
術式を活用した天井までの跳躍、その後の落下から着地までを思い描いた通りに動いた自身の体に半ば呆れる鋭時は、串刺しになったZKの鉤爪が届かない所まで警戒しながら距離を取る。
「最大出力の【圧縮空壁】を鉄パイプに沿って発動した高密度の空気の杭を作り、同じく最大出力の【圧縮空筋】で天井を蹴った反動と最大出力の【重力操作】の落下エネルギーを使い全力で打ち込む……今の俺が考え得る最大火力だ、さすがに当分は身動き取れないだろ……う!?」
聞き手のいない中で自らの立てた作戦を説明して、恐怖と不安を紛らわせていた鋭時は思わず言葉を詰まらせる。
突如ZKの白骨部分が砂のように音もなく崩れ去り、張り付いていたガラクタがガシャンと床に落ちる音が辺りに響いたのだ。
「おいおい……まさか俺、こいつを倒し……たのか?」
散らばったガラクタを慎重に避けながら床に深々と突き刺さった金属のパイプに恐る恐る近付いた鋭時は、結び付けたネクタイを素早く抜き取り再度距離を取る。
「再生とかする気配は無い……偶然コア……か何かに当たって壊れた……のか?」
壁に寄り掛かってから周囲の安全を確認した鋭時は、ネクタイを手に巻きながらZKの崩れた場所に目を向けながら考え込み始めた。
「これからどうしたものか? 俺でも倒せるのは分かったが、どうして倒せたのか分からないと安全とは言えない……他に何匹いるのかも分からないし、取り敢えず朝まで待つか……」
しばらく考え込んだ鋭時は当初の予定通り夜明けを待つ事に決めて隠れる場所を探すために部屋を出ようとするが、突如後ろから女性の声が響いた。
「危ない! 避けてください!」
「やっぱりまだいるのかよ!?【圧縮空筋】!」
入口から迫る殺気に気付いた鋭時は、同時に声の主の意図を察して素早く真横に大きく跳ぶ。
『ギーッ!』
直後、ZKが奇声を上げながら飛び込むようにして部屋に躍り込み、先ほどまで鋭時がいた場所目掛けて鉤爪を振り下ろして空を切る。
「今です!」
再度女性の声が響くと同時に部屋の奥からパァンという乾いた音が響いて何かがZKの足に当たり、ZKはその場でバランスを崩して倒れ込んだ。
「逃がすかよ……【圧縮空壁】!」
うつ伏せに倒れたZKの背後に素早く回った鋭時は、手にしたネクタイをZKの頭部に巻き付けてから術式を発動してZKの頭部を圧縮空気で覆った。
「【圧縮空筋】……これなら……どうだ!」
スーツに組み込んだ術式で腕力を上げた鋭時が力任せにネクタイを引き絞ると、ネクタイの周囲の圧縮空気も内側に縮まりZKの頭部を徐々に潰していく。
『グッ!? ギ!? ギャアアアアァァ!』
断末魔のような叫び声と共にカラカラと骨の砕けるような音が響き渡ってZKの動きが止まり、程なくして白骨部分が崩れ去りガラクタだけが床に散らばった。
「頭……を砕いても倒せる……? コアが頭にもある? どういう作りなんだ?」
術式を解除したネクタイを手元でまとめ直した鋭時が崩れたZKの構造を疑問に思って考え込んでいると、鋭時を助けた声の主が音も無く近付き声を掛ける。
「あの~、もしかして教授さんですか?」
「はぁ、また教授かよ……助けてもらった礼は言うけど、初対面の相手を教授って呼ぶのが最近の流行りなの……か!?」
ため息交じりに礼を言いながら振り向いた鋭時は慌てて距離を取り、柱の中から上半身を出して微笑む着物姿の女性に驚いてネクタイを両手に持ち身構えた。
「はわわっ!? お待ちください! 私はあなたの味方です」
警戒する鋭時を見た女性は、驚いた表情を浮かべて柱の外に出ると同時に両手を広げながら微笑みを表示して敵意の無い事を示した。
「私は完全立体映像式アンドロイド試作零号機です、教授さんの同行者を名乗るシアラさんを保護したマスターの指示でここまで来ました」
「シアラ!? もしかして榧璃乃シアラか!? あいつは無事なのか?」
丁寧にお辞儀をする女性の言葉に強く反応した鋭時は、勢いよく問い質す。
「はい、ご安心ください、シアラさんはマスター達が保護しています。教授さんの救助もこちらに向かって来ております」
必死の形相で迫られても慌てる事無く微笑む女性の説明を聞いた鋭時は、表情を和らげて安堵のため息を漏らす。
「ありがとう、あいつを助けてくれて。えー……っと、アンドロイドさん?」
「マスターも皆様もレーコさんと呼んで下さるので、そうお呼びいただければ」
ぎこちなく礼を言う鋭時に、レーコさんは微笑みを絶やさず自己紹介した。
「改めてありがとう、レーコさん。それとさ、俺の名前は燈川鋭時って言うんだ、出来れば名前で呼んでくれないかな?」
「かしこまりました鋭時さん。私は鋭時さんを安全な場所まで誘導するようにとマスターから指示を受けたのですが……」
照れ臭そうに礼を言いながら自己紹介をした鋭時にレーコさんは再度お辞儀して説明を始めるが途中で止まり、困ったような表情を浮かべた。
「その……異界の潜兵、通称ZKは少数のグループで行動して縄張り意識が強く、他の縄張りに入る事は滅多にありません。それでこのビルを縄張りにしていたZKなのですが、鋭時さんが駆除して0体になり……他の縄張りからは当分……」
「えー……っと、ZKっていうのがあの骨の怪物の事で、今はこのビルにいないし当面は来ないのか? なら少し休ませてくれ、さすがに疲れた」
歯切れの悪いレーコさんの説明からビルが安全だと判断した鋭時は、近くの柱に背を預けて寄り掛かる。
「そ、そうですね、今はここが最も安全です。しばらくここで御休みください」
「せっかく来てくれたのに悪いな、魔力が回復すれば移動出来ると思うから」
現在地が安全と判断して微笑みの表情に戻したレーコさんに鋭時が疲れた様子で詫びると、崩れるように腰を落として床に座った。
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「ところで鋭時さん、差し支えなければ何故シアラさんと【遺跡】にいらしたのか教えていただけますか?」
「まあ色々と疑われるのも仕方ないか……話せば長くなるし、信じてくれないだろうけど、取り敢えず最初から説明するよ」
息が整い魔力が僅かに回復した頃合いを見定めたレーコさんが情報収集のために真剣な顔付きを表示して鋭時に質問し、鋭時は頭を掻いてため息をつきつつ記憶を失った自覚を持ってからの経緯を包み隠さず順を追って説明し始めた。
「……それで、トラックの後を追ったら道に迷って日が暮れて、一夜を明かそうとこのビルに入ったらZKに襲われた。だからシアラだけでも逃がそうとしたんだ」
「ご説明ありがとうございます。鋭時さんは記憶喪失で、記憶の手掛かりを求めてステ=イションまで向かう途中なのですね。マスターが到着しましたら鋭時さんとシアラさんをステ=イションに案内するよう進言いたします」
鋭時の説明を聞き終えたレーコさんがお辞儀をすると、表情を微笑みに戻す。
「なんか頼んでばかりで悪いな、それにしても俺の事少しも疑わないんだな……」
「はい、説明をしていた鋭時さんの声、呼吸、表情などから嘘をついている兆候は検出できませんでしたから」
気恥しそうに鼻の頭を掻いて感謝しつつも困惑して呟いた鋭時は、返答の内容とレーコさんの微笑みに釣られて思わず笑みがこぼれた。
「レーコさんに来てもらって助かったぜ、これが人間だったら今の俺のこの状況を説明しても信じてもらえなかっただろうな」
「そうですね、鋭時さんのような状況に陥る確率は1%未満ですから」
「ははっ、そんな事まで分かるのか。やっぱり人間よりもアンドロイドの方が安心出来るな」
真面目な口調で分析した内容を答えるレーコさんに、鋭時は警戒と緊張を解いた表情でひとつの疑問を口にする。
「そういえば、さっきからレーコさんはこの辺り事を【遺跡】って呼んでるけど、【遺跡】って何なんだ?」
「はい、【遺跡】とは【大異変】により異なる世界から侵略して来たZKによって占拠された後に破壊されて廃墟となった都市の通称です」
辞書を読むかのように【遺跡】を説明したレーコさんに、鋭時は頭を掻いてから苦笑する。
「参ったな……つまり俺達はステ=イション目指してた筈なのに、方向を間違えて怪物の巣に入り込んだって訳か」
「通常の場合テレポートターミナルには利用客の到着にセンサーが反応して案内を表示するように設定されていますが、センサーの不具合等の要因で反応しなかった可能性があります」
自嘲する鋭時に構わずレーコさんが説明続けると、ある事に気付いた鋭時が膝を抱えて考え込み始めた。
「そういう事か……俺があんな事を頼んだばかりに……あいつが聞いたら、絶対に自分を責めるだろうな……」
「鋭時さん、どうかしましたか?」
折り曲げた膝に顔を沈めて呟く鋭時に、レーコさんが心配そうに声を掛ける。
「何でもない。ただ出来れば今の話は誰にも話さないでくれないか?」
「申し訳ありませんが、マスターへの報告義務に反する事はできません。ですが、マスターにだけ報告して判断を仰ぐ事なら出来ます」
疲れ切った表情で口止めを頼む鋭時に、レーコさんは神妙な表情へと切り替えて応対する。
「まあアンドロイドなら仕方ないかもな……それで頼むよ。ところでレーコさんのマスターってどんな人……」
「【空間観測】! 教授……? こっちですっ! こっちに教授がいますっ!」
レーコさんの提案を渋々了承した鋭時がそのままレーコさんのマスターについて尋ねようとした瞬間、明るく弾むような声がそれを遮った。
「あっ、おいっ! 勝手に走ると危ないだろ!」
「大丈夫ですっ! 近くにあの怪物の反応はありませんよっ!」
制止する声を気にも留めずに声の主は鋭時のもとへ走り寄って来た。
「えっ……あ、シアラ!? 何でここに!? っていうか何でメイド服!?」
「教授ーっ! 約束通り助けを呼んできましたよーっ!」
しゃがんだまま慌てふためく鋭時を見付けたシアラが目に涙を溜めたまま両手を広げて勢いよく抱き付こうとするが、鋭時は素早く立ち上がりつつ体の軸を僅かに逸らしてしまい、シアラは鋭時の寄り掛かっていた柱に抱き付いてしまった。