第39話【走為上】
凍鴉楼の施設を新たに案内しようとするチセリ、
目的地を聞いたセイハは驚き呆れた態度を取った。
「自販機街? セイハさんは行った事があるのか?」
「ああ。凍鴉楼の13階には自動販売機スタイルの店しか無いんだ、それで誰もが自然と自販機街って呼んでるんだぜ。アタシも昔はよく世話になったもんだよ」
「ほえ? シロちゃんはラコちゃんと一緒にお店開いてるのに?」
半ば警戒するように質問して来た鋭時にセイハが気さくに答えると、鋭時の隣で聞いていたシアラが小首を傾げて疑問を口にした。
「まあ……学生時代の話だよ。親と気まずい事があった時にさ、ヒラ姉やウラ姉と行ってたんだよ……人の目も少ないし、数日帰らなくても何とかなるからな」
「数日も!? まさかそれって……」
気恥ずかしそうに頬を掻いて言葉を選ぶセイハの説明の意味に気付いた鋭時は、思わず大声を上げながらも続く質問を詰まらせる。
「ん……平たく言えば家出だな……今思えばあの頃は色々と青かったぜ……」
「誰だってそんな時はあるんだろうさ。でもヒラネさんはちょっと意外だな……」
鋭時が言葉を詰まらせた質問にあっさり答えたセイハが思い出し笑いをしながら伸びをすると、鋭時は曖昧な相槌を打ちつつも吹き出しそうになりながら鼻の頭を指で掻いた。
「ヒラ姉は潜行魔法の練習で付き合ってくれたんだ。ウラ姉の方は……すまねえ、王子様の敵なんだよな、今のウラ姉は……」
鋭時の疑問に答えるように思い出話を語り始めたセイハだが、話の途中で言葉を詰まらせてから沈んだ表情で俯く。
「いや……その、何て言えば……」
「旦那様、セイハ様、そろそろ移動したいのですがよろしいでしょうか?」
セイハが言葉を詰まらせた理由を知りながらも掛ける言葉の見つからない鋭時が気まずそうに頬を指で掻いていると、チセリが振り向いて微笑みながらテレポートエレベーターの操作パネルを手で指し示した。
「あ、ああ! 13階のRだったな、アタシは最後に行くから先に行っててくれ」
「かしこまりました、セイハ様。では旦那様、念のため私が先に行きますね」
唐突に声を掛けられて驚きながらも安堵のため息をついてから手を振るセイハに満足そうな微笑みを向けたチセリは、そのまま鋭時の方を向いてお辞儀する。
「分かった。俺はシアラを連れて13階の……Rに行けばいいんだな?」
「はい、よろしくお願いいたします。ではお先に失礼します」
チセリの説明を聞いた鋭時が目的地の再確認をすると、チセリは再度満足そうに微笑んでお辞儀をしてからパネルを操作して姿を消した。
「もしかして、また教授にエスコートしてもらえるんですかっ!」
「おーいシアラさん。ただの瞬間移動なんだから、そんなに興奮しないの。操作に慣れて来たとはいえ、初めて行く階だからダブルチェックを頼めるか?」
興奮気味にスーツの袖を掴んで来たシアラを淡々と窘めた鋭時はパネルの中から13階を選択し、Aから順に展開されているが途中が抜けてRと表記された箇所を指差す。
「はーいっ、13階のRですねっ!」
「サンキュー、シアラ。それじゃあセイハさん、先に行かせてもらうよ」
「また後でねーっ、シロちゃんっ!」
「おう、また後でな! って言ってもすぐ後だけどさ」
シアラの二重チェックに安心した鋭時がセイハに軽く手を振ると同時にシアラも大きく手を振り、応えるように振ったセイハの手に見送られるように壁側を向いた鋭時がパネルを操作した瞬間、鋭時とシアラの視界が屋外の風景へと変わった。
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「っと……当然と言えば当然なんだろうけど、13階にもすぐ着くんだな」
「ようこそ旦那様、若奥様。まずはこちらへどうぞ」
移動に使用した機器の特性を考えながら操作パネルに表記された階数を確認する鋭時にチセリが近付き、等間隔に並べた丸テーブルを細長い花壇で区切った庭園か公園のように開けた場所へと移動を促す。
「こいつは屋上……とは違うな、まだ上の階がある……」
「はい、こちらは凍鴉楼13階に設置されている庭園型バルコニーでございます。テーブルと椅子だけを置いた簡素な休憩所がいくつかありますが、各休憩所を遮る花壇には遮音障壁が施されておりますので、旦那様と若奥様達の密会にも最適かと存じます」
疑問を口にしながらも上を向いて否定した鋭時がチセリの方を向くと、チセリは鋭時の無言の質問に答えるように施設を説明してから丁寧ながらもスカートの裾を摘まんだ大袈裟な仕草でお辞儀した。
「密会ですかぁ……なんだかドキドキしますねっ、教授っ!」
「まあ、な……密会はともかく、落ち着いて話すにはいい場所かもな」
「へぇ、自販機街の外にこんなのがあるなんて初めて知ったぜ」
チセリの説明を聞いて興奮するシアラを窘める鋭時の後ろから、セイハが周囲を見回して感心しながら声を掛ける。
「ようこそセイハ様。こちらは誰でも入れるのですが世代を重ねるごとに知る者が減り、今では依施間家の家長が逢瀬をされる方々をご案内するようになりました」
「だからチセ姉の言ってた場所がここだってマキナ母さんは分かったのか」
「はい、マキナ様もミサヲお嬢様のお母様達と共に宜洋様をこちらのバルコニーに連れて来られた事がありますので。ではそろそろ席に参りましょうか?」
丁寧な仕草でお辞儀しながら施設の変遷を説明するチセリに対しセイハが得心の行った様子で頷くと、役割を果たす喜びに満ちたような微笑みを浮かべたチセリが柔らかい仕草でバルコニーの方へ手を差し伸べた。
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「これだけ開放的なのに、周囲には聞こえないなんて大したもんだ……」
「しかも必要なもんは人に見られず自販機街で買って来れる……よく出来てるぜ。せっかくだから何か買って来ようか?」
丸テーブルのひとつに近付き、周囲に設置された細長い花壇を見ながら感心して椅子に座った鋭時に、セイハも同意するように頭を掻いてから建物の中に続く扉を親指で指し示す。
「そうですね……旦那様と若奥様は何かお召し上がりになりますか?」
「飯は食ったばかりだし、俺は飲み物だけでいいかな。シアラはどうする?」
「わたしも飲み物だけで大丈夫ですよっ!」
セイハの提案を元に質問して来たチセリに鋭時が腹に手を当てながら答えると、シアラは同意するように微笑みながら鋭時のスーツの袖を掴んだ。
「それじゃ行こうか。セイハさん、案内をお願い……」
「お待ちください旦那様、ここは私とセイハ様に行かせてもらえませんか?」
シアラにスーツの袖を掴まれたまま慎重に立ち上がった鋭時に対してチセリは、丁寧な仕草でお辞儀をしてから休憩所に留まるように提案する。
「さすがにそれは2人に悪いぜ……」
「野暮言わせんなよ、王子様。シアラと新しい術式を考えるんだろ?」
唐突なチセリの提案に対して鋭時が遠慮がちに頭を掻くと、セイハが楽しそうに微笑みながら片目を瞑った。
「そうでしたっ! まずは教授の組み上げた術式を見せてもらえますかっ?」
「分かったからちょっと待ってくれ、取り敢えず座ってからな……」
セイハ達の意図を察して興奮気味にスーツの袖を両手で掴んだシアラに、鋭時はバランスを崩さないよう踏ん張りながら空いた手で向かいの椅子を指し示す。
「では私達は少々失礼しますね」
「待ってくれ、チセ姉。その前に王子様達の注文聞かなくていいのかい?」
鋭時とシアラの様子をしばらく満足そうに眺めていたチセリがお辞儀をしてから建物に向かおうとし、セイハが慌てて呼び止めた。
「あら、私とした事が。旦那様、若奥様、お飲み物は何になさいますか?」
「俺はホットコーヒーをブラックで、無ければ何か適当に任せるよ」
「わたしはミックス……や、やっぱりチセりんにお任せしますっ!」
手を口に当てて誤魔化すように微笑んだチセリに鋭時が簡潔に注文を伝えたのに対してシアラは途中で口ごもり、無理に作った笑顔をチセリに向ける。
「どうしたんだ、シアラ? 飲みたいもんがあるなら何でもいいんだぜ? 工場で作ってる飲み物ならここにも売ってるんだからさ」
「若奥様が飲みたいのは、初めての散策で飲んだスムージーですか? あのお店のように店主が仕上げにひと手間かけるサービスこそありませんが、こちらの階でもほぼ同じものが購入できるかと思います」
様子のおかしいシアラに気付いたセイハが気さくに声を掛けると、しばらく下を向いて考えていたチセリがシアラの方を向いて優しく微笑んだ。
「でもあれはみなさんに迷惑を掛けてしまいましたし、ここにスズにゃんがいないから飲むのはちょっとズルしてる気もして……」
「スズナ様は最近、耐マタタビ術式を使われているとお聞きしています。そこまでお気になさらくてもよろしいかと」
自分の選んだ飲み物でスズナを酔わせた出来事を思い出して逡巡するシアラに、チセリは自分が知る範囲のスズナの近況を伝えながら柔らかな笑みを浮かべる。
「スズナならあれから何度かうちの店でキウイを使ったスイーツ買って来てたし、シアラがスズナに負い目を感じる必要なんて無いぜ」
「ほえ? シロちゃんはラコちゃんとこの街を離れてたんですよねっ? どうしてスズにゃんがお店に来たってわかったんですかっ?」
チセリの言葉を裏打ちするように微笑んだセイハが乙鳥商店の近況を伝えると、シアラは安堵の表情を浮かべつつも湧き上がって来た疑問を口にした。
「妙なところで勘が冴えるんだな……情報集めで色々回ってた時も、毎晩ヒラ姉の携帯端末にらっぷとさなが業務報告を送ってくれたんだ。うちで売った耐マタタビ術式の効果にヒラ姉が大喜びしてたんだぜ」
「ラコちゃんもスズにゃんもがんばっているんですね……わかりましたっ、わたしだけ後ろ向きになってる訳にはいきませんねっ!」
唐突な質問に呆れつつも快く答えたセイハに元気付けられたシアラは、軽く頬を叩いた両手を握って小さく持ち上げる。
「かしこまりました、若奥様はミックスフルーツヨーグルトスムージーですね」
「よろしくおねがいしまーすっ! もし売り切れだったらミルクの入ってるものをお願いしますねっ」
セイハの隣で様子を見ていたチセリが嬉しそうに微笑んでからお辞儀をすると、シアラは満面の笑みを浮かべつつも恥ずかしそうに小声で予備の注文を追加した。
「そういやシアラはタイプサキュバスだよな……話には聞いた事あるけど、魔力の補充って大変なのか?」
「魔力の? そういえばシアラの魔力は俺の何千倍もあるんだよな……自然回復や睡眠だけで回復するのは困難だろうけど……」
シアラの種別を思い出したセイハの質問が耳に入って来た鋭時は、関連性を理解出来ないままに変わった話題に戸惑いながらもシアラの身を案じて考え込む。
「旦那様、若奥様の魔力でしたら私達が補充方法を心得ております。旦那様には記憶を戻す事に専念していただく方がよろしいかと」
「そう……なのか、もしもの時のために俺も知っておいた方がいいのかな……?」
柔らかくも凛とした口調で呼び掛けたチセリが胸に手を当てながら自信に満ちた笑みを浮かべると、鋭時は自分を納得させるように頷きながらも迷いを呟いた。
「えー……っと、アタシが聞いた話が本当なら王子様にはちょいと難しいかな……記憶が戻って繁殖出来るようになれば、いくらでも補充出来るらしいけどさ……」
「人間が補充する場合は、そんな厳しい条件があるのか……分かった、今は訓練に専念するよ。すまないシアラ、俺の記憶が戻った時に教えてくれないか?」
頭を掻きながら口ごもるセイハの躊躇いがちな説明を聞かされた鋭時は、しばし考えてから決意を固めてシアラに出来る限りの微笑みを向ける。
「わかりましたっ! 実践を交えてお願いしますねっ!」
「よかったな、シアラ! そろそろ買い物行こうぜ、チセ姉」
「そうですね、セイハ様。では、お二人でごゆっくりとお過ごしくださいませ」
鋭時の申し出を全身で受け止めるように大きく頷いたシアラが小さく舌なめずりしてから満面の笑みを浮かべると、セイハは自分の事のように喜んでスライム体で作った大きな手の親指を立ててから喜びを噛み締めるように微笑んでお辞儀をしたチセリと共に建物の中へと続く扉に向かって行った。
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「ごゆっくりって……取り敢えず座るか……」
「はいっ! 教授の組み上げた術式を早く見せてくださいっ」
しばし呆然と扉のある方を眺めていた鋭時が気を取り直して椅子に座り、小走りして向かいの椅子に座ったシアラが興奮気味に身を乗り出す。
「いいけど、あまり期待するなよ……」
正面に座ったシアラの期待に満ちた眼差しに観念した鋭時は、スーツの右袖から取り出したアーカイブロッドをテーブルに置いて圧縮されていた術式の光学紋様を展開してみせた。
「これが教授の術式【反響索敵】ですかっ! たったこれだけの魔力で、ここまでできるなんてすごいですっ!」
「ははっ……お世辞でも嬉しいよ。少し自信が持てた」
展開された術式の光学紋様を様々な角度から興奮気味に眺めるシアラに、鋭時は指で頬を掻きながら照れ笑いする。
「お世辞とかじゃありませんよぉ、教授ぅ。わたしが組み上げた術式はどうしても魔力を多く消費するから、他の人は使えないんです……でも教授はわたしの術式を誰でも使えるように変えてくれましたっ!」
「なるほど、持てる者の悩みって訳か……」
興奮冷めやらぬシアラが自身の経験を交えて術式を評価した理由を説明すると、鋭時はシアラの態度に納得して頭を掻いた。
「でしたら教授とおそろいですねっ!」
「え? 俺にそんな魔力は、って……はぁ、そういう事か……確かに俺もA因子に振り回されてるけどさ、冗談を言う余裕くらいはあるみたいだな」
嬉しそうに微笑んだシアラの言葉に戸惑う鋭時だが、しばらく考えてから発言の意図を理解して小さくため息をついた後からこみ上げて来た笑いを堪えて微笑む。
「えへへ……わたしの術式をみなさんに使ってもらう方法を教授が教えてくれたんですものっ」
「俺は単にシアラの使う術式に興味があって、自分の魔力でも再現出来ないかなと思っただけで……」
悪戯じみた笑みを鋭時に向けたシアラがそのまま感謝に満ちた笑みに変えると、思わず視線から逃れるように顔を逸らした鋭時が照れ臭そうに指で頬を掻きながら遠慮がちにシアラの方へ顔を向けた。
「わたしに興味だなんて……教授がお望みでしたら、今からお見せしますよ……」
「おーいシアラさん、俺が言ったのはそういう意味じゃないからね。そこまで顔を真っ赤にしてさ……俺はシアラに嫌な事をさせる気なんてないからな……」
嬉しそうに顔を赤らめながら着物の衿元に手をかけ始めたシアラに、鋭時は額に手を当てながら疲れた様子で制止する。
「嫌じゃ無いんですっ、ちょっと今は恥ずかしくて見せられない場所が……」
「記憶が戻ったら、か? 今までの説明を額面通りに受け取るなら、そん時の俺は逃げられないらしいからな。好きにすればいいさ……いけね、って今さらか」
激しく首を横に振りながらもさりげなく腰の後ろに手を回したシアラを見ていた鋭時は自分の置かれた状況を再確認しながらも余計な言葉を口走った事に気付いて言葉を止め、ひと呼吸置いてからさりげなくシアラに微笑みかけた。
「えへへっ、今さらですねっ。わたしは教授が好きなんですからっ!」
「と、とにかく術式の話に戻るぞ。俺はこの【反響索敵】にもうひとつ、こういう仕掛けを追加しようと考えてる」
調子を取り戻して真正面から返って来たシアラの笑顔に思わず赤面した鋭時は、慌てて展開した術式の隣に新たな術式の光学紋様を展開する。
「超音波が動く標的を捉えた時に控え目の【瞬間凍結】を当てる仕掛けですか……確かに索敵と同時に敵を弱体化できますが、これでは消費魔力も大きくなりますし他の人も巻き込んでしまいますね……」
「そこなんだよ……現実での駆除はゲートと違ってひとりじゃないから、敵味方の識別方法に詰まってるんだよ……」
新たに展開した術式の紋様をしばらく眺めていたシアラが問題点を指摘すると、予想通りの反応に安堵して頭を掻いた鋭時が正直に悩みを打ち明けた。
「でしたら【空間観測】に組み込んだ識別式を単純化して超音波に組み込む方法はどうでしょうか? これなら少ない魔力でZKと他の生き物の区別が付きますよ」
言うが早いか着物の袖からウサギのぬいぐるみを取り出したシアラがテーブルを覆い隠す大きさの光学紋様を10枚以上展開し、最も近くに展開した光学紋様から数行をコピーして編集してから鋭時に手渡す。
「あの術式にはこんな仕掛けまであったのかよ、ドクが興味を持つのも当然か……待てよ? 超音波に識別式を組み込めるなら、他の式も組み込めないか……?」
「さすがは教授ですっ、同じ式の中に組み込めば魔力の消費も減るはずですっ! それで、どんな術式を組み込むつもりなんですかっ?」
「ああ、こういうのはどうだろう?」
圧倒的な力量の差に愕然としながらも新たな改良点を思い付いた鋭時にシアラが興味を持って身を乗り出すと、鋭時はアーカイブロッドに意識を集中して編集した術式の光学紋様を手元に展開した。
「識別式がZKを認識した時に、ZKの関節を【圧縮空壁】で固める式ですか……これならZKの動きを鈍らせることができますねっ、さすがは教授ですっ!」
「だが駆除どころか動きを止められる魔力すら込められない以上、空気の圧縮量が強過ぎたら気付かれるし弱過ぎたら効果が無い。出力のバランスが鍵だな……」
展開された術式をしばらく眺めながら効果に感心するシアラだが、鋭時は即席で組み上げた術式の問題点と課題点を確認して腕を組み考え込む。
「ええ……これだけの索敵範囲のZKを全部駆除する術式なんて【空間観測】より魔力を消費しますし、そんな術式を索敵するたびに使ってたら、わたしでも魔力が尽きてしまいますよ」
「だよな~……だからみんな索敵してから個別に駆除してるんだし」
術式の出力を仮入力してから目を閉じて消費魔力を確認したシアラが目を開いてから呆れた様子で笑うと、鋭時も大きく頷いてから気恥ずかしそうに頭を掻いた。
「でも教授の組み上げた【反響索敵】でしたら気軽に何度も使えますし、わたしもこれを使ってデータを集めますねっ」
「そうだな……お互い同じ式を組み込んだ術式使うんだし、データの共有くらいは問題無いよな。分かったシアラ、よろしく頼んだぜ」
周囲に展開していた複数枚の光学紋様をウサギのぬいぐるみに戻してから鋭時の組み上げた術式をコピーして嬉しそうに同じぬいぐるみに仕舞い込んだシアラに、鋭時はしばし考えてから微笑みかける。
「おまかせくださいっ! そろそろチセりんとシロちゃんが戻って来ますよっ」
「いつの間にそんな結界を……分かったよ、隠すほどの術式でもないけどさ」
大きく頷いて喜びに満ちた笑顔を返したシアラがウサギのぬいぐるみを操作して休憩所の周囲の様子を映し出すと、鋭時は呆れた様子で乾いた笑いを浮かべてからチセリ達の来る方向を眺めた。
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「よお王子様、どうやら術式の開発は順調のようだな」
「おかげさまで、ひとつはどうにか形に出来たよ」
既にスライム体で作ったタキシードを脱いで起伏のはっきりとした体に張り付くトレーニングウェア姿になったセイハの到着を予測出来ていた鋭時は、落ち着いた様子で軽く頷く。
「それはようございました。旦那様はコーヒーでしたね」
「ありがとう、チセリさん」
狼のような尻尾を左右に振りながらも落ち着いて振る舞うチセリから紙コップを受け取った鋭時が中のコーヒーをひと口飲み、口に広がる酸味を抑えた苦味の奥に感じるほのかな甘みを噛み締めてから飲み込んだ。
「それと、シアラはミックスフルーツヨーグルトスムージーだったな」
「ありがとうございますっ!」
セイハが作ったスライムの手からプラスチックのコップを受け取ったシアラは、ひと口飲んで満足そうな笑顔を浮かべてからセイハの飲み物に興味を示す。
「ところでシロちゃんは何を買ったんですかっ?」
「アタシのはラムネだ。学生の頃から自販機街に来た時はこいつを飲んでるんだ。ん? どうしたんだ、王子様?」
「いや、何でもない……」
シアラの質問に答えるように自分の手に持ったラムネの瓶にセイハが口を付けて数回喉を鳴らし、冷えた瓶から落ちた水滴がセイハの胸元に吸い込まれる直前まで目で追っていた鋭時は慌てて目を逸らした。
「わりいな王子様、こんな地味な服なんて見たくも無いよな。これならどうだ?」
「だから、そうじゃなくて……って、なんでメイド服!?」
愛想笑いを浮かべてからスライム体を纏い始めたセイハに鋭時はどうにか弁明をしようとするが、セイハを包むスライム体がトレーニングウェアを覆い隠すようなロング丈の黒いワンピース服と白いエプロンを組み合わせたメイド服へ姿を変えて思わず大声で聞き返す。
「へへっ、アタシのスライム体は色んな服を再現できるのさ。この服ならチセ姉で見慣れてるだろうと思ってね」
「シロちゃんすごいですねっ! いい事を思い付きましたっ! 来てくださいっ、ヴィーノ! これで3人おそろいですよっ!」
大きく胸を張ったセイハがチセリの方を何度も見ながらスライム体を使う自分の特技を説明すると、ウサギのぬいぐるみを手元に寄せたシアラが素早く腰に付けたネコのぬいぐるみと入れ換えてメイド姿の結界服に取り換えた。
「はい、若奥様もセイハ様もとても似合っております。旦那様が記憶を戻されたら皆様で同じ格好をしてご奉仕するのも旦那様の良い刺激になりますね」
「いや待て、色々と待て。単に俺はみんなに恩返しが出来ればいいだけなんだし、刺激とかそういうのは……」
目を細めてシアラとセイハを眺めながら将来の展望を語るチセリに慌てた鋭時は手のひらを向け、もう片方の手を額に当てながら小さく首を横に振る。
「遠慮するなよ、王子様。アタシのスライム体ならスズナやヒラ姉の服もまとめて作れるから、もっと増やせるぜ」
「増やしてどうすんだよ……服はともかく責任は避けて通れないけどさ……」
空いている椅子に座ったセイハがスライム体から作ったサイズの違うメイド服を左右に浮かべると、鋭時はますます深刻な表情を浮かべて項垂れた。
「避けて通れないんでしたら、いっそ楽しんでくださいっ! 教授が楽しければ、みなさんも悦ぶんですからっ!」
「考えてみりゃ今の俺は多くの人に見られてる。その俺が不景気な面をしてたら、周りも詰まらないもんな。いきなり陽気にはなれないけど、善処はしてみるよ」
柔らかい微笑みを浮かべながらも真摯な眼差しで見詰めて来たシアラに、鋭時は項垂れていた頭を起こして周囲を見回してからぎこちなくも出来る限りの微笑みを返す。
「おう、任せろ! 最高の悦びを王子様に味わってもらうぜ!」
「ははっ……そいつは楽しみだ……何にせよ、まずは記憶を戻さないとな……」
左右に出していたスライム体のメイド服を複数の手へと変えたセイハが指で輪を作ったり親指を立てたりして自信に満ちた笑みを浮かべると、鋭時は乾いた笑いを浮かべて適当に相槌を打ってから遠い目をしてため息をついた。
「では術式改良の続きをしましょうっ! 教授は【反響索敵】の他にどんな術式を組み上げたんですかっ?」
「目的が見え透いてるぞ、まあいい……俺が最近使うのは、この【圧縮空棍】だ」
思い詰めた様子の鋭時を元気付けるよう笑顔を浮かべて身を乗り出すシアラに、鋭時は軽く微笑みながらテーブルに置いたアーカイブロッドを操作して新たな光学紋様を展開してみせる。
「たったこれだけの魔力でここまでできるなんて……さすがは教授ですっ!」
「へえ……【圧縮空筋】を武器に使うなんて、王子様は面白い事を思い付くな」
しばし光学紋様を眺めていたシアラが興奮と尊敬の入り混じった眼差しで鋭時を見詰めると、シアラに頬を寄せるようにして覗き込んだセイハも興味と感心が入り混じった表情で大きく頷いた。
「俺の決め手はこのアーカイブロッドでZKに直接触れる必要があるんだ、だからロッドを伸ばせないか考えたんだよ」
「そういう考え方は良く分かるぜ、アタシもこっちのヘルファランはスライム体を伸ばして使うからな」
予想と異なる評価を受けて照れ臭そうに笑う鋭時に、セイハは鞘に収めた短刀、ヘルファランをスライム体で作ったメイド服の中から取り出して微笑む。
「なるほど……でも遠くの敵に向けて伸ばしてる最中に別の敵が近付いて来た場合はどうしてるんですか?」
「特に考えた事はねえな……手元にこいつがあるし、伸ばしたスライム体もすぐに縮めてるし……」
「すぐに縮める……? そうか! 足りなかったのはこれだったんだ!」
疑問を口にする鋭時にセイハがケースに入れて近くの花壇に立て掛けた大剣型の金属板、クロスジャルナーをスライム体で触りながら返答を考え、セイハの呟きを聞きながら思考癖を働かせていた鋭時が突然大声を上げた。
「いい方法を思い付いたんですねっ、教授っ!」
「どちらかと言うと盲点だがな……ありがとうセイハさん、これで【圧縮空棍】の使い勝手も良くなりそうだぜ」
唐突な大声に希望を見出したような眼差しを向けるシアラを落ち着かせるように照れ笑いした鋭時は、光学紋様を軽く操作してからセイハに感謝する。
「ん? お役に立てたのなら何よりだ。ついでと言っちゃ何だが、理想の戦い方はどんな時でも自分の得意な戦い方に相手を引き込む事だ。まあこいつは、アタシにステ=イション式杖術を教えてくれた人の受け売りなんだけどな」
「得意な戦い方ですかぁ……そういえば教授の習ってるステ=イション式杖術ってどんな感じなんですかっ?」
鋭時に感謝されるまで回答を考え続けていたセイハが照れ笑いをしながら訓練を受けていた頃の話をすると、横で真剣に聞いていたシアラがテーブルに置いてあるアーカイブロッドを興味深く眺めてから鋭時に質問した。
「どんなって……まず杖術は暴魔の構え、闘魔の構え、獣魔の構えといった具合で3種の構えがあるんだ。そこから移動が33個、防御が18個、攻撃は54個もの技があって、個人の相性や周囲の状況で使い分けるんだよ」
「ほえ~、そんなに多いんですかぁ……ステ=イション式柔術の場合は天魔の構えひとつだけで、移動、防御、攻撃を1系から35系まで細分化した技を組み立てて使いますっ!」
答えに詰まりながらも座ったままアーカイブロッドを手に取って3種類の構えを簡単に再現した鋭時に、同じくシアラも座ったまま広げた両手のひらを胸の前まで持って行って柔術の構えを簡単に再現してから微笑む。
「柔術も35系か……!……なあシアラ、もっと詳しく聞かせてくれないか?」
「はいっ! 教授の習ってる杖術も、もっと詳しく教えてくださいねっ!」
「ああ、これで突破口が見付かりそうだ。あと2週間、お互い全力で頑張ろうぜ」
同じ流れを汲む武術の特異な共通点に興味を持った鋭時にシアラが目を輝かせて大きく頷くと、鋭時も決意を固めた笑顔を返してアーカイブロッドの操作を始め、掃除屋を目指す奇妙な密会はいつまでも続いた。
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「【反響索敵】」
(……さすがはシアラだ、気付かれる事無く硬化機能が働いてる。とはいえこれは数が多過ぎる、気付かれる前に別の群れを探すか……)
再びDDゲートへと降り立った鋭時はスーツの右袖からアーカイブロッドを取り出し、シアラと共に改良を重ねた探索術式を使ってZKの数を確認してから移動を始める。
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「【反響索敵】……今度はちょうどいい数だ」
再度アーカイブロッドから探索術式を発動した鋭時は、自力での駆除が可能だと判断してからロッドを握り直して慎重に歩みを進める。
「見え見えだぜ、【圧縮空棍】続けて【瞬間凍結】」
探索術式に改良を重ねて追加した自動追尾機能により周囲のZK全てを把握した鋭時は手近なZKを目標に定めて静かに背後に回り込みながらアーカイブロッドの先端から釣竿状のロッドを伸ばし、狙いを定めてZKに当てると同時に凍結術式を発動して凍らせた。
(新調した【圧縮空棍】の調子もいい感じだ。すぐ手元に戻って来るから、周囲の対処にも気持ちにも余裕が出来る。まあ、すぐに次を探すけどさ……)
「もらった!【瞬間凍結】」
瞬時に手元に戻って来た釣竿状のロッドに満足した鋭時は、追尾機能を確認して他のZKに気付かれないよう移動しながら次の標的にロッドを伸ばして凍結術式を当てる。
「【共振衝撃】!……それじゃ戻るか」
縄張りの中にいる全てのZKの凍結を確認した鋭時がアーカイブロッドを地面に当てて術式を発動すると、凍結させた周囲のZKが地面を伝う強烈な衝撃波により全て同時に砕け散った。
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「見事なもんだ、まさか本当に100周出来てしまうなんてね。約束した期限まで残り2日もあるし、文句無しの合格だよ」
「おめでとうございますっ! 教授もコツに気付いたんですねっ!」
DDゲートから目覚めた鋭時を複雑な表情で迎えたドクの隣で、シアラが満面の笑みを浮かべながら鋭時の合格を祝福する。
「ああ、シアラには1日先を越されちまったが、何とか実践出来たよ」
凍鴉楼の庭園型バルコニーで術式を改良してからおよそ2週間、ようやくドクに出された課題を達成した鋭時は既に課題をクリアしているシアラの方を向いて照れ笑いを浮かべた。
「掃除屋は物語の主人公でも無ければ、戦う義務を負った軍人でもねえ、勝ち目が無ければ逃げてもいい。これがステ=イション式杖術の極意だったんだろ?」
「こうもあっさり正解に辿り着くとはね……それにしても、よく分かったね」
緩めた表情を引き締め真剣な表情をして教わった武術の極意を確認した鋭時に、ドクは呆れながらも楽しそうに肩をすくめる。
「シアラにステ=イション式柔術の話を聞いて気が付いたんだ、と言うより極意は最初からマニュアルに書いてあったんだよ。暴魔、闘魔、獣魔、天魔、どの構えも1系から35系の技で成り立ってる」
「その通りだけど、それと極意はどう関係するんだい?」
極意に気付いたきっかけを話した鋭時がステ=イション式武術に共通する特徴を説明すると、ドクは大きく頷いてから質問を返す。
「この系ってのは計略を意味する、つまり兵法三十六計を技に置き換えたものだ。さすがにどの兵法をどの技に当て嵌めたのかまでは分からなかったけど、どれにも当て嵌まらないのが三十六計逃げるにしかずって訳だったんだ」
「やれやれ、大正解だ。ここまで調べてたら分かると思うが、その極意こそゲート訓練クリアのコツであり、誰にも教えてはいけない理由になってるんだよ」
購入したばかりの携帯端末をスーツの内ポケットから取り出してから検索画面を表示した鋭時に、ドクは呆れ顔で肩をすくめてから真剣な表情を鋭時達に向けた。