第37話【厚意の対価】
ステ=イション式杖術の極意をドクから教わり1週間、
鋭時は再びDDゲートに挑んでいた。
「【圧縮空棍】……」
アーカイブロッドから圧縮空気で出来た黒い釣竿型の武器を作り出した鋭時は、そのまま槍状の甲殻を腕に持つL型ZK目掛けて突き出す。
(……やっぱりそうか。こいつは相手の出方を探る牽制用とばかり考えてたけど、術式と合わせれば充分決定打になるな……)
「【瞬間凍結】! 続けて【共振衝撃】!」
ロッドの中心を片手で持ちながら即座に後方へと下がれる体勢で前方にロッドを突き出すステ=イション式杖術の技、獣魔18系「吹毛の剱」を繰り出し、突いたロッドの先端からL型ZKの槍状の甲殻まで伸びて浅く刺さった釣竿型のロッドを確認した鋭時は間髪入れずに術式を発動した。
「ヨシ! ここまでは上々、数も集まったし一旦戻るか」
瞬時に凍り付いて砕け散ったL型ZKを確認した鋭時は、残骸から【破威石】を拾ってから再開発区へ向かって慎重に歩き出した。
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(だいぶ慣れたが、今思うと妙な作りの杖だな……どちらの先端からも発動出来るから支障は無いけど、片側の4分の1の部分がまるで剣か何かの柄のように術式を発動出来ない箇所がある……)
【遺跡】と再開発区の境に辿り着いた鋭時は、手にしたアーカイブを眺めながらしばし考え込む。
(【傀儡演武】でも必ず同じ向きに揃えるし、こういうもんなんだろうな……)
ステ=イション式杖術の基礎訓練に記憶を遡った鋭時がひとり納得して頷くと、アーカイブロッドをスーツの右袖に組み込んだ収納術式に入れてから居住区入口に向かって歩き出した。
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「今回は8周まで行けたか……このまま上手く行ってくれよ……」
居住区入口の大鳥居型ゲートの前に浮かぶ訓練達成条件と残り回数の表示された立体映像を確認した鋭時は、小さく祈るように頷いてから【遺跡】のある方向へと歩き出した。
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「ちょっと数が多いな……でも負ける訳には行かないんだよ、【圧縮空棍】!」
再度【遺跡】に戻って来た鋭時は探し当てたZKの群れの数に戸惑うが、迷いを払うように首を大きく横に振ってから術式を発動して釣竿型のロッドを出す。
「【瞬間凍結】! まずはひとつ!」
釣竿型のロッドを最も手前にいるナイフ状の鉤爪を持ったK型ZKに向け素早く伸ばした鋭時は、ロッドが触れると同時に術式を発動してK型ZKを凍らせた。
『ギギッ!?』
「効果は残ってる、ふたつ!」
突然凍り付いた仲間に気付いた別のK型ZKが奇声ともつかない音を立てるが、鋭時は躊躇う事無く釣竿型のロッドで薙いで凍らせる。
「まだ行ける、みっつ! 次は……しまっ……!」
手早く凍らせたZKの隣に見つけた新たなK型ZKに向けてロッドを振り抜いて凍らせた鋭時だが、いつの間にか接近していた複数のK型ZKに囲まれ全身を切り刻まれて意識が途切れた。
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「やっぱり無理だったか……もっと作戦を考えないと……」
凍鴉楼地下訓練所第4訓練室、その中央に置かれた夢の中に入り込む訓練装置、DDゲートの前で目を覚ました鋭時が起き上がりながら頭を掻く。
(チセリさんと俺達で決めた朝練を始めて1週間……ドクのアドバイスのおかげか1周も出来なかった頃に比べれば成長してるんだろうけど、あと2週間で100周出来んのか……?)
「教授っ、病院に行く時間ですよっ! 考え事は帰ってからにしましょうっ!」
安全装置が起動するまでDDゲートを連続で使用していた件を凍鴉楼の管理人、チセリにこっぴどく叱られてから後の事を思い出していた鋭時が最終試験のタイムリミットに考えを巡らせていると、同じ訓練を隣で受けていたシアラが弾むような元気な声と共に鋭時のスーツの袖を掴んで来た。
「そうだな……チセリさんを待たせるのも悪いか……と、その前に【身体洗浄】、【衣服洗浄】、これでよしっと」
「教授ぅ……どうしていつも術式を使うんですか?」
スーツの袖を引いて来たシアラに軽く頷いてからスーツに組み込んだ洗浄術式を発動した鋭時に、シアラは小首を傾げながら見上げるように質問する。
「ん? 汗もかいたし、このままチセリさんに会うのも失礼だろ?」
「えー……っと、なんて言えば……」
「術式を使った分の魔力だって診察が終わるまでには回復してるはずだ、そんなに心配しないでくれよ」
空いた方の袖を鼻に近付けながら術式を使う理由を話す鋭時にシアラが次に出す言葉を選びながら口ごもると、鋭時は心配掛けまいと精一杯の笑みを返した。
「そ、そうですね……そういう事にしましょうっ。後の楽しみも増えますしっ!」
「後の楽しみ? 記憶が戻れば出来る限り恩返しをしたいけど、方法が方法だけにどうすればいいか分からんからな……そこら辺は任せるしかないか……」
誤魔化すように頷いてから満面の笑みを浮かべてスーツの袖を引いたシアラに、鋭時は空いた方の手で頭を掻きながら複雑な表情で呟く。
「お任せくださいっ! チセりんはもちろん、みなさんも教授も満足できるようにがんばりますからっ!」
「ははっ……お手柔らかに頼むよ……」
鼻息荒く気合を入れて大きく胸を張ったシアラが掴んだ鋭時のスーツの袖を強く引くと、鋭時は乾いた笑みを浮かべてシアラに引かれるままに訓練室を後にした。
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「朝の訓練お疲れ様でした、旦那様、若奥様。時間通りでございますね、それでは参りましょうか?」
「いつもすまないね、チセリさん。俺の我儘に付き合わせちゃってさ……」
凍鴉楼の玄関ロビーで狼のような尻尾を左右に振りながらも丁寧にお辞儀をして来たチセリに、鋭時も軽く頭を下げてから申し訳なさそうにぎこちなく微笑む。
「それは言わない約束でございます、旦那様。皆で話し合って決めた事ですもの、時間の限り存分に訓練をなさってくださいませ」
「ありがとうっ、チセりんっ! わたし、教授を守るために強くなりますっ!」
胸に手を当てながら静かに首を横に振ったチセリが口元に手を当てて微笑むと、鋭時のスーツの袖を掴んでいたシアラが前へ乗り出してから大きく胸を張った。
「これは何とも頼もしいお言葉ですね。ですが若奥様が張り切ってしまいますと、旦那様も無茶をしてしまいます。くれぐれもお気を付けくださいませ」
「うっ……それはもう、重々承知してます……」
優しく微笑んでお辞儀をしながらも厳しい口調を滲ませるチセリに釘を刺され、シアラは力無く頷いたまま俯く。
「あまりシアラを困らせないでくれないか、チセリさん。あんな無茶はもう二度としないからさ……」
「これは失礼しました。ですが即座に若奥様を庇うなんて、益々仲睦まじい夫婦が板に付いて来たみたいですね」
縮こまるように小さくなったシアラを見かねた鋭時が庇うように口を挟んでからぎこちなく微笑むと、チセリは丁寧な仕草でお辞儀をしてから口に手を当てながら悪戯じみた笑みを浮かべた。
「そんなぁ、超ラブラブ新婚夫婦なんて言われちゃったら照れちゃいますよぉ! でもご安心ください、ちゃんとチセりんも混ぜますからぁ」
「おーいシアラさん。チセリさんはそこまで言ってないし、俺も……俺は、記憶が戻るまで保留だ。チセリさんも勘弁してくれよ、まだ何も出来ないんだから……」
嬉しそうに体をくねらせながら照れ笑いするシアラに疲れた様子で苦言を呈した鋭時は、そのまま困惑した表情をチセリに向ける。
「あらあら、少々おふざけが過ぎたようですね。それでは参りましょうか」
返す言葉に詰まって見詰めて来るだけの鋭時に満足そうな笑みを返したチセリは柔らかな物腰でお辞儀をし、一行は病院へと移動を始めた。
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「結界の綻びは先週から変化が無いですね~……」
病院の診察室の椅子に座って聴診器型の術具を鋭時の額へとかざしたスズナは、猫のような耳と2本の尻尾を力無く下げつつも落ち着いた表情でタブレット端末を操作して検査結果を記録する。
「逆に考えれば、あの時のような急激な覚醒は今のところ無い訳か……じゃあ結局何が原因だったんだ……?」
「こちらでもデータ解析を行ってるのですが、進展らしい進展は……」
検査結果を聞いて静かに安堵しながら考え込み始めた鋭時に、スズナも手にしたタブレット端末を検査結果の画面に切り替えながら難しい顔をする。
「ロクな協力が出来なくて申し訳ない……拒絶回避でデータを提供出来ない以上、やっぱり訓練を重ねて思い出すしかないのか……?」
「そんにゃ風に謝らにゃいでください、えーじしゃまは悪くにゃいのですから……そういえばえーじしゃま、訓練の方は順調のようですね」
座ったまま軽く頭を下げた鋭時がそのまま考え事を呟くと、鋭時の謝罪に慌てたスズナは誤魔化すように微笑みながら話題を変えた。
「その術具はそんな事まで分かるのか……大したもんだな」
「いえ、これは……その、えーじしゃまの声や体を動かす時の音が前回より自信に満ちた強い音ににゃっていて……でも、悩みも抱えてるみたいですね……」
感心しながら聴診器型術具を眺める鋭時に、スズナは猫のような耳をピクピクと動かして説明しながらも途中で顔を沈める。
「そうなんですかっ、教授っ! わたしでよければ相談に乗りますよっ!」
「隠し通せるものでも無いと思ってたけど、こうもあっさり見抜かれるとはね……まあ、平たく言えば壁にぶち当たってるだけだ」
診察室まで着いて来ていたシアラが鋭時の顔を覗き込むように微笑みかけると、鋭時は観念したように俯きながら頭を掻いて悩みを打ち明けた。
「壁? ですか……」
「DDゲートに入っていきなりZKに負ける事は無くなったけど、良くて10周、酷い時は1周目もクリア出来ない有様でね……今のペースでは残り2週間と数日で100周連続なんてとても無理だと思ってたんだ……」
要点を得ないシアラの様子を見た鋭時が訓練の具体的な進捗を説明し、シアラはようやく納得して頷く。
「教授も同じでしたかぁ……わたしも20回くらいゲートまで戻れるんですけど、それ以上はちょっと……」
「シアラは凄いな……それでも合格に程遠いとか、先が思いやられるぜ……」
同じ悩みを持っていると知って安堵の表情を浮かべたシアラが自分の進捗状況を説明すると、鋭時は感心して微笑みながらも先行きの遠い道のりに顔を曇らせた。
「ごめんなさいっ、教授っ! 悩みを解決できないだけでなく、逆に不安にさせてしまって……」
「わたくしもすみません……余計な事を言ってしまったばかりに……」
「いや、悩みを打ち明けた事で当面の問題点に向き合えたよ。これもスズナさんのおかげだ、ありがとう」
慌てて頭を下げるシアラと耳と尻尾を力無く下げて謝るスズナに、鋭時は悩みが晴れた様子で深呼吸してから精一杯の微笑みを浮かべて感謝を伝える。
「ありがとうだにゃんて、えーじしゃまの優しい声でそんにゃ事を言われたら耳が幸せ過ぎてほとばしりそうになっちゃいます」
「ははっ、こんな形で女の子に喜んでもらえたのは記憶の限りでは初めてかな……もう少し頑張ってみるよ……」
耳に入ってきた鋭時の声を大切に閉じ込めるかのように耳を押さえて嬉しそうに身をよじらせるスズナを見た鋭時が照れ臭そうに頬を指で掻くと同時に、スズナが椅子から立ち上がり勢いよく鋭時へと身を乗り出して来た。
「でしたらえーじしゃま、ぜひ全身の音をくまなく聞かせてください!」
「ちょっ……スズナさん!? 何か目が怖くて鼻息も荒いんですけど……?」
聴診器型の術具を手に取り目を見開いたスズナに迫られた鋭時は、唐突な変化に戸惑いながら反射的に後ろに下がる。
「そ、そんにゃ事ないですよ? これもえーじしゃまのデータを集める診察の一環にゃんですから、決して邪にゃ目的にゃんてありません! 服を全部脱いで音を聞かせてください!」
「そうですよっ、教授っ! 病院ではお医者さんの言う事を聞かないとっ!」
慌てて否定しながらも興奮を隠せないスズナがさらに踏み込むと、シアラが立ち上がろうとした鋭時のスーツの袖を掴んで引き留めた。
「ちょっと待て、シアラ!? 袖を掴んでどうする気だ?」
「お待ちください若奥様。旦那様のお召し物を脱がすのでしたら、まずはボタンを外しませんと」
腕に掛かった突然の負荷に驚いて振り向いた鋭時の正面にシアラと共に付き添いとして診察室に入っていたチセリが回り込み、スーツのボタンへと手を伸ばす。
「いや待て、色々と待て。これ以上近付かれたら拒絶回避でシアラやチセリさんに何をしでかすか分からないんだ。スーツだけ自分で脱ぐから、スズナさんもこれで勘弁してくれないか?」
「いつもと同じじゃにゃいですか……やっぱり全部脱いでいただいて……」
鼻先に迫る狼のようなチセリの耳に慌てた鋭時が顔を仰け反らせながらスーツのボタンへと手を掛けると、スズナは残念そうに耳と尻尾を下げてから甘えるような上目遣いで鋭時を見詰めた。
「これも診察って言うなら出来る限り指示に従うけどさ……スーツを脱いだ時でも身体の緊張感が半端無いんだ、他のも脱いじまったら拒絶回避がどのタイミングで暴発するか……」
「そ、そうですね……では今回もこのままで診察しますね」
スズナの視線から逃れるかのように身を逸らしながら言葉を選んで説得して来た鋭時に、スズナは自身の本来の役割を思い出して冷静さを取り戻す。
「悪いね、スズナさん。拒絶回避を抑える努力はしてるんだけどね……」
「いえ……拒絶回避を解明出来にゃいと、えーじしゃまが消えちゃいますから……出来れば心臓のデータをもう少し集めたかったのですが……」
小さく安堵のため息をついた鋭時が頭を掻きながら患者用の椅子に座り直すと、スズナは聞き分けの良い子供のような笑顔を返しながらも沈んだ表情へと変わって聴診器型の術具を見詰めた。
「そういえば心臓の術式を消せれば、他の問題もまとめて解決出来るんだよな?」
「はい! 術式の診察は遮蔽物が無い、出来れば素肌がベストにゃのですが……」
自分の胸に手を当てながら質問した鋭時に、スズナは大きく目を見開いて明るく返答してから聴診器型術具を胸の高さまで持って来る。
「確かこのワイシャツには【対魔障壁】が組み込んであったよな……あまり気は乗らないが、ボタンくらいなら外しても……」
「本当ですか!? ぜひ、お願いします!」
手に触れたワイシャツに組み込まれた術式を思い出した鋭時がしばし考えてから現状実行可能な最大限の協力を提案すると、耳と2本の尻尾をピクッと立ち上げたスズナは聴診器型術具の様子を確認してから全力で頷いて提案を受け入れた。
「よかったですねっ、スズにゃんっ! スズにゃんの覚醒が進行したら、わたしが止めますから安心してくださいっ!」
「そういう事でしたら私もスズナ様のお隣に失礼しますね……」
「はぁ……何を言っても無駄だろうけど、そんな期待出来るもんじゃないぞ……」
まるで自分の事のように喜びながら回り込んでスズナの両隣へと立ったシアラとチセリを見て大きくため息をついた鋭時は、ワイシャツのボタンに手を掛けながら診察を受ける準備を始めた。
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「ようやく昼か……何だか今日は午前中だけで疲れたぜ……」
「ありがとうございますっ、教授っ! スズにゃん、すっごく喜んでましたっ!」
「お疲れ様でした、旦那様。午後もよろしくお願い致しますね」
病院での診察を終えた鋭時は満面の笑顔でスーツの袖を掴むシアラと目を細めて優しく労うチセリを伴って凍鴉楼へと戻り、正面玄関のすぐ近くにある店、全自動食堂マキナの暖簾をくぐる。
「こんにちは鋭時お兄ちゃん。ドクは今日ミサヲお姉ちゃんと【遺跡】に行くって聞いたし、ここで待ってれば会えると思ったんだ。頼まれたものを持って来たよ」
店に入ると同時に奥の席に座っていたヒカルが兎のような耳を数回動かしてから近付き、鋭時に小さな紙袋を手渡した。
「ありがとうヒカルさん、代金は……本当にこれだけでいいのかい?」
「いいんだよ、ぼくにはもう必要の無いものばかりだからね。それに将来、ぼくがジゅう人本来の役割を果たす相手は鋭時お兄ちゃん以外考えられないから」
受け取った紙袋の中を確認してから財布を取り出して代金を再確認する鋭時に、ヒカルは頭の後ろで手を組みながら悪戯じみた笑みを浮かべる。
「え? それってどういう……」
「それじゃあぼくはもう行くね。マキナ母さーん、お会計おねがーい」
「あいよ、またおいで」
普段通りの少年のような服装と振舞いのヒカルに油断していた鋭時が思わず聞き返すが、ヒカルはマキナに声を掛けて会計を済ませて既に店から立ち去っていた。
「文字通り脱兎の如く、だな……」
「教授っ、ルーちゃんから何を買ったんですかっ?」
「大したものじゃないよ、メタルスケイルの欠片に初歩的な生体演算装置と小型の生体バッテリーユニットだ」
呆れてヒカルの消えた方向を眺めていた鋭時は紙袋の口を広げ、スーツの左袖を掴んで興味深そうに覗き込んで来たシアラの質問に簡単に答える。
「ほえ? こんなの買って、どうするんですかっ?」
「ん? ああ、ちょっと機械をひとつ組み上げてみようと思ってね……」
頭の上に疑問符をいくつも増やしたような表情を浮かべたシアラが小首を傾げて質問を重ねると、鋭時は視線を逸らすように上を見て簡潔に答えてから紙袋の口を閉じてスーツ右袖の収納術式に仕舞い入れた。
「おや? いよいよ掃除屋を諦めて、新しい仕事を探すのかい?」
「そうなんですかっ、教授っ!?」
「悪いが逆なんだ、これから先を生き延びるのに役立ちそうな道具のアイディアが浮かんでね」
興味深そうな様子で会計の方から近付いて来たマキナの言葉を聞いて嬉しそうに反応したシアラに、鋭時は複雑な表情を浮かべて頭を掻く。
「そうだったのかい……鋭時くんにも考えがあるだろうからとやかく言うつもりはないけどさ、早くシアラちゃん達を安心させてあげなさいな」
「分かってますよ、マキナさん。俺だって、このままシアラ達に負担を掛けるのは良くない事くらい分かってるんだ……」
小さく頷いたマキナが落胆とも安堵ともとれる表情を浮かべるシアラを見ながら励ますように微笑むと、鋭時はマキナに愛想笑いを返してから自嘲気味に呟いた。
「そんなに気負うもんでも無いよ、鋭時くん。あの娘達にとって鋭時くんのために尽くすのは何も負担じゃないさ。もっと頼って、何なら甘えたっていいんだよ?」
「いや、さすがに甘えるのはどうかと……」
吐露した悩みを受け止めつつシアラやチセリに優しい眼差しを向けたマキナに、鋭時は毒気を抜かれた乾いた微笑を浮かべながら指で頬を掻く。
「そうでもないさ、宜洋さんもあたしやチクラさん……チセリちゃんのお母さんの尻尾に顔を埋めてたもんだよ」
「よく見るとふわふわしてて気持ちよさそうですねっ、教授っ!」
「おや、シアラちゃん。ちょっと触ってみるかい?」
次に出すべき言葉を探して考え込む鋭時を手招きするようにマキナが狐のような尻尾を揺らすとシアラが興味津々で近付き、マキナは嬉しそうに尻尾をシアラへと向けた。
「いいんですかっ、マキナママ? じゃあ、遠慮なく失礼しま~す」
「おいシアラ、あまりマキナさんを困らせんじゃないぞ」
無邪気な笑顔を浮かべてマキナの尻尾を両手で掴んだシアラに気付いた鋭時は、マキナの様子を気にしながら遠慮がちに注意する。
「そんなに心配しなくて大丈夫よ、鋭時くん。昔はまだ小さかったミサヲちゃんやチセリちゃんを、うちの娘達とまとめてあやしたもんだよ。それにシアラちゃんは尻尾の扱いも丁寧で気持ちいいくらいさ」
「扱いが丁寧……ね。そりゃ体の一部だし、気配りは重要だろうけどさ……」
心配そうな鋭時の視線に気付いたマキナが笑顔で思い出を話しながら時折気持ち良さそうに目を細めると、鋭時は尻尾を撫で回すシアラの両手に合わせて変化するマキナの表情に気付いて納得しながらも複雑な表情で呟いた。
「そういえば鋭時くんは人間だけの街から来たから、ジゅう人の尻尾を触った事が無いのよねぇ?」
「ええまあ……場所を特定出来てないだけで、ロジネル型の居住区に住んでたのは間違いないです。今は拒絶回避で触れないけど、こいつは盲点だったな……」
器用に尻尾を揺らしてシアラの撫でる手を緩めさせたマキナからの質問に答えた鋭時は、狼のような尻尾を落ち着かない様子で揺らすチセリに目を向けてから顎に手を当てて呟く。
「旦那様。そこまで思い詰めた顔をされなくとも、私の尻尾でしたらどのように扱われても構いませんので」
「記憶は無いけど、さすがに女性に乱暴を働く趣味は無いよ……いや待て、丁寧に触ってるつもりで傷付けてしまう可能性もあるのか……」
いかなる行為も好意として受け止める決意に満ちた表情を浮かべたチセリが胸に手を当てて静かに微笑むと、鋭時は安心させるよう微笑みながらも安心を否定する可能性に気付いて言葉を呑み込んだ。
「ならシアラちゃんに尻尾の撫で方を教わるのはどうだい? チセリちゃん以外にスズナちゃんやヒカルちゃんも尻尾を持ってるんだし、きっとみんなの悦ばせ方を教えてもらえるよ」
「喜ばせるのはともかく、痛くしない触り方くらい知っておいて良さそうだな……やっぱり俺はジゅう人を知らなさ過ぎるし……」
ひと通り尻尾を撫でてもらい満足そうな笑顔を浮かべながらシアラの頭を撫でるマキナに、鋭時は指で頬を掻きながら手に入れるべき情報を模索して考え込む。
「これから知ればいいんですっ、教授っ! 手で撫でる以外にブラッシングとかも悦んでもらえますよっ!」
「おーいシアラさん、拒絶回避の問題が解決してないうちは誰にも触れないぞ~」
自分の頭を撫でるマキナの手を掴んで軽く頭を下げたシアラが腰に付けたネコのぬいぐるみから取り出した日傘型術具、メモリーズホイールをブラシに変化させて微笑むと、鋭時は疲れた様子で根本的な問題を指摘した。
「そ、そうでした……でも記憶が戻ればいつでも触れるんですから、楽しみにしてますねっ」
「ああ、その時が来たらよろしく頼むぜ……あくまで傷付けない触り方だぞ、俺が知りたいのは」
照れ臭そうにブラシをネコのぬいぐるみに仕舞いながら微笑むシアラに、鋭時もぎこちなく微笑みを返してから真剣な表情で釘を刺す。
「今はそういう事にしておきましょう。私も旦那様に満足いただけるよう、この尻尾に磨きを掛けておきますので」
「でしたら今度はチセりんの尻尾を触らせてもらえますかっ?」
鋭時の真摯な態度を汲み取り微笑んだチセリが自分の尻尾を抱きかかえるように体の前に持って来ると、今度はチセリの尻尾に興味を持ったシアラが近付いた。
「はい、若奥様。マキナ様を満足させた腕前、是非今夜にでもお願いしますね」
「おや、こいつは随分と面白い事になって来たねぇ。シアラちゃん、またあたしの尻尾も撫でにおいでよ。いつでも歓迎するよ」
艶を増したマキナの尻尾を眺めながら期待に満ちた表情で返事をしたチセリに、マキナも口に手を当てて微笑んでから体の前に持って来た尻尾をシアラに見せる。
「ありがとうチセりんっ、マキナママっ!」
「よかったな、シアラ。いつまでもここで固まってる訳にもいかんだろうし、もうそろそろ席に行くぞ……」
その場で小躍りせんばかり微笑むシアラに周囲の様子を見回していた鋭時が声を掛けると同時に、入口から元気のある声が飛び込んで来た。
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「よお、マキナ母さん久しぶり!」
「お帰りなさい、セイハちゃん。いつ、こっちに戻って来たんだい?」
暖簾をくぐって来た白いタキシードのような服装のセイハを、マキナは我が子の帰宅を喜ぶかのような笑顔を浮かべて歓迎する。
「ついさっきだよ。ヒラ姉も一緒なんだけど、席は空いてるかい?」
「もちろんだよ、好きな場所に座っておくれ」
照れ臭そうに笑みを返したセイハが店の奥に目を向けると、マキナは嬉しそうに頷いてから店の奥へ手を差し伸べた。
「シロちゃん、ラコちゃん、久しぶりっ!」
「あら? シアラちゃん、お久しぶり。これからお昼?」
話し声に気付いて振り向いたシアラに、オレンジ色のベストとハーフパンツ姿のヒラネが膝を折り曲げながら微笑み掛ける。
「はいっ! ラコちゃんとシロちゃんもご一緒しませんかっ?」
「シアラと……? もしかして王子様もいるのか!?」
大きく頷いたシアラが満面の笑みを浮かべながらヒラネに相席の提案をすると、ヒラネに追い越される形で後ろに下がっていたセイハが勢いよく身を乗り出した。
「その通りでございます、セイハ様。ヒラネ様も、よろしければ旦那様方の相談を聞いていただけませんでしょうか?」
「どういう風の吹き回しだ、チセ姉? 王子様と何かあったのか?」
シアラに続いて振り向き丁寧な仕草でお辞儀したチセリに、セイハは心配そうな表情で聞き返す。
「これまで街の散策をして来ましたが、旦那様の記憶は僅かに戻ったのみでした。不本意ですが、掃除屋の訓練が旦那様の記憶を戻せる可能性が最も高いと判断したまでです」
「そういう事なら分かったわ、チセ姉ちゃん。まずは席に着きましょうか?」
セイハの不安を払拭するべく微笑んだチセリが胸に手を当ててから事情の説明をすると、隣で聞いていたヒラネが安心したように微笑んで移動を促した。
「あいよ。席の準備なら出来てるし、みんなで話し合って座っておくれ」
「サンキュー、マキナ母さん。ここが王子様でこっちがシアラで……っと、あとはどう座る?」
後ろで会話を聞いていたマキナが横に2つ並べたテーブルへと案内し、真っ先にテーブルに近付いたセイハが縦にひとつだけ置いてある椅子と、その左隣に当たる椅子を指差してから振り向く。
「私は若奥様の隣に座りますので、そちら側はお2人でお決めください」
「分かったぜ、チセ姉。ヒラ姉はどっちに座る?」
楽しそうに含み笑いを浮かべたチセリがシアラの左隣の椅子を手で指し示すと、セイハは目を輝かせながらヒラネに質問を投げ掛けた。
「顔に書いてあるわよ、セイちゃん。ワタシはこっちに座ってフォローするから、セイちゃんがえーじ君の相談を聞いてあげなさい」
「サンキュー、ヒラ姉。それじゃよろしく頼むぜ、王子様」
肩を震わせながら笑いを堪えて縦列の椅子の右奥に当たる椅子に座ったヒラネに礼を言ったセイハは、最後に残った椅子に座りながら既に縦列の椅子に座っていた鋭時に堰き止めていた喜びが溢れんばかりの笑顔を向ける。
「あ、ああ……よろしくお願いするよ」
「いきなりだと質問もまとまってないわよね、まずは注文しましょうか?」
思わぬ笑顔に気圧された鋭時が言葉を詰まらせると、見かねたヒラネが注文用のタブレット端末を取り出して操作を始めた。
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「おっと、待ちかねたぜー。ここに帰って来たら、まずはこいつを食わないとな。いっただきまーす!」
「セイちゃんったら……ごめんね、えーじ君。相談は待ってもらえないかな?」
しばらくして料理を運んで来た配膳ワゴン型ロボットからサンマーメンの入ったどんぶりを受け取ったセイハが上に載った野菜の餡かけ炒めを麺と絡めながら勢いよく食べ始め、続いてロボットから海鮮丼を受け取ったヒラネがセイハに注意してから鋭時に申し訳なさそうな顔を向ける。
「いいですよ、俺も食べながら質問をまとめますんで」
「そうしてもらえると助かるわ、実はワタシもお腹ペコペコなの」
ロボットからチキン南蛮定食を載せた盆を受け取った鋭時が微笑みを返しながら箸を手に取ると、ヒラネは嬉しそうに礼を言ってから悪戯じみた微笑みを浮かべて海鮮丼に箸を伸ばした。
「あははっ……そこは俺も似たようなもんなので……それじゃ、いただきます」
緊張が解けて砕けた笑みを浮かべた鋭時は両手を合わせてから親指に挟んだ箸を右手に持ち直し、皿に載ったチキン南蛮をひと切れ取り上げて口に運ぶ。
衣を付けて揚げてからひと口サイズに切られた鶏肉を噛み千切ると同時に肉汁が鋭時の口の中へと溢れ出し、上にかかったタルタルソースの風味と衣に染み込んだ甘酢タレの複雑な酸味が合わさって口の中に広がった。
肉の旨味を引き立てる酸味や甘味などの様々な風味を口の中で躍らせた鋭時は、左手で茶碗を手に取ってからご飯を箸で掬って口の中へと入れる。
チキン南蛮の複雑な味を受け止めた白米は噛んで混ざり合うたびに甘味を増して口いっぱいに広がり、満足して飲み込んだ鋭時は次々と箸を進めて行った。
▼
「ところでラコちゃんっ、どんな所を回ったんですかっ?」
「おーいシアラさん、前にドクとミサヲさんから2人の事情を聞いたろ? あまり踏み込んだ事を聞かないの」
マカロニグラタンを食べ終えてから無邪気に質問するシアラに、茶碗を空にしてから最後にひと切れ取って置いたチキン南蛮を口に入れた鋭時が静かに注意する。
「そうねぇ、今回は旅行じゃないから大したみやげ話も無いのよ。でも、この件が終わったらみんなで旅行してみたいわね」
「それはいい考えでございますね、是非皆様で楽しんでくださいませ」
鋭時に注意されたシアラに優しく微笑んだヒラネがテーブルを見回すと、トマトソースを絡めたペンネを食べ終えたチセリが使命感に満ちた微笑みを浮かべて軽く頭を下げた。
「あ……チセ姉はタイプキキーモラだから、あまりここを離れられないんだよな。ステ=イションの、いっその事凍鴉楼の中で何か出来ねえかな?」
「そうねぇ……えーじ君を囲むんだし、チセ姉ちゃんも一緒がいいわよねぇ」
チセリの種別による事情を思い出して腕組みしながら考えるセイハに、ヒラネも鋭時とチセリを交互に見ながら考え込む。
「いや待て、色々と待て。俺を囲むって、いつの間にそんな話になったんだよ?」
「ん? いつの間にも何も最初からだぜ、王子様」
思わぬ視線に戸惑う鋭時が周囲を見回しながら聞き返すと、セイハは事も無げに質問に答えながら力を込めた笑みを返した。
「ワタシ達はね、目的を果たしたらえーじ君の傍にいると決めたの。だってもう、えーじ君で覚醒しちゃったからね」
「それはヒカルさんの発明品を使った疑似覚醒で、本当の覚醒という訳では……」
セイハに続いて決心しながらも柔らかい笑みを浮かべるヒラネに、鋭時は言葉を選びながら途中で口ごもる。
「あら? 確かに疑似覚醒は他の人間を見ても覚醒しなくなる程度の効果だけど、誰も元の状態に戻せるって言ってなかったわよね?」
「あ……! あー……そういう事か、まんまと一杯食わされたぜ……」
悪戯じみた笑みを浮かべたヒラネが自分の覚醒状態を冷静に説明すると、鋭時は自分の置かれた状況を理解して力無く項垂れた。




