第36話【方針転換】
ミサヲ達がステ=イションを狙う強盗を撃退した翌朝、
鋭時は午前の訓練を始めるために訓練室に入った。
「聞いたぜ、鋭時……昨日はチセリに随分と搾られたみたいだな」
鋭時達が病院に行った翌日の朝、先に凍鴉楼地下の訓練室に入っていたミサヲが疲れた様子の鋭時を気遣うように声を掛ける。
「ああ……こってりと油を絞られたよ……DDゲートを使い過ぎてね……」
力無く手を振りながら返事をした鋭時は、心底参った様子でため息をついてから誤魔化すように頭を掻いた。
「まさか病院から帰って来て、夜遅くまで連続使用するなんてね……DDゲートは仮想現実とはいえ何度も死を体験しながら死から逃れる術を身に付ける為のものであって、使い過ぎて死への恐怖が麻痺してはいけないんだ」
ミサヲの隣で呆れ果てた様子で肩をすくめたドクは、静かに首を横に振ってから真剣な表情で装置を利用した訓練の目的を説明する。
「全く持って面目ない……俺の記憶に関わってそうな夢を見たし、ドクに相談する前に少しでも記憶を戻せないかと思ってね……」
「それで安全装置が働くまでDDゲートを使ったのかい? それではチセリさんが怒るのも無理ないよ……病院では何も分からなかったのかい?」
痛い所を突かれた鋭時が軽く下げた頭をそのまま掻くと、ドクは小さくため息をつきながら額に手を当てた。
「あたしもそれは気になってたんだ。で、どうなんだ?」
「ミサちゃんっ、マーくんっ! なんと、教授の結界が解けそうなんですっ!」
ドクの質問に便乗するかのように身を乗り出して来たミサヲに対してシアラは、満面の笑みを浮かべて目を輝かせながら病院での出来事を話し始める。
「何だって!? それは本当なのか、シアラ!?」
「はいっ、スズにゃんが術式で確かめたので間違いありませんっ!」
思わぬ進展に驚くミサヲが目を見開いて顔を近付けると、シアラは自信に満ちた笑みを浮かべながら大きく頷いた。
「おーいシアラさん、そんな楽観的な話じゃないぞー。結界の片隅に小さな綻びが出来たのは確かだが、どうして綻びが出来たのか、どうすれば綻びを広げて結界を解除出来るかは見当も付かないって話だったろ?」
色めき立つ女性陣の熱い視線に気付いた鋭時は、額に手を当てて小さくため息をつきながら正確な診察結果を説明する。
「なるほど、そういう事か。鋭時君は結界に綻びが出来た理由をDDゲートの中に求めて、あんな無茶をしたんだね?」
「まあ、そんなとこだ。最初にDDゲートを使った時に薄ぼんやりとだけど、俺がどんな人間だったのかを思い出せたような気がしたんだ。それにシアラ達の覚醒も進行してるから、急がないといけないって焦りもあったのかもな……」
診察の結果を聞いて得心の行ったドクが呆れた様子で質問すると、鋭時は居心地悪そうに頭を掻きながらDDゲートを長時間使い続けた理由を語った。
「覚醒の件もチセリさんから聞いたよ。ふむ……A因子が急激に増加してるね……まだ何とも言えないが、シアラさん達の覚醒が進行した原因のひとつだろう」
「なるほど……覚醒させる因子が増えれば覚醒が進行するのも道理……でもドク、A因子って増えたりするもんなのか?」
事情を理解してTダイバースコープで原因を特定したドクに、鋭時も自身の体に起きた変化を納得して頷きつつも質問を返す。
「ああ、過去にも何件か事例がある。とは言え、増加する原理はまだ不明なんだ。これで増加が打ち止めなのか、まだ上昇するのか、現時点では何とも言えないよ」
「これからもっと教授がカッコよくなるんですねっ、マーくんっ!……って!? わわっわぷっ……むぎゅうっ!?」
軽く頷いたドクがTダイバースコープの記録を眺めながら鋭時の質問に答えると同時に目を輝かせたシアラが身を乗り出すように話し掛けるが、唐突に体が浮かび上がって思わず出した大声までもが遮られた。
「よかったじゃねえか、シアラ! あたしも出来る限り協力するぜ!」
「ぷはっ……突然すぎてびっくりしたじゃないですかっ」
「わりい、シアラやスズナ達の悦ぶ顔を想像したら、つい興奮しちまったぜ!」
感極まって抱き上げたミサヲの豊満な胸からようやく脱出したシアラを、今度はミサヲが顔の高さまで抱き上げてから頬擦りする。
「きゃっ!? ミサちゃん強引ですよっ! でも教授がカッコよくなるんですし、これ以上の幸せはありませんっ!」
「でも俺はチセリさんに迷惑掛けちまった……」
突然頬擦りされたシアラが小さく悲鳴を上げながらも目の前に広がる幸福を噛み締めるかのように満面の笑みを浮かべるが、シアラとミサヲのやり取りを見ていた鋭時は俯いて自嘲気味に呟いた。
「チセリを怒らせると洒落になんねえからな。鋭時もこれに懲りたらゲートを使い過ぎんじゃねえぞ」
「分かってますよ、ミサヲさん。俺もここでの自分の立場は弁えてるつもりだし、チセリさんにもこれ以上心配を掛けないつもりだ」
沈む鋭時を励まそうと冗談交じりの注意をしたミサヲだが、鋭時は真剣な表情で自分に言い聞かせるように呟く。
「あんなに怖くて悲しそうなチセりん見るの初めてでした……でも、ここまでなら大丈夫なのもわかりましたから、今度こそ教授の助けになれますっ!」
「そうだな、シアラ。使用限界だって分かったんだから、これ以上はチセリさんを心配させなくて済むぜ」
チセリに叱られた時の事を思い出して顔を沈めたシアラが気を取り直して笑顔を浮かべると、鋭時も気を取り直したように表情を切り替えた。
「だからそういう意味じゃなくてだな……」
「あー……ミサヲさん、鋭時君の事は教育担当の俺に任せてもらえないかな?」
2人のやり取りを聞いて呆れながら額に手を当てたミサヲに、ドクが遠慮がちに声を掛ける。
「ん? そうだな……いつもの悪知恵、期待してるぜ」
「ははっ……ご期待に添うよう努力するよ。ミサヲさんはシアラさんの方を任せていいかい?」
「おう、任せろ!」
遠慮がちなドクの態度の裏に隠し持つ自信を感じ取って鋭時の件を手打ちにしたミサヲは、続けてドクが依頼して来たシアラの訓練に間髪入れず大声で快諾した。
「すまないがレーコさん、ミサヲさんとシアラさんに着いて行ってくれないか?」
「かしこまりました、マスター」
「どういうつもりか知らねえが、ドクにしては随分と粋な事をするじゃないか」
続けて自分の横に佇む人造幽霊に声を掛けたドクに対し、ミサヲは驚きながらも感謝をするかのような笑みを浮かべる。
「ただの気紛れだよ。レーコさんは会話の苦手な俺の代わりに会話する為に造ったアンドロイドだけど、訓練は自分の言葉で伝えるものだからね」
「まあ、そう言う事にしといてやるよ。行こうぜ、シアラ、レーコさん」
「よろしくお願いしますミサちゃん、レーコさん! 教授、また後でっ!」
涼しい顔で肩をすくめたドクが遠慮がちに胸を張るとミサヲは静かに頷いてからシアラの手を取り、ミサヲの手を優しく握ったシアラはもう片方の手を振りながら訓練室の奥へと移動を始めた。
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「また後でな……それでドク、今日はどんな訓練をする予定なんだ? 俺としては後少しでコツが掴めそうだし、DDゲートを使わせて欲しいんだが……」
「それなりに収穫はあった訳だね。ならまずは、そのコツを教えることにしよう」
ぎこちない笑みでシアラを見送ってから遠慮がちに訓練の要望を出した鋭時に、ドクは納得するように頷いてから不意を突くように笑みを浮かべる。
「何だって!? 以前ヒラネさんに聞いたけど、コツを人に教えるのは御法度じゃなかったのか?」
「それなら問題は無いよ、俺が今から教えるのはDDゲートのクリアに直接関わるコツじゃないからね。俺が今ここで鋭時君を甘やかしたって、ZKは誰も鋭時君を甘やかしてくれないからね」
全く予期せぬ言葉に驚いた鋭時が思わず聞き返すが、ドクは眉ひとつ動かさずに涼しい顔で訓練の目的を説明した。
「なるほど分かったぜ、でも何で急にそんな事を?」
「俺は自分の目算が甘かったと思い知ったんだ。ステ=イションで数日間穏やかに過ごせば、鋭時君の記憶は戻ると思い込んでたんだよ」
訓練の目的を理解して安堵しながらも急な方針転換に興味を持って理由を聞いた鋭時に、ドクは自身の目論見の不明を語りながら気恥ずかしそうに頭を掻く。
「確かに昨日……もう一昨日になるのか……俺の見た夢の中にシショクの12人が出て来たんだけど、本当に俺の記憶なのか自信がまるで無いぜ……」
「鋭時君の見た夢の件も昨日チセリさんから聞いたよ、もちろん他言無用って釘を刺されてね……確かに現世の記憶が無いのに前世の記憶とか言われたら戸惑うのも仕方ないかもね……」
記憶の手掛かりを求め始めてから得た最も大きな成果を思い出した鋭時が沈んだ表情で自嘲気味に頭を掻くと、ドクは事情を察するように深く頷いた。
「あいつは物凄く興奮してたけど、結局何の解決にもなってねえ。でも俺が本当にシショクの12人の生まれ変わりだって言うなら、今の記憶を戻すしかあいつらの期待に応える方法を思い付かねえんだ」
「ふむ……俺としては、鋭時君にはステ=イションを創った偉業者の生まれ変わりとして街の中に留まって欲しかったんだけどね……」
心臓を抉り出さんとばかりに胸を掴みながら現状の再確認をする鋭時にドクは、顎に手を当てながら暗に運命の受け入れを提案する。
「ああ……ここで記憶を探すなら、俺は1日も早く一人前の掃除屋にならないと。今のままじゃ、とてもシショクの12人の生まれ変わりだなんて言えないぜ」
「え?」
胸から手を離した鋭時が覚悟を決めた表情で頷きながら拳を強く握りしめると、ドクは思わず目を丸くして聞き返した。
「ドクが驚くとか珍しいな……でもシショクの12人はZKを駆除して居住区を造ったんだろ? 現世でも居住圏を広げ続けないと生まれ変わった意味が無いぜ」
「い、いや……鋭時君。そこは前世に縛られる必要は無いんじゃないかな……?」
全く予想していなかった珍しい光景に曖昧な笑みを浮かべながらも決意を固めた眼差しを向けて来た鋭時に困惑したドクは、頬を指で掻きながら説得を試みる。
「前世の功績だけは受け取って責任は果たさないなんて、それこそ筋違いだろ? 結局、最終試験を突破出来なけりゃ筋違いに終わるんだろうけどさ」
「分かったよ、鋭時君。そこまでの覚悟があるなら、俺も全力でキミを鍛えよう。まずは俺と戦ってもらう」
静かに首を横に振ってから持論をぶつけた鋭時が気恥ずかしそうに頭を掻くと、ドクは小さくため息をついてから覚悟を決めた表情で距離を取り出した。
「ドクが手合わせを……? いったいどういう風の吹き回しだ?」
「鋭時くんが掴めそうで掴めないコツが俺の想像通りか確かめるには、この方法が手っ取り早いからね」
今までの訓練と異なる内容に戸惑う鋭時を尻目に、ある程度の距離で足を止めたドクが確信にも似た笑顔を浮かべて肩をすくめる。
「そういう事か……でも大丈夫なのか?」
「こう見えて俺はステ=イション式杖術の心得もある、遠慮はいらないよ」
ドクの目的を理解した鋭時がスーツの右袖に組み込んだ収納術式からアーカイブロッドを取り出す準備をしながら躊躇いがちに質問すると、質問の意図を理解したドクは自信に満ちた表情を浮かべつつLab13からアーカイブロッドと同じ形状の杖を取り出した。
「そいつは? アーカイブロッドに似てるようだが……?」
「似たようなもんだが、俺専用に調整してあるから使える術式は控え目にしてる。もっとも今回使うのは、既に発動した【圧縮空壁】だけだけどね」
スーツの右袖からアーカイブロッドを取り出した鋭時の興味と疑問とが混じった視線に気付いたドクは、簡潔に説明しながら手にした杖を中心から等間隔に両手で握って斜めに構える。
「【圧縮空壁】だけ?」
「鋭時君の攻撃術式が当たってもいいようにね。お互いに【圧縮空壁】を張って、どちらかが破れれば終了。それでいいかい?」
同じくアーカイブロッドを構えた鋭時がドクの使用を宣言した術式を鸚鵡返しに聞き返すと、ドクは術式の利用目的と同時に手合わせのルールを説明した。
「別にいいけど……俺は術式ありで、ドクは杖術だけって不公平じゃないのか?」
「俺の予想通りだったら術式無しでも充分対応が可能だし、違ったら俺があっさり負けるだけの話だ。その時には、また新しい手を考えるよ」
構えを解いて右手に下げるようにアーカイブロッドを持ちながらルールの疑問を指摘する鋭時に、ドクも構えを解いて杖を右肩に乗せてから肩をすくめる。
「俺が弱くて未熟なのは認めるけどさ、ドクだってジゅう人の振りをしてるだけの人間……だろ?」
「ジゅう人の振りと言っても、疑似波動で身体を包めばいいってもんじゃないよ。それなりに工夫と努力が必要なのさ」
自嘲気味に苦笑した鋭時が遠慮がちにルールの危険性を尋ねると、ドクは左手の人差し指を黒いシャツの胸ポケットに向けてから自信に満ちた笑みを浮かべた。
「分かった、そこまで言うなら遠慮なく手合わせ願うぜ」
「ああ、遠慮無く行くよ!」
鋭時が納得してアーカイブロッドを両手で構えると同時に、ドクが右肩に担いだ杖の持つ手を中心に移しながら突きを放つ。
「……っと! いきなりかよ!」
「ZKも鬼畜中抜きも合図無しに襲って来る、ここは実戦形式で行くよ!」
「ああ、望むところだ!」
半ば拒絶回避に頼る形で躱した鋭時にドクが現場の心得を教えると、鋭時は軽く頷きながらドクの動きを観察し始めた。
(獣魔1系「密の歩法」、攻撃を躱しながら間合いを詰める移動手段から牽制用の突き技、獣魔18系「吹毛の剱」の組み合わせで様子見って訳か……)
杖の中心を片手で持ちながら半身に構える獣魔の構えのまま近付いて来たドクの予備動作がそのまま杖を突き出す技であると確認した鋭時は、落ち着いて予測した技を受け止めるべくアーカイブロッドを構える。
「迎撃は間に合わないと悟ったみたいだね、だが!」
(なっ!? 「吹毛の剱」の直前に暴魔18系「草打撃」に変わったのか!?)
鋭時の構えたアーカイブロッドの目的を見破ったドクが杖を両手で等間隔に持つ構え方、暴魔の構えに素早く切り替えて振り下ろし、距離感の狂った鋭時は慌ててアーカイブロッドを手元に引き寄せて打ち込まれた杖を受け止めた。
「よく受け切ったね、流石は拒絶回避と言ったところかな?」
「今のは……? 俺が訓練して来たステ=イション式杖術とまるで別物だ……」
「まだ終わってないよ、鋭時君!」
素早く後ろに跳んで体勢を整えるドクを見ながら突然構えの変化した技に対して思考を巡らす鋭時だが、ドクは間髪入れずに杖を両手に持って膝を曲げる。
「しまっ!……っぶね~……」
(暴魔10系「開上脚」……大技を繰り出す予備動作を見せて過剰な警戒を誘う技から2回のフェイントの後に本命の攻撃を当てる暴魔24系「生無撃」か……)
慌ててアーカイブロッドを構えて攻撃に備えた鋭時だが、ドクの踏み込みと予備動作がフェイントであると見破って冷静に観察を再開した。
(【傀儡演武】を繰り返しただけあって技の先読みは出来るようだね、でも)
「それだけじゃ甘いよ!」
Tダイバースコープを通して鋭時の動きを観察していたドクは鋭時の飲み込みの早さに内心舌を巻くが、悪戯を仕掛ける子供のような表情で刀を持つように両手を杖の片側に揃える闘魔の構えに切り替える。
「なっ……またかよ!?」
(今度は「生無撃」が途中で闘魔24系「槌雨の払い」……その次のフェイントは獣魔24系「真砂の剱」!? それなら本命は……ええい、ままよ!)
予想していた最初のフェイントの構えが途中で変わった事で動揺し、さらに次のフェイントを繰り出す前に杖の中心を片手で持ち替えたドクを相手に予測が完全に追い付かなくなった鋭時は、アーカイブロッドを両手で構えて前方に踏み込んだ。
「ほぅ、やるね……」
(2回目のフェイントに暴魔13系「混水破」を当てて姿を隠したか……だが!)
攻撃を受け止めながら相手の視界から消えて次の行動へと移る防御の技を強引に当てて来た鋭時の機転に感心したドクだが、即座に右斜め後ろへと目を向ける。
「ちっ、見付かったか! こうなりゃこのまま……!」
「暴魔1系「蛾眉脚」からの暴魔18系「草打撃」だね」
「やっぱり読まれてたか……っと!」
背後に回り込んだ鋭時の攻撃を振り向いて真正面から受け流したドクが返す刀で素早く杖を振り払うと、反撃に気付いた鋭時は咄嗟にアーカイブロッドで受け止めながら距離を取った。
「ふむ……やはり鋭時君は回避や防御の技との相性がいいみたいだね」
「そりゃどうも。おかげで面白い術式を思い付けたよ、【圧縮空棍】!」
攻撃を躱されて感心するドクに軽口を返した鋭時がさらに距離を取りつつ術式を発動し、アーカイブロッドの先端からさらに段を重ねて細く伸ばした黒い釣り竿のような武器を作り出す。
「なるほど……出力を抑えながら光を通さない程に圧縮した【圧縮空筋】を幾つも繋いで釣竿みたいにしたのか」
「どうだ、ドク? これならリーチはこっちに分があるぜ」
Tダイバースコープを通して目前の新たな術式の分析を終えたドクが表示された術式の構成や消費魔力等を確認しながら感心していると、僅かに誇らし気な笑みを浮かべた鋭時が両手で振りかざしたアーカイブロッドを先端から伸ばした釣竿型のロッドごとドクに向けて振り下ろした。
「いやはや……荒削りとは言え、たった3日でこれ程の術式を作れるなんて大したもんだよ」
「食らうか、【瞬間凍結】!」
同じ形状の得物を持つ相手からの遠距離攻撃に感心しつつも躊躇なく踏み込んで来たドクに、鋭時は触れたものの熱を瞬時に奪う凍結術式を発動しながらロッドを横に薙ぎ払う。
「おっと……そのロッドはアーカイブロッドの延長になるみたいだけど、まだ使い慣れてないようだね」
「え? あ……しまっ!?」
目前に迫ったロッドの新たな特性の分析を終えたドクが感心しつつも急に速度を上げてから走る軌道を変え、ドクを見失った鋭時が慌ててロッドを手元に引き戻すよりも速く踏み込んで払い抜いたドクの杖が鋭時の【圧縮空壁】を破っていた。
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「参ったよ、まさかドクがここまで強かったなんてさ」
「鋭時君も、俺にここまでさせるなんて見事なもんだよ」
自分の敗北を理解して小さくため息をついた鋭時に、ドクも杖で肩を叩く仕草をしてから肩をすくめる。
「1から11系までの移動法を組み合わせた加速と方向転換による遠心力を乗せる攻撃、闘魔35系「冬晴の払い」……一撃で決めるなんて、さすがは最終奥義だ」
ドクの使った技を自分に説明するように呟いた鋭時が満足そうな顔をして伸びをするが、ドクは静かに首を横に振った。
「暴魔、闘魔、獣魔それぞれの35系の技は最後に並んでる上に全移動技の動きを取り入れた奥の手のような大技だけど、ステ=イション式杖術は術式を使う前提の武術だから特段奥義って訳じゃないよ。極意は別に存在するんだ」
「なんだって!?……まさか、さっきのドクの戦い方が極意なのか?」
決まり手となった大技の説明をしながら含みを持たせた笑みを浮かべたドクに、鋭時は一瞬驚いてから即座に手合わせの内容を思い出して心当たりを聞き返す。
「その通り。ステ=イション式杖術は回避を含めた移動、防御、攻撃を細分化して組み合わせてから更に術式を発動する武術だ。そして暴魔、闘魔、獣魔の各技は、それぞれ別の構えに切り替える事で敵に先読みされない複雑な技になるんだ」
「やっぱりそうか……考えてみりゃ【傀儡演武】でも最初に構えの切り替えから始めるものな……まさか俺の頭がここまで固かったとはね……ドクの動きが途中で変わったから躱すのにひと苦労したぜ」
予想通りの早さで返ってきた回答に満足して頷いたドクが自分達の使った杖術の特徴を説明すると、鋭時は気恥ずかしそうに頭を掻いてから暗雲が消え去ったかのように晴れやかな表情へと変わった。
「俺も杖術にはそれなりの自信があったんだが、それをひと苦労で済ませるなんて鋭時君は大したもんだよ。いいだろう、俺も出来る限りの知識を教えよう」
「ありがてえ! DDゲートをクリア出来れば恩を返す目途も立つ……ってこれはゲートクリアのコツじゃ無いんだよな……」
呆れと感心が入り混じったような表情を浮かべて肩をすくめたドクの言葉に喜ぶ鋭時だが、すぐに照れ笑いを浮かべて頬を指で掻く。
「ああ。これから教える切り替えの技はDDゲートのクリアには直接関係無いが、ステ=イション式杖術を更に極めればゲートのクリアに繋がる筈だ」
「ん? どういうことだ、ドク?」
正解を言い渡すように頷いたドクの表情が励ますような微笑みに切り替わると、鋭時は頬を掻く指を止めて聞き返した。
「ステ=イション式杖術に限らずここで使う武術は全て、ZK駆除の為に誉城磑が考案したもの。そしてDDゲートも作成者が違うだけで、目的は同じだ」
「だからゲート攻略のヒントがステ=イション式杖術の中に隠れてるって訳か……でもよ、ここまで教えてもらっていいのか?」
武術と訓練装置の共通点を簡潔に纏めたドクの説明に納得した鋭時だが、受けた説明の重要性を考え込んでから半ば躊躇するように聞き返す。
「構わないよ。杖術の訓練は体で覚えて頭で考えるものだから、杖術の存在意義を教えるくらいは訓練の支障になんてなりはしないさ」
「そういうものなのか……なら、改めてよろしく頼むぜ!」
教えた情報の秘匿性の低さをドクが涼しい顔で説明してから杖を構えると、納得した鋭時も大きく頷いてからアーカイブロッドを構えて新たな訓練を開始した。
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「今日の訓練はここまでだね。明日からの訓練でステ=イション式杖術に隠された真の極意を見付ければ、ゲートのクリアも容易になるはずだよ」
「ありがとよドク、凄く分かりやすい説明だったぜ。これなら俺の術式とも上手く合わせられそうだ」
訓練開始から2時間近くが経った頃、ひと通りの訓練を終えた鋭時はドクに興奮覚めやらぬ状態のまま礼を言う。
「何度も言うようだが、ステ=イション式杖術は術式と組み合わせて初めて真価を発揮する。これからは術式の事も考えて体を動かす事だね」
「思考癖は俺の専売特許みたいなもんだし、術式の特性に合う技も探してみるよ。動きの方はちょっと複雑だけど、明日にでも体が覚えてくれてるはずだ」
杖術の特徴を再度説明したドクが自分の杖をLab13に収めると、鋭時は自信に満ちた目でアーカイブロッドを眺めてから複雑な表情でもう片方の手を見詰めた。
「やはり拒絶回避でも、ここまでの動きを覚えるには時間が掛かるのかい?」
「今までの傾向だと頭で描ける範囲ならすぐにも実践出来るけど、ここまで複雑な動きや目で追い切れなかったZKの動きなんかは覚えるのに時間掛かるみたいだ。ドクはこの拒絶回避に何か心当たりがあるのか?」
興味深そうに質問してきたドクに、鋭時は頭の中の情報を整理するように自身の体質を説明してからドクに質問を返す。
「あるにはあるが、まだ確信には至ってないんだ。もう少しデータを集めないと、何とも説明のしようがないよ」
「そっか……何か分かったら頼んだぜ。この訳分かんない体質の正体が分かれば、あいつらに余計な心配を掛けなくて済む……俺の選択肢も無くなるけどさ……」
腕を組んで難しい顔をしたドクが何度か俯いたり見上げたりしてから首を静かに横に振ると、鋭時は自分に言い聞かせるように納得しながらも途中で吹き出しそうになって頭を掻いた。
「鋭時君からすれば奇妙な話かもしれないけど、この街でシアラさん達に囲まれて暮らすのは考え得る最適解でもあるからね」
「そいつを使ってまで説明してくれた以上は、ドクの言葉に嘘偽りは無いんだろうけどさ……それでも俺は最低限の筋を通したいんだ」
釣られて吹き出しかけながらも白衣のような黒服のポケットに手を入れたドクの冷徹なアドバイスを聞いた鋭時は、理解を示しつつも決意を固めた表情を浮かべて自分に言い聞かせるように小さく頷く。
「分かってるよ。たぶん、そういう真面目で律儀な人柄がシアラさん達にとってはA因子以上の魅力に映ってるのかもね」
「どうだかな……ま、せいぜい嫌われない程度には頑張ってみるさ」
ポケットから手を出して無造作に頭を掻くドクに対して鋭時が肩をすくめてから軽く伸びをすると、背後から唐突に明るく弾むような声が飛んできた。
「わたしが教授を嫌いになるなんてっ、そんな恐ろしい事ある訳無いですよぉ!」
「うぉ!?……っと、もう戻って来たのか……」
「ああ、最低限の筋を通すって辺りからな。あたしも鋭時の真面目なところは気に入ってるし、絶対にシアラを幸せにしたいと思ってる。だから出来る限りの協力はするつもりだ」
予期せぬシアラの反論に慌てふためく鋭時に追い討ちを掛けるように、シアラの後ろから来たミサヲが悪戯じみた笑みを浮かべて大きく張った胸に手を当てる。
「お疲れ様、ミサヲさん。そっちの成果はどうだった?」
「ドクも少しは慌てろよ、可愛げがねえな~。そいつはさておき、シアラの訓練は思った以上に順調だぜ。今朝ドクに教えてもらったアドバイスだけで、あそこまで成長するもんなんだな。いったいどうなってやがんだ?」
鋭時達の会話が終わったタイミングを見計らってドクがミサヲに声を掛けると、ミサヲは涼しい顔を崩さないドクに不満を漏らしながらも想定を超える成果に首を傾げて聞き返した。
「あまり詳しく説明出来ないけど、効率よく技を覚えられるようにちょっとズルをしたんだ」
「ズルだって? まさか、あれもドクの悪知恵なのかい!?」
言葉を濁しながら気まずそうに顎の辺りを指で掻いたドクだが、ミサヲは興味を示して食い付くように質問を重ねる。
「ミサヲさんの言葉を借りればそうなるね……と言ってもステ=イション式柔術の要点を纏めた教え方だし、訓練の短縮にはなってもマイナスにはならないはずだ」
「シアラに教えてて気付いたんだけどさ、あれなら気付くのに何か月、下手すりゃ何年も掛かるステ=イション式柔術の極意をすぐ理解するし、土地が必要になった時もすぐに掃除屋を増やせるぜ。まったく大したもんだよ、ドクは」
観念したように頬を指で掻いたドクがそれでも自信に満ちた表情で簡潔な説明をすると、ミサヲは訓練中の出来事を思い出してから先を見据えた目論見に気付いて感心しながら大きく頷いた。
「ZKから街を取り戻すのが人類の悲願だもんな、俺も早く掃除屋に……」
「鋭時の役割は街を取り戻す事じゃなくて、取り戻した街の住人を増やす事だぜ。言うだけ野暮かもしんねえけど、それまで無茶すんじゃねえぞ」
「そうですよっ、教授っ。掃除屋は記憶の手掛かり探すためなんですから、あまり無茶はしないでくださいねっ」
【遺跡】と呼ばれる旧時代の都市を占拠する怪生物を駆除する意思を再度固めて呟いた鋭時をミサヲが半ば諦めた口調で窘め、続いてシアラが鋭時のスーツの袖を掴みながら懇願するような口調で見上げる。
「分かってる、分かってるよ……多少無茶しないと、掃除屋になれやしないのさ」
涙に潤んだシアラの瞳から逃れるように目を逸らした鋭時が頭を掻き、しばらく考えてからぎこちなく微笑みを返した。
「教授の多少は全然多少じゃありませんよぉ……わたし、やっぱり心配です……」
「そんな顔しないでくれよ……俺は子供の頃から極端で加減や融通が利かない性格だったみたいでね、どうしても今は掃除屋の事しか考えられないんだ……」
不器用ながらも優しく微笑む鋭時の顔を見詰めて尚も心配を募らせるシアラに、鋭時は心配掛けまいと笑顔を作るも抑えの効かない自身の性格に気付いて俯く。
「何か思い出したんですねっ! でも……これ以上の記憶を思い出すには掃除屋になるしかないんですね……だったらわたしも強くなって教授を守りますっ!」
「おーいシアラさん、これ以上俺の事情で危険に巻き込む訳には……って言っても今さら聞いてくれないよな……?」
鋭時の記憶の新たな手掛かりに気付いて瞳を輝かせつつも表情を曇らせて俯いたシアラがしばらく考えてから決意に満ちた笑みを鋭時に向けると、鋭時は額に手を当てて静かに首を横に振りながらも諦めにも似た面持ちで質問を返した。
「もちろんですっ! ここまでわたしの事を理解してもらえるなんて……わたし、教授に出逢えて最高に幸せですっ!」
「ま、今さらか……俺が強くなればシアラを危険に巻き込まないだけだ……」
パートナーと決めた人間が自分の性格を理解しつつあると知って幸せに包まれたような笑顔を浮かべるシアラに、鋭時は乾いた笑いを浮かべながら現状で思い付く対処法を呟く。
「その意気だよ、鋭時君。俺も鋭時君が1日でも早く掃除屋になれるよう協力するつもりだ、もちろんその過程で記憶が戻るのがベストなんだけどね」
「何言ってやがる、それこそドクの悪知恵の出番だろ! 期待してるぜ、ドク!」
鋭時とシアラの会話が終わるタイミングを待っていたドクが協力を約束しながら途中で頭を掻くと、呆れた様子のミサヲが元気付けるようにドクの背中を叩いた。
「やれやれ、俺なりに善処するよ……それと方針は変えても訓練のカリキュラムは極力変えないつもりだから、診察と散策も今まで通りにしてもらうよ」
「じゃあ午後は散策か……昨日の今日でチセリさんと顔を合わせるのは、さすがに気まずいんだよな~……」
背中をさすりながら遠回しに午後の訓練内容を伝えて来たドクに、鋭時は難しい顔をしながら頭を掻く。
「それでは私が代わりに話しましょうか、鋭時さん?」
「レーコさんの申し出は嬉しいけど、こいつは俺が直接話さないと筋が通らない。遠慮しとくよ」
ドクの横に佇んでいたレーコさんが顔に微笑みの表情を映し出しながら音も無く近付くと、鋭時は軽く頭を下げて感謝しながらも手のひらを向けて断った。
「分かりました鋭時さん、補足説明が必要な時は気軽に声を掛けてくださいね」
「よし、話が決まったら上に戻るぞ! 鋭時も男なら覚悟を決めろよ!」
顔に真剣な表情を映し出してお辞儀をしてから後ろに下がったレーコさんを見たミサヲが、励ますように鋭時に笑い掛けてから出口へ向かう。
「分かりました、ミサヲさん。シアラも行こうぜ」
「なんかうれしそうですね、教授っ!」
「そうか? きっとそうなんだろうな……ここでなら上手く出来る気がするんだ」
力強く頷いてからさりげなく手を差し出した鋭時のスーツの袖を掴んだシアラが上目遣いで微笑み掛けると、鋭時はしばし考えてから穏やかな表情を浮かべる。
「きっとじゃなくて絶対ですっ、教授っ! 絶対に教授はわたし達みんなと幸せになるんですからっ!」
「ははっ……俺なりに努力してみるよ……まず掃除屋になるところからだ……」
力強く袖を引いてから満面の笑みを浮かべたシアラに対して曖昧な笑みを返した鋭時だが、すぐさま目の前の目標に向けての決意を固めつつ真剣な表情で呟いた。