第33話【偉業者の夢】
翌日への英気を養うミサヲ達をそのままに、
鋭時は先に寝室へと戻って床に就いた
(ここは……どこだ……?)
ぼやけた意識の中で鋭時は、薄暗い部屋に置かれた大きな円卓を前に座る自分に気付く。
(見た事が無い場所だ……これは俺の夢……記憶なのか? だがDDゲートを使う以外に夢の中で、これは夢だぞと知ってるような夢を見るなんてあるか……?)
最初は戸惑った鋭時が落ち着いて周囲を見回しつつグラキエスクラッチ清掃店の寝室に敷いた布団に入ったところまで思い出すと、若干の疑問を残しながらも今の自分が夢を見ているのだと納得した。
「……確かにボク達は間違えてるね」
「何でそんな事を言うのですか、教授?」
(どうしてシアラが!? いや、似てるけど違う……でもどこかで見たような……それに、教授って呼んだのも俺じゃなくて隣の男だ……)
右腕を伸ばしても届かない程に離れた椅子に座る白衣の男の発言に質問を返した同程度の間隔で左隣に座る着物姿の少女の声に鋭時は驚くが、聞き慣れた呼び名が自分に向けられたものではないと知って安心しながら白衣の男に目を向ける。
「なあアイリス、取り敢えずドクターの話を聞いてやってくれないかな?」
(アイリスにドクター!? よく見たら散策で見た伊璃乃アイリスだし、こっちの教授はドクター・グラスソルエじゃないか!……じゃあ、あの黒服の男はいったい誰なんだ……?)
少女からひとり挟んで左に座る男が発した名前を聞いて自分の左右にいる人物が昼に博物館で見たシショクの12人の中の2人であると気付いた鋭時は、そのまま闇に溶け込みそうな黒い服を着た声の主に視線を向けた。
「ボク達シショクの12人が作った街の様々な施設やシステムはこれからの人間が生き延びるのに必要不可欠だ。問題点や改善点はまだまだ多いけど、そこは彼等が修正していけばいい。独り善がりかもしれないけど彼等のこれからの生活と目的を大切にしたい思いに偽りは無いよ」
「では教授、何が間違っているのですか?」
考え込む鋭時をよそにドクターが自分の考えをひと通り話してから肩をすくめ、アイリスが怪訝そうな表情で質問を返す。
「最初からさ。俺達がステ=イションを作った目的そのものが最初から人間として間違ってる、と言うより最初から間違えるしか俺達には選択肢が無かったのさ」
「何言ってるか分かりませんよ、マーくん」
(マーくん? そんなのいたか? 博物館の隠しファイルになかったのか?)
ドクターに代わるように説明してから静かに首を横に振る黒服の男にアイリスが不機嫌を露わにすると、鋭時はアイリスの使う黒服の男の呼び名に該当する人物を思い出そうと必死に記憶を探った。
「今はまだ分からなくても構わないよ、アイリスさん。ボクも纓示君も少し感傷に浸ってただけなんだ」
(纓示? 隠しファイルにあった緋河纓示か! でも何でマーくんなんだ……?)
続くドクターの発言であっさりと黒服の男の正体を知った鋭時は、同時に本名と呼び名との関連性に疑問を持って首を傾げる。
「所詮人間の本質は保身と裏切りだ……俺の鳴らした小波でしかない警鐘は奴等の大波のような声に掻き消され、世界が大きく変わっても何も変わらなかった」
「だから纓示君は彼等に運命を託すのかい?」
「そうだぜドクター。あいつらを受け入れた人間の生活の充実が巡り巡って多くの弱者の救済につながるが、奴等は俺達とあいつらとで築き上げて来たシステムを、アタマをすげ替えるだけで乗っ取れると信じて疑ってない。座った瞬間に椅子ごと崩れ去ると理解出来ずにな」
円卓に乗せた肘に頬杖をついて話す纓示にドクターが興味深そうな表情で質問を返すと、纓示は頬杖を解いて手を軽く振りながら不敵な笑みを浮かべた。
(この夢は俺の思考癖をよそに会話が続くのか……呼び名の謎は後回しだな)
「多様性を掲げる奴等は全てを均一にしようとして、我々の文化を否定する」
夢だと認識出来ても操作は出来ないと気付いた鋭時を意に介さないかのように、今度はドクターからひとり挟んで右隣の長身の女性が静かに口を開く。
「そうですよね、モモちゃん!」
(モモちゃん……? あの女性は確か兵迅トウカ……アイリスって女性はシアラに似てるけどシアラ以上に命名の法則が複雑だな……)
嬉しそうに頷いて同意するアイリスの言葉によって長身の女性の正体に気付いた鋭時は、自分が初めて知り合った女性に似通いながらも大きく異なる点を見付けて心の中で苦笑した。
「ああ、伝統を否定して富だけを引き継げるなんて都合のいい話は無え。ましてや後から来ておいて自分達の都合に合わせてルールを変えろなんて我儘が通じる訳も無えって訳だ」
「奴等にどれだけ善意を施しても、奴等は害悪から変わらぬ。我々の仕事は彼等を含めた国民を世界の勝ち組にする事であって、奴等の我儘を聞いて自国民に我慢を強いる事では無いと考えるのは当然の帰結」
トウカからひとり挟んで右隣に座った小柄な男が呆れた様子で肩をすくめたのに続き、そこから更にひとり挟んで隣に座った髭を蓄えた大男が腕組みしながら強く頷く。
「クスクス! イッシー! わたしもあの子達の幸せが最優先ですよ!」
(樛窪久守に誉城磑!? 呼び名の法則は後回しだ……シショクの12人の会話に俺の記憶の手掛かりがあるかも知れないし、しばらく聞いてみるか……)
強く頷きながら同意したアイリスがあだ名で呼んだ2人の正体に気が付いた鋭時だが、目先の疑問よりもこれからの会話に思考を割く方が得策と判断して気持ちを切り替えた。
「とは言え、彼等を受け入れる人間が増えれば増えるほど相対的に奴等の数が減る計算だ。これほど興味深い実験は他に無いよ」
「だがドクター、奴等もいずれは我々が作り変える世界を窮屈に感じて不満を口に出すかもしれないぞ」
鋭時の隣で笑いを堪えるように肩を震わせながらも平静を装うドクターに、ほぼ向かいに座る磑が髭を手で撫でながら懸念を示す。
「それは充分に考えられるけど、ここよりも治安の悪い場所から来た奴等が窮屈に感じない街や国なんて想像もしたくないね。何とも無責任な話だ」
「いちいち責任取ってたら、奴等の言う『持続可能』にならないからな」
「確かにトウカ殿の言う通りであるな。奴等は教養が無いから文化を蔑ろにして、責任からも逃げようとする」
同意するように頷いてから肩をすくめたドクターにトウカが皮肉を込めた笑みを返すと、磑は今にも大笑いしそうな顔を堪えながら腕組みして大きく頷いた。
「だいたい奴等の言ってる新たな時代とやらは、奴等の非合理的な価値観を他人に無理矢理押し付けようとしてる内は絶対に来ないと言うのが実情だ」
「ああ。本当に素晴らしい考え方ならば放って置いても広まるハズだから自分達の聖地とやらに居るのが正解なのに、何でわざわざこっちに来てまで押し付けようとするのか分からないんだよな」
(いや待て、色々と待て……『奴等』って何だ? ZK以外に敵がいるのか?)
ドクター達の会話に続いて口を開いた纓示と久守の話を聞いた鋭時は、ZKとは異なる敵の存在に対して働こうとする思考癖を抑えつつ会話に意識を集中させる。
「……例えるなら奴等は天動説を正当化する芸術のような詭弁を弄せるが、地動説は頑なに認めないかの如く強圧的に反論を封じて来るからな」
「間違いなく言えるのは、このやり口で黙らされた人の内心は『黙らせた側』には絶対に付かない。これも纓示君の計算の内かな?」
僅かの間意識を逸らした鋭時を待たずに磑が髭を撫でて小さくため息をつくと、同意するように頷いたドクターが含み笑いを浮かべてから纓示に顔を向けた。
「多くの人間には良い人か悪い人かなんて別にどうでも良いはずさ、自分達の住む場所や生活に必要かそうでないか、それだけが重要なんだ。善人でも使えないなら要らない、悪人でも使えるなら使うだけの話だ」
「確かにあの子達はこれから先の時代に必要な能力を持ってますよね、マーくん。きっとこの街の外の人間も、あの子達の要望を快く受け入れてくれますよ」
ドクターの視線に気付いて皮肉を込めた笑みを浮かべる纓示に対し、アイリスが期待に満ちた声を響かせる。
「奴等が彼等の成功を、指を咥えて眺めてるとは思えないのだがな……」
「そもそも奴等にあいつらの存在を否定する権限はないさ。それにあいつらの方が奴等の我儘よりも経済的、社会的な価値をたくさん生む訳だし、あいつらの存在を受け入れてくれる人間も増えるはずだ」
腕組みしたトウカが考え込むように目を閉じて不安を口にすると、纓示は涼しい顔で何も問題が無いかのように肩をすくめた。
「奴等の正義が暴走する前に、だな」
「ああ、自分の正義を疑わない、ってのは究極の邪悪のひとつだな。自分が正しい事してるって快感に酔ってるから損得や良心のリミッターが壊れちまってどうにもなんねえ」
納得するように目を開き闇の中でなお鋭い眼光を湛えるトウカに、久守が呆れた様子で小さくため息をついてから言葉を続ける。
「結局禁欲なんて自己満足に過ぎねえし、その自己満足で人間はどこまでも傲慢になっちまう。性欲が無くなると生き物は滅ぶというのにな」
「そういう意味でなら、あいつらは文明の担い手って言う役割に対して俺達以上に楽しみながら果たしてくれるさ」
話し終えた久守が静かに首を横に振ると、纓示は満足そうな笑みを浮かべながら小さく頷く。
「これから先何百年経ってもボク達を理解するような人間はいないだろうけどね」
「構わないよ。俺達に人道を解きたいのなら、まずは俺達を人間扱いすべきだっただけの話だ」
皮肉めいた笑みを浮かべてから小さく噴き出したドクターに、纓示は吐き捨てるように笑ってから遠い目をする。
「纓示殿の言う通りだ。だが彼等は我々とは違って、人間のより良き隣人となってくれるだろう」
「ああ、その為に人間を守り、人間を愛し、そして思うがまま自由に生きてくれと願いを込めたんだからな」
(今の言葉はまさか!? な、何だ……? 急に目の前が真っ白に……)
豪快に円卓に両手をついてから腕を組んで頷く磑に纓示が悪戯と皮肉が混じったような笑みを返し、不意に聞き覚えのある言葉に驚いて思考癖が働き始めた途端に鋭時の意識が遠のいて行った。
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「夢……だったのか? 何で夢にシショクの12人……? 何も話せなかったのに妙に生々しいというか……俺もその場にいたかのような……」
気が付くと自分の寝室の真ん中に敷いた布団の中にいた鋭時は、街の創設者達の出て来た夢を呟きと共に思い出しつつ考え込んだ。
「おっはようございまーっす、教授っ! 朝ですよーっ!」
「ありがたいほどにいいタイミングだ……おはようシアラ、さっき起きたとこだ。服着たらすぐに行くから、先に行っててくれ」
果てしなく続くかのような思考癖を止めてくれたシアラの声に感謝した鋭時は、そのまま寝室の戸に向かって返事をして立ち上がる。
「わっかりましたーっ!」
「あいつ、部屋の前で待つ気かよ……こういう時の距離感なんて記憶に無いな……考えても仕方ないし、出来るだけ早く着替えるか……」
弾むような声が返って来ながらも動き出す気配が全く無い事に鋭時が気付くと、小さくため息をつきながら壁に掛けたハンガーからスーツを急ぎ手に取った。
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「待たせて悪かった……おはようシアラ」
「おはようございますっ、教授っ……! チセりんが朝食作ってくれましたよっ、早く行きましょう……」
ぎこちない笑みを浮かべて寝室の戸を開けた鋭時に対して満面の笑みを浮かべて弾むような声で話すシアラだが、次第に声のトーンを下げつつ顔を伏せる。
「食事はチセリさん達に頼ってばかりだし、このままで……おーいシアラさん? 顔が赤いけど、どうしたんだ?」
「え? その……教授が眩しくてカッコよくて、つい見とれちゃいましたっ!」
凍鴉楼に来てからの懸案事項を呟きながら靴を履き終えた鋭時が頬を赤く染めたシアラに気付いて声を掛けると、シアラは耳の先まで赤く染めながら照れ臭そうに笑みを返した。
「ははっ、お世辞でも嬉しいよ。取り敢えず行こうぜ、チセリさんを待たせるのも悪いからな」
「お世辞じゃないですよぉ! 教授が昨日よりカッコよくなってるんですっ!」
思わぬ言葉に面を食らいつつも軽くあしらった鋭時だが、シアラは顔を真っ赤に染めたまま真剣な眼差しを向ける。
「昨日より……? いや待て、色々と待て……お世辞とか錯覚とかじゃないなら、違いはいったい何だ?……!……もしかして覚醒が進行してるのか!?」
「さすがは教授ですっ! きっとそうですよっ! マーくんも言ってましたけど、今のわたしは半覚醒ですから、完全覚醒に近付いてるんですよっ!」
シアラの必死な弁明に引っ掛かりを覚えた鋭時がしばし考え込んでからひとつの可能性に気が付くと、シアラもジゅう人としての本能の覚醒を意識しながら尊敬と喜びの混ざった眼差しを鋭時に向けた。
「なだらかな変化だとばかり思ったけど、結構段階的に覚醒するんだな……大丈夫なのか、シアラ?……って、これは違うか……何て言えば正解なんだか……」
「お気遣いありがとうございますっ、教授っ! でも病気じゃありませんので心配ご無用ですっ! これから教授がもっとカッコよくなるんですよっ! これ以上の幸せはありませんっ!」
ジゅう人の繁殖本能覚醒の傾向を理解した鋭時がシアラに慎重に声を掛けようとして口ごもるが、落ち着きを取り戻しつつあるシアラは輝きに満ちた未来の希望に胸を膨らませたとしか形容出来ない笑顔を鋭時に向ける。
「俺がカッコよく、ね……努力どころか意識すらしなかった方面の評価はどうにも居心地が良くないな……」
「そんなことありませんよっ! どこの誰が何を言っても、教授はわたしの運命の人なんですからっ! さあ、行きましょうっ!」
「だから袖を引っ張るなって……」
痛いほど眩しい視線を向けられて頭を掻きながら呆れるように呟いた鋭時に対し静かに首を横に振ったシアラが鋭時のスーツの袖を掴んで店舗スペースに向かい、鋭時は呆れて呟きながら引かれるしか無かった。
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「おはようございます、旦那様、若奥様。まあ……旦那様が一段と凛々しく……」
「チセリさんもか……いったいどうなってやがる?」
店舗スペースに入ると同時に丁寧な仕草でお辞儀をした直後に頬を紅潮させつつ狼のような尻尾を激しく左右に振るチセリに見つめられた鋭時は、小さくため息をついてから額に手を当てる。
「失礼しました旦那様、つい見とれてしまって……」
「ああ、こっちこそゴメン。改めておはようチセリさん、何かいつもすみません。そろそろ俺も自分の身の回りの事くらい自分で出来るようにしないとな……」
我に返ったチセリが尻尾を丸めながら深々とお辞儀し直すと、鋭時は慌てて頭を下げてから頬を指で掻いて自嘲の笑みを浮かべた。
「旦那様のお気持ちも良く分かりますが、私とてタイプキキーモラのジゅう人。私を覚醒させてくださった旦那様のお世話こそ最大の役目でございます」
「そういやドクも言ってたけど、ジゅう人は役割を重要視するんだよな……それに俺はチセリさんを覚醒させちまってる……」
心情を察して尻尾を緩やかに振り始めて微笑みながらも強い意志を湛えた眼光を向けるチセリに、鋭時は納得しながらも顔を沈める。
「そんな思い詰めないでくださいまし、旦那様。私は今、ジゅう人として最高に幸せなのですから。それに凍鴉楼を管理する立場上、旦那様が外にお泊りの際には私は着いて行けません。ここ以外の場所では旦那様のお世話を若奥様に頼むか、ご自分でしていただくしかありませんので」
「外泊か……旅行とか考えた事も無かったぜ……」
胸に手を当ててから安心させるかのように目を閉じたチセリが立場による制約を説明すると、鋭時は顔を僅かに綻ばせながらも頭を掻いて曖昧な笑みを浮かべた。
「掃除屋のお仕事で他の居住区に行く事もあるでしょうし、旦那様の記憶が戻れば住んでいた居住区に帰る事もあるでしょう。出来る事ならいつまでもこの凍鴉楼に滞在していただきたいのですが、これは旦那様のお決めになる事ですから……」
「分かったからそんな顔しないでくれよ……出来る限り善処するからさ……」
鋭時がステ=イションを離れる可能性を淡々と言及しながらも次第に耳と尻尾を力なく下げていくチセリに困惑した鋭時は、ぎこちなく笑みを浮かべて頬を掻く。
「ありがとうございます、旦那様。では朝食をお持ちしますね、そちらにお掛けになってお待ちください」
「まさかさっきのは……まあいい、これからを考えるにもまずは腹拵えだ」
「そうですねっ、教授っ! さあ行きましょうっ!」
含みを持たせた笑みを返してから耳を立てて尻尾を振りながらキッチンに入ったチセリを目で追いながら乾いた笑いを浮かべた鋭時が気持ちを切り替えようと頭を掻き、嬉しそうな表情を浮かべたシアラが鋭時のスーツの袖を掴んでテーブルまで移動した。
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「そういえばミサヲさんは?」
「ミサヲお嬢様でしたら既に輸送トラックの護衛任務に出かけております」
「そうか……スズナさんも先に病院行ってるし、ヒカルさんは自分の店があるって言ってたな……それじゃあ今朝は俺とシアラと……チセリさんの分は?」
椅子に座ってしばらく見回してからミサヲの所在をキッチンからお盆を手に持ち出て来たチセリに聞いた鋭時は、お盆の上に2人分の料理しか載せられていないと気付いて理由をチセリに尋ねる。
「お先に頂きました。本日は旦那様がお食事している間だけしか、寝室の片付けができませんので」
「そういえばそうか……って、しまった! また布団をそのままにしちまった……畳み直す手間を考えて畳まなかったのはともかく、やっぱり【衣服洗浄】くらいは掛けておかないと悪いよな……」
「それを掛けるなんてとんでもない!」
既にチセリが食事を済ませていた理由に納得した鋭時が寝室の状況を思い出して立ち上がろうとすると、配膳をしていたチセリが大声で鋭時を止めた。
「え、チセリさん……?」
「失礼しました。ですが旦那様は魔力が尽きると消滅してしまう身、それに全自動殺菌乾燥機にも【衣服洗浄】は組み込まれておりますし、旦那様の身の安全のためにも魔力は温存してくださいませ」
思わぬ大声で固まった鋭時に、チセリが慌てて早口で弁解しながら頭を下げる。
「ダメですよっ、教授っ! チセりんの事をちゃんと考えてあげないとっ」
「悪かったシアラ、チセリさんも……考えてみりゃ俺はこの街の誰よりも弱いし、魔力が必要になる場面も未知数だ。ここは素直にアドバイスを受け取っておくよ」
しばらく沈黙が続いた後にシアラが心持ち不機嫌な顔で鋭時を窘めると、鋭時はシアラとチセリに軽く頭を下げてから自分に言い聞かせるように理由を並べてから飲み込むように頷いた。
「お聞き入れいただき感謝します、旦那様。若奥様もありがとうございます。ではさっそく行ってまいりますね」
「いってらっしゃーい、チセりんっ! ごゆっくりどうぞーっ」
配膳を終えてお辞儀してから居住スペースへと向かうチセリを、シアラが大きく手を振って見送る。
「おいおいシアラ、何か使う言葉間違ってないか?」
「そう……でしたっけ? とりあえず食べましょうっ!」
「あのな……まあいい、食うか……」
呆れながら疑問を口にする鋭時にシアラが誤魔化すように微笑むと、鋭時は口に出そうとした言葉を噤んで運ばれた朝食に視線を向けた。
(なるほど、これなら食べる時間がバラバラでも温かいものが食べれるな……)
パン皿に載せたバターロールに小鉢に入った生野菜のサラダ、そしてスープ皿に入ったクリームシチューを見て無言で感心して頷いた鋭時はスプーンを手に取り、まずは薄切りの玉ねぎごとシチューを掬って口へと運ぶ。
口に入ると同時にホワイトソースをベースにした温かいシチューの旨味が鋭時の舌を程よく刺激し、噛みしめると同時に煮込まれた玉ねぎから滲み出て来た甘味と合わさって口の中に広がった。
溶かすように奥歯で磨り潰した玉ねぎをシチューと共に飲み込んだ鋭時は次に、ひと口大に切られたジャガイモを口に掬い入れてからバターロールを手で千切って口に入れ、歯に触れただけで崩れたジャガイモとシチューが混じり合う濃厚な味を柔らかいバターロールに受け止めさせる。
次にひと口大にぶつ切りされた鶏モモ肉を掬った鋭時がそのまま口に入れると、皮と肉からシチューに溶け出してもなお残る脂と旨味が染み出して来てシチューのとろみと絡み合って喉を通り、余韻を逃さないかのように手にしたバターロールを齧った鋭時は再度シチューを口に運んだ。
▼
「それにしても『奴等』って何者なんだ……?」
「ほえ? どうしたんですかっ、教授っ?」
シチューとバターロールを交互に口にしつつ時折サラダを間に挟む食事を続けてひと段落した鋭時の呟きを聞いたシアラが、シチューを掬っていたスプーンを持つ手を止めて不思議そうな表情で聞き返す。
「ん? ああ、ちょっと今朝見た夢の事を考えてたんだ」
「もしかして何か思い出したのですかっ!?」
またしても考え事を口に出していたと気付いた鋭時が気まずそうに微笑んでから理由を話すと、シアラは手にしたスプーンを素早くシチューの皿に戻してから身を乗り出すように鋭時に迫った。
「落ち着けよシアラ、どう説明したらいいのか俺にも分からない夢だったんだ……何せシショクの12人が出て来たんだぜ、あり得ないだろ?」
「それってどんな夢だったんですかっ? ちょっと興味ありますっ」
拒絶回避の暴発を押さえ付けようと体を強張らせながら宥める鋭時に、シアラはますます興奮しながら顔を近付ける。
「ほとんど覚えてないし、素性は何も思い出せなかったけどいいか?」
「はいっ、ぜひ聞かせてくださいっ!」
「そこまで言うなら……気付くと俺はシショクの12人と円卓に座ってて……」
頭を掻いて自信無く笑う鋭時に鼻が触れたかと錯覚するほどにシアラが近付き、鋭時は無意識に身を引きつつ小さくため息をついてから夢の内容を話し始めた。
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「……最後に緋河纓示がシショクの願いを口にしたところで目が覚めたんだ」
「確かに変わった夢ですねぇ……」
「だろ? 俺も何でこんな夢を見たのか分からなくてさ……」
椅子に座り直し小首を傾げるシアラに鋭時も同意を求めるように頷いてから頭を掻くが、シアラは興奮したように再度立ち上がる。
「でも教授の夢なんですから、何か大事な意味がありますよっ!」
「いや待て、色々と待て。根拠がまるで無いぞ……あるとしても昨日博物館で見た立体映像が原因ってところだろう。夢は記憶の整理って言うだろ?」
期待に満ちた表情で目を輝かせるシアラが再度顔を近付けて来ると、鋭時も再度身体を仰け反らせつつ首を横に振ってから宥めるように自分の推測を説明した。
「そうですかぁ……でも教授がシショクの12人と並ぶなんて、文字通り夢としか言えないシチュエーションですのに……」
「いいえ若奥様、そうとも限りませんよ。その夢にはきっと旦那様の重要な秘密が隠されているはずです」
鋭時の言葉で落ち着きを取り戻しかけたシアラに対し、今度は後ろからチセリが声を掛ける。
「おっと、チセリさんか……もう終わってるなんて、さすがだな……」
「はい。本日は旦那様と若奥様の外出に着いて行く予定ですので、清掃ロボットを使用させていただきました」
突然の声に驚いた鋭時が仕事の早さに感心して呟くと、チセリは寝室の片付けが早く終わった理由を説明してから深々と頭を下げた。
「そんな申し訳なさそうな顔しないでよ、チセリさん……上手くは言えないけど、今の俺には感謝の気持ちしか無いぜ」
「お気遣いいただきありがとうございます。旦那様のお世話こそ私の生き甲斐でございますから、そのお言葉だけで今は充分でございます」
困惑して頭を掻きながら慎重に言葉を選ぶ鋭時に、チセリは再度頭を下げてから尻尾を振りつつ含みを持たせた微笑みを浮かべる。
「今は、って……今までの説明が額面通りなら、対価はこの俺自身なんだよな……見方次第じゃ安いもんかもしれんが……」
「でもチセりん、今日の分は大丈夫なんですかっ?」
「ご安心ください若奥様、そちらの補充は充分させていただきました」
チセリの微笑みの意味に気付いて考え込む鋭時を尻目にシアラが心配そうな顔で尋ねると、チセリは胸に手を当てて鼻で静かに息を吸って深呼吸してから微笑みを返した。
「何だ? 何の話だ? まだ俺の知らない何かでもあるのか……? チセリさん、その……補充ってのは……?」
「敢えてご説明するなら、淑女の嗜みと言ったところでしょうか」
目の前のやり取りに要領を得ず慎重に言葉を選んで尋ねる鋭時に、チセリは手を口元に当てて恥じらうように微笑みを返す。
「えーっと……立ち入った事を聞いたみたいで悪かった。どうも俺の悪い癖だな、これからは気を付けるよ」
「お気になさらないでくださいませ。旦那様の記憶はどこに手掛かりがあるのか、皆目見当も付かないのですから。せっかくですので、先ほどのご質問にも旦那様のお体が治りましたらお答えしましょうか?」
言葉を詰まらせた鋭時がばつが悪そうに鼻の頭を指で掻くと、チセリはゆっくり首を横に振ってから目を細めて優しく微笑んで軽くお辞儀した。
「いいのかい? 迷惑じゃないなら答えられる範囲でお願いするよ」
「かしこまりました、実践を交えてしっかりと説明させていただきますね」
困惑と興味とが入り混じった表情で聞き返す鋭時に、チセリは嬉しそうに尻尾を振りながら丁寧な仕草でお辞儀する。
「よかったですねっ、チセりんっ! 教授もありがとうございますっ!」
「いや待て、色々と待て。何でシアラが喜ぶんだよ?」
「そ、それより教授の見た夢について話しましょうかっ? チセりんの話ですと、教授の秘密につながってるみたいじゃないですかっ!」
まるで自分の事のように喜びながら礼を言うシアラに困惑しながら鋭時が質問を返すと、シアラは強引に話題を変えるべくチセリに話を振った。
「何を隠してるんだ……? まあ今に始まった事じゃないよな……確かにあの夢はうろ覚えだが、博物館の展示を見ただけでは説明の付かない内容だったな……」
「私は旦那様の部屋を片付け終えた際に聞こえて来た内容のみですが、それだけでも旦那様の重要な出来事が関わっているとしか思えませんでした」
シアラの態度を訝しみながらも不可解な夢の内容を思い出そうとしながら呟いた鋭時に、チセリも鋭時の話を聞いた経緯を説明しながら眼鏡の蔓に手を当てる。
「ほえ? どういうことですか、チセりん?」
「俺の脳内で昨日の記憶を整理した際に、失う前の記憶も混ざってる。そういう事だよね、チセリさん? でも重要はちょっと大袈裟じゃないか……?」
「さすがは教授ですっ! 夢での出来事をもっと思い出せば、きっと教授の記憶も戻りますよっ!」
意味が理解出来ずに小首を傾げるシアラの横で鋭時が推測を話しながらチセリに確認を取ると、チセリが答えを返すよりも早くシアラが羨望と希望の入り混じった眼差しを鋭時に向けた。
「その通りです、若奥様。しかも、旦那様の記憶以上に重要な秘密が隠されている可能性までございます」
「記憶以上に重要? 俺には皆目見当が付かないぜ」
興奮したシアラの希望を肯定するように微笑んでから再度眼鏡の蔓に手を当てたチセリに対し、鋭時が大袈裟に首を傾げる仕草をしてから静かに首を横に振る。
「わたしも教授の記憶より重要なものなんてわかりませんよぉ。もったいぶらずに教えてくれませんかっ、チセりんっ?」
「かしこまりました旦那様、若奥様。結論の方から先に申し上げますと、旦那様はシショクの12人の生まれ変わりの可能性がございます」
既にお手上げ状態の鋭時とシアラに丁寧な仕草でお辞儀したチセリが眼鏡の蔓を指で軽く持ち上げてから持論を展開すると、しばしの沈黙が店内を支配した。
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「いや待て、色々と待て。チセリさん、さすがに突拍子が無さ過ぎるぜ……」
「果たしてそうでしょうか? 旦那様の話では、旦那様も円卓に列席した12人のひとりでした。これは旦那様がシショクの12人でなければあり得ない状況です」
いつまでも続くように思われた重い沈黙を破るために額に手を当てて口を開いた鋭時に、チセリは全く表情を崩さず自身の推理を披露する。
「そうかもしれないが所詮は夢だ、あり得ない場所に座る事もあるだろ?」
「他にも根拠はございます。旦那様の夢に出て来たシショクの12人が『奴等』と呼んでいた人類の敵でございます。ステ=イションの中にある多くのシステムは、この『奴等』とZKの両方に対処するためのもの、と考えられます」
しばらく考えた鋭時が額に手を当てつつ首を横に振ると、チセリは物怖じせずに夢の不可解な点を鋭時に指摘した。
「チセリさんの言う通り『奴等』がZK以外の脅威を意味してるのなら、俺の夢に出てくるには昨日の博物館以外の情報が必要不可欠だ……」
「はい、ロジネル型居住区しか知らない旦那様がステ=イションの名を思い出したのも、IDカードの資格欄にシショクの12人の別名、【陽影臥器】の記載がありましたのも、旦那様がシショクの12人の生まれ変わりであるなら全て説明が付きます」
しばし考え込んでから夢の不可解な点に気付いた鋭時に、チセリは持論の根拠を重ねて説明する。
「確かにどれも辻褄が合うな……根拠がまるで無い訳じゃないのか……」
「やっぱり教授はシショクの12人の生まれ変わりですよっ! ミサちゃん達にも教えましょうっ!」
チセリの推理を聞き終えた鋭時が納得するように頷きつつ呟くと、いつの間にか食事を終えていたシアラが興奮した様子で立ち上がった。
「いや待て、色々と待て。仮に俺がシショクの12人の生まれ変わりだとしても、敵の正体も対処法も分からないのに迂闊な事を言えないだろ……もう少し具体的な事が分かるまでは俺達の秘密にしてくれないか?」
「わかりました教授っ! チセりんと3人の秘め事ですねっ!」
「おーいシアラさん、本当に分かってるのか? 俺の見た夢だけが根拠なのに俺がシショクの12人の生まれ変わりだなんて噂が広まればどうなるか……」
そのまま勢い良く店の外に出ようとするシアラを呼び止めつつしばしの口止めを要請した鋭時にシアラは満面の笑みを浮かべてから店内を見回し、額に手を当てた鋭時は疲れた様子で大きくため息をついた。