第26話【理由】
初日の訓練を終えて疲れを癒した鋭時、
そのまま夜は更け、次の日の朝を迎えた。
「わりいな鋭時、朝早くから買い物に連れ出しちまって」
「早いと言っても日が出てる時間だし別に問題ないですけど、慌てて出て来たから帰って片付けをしないと、と思って……さすがに2日連続は悪いし……」
言葉とは裏腹にシアラの手をつなぎながら上機嫌でテレポートエレベーターへと向かうミサヲに、鋭時は愛想笑いを浮かべて返しながらも徐々に苦笑に変わる。
グラキエスクラッチ清掃店の寝室で2回目の朝を迎えた鋭時は初日同様シアラの元気な声に起こされて当初からの予定であった凍鴉楼1階にある商店への買い物に向かう今でも、片付けもせずに出て来た自分の寝室を気に掛けていた。
「鋭時は真面目だな。でもよ、チセリの仕事も残しておいてくれないか? じゃあ先に行ってるぜ」
「チセりんも教授が好きなんですから、教授もチセりんとのつながりを大切にしてくださいねっ。それじゃあお先にーっ!」
「さすがにこれ以上悪いだろ、今でも色々世話になってるのに……って、言うだけ言って消えてるし……」
呆れた表情を浮かべつつも優しく微笑むミサヲと満面の笑みで手を振るシアラが目の前で消え、残された鋭時はテレポートエレベーターの金属板を眺めながら頭を掻いてため息をつく。
「そうでも無いさ、鋭時君。キミは出来るだけチセリさんに頼った方がいいよ」
「おぅわぁ!? 何だドクか、おはよう……でもドクまでそんな事を……」
気が抜けると同時に背後から飛んで来た声に大袈裟な仕草で振り向いた鋭時は、声の主がドクだと気付いて安堵のため息をつくと同時に複雑な表情を浮かべた。
「おはよう鋭時君、すまないけど後ろで聞かせてもらったよ。タイプキキーモラは自分の繁殖本能を覚醒させた人間と家族の身の回りの世話をするのが種別としての本能であるのと同時に、繁殖本能の覚醒度合いを遅らせる役割があるんだ。だからチセリさんの為を考えるなら頼ってやってくれないか?」
「ドクがそこまで言うなら善処するよ……取り敢えず帰ってから布団を畳んで隅にでも置いとくか」
鋭時の大袈裟な仕草を見て吹き出しそうになるのを堪えつつ白衣のような黒服のポケットに手を入れて話すドクに、鋭時は釈然としない様子で頭を掻きながら壁に埋め込まれた金属板の前に移動する。
「そうしてくれると助かるよ。今から行く店は1階のAを選べば、すぐに行ける」
「1階のAか……昨日の買い物から帰って来た時に使った場所だな……分かった、先に行ってるぜ」
申し訳なさそうに微笑んだドクが簡潔に目的地を伝えると、鋭時は指先で慎重に行き先を確認しながらパネルを操作して姿を消した。
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「教授っ、こっちですよーっ!」
「だからシアラ、もうちょっと静かに出来ないのか……それにしても昨日は看板をよく見なかったから気付かなかったけど、何て読むんだ? おつ……とり……?」
目前の光景が突然変化する状況には慣れながらも嬉しそうに自分を呼ぶシアラの弾む声にはまだ慣れずに曖昧な笑みを浮かべた鋭時は、【乙鳥商店】と表記された看板を見ながら首を傾げる。
「あれで乙鳥商店って読むんだ。ドクも来たし、まずは入ろうぜ」
「やあお待たせ。鋭時君もシアラさんも聞きたい事は山のようにあるだろうけど、ミサヲさんの言う通り中に入ろう。質問があれば中で都度答えるよ」
「分かったドク、ミサヲさん、よろしく頼むよ」
悪戯を仕掛ける子供のような笑みを浮かべたミサヲが店名の読み方を教えながら入口を親指で指し示すと同時に後ろから来たドクも説明する楽しみを堪えた笑顔で入店を促し、一行はミサヲを先頭に乙鳥商店の自動ドアを抜けて中に入った。
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「「いらっしゃいませー、乙鳥商店へようこそー」」
「この2人は……? いや、こいつはマジックドールか……!」
店に入ると同時に2つに重なった少女の声に出迎えられた鋭時は、入口から見て右側面にある会計に並んで立つ鋭時の肩ほどの背丈の少女が人の姿を模した2体のゴーレム、マジックドールと呼ばれるものである事に気付いて静かに驚愕する。
「そうでーす、らっぷがらっぷで」
「さながさなでーす」
らっぷと名乗る黄色いワンピース服に緑色のエプロンを重ねたマジックドールがお辞儀をすると同時に絹糸で作られたかのような白い髪を三つ編みにしたお下げが揺れ、続けてさなと名乗る緑色のワンピース服に黄色いエプロンを重ねたマジックドールが同じく白い三つ編みを揺らしてお辞儀した。
「相変わらずお前達は騒々しいな。ところで、店長はいるか? 掃除屋のミサヲが来たって言えば用件は伝わるはずだ」
「かしこまりましたー、らっぷが呼んできますから少々お待ちくださーい」
「さなは残って店番を続けまーす」
慣れた様子で店長の所在を聞くミサヲにらっぷが再度お辞儀をしてから店の奥に入り、さなが店の奥を向いて手を振ってから正面に向き直る。
「ははっ……よろしく頼んだぜ」
「面白いですねっ、教授っ! 2人で協力するドールなんて初めて見ますよっ!」
「確かに俺も初めてだよ……記憶を探る限りだと、マジックドール自体を見るのが初めてかもしれないな……」
乾いた笑いを浮かべてらっぷを見送るミサヲの横でシアラが楽しそうに手を振りながら微笑むと、鋭時もらっぷの入った店の奥の方と残ったさなを興味深く交互に眺めた。
「ふむ……ゴーレムならともかく、更に人に似せたマジックドールは製作も操作も難しいから数も少ないんだ。見た事があれば良い手掛かりになったのだろうけど、こればかりはしょうがないかな……」
「だから俺も図鑑か何かで見た記憶はあっても、実物を見た記憶が無いのか……」
顎に手を当てて納得するように呟くドクの横で、鋭時も納得するように呟く。
「教授っ、本物のドールを見れてよかったですねっ! ドールは作った人の個性が観察できて面白いですよっ」
「それでお察しの通り、あいつらを作ったのがここの店長だ。腕は確かなんだが、ちょっとズレてる所があってね……」
鋭時の初体験を自分の事のように喜ぶシアラが自分の持つ知識を楽しそうに披露すると、ミサヲが頭を掻きながら遠い目をして説明を重ねた。
(ズレてるね……俺からすればジゅう人そのものが人間と違い過ぎるぜ……)
「よぉ、いらっしゃい。そこの人間が昨日スズナの言ってた水面の王子様だろ? それでアタシはもう覚醒できたのか?」
極力無表情を心掛けつつも心の中で呆れた鋭時に、ティアラを載せたウェーブのかかった色の薄い赤髪を肩の下にまで伸ばし、ドレスを飾るようなフリルを随所にあしらった白いタキシードのような服を着て、右肩に幅広の大きなケースを担いだ鋭時より僅かに背の低い女性が店の奥から出て来て声を掛けて来た。
「いきなりなんなんだ、その小っ恥ずかしい呼び方は……俺の名前は燈川鋭時だ。特段呼び方を気にしたつもりは無いけど、王子様ってのはやめてくれないか?」
「えーじと王子なら字が1つしか違わないし、別にいいだろ? それよりアタシは覚醒できたのかい?」
記憶の限りで自分とは全く無縁の呼び名に困惑した鋭時が呆れて呼び方の訂正を要求するが、店の奥から出て来た女性は意に介さずに会計用のカウンターから出て来て同じ質問を繰り返す。
「いやそれ……正確に文字に起こせば1文字しか合ってないし……あと、俺はこれ以上誰も覚醒させないつもりだ。それであんたがここの店長なのかい?」
「わりいが違うぜ。アタシは梳杜セイハ、セイハでいいぜ。店長の妹分でミサ姉と同じく掃除屋稼業もしてる。アタシはタイプスライムなんだし覚醒させてくれたらきっと王子様の役に立つぜ」
小さくため息をついて訂正した鋭時がそのまま質問を返すと、セイハと名乗った女性は自分の全身を鋭時に見せるようにレジカウンターから店内へと移動しながら親指を自分の胸に向けて自信に満ちた笑顔を向けた。
「だからセイハさん、役に立つとかそういうのじゃなくて……」
「アタシはタイプ鬼のミサ姉より怪力なんだし、手元に置いても損は無いぜ?」
「あのな……手元に置くとか物みたいに言わないでくれ……それよりドク、鬼より怪力ってどういう事なんだ……?」
言葉を選びながら説得する鋭時を肩に掛けたケースを前に持ち出して遮りながら食い下がるセイハの言葉に疑問を持った鋭時は、小声でドクに質問する。
「タイプスライムは人間の姿をした人間体が創作や伝承に出てくるスライムコアに相当してて、その周囲をスライム体という粘液で覆って自在に操れる種別なんだ。粘液を集めて作った豪腕は体組織の破損を気にせずに遠心力や重力を乗せた全力で得物を振り回せるから、こと腕力だけなら右に出る者のいないジゅう人なんだよ」
「そいつは確かに話を聞いただけでも、とんでもない力がありそうだと分かるよ。人は見かけによらないとはよく言ったもんだぜ……」
新たなジゅう人の知識を披露するタイミングを見計らっていたかのように長々とドクが説明すると、鋭時は複雑な表情を浮かべて深く頷いてから人間の女性にしか見えないセイハに視線を移した。
「怪力って言っても人間体だけなら他のジゅう人と大差ねえし、シショクの願いに誓って人間も傷つけねえ。それに、目的を果たした後でならアタシの体を王子様の好きにしてくれて構わないぜ?」
「いきなり何言い出すんだよ!? よく分からないけど、人間体ってのは、つまりセイハさん本人……なんだろ?」
ドクの説明を証明するようにセイハが背中から伸ばしたスライム体の先端を手の形状に変化させてから自分の胸に当て、驚いた鋭時は慌てて5本に分かれた粘液に弄ばれて形を自在に変えるセイハの胸の膨らみから目を逸らす。
「【大異変】の影響でこっちの世界にジゅう人が転移してきた時に人間は、タイプスライムの協力によってジゅう人の身体は人間と繁殖の出来る人間体と、【証】と呼ばれるジゅう人体で構成されている事を突き止めたんだよ。そういった意味では確かにセイハさんの人間体はコアであり本人と言えるかもね」
「貴重な解説どうも、ドク……でも今はそれより大事な事があるだろ……」
人間とジゅう人の歴史に関わる重要な解説を終えたドクが満足そうに微笑むと、鋭時は呆れた顔でドクを眺めながら小さくため息をついた。
「そうかい? これはある意味重要な知識だよ。【証】が爬虫類や鳥類はもちろん無生物であっても、ジゅう人は人間に近しい哺乳類だと解明されてるんだ。それでジゅう人自身も人間と関係を持つには人間体が重要だと意識してるんだよ」
「人間体をね……」
肩をすくめて再開したドクの説明に頷いて視線を移した鋭時の目の前に、2つに分けられた金色の髪の間から覗くシアラの白いうなじが入って来る。
「ほえ? どうしましたっ、教授っ?」
「い、いや、何でもない……」
視線に気が付いたシアラが振り向いて顔を見上げると同時に瑞々しく小さな唇が鋭時の視界に入り、鋭時はさらに慌てて視線を上に逸らした。
「わかりましたっ! ところで教授、シロちゃんはどうするんですかっ?」
「シロちゃんってアタシの事かい? そうか! あんたが王子様と一緒にこの街に来たタイプサキュバスだな!」
満面の笑みを浮かべてからセイハの方を向いたシアラに、既に粘液の手を胸から離して手持ち無沙汰に振っていたセイハが食い付くように近付く。
「はいっ! 教授と運命の出逢いで結ばれた榧璃乃シアラですっ! よろしくね、シロちゃん!」
「ああ、よろしく! さっそくだが、シアラからもアタシを覚醒させてくれるよう王子様に口添えしてくれねえか?」
「うわわっ!? ちょっとシロちゃん、いったい何を!?」
「やめてくれセイハさん! 俺はもう誰も覚醒させたくないんだ!」
嬉しそうに挨拶したシアラが突然セイハの作った複数のスライム体の手に両腕を掴まれて悲鳴とも疑問ともつかない声を上げ、鋭時は反射的にアーカイブロッドを取り出そうと身構えた。
「そこまでよ、セイちゃん! お客様に迷惑掛けちゃダメでしょ?」
「わっ、ヒラ姉!? 当たってる! 柔らかいのが背中に当たってる!……やめ、くぅ……はぁ……分かった、放す! 放すよ……悪かったなシアラ……これでいいだろ、ヒラ姉……ひゃぅ!?」
鋭時の声に続くようにセイハの足元から背後に突然現れたセイハと同じくらいの背丈の女性に抱き付かれたセイハはしばらく自分を抱きしめる腕を振りほどこうと抵抗したが、じきに観念してスライム体の手を緩める。
「うわっとっと……わぷっ!」
「大丈夫かシアラ? 助かったぜヒラネ、いいタイミングだ」
粘液から突然解放されてバランスを崩しそうになったシアラを素早く抱き止めたミサヲが声の主に向けて親指を立てると、ブラウスにジーンズといった軽装の上に燕の模様をあしらったエプロンをかけ、光の反射の具合で紫にも黒にも見える髪を腰まで伸ばした女性が放心しているセイハの拘束を解いてから隣に立った。
「お招きしておきながらご迷惑をかけてごめんなさいね、皆さん。らっぷちゃんも呼んで来てくれてありがとう。さなちゃんと一緒に店番に戻ってちょうだい」
「はーい店長、らっぷは店番に戻りまーす」
ミサヲにヒラネと呼ばれた女性が一同に向かって頭を下げて謝罪し、店の奥から出て来て持ち場に戻るらっぷに優しく微笑みかける。
「改めていらっしゃいませ、皆さん。そちらにいる男の子が、昨日スズナちゃんが話してた、触れると消えてしまう水面に映る王子様ね?」
「そういや昨日、この店に入ってから目を覚ましたスズナが嬉しそうにそんな事を話してたな。ヒラネのご指摘の通り、ここにいる人間が噂の王子様だぜ」
再度お辞儀をして一同を歓迎したヒラネが鋭時の顔を見て嬉しそうに目を細めて微笑むと、昨日の出来事を思い出そうと視線を上に向けていたミサヲが正面に顔を向けてから自信満々で親指を立てた。
「だからミサヲさん、王子じゃなくて鋭時です……はぁ、スズナさんはどんな話をしたんだよ……?」
「スズナちゃんは詩を書く趣味があってね、王子様との出逢いに思いを寄せる詩をいくつも書いてたのよ。そういえばワタシの自己紹介がまだだったわね。ワタシは絃汰ヒラネ、ヒラネって呼んでね。この乙鳥商店の店主で、セイちゃんと掃除屋もしてるの。改めてよろしくね、えーじ君」
まるで身に覚えのない呼び名の原因を知ってため息をつく鋭時に、ヒラネは少し膝を屈めて下から見上げるように微笑みかける。
「あ、ああ、よろしくヒラネさん……」
「教授っ、ラコちゃんはタイプマンドラゴラですよっ! だから急にシロちゃんの足元から出て来たし、頭にお花もあるんですっ」
少し身を仰け反らせた鋭時が挨拶もそこそこにヒラネの頭頂部から伸びる紫色の一輪の花のようなものを呆然と眺めていると、シアラが鋭時のスーツの袖を引いて目の前のジゅう人の特徴を説明した。
「タイプマンドラゴラは収納術式のような潜行魔法を足元に作り出して、その中に入り込んで移動する能力があるんだ。植物型の髪を除いた全身を潜行魔法で隠せるから、ZKを駆除する時は偵察や不意討ちで活躍したそうだよ」
「ドクの言う通りだぜ王子様、しかもヒラ姉の使える潜行魔法はそこいらのタイプマンドラゴラとはひと味もふた味も違う特別製なんだ」
シアラの説明を補足するかのようにヒラネの使った移動手段を説明するドクに、ようやく立ち直ったセイハも自分の事のように胸を張って笑みを浮かべる。
「そっかぁ、えーじ君はジゅう人の事をよく知らないんだったよね。やっぱりこのお花が気になるかな? でも引っ張っちゃダメよ、大変な事になっちゃうから」
「大変な事? まあ例え安全でも女性の髪を引っ張る真似はしないけどさ……」
視線を上に向けながら次の質問を探す鋭時の事情を察したヒラネが小さい子供に注意するかのように頭の花を指差すと、鸚鵡返しに聞き返した鋭時はそのまま頬を指で掻いてから首を静かに横に振った。
「こちら側の伝承に出て来るマンドラゴラは土から引き抜くと同時に発する大声で命を奪うけど、タイプマンドラゴラのジゅう人が植物型の髪を引かれた時に発する魔力を帯びた悲鳴を聞いた知的生命体は性欲がほぼ永遠に消滅するんだよ。命こそ奪われないけど子孫を残せなくなるし、ある意味では生物の死と言えるね」
「そいつは確かに大変な事だな……でもさ、ほぼ永遠にって事は、回復する手段もあるんだろ……?」
語り継がれて来たマンドラゴラとジゅう人の差異を嬉々として説明するドクに、鋭時は納得して頷きながらも新たに浮かんだ疑問を口にする。
「もちろんあるさ。そもそもジゅう人の場合はN因子の活性化が繁殖のきっかけになるから関係ないし、人間の男の場合だと何故か同時にA因子の量が増えるんだ。そしてA因子によって覚醒したジゅう人の女性達は興奮作用を持った物質を体内で生成するからね」
「なるほどね……そいつは何とも、よく出来てるもんだな……」
ドクの回答を聞いて何やら考えていた鋭時は、納得するように大きく頷いた。
「何が分かったか知らねえけど、いいから早くアタシを覚醒させてくれよ王子様。アタシは今すぐ行かないといけないんだからさ!」
「ちょっ……! ちょっと待ってくれよ」
「ダメよ、セイちゃん! えーじ君が困ってるでしょ? それに準備も必要だから戦装束じゃなくて家事装束を着てなさいって言ったじゃない?」
「うっ……! でもヒラ姉、このままじゃ奴等に逃げられちまうぜ!」
強引にセイハに迫られた鋭時は言葉を詰まらせ半歩後ずさり、見かねたヒラネが微笑みながら制止してセイハの顔を自分に向けさせる。
「戦装束? 防御術式を服に組み込めるし、後は本人の気持ち次第って事なのか?」
「その通りなの! セイちゃん小さい頃から姫に憧れてたから、あの格好でZKを駆除するようになったのよ!」
セイハの視線が逸れて安堵した鋭時が思わず新たな疑問を口にすると、ヒラネが嬉しそうにセイハの着ている服の説明をしながら鋭時に微笑みかけた。
「よしとくれよヒラ姉、今ここで言う事じゃないだろ?」
「いいじゃないセイちゃん、女の子はいくつになっても姫なんだから」
もはや毒気が抜けて気恥ずかしそうに頭を掻くセイハを、ヒラネは微笑みながら元気付けるように握った手を小さく上げる。
「なるほど……そういうところは人間の女の子と変わらないんだな……」
「その通りですっ、教授っ! 王子様を守る姫騎士は、女の子にとって永遠の憧れなんですからっ!」
ヒラネとセイハのやり取りを眺めていた鋭時が吹き出しそうになるのを堪えつつ安心したように呟くと、腰のぬいぐるみをネコからヒツジに取り換えてドレス姿になったシアラが鋭時のスーツの袖を掴んで見上げながら微笑んだ。
「おーいシアラさん、前言撤回……やはり俺はジゅう人を知らなさ過ぎる……って言うかそれ、ただのドレスじゃなかったんだな……」
「はいっ、マフリクの結界服は教授を守るために調整を重ねましたからっ!」
額に手を当てて呆れつつもシアラのドレスの胸が金属板のような装甲で覆われている事に気付いて納得するように微笑む鋭時に、シアラは満面の笑みを返す。
「へぇ、シアラのドレスも中々のもんじゃないか。アタシは戦いやすいからこんな服にしてるけど、やっぱり人間はそういうドレスの方が好きなのか?」
「だから服の問題じゃなくて……何でそんなに覚醒したがるんだよ……?」
ヒラネの励ましから逃げるように近付いて来たセイハがシアラのドレスと自身のタキシードのような服を交互に見てから鋭時に視線を送ると、期待と興味に満ちた視線に気付いた鋭時は疲れたように呟いてから根本的な疑問を口にした。
「キミ達の目的はウラホさんだね? 未覚醒のままウラホさんと対峙するのは危険だから、鋭時君を利用しようとした」
「ああ、そうだ。ウラ姉を覚醒させた人間に出くわしたらアタシまで鬼畜中抜きに取り込まれちまうが、別のオスを見て覚醒しちまえば外道働きを押し付けるオスがいても覚醒しねえ。そこで水面の王子様で覚醒してウラ姉を探すって算段なんだ」
鋭時の疑問に答えるように店の2人の目的を看破したドクに対し、セイハは全く否定する事無く頷いてから繁殖本能の覚醒を求める理由を説明する。
「確かにウラホさんは半覚醒してるから、そういう危険もある訳か……あまり感心しないけど、そんな方法よく思い付いたもんだね」
「他に手は浮かばなかったんだ……と言いたいんだけど、考えてくれたのはヒラ姉なんだ。ヒラ姉が止めてくれなかったら、今頃アタシはひとりで飛び出してたぜ」
理由を聞き終えたドクが理解を示しつつも呆れてため息をつくと、セイハは照れ笑いしながらヒラネを親指で指し示した。
「確かウラホってジゅう人は半覚醒してるから、ミサヲさんでも力負けするほどに強くなってるんだよな……?」
「タイプスライムのアタシなら未覚醒のままでも半覚醒したウラ姉相手に力負けはしねえ。だからウラ姉を覚醒させた人間に考えが及ばなかったんだけどさ……」
ZKを駆除した証明である【破威石】を横取りしようとしたジゅう人を思い出しながら小さく疑問を口に出した鋭時にセイハはスライム体で作った腕の肘を曲げて力こぶを作るポーズを取り、スライム体を戻しつつ再度照れ笑いを浮かべて自分の人差し指で頬を掻く。
「今回ばかりはヒラネに感謝するしかないな、ウラホに続けてセイハまで敵に回す事態になった日には目も当てられなかったぜ」
「アタシもヒラ姉のアイディアには感謝してるぜ。鬼畜中抜きになんてなるくらいなら死んだ方がマシだけど、ジゅう人は覚醒させた人間の命令に逆らえないんだ。だからさ、王子様もアタシ達を助けると思って先に覚醒させてくれよ」
目の前で明るく振る舞うセイハに安堵の表情を浮かべたミサヲがヒラネに向けて親指を立てると、セイハは自分の事のように誇らしげな表情を浮かべてから鋭時に迫るように近付いた。
「だから俺だって出来るなら協力したいよ、何やら物騒な話になってるしさ……」
「ジゅう人は出逢った人間の幸せを優先するせいか、自分を覚醒させた人間の命令には本能レベルで逆らえなくなるんだ。強いて例外を挙げるなら、出逢った人間の生命が危険な時と生まれ故郷に関する事くらいかな?」
身を仰け反らせながら半歩下がる鋭時に助け舟を求められたドクは、ジゅう人と人間の特異な関係性について少し曇らせた表情を浮かべながらも淡々と説明する。
「だからあの時は……迂闊な事は言わないよう気を付けよう……ところで生まれ故郷ってのは、いったいどういう意味なんだ?」
「ジゅう人は祖国に帰る手段が無いからなのか、人は誰もが祖国で暮らすのが最も幸せって考えを持ってるのさ。特に帰化する前の第一世代は出逢った人間の祖国に憧れを強く持ったのか、文字通り命懸けで海を渡ったんだよ」
説明の中の思い当たる部分に対して自分を戒めるように呟いた鋭時が不明な部分について遠慮がちに質問すると、ドクはジゅう人のルーツを由来とする別の側面の人間との関係性を心持ち楽しそうに説明した。
「分かったよドク、ジゅう人と人間の関係がややこしいのがよく分かったぜ……」
「黙っててごめんね、えーじ君。でもワタシ達にはこうする以外に、ウラちゃんを止めに行く手段が思い浮かばなかったの」
理解の範疇を越えた情報を無理矢理飲み込むように何度も頷く鋭時に、ヒラネが申し訳なさそうに頭を下げてから覗き込むように見上げる。
「ヒラネさんを責めてる訳では……ただ、覚醒したら元に戻れなくなるのに、今の俺には何も出来ないからさ……」
「ウラちゃんの件が片付いた後はワタシもセイちゃんもえーじ君の言う事を何でも聞くし、らっぷちゃんとさなちゃんもえーじ君専用の設定に書き換えるわ。他にもワタシ達に出来る事なら何でもするから、覚醒させてもらえないかな?」
慌てて両手のひらを前に出した鋭時が目を逸らして自嘲気味に呟くと、ヒラネは自信に満ちた微笑みを浮かべつつ自分の手を胸に沈めるように当ててからセイハを手で指し示し、続けてレジカウンターの向こうに立つらっぷとさなを指し示した。
「何で数を増やすんだよ……マジックドールだって貴重だろうに……」
「ヒラ姉の持つギフトはマジックドール作りと相性がいいし魔法の知識も豊富だ、きっと王子様を満足させられるドールを作れるぜ。もちろん肝心な部分はアタシとヒラ姉で受け持つから、安心してくれよ」
覚醒させる事を断る理由がヒラネに伝わらず苦笑して頭を掻く鋭時に、セイハが片目を瞑りながらスライム体で作った手の親指を力強く立てて追い討ちをかける。
「だから俺がこれ以上覚醒させないのは……」
「ラコちゃんもギフト持ってるんですかっ!? わたし、自分以外のギフト持ちを初めて見ましたっ! わたしのは結界のギフトですけど、ラコちゃんのギフトは何ですかっ!?」
「あらあら、シアラちゃんのギフトは凄いわね。でもね、自分の持ってるギフトを簡単に人に教えちゃダメよ。どんなに強い魔法でも手の内を知られたら、いつかは対策を立てられちゃうわよ」
再度ジゅう人を覚醒させる事を拒否する理由をヒラネに説明しようとする鋭時を遮ったシアラが自分と同じく特定の魔法への天賦の才を持ったヒラネを眺めながら嬉しそうに腰のぬいぐるみをヒツジからネコに変えて和服姿に戻ると、ゆっくりとシアラの前でしゃがんだヒラネが口の前で人差し指を立てながら微笑んだ。
「わかりましたっ! じゃあラコちゃんのギフトは内緒なんですねっ!」
「そうしてもらうと助かるわ、シアラちゃん。もちろんワタシもシショクの願いに誓ってこのギフトでえーじ君や皆さんを傷つけたりはしないけど、未覚醒のままでウラちゃん探しに行ったら誓いを破ってしまうかもしれないの」
素直な子供のような明るい笑顔で返事をしたシアラに優しく微笑んだヒラネは、そのまましばらくシアラの顔を見つめてから鋭時の方へ視線を送る。
「そんなのダメですっ! 教授ぅ、ラコちゃん達に協力してあげましょうよぉ」
「俺だってそんなの見たくねえよ……だからと言って、人生を制限するような真似だって出来ないぜ……こんなのどうすりゃ正解なんだよ……」
ヒラネの言いたい事を察したシアラが今にも泣き出しそうな表情を浮かべながら見上げると、シアラの他にも多くの視線が自分に向けられていると気付いた鋭時は逃げるように視線を上に逸らしつつ頭を掻いて考えを巡らせ始めた。
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「何やらお困りのようだね鋭時お兄ちゃん、ぼくで良ければ協力しようか?」
「おぅわぁ!?……何でヒカルさんがここにいるんだ……?」
突然ヒカルにスーツの袖を引かれた鋭時は、大袈裟な仕草で驚いて身構えながら半歩下がったところで冷静さを取り戻す。
「お店は休業じゃなかったし、普通に入ってもおかしくないでしょ?」
「確かにそうだな……いらっしゃいませ、乙鳥商店へようこそ。それで、どこから聞いてやがった?」
鋭時の反応を楽しそうに眺めていたヒカルが頭の後ろで手を組みながら笑うと、セイハが適当にお辞儀してから凄むようにヒカルに顔を近付けた。
「全く雑な接客だなあ~、まあいいや。セイハお姉ちゃん達がウラホお姉ちゃんを探しに行く、って辺りからかな?」
「そこからかよ、相変わらずの地獄耳だなあ……」
全く動じる様子もなく答えるヒカルに毒気を抜かれたセイハは、スライム体で作った2本の手で大きく肩をすくめる仕草をする。
「ぼくだって伊達や酔狂でこんな耳をしてるわけじゃないからね、それでなくてもセイハお姉ちゃんの声はよく通るし」
「やっぱり杜撰な計画だったかしら?……それでヒカルちゃん、なんでワタシ達がえーじ君を見ても覚醒出来ないか知ってるのかな?」
悪びれる様子の全くないヒカルが兎のような自分の耳を指差しながら微笑むと、セイハと入れ替わるように近付いたヒラネがヒカルの前でしゃがんでから鬼気迫る雰囲気を纏って微笑んだ。
「鋭時お兄ちゃんは、ドクが発明したA因子を遮断する装置を持っているんだよ。さすがに装置を停止させる装置は出来なかったけど、鋭時お兄ちゃんにツバ付ける装置なら作ったよ」
「どういう事だヒカル? 触ると消えるから水面の王子様なんだろ? 舐める事が出来るんなら、スズナもそう呼ばないぜ?」
微笑むヒラネから逃れるように視線を逸らしながらも悪戯じみた笑みを浮かべるヒカルに、セイハが苛立ちを隠せない顔で聞き返す。
「ツバを付けるって言うのはものの例えだよ。つまるところ、ヒラネお姉ちゃんもセイハお姉ちゃんも未覚醒のままウラホお姉ちゃん捕まえに行って、ミイラ取りがミイラになるのが嫌なんだろ?」
「その通りよ。ワタシ達2人ならウラちゃんに後れを取らないけど、ウラちゃんを覚醒させた人間まで相手にするにはこっちも覚醒するしかないもの……」
押し潰すようなセイハの視線に物怖じする事無くヒカルが目的を再確認すると、ヒラネは顔を曇らせて静かに頷いた。
「だったらやっぱりこれの出番だね」
「何だこりゃ? 随分と趣味に走ったレトロなカメラだな」
ヒカルが白いサロペットの内側に組み込んだ収納術式から取り出したポラロイドカメラ型の装置を、セイハは訝しげに眺めながら尋ねる。
「このAリマインダーには、ぼくの眼鏡と同じようにA因子を計測する装置を組み込んであるんだ。これで鋭時お兄ちゃんの写真を撮ったジゅう人の女性はA因子の測定値を利用した暗示にかかって疑似覚醒状態になるから、鋭時お兄ちゃん以外の男の人を見ても覚醒しなくなるんだよ。急ぎで作ったからフィルムは2枚しか無いけど、お姉ちゃん達に売るよ」
「客が売り込みとかいい性格してるなヒカル。で、いくら欲しいんだよ?」
片手でAリマインダーを持ち、もう片方の手で自分が掛けている縁の赤い眼鏡を指差して簡単な説明をしたヒカルが収納術式からさらにカードのようなフィルムを2枚取り出すと、セイハは呆れながらも顔を近付けて興味を示した。
「今日の朝食2人分でいいよ、売るのはフィルム2枚だけでAリマインダー本体は貸すだけだから」
「2人分? ヒカルちゃんと、もうひとりは誰の分かしら?」
指を2本立てて笑みを浮かべるヒカルに、今度はヒラネが疑問を口にする。
「スズナお姉ちゃんの分だよ。昨日はスズナお姉ちゃんの部屋に泊めてもらって、これを作る手伝いもしてもらったんだよ」
「そうねぇ、スズナちゃんが手伝ってくれたのなら安心できるかしら?」
不思議そうな顔をするヒラネの質問にヒカルがAリマインダーを作製した経緯を説明しながら答えると、一転してヒラネはヒカルの発明に興味を持ち始めた。
「ふむ……測定機からアプローチして来るとは、やはりヒカルさんは侮れないな」
「えへへっ、ドクにそこまで褒められるなんてね。スズナお姉ちゃんとほぼ徹夜で頑張った甲斐があったよ」
Tダイバースコープを通じてAリマインダーの構造や機構などの分析をしながら唸るドクに、ヒカルは頭の後ろに手を回しながら嬉しそうに照れ笑いする。
「そこまでドクが言うなら今回は本物だよな、ヒラ姉?」
「ええセイちゃん、ドクの様子を見る限り今回は大丈夫そうよ」
特に警戒や注意をする事無くヒカルの発明を褒めるドクを見たセイハがヒラネに確認を取ると、ヒラネも確信を得たように大きく頷いた。
「ひどい言われようだなあ、ぼくはいつも本物しか作ってないだろう?」
「うふふ、ごめんなさいねヒカルちゃん。そのカメラのフィルムはワタシ達の方で買い取らせてもらうわ。でも安すぎないかしら? ヒカルちゃんもスズナちゃんもそんなに食べないでしょう?」
ようやく発明品の信頼を得て不満そうな表情を浮かべるヒカルの前にしゃがんだヒラネが優しく微笑みつつも、納得がいかない様子で眉をひそめる。
「いいんだよ。ヒラネお姉ちゃんやセイハお姉ちゃんまでここからいなくなったら淋しいもの。だからさ、早くAリマインダーで疑似覚醒してよ」
「珍しく殊勝な心掛けじゃないかヒカル。でも、あたし達の目は誤魔化せねえぜ。本当の目的は何なんだ?」
無邪気な笑顔を浮かべたヒカルがヒラネにAリマインダーを手渡そうとするが、直前でミサヲに背中から抱え上げられたヒカルの身体が宙に浮いた。