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第22話【誠意ある打算】

午後からの訓練として街を散策する前に昼食を取った鋭時(えいじ)達だが、

散策を鋭時(えいじ)とのデートと捉えるシアラは同席したスズナも誘い始めた。

「おーいシアラさん、突然何を言い出すのかなー?」

「ほえ? スズにゃんも教授が好きなんですし、いいじゃないですかっ!」

「いい訳が……いや……これ、どうすりゃいいんだ……?」

 引きつった笑顔で質問した鋭時(えいじ)だがシアラに満面の笑顔で返され、鋭時(えいじ)はさらに苦言を呈そうとしながらも考え込んでしまう。


「えーじしゃま……何も言わずにシアラちゃんとのデートを楽しんでください」

「いや、スズナさん……そもそもデートじゃないんだ。昨日あれから色々とあって記憶の手掛かりを探しに街を回る事になったんだ……」

 服の後ろに開けた穴から伸ばした2本の尻尾を力なく下げながらも精いっぱいの笑顔を向けて来たスズナに、鋭時(えいじ)は慎重に言葉を選んで説明を試みる。

「旦那様の仰る通りです、スズナ様。そして(ワタクシ)がドクターから旦那様の案内役を仰せつかっております」

「そうにゃんですか、えーじしゃまの記憶が戻るといいですね……」

 鋭時(えいじ)の言葉を裏付けるようにチセリが微笑むと、スズナは猫のような耳と尻尾を一瞬ピクッと立ててから静かに下げて顔も沈めた。


「よろしければスズナ様もご一緒いただけますでしょうか? もし旦那様が重要な記憶を戻された時に、お医者様が傍に居らっしゃると心強いですから」

「いいんですか!? でもえーじしゃまが(にゃん)て言うか……」

 散策の同行を提案して来たチセリに対しまたしても耳と尻尾を立てたスズナは、鋭時(えいじ)の方を向いて尻尾の先端同士をもじもじと合わせながら耳を下げる。

「それならご心配には及びません。旦那様は逢瀬に何人も誘うような不義理を嫌うだけで、掃除屋の訓練には真面目に向き合うお方ですので」

「それにゃらわたくしが着いて行ってもいいんですね!?」

 鋭時(えいじ)が同行を渋る理由を代弁するかのようにチセリが微笑みながら説明すると、スズナは身を乗り出さんばかりにテーブルに両手をつきながら期待に満ちた表情を浮かべた。


「あー……スズナさん、迷惑じゃないなら訓練に協力お願いできますか?」

「はい、よろしくお願いします!」

 チセリの気遣いを察して遠慮がちに同行を頼んで来た鋭時(えいじ)にスズナは耳と尻尾をこれ以上ない程に立てながら満面の笑みで頷き、2人の間でやり取りを聞いていたシアラも満面の笑みを浮かべて立ち上がりながらスズナの手を握る。

「やったーっ! これでスズにゃんも教授とデートできますねっ!」

「だから訓練だって言ってるだろ……いや、こいつが訓練になるのは(おれ)だけか……そうなると逆に付き合ってもらうのは申し訳ないような……」

 興奮冷めやらぬシアラとスズナを見ながらため息をつく鋭時(えいじ)だが、ここで訓練を必要とするのが自分のみであると気付いて静かに考え込んでしまった。


「どうかいたしましたか旦那様? 他に要望がありましたら、何なりとお申し付けくださいませ」

「その、チセリさん……スズナさんを除け者にしないように配慮してくれた事には感謝してるけどさ、(おれ)の都合でチセリさんにこれ以上迷惑掛ける訳には……」

 考え込んでいた鋭時(えいじ)は席を立って近付いて来たチセリに対し、遠慮がちに自身の懸念を明かす。

「よろしいではありませんか、若奥様もスズナ様も旦那様をお慕いしているのですから」

「そうですっ、教授っ! シショクの願いに誓ったわたしは、もう絶対に教授から離れませんからっ!」

 思い詰めた表情の鋭時(えいじ)を受け入れるかのようにチセリが優しく微笑むと、通路を挟んで隣に座っていたシアラが鋭時(えいじ)の顔を覗き込むように身を乗り出した。


「わ、わたくしもシ、シショクの願いに誓ってえーじしゃまをお助けしみゃっ……ふみゃぁ、やっぱり恥ずかしいです……」

「そういやスズナは小さい頃にごっこ遊びしてても、誓いの言葉を口に出した事はなかったよな」

 積極的なシアラに感化されたのか慌てて声を上げたスズナの舌がもつれて言葉が途中で止まってしまい、恥ずかしそうに下げた頭と耳をミサヲが優しく撫でる。

「子供の頃は人間と出逢うにゃんて分不相応にゃ夢と思ってましたから、例え遊びでも誓いの言葉だけは口に出せんでしたの……でも、これで人間のお役に立つ事が出来ます……」

 ミサヲの手に軽く頬擦りしたスズナは、嬉しそうに目を細めて鋭時(えいじ)を見つめた。


「もうスズナさんには充分助けてもらってるんだ……どうしてそこまで……?」

「スズナの両親はどちらもジゅう人だから、どうしても負い目を感じてたのさ」

 体内に組み込まれていた分子分解術式を見付けてくれた命の恩人の思わぬ言葉を理解出来ずに戸惑う鋭時(えいじ)に、ミサヲが軽く理由を説明する。

「それわかりますっ、わたしも同じですからっ!」

「どういう事だ……? ジゅう人の男女が結婚するのは普通じゃないのか……?」

 ミサヲの手に頬を寄せながら目を細めるスズナの方を向いたシアラが嬉しそうに頷くと、鋭時(えいじ)はシアラとスズナを交互に見ながら静かに疑問を呟いた。


「本来順位なんて無いんだけどさ……ジゅう人にとっては性別を問わず人間同士のパートナーが最大の庇護対象で、次が人間とジゅう人の夫婦……って本能的に優先順位を付けちまうんだ」

「そして、既に結ばれている人間同士よりも独り身の殿方に目が行ってしまうのもジゅう人の本能でございます」

 鋭時(えいじ)の疑問にミサヲが頭を掻きながら答え、同意するように頷くチセリも小さく舌なめずりしながら鋭時(えいじ)に視線を向ける。

「へ、へえ……そうなんだ……でもジゅう人より人間を優先するなんて、やっぱり不思議だな……」

「ジゅう人同士だと、どの種別が産まれるのか分からない事もあって出産するのは1人くらいなんだけど、人間が相手だとジゅう人は同じ種別が産まれるから準備もしやすいし、2人目3人目といくらでも産めるんだ」

 チセリの視線から逃げるように目を逸らしながら頭を掻いた鋭時(えいじ)を見ながら肩をすくめたドクが、ジゅう人が人間を優先して選ぶ理由を説明した。


「そういやジゅう人にとって繁殖は最優先の目的だって言ってたな……」

「まあそういう事だ。だからジゅう人のメスは人間との繁殖を優先に考えるんだ、ジゅう人同士の間から産まれたジゅう人は特にね」

 ドクの説明を聞いてジゅう人の習性を思い出した鋭時(えいじ)にミサヲは力強く頷いて、自分の腕にしがみ付くスズナに優しい眼差しを向ける。

「何となく理由は分かったけど、やっぱり何か申し訳ない気にもなるな……」

「政府としてもパートナーを得て覚醒したジゅう人の女性はZK(ズィーク)駆除の貴重な戦力だったし、国民が世帯主になって人口が増えたら負担になるどころか経済も回って税収も増えたんだ。だから人間の男と女性ジゅう人の結婚は歓迎されたし、複数の女性ジゅう人と関係を持つ事も黙認して来たんだ」

 納得しながらも複雑な表情を鋭時(えいじ)が浮かべると、ドクはジゅう人に対する政府の認識を簡単に説明した。


「どうしてそんな?……そうか!【大異変】で人口が大きく減ったのか!」

「その上、既存の少子化対策はジゅう人に不評だったんだ。だからステ=イション型居住区では【大異変】前の政治システムで最も出生率を上げた為政者を参考に、国民の金銭面と就職面のサポートを充実させたんだよ」

 ジゅう人に関する政策への疑問の答を自ら導き出した鋭時(えいじ)に、ドクも頷きながら異世界から転移して来た第一世代のジゅう人達が要望した政策の説明をする。

「そっち方面は関わりが薄かったからか記憶が曖昧なんだけど、覚えてる限りでは随分と大胆な方向転換をしたもんだ」

「恋愛や結婚は兎角金を食うからね、金銭面の不安が無くなればハードルも下がるのさ。それでなくとも今の社会において金は、信用や信頼を数値化してるものでもあるからね」

 同じ言葉でありながら自分の記憶と全く異なる方針に鋭時(えいじ)が驚き呆れていると、ドクは小さくため息をついてから遠い目をして肩をすくめた。


「ああ何となく分かるぜ、将来の心配が軽減されるだけで気が軽くなるよ……」

「そうだよ鋭時(えいじ)くん、その調子であの()達を幸せにしてやるんだよ」

 ドクに同意するように頷いてから呟く鋭時(えいじ)に、後ろにいたマキナが励ますように声を掛ける。

「でもさ……いくら年齢は大人とはいえ、さすがに犯罪的な絵面でしょ……」

「そんな事無いわよ。あたしも宜洋(たかひろ)さんに出逢う前はシアラちゃんやスズナちゃん程の子狐だったんだけど、最初の子供を授かった頃には今の身体になってたのよ。最初は戸惑うかもしれないけど、あの()達の好きなようにさせておやり」

 楽しそうに微笑んで会話をするシアラとスズナを見ながら鋭時(えいじ)がこめかみ辺りを掻いて苦笑すると、マキナは胸に手を当て鋭時(えいじ)の心配を払拭するように微笑んだ。


「好きなようにって……そりゃ今までの話を額面通りに受け取れば、そうするしか無いんだろうけどさ……」

「そりゃそうよ。あたしの初めても気付いた時には宜洋(たかひろ)さんに跨っていてねぇ……タイプ妖狐に化ける能力なんて無いはずなのに、へそから下がダイオウイカにでも化けちまったかと……」

 マキナの手の先で微かに揺れる割烹着を押し上げる大きな膨らみから目を逸らすように(うつむ)きつつ頭を掻く鋭時(えいじ)にマキナが嬉しそうに思い出話を始めるが、ミサヲの咳払いがそれを止める。

「わりいなマキナ母さん、その話はまた今度に頼むよ。スズナにはちょっと刺激が強すぎるぜ」

「あらそうかい? 今度ゆっくり話しましょうね、今日は楽しんでらっしゃい」

 赤く染めた顔を沈めつつも一言一句全てを聞き逃すまいと毛まで逆立てて意識を集中した耳を左右に(せわ)しなく動かすスズナを指差したミサヲに、マキナは口に手を当てて恥ずかしそうに微笑んでから優しい眼差しをスズナに向けた。


「マキナ様、支払いは(ワタクシ)の方で」

「待ってくれチセリさん、(おれ)とシアラの分を払うだけの金は持ってるぜ」

 会話がひと段落したタイミングを見計らって肩から掛けたポシェットの中に手を伸ばすチセリに気付いた鋭時(えいじ)は、慌てて立ち上がって財布を取り出す。

「当面の旦那様と若奥様の生活費は(ワタクシ)の方でお出しします。そのお財布のお金はこれからの生活に必要なものを買うのにお使いくださいませ」

「いくらなんでも悪いぜ、(おれ)にそこまでしてもらう理由が……まさか、昨日ここで(おれ)を見て覚醒しちまったから……」

 眼鏡の蔓に手を掛けながらチセリが事務的に話すと、困惑して頭を掻いた鋭時(えいじ)は唯一の心当たりに気付いて複雑な表情で肩を落とす。


「出逢えた殿方に誠心誠意尽くす事こそが(ワタクシ)の役割ですので、その通りなのかもしれません。ですが繁殖本能が覚醒しても分別まで変わる事はございませんから、粉う方なき(ワタクシ)の本心でもございますので」

「えー……っと、つまりどういう事だ? って、あ……」

 事務的な表情から一転して微笑んだチセリの言葉の意味を鋭時(えいじ)が考え込んでいる間に、チセリは会計のためにマキナと共に店の入り口付近へ向かってしまう。

「そのうち慣れるさ、鋭時(えいじ)君。むしろ慣れるまで猶予がある分、ありがたい話だと思うよ?」

「さっきの話を聞く限りだとそうだよな……この先どう折り合い付けるにしても、まずは生活の手段を身に付けないと……頼りっぱなしはさすがに悪いぜ……」

 呆然として2人を見送った鋭時(えいじ)は、肩をすくめて微笑むドクに同意しながら頭を掻いて小さくため息をついた。


「ドクはこれからどうすんだい? まさか着いて来るなんて野暮言わないよな?」

「野暮用があるからボクはここで失礼するよ、レーコさんも待たせてるからね」

 スズナと手をつなぎながら席を立って話し掛けて来たミサヲに対し、ドクも席を立ってから軽く手を振る。

「野暮用? そういやレーコさんを見ないと思ったら……どこ行かせたんだよ?」

「署長さんの所だよ、今頃は上機嫌で会話を楽しんでる頃だろうからね」

 ドクの周囲を軽く見回したミサヲが威嚇するように上から睨み付けるが、ドクは悪戯を隠すような笑顔で食堂のどこにもいない人造幽霊の所在を明かした。


「おいドク、いったいどんな悪巧みをしてんだ? 儲け話なら一枚噛ませろよ」

「今回はミサヲさんにも分かるシンプルな話だ。纏まった時にはミサヲさんや他の同業者の協力が必要になるから、今のうちに根回ししとくよ」

 ドクの態度に俄然興味の湧いたミサヲが顔を近付けながら耳打ちすると、白衣のような黒服のポケットに手を入れたドクが涼しい顔で答える。

「へぇ……そいつはまた随分大きな荒事になりそうだねえ。楽しみにしてるぜ」

「ああ、ご期待に沿えるよう努力するよ」

 肩透かしを食ったような顔をしながらも期待に胸を膨らませるミサヲに、ドクも信頼を寄せた笑顔を返してから店を出た。


「ミサヲお嬢様。出来れば(ワタクシ)達にご同行いただきたいのですが、お願い出来ますでしょうか?」

「別に気を使わなくていいぜ? あたしなら訓練でもして時間潰すからさ」

 会計を終えてすれ違いざまにドクを見送りつつ微笑んで来たチセリに、ミサヲは照れくさそうに頭を掻いて足元に目を向ける。

「気など使っていませんよ、旧市街区で何かと顔の広いミサヲお嬢様が一緒ですと心強いですので。それに、もう少しご自分の心に素直になられてもよろしいかと」

「自分に素直に、ね……分かった、あたしも行くぜ!」

 目を閉じたチセリが静かに首を横に振ると、ミサヲは腕組みして少し考えてから大きく頷いた。


「ありがとうございますミサヲお嬢様、では参りましょうか?」

「任せろ! 護衛兼お世話係って事で可愛い妹達の面倒をまとめて見てやるぜ!」

「うわわっ!?」「ふみゃあ!?」

 丁寧な仕草でチセリがお辞儀をするや否やミサヲはシアラとスズナを両脇に抱え出し、急に体の浮き上がった2人は同時に驚きの声を上げる。

「結局気を使わせてしまいましたか……全く素直じゃございませんね……」

 意気揚々と店を出たミサヲを眺めながらチセリが小さくため息をつくと、呆然と成り行きを見ていた鋭時(えいじ)に顔を向けた。


「若奥様とスズナ様でしたら心配はいらないかと、では旦那様も参りましょうか」

「……さすがにこの展開には(おれ)も慣れたからな……よろしく頼むよ、チセリさん。それで今日はどんな所を回る予定なんだ?」

 チセリに声を掛けられて我に返った鋭時(えいじ)は、頭を掻きながら予定を確認する。

「本日は旦那様と若奥様の日用品を揃えようと思いまして」

「日用品か……生活術式ならアーカイブロッドにひと通り揃ってるけど、他に何か買うものあったかな……?」

 嬉しそうに尻尾を左右に振りながらも真面目な顔付きでチセリが眼鏡の蔓に手を当てると、鋭時(えいじ)はスーツの袖に目を向けて首を傾げた。


「まずお二方の食器を買いたいと考えています、(ワタクシ)もそろそろ旦那様と若奥様にお料理を振る舞いたいですから」

「そ、それはどうも……まあ確かに三食外食ってわけにもいかないものな……」

 尻尾の動きを裏打ちするようなチセリの笑顔に、鋭時(えいじ)は戸惑いながらも納得して呟きながら頷く。

「あら? うちは毎食でも大歓迎するわよ?」

「おわっ!?……っとマキナさんか……えーっと、なんて言うか……」

 いつの間にか戻って来ていたマキナに横から声を掛けてられて大袈裟に驚いた鋭時(えいじ)は、ホッと胸を撫で下ろしながらも言葉に詰まってしまう。


「分かってるわよ、チセリちゃん達の楽しみを奪うなんて野暮は言わないからさ。シアラちゃん達を待たせるのも悪いし、早く行っておやり。次のお越しを待ってるからね、いってらっしゃい」

「はい、行ってまいります」

「え? あ、えーと……ごちそうさまでした、行ってきます」

 冗談だと示すように手を振ってから優しく微笑むマキナにチセリが丁寧な仕草でお辞儀をしてから外へ向かうと、続いて鋭時(えいじ)も軽く会釈してから店を出た。



「あっ、教授ーっ!」

「おっと、さすがに押さえとくのは無理か……スズナは行かなくていいのか?」

 店から出て来た鋭時(えいじ)を見た瞬間に腕をすり抜けたシアラを呆気に取られた表情で見送ったミサヲは、もう片方の腕に留まったままのスズナに優しく微笑みかける。

「お傍に行きたいのはやまやまですけど、わたくしには医者としてえーじしゃまの安全を確保する役目が……ふみゃあ!?」

「今は夜勤明けでプライベートなんだろ? 我慢しなくていいんだぜ? あたしとチセリもフォローするから行って来いよ」

「ありがとうございます、みしゃお姉しゃま」

 医者という役割を自分に言い聞かせるように(うつむ)いて答えるスズナの頭をミサヲが優しく撫で、スズナは驚きながらも喜んで鋭時(えいじ)の元へと走って行った。


「えーじしゃま、こちら側よろしいでしょうか?」

(……こんなの断りようが無いだろ……)

「ああどうぞ。その……あまり近付き過ぎると体が勝手に何しでかすか分からねえから、それだけは気を付けてくれねえか?」

「はい! よろしくお願いします、えーじしゃま!」

 心の中で吐いた愚痴を滲ませるような難しい表情を浮かべてしまった鋭時(えいじ)だが、気遣いの言葉のみを聞いていたスズナは嬉しそうに空いた方の袖に掴みかかる。

「よかったですねっ、スズにゃん! わたし、教授に出逢えて幸せですっ!」

「この状況で使う言葉か……? って、今さら考えても仕方ないか……」

 目を細めてスーツの袖を掴んだスズナにシアラが自分の事のように喜び、両腕を塞がれた鋭時(えいじ)は諦めるように小さくため息をついた。


「それでは旦那様、(ワタクシ)が道案内をしますので前を失礼しますね」

「あ、ああよろしくお願いするよ……」

 嬉しそうに尻尾を振りながら先頭まで移動したチセリに、両腕を塞がれた鋭時(えいじ)は軽く会釈だけを返す。

「ところでチセリ、今日はこの中を案内するんじゃないのか?」

「旦那様には先に説明をしましたが、本日は旦那様と若奥様の日用品を揃えがてら街を案内しようと思っております。凍鴉楼(とうあろう)の中に関しましてはマキナ様のお店と、こちらの商店を覚えていただけば当面の生活に支障はないかと」

 凍鴉楼(とうあろう)の正面玄関まで向かおうとするところをミサヲに呼び止められたチセリが立ち止まって振り向き、正面玄関から入って右側面に位置する店に手を向けた。


「こちらのお店では食料品やお酒を含めた飲み物などを扱っておりますので、家でお食事をする際にご利用いただけるかと。似たようなお店が他の階にもございますので、お時間のある時に回ってみるのもよろしいかと思います」

「確かに他は掃除屋向けの武器やら術具を扱う店がほとんどだし、機会が出来たら案内するって形になるか……」

 微笑みながら説明を終えたチセリに、ミサヲは大きく頷いてから頭を掻く。

「確か昨日ドクが、対ZK(ズィーク)用の武器を持つには許可がいるって言ってたな……」

「そうだぜ鋭時(えいじ)、掃除屋の武器を買うには改正銃刀法で色々と制限されてるんだ。自作するかドクみたいな技術屋連中に頼むって手もあるにはあるけどな」

 チセリとミサヲの会話を間で聞いていた鋭時(えいじ)が、試験前にドクから聞いた武器に関する説明を思い出していると、ミサヲは大きく頷きながらミセリコルデの入ったガンケースを担ぐ肩を指差した。


「なるほど……だからドクは(おれ)が独学で掃除屋を目指す場合は、対ZK(ズィーク)用の武器の入手が不可能って言ってたのか……」

「居住区ならZK(ズィーク)の脅威は無いし、いざとなってもジゅう人が人間を守るからな。いくら人間に頼まれても対ZK(ズィーク)用の武器を作るジゅう人はいないし、だーくめさんだって購入許可を出してくれないぜ」

 ミサヲの方へ振り向いてからすぐに前を向き直して考え込んだ鋭時(えいじ)に、ミサヲはステ=イションにおける人間の立場を説明しながら静かに首を横に振る。

「確かにそうだろうな……ドクが試験してくれなかったら誰に何をどう頼めばすら分からなかっただろうし、術式に頼るしかなかったな……」

「そしたら鋭時(えいじ)は【遺跡】で魔力を使い果たして灰になる、って訳か……まったくドクの先読みには恐れ入るぜ、合格は想定外だけどな」

 前髪を払おうと少し上を向いてから戻した鋭時(えいじ)が自身の選択肢の狭さを痛感してため息をつくと、ミサヲも頭を掻きながら同意しつつも複雑な表情を浮かべた。


「そんな事ないですよっ! マーくんは才能が無ければ試験には合格できないって言ってましたっ、つまり教授には才能があったんですっ!」

「それは買い被り過ぎだぜシアラ。まぐれは言い過ぎにしても、ここに来るまでに合格出来る術式のヒントを見付けられたのは全くの偶然だ。運が良いのか悪いのか分からないけどさ」

 試験結果に不服な様子のミサヲに反論してからスーツの袖を掴んで満面の笑みを浮かべたシアラに、鋭時(えいじ)は自らを取り巻く偶然に呆れながら複雑な表情を返す。

「今は偶然でもよろしいではありませんか、旦那様。これからの訓練でドクターが旦那様の才能の有無を判断するのですから、まずは散策を楽しんでくださいませ」

「そ、そうだな……よろしく頼むよ……」

 前を向いたまま丁寧な言葉遣いではあるものの、毛を逆立てて膨らませた尻尾を真っ直ぐ上に立てるチセリに気付いた鋭時(えいじ)は息を呑んで小さく頷いた。


「かしこまりました旦那様、それでは皆様も参りましょうか」

「はーいっ! よろしくお願いしますねっ、チセりん!」

「だからそんなに引っ張るなよシアラ、スズナさんも困るだろ」

「わたくしなら大丈夫です、シアラちゃんに合わせるのは楽しいですから」

「やれやれ……いつになく張り切ってやがるな、大丈夫なのか?」

 逆立った毛を元に戻した尻尾を嬉しそうに振りながら凍鴉楼(とうあろう)の出口へと向かったチセリにシアラが元気よく返事をしながら鋭時(えいじ)を引っ張るようにして歩き出すと、最後尾のミサヲは心配そうに頭を掻きながら前を歩く4人の後を追った。



 凍鴉楼(とうあろう)を出た一行はそのまま旧市街区を抜け、高層建築物の並ぶ外周区まで移動してから壁の各所にレンガ色のタイルが貼られたビルの前に到着した。


「このビルが目的地……?」

「旧市街区の方が工場にも近くて珍しい品物も多いのですが、いささか入り組んでおりまして……それで旦那様が訪れたと思われる場所、つまりロジネル型居住区の関係者が立ち寄る建物を回ってみようと思い、こちらへ案内しました。こちらには普段使いの飾らない商品を扱うお店もありますから、きっと若奥様にも気に入っていただけるかと思います」

 不思議そうな顔でビルを見上げる鋭時(えいじ)に、やや早口で捲し立てるようにチセリが目の前のビルを目的地に選んだ理由を説明する。

「ここにチセリのお気に入りの店があるんだろ? 親父に聞いた事があるぜ、夢が叶って良かったな」

「そのような事は……(ワタクシ)は旦那様と若奥様にも気に入っていただきたく……」

 横から突然ミサヲに種明かしされたチセリは、恥ずかしそうに耳を伏せながらも嬉しそうに尻尾を左右に振り続けた。


「いいお店を紹介していただいてありがとうございますっ、チセりんっ! それで教授っ、何か思い出せましたかっ!?」

「すまないシアラ……このビルに来るまで道を覚えがてら色々な所を見たんだが、さっぱり出て来ないんだ」

 満面の笑みを浮かべてチセリに礼を述べた勢いで顔を覗き込んで来たシアラに、鋭時(えいじ)は視線を避けるように上を向いてから静かに首を横に振る。

「ロジネル型居住区の方が多く立ち寄るはずなのに駄目でしたか、これは益々謎が深まりましたね……きゃん!?」

 鋭時(えいじ)とシアラのやり取りを聞いたチセリが難解な事件に挑む面持ちで眼鏡の蔓を持つが、後ろからミサヲにモブキャップごと頭を撫でられて悲鳴ともつかない声を上げた。


「こらチセリ、探偵小説の読み過ぎだ。物語みたいな事件なんてまず起きないし、起きたら起きたであたしが力を貸すから、今は案内に集中してくれよ」

(ワタクシ)とした事が、つい……それでは旦那様、若奥様、お店に参りましょうか」

 頭から手を離しつつ呆れ気味に耳打ちをしたミサヲに、チセリは小さく咳払いをしてからビルへと入って行った。



「スズナ様、旦那様の袖を掴んだ手と反対の手で(ワタクシ)の手を握ってくださいませ。ミサヲお嬢様は若奥様とお願いします」

 ビルに入って金属板の埋め込まれた壁の前に立ったチセリは、スズナとミサヲに指示を出しながらパネルの操作を始める。

「こ、こうですか? 管理人さん……」

「チセリ、こっちはオッケーだぜ」

「ありがとうございます、それでは行きますね」

 緊張気味に手を伸ばしたスズナと嬉しそうにシアラの肩へと手を回したミサヲを確認したチセリは、そのままテレポートエレベーターのパネルを操作した。



「おっと……まさか5人同時に移動できるなんてな……」

凍鴉楼(とうあろう)のテレポートエレベーターは初期型ですのでこうはいきませんが、新しく出来た建物に使われているものは効果範囲も広いので、体が何かで触れ合ってさえいれば同時移動も可能となっております」

 唐突に目の前の景色が変わる移動には慣れつつも大人数の同時移動に驚き呆れる鋭時(えいじ)に、丁寧にお辞儀をしたチセリが廊下の先に何度も視線を向けながら大まかに説明する。

「そうなのか……それでここの階にチセリさんのお勧めの店があるんだね?」

「はい! こちらでございます!」

 同時移動できた理由に納得しつつチセリの視線が向かった先に鋭時(えいじ)が気付くと、嬉しそうにお辞儀をして食器や調理器具などの並んだ店に手を差し向けたチセリが足取り軽く歩いて行き、後を着いて行った鋭時(えいじ)達も自然と各自の見たいものを見る流れとなって店内で一時解散となった。



(力任せに押し切るには重さが必要か……こういう引き切る形状を作れたら……)

「旦那様? 先ほどから包丁ばかり眺めているようですが、どうなさいました?」

「すまない……気が付くと、どう最終試験を突破するかばかり考えちまって……」

 数多くの包丁が並んだ棚の前でしばらく考え込んでいた鋭時(えいじ)は、静かに近付いて来たチセリに気付いて恥ずかしそうに頭を掻く。

「本来仕事は手段であって目的では無いはずですが、それでも真面目に向き合っていつの間にか天職に出来てしまうのも旦那様のお人柄なのでしょうね」

「天職か……確かにドクみたいな人が教えてくれれば、どんな仕事でも出来そうな気はするよ。まあ、拒絶回避をどうにかしてからの話になるけどな」

 常に仕事を考える鋭時(えいじ)の不器用な真面目さを包み込むようにチセリが微笑むと、鋭時(えいじ)(うつむ)いてしばし考えてから再度恥ずかしそうに頭を掻いた。


「そのための掃除屋でしたね、(ワタクシ)も出来る限り協力いたします。では、そろそろ本題の買い物に参りましょうか」

「そうだったな……とは言え、どんなのを選べばいいのか……」

 胸に手を当てながら微笑むチセリの言葉で本来の目的を思い出した鋭時(えいじ)は、頭を掻きながら目の前の包丁より何倍も広い食器コーナーの棚の方へ目を向ける。

「ある程度は若奥様と選びましたのでご心配には及びません。あとは旦那様に見ていただこうと思いまして、お呼びに参りました」

(おれ)が考え事してる間にそこまで……待たせるのも悪いし、今すぐ行くよ」

「かしこまりました、ではこちらです」

 嬉しそうな笑みを浮かべながら軽くお辞儀をしたチセリに頷いて返した鋭時(えいじ)は、そのまま案内を始めたチセリの後を着いて行った。


「教授ーっ、こっちですよーっ」

「任せっきりで悪かったよ、それで(おれ)のは……落ち着いた感じでいいじゃないか、気に入ったぜ。でも何で3人分あるんだ……?」

 食器コーナーの前で控え目に手を振ったシアラに近付いた鋭時(えいじ)はカートに入った紺を基調とした茶碗や湯呑み等を見て感心するが、桜色を基調とした茶碗に加えてパステルイエローの茶碗も目に入って不思議そうな顔をする。

「わ、わたくしの分も買うようにと、管理人さんから言われて……」

「はい、(ワタクシ)から頼みました。さすがに引っ越すのはまだ早いですが、これからは通う機会も多くなるでしょうし」

 カートの裏に隠れるように立っていたスズナが恐る恐る鋭時(えいじ)の疑問に答えると、それを補足するようにチセリがスズナを庇うように立ちながら微笑んだ。


「あー……そういう事だったのか、何て言うか色々面倒を掛けてすまない。ここは(おれ)が払いますよ」

「いえ、こちらの支払いも(ワタクシ)の方でいたします。よろしいですね、旦那様?」

 今後のスズナの立ち位置に考えを巡らせて状況を理解した鋭時(えいじ)が慌ててポケットから財布を取り出そうとするが、チセリが強い口調でそれを遮る。

「さすがにこれ以上は悪いと思うんだけど、断っても聞いてくれないよな……? 拒絶回避なんてものが無けりゃ(おれ)は今頃……」

「今頃は若奥様達に囲まれていて、旦那様は凍鴉楼(とうあろう)から一歩も外に出られなかったでしょう」

 またしても自腹を切り損ねた鋭時(えいじ)が社会に適応出来ない自分の身体を忌々し気に見つめると、チセリがシアラとスズナを順に見てから楽しそうに微笑んだ。


「何だか余計情けないな……ここに来てからは助けられてばかりで、(おれ)はまだ何も出来ちゃいない……」

「そんな事ありませんっ、教授はスズにゃんやチセりんをあんなにも笑顔にしてるじゃないですかっ」

 目の前に突き付けられた現実に遠い目をして(うつむ)鋭時(えいじ)に近付いて来たシアラが、そのまま鋭時(えいじ)のスーツの袖を掴みながら顔を覗き込むように見上げる。

「若奥様の仰る通りです。それに、人間の近くに寄る以外に人間の手助けをすれば男性ジゅう人のN因子が活性化すると言われております。ここは凍鴉楼(とうあろう)の住人達を助けると思って、凍鴉楼(とうあろう)を代表する(ワタクシ)に助けられてくださいませ」

「助けると思って、か……ここに来る前はロクな目に遭わなかった気もするけど、ここなら大丈夫だよな……分かった、出来る範囲で期待に応えるよ……」

 同族同士の繁殖という打算に満ちたチセリの申し出に心なしか安堵した鋭時(えいじ)は、頭を掻きながらチセリ達の誠意に報いる覚悟を決めた。


「どうやらチセリと話はついたようだな、鋭時(えいじ)。荷物持ちはあたしに任せてくれ。次はどこに行きたいんだ?」

「じゃあパジャマを見に行ってもいいですかっ? せっかく教授に出逢えたのに、ひとりで結界服を着て寝るのはちょっと切なくて……」

 3人分の食器を入れたカートを押して会計に向かったチセリを眺めながら鋭時(えいじ)に話し掛けて来たミサヲに、隣で聞いていたシアラが手を口に当てて恥ずかしそうな顔で答える。


(そういやひとつ寝室用とか言ってたな……意味は想像したくないけどさ……)

「お疲れさんチセリ、シアラがパジャマを見たいそうなんだ。詳しい話を聞いてやってくんねえか?」

「かしこまりました、それでは若奥様のご要望をお聞かせください」

「それではいいですか……」

 シアラの言葉を聞いて額に手を当てながら鋭時(えいじ)が考え事をしていると、会計から戻ったチセリに優しく微笑み掛けられたシアラが嬉しさを全く隠す様子もなく次の行き先を耳打ちしてから移動を開始した。

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