第21話【必然の追加】
鋭時の記憶を探す街の散策を前に昼食を取る事に決まり、
一抹の不安を覚えながら鋭時は訓練室を後にした。
「昼はマキナ母さんの所でいいだろ?」
「そうだね、さっきチセリさんからも食事はどこか外で取るよう連絡があったよ」
廊下に出て大きく伸びをしながら聞いて来たミサヲに頷いたドクは、懐から携帯端末を取り出しながら訓練室の扉を閉める。
「チセリから? そういや連絡すんのを忘れてたけど、チセリが飯を作らないなんて珍しいな」
「仕方ないと思うよ。店には今、来客用の湯呑みとカップ以外はミサヲさんの食器しか無いからね」
不思議そうな顔でミサヲが首を傾げると、ドクは静かに首を横に振ってから肩をすくめた。
「じゃあしょうがないな……って、何でドクがうちの食器を把握してんだよ?」
「それもチセリさんからの連絡からだよ、多分ミサヲさんの携帯端末の中にも同じメッセージが入ってると思うよ」
理由を聞いて納得しそうになるが、はたと気付いて問い質すミサヲにドクが携帯端末を見せるように顔の前に持ち上げつつ答え、ミサヲはジャンパーのポケットに手を入れる。
「どれどれ……確かに入ってんな、どうせならチセリも誘うか? シアラと鋭時もそれでいいだろ?」
「もちろん賛成ですっ、チセりんと話したい事はたくさんありますからっ!」
「チセリさんが迷惑でないなら俺は構いませんよ、シアラも喜ぶだろうし」
携帯端末を取り出しながら確認して来たミサヲの提案をシアラと鋭時が快く受け入れると、ミサヲは携帯端末を操作して耳に当てた。
「よーっし決まりだ……あ、もしもしチセリか? 今から昼飯食うんだけど一緒にどうだ?……もちろん鋭時も来るぜ……」
「携帯端末って便利そうですねっ、教授っ。今度わたし達も買いましょうか?」
「それもそうだな……俺も持ってなかったし。これからここに住むなら必要になるだろうから、考えとくか……」
端末の先にいるチセリと楽しそうに話すミサヲを眺めていたシアラがこっそりと鋭時のスーツの袖を掴んで引き、鋭時は【大異変】以前に普及していた携帯電話の機能を魔法科学で大幅に進化させた機器に関する記憶を思い出しつつ呟いた。
「……じゃあマキナ母さんの所で待っててくれ。話はついたよ、チセリも来るぜ。午後はそのままデートに突入だな、ついでにあたしが子供の頃にお袋達から聞いたオススメスポットも教えてやろうか?」
「だからデートじゃなくて訓練です、それにスポットって何ですか……?」
通話を終えたミサヲのからかうような質問に、鋭時は額に手を当てながら疲れた様子で聞き返す。
「ん? メスとオスが物陰に入ったら、やる事はひとつだろ? と言っても親父は警察署長だったから、お袋達もあまり使わなかったらしいけどさ」
「それいいですねっ! ぜひ教えてくださいっ!」
質問の意味を理解出来ない様子のミサヲが頭を掻きながらさも当然の如く用途を説明すると、突然シアラが目の色を変えてミサヲに食い付くように近付いた。
「おーいシアラさん、拒絶回避が無くても俺はそんな犯罪じみた事しないからね」
「いいじゃないですか教授ぅ、ちゃんと結界張りますからぁ」
興奮するシアラの様子でようやくミサヲの言葉の意味を理解した鋭時が額に手を当てつつ首を横に振るが、シアラは腰に付けたネコのぬいぐるみに手を当てながら甘えるような口調で反論する。
「あのな……人避けの結界をそんな事に使うんじゃないの」
「教授が他のみなさんに見られたいのなら、わたしも従いますよっ!」
「だからそういう事じゃなくて……取り敢えずこの話は俺の記憶が戻ってからだ、スポットとやらを教えてもらうのを含めてな」
肩を落として結界術式の悪用に苦言を呈した鋭時は、 顔を赤くしながら精一杯の笑みを浮かべるシアラを見て大きくため息をつくしかなかった。
「ふむ……鋭時君は念の為に教えてもらった方がいいかもしれないね」
「いや待て、色々と待て。何で急にドクまでそんな事を……!」
後ろでやり取りを見ていたドクが神妙な顔付きで呟き、鋭時は慌てて振り向く。
「今のシアラさん達は半覚醒状態だから抑えは効いてるけど、完全覚醒したら何時抑えが効かなくなるか分からなくなる。そんな時に備えておくのも必要だよ」
「確かジゅう人の繁殖本能が完全覚醒したら人間は抵抗出来ないって話だよな……だからって、そんな犯罪じみた事出来る訳ないだろ……?」
肩をすくめたドクが涼しい顔で確実に訪れる未来への対策を示唆すると、鋭時は顔を沈めて小さく呟いた。
「ジゅう人の本能に関して特別に制定された法はまだ無いけど、多少お目こぼしが用意されてるんだ。ステ=イションだと凍鴉楼のある旧市街区画辺りがそうだね」
「お目こぼし? いったいどういう事だ?」
尚も涼しい顔で説明するドクに、鋭時は投げやり気味に聞き返す。
「工場のある工場区画と周囲にある旧市街区は政府から特別に自治が認められてて警察の干渉は最小限に抑えられてる。いわば私怨、私欲、私情による能力の使用、その一切を自己責任とする徹底した個人主義なんだ」
「つまり、その場所なら周囲に迷惑をかけない限り何をしても自由って訳か?」
「そういう事だね、ちなみに政府の管轄となってる外周区画でも裏路地には専用の休憩所がある。こっちは出費が必要だが法を破る訳にはいかないから、外周区画を散策する際は気を付ける事だね」
「あぁ……理屈じゃどうしようもない事もあるってのは分かったよ……」
人間がジゅう人と共存するために設けられた歪な工夫をドクから聞いた鋭時は、ただ言葉を失い俯いた。
「難しく考えなくても何とかなるよ、繁殖本能に抑えが効かなくなる以外は人間の良き隣人なんだしさ」
「オネストライアーを使わなくてもそれくらいは分かるぜ、他に手が思い付かない以上はどうにか折り合い付けるしか無いんだし……取り敢えずこの話はまだ先だ、まずはマキナさんの店に行こうぜ」
ドクの言葉に嘘が無いと直感して乾いた笑みを浮かべた鋭時は、先に移動をしたシアラとミサヲの後を追うようにテレポートエレベーターの前に立つ。
「そうだね。マキナさんの店に行くは1階のBを選ぶといい、昨日ボク達が最初に使った場所に行ける」
「なるほどそういう事か……サンキュー、ドク。先に行ってるぜ」
肩をすくめて苦笑したドクが目的地を伝えると、鋭時は手慣れた様子でパネルを操作してドクの目の前から姿を消した。
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「教授ーっ、こっちですよーっ」
「おーいシアラさん、そんなに待たせてないだろ? あまり大声出さないの……」
嬉しそうに手を振るシアラに苦笑しながら近付いた鋭時は、その隣で狼のような尻尾をパタパタと左右に振るチセリに気が付く。
「合格おめでとうございます、旦那様。先ほど若奥様がとても嬉しそうに説明してくださいました」
「え……ああ、ありがとう……その、心配と迷惑を掛けてすまないんだけど……」
話しかけるより早く近付いて来たチセリに鋭時が申し訳なさそうに口を開くが、チセリは人差し指を立てた手を鋭時の口元に近付けた。
「おっと……せっかく気を使ってもらったのに色々とわりいな……」
「何も仰らないでくださいませ。旦那様が決めてドクターがお認めになった以上、私は全力で旦那様と若奥様をお支えいたしますので」
拒絶回避によって反射的に半歩下がってからばつが悪そうに頭を掻く鋭時だが、チセリは静かに首を横に振ってから丁寧な仕草でお辞儀する。
「そう言ってもらえるとボクも助かるよ、チセリさん。その代わりと言ってはなんだけど、約束通り午後は鋭時君とシアラさんに街の案内を頼めるかな?」
「お疲れ様ですドクター、案内の件は承知しました。必ずや旦那様の記憶を戻してみせましょう」
鋭時の後ろを歩いて来たドクが安堵した様子で微笑むと、お辞儀をしたチセリが胸に手を当てて決意に満ちた表情を浮かべた。
「頼もしいけどあまり無茶はしないでくれよ、ロジネル型居住区に住んでたはずの鋭時君が何故ステ=イションの名を知ってたのか見当もつかないんだから」
「もちろん分かっております、いかなる追手であろうと旦那様には指一本触れさせませんのでご安心ください」
指で頬を掻きながら状況を説明するドクに、チセリは眼鏡の蔓に手を当てながら自信に満ちた表情を浮かべる。
「んー……ちょっと噛み合ってない気もするけど、とにかくよろしく頼むよ」
「かしこまりました。では旦那様、若奥様、まずは食事にいたしましょうか」
指で頬を掻く手を止めたドクがしばらく考えてから再度微笑むと、チセリも再度お辞儀をしてから鋭時とシアラを案内するように全自動食堂マキナの入口の暖簾を押し上げた。
「チセりんありがとーっ!」
(ここまでしてもらって何か悪いな……)
明るく礼を言いながら店に入ったシアラとは対照的に申し訳なさそうに会釈した鋭時だが、店に入った瞬間に明るくも舌足らずの甘えるような声に出迎えられる。
「えーじしゃま! シアラちゃん!」
「やっほースズにゃん! スズにゃんもこれからお昼ですかっ?」
「はぁ!? 博沢先せ……じゃなかった、スズナさんが何でここに!?」
水色のワンピース服に身を包んで頭の上に猫のような耳が突き出た銀髪の少女に奥の席から声を掛けられたシアラが嬉しそうに手を振って返し、鋭時は驚きの余りその場で足を止めた。
「そう驚かれる事も無いかと、スズナ様のお住まいは凍鴉楼にございますので」
「おっと、チセリさんか……そうか、昨日は住所を聞きそびれて……って、それも違うか、普通は聞かないものな……そもそもどうすりゃ正解だったんだ……?」
後ろから声を掛けて来たチセリの説明を聞いた鋭時が自身の行動を顧みて呟いていると、突然シアラが鋭時のスーツの袖を引いた。
「これからスズにゃんと一緒にお昼を食べるのが正解ですよっ、教授っ!」
「シアラがそうしたいんだろ? スズナさん、ご迷惑でなければいいですか?」
「はい! ぜひご一緒させてください!」
思い付くままに袖を引くシアラに呆れながら頭を掻いた鋭時の提案に、スズナは幸せに満たされたような満面の笑みを浮かべて頷いた。
「とは言え、どう座ればいいものか……」
「スズナさんの隣はミサヲさんに、向かいはチセリさんに座ってもらって、残りは昨日と同じ要領でズレて座ればいいんじゃないかな?」
店の隅に置かれた4人掛けのテーブルの壁側奥に丸まるように座るスズナを見て悩む鋭時に、ドクが後ろから声を掛ける。
「万一にも拒絶回避が出ちまったら危ないものな……俺はこっちの席に座るけど、スズナさんもそれでいいかい?」
「ドクに仕切られるのはちょっと癪ですけど、今のえーじしゃまの事情を考えれば仕方ありませんね」
期待を裏切ってしまった後悔の滲む表情で隣のテーブルの通路側に座った鋭時にスズナが渋々同意する中、後に続いたドクが鋭時の向かいの壁側に座った。
「おいドク、ここまで来て野郎同士で座るとかシアラとスズナが可哀そうだろ! もう少しどうにか出来ないのかい?」
「今回は仕方ないよ。その代わりと言っては何だが問題が解決するまでは覚醒者が増えないんだし、次からはみんなの要望を聞いて考えるとしようか」
最後に入って来たミサヲの抗議に、ドクは苦笑しながら肩をすくめる。
「頼んだぜドク。あんな事さえ無けりゃあ、今頃はシアラもスズナも鋭時と幸せに暮らしてるはずだったんだからさ」
「ふみゃぁ……みしゃお姉しゃま、えーじしゃまと出逢えただけで今のわたくしは幸せにゃんです。それに、みしゃお姉しゃまとの約束を破ってしまって……」
涼しい顔のドクを不機嫌な様子で睨みながらスズナの隣に座ったミサヲが苛立つ気を紛らわせるようにスズナの頭を優しく撫でて落ち着きを取り戻すと、スズナは嬉しそうに目を細めながらも複雑な表情で俯いた。
「子供の頃にした約束なんだし気にすんなよ。それにスズナのおかげで鋭時の命が助かったんだ、感謝してもしきれないぜ」
「わたしもスズにゃんには感謝してますよっ! スズにゃんがいなかったら教授が消えてたと思うと……ところでスズにゃん、約束って何ですかっ?」
ミサヲに優しく撫でられて目を細めるスズナに満面の笑みで感謝したシアラは、そのままミサヲの向かいに座りながら頭に浮かんだ恐ろしい結末を打ち消すような弾む声でスズナに質問する。
「子供の頃にスズナの面倒を見てて将来の夢の話になった時にさ、あたしの出産を担当するって言い出したんだ。そん時の約束だけで医者になっちまったのも見事なもんだけど、シアラと鋭時まで助けてくれたんだ。本当にあたしの自慢の妹だよ」
「みしゃお姉しゃま……わたくし……本当の妹じゃにゃいのに……そこまで言ってくださって……ありがとうございます……この道を選んで本当に良かった……」
尚も俯くスズナの代わりにミサヲがシアラの質問に答えてから再度スズナの頭を撫でると、解けた氷のように涙を流しながらスズナは嬉しそうに微笑んだ。
「あらあら、2人ともようやく仲直りしたのね。これも鋭時くんとシアラちゃんのおかげかしら?」
「仲直りだにゃんてそんにゃ……わたくしが詰まらにゃい意地を張っただけって気付いたんです」
店の奥から人数分の水とおしぼりを載せたお盆を持って来たマキナの嬉しそうな声に気付いて涙を拭ってスズナは、気恥ずかしそうに笑みを浮かべながらミサヲを見上げる。
「ん……まあ、あたしも色々と悪かったよ……」
「ミサヲちゃん、まずは注文おしよ。お互い積もる話もあるだろうし、ゆっくりと食事しながらこれからどうするかを話し合いなさいな」
スズナの素直な視線に気付いて照れ臭そうに頭を掻くミサヲに、水とおしぼりを配り終えたマキナが優しく微笑みながら注文用タブレット端末を手に取るチセリを親指で差し示した。
「若奥様と私の分は先に注文しましたので、後はよろしくお願いいたします」
「分かったよ、鋭時とドクはどうするんだ?」
斜め向かいのチセリからタブレット端末を受け取ったミサヲは、隣のテーブルに座る男2人に声を掛ける。
「ボクと鋭時君はこっちの端末で注文したから大丈夫だよ」
「確かにテーブルはバラけてるし、それぞれの方が都合いいか……よし、スズナは何が食べたいんだ?」
隣のテーブルに置いてあった注文用のタブレット端末を手にしたドクを確認したミサヲは、納得するように頷いてからスズナの方へ顔を向けた。
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「注文終わったぜマキナ母さん」
「あいよ。機械も正常に動いてるし、出来たら持って来るから待っててね」
注文用のタブレット端末を元に戻して親指を立てたミサヲに、マキナは割烹着のポケットから取り出した携帯端末で確認した調理装置の様子を伝えながら店の奥に戻る。
「よろしく頼んだぜ。ところでスズナ、昨日はあれから大丈夫だったのか?」
「はい、応援の医師も早く来てくれましたし、事情もすぐ理解してもらえました。朝のミーティングで日勤の医師にも事情を説明してから帰って、さっきまで部屋で休んでましたの」
マキナを見送ったミサヲが自分に寄り掛かり目を細めるスズナの耳を撫でながら気遣うように声を掛けると、スズナは耳だけをピクリと立てながら鋭時達が病院を出てから再会するまでの出来事を簡単に説明した。
「それと分子分解術式の解呪はわたくしの担当になりましたの! もちろん病院の皆さんも手伝ってくれますので、万全の態勢でえーじしゃまを治療してみますね」
「スズにゃんほんとですかっ!?」
ミサヲとの会話で目を覚ましたかのように自身の担当する仕事を嬉しそうに話すスズナに、シアラが興味を持って身を乗り出す。
「はい。ステ=イションにある全部の病院にも応援の依頼をしましたので、絶対にえーじしゃまに掛けられた術の解析と解呪をしてみせます!」
「ぜひお願いしますっ! わたしも教授の記憶を戻せるようがんばりますねっ!」
気を落ち着かせるように深呼吸をしたスズナが自信に満ちた表情で胸を張ると、シアラは目を輝かせてスズナの両手を包むように握った。
「ステ=イション中の病院か……なんかさらに大ごとになってるな……」
「それだけ難しい症例なんだろうが、それ以上にキミへの期待も大きいんだろう」
おしぼりで軽く手を拭きながらシアラとスズナの会話を聞いて苦笑する鋭時に、同じく手をおしぼりで拭き終えたドクが涼しい顔で肩をすくめる。
「勘弁してくれよ……ただでさえスズナさんには迷惑を掛けちまってるのに、これ以上どうしろってんだよ……」
「なるようにしかならないよ、最初から間違えるしかなかったんだからさ。キミも俺も……」
「間違える、か……最初に道を間違えて【遺跡】に入ってなけりゃ、とっくに俺は消えてたんだものな」
額に手を当ててため息をついた鋭時にドクが含みを持たせた笑みを浮かべて水の入ったコップに口を付け、鋭時もステ=イションのテレポートターミナルに着いた時の事を思い出しながらコップを手に取って流し込むように水を飲んだ。
「ちょいとドク。可愛い娘達を差し置いて鋭時くん独り占めするもんじゃないよ、ちゃんとあの娘達とも話させておやり」
「それもそうだね。後で説明する事があるから、それまではごゆっくりどうぞ」
2台の配膳ワゴン型ロボットを伴って戻って来たマキナに、ドクは肩をすくめてから悪戯を思い付いたような笑みを浮かべる。
「いや……ごゆっくりと言われても、どうすればいいのか……」
「そう構えるもんでもないよ。会話なんて自然と生まれるんだし、まずはお食べ。鋭時くんはアジフライ定食だったね?」
「あ、はい。ありがとうございます……」
唐突に話題を変えられた鋭時が困惑しながら頭を掻いていると、マキナが配膳用ロボットから取り出した料理を載せた盆を鋭時の前に置きながら微笑んだ。
「マキナ母さん、こっちのロボットがあたし達のか? 勝手に配らせてもらうぜ」
「あらあら、何だかんだ言っても面倒見いいのよね。そっちはよろしく頼んだよ」
自分達の座るテーブルに近付いて来た配膳用ロボットから料理を取り出し始めたミサヲに、マキナは嬉しそうに微笑む。
「向こうもまずは食べるみたいだし、取り敢えず食べようか?」
「そうだな、この状況で何か会話しろと言われたら逆にどうしようかと思ったぜ」
マキナからどんぶりを受け取ったドクが箸立ての中から箸を取り出すと、鋭時も店の奥へと戻るマキナを見送ってから箸を取って手を合わせた。
「それじゃあ、いただきます」
合わせた手を戻して箸を持ち換えた鋭時はテーブルの上に置いてあったソースを手に取り、皿に載った2枚の大きなアジフライと千切りのキャベツにかける。
同じくテーブルの上に置かれた辛子を皿の端に盛った鋭時が箸で掬い上げてからアジフライに塗り、そのまま箸で身をひと口サイズに切ってから口に運んだ。
サクッと言う音と共にソースと辛子の風味が鋭時の口の中に広がり、噛みしめるたびにふわりとした鯵の身から滲み出る旨味に口がご飯を求め出す。
茶碗を左手に取った鋭時はそのまま箸でご飯を口に運ぶと、こちらも噛むたびにご飯の甘みがアジフライの味を受け止めて口いっぱいに広がり、鋭時はさらに箸が進んで皿と茶碗の中身が見る見る減って行った。
「おいおい鋭時、何を頼んだのかと思ったら昨日と大して変わらないじゃないか。色々食って記憶を探るんじゃなかったのか?」
「そう思ってたんだけど、昨日食べて美味しかったからもう一度食べてみたいと思ってね……シアラ達には悪いと思ったんだけどさ……」
半分ほど平らげた大盛りのカツ丼のどんぶりを持ったまま呆れた顔で聞いて来たミサヲに、豆腐とわかめの入った白味噌仕立ての味噌汁をひと口飲んで落ち着いた鋭時が自嘲気味に愛想笑いを浮かべて答える。
「悪いなんてとんでもないっ! 教授はお好きなものを食べていいんですよっ!」
「あ、ありがとな……次からもう少し考えるよ……俺も記憶は戻したいからさ」
ヨーグルトソースのかかったパンケーキをナイフとフォークで器用に切り分けて頬張ったシアラがホットミルクで流し込んでから優しく微笑み、鋭時は照れ笑いをしながら鼻の頭を指で掻いた。
「えーじしゃまもお魚好きにゃのですか? ここのお魚美味しいですものね」
「そうなんですかスズにゃん?」
鋭時の注文した料理を嬉しそうに眺めながら長方形に切ったツナサンドを両手で持って齧り付くスズナに、シアラが興味を持って身を乗り出す。
「はい、シアラちゃんもおひとつどうぞ」
「ありがとうございますっ、ではお礼に……スズにゃん、あーんしてくださいっ」
スズナが皿に載ったツナサンドをひとつ手に取ってパンケーキの皿に載せると、シアラはナイフで切り取ったパンケーキをスズナに差し出した。
「ふみゃぁ、何か不思議な味ですけど美味しいですね」
「よかったですっ! こっちのサンドイッチも美味しいですよっ!」
大きめに切られたパンケーキをどうにか頬張ってヨーグルトソースの甘酸っぱい味を楽しむスズナに満足そうな笑みを浮かべたシアラは、そのままスズナから受け取ったツナサンドに齧り付いて口の中いっぱいに広がるツナとマヨネーズの風味を堪能しながら微笑む。
「いやはや眼福、眼福。あたしはこの光景を見るために産まれて来たんだな~」
「ええ、旦那様も若奥様もスズナ様も、そしてミサヲお嬢様も楽しそうで何よりでございます」
仲睦まじく微笑むシアラとスズナの様子をミサヲが頬を緩ませて眺めていると、トマトソースで和えたペンネをフォークで器用に口に運んでいたチセリが口の中のペンネを飲み込んでから微笑んだ。
「チセリがそんな事を言うなんて少し意外だな……何て言うか、鋭時にはお小言の3つや4つはあると思ったのに」
「ミサヲお嬢様は私をそのように見てらしたのですか?」
不思議そうな顔でミサヲに見つめられたチセリは、一瞬ムッとした顔をする。
「い、いや、そういう訳じゃないんだけどさ……」
「冗談はさて置き、私達ジゅう人が旦那様の食事に口を挟む訳には参りません。母様方から教わったでしょう?」
「そういやそうだったかな?」
すぐに表情を緩めてチセリが微笑むと、顔を引きつらせたミサヲが誤魔化すように聞き返した。
「食事への干渉は栄養価や味など人間の支えになるものだけに留めるよう教わったではありませんか。それ以外の干渉はジゅう人同士でもトラブルの種になります、お酒に例えればミサヲお嬢様にもお分かりになるかと」
「確かにそうだな。あたしは酒が好きだけど飲めない人に無理矢理飲ませる趣味は無いし、逆に飲めない人から飲むのを止めるように言われた事は無いもんな」
やや呆れた表情になりながらも微笑みを絶やさずに説明するチセリに、ミサヲは納得して力強く頷く。
「その通りです、ミサヲお嬢様。何を食べようかと考えたり好きなものを食べたりするのは楽しいですけど、あれが入っているからダメ、これが入っているからダメでは、せっかくのお食事もストレスにしかなりませんもの」
「確かにそんな生き方はあたしの肌に合わないねぇ」
「そうだね。食べ物に関する制限を体験する程度ならいいけど、毎日の食事にまで押し付けられたら息が詰まるよ」
安堵のため息をついたチセリに同意して頷いたミサヲがどんぶりから取り出したトンカツを齧ってから美味そうに目を細めていると、隣のテーブルで蕎麦を啜っていたドクがミサヲ達の話に乗って来た。
「なんだ、ドクも聞いてたのかよ」
「ミサヲさんの声はよく通るからね。それはさておき、生命活動を維持する食事に干渉するのは危険という考えには同意だよ、仮に元居た世界の食習慣をジゅう人が覚えてても慎重になっただろうね」
口に入れたカツを飲み込んでから呆れるミサヲに、ドクも蕎麦のつゆで口の中のものを流し込んでから苦笑して肩をすくめる。
「そうか? 俺はジゅう人界の食べ物や料理も知りたいぜ?」
「鋭時君のような考えはこちら側の食事が制限されない、食をはじめとする全ての文化が尊重される事が前提だからだよ。もし他所から来た人達がその前提を壊そうものなら侵略行為そのものだし、戦争になってもおかしくないだろうね」
アジフライを半切れ残して茶碗の中身を空にした鋭時が異世界の食文化に興味を持つが、ドクは静かに首を横に振ってそばつゆの浸みたかき揚げをひと齧りした。
「おや、戦争だなんて物騒な話をしてるわね。でも気持ちは分からなくないよ……食べたいものを食べさせてあげられないなんて、そんな悲しい話はないものねぇ」
「どうしたマキナ母さん? 何か忘れ物かい?」
店の奥から出て来て呆れながらもドクの言葉に賛同して頷くマキナに、ミサヲが冗談めいて尋ねる。
「そんなんじゃないさ、鋭時くんの様子を見に来たんだよ。何せ人間相手に食事を出すのなんて昨日が生まれて初めてだったからねぇ……」
「心配はいらないですよマキナさん。ここの機械で作る料理はシショクの12人のひとり、ドクター・グラスソルエをはじめ多くの人間が食べてたものです。工場で作られてる食材もここでの調理法も変わらなければ何も問題ありませんよ」
ミサヲの冗談を軽く受け流したマキナが真面目な表情に切り替わってから鋭時を見詰めると、不安を取り払うように微笑んだドクが白衣のような黒服のポケットに片手を入れながら説明した。
「それにとても美味しいです、次から色々試すつもりです」
「あらそうかい? お世辞でも嬉しいよ。でもロジネル型の定番料理が分かれば、もう少し力になれるんだけどねぇ」
最後に残したアジフライを口に入れた鋭時はドクがオネストライアーを使ったと気付いて慌てて飲み込んでから声を上げ、事情を知らないマキナはフサフサとした尻尾を照れ臭そうにゆっくりと振る。
「旦那様と若奥様の生活は私もサポートしますし、ドクターも協力してくださいます。きっと大丈夫ですからご安心ください、マキナ様」
「そう言ってもらえると助かるよチセリちゃん、でもドクが協力してくれるなんてどういう風の吹き回しだい?」
椅子から立ち上がって丁寧な仕草でお辞儀をするチセリに、マキナは嬉しそうに微笑みながらも不思議そうな顔でドクに目を向けた。
「鋭時君の問題が解決するまで協力する約束だからね、それにこれから毎日訓練もしないといけないし」
「訓練? もしかして鋭時くんを合格させちまったのかい!?」
ポケットから手を出しながら肩をすくめるドクの言葉の意味を察したマキナは、無意識に距離を開けた鋭時の横を抜けてドクに詰め寄る。
「その通りだよ、ボクの出した難題を乗り切った以上は約束もルールも破る訳にはいかない。これから1か月、他に記憶を戻す手段を模索しながら訓練する予定だ」
「ドクがそこまで言うんなら任せるしかないけど、あまり無理させんじゃないよ」
目の前に迫って来たマキナに動じる事無く淡々と説明するドクに、マキナは耳と尻尾を力なく下げながら小さくため息をついて鋭時達の座る通路側に戻った。
「えーじしゃま合格したんですか!? その……何と言えばいいのか……」
「何とか合格できたよ、スズナさんにも心配掛けて申し訳なく思うけど……」
マキナとドクのやり取りを聞いて複雑な表情を浮かべるスズナに、鋭時も複雑な表情で答えながら俯く。
「そんな顔しないでくださいよっ、さっきの訓練で教授は何だかとても大切な事を思い出したんですからっ!」
「本当ですかシアラちゃん!? えーじしゃま、何を思い出したんですか!?」
鋭時とスズナのやり取りを聞いていたシアラが鋭時の方を向いて元気付けようとすると、逆にスズナが興奮して立ち上がった。
「片鱗と言うかきっかけと言うか……具体的な説明は上手く出来ないんだ……」
「そうですか……どうすればもっと思い出せるのでしょうか……」
今にも飛び付かん勢いで身を乗り出したスズナだが、頭を掻いて困った顔をする鋭時を見て耳を下げて項垂れる。
「普通に考えれば同じ事を何度も繰り返せば思い出せる記憶も増えるだろうけど、さすがにあれを何度も……!」
「どうしましたっ、教授っ?」
沈んだスズナの表情を見てDDゲートでの出来事を思い出しながら複雑な表情を浮かべた鋭時がはたと気付いて言葉を詰まらせしまい、シアラが心配そうな表情を浮かべて覗き込んで来た。
「い、いや……あの訓練ではシアラも怖い目に遭ったんだよな……? すまない、そこまで気が回らなくて……」
「怖くないと言えば嘘になりますけど、そんなのお互い様ですよっ! あの訓練は教授を守るためには必要なんですからっ!」
DDゲートから戻った時にシアラに何も言えなかった自分を悔いた鋭時に対し、シアラは目を見開き鼻息荒く気合を入れて鋭時を励ます。
「何もそこまで……って言っても聞かないんだよな?」
「もちろんですっ! そんなにもわたしを理解してくださるだなんて……わたし、教授に出逢えて幸せですっ!」
「はぁ、こいつは俺も後には退けなくなったな……」
頭を掻いて諦め気味に意思を確認した鋭時だが、幸せそうな笑顔を返すシアラにため息をつくしかなかった。
「2人とも食べ終わったみたいだし今後の訓練について説明するよ。DDゲートは訓練室で明日から1か月間、いつでも使えるように設定しておいた。訓練室の扉も明日からはキミ達のIDカードで開くよう設定してもらったし、思い付いた術式や技の訓練に使うといい」
「あそこって見た感じ共用のスペースだろ? そんなに長く貸し切れるのか?」
鋭時とシアラのやり取りに便乗したドクが訓練施設についての説明を終えると、鋭時が長期間の施設の占有に疑問を持つ。
「想像には難くないだろうけど、さっきまでボク達が使っていた訓練室は使う人が少ないんだ」
「なるほど確かに……分かった、明日もよろしく頼むぜ」
複雑な表情で理由を説明するドクに、鋭時も複雑な表情で笑って納得した。
「明日? 今日はこれから何をしますの?」
「これから教授とデートするんですっ! スズにゃんもどうですかっ?」
鋭時とドクのやり取りを聞いていたスズナが訓練の日程に疑問を持って呟くと、シアラが唐突に身を乗り出しスズナに微笑み掛けた。