第19話【夢が終わる時】
ZKを模したダミーロボットを破壊する掃除屋の試験、
だが、鋭時は攻撃を当てられずに苦戦する。
「教授っ!」
「おっとっと、ここでシアラが助けに入ったら元も子もなくなるだろ」
何度もアーカイブロッドの空振りを繰り返す鋭時を見かねたシアラが腰に付けたネコのぬいぐるみに手を伸ばすが、気付いたミサヲが慌てて止める。
「ミサヲさんの言う通りだよ、これは鋭時君の試験だ。シアラさんが手を出したら即座に失格を言い渡す事になる」
「そんな……っ、それじゃあ教授はっ……」
横でやり取りを聞いていたドクがTダイバースコープで残り時間と鋭時の魔力を計測しながら窘めると、シアラは目に涙が溜まり始めた。
「落ち着けよ、シアラ。ステ=イションの住人だって鋭時に掃除屋としての役割を期待してないだけで遺伝子は歓迎しているんだからさ」
「この試験は最初から鋭時君を落として、ステ=イションで安全に暮らしてもらう為のものなんだ。あと3分で鋭時君の安全は保障される」
「それでも……それでもわたしは、教授の記憶を封じた人間みたいに教授の努力を否定したくありませんっ! がんばってくださいっ、教授っ……!」
ミサヲとドクが試験の本当の目的を改めて説明すると、シアラは小さく首を横に振ってから祈るように呟いた。
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「くっ!【瞬間凍結】が当たりさえすれば……」
突進を回避しながらZKを模したダミーロボットに近付こうと何度も踏み込んだ鋭時だが、その距離は一向に縮まらない。
「だからと言って、このロッドを当てるためには【圧縮空筋】にどれだけの魔力を込めればいいか……」
足元を見た静かに首を横に振った鋭時は、気分を切り替えるようにロッドを強く振って別の方法を模索すべく慎重に思考癖を働かせ始めた。
「【瞬間凍結】の効果はロッドに触れたものだけ……なのに俺の体は勝手に距離を取る……距離を埋める術式があれば……あ!……直接詰めなくていいのか……?」
ダミーロボットの動きに注意しながら拒絶回避の思わぬ欠点を補う手段を考えていた鋭時の頭に、ひとつの打開策が浮かびかけて来た。
「後は確認するチャンスさえ作れれば……しまっ……!?」
僅かに閃いた手段に気を取られた鋭時はアーカイブロッドに目を向けてしまい、その瞬間を見逃さずにダミーロボットが鉤爪を模した腕を振り下ろす。
咄嗟に腕を上げて頭を庇おうした鋭時だが同時に足も反射的に動き、気が付くとダミーロボットから適格に距離を置いて立っていた。
「考え事してても避けちまったよ……どうなってるんだ?」
警戒しながら慎重に腕を下ろして痛みひとつ無い自分の身体に驚き呆れて呟いた鋭時は、ロッドを持たない左手を胸に当てる。
「……そんなに避けるのが好きなら体は好きなだけ避けてくれ、頭は残り1枚の手札で悪足掻きするからよ……!」
勝手に動く自分の身体に言い聞かせるように鋭時が呟くと、アーカイブロッドに意識を集中して自分の組み上げた術式の保存フォルダを開きだした。
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「ふむ……記憶は失ってても戦い方までは忘れてない、と言ったところか……だが間に合うかな? すまないがレーコさん、カウントダウンを頼めるかい?」
「かしこまりましたマスター。鋭時さん、残り時間1分です。ここから10秒ごとにお知らせいたします」
鋭時の様子の変化に気付いたドクがTダイバースコープを覗きながら冷静に声を掛けると、レーコさんは部屋中に広がりながらも柔らかく落ち着いた音声を発して残り時間を鋭時に伝えた。
「もう時間かよ!? いや、落ち着け……それだけあればお釣りが来る……!」
「50秒……」
残り時間が聞こえて驚きの声を上げながらもロッドの操作に集中する鋭時だが、その間もレーコさんの柔らかくも機械的な音声が正確に時を刻む。
「40秒……」
「あと少し……ここに出力を抑えた【瞬間凍結】が上手く入れば……」
はやる気持ちを抑えつつ、鋭時はフォルダ内の中でコピーを終えた術式の設定を開きながら慎重にロッドの操作を続けた。
「30秒……」
「出来た! こうなりゃ出たとこ勝負だ!」
術式の操作を終えた鋭時はダミーロボットに視線を向け、ロッドの先端を自分の顔の前に持って来て慎重に間合いを測る。
「20秒……」
『ギギー!』
「【凍結針】!」
バネ状の脚を伸ばして跳びかかって来たダミーロボットの腕を余裕のある距離で避けた鋭時が短く術式を発動すると、ロッドの先端から飛び出した針が振り向いたダミーロボットの額に当たると同時に頭部が瞬時に凍り付いて痙攣したかのように足を止めて震わせる。
「10……9……8……7……6……」
「間に合えー!【瞬間凍結】!【共振衝撃】!」
その場で全身を震わせ続けるダミーロボットに飛び込むように駆け寄った鋭時が針の刺さった位置にロッドの先端を当ててから術式を矢継ぎ早に発動し、凍結して強烈な衝撃波を流し込まれたダミーロボットの上半身がZKの急所を再現した機器ごと粉々に砕け散った。
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「間に合った……のか……?」
「いやはや見事なもんだ、まさか土壇場で弱点を克服するなんてね」
バネ状の脚だけ残して消え去ったダミーロボットを呆然と眺めたままの鋭時に、後ろからドクが頭を掻きながら近付いてくる。
「ドク! 俺は……俺は間に合ったのか?」
「はい、残り時間4秒で鋭時さんはダミーロボットの機能停止に成功しています」
「あの針の術式と衝撃の術式の消費魔力はそれぞれ4、凍結の術式は観測データに揺らぎがあるけど4か5。俺としては不本意だが、ルール上は合格だ。アーカイブロッドはそのまま持っててくれ、取り敢えずの合格祝いだ」
後ろからの気配に気付いて慌てて振り向いた鋭時にレーコさんが微笑みの表情を表示しながら状況を説明すると、ドクも肩をすくめて合格を言い渡した。
「教授ーっ、おめでとうございまーっす! うわわっ!?」
「あのな……試験に合格したってだけで記憶が戻った訳でも拒絶回避が無くなった訳でもないんだぞ、もう少し落ち着けよ……」
ミサヲの腕から降りたシアラが抱き付こうと勢いよく駆け寄りながらバランスを崩してよろけ、拒絶回避で無意識に躱してしまった鋭時が呆れながら頭を掻く。
「ドクが合格を出したんなら、あたしも文句言えないね……おめでとう、鋭時」
「ありがとうございますミサヲさん……その、なんて言えばいいのか……せっかく色々と気遣ってもらったのに」
頭を掻きながら複雑な表情を浮かべて近付いて来たミサヲに、鋭時もぎこちなく愛想笑いを返した。
「言いたい事は何となく分かるよ……こういう時、素直に喜べるシアラが羨ましく感じるぜ……でも合格は合格だ、これからドクがビシバシ鍛えるから覚悟しろよ」
「えーっ!? ミサちゃんが教えてくれるんじゃないんですかっ!?」
こめかみ辺りを掻いて俯いたミサヲが吹っ切れたような笑顔で親指を立てると、横で聞いていたシアラが思わず大声を上げる。
「手加減したらマズいから基本はドクに任せるんだよ、もちろんあたしもシアラに手取り足取り教えてやるぜ、っと!」
残念そうな表情を浮かべたミサヲが理由を説明しながら近付き、またしても隙を突いてシアラを抱き上げた。
「うわわぷ……っ!? ぷはっ……もう試験は……むぎゅ……終わってるじゃないですか……!」
「いいじゃねーかよ! シアラと鋭時の合格祝いだ!」
楽しそうに笑うミサヲの胸に埋もれながらシアラが抵抗していると、ドクが苦笑交じりに近付いて来て声を掛ける。
「ははっ、ミサヲさんも飽きないねえ。そろそろ訓練の説明をしたいから降ろしてやってくれないかな?」
「わかったよ、ドクは相変わらず野暮だねぇ。ほらよシアラ、がんばって来いよ」
ドクに水を差されたミサヲは渋々シアラを降ろし、シアラは鋭時の隣に走って行った。
「その……大丈夫か……ミサヲさんも悪気は無いんだろうけど、嫌なら少し控えるよう俺からも頼んでみるよ」
「大丈夫ですよっ、ミサちゃん優しいですからっ。そうだっ、教授も今度混ざってみませんかっ? 柔らかくて気持ちいいですよっ?」
気まずそうな顔で心配する鋭時に、シアラは乱れた髪を手で整えながらも満面の笑みを返す。
「おーいシアラさん、仮に拒絶回避が無くてもそんな真似が出来る訳無いだろ……取り敢えず大丈夫って言葉は信じるよ、でも何かあったらすぐ言えよ……」
「わかりましたっ! やっぱりわたし、教授に出逢えて幸せですっ!」
ため息交じりに苦言を呈しながらも鋭時がぎこちない微笑みを返すと、シアラは嬉しそうに鋭時のスーツの袖を掴んだ。
「あー……鋭時君、シアラさん。そろそろいいかな?」
「おっとわりい、試験合格で浮かれ過ぎたみたいだ。それでドク、訓練ってどんな事をするんだ?」
会話の終わるタイミングを見計らって話しかけてきたドクに、鋭時がさり気なく袖からシアラを離しながら聞き返す。
「まずキミ達には1度死んでもらうよ」
「何だって!?……いや、どういうことだよ?」
表情を全く崩さずにドクが言い放って来た思いも寄らない言葉に鋭時とシアラが同時に身構えるが、全く動じない様子のミサヲに気付いた鋭時が構えを緩める。
「おっと説明が足りなくて悪かった、本当に命を奪おう訳ってじゃないよ。今からキミ達にはこのDDゲートを使ってもらおうと思ってね」
自分に向けられた険しい表情に気付いて苦笑したドクは、ダミーロボットの脚を片付けた位置に小さな朱色の鳥居を載せた台座らしきものを突然出現させた。
「そのDDゲートが訓練に使う装置なのか? そいつをどう使うんだ?」
「掃除屋の実戦を再現出来るシミュレーターだよ」
突然現れた鳥居を載せた台座、DDゲートを指差して警戒しながら聞く鋭時に、ドクはDDゲートの鳥居に浮かび上がったパネル型立体映像を操作しながら簡単な説明をする。
「シミュレーター? ZKの立体映像でも投影するのか?」
「ちょっと違うかな? 口で説明するより実物を体験してもらう方が早いかもね」
「いや待ってくれ!? いきなりとか心の準備が……」
興味深そうに質問する鋭時に曖昧に答えたドクがDDゲートの操作を終えると、慌てて止めようとして目眩に似た感覚に襲われた鋭時の目の前に突如見覚えのある巨大な鳥居が姿を現した。
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「これは入口の大鳥居?……DDゲートとやらはテレポートエレベーターみたいな装置って事なのか……?」
突然変化した風景に戸惑う鋭時だが、落ち着いて周囲を確認してから瞬間移動でどこかに飛ばされたと推測する。
「えっと……【遺跡】に行って駆除した異界の潜兵10体分の【破威石】を持って帰って来い……? まるでゲームだな……」
巨大な鳥居の入り口に表示された説明文を読み終えた鋭時は、半ば呆れながらも【遺跡】へと向かうべく再開発区の方へ足を向けた。
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「やはりテレポートターミナルの中には入れないよな……位置関係を示す記号的な存在……つまりここは何らかの訓練施設って事か……」
再開発区の中で最も居住区寄りにある施設、テレポートターミナルに辿り着いた鋭時は、建物の様子から自分が今いる場所の推測を続けつつ歩みを進める。
「ターミナルから先は俺が昨日見た道と全く違う……ここから先は文字通り未知の領域って訳か」
本物のテレポートターミナルからの風景を思い出した鋭時が現在自分のいる場所との違いを把握すると、気を引き締める思いで【遺跡】に向かって歩き出した。
「【遺跡】までの距離は体感で本物とほぼ同じか……そしておそらく本番の訓練に使うだろう【遺跡】の広さも考えれば……随分と広い施設を造ったもんだな……」
再開発区を抜けて【遺跡】との境界に当たる簡単な柵を見付けた鋭時は、歩いた時間から簡潔に割り出した訓練施設の広さに半ば呆れて感心する。
「何にせよここからが本番、鬼が出るか蛇が出るか……って出るのはZKか……」
緊張を紛らわせるための冗談を呟いて苦笑した鋭時は、境界に置かれた柵の脇を通り抜けて【遺跡】に入り込んだ。
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「ここら辺でいいかな?【振動感知】」
廃墟群をある程度進んでから地面に立てたロッドに意識を集中させて索敵術式を発動した鋭時の耳に、ロッドを通じて周囲の様々な振動が音として集まって来る。
(色んな音が混じってやがるな……この規則的に響く音がZKの足音か……?)
どうにか音を聞き分けてZKがいると思われる場所を特定出来た鋭時は、物陰に隠れながら慎重に移動を開始した。
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「あの音がZKで正解だったみたいだな……」
索敵術式で発見した廃ビルを壊れた窓から覗いた鋭時は、ナイフのような鉤爪の付いた手とバネのように渦を巻いた奇妙な脚を持ったZKを確認して小さく安堵のため息をつく。
「数は……1、2……と3体か……これなら行ける!」
廃ビル内部のZKを確認した鋭時は壊れて窓ガラスの無くなった窓から侵入し、アーカイブロッドの先端を顔の前に構えて狙いを定めて手近なZKに駆け寄った。
『ギギギ!?』
「遅い!【凍結針】」
窓からの侵入者に気付いたZKが振り向いたが、あらかじめロッドを構えていた鋭時はZKが構えるよりも早く術式を発動して熱を奪う針を飛ばす。
「【瞬間凍結】!【共振衝撃】! まずは1体!……よし次!……!?」
額に針が刺さって震えるZKに素早く駆け寄った鋭時がロッドの先端を刺さった針に当てて凍結させてから衝撃波で粉々に砕くが、次の相手を定めようと近い方のZKへ顔を向けた瞬間に体が反応するより早く背中に硬いものをぶつけられて吹き飛ぶように倒れ込んだ。
「な、なんだ!? まだ他にZKがいたのか……がぁ!?」
突然の事で戸惑いながらも立ち上がって周囲を確認しようとする鋭時だが、腕の外殻を槍のように伸ばしたZKに背後から腹を刺されて傷口から広がる激痛に顔をしかめて短く呻き声を上げる。
(しまった! 今の一撃で【圧縮空壁】が破れたのか、早く張り直さないと……)
腹を刺したZKの攻撃が防御術式の耐久を越える負荷を持つと気付いた鋭時だが外殻の槍から脱する手段も術式も浮かばず、何も出来ないままに鉤爪を持つ2体のZKも合流する。
(駄目なのか……でも、これで終わるなら……すまなかった……シ……)
ザシュ……グチュ……メキョ……ゴキ……自分の身体が切り刻まれる不快な音が激痛と共に絶え間なく続く中、鋭時の意識は徐々に遠退いて行った。
▼
「……ア……あぁ!? はぁ……はぁ?」
気付くと訓練室で仰向けに倒れていた鋭時は、自分の身に何が起きたのか理解が追い付かずにその場で荒く呼吸する。
「教授っ! 大丈夫ですかっ、教授!」
「俺は!……どこもケガしてない……シアラが治してくれたのか?」
慌てて起き上がった鋭時はZKに刺された自分の腹に手を当ててから腰にヘビのぬいぐるみを付けてナース姿に変わったシアラを見るが、シアラは静かに首を横に振る。
「いえ……わたし、気が付いたら大鳥居の前にいて……【遺跡】でZKを駆除してからヴィーノに着替えようとした時に刺されて……マハレタに着替えても全然間に合わなくて……気が付いたらここに戻って来たんです……」
「俺と同じ……なのか? いったいどうなってるんだ……?」
状況を飲み込めないままのシアラが途切れ途切れに説明すると、鋭時は顎に手を当てながら俯いて考え込んだ。
「驚かせて悪かったよ。こいつはドリームディメンジョンゲート、操夢の技…術を持った人物からの協力を得てシショクの12人が造った訓練装置だ。使用者は夢の中に入り込んで、夢の中で訓練する事ができる」
「夢……だって? 道理で……」
ドクの説明を聞いてDDゲートで起きた出来事を思い出した鋭時は、ひとり納得して頷きながら呟く。
「夢とはいえ本人の能力も所持品も夢の中で寸分違わず再現されるし、同じく夢の中に出てくるZKも観測を積み重ねたデータを基に再現している」
「そして攻撃を食らった時の痛みも本物同然という訳か……」
DDゲートの説明を続けるドクに、鋭時は再度夢の中で突き刺されたはずの腹に手を当てて頷いた。
「記憶封じの術式があるんだ、脳に痛覚の信号を再現する技術があっても不思議は無いよ。そしてこれが手加減無しの掃除屋の現実だ。ZKを駆除して【破威石】を持って来るだけの簡単な仕事だけど、能力と運の無い者は【遺跡】の中であっさり命を落とす。今ここで引き返しても誰も何も言わないよ」
「そういう事かよ……でも俺だけが逃げるなんて出来る訳無いだろ、何度倒れても訓練は受け続けるぜ」
ドクの意図を察した鋭時は、シアラに軽く目を向けてから頭を掻く。
「こいつは逆効果だったな……分かった、訓練は続けよう。シミュレーターだけで思い出せるのならそれもよし、そうでなくとも現場での生存率は各段に上がるはずだよ。その前に教えられる限りの知識と技術を提供しよう、これだけで記憶が戻る可能性も無くは無いからね」
「分かった、よろしく頼むぜ。俺は知らない事が多すぎるからな」
諦めながらも新たな悪巧みでも思い付いたような笑みを浮かべるドクに、鋭時は苦笑しながら再度頭を掻いた。
「わたしもがんばりますっ! 強くなって絶対に教授を守りますからっ!」
「シアラこそ無理すんなよ、いざとなったら見捨ててくれても……」
目を見開き鼻息荒く気合を入れるシアラに鋭時は指でこめかみ辺りを掻きながら顔を逸らすが、シアラよりも先にドクが口を開く。
「鋭時君、いざという時に見捨てて欲しいのなら尚更強くならないといけないよ。俺は最初から捨てるつもりで人を使う人間とは違うつもりでいるからね」
「変な事を言って悪かった、どうも俺には子供の頃から妙な癖が染み付いてるようでね……」
「教授っ、もしかして何か思い出したんですかっ!?」
ドクに窘められた鋭時が素直に頭を下げると、突然シアラが覗き込むように顔を近付けて来た。
「思い出せたといえば思い出せたかな……」
「どうしたんですか、教授? 辛いのなら無理をしなくても……」
顎に手を当てて歯切れ悪く答える鋭時に、シアラが心配そうな声で聞き返す。
「大した事じゃない……上手く言えないけど、こういう場面で思い出すべき何かを思い出せないのを思い出したんだ……素性とまでは行かないが、その手掛かりにはなるはずだ」
「ほえ? 教授の言ってる事はちょっと分からないですけど、もしかして大発見じゃないですかっ!? これも訓練の成果ですねっ、わたしもがんばりますっ!」
「あ、ああ……やっぱり掃除屋選んで正解だったな……」
小首を傾げて不思議がるシアラが考えを切り替えるように満面の笑みを返すと、答えをはぐらかした鋭時は苦笑しながら頷いた。
「さっそく手掛かりが見付かって結構、では本題に戻ろうか? DDゲートの中で100回連続生き延びるのがキミ達への最後の課題だ。シアラさん達の覚醒進行の関係もあるから期限は1か月、それまでに課題をクリア出来なければキミ達は関係各所の保護と支援を受けながらステ=イションで暮らしてもらう」
「1か月だって!? ちょっと短くないか?」
鋭時とシアラの会話が終わるタイミングを見計らってから訓練の期間を説明したドクに、鋭時は驚いて思わず聞き返す。
「夢の中に何時間いても現実世界では1分しか経たない。半年かけて岩を斬れとか1週間で全てを斬れなんて無茶は言わないよ、ただ1分間生き延びるだけでいい」
「物は言いようだな、その1分に至るまでに何回死を経験すればいいやら……」
淡々としたドクの回答と説明に鋭時は呆れてため息をつくと、ドクは涼しい顔で肩をすくめた。
「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし。知識や技術ならいくらでも教えられるが、実戦に必要不可欠な機転や先読みは数をこなす以外の方法では身に付かないからね。敗北と死を何度も経験すれば生き延びる確率も高くなるよ」
「数と経験か……確かに俺はどちらも、いや全部が足りなさすぎるな……」
自分の能力を再認識して呟いた鋭時に、ドクは大きく頷き説明を続ける。
「DDゲート100回連続クリアはジゅう人でも3年かかると言われてる、それを1年契約の人間でも出来るように鍛えるからには要点を絞って教えるつもりだ」
「何て言うか、無理を言ってすまない……」
「構わないよ。この訓練方法は以前から考えてて、いつか実践してみたいと思ってたんだ」
「なるほど、こいつはドクの実験でもある訳か。ならとことん付き合うぜ」
頭を掻きながら小さく頭を下げる鋭時に対しドクが涼しい顔で本心を明かすと、鋭時は小さく安堵しながらも決意を固めた表情を浮かべた。
「よろしく頼む、まずはキミ達の能力を再確認して訓練の方針を決めよう。時間が限られてる以上は、今持ってる手札を使うしか無いからね。言える範囲でいいからキミ達の把握してる能力を教えてもらえないか?」
「分かった。俺はネクタイの【圧縮空壁】で防御、スーツの上下の【圧縮空筋】で筋力の補助、靴の【重力操作】は疲労を減らすか踏ん張りを強くする程度だな。それとドクに貰ったアーカイブロッドにある多数の術式はまだ確認の途中だ」
神妙な顔付きのドクに促されて自分が身に付けた物に組み込まれた術式の説明を終えた鋭時は、ひと息ついて自信の無い様子で説明を続ける。
「後は反射的に接触を回避する拒絶回避だけど……昨日の時点では【圧縮空筋】を使ってもZKの攻撃を躱すのがやっとだったのに、今日になって急に余裕で躱せるようになったんだ……俺が自分で分かってるのはここまでだ」
「なるほど、もしかしたら居ぬ……イヌガミかもしれないな……」
「犬神だって!? 以前チセリに聞いた事あるけど、魔法科学全盛の時代にそんなオカルトじみた話あるわけないだろ!」
鋭時の説明を聞き終えて小さく頷いたドクが俯きながら呟くと、横で聞いていたミサヲが突然大声を上げた。
「落ち着いてミサヲさん。【大異変】以前は魔法だって空想上の技術だったんだ、チセリさんが興味を持って調べてる謎もいずれ解明されると思うよ」
「なあドク、もしかして俺の拒絶回避ってヤバいものなのか?」
不機嫌な様子で頭を掻くミサヲを宥めるドクに、鋭時がシアラに軽く目を向けてから小声で慎重に尋ねる。
「いや、おそらく俺の思い違いだ。それに鋭時君の拒絶回避は1日でZKの動きを覚えたんだし、今後はその拒絶回避無しに普通の人間のキミが掃除屋になれないと思うよ。訓練は拒絶回避の活用法を中心に組み立てよう」
「まあ他に使える手札は無いからな……分かった、よろしく頼むよ」
静かに首を横に振ってから訓練の方針を決めたドクに、鋭時は素直に頷いた。
「さてと……次はシアラさん、説明をお願いできるかな?」
「はーいっ! ツォーン、マフリク、ヴィーノ、出て来てくださいなっ!」
ひと息ついたドクに説明を促されたシアラがフリルのたくさん付いたナース服の裾を少したくし上げると、スカートの中からネコとヒツジとウサギのぬいぐるみが飛び出して来た。
「いや、どこから出してるんだよ……」
「意地悪言わないでくださいよぉ教授ぅ、マハレタは寝室用なんですから……」
スカートから飛び出して来たぬいぐるみを見て目を逸らしながら呆れる鋭時に、シアラは困った振りをしてから覗き込むように顔を近付ける。
「それとも教授がお望みなら、スカートを短くできますよっ! それなら他の仔に代わる時にスカートを上げなくて済みますしっ!」
「いや待て、色々と待て……いくら何でもそれは本末転倒だろ。俺には服の事とか何も分からないから今のままでいいし、変えるならシアラの都合に任せるよ」
フリルを摘まんでスカートを僅かにたくし上げて微笑むシアラに、鋭時は呆れてため息をつくしかなかった。
「確かシアラさんは使用する術式別にぬいぐるみを分けてるんだっけ? その辺を詳しくお願いできるかな?」
「はいっ! まずはツォーン、お願いしますねっ!」
ドクに質問されたシアラは、腰に付けたヘビのぬいぐるみをネコのぬいぐるみと入れ替えてフリルの付いた和服姿に戻る。
「炎系術式を担当するツォーンを着てる時は、メモリーズホイールを使って色んな結界を展開できますっ! メモリーズホイールも今は日傘にしてますけど、本来は別の形ですので色んな形に変えられますっ! でも他の仔を着てる時は認識阻害のような簡単な結界しか張れません」
「ふむ……その服装でないとダミーロボットを破壊した攻撃は出来ない訳か……」
説明を聞いたドクが納得するように頷くと、シアラは腰のぬいぐるみをネコからヘビに変えて再度ナース姿に変わった。
「次は水系術式担当のマハレタですっ! この仔を着てる時はどんなおクスリでも作れるシュラーフェンアポテーケを出せますしキズを完全に治せる【全快白霧】も使えますが、他の仔を着てる時は作れるおクスリも少なくなって治癒術式の効果も落ちてしまいます」
ヘビのぬいぐるみから注射器型ステッキを取り出して説明を終えたシアラは腰のぬいぐるみをヒツジに取り換え、裾からつま先だけが見える長さの白いドレスへと服を変える。
「こちらは土系術式担当のマフリクですねっ! レストリクシオンで色々縛ったり閉じ込めたりできますが、他の仔を着てる時は手足を縛る程度しかできません」
ドレスの袖を捲ったシアラが手枷のような飾り気の無い腕輪を見せながら説明を終えると、ウサギのぬいぐるみを腰に付けてロング丈のメイド服に変えた。
「最後は風系術式担当のヴィーノですよっ! 頭に付けてるリサーチャーブリムで空間の把握と予測ができますが、他の仔を着てる時は探索術式しか使えません」
「把握はともかく予測まで……確かに魅力的な能力かもね……」
髪留めに付いたウサギの耳のような飾りを両手で指差しながら説明するシアラを見たドクは、顎に手を当てながら考え込む。
「それじゃあドク、シアラは最終的に4種類の服をひとつに合わせる方針か?」
「何言ってるんですか教授っ? 最後は脱ぐに決まってるじゃないですかっ!」
興味本位でドクに質問した鋭時に、横で聞いていたシアラが腰に付けたウサギのぬいぐるみを外すような仕草をしながら満面の笑みを浮かべる。
「いや待て、色々と待て。何のためにその服作ったんだよ?」
「ふむ……ここまでの話を聞く限りではシアラさんの服や術具は鋭時君の為だけに調整したものみたいだね、まずはそれを戦闘用に変えるのが最初の課題かな?」
「やれやれ、凄さのベクトルが明後日の方向に飛び過ぎだぜ……」
鋭時とシアラのやり取りを聞いていたドクが方針をまとめると、鋭時は指で頬を掻きながら呆れて呟いた。
「ではまずキミ達にはシショクの12人のひとりで武術の技…能に長けた誉城磑が考案した武術の訓練をしてもらう。武術と言っても攻撃ではなく回避や防御の為のものだが、防御術式と合わせれば生存率が上がるし魔力の温存にもなるよ」
「確かにDDゲートの中のZKは拒絶回避でも捌き切れなかったからな……」
ドクの説明を受けた鋭時が訓練中の出来事を思い出していると、シアラが決意を込めた表情でドクに声を掛ける。
「わたしも教授を守れるんですねっ! マーくんよろしくお願いしますっ!」
「ああ、シアラさんも今よりもっと強くなるよ。シアラさんは術具を使うとはいえ基本無手のようだし、ステ=イション式柔術の訓練をミサヲさんとしてもらおう」
「え? それって……うわわっ!?」
悪戯を思い付いた子供のように微笑むドクの顔に気付いたシアラだが、振り向く間もなく体が浮かび上がった。
「やっとあたしの出番が来たぜ! あたしが手取り足取り教えてやるぜ、シアラ」
「わかりましたから降ろしてくださいよっ! わたしは教授を守るために強くなるんですからっ!」
心底嬉しそうに抱き付いて来たミサヲからシアラが降りようと抵抗し、見かねたドクが小さくため息をついてから口を開く。
「ミサヲさん。あまりにおふざけが過ぎるようなら、シアラさんの訓練も俺の方で受け持つよ?」
「わ! 待ってくれ! 真面目に教えるから、それだけは勘弁してくれないか? さ、さあシアラ、向こうで訓練始めようか?」
ドクに注意されたミサヲは慌ててシアラを降ろすと、手をつないでから訓練室の奥の方へと歩いて行った。