第16話【試験開始】
記憶を戻すために改めて掃除屋になる決意を呟いた鋭時、
だがその呟きを聞いた凍鴉楼の管理人、チセリの様子が変化した。
「旦那様。私の耳には旦那様が掃除屋になると聞こえたのですが?」
「あ、ああ……【遺跡】でZKを駆除した時に何か思い出せそうな気がしたんだ、今考えられる唯一の手掛かりなんだよ」
狼のような耳と尻尾の毛を激しく逆立てながらも眼鏡の蔓に手を添えて微笑みを絶やさずに近付いて来たチセリに、鋭時は戦慄を覚えながらも理由を伝える。
「それは少々おかしな話ではありませんか? 旦那様はご自分の名前を思い出すと同時にステ=イションの事を思い出したと聞きました、でしたらまず【遺跡】より居住区の中を詳しく調べるのが先ではないでしょうか?」
僅かに眼鏡を持ち上げてから眼光鋭く質問して来るチセリに対し、鋭時は逃れるように視線を逸らしながら頭を掻いた。
「だが俺はこの街に来ても、素性に辿り着く記憶を全く思い出してないんだ」
「真夜中に警察署と病院に立ち寄っただけで手掛かりが何も無いと決め付けるのは早計ではないでしょうか? 明日、私が街をご案内いたしましょう」
小さく首を振ってから逃げれた視線を追い掛けるように見詰めて来るチセリに、鋭時はさらに逃げるように俯く。
「でもそれじゃチセリさんに迷惑が……」
「管理業務の大半は機械で自動化されていますので、凍鴉楼を数時間留守にしても支障はございません。それにご案内の際は若奥様やミサヲお嬢様にも同行いただく予定ですのでご心配には及びませんから」
視線を追い詰めたチセリが手を胸に当てて警戒を解かせるように目を閉じるが、鋭時はそのまま静かに首を横に振った。
「お気持ちは嬉しいんだが、俺は拒絶回避で誰に何をしでかすか分からないんだ。こんな体で出来る仕事なんて他に思い付かないぜ……」
「居住区で職に就くのが困難でも旦那様なら公的な支援を受けられます、わざわざ危険を冒してまで【遺跡】に行く必要はございません」
「いやいや……そういう支援って俺みたいな人間じゃなくて、もっと困ってる人のためにあるものなんじゃないのか……」
遠慮がちに鋭時が立てた手のひらを顔の前で横に振ると、チセリの顔から笑みが消えて不機嫌そうにエプロンを強く握る。
「そんなものは人間同士で助け合えばよろしいかと、私は旦那様の力になりたいのですから」
「だからって俺が他の人を差し置いて、ってのはちょっと……」
「余裕が出来れば呆れるほどお人好しになり、余裕が無い時は徹底して冷徹になる国民性を考えれば、旦那様のような普通の人間が余裕を持った生活を送る事こそ、より多くの方々を救う福祉の充実につながると私は考えます」
驚いて慎重に言葉を選ぶ鋭時に、チセリは手を胸に当てて静かに首を振ってから微笑みかけた。
「ちょっと大袈裟じゃないか? 俺にそこまでの事が出来るとは思えないけど」
「旦那様のような普通の人間の生活に余裕が出来れば、無尽蔵に子どもを増やして種籾まで食べてしまうような方々を国が養ってもなお余りあるほどの大きな実りを生み出す可能性を秘めています」
指でこめかみ辺りを掻きながら戸惑う鋭時に、微笑みを絶やさずチセリは言葉を続ける。
「だから買い被り過ぎだって……」
「その証拠に誰ひとり取り残さないと謳う人間は無実の旦那様に忘却刑という形で支える立場の強要をするばかりで手も差し伸べないではありませんか。それならば私が旦那様をお支えして誠心誠意尽くすのが、シショクの12人の願いを果たす事に……」
鼻の頭を指で掻きながら鋭時が否定しても聞く耳持たずに話し続けるチセリに、ドクが慌てて口を挟んだ。
「落ち着いてよチセリさん、掃除屋の適性があるのかを試験するって鋭時君と約束したんだ。内容は実戦に則したものにするから余程の才能が無いと受からないよ」
「ドクターとの約束でしたか、出過ぎた真似をして申し訳ありませんでした」
「ほえ? マーくんとチセりんってどういう関係なんですかっ?」
苦笑するドクと丁寧な仕草で頭を下げるチセリの様子を見ていたシアラが不思議そうな顔をすると、チセリはシアラに向けて柔らかく微笑む。
「ドクターは店子のひとりですよ? 興味深い話を色々聞かせてくださる、まるで遠い親戚のような奇妙な親近感はありますが、特別な仲ではございません」
「ボクだって凍鴉楼の住人のひとりに過ぎないからね。チセリさんは誰にでも礼儀正しく接するし管理人の仕事も真面目にこなしてる、順序は逆になったけどボクが鋭時君に紹介したかった女性のひとりだよ」
シアラに丁寧な説明をするチセリを見ながら、ドクも楽しそうに説明を重ねる。
「ひとりって、他にもいるのかよ!?」
「ウラホさんの件があったからね、掃除屋の中から希望者を2人くらい覚醒させて戦力の増強でもと考えてたんだ。鋭時君の事情を考えれば当面無理だけどさ」
横で聞いていた鋭時が思わず声を上げると、ドクは涼しい顔で疑問に答えた。
「待てよドク、さすがに今の話は聞き捨てなんねえぞ。博沢先生みたいに女の子を泣かせるのはもう御免だぜ」
額に手を当てて俯いて指の間から睨み付ける鋭時に、ドクは腕組みして頷く。
「覚悟を決めたようで結構。例えゼロに等しい合格率でも、試験を受けるからには全力を出してもらわないとね」
「そういう事か……まず受からないって聞かされてても、俺だって後悔も言い訳もしたくないのは確かだけどさ……」
「話が早くて助かるよ鋭時君。という訳なんでチセリさん、申し訳ないが鋭時君の気が済むまではボクに預からせてくれないかい?」
話の真意に気付いて考え込む鋭時を見たドクが再度嬉しそうに頷くと、チセリは小さくため息をついてから口を開いた。
「仕方ありませんね……ドクターがそこまで仰るのであれば、私から申し上げる事は何もございません」
「ご理解感謝するよチセリさん。鋭時君の合否に関わらず居住区内の散策を日課にしてもらうから、そしたら案内をお願いするね」
「いや待て、色々と待て。何で街の散策が必要になるんだよ?」
ドクが微笑みながらチセリに軽く頭を下げると、今度は鋭時が声を上げる。
「さっきチセリさんが言った通り、鋭時君が何かを思い出すかもしれないだろ? それに便利な施設を知ってればこの街で暮らすのにも何かと役立つし、多くの道を知ってたら人の集まってる場所も避けられる」
「言ってる事は理に適ってるけど、何か腑に落ちないな……」
諭すようなドクの説明を聞いて考え込む鋭時の横で、ホットミルクを飲み終えたシアラが突然大声を上げた。
「マーくんっ! わたしも掃除屋の試験を受けていいですかっ?」
「いや待てよ! さすがにシアラをこれ以上危険な目に遭わせられないぜ……」
シアラの唐突な決心に鋭時が慌てて止めようとするが、シアラは首を横に振る。
「でも教授っ! 鬼畜中抜きをして来たあのジゅう人相手には、ミサちゃんだって苦戦したんですよっ! 教授おひとりで遭遇したらどうするんですかっ?」
「ふむ……確かにウラホさんの件を考えれば、半覚醒したジゅう人ひとりは戦力に欲しいところだね……スズナさんやチセリさんは役割的に不向きだし……」
シアラの言葉を聞いて考え込むドクに、今度はミサヲが噛み付いて来た。
「待てよドク! シアラの役割だって違うだろ!」
「第一世代のタイプサキュバスは、出逢った人間とその関係者達を祖国に帰す為に命を懸けたんだ。シアラさんが駆除業務に従事するのも何ら不思議じゃないよ」
落ち着き払った表情でドクがジゅう人の歴史を語ると、ミサヲは握った拳を胸に当てて決意に満ちた表情を向ける。
「だったらシアラと鋭時はあたしが預かる! 文句は無いだろドク?」
「もちろん無いよ。もし鋭時君が合格したら任せるつもりだったし、ウラホさんはミサヲさんを狙う可能性が高いからシアラさんと仕事をするのが最も効率的だ」
ミサヲの決意を軽く受け流して肩をすくめるドクに、レーコさんが静かに近付き話し掛けて来た。
「マスター、最初に話していた内容から情報が倍以上となっています。これ以上の情報の追加は鋭時さんへの負担を著しく増大しかねません」
「レーコさんの言う通りだよドク、鋭時くんだって困ってるじゃないかい」
「それもそうだね、どうもボクの悪い癖だ。そろそろアイディア募集を締め切って試験の要点をまとめようか」
真剣な表情を表示して警告するレーコさんにマキナも呆れた顔で同意し、頷いたドクは顎に軽く手を当ててから鋭時の方へ顔を向ける。
「よろしく頼むぜドク、病院からこっち条件が増えて整理が追い付かないからさ」
「まずは合格の条件だ。仮に鋭時君が合格してもシアラさんが合格できなければ、鋭時君も不合格にする」
真剣な表情を向けて来る鋭時に、ドクも真剣な表情で説明してからひと息置く。
「シアラさんはZKを駆除した事こそ無いけど、タイプサキュバスの膨大な魔力と結界のギフトを応用出来れば合格も容易いと思うよ。残るはZKを駆除した経験のある鋭時君のアドバイス次第だろうけどね」
「情報の伝達や共有も掃除屋に必要な要素って事か? いきなり難問だな……」
奇妙な条件を出したドクの意図を理解した鋭時は、難しい顔で首を捻った。
「少々狡いかもしれないけど、ZKはボクより遥かに狡猾で卑怯だ。ボクの狡さも切り抜けられないようなら、今のうちに諦めてほしい」
「なるほど、もう試験は始まってた訳か……とはいえ、何でZKを駆除出来たのか分からないんだよな……」
試験の方針を説明するドクに、鋭時は困った顔で頭を掻く。
「ZKは胸部の動力核か頭部の制御核、もしくはそれらを結ぶ頸部バイパスを破壊すれば駆除できる。これを鋭時君の経験に当て嵌めて考えてみてよ」
「ああ……だからあの時はどっちを破壊しても消えたのか……って、そんな貴重な情報を教えてもらっていいのかよ?」
あっさり疑問が解決した鋭時が戸惑って聞き返すが、ドクは気にせず微笑んだ。
「ZKを駆除する為の正確な情報を知ってれば、後悔も言い訳も無くなるだろ? 他にも説明したい事はたくさんあるから、食べながらでいいかな? 質問にも都度答えるからさ」
「正確な情報は掃除屋を断念させる手段って事か……分かった、よろしく頼むぜ」
ひと息ついて蕎麦を啜り始めたドクに、鋭時は俯いて納得するように呟いてから顔を上げる。
「では説明を続けるよ。ZKの弱点は今教えたとおりだが、それらは強固な外殻で覆われてる。この外殻を破壊する手段を持つのが掃除屋になる最低限の条件だ」
口の中の蕎麦をひと通り飲み込み終えたドクが試験合格に必要な能力を説明し、鋭時は少し視線を上に向けてから不思議そうな顔をした。
「でもドク、あの外殻は俺でも破壊できたぜ? かなり強引な方法だったけどさ」
「その通りだね。ボクも鋭時君がZKの外殻を破って駆除できたから、この試験を思い付いたんだよ。だけど今のままでは合格はあげられないな」
質問を予想していたかのような顔でドクが首を横に振るが、意外にも鋭時は納得したように頷く。
「やっぱりそうだよな、あの2体を駆除しただけでも魔力をかなり消耗したんだ。あんな戦い方してたら俺が灰になって消えるのが先だよな」
「確かに素人でも大量の魔力を注ぎ込めれば術式次第でZKの外殻を破れるけど、魔力を消費し過ぎてしまっては他のZKに遭遇した時にまともに戦えなくなるよ」
ひとしきり自分の問題点を上げて頷いてから蕎麦つゆに浸った油揚げを口に運ぶ鋭時に、ドクも肯定するように頷いてから稲荷寿司を口に入れた。
「目安となるのは索敵に使う魔力と常時発動する防御用の魔力、これらを維持した状態でZKを駆除する手段が無ければまず生き残れない」
アイスコーヒーをひと口飲んでから掃除屋の生き延びる条件を説明したドクは、厚さ5ミリほどの白い板をLab13から取り出す。
「それは?」
「この板はZKの外殻の硬度と厚さを再現したものだ、こいつを索敵用と防御用の魔力を維持したまま壊すのが最初の試験になる。明日の朝2人を呼びに行くから、それまでに考えといてね」
啜った蕎麦をつゆで流し込んだ鋭時が不思議そうな顔で白い板を見ると、ドクは楽しそうに口元を緩ませながらも真剣な表情で試験の内容を説明した。
「おいドク、ちょっと試験までの時間が短くないか?」
「そうですよマーくんっ、もう日付が変わる頃じゃないですか!」
横で説明を聞いていたミサヲとシアラが抗議の声を上げるが、ドクは涼しい顔で首を横に振る。
「【遺跡】でシアラさんを逃がした時の鋭時君は短い時間でZKを駆除する手段を思い付いたんだから、それに比べれば時間は充分にあると思うよ? もっとも睡眠だって必要だから額面通りとは行かないけどね」
「ったく……相変わらずこういう時だけは口と頭が回るよな、ドクは」
「ここでボク達が鋭時君の事情に合わせて試験の内容を甘くしても、ZKは絶対に合わせてくれないからね。これは練習用に鋭時君とシアラさんに上げるよ」
腕を組んで呆れながら感心するミサヲを見て肩をすくめたドクは、Lab13から白い板を取り出して鋭時とシアラの前に1枚ずつ置いた。
「これ貴重な物なんだろ、もらっていいのか?」
「構わないよ、人の命に比べれば安いもんさ。ZKの外殻に関する情報は鋭時君に掃除屋を諦めさせるのが目的だし、試験開始の時間は現場での即応力と体調管理を試してるとでも思ってもらえばいい」
白い板を手に取りながら戸惑う鋭時に軽く微笑んだドクは、さらにLab13から1本の黒い杖を取り出して鋭時に差し出す。
「それと鋭時君にはボクのアーカイブロッドを貸すよ」
「手持ちの術式だけでどうしようか悩んでたからありがたいけどさ、そこまでしてもらっていいのかよ?」
戸惑う素振りをしながらも手にしたアーカイブロッドへの興味を隠せない様子の鋭時に、ドクは楽しそうに説明を始めた。
「鋭時君が独学で掃除屋になる場合、ZK駆除用の武器を所持する許可は下りないだろうから頼れるのは術式だけになる。そしてこのアーカイブロッドにはこの街で入手できる術式がひと通り入ってる。つまりこれも言い訳と再試験の余地を無くす措置だと思ってくれていい」
「そこまで考えて……ざっと目を通したけど、攻撃術式は無いんだな……」
ドクの思惑に半ば呆れた鋭時は手にしたアーカイブロッドに意識を集中するが、試験に使うための術式が見当たらず眉をひそめる。
「法定攻撃術式を許可なく所有、譲渡、売買するのは法律で禁止されてるからね、でも自分で組み上げた攻撃術式の所有は禁止されてない。つまり後は鋭時君の機転次第って事だよ」
「そういう事か、とりあえず試しに……」
術式を取り巻く法的な事情をドクから聞いて頷いた鋭時がそのまま右手に持ったアーカイブロッドで左手に持った板を軽く叩くと、キィンという軽い金属音だけが微かに響いた。
「アーカイブロッドが特殊金属で出来てるとは言え、それでZKの外殻を破壊するにはジゅう人の中でも怪力を持つ種別の腕力と特殊な武術の訓練が必要だよ」
「なるほどね、やっぱり手持ちの術式をどうにかするしかないか……」
苦笑しながら説明をするドクに、鋭時も頭を掻いて苦笑しながら呟く。
「でもこれだけ術式があるなら、何かいい手も思いつくだろ」
「そうだね、術式の書き換えはボクの専門外だから下手に口出ししないよ。全ては鋭時君のセンス次第って訳だ」
再度ロッドへと意識を集中して組み込まれた術式の確認を終えた鋭時がロッドをテーブルの脚に立て掛けてからどんぶりを手に取って蕎麦を啜り、ドクもそのまま頷いてから蕎麦のどんぶりに入れていたアジフライを齧った。
「ところでマーくんっ、教授やわたしの使う魔力をどうやって見るんですかっ?」
蕎麦をあらかた啜り終えたシアラが試験用の板を何度も裏返しながら疑問を口にすると、ドクは起動したTダイバースコープを指差しながら説明を始める。
「こいつでキミ達の魔力を計測して判断するつもりだ」
「魔力の計測まで出来るのかよ……ステ=イションの技術はとんでもないな……」
「流石に魔力そのものは計測出来ないよ。様々な観測データからおおよその数値に変換するだけで、あくまで目安でしかないんだ」
どんぶりを空にした鋭時が驚きを全く隠さずに呟くが、ドクは苦笑しながら肩をすくめた。
「目安でも凄いと思うぜ。ところでドク、俺の魔力ってどれくらいあるんだ?」
「ふむ……鋭時君の最大魔力は220だが、【忘却結界】の維持に20%取られるから実質は176だね。過去のデータでは人間の成人男性は100~300くらいみたいだし、子供の頃から真面目に訓練してたってところかな?」
記憶の中に全く無い魔力の数値化という技術に興味津々の鋭時の魔力を、ドクはTダイバースコープで計測して伝える。
「消費魔力の参考にオーソドックスな索敵術式の【振動感知】は1回の使用につき4消費、鋭時君の使った【圧縮空壁】は最大出力で魔力を10消費するけど1日中発動出来る。とはいえ鋭時君が【遺跡】でZKを駆除した時みたいに術式発動後に形状を変えれば倍以上の魔力を消費するけどね」
「魔力は中の上……【忘却結界】のせいで中の下か……【圧縮空壁】で使う魔力の感覚は覚えてるから、他の術式はそれを参考にしてみるか……」
ドクの補足説明を聞いた鋭時は、ネクタイに組み込まれた【圧縮空壁】に意識を向けながらアーカイブロッドを手に取った。
「ちなみにZKの外殻を破壊できる法定攻撃術式の消費魔力は最低でも50だよ」
「何だって!? しばらく休めば魔力が少し回復するといっても、その消費魔力はさすがにキツイな……」
悪戯じみた笑顔でドクが試験の合格に必要な消費魔力の目安を教えると、鋭時は困惑して頭を掻く。
「この情報も鋭時君に掃除屋を断念させるための小細工だと思ってもらえばいい。参考までにミサヲさんの最大魔力は1102、シアラさんの方は……39万721だって!? 流石はタイプサキュバス、随分と桁違いの数字だね……」
頭を抱える鋭時に追い討ちでも掛けるかのようにドクがミサヲの魔力を測定して教えるが、そのままTダイバースコープをシアラに向けると同時に言葉を失った。
「おいおいマジかよ……戦略術式を受けても破けないって言ったのも、俺の魔力を全回復させても余裕だったのも納得がいくぜ……」
「えへへ……わたしの魔力がこんなにあるなんて思いもしませんでしたよっ!」
驚き呆れるドクに気付いて考え込み始めた鋭時に、ようやくどんぶりを空にしたシアラが満面の笑みを返す。
「ああ……シアラは合格間違いなしだな、問題は俺か……少ない魔力でどうやって攻撃手段を確保するか……」
「なあ鋭時、ここで考えてもすぐ答えは出て来ないだろ? そろそろお開きにして場所を変えようぜ」
シアラに乾いた笑みを返して考え込む鋭時を見たミサヲは、あらかた片付いたテーブルの料理を見回しながら立て掛けていたミセリコルデを担ぎ立ち上がった。
「そうですね……今日は色々あり過ぎて疲れたぜ……シアラも疲れただろ? 俺がZKを駆除した時の話はミサヲさんの家に行った後でいいか?」
ミサヲの提案に頷いた鋭時が立ち上がってシアラに同意を求めると、ほぼ同時に立ち上がったシアラの目が俄然輝き鼻息荒く鋭時に顔を近付ける。
「初めてのピロートークですねっ! よろしくお願いしますっ!」
「おーいシアラさん。ひと様の家に泊めてもらうんだから、そういう冗談言うのはやめようね」
「わかってますよぉ、でも少しくらい夢を見ても……うわわっ!?」
額に手を当てて苦言を呈する鋭時にシアラも負けじと反論しようとするが、突然体が浮かび上がり驚きの声を上げた。
「人肌恋しいならあたしが温めてやる、シアラのためなら一肌でも諸肌でも何でも脱いでやるぜ!」
「むぐぐぅっ~ぷはっ……ミサちゃんがこれ以上脱いだら大変な事になるじゃないですかっ、むぎゅ~……」
突如ミサヲに抱きしめられたシアラがミサヲの豊満な胸に埋もれては顔を出して声を上げ、それを見たチセリが小さくため息をつく。
「若奥様の言う通りですよ、ミサヲお嬢様はもう少し露出を控えた服装をなさってください」
「しょうがねえだろ。タイプ鬼のあたしがチセリみたいな服を着てると、熱が中にこもって暑くなるんだからよ。今すぐ全部脱ぎたいくらいだぜ」
「脱ぐのは帰ってからにしてくださいまし、ミサヲお嬢様。それに今夜は旦那様がお泊りになるのですから、くれぐれもジゅう人の品位を下げる事の無いように」
片手でシアラを抱えつつ反対側の手でジャンパーを開いて扇ぐような仕草をするミサヲに、チセリは諦めたように再度ため息をついた。
「家では服を脱いでるとか、さすがに色々拙いだろ……まあいざとなりゃあ廊下の片隅にでも寝ればいいか……」
今にもジャンパーを脱ごうとするミサヲから視線を逸らしつつ鋭時が考え込んで呟いた瞬間、耳と尻尾の毛を逆立てたチセリが振り向いて微笑む。
「旦那様、何て仰いましたか……? お客様を凍鴉楼の廊下に寝かせたとあっては依施間家の名折れ、旦那様には必ずどちらかの部屋で休んでいただきます」
「あー……チセリさんの事情も考えずにすまなかった。でもこのままミサヲさんの部屋に泊まって大丈夫なのかな……?」
再度戦慄を覚えた鋭時が愛想笑いを浮かべながらも難しい顔で呟くと、チセリは毛並みの戻った尻尾をゆっくり振りながら圧力を解いた微笑みを向ける。
「ミサヲお嬢様のお店でしたら、宿泊用の部屋が複数ありますのでご心配なく」
「店? 掃除屋ってZKを駆除する仕事だけじゃないのか?」
「そのご様子を見るにミサヲお嬢様からは何もお聞きになられてないようですね、私が説明するより実物を見た方が早いかと思います」
「まあどうせすぐ行くわけだし、ここであれこれ考えても仕方ないか……」
含みを持たせるような微笑みを浮かべて答えるチセリに鋭時が呆れた様子で頭を掻くと、ドクが静かに近付いて来た。
「会計は済ませて来た、ここの支払いはボクが持つよ。まだ説明の足りない部分もあるけど、まずは明日の試験に向けて休もうか?」
「いいのかよドク、今日はシアラと鋭時の歓迎会だからあたしも半分出すぜ?」
「構わないよ。しばらくは研究に没頭する予定だし、ミサヲさんには酒代を残しておいてほしいからね」
今にも喜びで吊り上がりそうになる口元を堪えつつ聞いてくるミサヲに、ドクは涼しい笑顔で肩をすくめる。
「それに【破威石】の換金はボクにとっては臨時収入みたいなものだったからね、鋭時君達に黙って持ち帰った罪滅ぼしみたいなもんだよ」
「あの時マテリアルスケイルも拾ってたのかよ、相変わらずドクは抜け目ないな」
ドクがZK駆除を手伝った目的が【破威石】以外にある事を思い出し、ミサヲが腕を組むようにしてシアラを抱き上げながら呆れた。
「うわわっ!? ミサちゃんっ!?」
「マテリアルスケイル?」
突然背中に2つの柔らかい塊を当てられて驚いたシアラを気にも留めずに鋭時が疑問を呟くと、シアラを抱き上げたミサヲが疑問に答えるように説明を始める。
「鋭時も見ただろうけど、ZKの身体にガラクタがたくさん貼り付いてただろ? あれには【大異変】前に使われてた建材やら精密機器とかが含まれてて、そいつが混ざって固まる事があるんだ」
「その塊をZKの身体に貼り付いた鱗、マテリアルスケイルと呼んで様々な目的で利用してるんだよ。ZKに奪われた文明を取り戻す意味もあるし、貴重な研究材料でもあるんだ」
ミサヲの説明を引き継ぐように補足説明をしたドクが、ひと息ついてからさらに説明を続ける。
「例えば金属が固まったメタルスケイルなら希少金属を含む複数の金属が無作為に混ざった合金だから買い手も多いし、加工すればさらに価値も上がる」
「なるほど、じゃあこのアーカイブロッドもメタルスケイルから?」
「その通り。取り戻したメタルスケイルや、それを魔法科学工場で再現した合金は様々な場所で使われてるんだ。他のマテリアルスケイルも含有物質の内容に応じて呼び方や用途が変わるけど、その辺は試験が終わってから説明するよ」
興味深そうに手にしたアーカイブロッドを眺めながら聞き返した鋭時に、ドクは頷いてから得意気に説明を続けた。
「鋭時くん、得物は抜き身で持つもんじゃないよ。凍鴉楼の中なら問題ないけど、出来るだけ隠すようにしときなよ」
「あ、すいませんマキナさん」
レジの操作を終えて近付いて来たマキナに不意に声を掛けられた鋭時は、慌てて頭を下げてから手にしたアーカイブロッドを外套の内側に隠す。
「そんなに慌てなくてもいいわよ、落ち着いた時にでも収納術式を服に掛けとけばいいんだからさ。明日の試験がんばりなさいよ」
「え? あ、ありがとうございます……」
ニッコリ笑って励ますマキナに、鋭時は曖昧に答えるしか出来なかった。
「あたし達はこれで帰るけど、チセリはどうする? 久しぶりに一緒に寝るか?」
「結構です、私はマキナ様の片付けを手伝ってから自室に戻りますので。今ならここからミサヲお嬢様の店まで誰もいませんので、今のうちに旦那様をお連れした方がよろしいかと」
悪戯っぽく笑うミサヲにチセリが澄ました顔で眼鏡の縁をなぞってから返すと、シアラが不思議そうに首を傾げる。
「ほえ? どうしてそんな事わかるんですか、チセりん?」
「この眼鏡は凍鴉楼の防犯カメラやメンテナンス用ロボットのカメラとつながっていますので、カメラの映像を通じて凍鴉楼内部の出来事ならすぐに把握できます。もちろんプライベートの空間には設置しておりませんのでご安心を」
ミサヲの身体から乗り出すように覗き込んで来たシアラに、チセリは尻尾を少し左右に振りながらも表情を崩さずに眼鏡の蔓に手を当てて誇らしげに説明した。
「ふむ、ここはチセリさんのアドバイスに従って早く移動した方が良さそうだね。レーコさんも行くよ」
「はいマスター。マキナさん、チセリさん、今夜はありがとうございました」
「そうだなドク、今日はこれで帰るぜマキナ母さん。またよろしくな」
チセリから建物内部の様子を聞いて店の出口に向かうドクに続いてレーコさんが一礼してから後を着いて行くと、ミサヲも同意してシアラを片手で抱え直してから空いた方の手を振ってから店を出る。
「あいよ、おやすみなさい」
「皆様お休みなさいませ」
「え、あ、今夜はありがとうございました」
気さくに手を振るマキナと丁寧にお辞儀するチセリに鋭時はぎこちなくお辞儀を返してから、店を出て行ったドクとミサヲの後を追う。
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店を後にした鋭時は入ってきた時とは逆の方向、凍鴉楼の入り口から見て左端にある金属板の埋められた小さな区画でミサヲ達に追い付いた。
「これはテレポートターミナル……? いや違うな……」
「半分正解といったところだね。これはテレポートエレベーター、建物の中で使う小型テレポートターミナルと言ったところだよ」
壁の金属板からテレポートターミナルを思い出して呟く鋭時に、ドクが目の前の施設の簡単な説明をする。
「凍鴉楼の中なら何階だろうとこいつを使ってすぐに移動できるって寸法だ。今の時間ならあたしの住んでる所に人が入らないし、ここを抜ければもう安心だぜ」
言うが早いかミサヲが金属板の隣のパネルを操作すると、抱えていたシアラ共々目の前から消えた。
「やれやれ仕方ないなミサヲさんは、こういう説明はいつもボク任せなんだから。鋭時君、まずはそこにあるパネルの2階を選んでMと表示されてる所を選んでから【移動】を押してみてくれ。そこがボク達の目的地だから」
「分かった、2階のMだな。A、B、C……? 間が飛んでM?……まあいいや」
呆れ顔で頭を掻きながら説明するドクに鋭時が頷きながらパネルに目を落として言われた通りの操作をした瞬間、壁が消えて目の前にビルの廊下が現れた。
「教授っ! こっちですよーっ、教授ーっ!」
「おーいシアラさん、聞こえてるからもう少し静かにしましょうね」
廊下の先で大声を上げて呼ぶシアラに気付いた鋭時が駆け寄って注意をすると、シアラを抱えるミサヲが大声で笑い飛ばす。
「構うもんか、この辺りはあたしとドクしか住んでないんだからさ。それより無事操作できたみたいだな、やっぱりこういうのはドクに任せて正解だぜ」
「そりゃまあ、ドクの説明は的確ですからね……それにしてもここはどこだ?」
悪びれもせず大声で笑うミサヲに鋭時は苦笑と困惑が入り混じった表情で周囲を見回しながら疑問を口にするが、答えは背後から聞こえて来た。
「ここは工場区域との隔壁に面した区画だね。位置的にはボク達の入った玄関から見てちょうど反対側だよ、2階だけどね」
「おっと、もうドクも着いてたのか……」
突然後ろから聞こえて来た声の主に鋭時が驚いて振り向きながら呟くと、ドクは苦笑しながら肩をすくめる。
「旧式エレベーターと違って多くの人や物を同時には運べないけど、移動するのは一瞬だからね」
「なるほど……しかもテレポートエレベーターは縦にも横にも移動できる、と……たいしたもんだな……」
ドクの説明を聞き終えて感心しながら頷いた鋭時に、ミサヲが廊下に2つ並んだ扉のうちテレポートエレベーターから見て手前側を指差して声を掛けて来た。
「ああ、でもってこっち側があたしのねぐらって訳だ」
その扉の横には【グラキエスクラッチ清掃店】と書かれた古い看板が掛けられ、ドアノブには留守を伝える旨の小さな伝言板が紐で吊るされていた。