第11話【優曇華の花園】
シアラの目的は鋭時をジゅう人繁殖のパートナーにする事であった。
拒絶回避で逃げられる期限も限られていると知り、鋭時は凍り付いた。
「1年から3年……それがタイムリミットか……随分幅があるようだが……?」
シアラが完全覚醒する時期が記憶を戻すまでの期限と考えながらも疑問を呟いた鋭時に、ドクが難しい顔をしながら説明を始める。
「覚醒の度合いを0から100として、未覚醒を0、完全覚醒を100とすると、1から99を半覚醒と呼ぶくらいに差がある上に、A因子とは違って覚醒の状態を測定する機械も無いから、完全覚醒までどれくらいかも分からない。それに大抵は覚醒直後に粘膜同士が直接触れ合って一足飛びに完全覚醒するから、過去の事例が少なく予測は難しいんだよ」
「触れればそこで終了……だが拒絶回避が消えるわけじゃない。押さえ付けられた時に、俺がシアラに何をしでかすか……」
自身の拒絶回避でシアラに危害を加える可能性を危惧した鋭時が考え込みながら呟いていると、ドクの背後からミサヲの大声が飛んで来た。
「おいドク、いつまでそこに突っ立てるんだい!?」
「ああごめん、つい説明に熱が入ってしまった。鋭時君、シアラさん、取り敢えず座ろうか?」
会議室の入口を塞ぐように立っていたと気付いたドクが奥に移動しながら鋭時とシアラに椅子に座るよう促すと、鋭時は軽く頷いてからスーツの袖を掴むシアラに視線を向ける。
「分かったドク。シアラも一旦離れてくれないか? この状態のまま椅子に座れる自信は無いからさ」
「はーい、わかりまし……うわわっ!?」
鋭時の頼みを快く聞き入れて微笑んだシアラが鋭時のスーツの袖から手を離した瞬間、会議室に入って来たミサヲがシアラに抱き付いた。
「よーっし、捕まえた。しばらくはあたしと一緒にいような」
「その癖は相変わらずみたいだな、相曾実ミサヲ」
シアラを抱き上げながら手近な椅子に座ったミサヲを、斜め向かいに座る蔵田がため息をついてから睨み付ける。
「そんな怖い顔するなよ、副署長。同じ布団で寝た仲だろ?」
「ええ~!? ミサちゃんとノリくんってどういう関係なんですかっ!?」
からかうように笑うミサヲにシアラが驚いて興味津々の表情を向けると、蔵田はさらに大きなため息をついた。
「はぁ……幼稚園での昼寝の話だ。そんな昔の話を持ち出さないでくれ、姉さ……相曾実ミサヲ。聞き取りが終わり次第、榧璃乃シアラを速やかに解放するように」
「にゃはは分かってるって。可愛い弟を見てると、ついからかいたくなるんだよ。ミノリ、元気でやってるか?」
疲れた様子で抗議する蔵田にミサヲが悪びれもせず笑い掛けていると、シアラを抱えたミサヲから椅子をひとつ挟んで隣に座った鋭時が不思議そうに呟く。
「姉弟……?」
「どうした鋭時? あたしとミノリが姉弟ってのがそんなに意外か?」
「すいません……なんて言うか、その……【証】って言うんですか? ジゅう人の特徴がまるで違うな、と思って……」
覗き込むように身を乗り出しながら聞き返して来たミサヲに驚いた鋭時が慌てて弁明すると、鋭時の予想に反してミサヲは嬉しそうに笑い出した。
「あっはっは、そんなに固くなるなよ。確かにジゅう人の記憶が全く無い鋭時からすればごもっともな疑問だが、答えは簡単だ。あたしのお袋はタイプ鬼、ミノリの母ちゃんはタイプ烏天狗ってだけだぜ」
「母親が……すいません、なんか立ち入った事情に踏み込んでしまったみたいで」
腹違いの姉弟と知って気まずそうな表情を浮かべて頭を掻いた鋭時に、ミサヲは不思議そうな顔で聞き返す。
「どうした? みんなで親父を愛してたんだし、難しく考える事じゃないだろ? 最初に産まれたあたしは、よく後から産まれた妹や弟の世話をしてたんだしさ」
「いや待て、色々と待て。今さらりと凄い事を言わなかったか?」
自分の家族の事情をさも当然の如く話すミサヲに、鋭時は自分の耳と常識を疑い額に手を当て呟いた。
「父も強いA因子を持った人間でしたから、多くのジゅう人が集まりました。父は既に故人ですし、強いA因子を持つ燈川鋭時なら多くの住民が歓迎するでしょう」
「副署長さんまで勘弁してくれよ……シアラだけでも考えが纏まらないのに……」
ミサヲの言葉を全く否定しない蔵田に驚き呆れた鋭時が手のひらを向けて発言を制止すると、もう片方の手を額に当てて考え込む。
「状況を整理させてくれ。まず俺の体には強力なA因子とやらがある。次に、その因子にシアラが引き寄せられて離れなくなった。ここまでは合ってるよな?」
「そうだね、鋭時君。そしてここに来る前にも少し説明したけど、A因子は複数のジゅう人に影響するんだ」
「確かにそんな事を言ってたな……そうか! 覚醒させるジゅう人を増やすと俺の負担が増えるって話も、つまりは……その、回数が増えるから……なのか?」
鋭時達の座った場所から縦に繋げた机の前に座ったドクの楽しそうな補足説明を聞いた鋭時は疑問が解消した興奮で大声を上げるが、徐々に声のトーンを落としていった。
「鋭時君は理解が早いから助かるよ。とはいえ今のままだと混乱が大きくなるし、シアラさんとの相性もあるから誰を加えるかは落ち着いてからになるだろうね」
「ドクの言ってた利益って、つまりそういう事かよ……」
既に鋭時が複数のジゅう人と繁殖する前提で話し出すドクに、鋭時は力なく肩を落とす。
「ジゅう人にとって繁殖は最重要かつ最優先事項なんだ、ここまでのA因子を持つ人間を見過ごす理由は無いよ。鋭時君には悪いけど、ジゅう人はこういう生き物と割り切ってもらわないとね」
「そんなに難しく考えるなよ、鋭時。あたしの親父も最初は戸惑ったらしいけど、あたしが産まれた頃には落ち着いたってお袋が話してたぜ。なるようになるさ」
「そ、そうですか……そうでしょうね……」
豪快に笑うミサヲを見ながら、鋭時はただ苦笑いを返すしかなかった。
「あー、君達。盛り上がっとるところ悪いが、そろそろ業務を始めていいかな?」
「すみません署長、すぐに聞き取りを始めますので」
会話の途切れるタイミングを見計らっていた真鞍が咳払いしてから口を挟むと、蔵田は机の上に置いたタブレット端末を手に取って何やら操作を始める。
「いや、お姉さんをここに連れて来たのは僕だから会話が弾むのは構わないんだ。ただ……出来れば相曾実君の、君達の父親の話題は署内では控えてくれんかね?」
「分かりました、以後気を付けます」
「悪いね、蔵田君。これもまあ上からのお達しでね、僕も逆らえないんだよ」
タブレットを操作しながら沈むように返答する蔵田に、真鞍は申し訳なさそうな顔で髭を撫でた。
「親父は先代の署長だったんだけど、ちょいと厄介な死に方をしてさ……ここでは何かと具合が悪いんだよ。わりいな鋭時」
「なるほど……ジゅう人からすれば誇らしいけど、警察としては隠しておきたい、という訳か」
小声で事情を説明するミサヲに、鋭時も納得して呟く。
「お待たせしました、燈川鋭時。既にお分かりの通り、ジゅう人が繁殖本能の赴くままに行動した場合、人間の生活に支障が出る場合があります。人間への聞き取りは、ジゅう人に対して厳正な法的措置を望むかの確認です」
「厳正な法的措置、ね……もし望むと答えたらシアラはどうなるんだ?」
タブレットを手に真剣な面持ちで説明をする蔵田に不穏な空気を感じた鋭時は、慎重に言葉を選んで質問を返した。
「法定手続により榧璃乃シアラを始め、燈川鋭時のA因子によって覚醒した全てのジゅう人は、燈川鋭時の安全を確保するまで隔離施設で過ごす事になります」
「教授っ、わたしは教授の決定に従いますから、遠慮しないで決めてくださいっ」
「一時的に隔離、か……」
ミサヲの膝に座って微笑むシアラに目を向けた鋭時は、目を閉じて蔵田の説明について考え込む。
(これでシアラに掛ける迷惑が最後なら、悪くない話かもしれないが……)
「もうひとつ質問なんだが、俺の安全を確保するのにどれくらいかかるんだ?」
隔離措置に興味を持った鋭時がジゅう人を隔離する期間を遠回しに質問すると、蔵田は重苦しい雰囲気で口を開いた。
「決まった期間はありません。燈川鋭時が人間のパートナーと結ばれるか、天寿を全うするまでです。そして、その間は燈川鋭時の活動範囲も制限されます」
「かなり厳し過ぎないか? その言い方だとパートナー探しも自力だろうし……」
「はい、本人同士の自由意志は最大限尊重されるべきですから」
(だとしたら期間は何十年も先、離れたらあるいはと思ったが……)
想像を遥かに上回る隔離期間の長さに難色を示してから考え込む鋭時に、ドクが神妙な顔付きで説明を重ねる。
「これから鋭時君の住む世界は無数の浮木で埋まった海面のようなもの、さすがに寄って来る木を全部回収するわけにはいかないから海底にいてもらわないとね」
「もう俺はどうでもいいんだよ。それよりシアラだ……こんなの無いだろ……」
自身の見通しの甘さを痛感した鋭時は、額に手を当ててドクの話を受け流した。
「ジゅう人は長期間繁殖出来ますので特に問題はありません。榧璃乃シアラも姿が変わる事なく出所した後に残り僅かな人生でジゅう人の繁殖に尽力するでしょう。次の人間が受け入れてくれれば……の話ですが」
「いや待て、色々と待て。何でそこまで不条理な法律を律義に守れんだよ……」
淡々と説明する蔵田に鋭時が信じられない様子で呟くと、蔵田は真面目な表情で疑問に答える。
「異なる世界から飛ばされて帰る手段が無いとはいえ、我々の事情のみを主張して現地主権者の人権を制限してしまうのでは筋が通りません。我々ジゅう人の繁殖はただ子どもを産むのではなく、人間と共に支え合い助け合える大人に育てるまでを意味しますから」
ジゅう人の矜持と総意を話し終えてひと呼吸置いた蔵田は、温和な表情に戻って口を開いた。
「改めて質問ですが、燈川鋭時は覚醒したジゅう人への法的措置を望みますか?」
「ここまで聞かされてそんな事できるかよ……いや待てよ、手はあるか……!」
あまりに重い決断を突然迫られた鋭時がしばらく考え込んでから何かを決意して口を開こうとするが、鋭時の意図を察した真鞍が遮るように口を開く。
「あー……燈川君。病気もケガも治癒術式で即完治出来るご時世だ、万が一の時もトラブルを避けるために平均的な寿命を迎える年まで伏せられるよ。早まった事をしても期間は変わらないからね」
「そこまでお見通しかよ……法的措置とやらは断る。後はもう好きにしろ」
真鞍の言わんとするところを察した鋭時が頭を掻きながら投げやり気味に回答を言い放つと、突然シアラが大声を上げた。
「ありがとうございますっ! 傍に置いてくださるだけでなく、教授に好きなだけ愛を捧げてもいいだなんてっ! 教授もわたしを好きにしてくださいっ!」
「はぁ……妙なタイミングで喜ぶと思ったら……そういう意味じゃねえ……って、今さら遅いか……」
全く予期せぬ場面でシアラが大喜びする謎が解けたと同時に訂正までは不可能と悟った鋭時はため息をつくが、シアラは気にせず満面の笑みを浮かべる。
「これでわたしもジゅう人の役割を果たす事ができますっ! 男の子ができるまでがんばりましょうねっ、教授っ」
「やっぱりシアラは天使だぜ! 鋭時もそう思うよな?」
「ここまで話が見えない状況で、同意を求められてもね……」
興奮して盛り上がるシアラとミサヲに見詰められて苦笑と困惑が混じった表情を浮かべた鋭時は、頭を掻きながらドクの方を向いて助け舟を求めた。
「ジゅう人は自分に与えられた役割を重んじるんだ。役割は生まれ付いてのタイプからその場の状況による役割分担まで様々だけど、社会を円滑に回してジゅう人の利益を増やすのが共通の目的だからね」
「役割分担が利益に結び付くのは何となく分かったけどさ、その……男の子ってのはいったい……?」
話を振られて楽しそうに説明するドクに、一応の納得をした鋭時は躊躇いがちに次の質問をする。
「人間とジゅう人の間からは高確率で同じ種別のジゅう人が産まれ、極稀に人間が産まれる。そしてタイプサキュバスは女性だけの種別。今のボクが説明出来るのはここまでかな?」
「つまり、人間とタイプサキュバスの間から男の子が産まれるとすると……はぁ、そういう事かよ……」
ドクに提供された情報をしばらく考え込んでからシアラの言葉の意味を理解した鋭時は、そのまま大きくため息をついて項垂れた。
「えへへ……わたしの想いが教授に伝わって何よりですっ!」
「別に知りたくなかったけど……シアラの生まれ故郷がタイプサキュバスだらけと思うとね……」
遠回しに無茶な要求をされた鋭時が疲れた顔で呆れると、シアラは不思議そうな顔を返す。
「ほえ? わたしの住んでた街でタイプサキュバスはわたしひとりだけですよ? わたしの両親も別々のタイプのジゅう人ですし……っ!」
「やっぱりそうか……タイプサキュバスがいるなんて珍しいと思ったんだよ」
「どういうことだ? ジゅう人にはまだ俺の知らない何かがあるのか……?」
シアラの話を聞いて納得するように頷くドクに、鋭時は首を傾げながら目の前の新たな疑問を呟く。
「そうだね、鋭時君。ジゅう人同士で結ばれた場合はどの種別の子供が産まれるか分からない、法則はあるんだろうけど基本はランダムなんだ」
「さっきのドクの説明と合わせると……シアラの父親は確実に違うとして、母親もシアラとは別の種別って事なのか?」
鋭時の呟きに答えるようにドクが説明すると、しばし鋭時は考えて質問を返す。
「その通りだよ。【大異変】によってこっちの世界に来たタイプサキュバス達は、混乱が落ち着いた頃には全て国外へ旅立ったんだよ。さしずめ国境の外はサキュの惑星と言ったところだろうね。逆に国内にいるタイプサキュバスは別々のジゅう人同士の間から偶然産まれるしか有り得ないんだ」
「それってつまり……」
ドクの補足説明によってシアラが特異な種別のジゅう人であると理解した鋭時が考えを纏めようとすると、恐る恐るシアラが話しかけて来た。
「教授……わたしの親がどちらもジゅう人と知って、どう……思いますか?」
「どう……って? それが普通じゃないのか?」
質問の意味が理解できず不思議そうに鋭時が聞き返すと、突然シアラの目に涙が溜まり出した。
「よかった……わたし、ずっと黙って……教授に嫌われたらどうしよう……って」
「何で泣くのかよく分からんが、命の恩人を嫌う訳無いだろ……」
言葉を詰まらせて涙を流しながらも喜ぶシアラを見た鋭時が混乱しながら呟いた途端、突然シアラが笑顔に変わってから丸く大きな目を輝かせて見つめて来た。
「嫌いじゃないって事は、好きって事ですよねっ!」
「はぁ!? どうしてそうなるんだよ……いや、どう答えりゃ正解なんだ……」
「良かったなあ、お嬢ちゃん……っとすまん、これは失言だったかな」
予想外の言葉に対して困惑しながら掛ける言葉を考え始めた鋭時に代わるように真鞍がシアラに声を掛けるが、途中で言葉を詰まらせてばつが悪そうに頭を掻く。
「気にしなくていいですよっ。法的に問題ある年齢超えたらジゅう人に年齢なんて有って無いようなものですからっ。それにわたし、クマさんより年下ですしっ」
「確かにそうだ。名前と生年月日だけだが、お嬢ちゃんのIDカードを読み取った情報をだーくめさんから受け取って確認したからな。燈川君も確認するかい?」
微笑むシアラに照れ笑いした真鞍が懐から取り出した携帯端末を上機嫌で鋭時に差し出すが、鋭時は広げた手を向け断った。
「別にいいよ事案になるかどうかを知りたかっただけだから。ましてや俺は自分の正確な情報が分からないのに、一方的に知るなんてアンフェアだ」
「そうか、案外律儀だねえ……お嬢ちゃんはれっきとした成人だし、誰も燈川君をしょっ引かないよ。うるさい団体やメディアもこの街にいないから安心していい」
「安心ね……何にせよ首がダメなら腹を括るしかねえからな……命を捨てるような柄じゃないけど、増やすのなんかはもっと柄じゃないってのに……」
鋭時の反応に苦笑した真鞍が真面目な表情に切り替えて身の安全を保障すると、鋭時は諦めたように呟いた。
「そう悲観しなさんな、ここまで気立てのいい嫁さんなんて滅多にいないぞ」
「嫁さんって……端から見ればそうもなるか。金も記憶も無い俺にね……」
元気付けようとして真鞍が茶化すように笑うが、鋭時はただ苦笑して自嘲する。
「人間の女性はパートナーを選ぶ条件が複雑だけど、ジゅう人は基準がA因子だけだからね。それに、パートナーと心に決めた相手に最期まで寄り添うし、鋭時君が危惧する詐欺や背乗り、余桃の罪も絶対に無い事は保障するよ」
「確かに強引な展開さえ気にしなけりゃ、人間の相手よりは楽か……そう考えりゃ悪くないかな……」
ジゅう人の特性についての補足説明をドクから聞いた鋭時の顔は、幾分か明るいものとなった。
「あの、署長……燈川鋭時への聞き取りは終了と言う事でよろしいでしょうか?」
「そうだね、蔵田君もご苦労さん。初めての事例がイレギュラーで大変だったろうけど、だいたいこんな調子だよ。僕もロジネルの事件で応援に駆り出されていくつも聴取を担当したけど、いつの世も男の決め手は惚れた弱み、って訳だ」
遠慮がちに話し掛けて来た蔵田を真鞍が微笑みながら労いに興味を持ったのか、ドクが横から話し掛ける。
「ロジネルの事件? ああ、ロジネルの祝福ですか」
「あれが祝福だって!? まあ多くのロジネル住民に嫁さんが出来たって意味では間違っちゃいないが、あの時は1日に何組も聞き取りして大変だったんだぞ」
何気ないドクの言葉で当時を思い出した真鞍が驚き呆れていると、今度は鋭時が興味を持ち始めた。
「その事件だか祝福だかを詳しく教えてくれないか? 俺はそのロジネルで記憶を失っていたんだ、聞けば何かを思い出せるかもしれない」
「本当ですかっ!? マーくん、クマさん。わたしからもお願いしますっ!」
「おっとっと、暴れたら危ないだろ……あたしからも頼めるか、ドク。あたしは噂程度しか知らないから、教えようにも教えられないんだ」
鋭時の考えを聞いて興奮しながら身を乗り出したシアラをミサヲが慣れた様子で押さえながらドクに説明を頼み、ドクは顎に手を当てて考える。
「一理あるか……どこから説明すればいいかな? まず居住区は人間とジゅう人が共存するステ=イション型と、人間だけが生活してるロジネル型の2種類あるのは知ってるかな?」
「駄目だ……悪いけど、全く思い出せない」
最初の説明を聞いた鋭時がどうにか手掛かりを思い出そうとしばらく頭を捻ってから全く思い出せずに断念すると、ドクは頷いて説明を続けた。
「ロジネル型の住民ならステ=イション型を知ってる方が珍しい話だからね、無理しなくていい。ロジネルは[LOcking GEometrical NERve]の略で複合型認識封鎖式大型居住シェルターとも呼ばれ、キミのいたロジネルの街は最も古い1号機だ」
「1号機……人間だけの街で最も古かったのか……」
鋭時が考え込みながら呟くと、ドクは軽く頷いて説明を続ける。
「そうだね。それでロジネル型居住区にはジゅう人にだけ作用する特殊な認識阻害装置が設置されてて、郊外にあるテレポートターミナルにさえ入れないんだ」
「なんか閉鎖的だけど、建設した当時の考えとしては分からないでもないな……」
ロジネル型居住区の特殊な装置の説明を聞いた鋭時は僅かに眉を顰めるが、自分自身がジゅう人を初めて見た時の反応を思い出して気恥ずかしそうに笑う。
「ロジネルの設計開発にはステ=イションを拓いたシショクの12人とジゅう人が協力したとされてる。帰る手段が無いとはいえ未知の存在であるジゅう人と距離を置くのは、当時としては最善の策だったと思うよ」
「確かに住む場所を分ければ混乱を避けられるだろうけど、よく当時のジゅう人がそこまで協力してくれたな……」
同意するように頷きながらドクが説明をすると、鋭時は自分の想像以上に誠実な当時のジゅう人の選択に対して呆れ気味に感心する。
「ジゅう人側としても人間とZKの両方と事を構えるのは得策じゃなかったから、話が通じる方との交渉に応じたんだ」
「なるほど、その時に交渉したのがシショクの12人だった、という訳か……」
今までの話からジゅう人の交渉相手を推測して呟く鋭時に、ドクもまた頷く。
「そうだね、彼等とジゅう人が協力してZKを駆除した事で人間の居住圏を数多く取り戻した結果、政府にステ=イション型居住区にのみ住む事を許可されたんだ」
「そこまでしても住める場所は限られたのか……」
命懸けで人間に尽くしたジゅう人への対価を聞いた鋭時が沈んだ表情で呟くと、ドクは苦笑しながら説明を続けた。
「そんなに気に病む事は無いよ。居住区の中央にある魔法科学工場なら水も食料もエネルギーも作れるし、多様性を守る為に在来種を保護するのは当然だからね」
「魔法科学工場……確か……【大異変】以前は輸入に頼ってた食料やエネルギーを自国で補うためのものだったかな?」
ドクの説明を聞いて居住区の中心区画にあるとされる特殊な工場に関する知識を疑問交じりに呟いた鋭時に、シアラが目を輝かせて興奮気味に声を掛けて来る。
「教授っ、何か思い出せたんですかっ!?」
「毎度期待させておいて申し訳ないが、今度も常識の再確認だ……」
「そうですかぁ……」
またも自身の素性に辿り着けなった鋭時が申し訳なさそうな表情で頭を掻くと、シアラは肩を落として項垂れた。
「説明の続き、いいかな?」
「すまない、また話の腰を折っちまったな」
苦笑いを浮かべて控えめに聞いてくるドクに、鋭時は軽く頭を下げる。
「ジゅう人は人間に尽くすのが本能みたいなもんだから構わないよ。ただそいつが行き過ぎて強大なA因子を持つ人間への繁殖本能の暴走を抑えられなかったから、政治の力を借りた自制を選んだんだ」
「そうなのか……じゃあ何でロジネルは今、ジゅう人がたくさんいるんだ?」
ジゅう人が自らの習性と人間との共存を両立するために折り合いを付けた経緯をドクが慣れた様子で説明すると、鋭時は納得して頷いてから自分がいた街の風景に対する疑問を口にした。
「3年前にロジネルの装置が突然停止してジゅう人が入れるようになったんだよ。人間と言う種の保存の為に造られた陸の方舟は、ジゅう人にとって魅力的な狩場になったのさ……皮肉な事にね」
「狩場って……何となく想像は付くけど、随分物騒な言い方だな……」
当時のあらましを説明しながら肩をすくめたドクに鋭時が苦笑を浮かべながらも納得して頷き、ドクもまた苦笑して頷く。
「当時のロジネルには強大なA因子を持った人間がたくさん住んでたみたいだし、ジゅう人の目には宝の山に映っただろうからね」
「それで結局ステ=イション型に改修してからジゅう人に開放されたんだよな? あたしがそれを聞いた頃には上物のオスはあらかた狩りつくされたって話だから、行くのは断念したけどさ」
ドクの話を聞いたミサヲが思い出し笑いをしながら当時の状況を話すと、蔵田が咳払いをしてから口を開いた。
「言葉遣いが悪いぞ、相曾実ミサヲ。人間の前では失礼の無いように」
「そう固い事言うなよミノリ……っと、ここでは副署長か。とにかく、鋭時はもうステ=イションの大事な仲間なんだからさ」
目の前の人間に全く気を使う様子の無い態度で接しようとするミサヲに、蔵田は大きくため息をつく。
「はぁ……仲間だと言うなら尚更言葉遣いに気を付けないと。人間はジゅう人より遥かに繊細で複雑な生き物なんだから……」
「いや待て、色々と待て……人間はジゅう人ほど丈夫じゃないから繊細なのは……まあ分かるとして……どうして複雑なんだ……?」
蔵田の苦言をミサヲの隣で聞き流していた鋭時だが、人間に対するジゅう人側の認識を聞いた途端に思わず疑問を呟いてしまった。
「姉が失礼しました、燈川鋭時。我々ジゅう人は繁殖を最優先としているせいか、生物学的に単純化する傾向がありまして……」
「い、いや、こっちこそ話の腰を折ってすまない。というか、その……」
立ち上がって頭を下げる蔵田に鋭時も座ったままで頭を下げるが、謝罪の理由をどのように聞くか考えて言葉を詰まらせる。
「まどろっこしいねぇ。人間はどうだか忘れたけど、ジゅう人にはメスとオスしかいない。メスが気に入ったオスを押し倒す、シンプルで分かりやすいだろ?」
「ああ、それで……俺は特に気にしないぜ、副署長さん」
微妙な沈黙に耐え切れなかったミサヲが早口でジゅう人の認識を捲し立てると、ようやく蔵田の謝罪の意味を理解した鋭時が頭を掻きながらぎこちなく微笑んだ。
「ご理解感謝します。我々警察も燈川鋭時への協力は惜しみませんので、お気軽にお申し付けください」
「そこまでしなくても……俺としてはシアラに恩を返せれば、それでいいからさ」
直立して敬礼する蔵田に鋭時が指でこめかみ辺りを掻きながら座るよう促すと、横からシアラが目を見開いて声を掛けてきた。
「それで教授っ、何か思い出せましたかっ!?」
「え? ああ、そういやそれが目的だったんだよな……」
当初の目的を思い出した鋭時が記憶を辿るべく必死に頭を捻ったが、街の全容が変わる程の大事件の記憶はどこにも見つからなかった。
「記憶が無いのも仕方ない話だ。鋭時君のような人間が今のロジネルで3年もの間ジゅう人に捕まらずに生活できるなんて、どう考えても不可能だからさ」
「そうか、せっかく話してもらったのに悪いな……」
苦笑しながら鋭時に事件の記憶が無い理由を説明したドクに、鋭時は呟くように小さく謝る。
「構わないよ、可能性はゼロじゃなかったんだし。それに鋭時君はロジネル以外のロジネル型居住区から来た可能性が高まった。これだけでも今は収穫だね」
「そうか……でも、これで振り出しに戻った。別の方法を考えないと……」
会話の中で得た情報を精査したドクが鋭時の素性を大雑把に推測すると、鋭時は腕を組んで今後の方針を考え込んだ。
「それなんだが、鋭時君とシアラさんはしばらくステ=イションにいるんだろ? 今後の為にも、IDカードの資格欄は確認した方がいいかもね」
「今日明日にも進展するって訳でもなさそうだしな……ここは素直に聞いとくか」
ドクの提案に頷いた鋭時がIDカードを取り出してから表面を確認するが自分の氏名とIDカード作成時に撮られた顔写真しか見当たらず、裏面も確認するが何も書かれていない。
「うん? あっ、そういう事か」
目当ての情報を見付けられずに困惑していた鋭時が何度も裏返したIDカードに搭載されている生体バッテリーに気付いて作動させると、カードの上に立体映像が現れた。
「こういう仕組みだったのかよ……資格欄は……これか……ようえい?……いや、ルビが振ってあるな……【陽影臥器】? なんだこりゃ?……」
「なんだって!? おい鋭時、いったいそりゃあどういうことだ!?」
ようやく資格欄を見付け出した鋭時が表示された謎の文言を読み上げると、突然ミサヲが大声を上げた。