第10話【何も知らない男のピリオド】
どうにか鬼畜中抜きを退けた一行はテレポートターミナルまで戻り、
ステ=イションの居住区到着まであと少しとなった。
「ふたりともご苦労さん、ここを道なりに歩いて行けばステ=イションに着くぜ。もうひと踏ん張り頑張ってくれよ」
「こっちにも道があったのか、最初に来た時には全く気付かなかったな……」
車両用ターミナルに続く道とは反対側、歩行者用ターミナル裏手の小高い山へと続く道までミサヲに案内された鋭時が自身の不注意を驚き呆れていると、後ろから来たドクが小声で話しかけて来た。
「ステ=イションは【大異変】の後の世界で最初に造られた居住区だから、ZKに対して考え得る限りの防衛手段を立てていたんだ。この道も普段は隠れてるけど、人の到着に合わせて見えるようになっている」
「俺達はその仕掛けのせいで【遺跡】に入ったって訳か……もしかしてロジネルのターミナルでステ=イション行の料金が表示されなかったのもそのせいか……?」
「レーコさんから聞いた話だと、鋭時君達はロジネルから来たんだったね?」
説明を聞いて疑問を呟いた鋭時に、ドクは念を押すように強く聞き返した。
「ああ、ここに来る時に使ったターミナルには、ロジネルって書いてあったぜ?」
思わぬ気迫に戸惑いながらも正直に答えた鋭時に、ドクは納得して頷く。
「やはりそうか……ロジネルはステ=イション設立後に造られたんだけど、意見の対立があって袂を分かった街なんだよ。それ以降は無用の混乱を避ける為に往来を制限してたんだ」
「そんな事が……じゃあ俺達が【遺跡】に迷い込んだ原因はその制限なのか……」
記憶を失ってから知った2つの街の意外な関係を理解した鋭時は、納得と安堵が入り混じった様子で小さく俯き呟いた。
「そういう事だね。でも今ではロジネルとの対立も無くなっているのに制限設定が残っていたのは盲点だったよ、すまなかったね」
「別にドクが謝る話でもないだろ? それにあいつを助けてくれたし……どれだけ感謝してもしきれないくらいだよ」
唐突な謝罪を受けた鋭時が思わず苦笑いを浮かべると、ドクも苦笑しながら指でこめかみ辺りを掻く仕草をする。
「キミ達は計り知れない利益をステ=イションにもたらしてくれるだろうからね、来てもらう為なら何だってするつもりだよ」
「利益って、さっき言ってたA因子で多くのジゅう人を覚醒できるって話か?」
「それはシアラさんと相談してからだ。覚醒はあくまでも副産物だし、鋭時君への負担も大きくなるだろうからね」
「負担? 今のところ何も無いけど……それに何であいつと相談が必要なんだ?」
「え? あー……そこから説明が必要なパターンだったのか……」
要領を得ずに疑問符をいくつも頭に浮かべたような顔をして呟く鋭時に気付いたドクが次にするべき説明を思案していると、いつの間にか先を歩いていたシアラが声を掛けて来た。
「教授ーっ、マーくんっ、そろそろステ=イションに着くそうですよーっ」
「どうやら説明の続きは、ステ=イションで落ち着いてからになりそうだね」
「よろしく頼むよ……記憶の手掛かりを探すはずなのに、何かおかしな話になって来たな……」
肩をすくめて歩みを速めるドクに頷いた鋭時は、当初の目的からかけ離れてきた状況に戸惑いながら後を追う。
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「ちょっと待ってろよ、街に入る準備をするからさ」
鋭時とドクの合流を確認したミサヲがホットパンツの後ろのポケットから小さく折り畳まれた布を取り出すと、丁寧に広げて細長い袋状のガンケースに戻してから肩に掛けた放電銃、ミセリコルデを手際よく収めて肩に掛け直す。
「ミサちゃんそれは?」
「ん? まあ、抜き身で居住区歩き回る訳には行かないからな」
慣れた手つきで銃をガンケースに収めたミサヲは、興味深そうに眺めるシアラに気付いて鼻の頭を掻きながら照れ笑いした。
「そうだ鋭時君、そろそろアーカイブロッドを返してもらっていいかな?」
「ああ分かった。手放すのが勿体ない程の杖だけど、さすがに借りたままという訳にはいかないものな。助かったぜドク、ありがとな」
シアラとミサヲのやり取りで状況を理解した鋭時が手にしたアーカイブロッドをドクに返し、ドクは頷きながら受け取ったロッドをLab13に放り込む。
「ありがとう、居住区では武器が必要になる場面はまず無いからね」
「そっか、ならひと安心だ」
ドクからステ=イションの安全性を説明された鋭時は、またしてもミサヲに抱き付かれたシアラを眺めて軽く安堵のため息をついてからシアラを抱えて歩き出したミサヲの後を追った。
▼
「ミサちゃん、もしかしてあれが入口ですか?」
一行がしばし道なりに進んでいると、ミサヲに抱えられていたシアラが上り坂の入口に建つ巨大な鳥居に気付いて声を上げる。
「ここがステ=イションの入口……これも防衛手段のひとつなのか……?」
シアラの声を聞いて駆け寄って来た鋭時も、上り坂の後方に見えるはずの山肌をドームのように覆うガラス状の外壁を背に建つ巨大な鳥居に気付いて立ち止まる。
「その通りだよ、鋭時君。外壁は【時空障壁】をはじめとする様々な防御術式を施した壁の外側には術式を無効化する機械、マジックキャンセラーが設置されてる二重構造で、壁を破壊する事も【瞬間移動】のような術で入る事も出来ないんだ。ステ=イションに入るには、外壁にいくつか配置されてる鳥居型ゲートを通るしか無いんだよ」
「ここが入口ですねっ、マーくんっ! 早くステ=イションに入りましょうよっ、教授っ! すぐに記憶を戻しましょうねっ!」
ミサヲの腕から降りて鋭時の隣でドクの説明を聞いていたシアラは、興奮気味に鋭時のスーツの袖を引き始めた。
「落ち着けよシアラ。着いたばかりで行くアテも無いんだぞ?」
「それは入ってから考えればいいんですっ!」
頭を掻きながら呆れる鋭時のスーツの袖を力強く引いて歩くシアラが大鳥居型のゲートに近付いた瞬間、シアラは突然現れた【少々お待ちください】と表示された光の壁に埋もれるようにぶつかって行く手を阻まれる。
「シアラ、大丈夫か!?」
「大丈夫です教授っ! この壁柔らかくて気持ちいいですよっ! でも、これでは中に入れませんねぇ……」
突如出現した光の壁に驚いた鋭時が心配して声を掛けると、シアラは柔軟な光の壁を触って無事を伝えてから腰に取り付けたネコのぬいぐるみに手を入れて結界を操作する小さな日傘、メモリーズホイールを取り出した。
「いや待て、色々と待て。さすがにそいつを使って街に入るのはまずいだろ……ドク、何か知らないか?」
強行突破を図るシアラを慌てて制止した鋭時は後ろを振り向いて、ドクに助けを求めるような表情で尋ねる。
「ふむ、こんな機能見た事ないな……何がきっかけで発動したのか興味深い」
「んな事はどーでもいいだろ! いったいどういうつもりだ、だーくめさん!」
光の壁を興味深く眺めるドクの後ろにいたミサヲが苛立ちを隠さずに上を向いて大声を上げると、黒い帽子とローブを身に着けた少女の姿をした立体映像が字幕と共に出現した。
【現在新しいIDカードの発行手続中です、少々お待ちください】
「この人が……いや、立体映像がだーくめさん? IDカード……? 確かに俺はそんなもの持ち合わせちゃいないな……」
「居住システム管理用AIインターフェースのDMCCC、通称はだーくめさん。何でそう呼ぶのかまでは知らないけどね」
浮かび上がって来た立体映像を不思議そうな顔で眺めながら呟く鋭時に、ドクは楽しそうに説明を続ける。
「IDカードは身分証としても使えるし、この街で入れる区画や利用出来る施設、その他諸々の情報を管理してくれる。しばらくここにいるのなら持っておいて損は無いよ」
「まあそうだな……どちらにせよ俺が受け取るまで入れなさそうだし」
ドクからIDカードの簡単な説明を受けた鋭時が複雑な表情で肩をすくめると、だーくめさんが近付き字幕を表示する。
【失礼ですが、顔写真を撮らせていただきます。お手数ですが、顔が見えるようにしてください】
「顔か……他に誰もいないし、まあ大丈夫か」
周囲に他のジゅう人がいない事を確認した鋭時は、カメラの形をした立体映像に顔を向けて外套のフードを取る。
【撮影終了しました。最後にお名前の入力をお願いします】
「顔と名前だけ? まあ他は何も知らないけどさ……これに入力すればいいのか」
拍子抜け気味に鋭時は呟くと、目の前に現れたパネル型立体映像に自分の名前を入力した。
【「燈川 鋭時」「ヒカワ エイジ」でよろしいでしょうか?】
「ああ、そいつでオーケーだ。シアラ達を待たせるのも悪いし、なる早で頼むぜ」
確認画面に変わったパネル型立体映像を鋭時が頷きながら押すと同時に、鋭時の目の前が突然光り出して金属製の小さなプレートが現れた。
【お待たせしました。こちらが燈川さんのIDカードです】
「早っ、転送術式か……? しかも、カードを浮遊系の術式使って空中に固定してやがる……とんでもない技術だな……」
名前の入力直後に転送された対応の早さに鋭時が驚き呆れながら目の前で浮遊を続けるカードを手に取ると、ゲートを遮る光の壁が音も無く消滅した。
「これ、もう入っていいのか……? カードは……どこで使うんだ?」
「IDカードは持っているだけでいいよ。むしろ、さっきみたいに止められるなんて初めて見たくらいだ」
受け取ったばかりのIDカードを手にした鋭時がカードを使用する機器を探していると、ドクが苦笑しながら説明して大鳥居型のゲートをそのまま通る。
「さあ教授っ、わたしたちも入りましょうっ!」
「そんなに引っ張るなよ。俺が人間だとバレたら何が起こるか分かんないだろ」
ステ=イションに入れると知って興奮が最高潮に達したシアラが鋭時のスーツの袖を引きながらゲートをくぐり、鋭時も慌ててIDカードをスーツの内ポケットに入れてから外套のフードを被り直してゲートをくぐり抜けた。
「これが……ステ=イション……」
「ほえ~、なんだか変わった街ですね~っ」
壁一面に立体映像が躍るビル、その隣には幻想的な光を放つランタンに彩られた煉瓦造りの塔、他にも大小様々なスクリーンを張り巡らせたビルや数多くの鳥居が並ぶ木造の建物など機械仕掛けと魔法意匠の入り混じった数多くの高層建築が切り拓かれた谷戸の側面に沿うように並び、それらの建物を橋のように渡された回廊で囲った独特の光景がゲートを抜けた鋭時とシアラの目に飛び込んで来た。
「ははっ、ステ=イションは【大異変】後に初めて造られた居住区だから、随分と個性的に映るかもね。ようこそ、数多の敗者が遠く夢見た間違いだらけの理想郷、ステ=イションへ」
独特の街並みに圧倒されて呆然と佇む鋭時とシアラに照れ笑いを浮かべたドクが声を掛けると、我に返ったシアラが目を見開いて鋭時の方を向く。
「ところで教授っ、何か思い出しましたかっ!?」
「う~ん、今のところは特に何も……入ってすぐ記憶が戻るとは思ってないけど、少しは何か思い出せないか期待してたんだが……何か悪いな……」
ステ=イションの街並みを見ても何も思い出せなかった鋭時は、期待の眼差しで見つめて来るシアラに頬を掻きながら静かに謝った。
「教授は悪くありませんっ! それに着いたばかりなんですから、今から少しずつ思い出せばいいじゃないですかっ」
「シアラの言うとおりだぜ、鋭時。こんなのは焦ってどうにかなる訳でもねえし、腹拵えしながら考えようぜ。美味い酒が飲める店に連れてってやるよ」
鋭時のスーツの袖を掴んで上目遣いで見詰めるシアラの隣で励ますような笑顔を浮かべたミサヲが街の奥へ案内しようとすると、ドクが慌てて呼び止める。
「ちょっと待ってミサヲさん、まずは報酬の精算からだよ」
「おっといけねぇ、【破威石】の換金が先だった。シアラ、鋭時、まずこっちだ」
誤魔化すように肩をすくめたミサヲがゲートの向かい側にある建物へ歩き出し、鋭時達も後を追った。
▼
「ここは……警察……?」
周囲の建物の半分程の高さでありながら頑強な造りのビル、その正面に書かれた【ステ=イション外周区警察署】の文字が目に止まった鋭時は怪訝な顔で呟く。
「ああ、【破威石】は警察署で換金するんだ。何せ持って来るのはZKと渡り合う荒くればかりだからな」
「ついでに言うと、換金所はトラブルを避けるために少し離れた場所にあるんだ。こっちだよ」
説明を終えたミサヲが警察署正面の出入口ではなく隅の方へと向かうと、ドクが楽しそうに説明を重ねて鋭時とシアラを警察署側面にある扉まで案内した。
【ようこそ換金所へ、破威石はこちらにどうぞ】
「おっと、もしかしてだーくめさんか? どこにでも出て来るんだな……」
「この街のインフラの管理をしてるAIインターフェースだからね、多くの施設で多くの人に同時並行で対応してるんだ。そのうち慣れるよ」
換金所に入ると同時に現れた字幕を表示する少女の立体映像に鋭時が驚く横で、ドクが苦笑しながら壁際に据え付けられたATMのような機械に近付く。
Lab13から取り出した【破威石】を正面の台座に置いたドクがパネルの操作を始めると、開いた台座の底から取り込んだ【破威石】と入れ替わるように複数枚の紙幣が出て来た。
「はい、これは鋭時君の取り分だ。いや、正確にはボクとミサヲさんが受け取った報酬の残りだね」
ドクが機械から取り出した紙幣から数枚抜き取り差し出すと、鋭時は手のひらを向けて首を横に振る。
「やっぱ俺は受け取れないよ、そいつはシアラに渡してくれないか? シアラにもずいぶん助けられたし、迷惑も掛けたからな」
「そんなの気にしないでくださいっ、教授の無事がわたしの報酬ですからっ!」
「いや、さすがにそういう訳にもいかないだろ……どうしたもんかな……」
満面の笑みを向けて来るシアラに、鋭時は戸惑いながら考え込んでしまった。
「難しく考えるなよ鋭時。これからを考えれば金はあるに越した事無いんだしさ」
ドクの後ろから微笑み掛けたミサヲは、鋭時に差し出した手と反対側の手にある紙幣を半分抜き取る。
「これから、か……確かにステ=イションに到着で終わりじゃなかったからな……分かった。こいつは遠慮なく戴くぜ、ドク」
ミサヲの言葉を受けてしばらく考えた鋭時は、拒絶回避が出ないよう慎重に手を伸ばしてドクから受け取った紙幣を財布に入れた。
「さて、これで酒代も入ったことだし、シアラと鋭時の歓迎会だ!」
報酬を手に上機嫌のミサヲが出口に向かおうとするが、ドクが申し訳なさそうに呼び止める。
「あー……ミサヲさん、盛り上がってるところ悪いけど鋭時君は先約があるんだ。そろそろ来る頃だと思うけど……」
「なんだって!? おいドク、いつの間にそんなことしたんだよ!」
突然の言葉に水を差されたミサヲが不機嫌そうに声を荒げながらドクに詰め寄り出すと、警察署の奥につながる扉から縹色の振袖を着た女性がすり抜けて来た。
「お待ちしておりました、マスター」
「心配かけたようで悪かったね、レーコさん。頼んだ件はどうだったかな?」
丁寧な仕草でお辞儀をする立体映像のアンドロイド、レーコさんの動きに満足な様子でドクが質問すると、レーコさんは困惑した顔に表示を切り替える。
「その件なのですが、どうしても本人が話したいとおっしゃりまして……」
「やっぱりそうなるよね……あの人の立場と事情と性格を考えれば仕方ない話だ。すぐに来るだろうからしばらく待とう」
レーコさんの返答を聞いたドクが納得とも諦めともつかない表情を浮かべて肩をすくめると、レーコさんがすり抜けて来た扉が開いて奥から高さ1m程の円筒形の警備ロボット3機を引き連れたグレーのスーツに身を包んで口周りから顎にかけて髭を蓄えた中年の男が入って来た。
「よぉドク、随分と遅かったじゃないか」
「そう言わないでくださいよ、真鞍署長。居住区の外で予定通りに事が運ぶなんて滅多に無いんですから」
「署長!? 何でそんな人がこんな所に……?」
気さくに話しかける髭の男とドクの会話を横で聞いていた鋭時が、小さく驚きの声を上げる。
「ん? 君がレーコさんの言ってた人間だね? 初めまして、僕は真鞍畦三。まあ一応ここの署長だ」
「え? あ、どうも燈川鋭時です……っと、いけね」
気さくに笑いながら自己紹介した真鞍に驚き焦った鋭時が釣られて名乗りながらお辞儀をすると外套のフードが外れ、鋭時はさらに慌てて被り直した。
「おっと、すまん。これもレーコさんから聞いたけど、燈川君はそれで人間なのを隠してるんだったな。それでこっちの嬢ちゃんがもうひとりのお客さんだね」
鋭時の奇怪な行動を見た真鞍が頭を搔きながら理解を示すと、シアラの方へ顔を向けて笑い掛ける。
「榧璃乃シアラですっ、教授と運命の出逢いで結ばれましたっ! よろしくお願いしますねっ、クマさんっ!」
「おーいシアラさん、偉い人をあだ名で呼ばないの。それから、事案になりそうな言い方も止めようね」
真鞍に満面の笑みを浮かべるシアラに、鋭時はため息をついて苦言を呈した。
「わっはっは、構わんよ。確かお嬢ちゃんは魔力の関係で本名呼ぶのを避けるとかいうのだろ? これもレーコさんから聞いたよ」
「やれやれ、随分と色んな情報をレーコさんから聞いたようですね……」
自分があだ名で呼ばれた理由まで知っていた真鞍が豪快に笑うと、今度はドクが呆れてため息をつく。
「ドクが来るまで暇だったからね、その間ずっと話し相手をしてもらったよ」
「そうですか……なら話は早いですね。鋭時君の件、調べてもらえましたか?」
(なるほど、先にレーコさんを帰らせたのはそういう事だったのか……)
悪びれもせずに笑う真鞍に真剣な顔付きで質問したドクを見た鋭時は自分の素性調査を警察に手配していたドクの手際に静かに感心するが、真鞍は表情を曇らせて気まずそうに頭を掻いた。
「ひと通り調べたが、今のところ失踪届は出てないよ。念のため指名手配や前科のデータも洗ったんだが、もちろん何も出なかった。すまんな、力になれなくて」
「なんだって!? 署長と同じ人間だろ、なんで鋭時の情報が無いんだよ!?」
「そうですよっ! 教授がどこから来たか分からないと、記憶が戻らないじゃないですかぁ!」
疲れた様子で口周りの髭を撫でてから愛想笑いを返した真鞍にミサヲとシアラが食って掛かるが、鋭時とドクが慌てて宥め出す。
「ふたりとも落ち着いてくれよ。記憶を失ってから半日しか経ってないんだ、まだ俺がいなくなった事に気付いてないだけかもしれない」
「そうだね、情報が無いのも貴重な情報だ。用事は済んだし帰って次の手掛かりを探す方法を考えよう」
「確かに無いものはしょうがないな。シアラ、鋭時、考え事はドクに任せて飲みに行くぞ!」
納得しながらも不機嫌な様子を隠さずに換金所の出口へと向かったミサヲの後をドクも着いて行こうとするが、真鞍が慌てて呼び止めた。
「おいおい待ってくれよ、ドク。それはこっちの用事が終わってからだろ?」
「あ、やっぱり駄目でしたか」
「当然だ。こっちも桜の代紋で飯食ってる以上、最低限の仕事はしないとな」
誤魔化すように笑うドクに、真鞍は呆れた様子でため息をつく。
「とは言え僕ひとりで勝手に仕切るわけにもいかないんだ、担当者のいる部屋まで来てくれないか?」
「確かにここでは色々聞き辛いですからね。鋭時君、シアラさん、少しだけ署長に協力してもらっていいかな?」
「他に行くアテは無いから俺は構わないけど、何をする気なんだ?」
警察からの頼みと聞いて警戒する鋭時は、庇うようにシアラの前に移動しながら真鞍に聞き返した。
「形式的な聞き取りだよ、ここに初めて来た人には人間ジゅう人問わず聞き取りをする決まりになってるんだ」
「警戒する気持ちも分かるけど、警察がキミ達に危害を加える事はないよ。ボクも付き添うから、ここは協力してくれないかな?」
苦笑いを浮かべる真鞍の説明とドクの説得を受け、鋭時は険しくしていた表情を少し和らげる。
「分かった、ここはドクの顔を立てて協力するよ。シアラはどうする?」
「わたしは教授にどこまでも着いて行きますよっ!」
「こんな事にまで付き合わせちまって悪いな。まあ無理に波風立てる必要ないし、もうしばらくよろしく頼むよ」
二つ返事で頷きながらスーツの袖を掴んで来たシアラに、鋭時は頭を搔きながら申し訳なさそうな顔付きで感謝した。
「話は決まったようだね、それじゃあ僕に着いて来てくれ」
「すまないがレーコさん、ここで待っててくれないか?」
「かしこまりました、マスター」
鋭時とシアラを伴って警察署の奥に続く扉を通り抜けた真鞍の後ろを着いて来たドクが扉を抜けてすぐの場所でレーコさんに待機するよう頼むと、さらに後ろからミサヲが入ってきた。
「あたしは着いてくぜ、このまま帰る訳にも行かないからな。構わないだろ?」
「ああ構わんよ、たまにはゆっくり話すのもいいだろう。さあ、こっちだ」
ミサヲの同行を快く許可した真鞍はしばらく廊下を直進してから小さな会議室の前で立ち止まり、真鞍を囲む警備ロボットの1機が前に出てドアを操作する。
機械式のドアが横にスライドして開くと、簡素な机と椅子が置かれた部屋の中に待機していた背中に黒い羽が生えた長身の青年が真鞍の入室に気付いて静かに立ち上がった。
「お疲れさまです、署長。準備は整っていますので、いつでも始められます」
「ああ、お疲れ。遅くまで待たせてすまなかったね、蔵田君」
直立して敬礼する制服姿の青年に、真鞍も敬礼を返して青年を労う。
「いえ、これも仕事ですから。それで今回の対象は……」
真鞍に労われて僅かに顔を綻ばせた青年は、真鞍と警備ロボットの後ろを着いて来た鋭時とシアラの方を向いてから再度敬礼した。
「ステ=イションにお越しいただき、ありがとうございます。初めまして、自分はここの副署長の蔵田ミノリであります」
「え? ああ、初めまして、燈川鋭時です。ところで何でありが……」
自己紹介の前に感謝して来た蔵田に疑問を持った鋭時が自己紹介を済ませてから質問しようとした途端、満面の笑みを浮かべたシアラが割って入って来た。
「榧璃乃シアラですっ。わたしはこれから教授と大事な用事がありますから、早く終わらせてくださいねっ」
「おーいシアラさん、遅くまで待ってくれた副署長さんに失礼な事を言わないの」
聞き取り作業を早く済ませるよう急かすシアラを鋭時が疲れた様子で窘めるが、蔵田は気にする様子もなく話を続ける。
「ジゅう人にとって繁殖行動は何よりも優先すべき事ですから別に構いませんよ。聞き取りも繁殖の進捗状況の確認みたいなものですので、すぐに済みますよ」
「いや待て、色々と待て。今、何かとんでもない事をさらりと言わなかったか?」
真面目な表情を全く崩さずに話した蔵田の説明に耳を疑った鋭時が聞き返すと、不思議そうな顔をする蔵田に代わってドクが後ろから声を掛ける。
「そういえば鋭時君はジゅう人の記憶が全く無いんだよね? ジゅう人にとっては当たり前過ぎる話だし、ボクが説明するよ。シアラさんが鋭時君に近付いたのは、鋭時君を繁殖のパートナーにする為なんだ」
「なんだって!? いくら何でもありえないだろ……! マジ……なのか……?」
全く予想外の突拍子もない話を聞いた鋭時は最初こそ信じられずに苦笑するが、ドクの言葉に嘘が無いという直感が走り続けて真顔で聞き返した。
「マジだよ、ちなみに繁殖の方法は人間同士と寸分違わない。それとも詳しく説明した方がいいかな?」
「さすがにそれくらいは知っている……というかありえないだろ、こんな事……」
「知ってるならもう遠慮はいらないですね、教授っ!」
真剣な顔付きで答えるドクに鋭時は心底疲れた表情で項垂れると、自身の目的が伝わったと確信したシアラが感極まって鋭時のスーツの袖を掴む。
「だから……俺は拒絶回避で何しでかすか分からないんだぞ? 大事なパートナー探しなら、よく考えろよ……ありえないぞ、俺にいつまでもくっ付くなんて……」
鋭時は尚も戸惑いながら袖を掴むシアラを振りほどこうとするが、まるで万力にでも挟まれたかのように腕はピクリとも動かなかった。
「それは無理だよ、鋭時君。ジゅう人は一度パートナーと認めた人間が果てるまで決して相手を変えないし、もし逃げようものなら人間をはるかに上回る身体能力で相手を何処までも追いかける」
「なんだって!?……ますますありえないだろ……そもそも何で俺なんだよ……」
苦笑しながら淡々と説明するドクに鋭時が愕然として呟くと、ドクは小さく頷き疑問に答える。
「人間の価値観なら鋭時君には何の魅力も無いけれど、強大なA因子はジゅう人の目から見れば誰よりも魅力的に映るからね」
「A因子ってそういう……つまり俺は高級な蓼だったわけか……」
説明を終えて肩をすくめるドクを見た鋭時は自分の置かれた立場を漠然と悟り、力なく肩を落とした。
「多少の語弊はあるけど、概ねその通りだね。もしも鋭時君に拒絶回避が無ければ出逢ったその場でシアラさんに、シアラさんに出逢わなくとも別のジゅう人に押し倒されて、今頃はもう爛れた生活の真っ最中だろうね」
「いや、もうマジありえないだろ……何をどうしたらこうなるんだよ……」
少し嬉しそうに聞こえるドクの説明に全く理解が追い付かずに項垂れた鋭時は、幸せそうな笑顔で袖を掴むシアラが視界に入って来て小さくため息をつく。
「ここまでの説明を額面通りに受け取れば、シアラは俺から離れないんだよな……でもよ、このまま記憶が戻らずに拒絶回避を抑える方法も無いまま年を取ったら、それこそ取り返しがつかなくなるんじゃないか?」
記憶を戻すという当初の目的を思い出した鋭時が目的を果たせずに時が過ぎ行く不安を呟くと、ドクは事も無げに微笑んだ。
「その心配なら無用だよ。シアラさんが完全覚醒すれば身体能力が飛躍的に上がるから、拒絶回避でも避けられなくなるよ」
「いや、そういう意味じゃなくて……」
「それに半覚醒状態になれば徐々に完全覚醒まで近付くから、今のままでも早くて1年、遅くとも3年以内には完全覚醒するよ」
「え……?」
ドクの的外れな説明に鋭時は最初こそ苦笑したが、その続きを聞いて瞬時に凍り付いた。