第1話【何も知らない男と少女の出逢い】
「目的はいずれ果たされる、それまでどうするかを考えようか……」
ビルが並ぶ大きな街を俯いて考え事をしながら歩いていた青年は次の瞬間、何を考えていたのか忘れていた事に気付く。
そんな自分に苦笑した青年だが、次に自分がどこにいるのか、更には自分自身の名前さえも忘れている事に気付いた。
(いや待て、色々と待て。考え事に没頭し過ぎて道に迷うだけでも随分と間抜けな話だが、何で自分の名前まで忘れてんだよ? 落ち着け~、落ち着けよ~俺)
自らの置かれた状況に混乱する青年は、焦る気持ちを抑えながら慎重に歩いて、今から取るべき行動を頭の中で整理し始めた。
(何から思い出す? 俺の名前か? いや、まずはどうやって帰る……ってどこに帰るんだ? まいったな、それさえ思い出せないのか……ど忘れにも程があるぞ、まさかコレが記憶喪失だなんて事はないよな?)
何度考えを巡らせても次に自身の取るべき行動を決める記憶が無い事に気付いた青年は、自分が記憶喪失である可能性に思い至った。
(でも記憶喪失ってのは、茫然自失で彷徨って誰かに助けを求めるっていうか……こんな風に黙って歩きながら考え事が出来るのとは違うよな……? 病院に行って診て貰えば今のコレが記憶喪失か否か分かるんだろうが、いきなり俺が身ひとつで行っても医者も戸惑うよな……)
まず病院に行くべきと青年は考えたが、同時に主要な記憶が無いというだけで、はっきりと物事を考えられる自分では俄かに信じては貰えないと結論付ける。
(それなら先に警察か? 警察だって暇じゃないんだ。迷子の子供とかじゃなく、いい大人が家に帰れないと駆け込んでも良くて門前払い、最悪、不審者として逮捕されちまう。捕まれば身元が分かるかもしれないが、前科が付くのは賢い選択とは言えないな)
病院を断念した青年は次に警察へ保護を求める選択肢を思い付くが、成人男性の自分が期待出来るような保護は受けられないと判断してこれも断念する。
(やっぱりこういうのってまず家族や友人か恋人……は多分いなかっただろうから家族か友人のどちらかに頼るものだよな? それがどこの誰かを思い出せないから苦労してるんだが、果たしてどこに行けば俺の事を知ってる人に会えるものか?)
公共施設に頼るには相応の順序と準備が必要と判断した青年が自分に近しい者を探す方法を思案し続けていると、ふと妙案が頭に浮かんで来た。
(なんだ、単純な話じゃないか。今の俺は記憶を失った時と同じ方向に歩いてる。それなら逆方向に歩けば、記憶を失う前の俺のいた場所を歩くんだから手がかりもあるだろうし、歩いている最中に何か思い出すかもしれない)
歩いて来た道を戻るという単純な発想に活路を見出して急ぎ踵を返した青年は、ちょうど彼の後ろを歩いていた男と正面からぶつかりそうになる。
「おっとすいませ……ん!?」
軽く身を捻って男との衝突を器用に避けた青年だが、すれ違いざまに男の頭から獣のような耳が突き出しているのに気付いて慌てて近くの路地に駆け込んだ。
青年は駆け込んだ路地に面したビルの陰から先ほどまで歩いていた通りの光景を観察し、道行く人々が獣のような耳や尻尾、あるいは様々な形状の角や鳥や蝙蝠のような羽などが生えている事に気付き愕然とする。
(おいおいおいおい……何だあの獣人間達は!? 記憶がどうのってレベルの話じゃない程に理解の範疇を超えてるぞ……いや、待てよ! 俺はどうなんだ!?)
街を歩く人々の異様な姿に不安を覚えた青年は、手近なビルの裏口の窓を覗き、鏡のような窓ガラスに映った自分の姿を確認する。
鏡となった窓の中には平均的な身長でやや痩せ型、眉の上に掛かる程度の黒髪に二重瞼の左目と奥二重の右目、不安に翳って暗い雰囲気を漂わせてはいるが比較的整った顔立ちの20代前半の男が紺色のスーツを着て立っていた。
(よかった、とりあえず俺は普通の人間のようだ、今のところ耳が伸びたりや角が生える気配もないな)
異変の無い顔や頭を両手で触る自身の鏡像を見て安堵した青年は、今度は肩から背中まで順に手を当てて異常が無いか確かめ出し、その手が腰から下に移った時に柔らかな手触りの膨らみに当たり、青年は凍り付いた。
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(まさか尻尾でも生えたのか!? いや待て、落ち着け。これは体とつながってる感触が無い、何にせよ確かめるしか手はないんだ……やるしかない)
しばらく考えて覚悟を決めた青年が恐る恐る手を伸ばして膨らみを確認すると、それはズボンの後ろポケットに入れたハンカチだと分かった。
「何だよ、驚かせやがって……社会人ならハンカチの1枚は持ってて当たり前か。そう言えば、まだ持ち物は確認してなかったな……ついでに確認してみるか、何か手掛かりになる様な物を持っているかもしれない」
取り出したハンカチを眺めて安堵した青年は、他に手掛かりになる物が無いか、スーツとズボンの全てのポケットに手を入れて調べたが、折りたたみの薄い財布がひとつ出て来たきりであった。
(持ってるのはこれだけか、中には小銭がいくつか……それとこれは何だ?)
財布の中から奇妙な紋様の描かれた小さな正方形の紙切れを見付けた青年だが、その紙切れを取り出すと同時にバチッという激しい音と共に火花が散り、紙切れは瞬く間に灰になった。
「しまった、術式が不安定だったのか、折角の手掛かりが……ん? 術式?」
手掛かりをひとつ失って肩を落とした青年は、同時に自分でぼやいた言葉の中に引っ掛かりを覚えて紙切れを持っていた手を見直す。
(そう術式、これは術式魔法だ! 確か術式は服にも組み込めるんだったな!)
紙切れに描かれていた紋様が、魔力を込めれば魔法を発動できるよう開発された魔法技術、術式魔法である事と、それが様々な服や道具に組み込まれて生活に広く浸透している事を思い出した青年は、身に着けているものに意識を集中した。
(靴には【重力操作】、この出力だと俺の体を少し軽くして疲労を軽減させるか逆に重くして踏ん張りを強くする程度だな……それとネクタイには圧縮した空気で体を保護する【圧縮空壁】? まあ街中でも安全とは言えないか……)
防御術式の存在に疑問を持った青年は再度街中に目を向けて、車道を走るバスやトラック、さらには路面電車などの様々な車両を見て納得する。
(スーツの袖とズボンには【圧縮空筋】か、こいつは筒状に圧縮した空気を使って筋力や瞬発力を補助する術式だな。残るは【栄養補給】と【身体洗浄】、それから【衣服洗浄】か……これで魔力がある限り生きていける訳だ。記憶を失う前の俺は相当ズボラだったようだが、金も帰る場所も無い今はありがたいな)
身に着けているものに組み込まれた術式の確認を終えて誰かに頼らずとも数日は生きて行けると知った青年は、改めて街を観察し直した。
(よく見ればあれはロボット、そっちはゴーレム。獣人間以外は俺の知る街並みと大差はない、息も普通に出来るし【重力操作】を切っても特に違和感は無い……全く知らない世界に迷い込んだわけではなさそうだな。取り敢えずここは地球だ、そういう事にしよう)
まず青年は自身の呼吸や挙動を確認して現在地が異世界などではなく自分の住む世界であると仮定し、再度街を歩く獣人間について考えをまとめ直した。
(さて……ここが元々俺の住んでた世界だとすると、通りにいる獣人間達の記憶が綺麗さっぱり俺から抜け落ちた事になる訳だ。街には羽や尻尾の無いのもいるし、いきなり取って食われる事も無いだろうが……友好的なのかも怪しいな)
獣人間をしばらく観察して様子を見た青年は、彼等が自分にどう接して来るのか皆目見当が付かないまま彼等の観察を続けた。
(ここから見る範囲での行動は人間と大差無い……だとしたら誰に話し掛けるのが正解なんだ?)
手掛かりを探し続ける青年は道を歩く多くの獣人間を観察しながら必死に考えを巡らせるが、どうにも決定打が見付からない。
観察に疲れた青年が荷物を抱えて歩くゴーレムの姿をぼんやりと眺めていると、少しずつ自分が慣れ親しんでいるこの世界の魔法について思い出していった。
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「そういや術式、というか魔法って昔は無かったんだよな? 確か200年位前に何かが起きて魔法が見付かった。そんな節目があったな……何て言ったか……?」
考え事の途中でどうしても思い出せない言葉に引っ掛った青年が、どうにかして思い出そうと、ビルの壁に寄り掛かり目を閉じて唸っていると、何者かが近付いて声を掛けて来た。
「もしかして【大異変】ですかっ? 教授っ」
「そうそれ【大異変】だ!……って? え!?」
急に聞こえて来た弾むような声に返事をした青年は、同時に自分が考え事を口に出していたと気付いて思わず身をすくめて恐る恐る声の聞こえた方へ振り向くと、小学校高学年くらいの少女がこぼれ落ちそうに丸く大きな瞳で見詰めていた。
(やっべー! 俺、考えてた事を声に出してたのかよ……かなり恥ずかしいな……それよりこの女の子は誰だ? 知り合いか? 何か思い出せるかもしれない)
動揺を抑えて平静を装う青年が少女を上から順に観察すると、まずふわりとした金色の髪が目に入り込み、その前髪は眉の上で真っ直ぐ、サイドは顎に届く辺りでそれぞれ切り揃えられ、後ろの髪はリボンで結んで左右に分けている。
前髪の下の丸く大きな瞳と青年の指先に収まりそうなほど小さな鼻、きめ細かな白い肌にやや紅が差した柔らかそうな頬、思わず触れたくなる程に瑞々しい唇と、その可愛らしい顔のどこを見ても青年は何も思い出せない。
次に青年が少女の服装に目を向けると、たくさんのフリルがあしらわれた桜色の振袖のような着物の裾がドレスのように広がり、裾の中からは白いタイツを穿いた脚が覗き、その先の足を赤いクロスストラップシューズが包む。
腰に巻いている朱色の帯には少女と同じドレスのような振袖を着せた白いネコのぬいぐるみをポシェットのように付けるといった特徴的な出で立ちではあったが、青年が何かを思い出すきっかけにならなかった。
(駄目だ、何も思い出せない。この女の子は何者だ? 俺の事を知ってるのか? いや、俺が女の子と話してたら確実に事案になる、どう逃げたものか……)
あらぬ誤解を受ける事を恐れた青年がこの場からどう離れるか思案していたが、少女は恐れる様子も無く青年に近付いて来た。
「どうかしましたかっ? 教授っ」
「あ、ああ……なんでもない。それより俺を知ってるのか? えーっと……」
急に黙り込んだ青年を心配するように少女が顔を近付けると、青年は慌てて少し後ずさりしてから質問するが次に続く言葉が出ずに黙り込んだ瞬間に少女はさらに顔を近付けて来た。
「シアラですっ! わたし、榧璃乃シアラですっ! シアラとお呼びくださいっ、教授っ!」
「それは失礼した。えーっと、榧璃乃シアラさん。君は俺の知り合いなのかい? 信じてもらえないだろうが、俺は記憶喪失で自分が誰なのかも分からないんだ」
警戒する事無く顔を近付けて来た少女に気圧された青年が非礼を詫びながら再度質問すると、少女は照れながら満面の笑みを浮かべた。
「はいっ! 教授は今ここで出逢った運命の人ですっ!」
「えー……っと? ちょっと話が見えないんだけど、要するに俺と榧璃乃さんとは全くの初対面って事でいいのかな?」
全く予想外の回答に面を食らった青年は、状況を整理するために記憶を失う前の自分と無関係であるかを少女に再確認する。
「そのとーりっ、わたしの人生で最高の出逢いですっ! それとですね、わたしの事はシアラとお呼びくださいねっ、教授っ」
「いやいや、初対面の女の子を下の名前で呼ぶとかリスク高過ぎるでしょ、それにさっきから俺を教授って呼んでるけど、俺には燈川鋭時って名前が……!!」
微笑みながら何度も自分の事を教授と呼ぶ少女に青年は反論するが、その最中に自らの発した言葉にはっと気付き急に黙り込み考え込み始めた。
「……ついさっきまで名前も思い出せなかったのに、何で?……いや、取り敢えず名前が無いよりはマシか……それと……ステ=イション?……何だよ、これ?……これが分かれば俺が何者か分かるのか……?」
「教授、難しい顔をしてどうかしましたかっ?」
声が出ている事にも気付かないまま急に思い出した記憶について考え込む青年の顔を、少女は心配そうな表情で覗き込む。
「おぅわぁっ!? 何だ、まだいたのか……あのさ……多分だけど俺、小さい声でブツブツと言ってて気持ち悪かったよな……? でも何もしないし別の場所に行くから、構わないでくれないか?」
突然顔を近付けられて大袈裟に驚いた青年は無防備なまま自分へと近付いて来る少女から離れようとするが、少女は青年のスーツの袖を掴んでその場に止めた。
「放って置けませんっ、教授! どこにも行かないでくださいっ!」
「って、おい!? 何してんだ!? 離れろ、手を放せ! こんなところを誰かに見られたら確実に通報されるし、頼むから手を放してくれよ!」
他の通行人から見付かる前に少女から離れたい青年は袖を掴んで来た少女の手を振りほどこうとするが、袖を掴んだ少女は微動だにしない。
「いーやーでーすーっ! わたしを置いてどこにも行かないと約束してもらうまで放しませんよっ、教授-っ!」
(なんて力だよ!? これが子供の力か? 最大出力で【圧縮空筋】を発動すれば振り払えるかもしれんけどケガでもさせたら洒落にもならんし、騒ぎを聞きつけて人が来たらそれこそ終わりだ。仕方ない、ここは従う振りをしておくか……)
尚も袖を掴んで放そうとしない少女に手を上げる訳に行かないと考えた青年は、少女からの逃走を断念して会話を試みる。
「分かった、とりあえず逃げないから手を放してくれないか? 話し合って状況を整理しないとどうにもならん」
「分かりましたっ! 絶対に逃げないでくださいねっ!」
青年の提案を受け入れた少女はあっさり手を放し、急に袖の拘束から解放された青年はよろめいて転びそうになりながらも体勢を立て直す。
「おっとと、ありがとな。さて何から話すか? まず俺の置かれた状況としては、記憶が無くてどこで何をしていた人間なのか全く憶えていない、この燈川鋭時って名前もついさっき思い出したくらいだ」
「でしたらーっ、次は愛しい新妻のシアラを思い出してくださいなっ、教授っ」
「あのな……ついさっき俺と初対面って言ったばかりだろ? それに名字も違う。ドサクサで記憶の改竄を試みないの」
照れながらしなを作って近付いて来る少女に、青年は呆れて頭を掻きながら釘を刺した。
「もーっ、教授のいじわるぅ! でもでもぉ、わたし達の愛さえあれば記憶なんてすぐに戻りますよっ」
「何がわたし達の愛だよ……待てよ、わたし……達……?……そうか!……誰かと会話する事で脳に今までと違う刺激が加わったからなんだ!……気は進まないけど試してみるか……」
尚も照れ笑いを浮かべる少女の言葉に青年は困惑するが、少女の言葉の中にある引っ掛かりを覚えて突然ブツブツと考え事を呟き始めた。
「教授? ちょっと聞いてますかーっ? 教授っ!」
「ああ、わりい。どうも俺は周囲を気にせずひとりで考え込む癖があるようでね、今もどうして自分の名前を思い出せたのか、他の記憶はどう戻せるか、その手段を考えていてひとつ思い付いたんだよ」
心配そうに自分の顔を覗き込んで来る少女に青年は、自らの思考癖と思い付いた解決策を素直に伝えた。
「さすがは教授っ! それで~、それはやっぱりわたし達の愛ですよねっ!?」
「愛なんて知らんが、君との会話が俺の名前を思い出すきっかけになったのだけは事実だろう、そこは素直に感謝するよ、ありがとな」
ぎこちなく微笑みつつ感謝した青年を見て嬉しそうに口元を緩めかけた少女は、いたずらを思い付いたような顔をしてからわざと不機嫌そうな表情を作った。
「でしたらぁ~わたしの事はシアラかマイスイートハニーとお呼びくださいっ! でないとお話してあげませんよぉ~、教授っ」
「やれやれ……シアラはともかく、もうひとつは何だよ? まあ背は腹に変えられないか……改めて俺は燈川鋭時だ。しばらくの間よろしく頼むぜ、シアラ」
「はいっ! 改めまして末永くよろしくお願いしますねっ、教授っ!」
頭を掻いて呆れる青年、鋭時が改めて自己紹介をすると、名前を呼ばれた少女、シアラは満面の笑みを返した。
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「さて何から話そうか? 引っ掛かる言葉があるんだが、聞いていいものか……」
「でしたらまずは、わたしとハグしましょうっ! お話するよりも色々思い出せるかもしれませんよ~っ」
何を話せば記憶が戻るのか考える鋭時の横からシアラが不意を突いて抱き付いて来たが、鋭時はそれを素早く避けて身構えた。
「おいおいシアラ、悪ふざけは止してくれないかな? そんな事をしてるところを誰かに見られたら、思い出すものより失うものの方が大きくなっちまう」
「悪ふざけじゃありませんよっ、教授っ! これはわたし達にはとても大事な意味があるんですっ!」
鋭時の抗議も聞かずシアラは何度も抱き付こうとするが、鋭時はその抱擁を悉く回避する。
「教授ぅ~何で逃げるんですかぁ~? こうなったら少し本気出しますよ~」
「えっ? わっ、おいっ【圧縮空筋】! 危なかった~」
何度も避けられ業を煮やしたシアラがさらに速度を上げて迫るが、鋭時も慌ててズボンに組み込まれた【圧縮空筋】の術式を発動して何とかそれを避ける。
「まったく、なんて速さだよ……さっきの馬鹿力といい本当に人間か?」
術式の力を借りて何とか躱す事の出来た鋭時がシアラの人間離れした身体能力に舌を巻いて思わずぼやくが、それを聞いたシアラは不思議そうな顔をした。
「ほえ? わたし人間じゃなくてジゅう人ですよ? タイプサキュバスの」
「じゅうじん? たいぷ? 待て、ひとまず休戦しよう。シアラ、そのジゅう人について教えてくれないか? 思い出せたら何でも言うこと聞いてやるから」
「本当ですかっ!? 約束ですよっ! 教授」
ジゅう人という全く聞き覚えのない言葉に困惑した鋭時は言葉の意味を質問し、シアラは鋭時の提示した約束に目を輝かせて動きを止めた。
「でも教授っ、改めてジゅう人の説明となるとちょっと難しいですね~。見た目は人間とほぼ同じで、大きな違いなんてせいぜい【証】くらいなものですからっ」
「あかし? やはり分からないな。シアラ、それは具体的に何を意味するんだ?」
至極大雑把に説明するシアラに、鋭時は重ねて質問する。
「【証】とは、わたし達ジゅう人がどのタイプか、を見分ける手段のひとつです。狼のような耳と尻尾ならタイプワーウルフ、カラスのような翼ならタイプ烏天狗といった感じで、それぞれ獣のように俊敏に動く、風を操るのが得意といった特技を持ってますっ」
「なるほどね……表の道を歩いてる耳やら尻尾やらが伸びてる人達が全部まとめてジゅう人って種族で、【証】って特徴の違いでタイプという種別に分ける訳か……それじゃあもしかしてシアラにも【証】があるのか?」
「はいっ! わたしはちょっと訳ありでして、他のタイプサキュバスの娘と違って何も生えてないんですけどぉ……おへその下には小さな【証】がありますよっ! 見てみますか? 教授っ」
質問に嬉々として答えながらシアラは裾をたくし上げ始め、鋭時は慌てて大声を上げながら止める。
「わわっ!? 待って! ストップ! 変な事を聞いて悪かった! こんな場所でそんな事しちゃだめだから!」
「えーっ? 見れば何か思い出せるかも知れないじゃないですかーっ」
「両手にワッパ掛けられたら、思い出すも何も無いだろ。まだ思い出せないけどジゅう人がどんなものかだいたい把握したから、【証】とは別の話をしよう、な」
慌てて別の話題を振った鋭時に、シアラは不満そうに着物から手を離しつつ何を話すかしばし考えた。
「困りましたね~、では【大異変】について話しましょう! ジゅう人がこちらの世界に来た重要な出来事ですし、教授も何か思い出せるかもしれませんよっ」
「【大異変】なら少し思い出して来た。確か200年位前に突然どこか別の世界と繋がって人を襲う怪物が流れ込み、文明が崩壊して犠牲者が大勢出た。だが同時に魔法という別の世界の技術と、科学の急速な発展で怪物から身を守る要塞みたいな居住区に住むようになったんだったな」
【大異変】という言葉を鍵にして思い出した事柄を、鋭時がまるで教科書を読み上げるかのように説明しながら聞き返すと、聞き終えたシアラは満足そうに微笑みかけて来た。
「はいっ、そのとおりですっ! わたし達ジゅう人の先祖も別の世界に住んでたのですが【大異変】の影響でこちらの世界に飛ばされ、人間と力を合わせて居住区を守ったり怪物を退治したりしたそうですっ」
「あ、ああ、そうなんだ、そうだよな……」
嬉しそうに話すシアラとは対称的に、鋭時は渋い顔をして言葉を濁す。
(ヤバイ、ジゅう人が人間の味方と言うのは理解できたが、さっぱり思い出せん。このままだと、思い出せない振りして約束を反故にするつもりと疑われかねんし、どうすればいいんだ?)
シアラの話を聞いてもジゅう人について何も思い出せなかった鋭時は誤解による追及を恐れて黙り込むが、シアラは申し訳なさそうに頭を下げる。
「教授、やっぱり思い出せないんですね? お役に立てなくてごめんなさいっ」
「い、いや、シアラが謝る事じゃないよ。それにジゅう人がどんなものか分かっただけでも充分な収穫だ、心配かけてすまない」
今にも泣き出しそうな顔をするシアラに戸惑った鋭時は、不安が杞憂に終わった安堵を隠しながら不甲斐無さを詫びた。
「教授は本当に優しいですねっ、何も思い出なくて心細いのに、わたしを気遣ってくださるなんて」
「そんなんじゃねえ。記憶がないのも思い出せないのも俺の責任だ、シアラが気に病む理由も道理も無いってだけだ。俺はとりあえず何とかなりそうだし、色々話を聞かせてくれてありがとな」
自分との会話に付き合ってくれたシアラに礼を言い鋭時は立ち去ろうとしたが、シアラはまたも鋭時のスーツの袖を掴み引き止めた。
「うわっ、何すんだ!? 手を放してくれ……」
「離しませんっ! 逃げないって約束したじゃないですかっ!」
「きちんと礼を言って立ち去ってるんだから、逃げてはいない。約束は守ってるんだから手を放してくれないか?」
約束を破ったという抗議に鋭時は屁理屈を捏ねて返すと、シアラは袖を掴む手の力を僅かに弱めてしばし考え始めてからすぐに掴む力を強めた。
「やっぱり離せませんっ、わたしは教授と一緒にいるって決めたんですからっ!」
「ちょっと待て! 何でそうなるんだよ?」
シアラの唐突な決定に戸惑い聞き返した鋭時だが、丸い瞳から感じる強い意志に諦めるより他なかった。
「はぁ……分かったよ、シアラが飽きるまで一緒にいて構わないよ……その代わりといっては何だが、ひとつだけ質問していいか?」
「おまかせくださいっ! スリーサイズから下着の色まで何でも答えますよっ!」
「おーいシアラさん、俺が女の子にそんなこと聞く訳無いだろ~。ただ、その……ステ=イションって言葉に心当たりはないか聞きたいだけだ」
目を輝かせて迫って来るシアラに、鋭時が若干呆れながら質問を投げかけると、シアラは急に黙り込み不思議そうな顔で鋭時の顔を眺め始めた。
「やっぱ知らないよな? 俺が自分の名前を思い出した時に、ついでに頭に浮かび上がってきた言葉だからダメ元で聞いたんだが、こんなの見当すらつかないよな」
しばらくの沈黙の後、諦めの表情で頭を掻く鋭時に返って来た言葉は全く意外なものであった。
「いえ知ってますけど、何で教授がステ=イションを知っているのですか?」