駅員の笑顔
親戚の結婚式に招かれた。面識などあってないようなものだったが、ここで断ってはいたずらに角が立ってしまうと思い、嫌々ながらに参加した。
電車を乗り継いだ先にある田舎。夫妻の親族やら友人やらがたくさん集められた式は盛大に行われ、披露宴では大量の酒がふるまわれた。
そして案の定、酒の付き合いは私にも強要された。一杯、二杯と最初は私も周りの皆に合わせてグラスを空けていたが、すぐさま注がれる酒に私は早々に嫌気が差した。
「明日は仕事があるので、今日はこれで失礼します」と私は叫んだ。だけど、それが聞き入れられたのは、夜が大分更けてからのことだった。
その後、千鳥足で何とか駅のホームに辿り着くことには成功したが、最後の電車は空しく目の前で発車してしまい、私は蒸し暑い夏の夜気の中に取り残されることになってしまった。
さて、どうしたものか。ベンチに座り、私は酔いが回る頭で当てどなく考えていると、いつの間にかやって来た駅員が「どうされましたか?」と優しく声をかけてきた。
夏の暑さにも負けずネクタイをちゃんと締め、顔には疲れや嫌味のない笑みがある。私はそんな朗らかな駅員にほだされてか、自らの窮状を伝えてみた。
「それでしたら、どうぞ始発まで駅員室でお休みになってください。こんな暑い日にホームにいては熱中症になってしまいますよ?」
「よろしいのですか?」
駅員の意外な申し出に私は面食らいながらも、食いついて言葉を返してしまった。しかし、駅員はそれに嫌な顔一つ見せずに対応してくれる。
「ええ。こんな時間ではホテルを探すのも一苦労でしょう。それにホームで倒れられてしまっては、それこそ後々面倒なことにもなりますので」
私は喜んで駅員の提案に乗ることにした。案内されたのは静かな部屋だった。冷房が効いていて、デスクとイスが整然と中央に並び、その奥にはソファーが置いてある。
田舎の駅ということもあってか、他に人はいない。ソファーに腰掛けると、駅員が水の入ったコップを持ってきてくれた。
「今日は大変だったのでしょう?」駅員がにっこりとコップを渡しながら言った。「どうぞゆっくりなさってください」
「ええ」
私は披露宴の思い出に苦笑しながら答え、周りを見渡してみた。部屋の隅には本棚があり、仕事とは関係なさそうな本が並んでいる。
ドストエフスキー、ヘミングウェイ、オースティン。どれも私の好きな作家だ。そのことを伝えてみると、駅員は嬉しそうな反応を見せてくれた。
会話をしてみると、駅員は教養のある人間だということが分かった。それも中々に幅広いものだ。文学に始まり、政治、観光、遠い外国のこと。私たちの会話は弾んだ。もちろん、お酒についても話し合った。
「本当にお酒というものはこりごりですよ」私はしみじみと語った。「あれは人をダメにする。あれは人が飲んでいいものではありません」
「それは良かった」駅員が顔をほころばせた。
「良かった? どういう意味ですか?」
「いえ、そう言っていただけるなら、あなたにも分かってもらえるのではないかと思って」
そう言って、駅員は私をデスクのところに案内してくれた。そして引き出しの中から出てきた写真を見せた。
死体。死体。死体。顔中が腫れあがり、グロテスクに変形した男たちの写真を何枚も見せてくれたのだ。
「こ、これは?」私は不自然に上擦った声で訊ねた。
「酔っ払いどもの写真です。私の家族は交通事故で亡くなりました。酔っ払いの運転する車に轢かれたんです」
「そ、そうですか」
私たちの他に誰もいない部屋で、駅員は私に優しく笑った。