そうちゃんの雨
「あ、まただ」
学校の帰り道のことだ。
ばあちゃんが傘をさして歩いてるのが見えた。
空はからっと晴れているのに、ばあちゃんは傘をもっている。小さな黄色い傘だ。
ばあちゃんは最近、ちょっとおかしい。
ぼうっとしていることが多いし、話しかけても答えてくれなかったりする。
突然ぼそぼそと話しだすけど、その話はよくわからない。
ママがいうには、ばあちゃんは病気らしい。
『にんちしょう』っていうらしいけど、ぼくにはよくわからない。
前はいろんなことを沢山おしゃべりしたし、いろんなところに連れてってもらった。
今はもう、できない。ばあちゃんは、ぼくを見てくれない。
その日も、ばあちゃんは傘をさして、ひょこっと家を出ていってしまった。
ママは買い物に行ってるのに。
「ばあちゃん、待って」
ぼくはばあちゃんの後を、慌ててついていった。
「ばあちゃん、帰ろう」
ばあちゃんは、ぼくを見てくれない。
「そうちゃんのね」
ばあちゃんが、ぼそりと呟いた。ばあちゃんが答えてくれた!
「そうだよ、ぼくが『そうた』だよ」
でも、ばあちゃんはぼくを見ていなかった。
「あのね、そうちゃんの雨を呼んでるのよ」
「ぼくの雨?」
なんのことだろう? ばあちゃんは、ぼそぼそと話し始めた。
「そうちゃんはね、私が買ってあげた、黄色い傘が大好きでね。
黄色い傘をさして歩くと、雨が降ってくるって喜んだの。
『ぼくの雨だ』って、いってね」
ばあちゃんは、懐かしそうに笑った。
「ばあちゃんは、『そうちゃんの雨』を呼びたかったの?」
ばあちゃんが、ゆっくりとぼくのほうを見た。
「そうよ。あなた、うちの孫のそうちゃんを知ってるの?」
ばあちゃんは、ぼくがわからないんだ。
「そうちゃんの雨、まだかしらねぇ? 雨が降ったらそうちゃん笑ってくれるのに」
ばあちゃんは、さびしそうに空を見上げた。
今日もばあちゃんは、傘をもって外に出てしまった。
黄色い傘は少し黒ずんで、ちょっぴり悲しそうだ。
ぼくは黙ってばあちゃんの後についていった。お小遣いで買った、黄色い傘をもって。
ぼくとばあちゃんは、縦に並んでゆっくり歩いていく。
しばらくしたら、黄色い傘が、ぼくの後ろにもうひとつ。
それはママだった。ママはふふふと笑った。
「ママも付き合うわ」
もう少し歩いたら、また傘が増えた。今度はパパだ。
「ばあちゃんは、パパのお母さんだからね」
ばあちゃんを先頭に、黄色い傘が4つ、縦に並んだ。
通り過ぎる人たちが、不思議そうに見ている。
空が曇ってきた。そろそろ帰らないと、ばあちゃんが濡れちゃう。風邪ひいちゃうよ。
「ばあちゃん、うちに帰ろう」
雨がぽつりぽつりと降ってきた。
ばあちゃんがゆっくりと振り向いた。にっこりと笑っている。
ばあちゃんの笑顔は久しぶりだ。
「そうちゃんの雨が降ってきたわ。雨が降ったら、そうちゃんとお散歩するのよ。
かたつむりさんは、いるかしらねぇ」
うふふっと笑うばあちゃん。ぼくはここだよ、と言おうとしたときだった。
風がふわっと吹いて、ぼくの傘をもちあげ、ぽろんと落とした。
黄色い傘がばあちゃんの足元に転がっていく。
「あら、そうちゃん。ここにいたのね」
ばあちゃんは、まっすぐ、ぼくを見ている。
「見て見て、そうちゃん。そうちゃんの雨よ」
ばあちゃんは、とても嬉しそうだ。ぼくも、嬉しかった。
「そうだね、ぼくの雨だね」
ぼくを見つめるばあちゃんの目は、とても優しい。
前と何も変わらない。
「ばあちゃん、帰ろう」
「そうね。早く帰らないと、そうちゃんが風邪をひいてしまうものね」
そっと出したぼくの手を、ばあちゃんはしっかりと握りしめた。その手は温かい。
ぼくの隣にママが並んで、ばあちゃんの横にはパパが並んだ。
今度は横に4つ、黄色い傘が並んだ。
ぼくたちは雨の中をゆっくり歩いていった。
了