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最後のかけら  作者: 匿名希望のS
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回遊魚のように

 次の日、孝明は若干の寝不足を背負いつつ会社に向かった。時音からのメールの真意については何もわかっていないが、短くても睡眠をとることである程度の落ち着きをとりもどした孝明は眠ることの重要性を再認識しつつ、自分のデスクに座る。

 

 話は変わるが、孝明の勤める会社「大阪ニッケル商事」は総合商社だ。社名にはニッケルと明記されている通り、もともとは大阪を拠点にニッケルなどの金属素材や化合物からスタートした商社だったが、約100年の歴史の中で取扱品目、営業先を増やし今や化学素材からおもちゃ、文房具まで様々な物を全国に卸している。

「滝川君、おはようさん。」

 そんな会社のマーケティング部に勤める孝明に、上司の藤崎課長が声をかけてきた。

「あ、おはようございます。」

 孝明は反射的に席を立ち、藤崎課長の方に体を向ける。

「まあまあ、楽にしぃや。」

 藤崎課長が流暢な関西弁でそう言うのを聞くと、孝明の脳裏には嫌な予感が走った。藤崎課長はロマンスグレーの50代だ。彼がこの年齢で課長なのには理由がある。もともとは子会社の「関西新素材」の営業マンだった。彼はそこで部長になると、「藤崎組」と揶揄される程の営業部隊を組織していた。アメとムチを丁寧に使い分けた人心掌握術で営業マン全員から神のように慕われ、全員が一流の営業マンとなり途轍もない売上、利益を叩き出してきた。後に親会社の大阪ニッケル商事から出向していた当時の関西新素材社長に見初められ課長という肩書きではあるものの親会社のマーケティング部へやってきたのだった。

 その彼が優しい言葉を部下にかけるときは、何かある可能性が高いと孝明も見聞きしてきたのである。

 「実はな、ちょっとマズい噂を聞いたんや。そこでマーケティング部の一部で緊急会議をする必要が出てきてもうた。10時くらいからタッキーもつら貸してもらえへんか?」

 不安げな表情が孝明の顔から漏れていたのを藤崎課長は見逃さなかったようで、優しく小声で囁くように用件を伝えた。

 

 大阪ニッケル商事のマーケティング部には、主に二つの役割がある。総合商社としてどのような製品をどのような市場に販売、展開していくかを調査する事。そして、既に取引のある営業先や仕入先の財務状況の調査し顧客の与信管理をする事だ。孝明は玩具や

雑貨などを降ろす営業一課で四年程活動した後に昨年の4月からこのマーケティング部に配属となっていた。

 藤崎課長からの要請の元、孝明は玩具事業部からの問い合わせを片付けた後に会議室へ向かった。時刻は10時2分前、孝明は会議室の扉をノックした。

「はい」

 一言、藤崎課長の声が中から聞こえる。孝明は一声失礼します、と言ってから扉を開いた。

 会議室の円卓を囲んでいたのは藤崎課長の他に、マーケティング部の部長である井岡氏、そして化学品を扱う営業三課の三浦課長と、孝明も顔だけは知っている若手社員だった。

 「忙しいところすまんな。こっち座り屋。」

 ニコニコとした藤崎課長が時分の隣の空席を差す。営業の面子と半分向かい合う形で流されるままに孝明は席に着いた。

 「一応紹介しとくわ。営業三課の三浦課長・・・まぁ滝川君も知っとるやろ。それと三課に所属している清瀧きよたき君や。」

 「滝川、久しぶりだな。」

 関東出身、東京支店勤めが長い三浦課長は孝明に挨拶をする。孝明な以前営業にいたとき、時々会話することがあった先輩だった。

「清瀧です。入社三年目になります。」

 続いて若手の清瀧が簡潔に自己紹介をする。自分が来ることで、役者はそろったのだろうと孝明は思ったが何があったのかは掴めていない。

 「まぁ、滝川君にはまだ何も言うてないんや。」

 そう言って藤崎課長はガラス製の鈍器と呼べるような灰皿を自分の手元へ引き寄せた。

 「営業の方から説明してや。オレが言うてなんか相違があってもアカンからっちゅうとこですわな。」

 藤崎課長は三浦課長に確認をとるようにそう言うと、胸ポケットからタバコを取り出し、ゆっくりと火をつけた。

 カチンとオイルライターの金属音が会議室に響いた後に、清瀧が切り出した。

 「実は、まだ噂程度の話なんですが主要取引先の一つである『K.Kコーポレーション』が循環取引に何らかの形で巻き込まれてるという噂を耳にしました。」

 孝明は『K.Kコーポレーション』の名を聞いて、思わず目を見開いた。

『おい、売りだけじゃなくて買いも多いはずだぞ。』

 声にこそ出さなかったが、思わず大声で叫びそうになる。

 循環取引とは、簡単に言うと複数の会社が同じ商品をぐるぐると転売を続けることだ。例えばA社がB社に商品を1000円で売る。そしてB社がC社に1000円で買った商品を1200円で売り、200円の利益を儲ける。更にC社が1200円で仕入れた物を1400円でA社に売る。この一連の流れで実体のない商売がぐるぐるとマグロのように回遊していき、各企業は見かけ上の売上が上がっていくのであった。最悪伝票のやりとりだけで商品はスタートとなった会社の倉庫から一切動かないということもありえる。

「その、噂は・・・どこから?」

 孝明は清瀧に尋ねた。無意識のうちに表情が険しくなっていたようで、清瀧は怯えた表情を浮かべている。

「まあまあタッキー、そうすごんだら知っとる話も忘れてまうがな。」

 藤崎課長が清瀧に助け船を出すかのように笑いながら言った。だが、その眼光は鋭く、タバコの煙越しにギラギラと見え隠れしている。

「それについては、私から話そう。」

 三浦課長が口を開いた。

「この間、清瀧君と二人で東大阪にある『河内樹脂成形』という会社に行ってきてね、まぁ同族経営だが新しく専務になった次男が、私の大学の同期だったんだ。私個人は担当したことが無いが、お祝いもかねて上司として着いていったんだよ。」

 『河内樹脂成形』は東大阪の樹脂成形メーカーだ。主に雑貨屋向けの商品の成形、加工を行っており大阪ニッケル商事も樹脂原料を納めている。出来上がった製品を別の

「K.Kコーポからも別のルートで原料を仕入れていると言っていた。だが、『K.K、あそこなんか循環やっとるらしいで。どっかのベンチャーが絡んどるらしいわ。』と・・・」

 ここで初めて井岡部長が口を開いた。

 「とりあえず、マーケティングの方で至急K.Kコーポの情報を集めていこうと思う。営業の方でも顧客や仕入先からの情報を集めてくれほしい。」

 そこからは作戦会議だった。途中昼休憩を挟んだが、ランチの味など孝明にはわからずに、これから調べなければいけないK.Kコーポレーションとの取引台帳や信用調査会社からのレポートについてばかり考えていた。

 

 夕方4時、太陽も赤くなってきた頃に今後の方針がまとまった。

「それじゃ、各自動いていってくれ。三浦課長と清瀧君にお願いしたいのはくれぐれもこの情報を外に漏らさないでおいてほしいと言うことだ。K.Kコーポは大口の取引先の一つでもあるから、社員の混乱に繋がりかねない。」

 井岡部長がそう言って会議を締め、あっという間に会議室を去っていった。営業の二人は、会議の間に鳴っていた携帯電話の折り返し対応をするためにそそくさと会議室をでていく。

 「なぁタッキー。」

 藤崎課長が孝明に声をかける。

 「井岡はん、なんであんな急いどるかわかるか?」

 「・・・いえ、ちょっと私には」

 孝明は突然の質問に戸惑いながらも答える。

「これやこれ。あのおっさん、新地の女に入れ込んどるんや。今日は東京支店長来とるやろ?せやから先輩と新地行く約束しとるんや。」

 藤崎課長は小指を立てながらそう言うと、タバコの箱を取り出しライターで火をつける。孝明はなんとも言えない感情を殺すように、藤崎課長にこう言った。

 「大変恐縮なんですが、一本いただけませんか?」

 タバコはやらない人間だったが、下手すれば一大事に成りかねない時の責任者の対応に、孝明は癒やしを求めずにはいられなかった。

「そう言えば、昼飯食っとるときタッキーの携帯鳴っていたで。」

 フーッと煙を吐いて藤崎課長は孝明の胸ポケットを指差しながら言う。

 「えっ?」

 孝明は急いで携帯電話を見ると、不在着信が二件、未読のメールが一件入っていた。両方とも、時音からのモノだ。

 「ええことや。最近の若い奴は電車の中でも歩いとってもスマホスマホやからな。そんなん忘れるくらい仕事に集中できとるんは感心やで。」

 笑いながら言う藤崎課長の言葉は、孝明には聞こえない。時音からのメールには今度会う日取りの外に、とんでもない言葉が記されていた。

 

 

 

もう、ラブストーリーじゃないですよねこれ。

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