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冬の堕天使

作者: 御菓子司

僕は落ちていた。

顔が、体が、その場に凍りついた。

泣きたい気持ちを堪えるために、唇を強く噛んだ。肩だけが妙にいかった。


合格者の受験番号が貼り出されたボードの前で、僕は呆然と立ち尽くしていた。

僕の回りで歓声を上げて喜んでいるやつらの甲高い声が耳に障る。

こんな滑り止めの高校に落ちるだなんて。


目の前が真っ暗になっている僕の横で、

「マジ? 俺、受かってたよ。今朝、家の前で滑って転んだから、マジ不吉じゃん。って、ビビッてたのによぉ」

僕よりずっと頭の悪そうなやつらが馬鹿みたいに喜んで大騒ぎしている。


高校受験一発目の合格発表の今日、昨日からの雨が夜のうちに雪に変わり、東京では珍しく雪が積った。朝起きると、見慣れた景色は一変し、町中が白く塗り替えられていた。


「ヒャッホー!」

浮かれて雪をかけ合ってはしゃいでいる奴らを尻目に、縁のなかった高校などさっさと立ち去ることにして、僕は駅へと向かうことにした。

どんより曇った空からは再び雪が降り始めてきた。傘を持つ手が、寒さでかじかんで痛い。

合格した奴らには楽しい雪かもしれないけれど、今の僕には忌々しい雪でしかない。


雪なんて大嫌いだ。


人通りの多いアスファルトの道路は、車のタイヤと、人の靴底に踏まれて、食べ終わりのかき氷みたいにグチャグチャしている。水まじりの雪が灰色に汚れて歩き辛い。雪に足を奪われながら、身も心も重い足取りでようやく駅にたどり着くと、

「雪のためダイヤが乱れ、電車が大幅に遅延しています。お急ぎのところ、お客様には大変ご迷惑をお掛けしております」

構内アナウンスが繰り返し流れ、電車が到着する気配はまるでなかった。

早く家に帰りたい僕は苛立った。北風が冷たくて耳がちぎれそうだ。


電車がなかなか来ないせいで、合格発表を見終えた奴らが、どんどん駅にやって来てプラットホームに溢れた。どいつも一様に高校の名前がデカデカと書かれた、大きな封筒を抱えて明るい笑顔だ。

誰も、落ちた僕の存在など気に留めてもいないようだったが、僕には大いに気になった。

できることなら、このまま消えてしまいたかった。

みじめな自分に落ち込み、自分だけが取り残されてしまったことに焦燥感だけがドクドクと沸いてくる。


たかが雪くらいで、なんで電車は来ないんだよ。雪なんて大嫌いだ。

こんな日は早く家に帰って寝てしまいたい。

母さんには、受かっていたら電話をすると言ってあるから、ダメだったことは今頃、察してくれているだろう。

ようやくやって来た電車に乗ると、僕はほうほうの体で家にたどり着いた。


「ひどい天気ね。寒かったでしょう。温かいスープでも飲む?」

いつもと変わらない調子で、母さんは帰宅した僕を出迎えてくれた。

気を利かせて試験の結果には触れないでくれているようだ。

助かった。

今、合否のことを尋ねられたら泣いてしまうかもしれない。

さすがに、中三にもなって親の前で泣きたくない。

「いらない。ありがとう」

それだけ言うと、僕は二階の自室に逃げ込んだ。


部屋に入るなり、身体中の力が抜けて、僕は床にペタリと座り込んだ。

頭をよぎるのは、滑り止めの高校すら落ちたという恐ろしい現実ばかり。

今まで、死ぬ気で猛勉強をしたとは言わないが、それなりに努力はした。

なのに……もう、勉強なんてやる気になれない。

暗雲たち込める自分の将来が、不安で押し潰されそうになった。

雪はまだシンシンと降り続いている。


よく降る雪だなぁ

窓の外に目をやった僕は、ギョッとした。小さな黒い瞳がこちらをじっと見つめているのだ。

なんだろう?

よく見てみると、窓枠の外に二十センチくらいの小さな雪だるまがいた。


母さんだな。こんなことをする人は母さんしかいない。

僕は引き寄せられるようにフラフラと雪だるまに近付いてみた。

僕の部屋の窓は、窓枠の下が十五センチほど外に突き出ていて、そこに小さな雪だるまがチョコンとひとつ置かれてあった。

真ん丸の黒い瞳の上に、太い眉が二本、真一文字に黒々と乗っかっている。無表情だけれど、真面目そうな顔の雪だるまだった。


雪の塊に目を付けただけで、こんなふうに生き物みたいになるんだ。

ふうん。と、感心しながら、僕はなにげなく窓を開けてみた。

ガタン!

思いがけず窓に振動が走った。と、同時に雪だるまが、足元からツツーっと滑った。

慌てて手を伸ばしたけれども、雪だるまは僕の指先をかすめて階下へと堕ちていった。

地面へと向かって堕ちて行く雪だるまの姿が、スローモーションみたいに、やけにゆっくりと小さくなって行き、そして、僕の視界から消えた。堕ちて行く雪だるまの黒い瞳は、ずっと僕を見詰め続けていた。


ヤバい!

慌てた僕は、一足飛びで階段を駆け降り、靴下のまま、雪が積もった庭に飛び出した。


雪だるまは、今にも泣き出しそうな顔で、ちょうど窓の真下あたりに落下していた。

状態は半分崩れて、半分は無事。

正確にいうと、お団子をふたつ、縦に重ねたような雪だるまの下半身はグチャリと崩れてしまっていたけれど、上半身はかろうじて無事だった。

ただ、堕ちた時の衝撃で、横に真一文字に並んでいた黒い眉毛が八の字にずれてしまっている。

なので、雪だるまは、半泣きしているみたいな情けない顔になっていた。


「大丈夫だから、そんな顔をするなって」 

雪だるまにそう呟くと、僕は純白のきれいな雪だけをよって丸く固めて、雪だるまの下半身にくっつけてやった。

「ほら、これで大丈夫だ」

元気になった雪だるまを手のひらにそっとすくいあげると、元いた窓の外に、雪だるまを慎重に置いた。

「大丈夫だから、そんなに気にするなよ」

情けなく八の字に垂れてしまった雪だるまの眉を、今度は眉尻を少し吊り上げて、勇ましい顔にしてやった。

そして、強そうな顔になった雪だるまをしばらく眺めながら、僕は何気なく発した自分の言葉を、頭の中で何度も反芻させていた。


大丈夫だから、そんなに気にするなよ。

大丈夫だから、そんなに気にするなよ……


そしてハッと気づいた。どうにもならないことを、くよくよ気に病んでいるのは僕の方だ。

雪だるまはキリリと勇ましい顔で、窓の外から僕を見つめている。

そうだよな。気にして落ち込んだって何も変わらない。


僕は机に向かい、ガバッと問題集を開いて、猛然と取り組み始めた。

一問解き、二問解いたところで顔を上げ、窓の外を見る。

そんな僕を、雪だるまは相変わらず勇ましい顔で、じっと見守ってくれている。


大丈夫、僕はまだまだ頑張れる。

そうだ。まずは男らしく、今日の報告をきちんと母さんにしよう。それから、次に向けて頑張ると伝えよう。そして、春には笑っていられるように、今は踏ん張るんだ。


雪はまだシンシンと降り続いていた。



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