第七話 魔術教典①
定期出張市から少したった時、僕はロイ村から小一時間ほど歩いたとある河原にやって来ていた。
魔術教典を購入し、屋台の裏で学生服から魔術師風の皮のローブに着替えたあと、僕は一度エレック邸に戻ってきた。
そうして僕は部屋の傍に立て掛けている『暗黒の聖典』を手にすると、エレックから紹介された魔術の訓練ができる場所へやってきたのだ。
この河原はエレックが紹介するだけのことはあり、魔術の訓練をするのには最適だ。
左右を森に囲まれつつも、そこだけは一面に開けた景色が浮かんでいる。
足元には、大小様々なサイズの石が転がっており、少し歩くと川もある。
ただ、この川を渡ってロイ村とは反対方向の森に入ると、そこは魔獣の棲息地なので、注意が必要なそうだ。
まぁ、橋も掛けられていないこんな川を渡るなんて滅多なことがない限り有り得ないだろう。
それに、魔獣の棲息地に入るのはしっかりと魔術の訓練をしてからだ。
僕は自分を言い聞かせながら、近くの小岩に座り込み、手に持っていた魔術教典を開いていく。
――――
『【はじめに】
この書物を手に取ったということは、読者諸君は魔術師を目指しているのだろう。
昨今ではこのような指導書も多く世界に広まる時代となった。
それは著者も一人の魔術師として嬉しく思う。
しかし、それと同時に魔術師に関する間違った知識も広まるようになってしまった。
確かに、魔術というのはとても魅力的で、何より強い。
魔術を学んで玄人の域に達している者には、一つの森を燃やすことくらい、容易いだろう。
だが、魔術というものは何も暴力を振るうために存在しているのではない。
魔術というものは正義を執行するために、魔術の祖、ミールス様がこの世に生みだしたのだ。
その部分を、この書物を手に取った読者諸君は取り違えないで欲しい。
魔術を学び、力を付けていくと、必ずつけあがる者も出てくる。
そういう時は一度この書物のことを思い出してくれ。
これは、著者からの強い願いだ。
よろしく頼む』
ーーーー
なるほど。
とりあえず、この本の著者は正義感に満ち溢れた人物だということは伝わってきた。
僕は本を一度閉じ、裏表紙を覗いてみる。
そこには、著者・上四級水帝魔術師ウォールスの文字。
上四級水帝とはどのうな肩書きなのだろうか?
それにしても……
さっき万引きしようとして本当にすいませんでした!
僕は心の中でウォールスに謝りつつ、次のページを開いていく。
――――
『【魔力】
では、早速魔術についての説明に入っていこう。
まず簡単に、もうすでに知っている読者諸君も多いかもしれないが、魔術というのは体内に秘められている魔力を活用して作り出す、実像のある空想概念だ。
この世の生物にはそれぞれ個人差はあれど、魔力というものは不変的に生まれつき備わっている。
魔術はその魔力を用いて発動させる。
つまり、魔力あっての魔術だ。
では、魔力量というのはどうやって定まるのだろうか?
それには様々な説が存在するが、今最も有力視されている一説はこういうものだ。
魔力というのは遺伝的、先天的なもので、生まれた時から一定量であり、またそれに身体的な二次性徴の特徴があらわれるくらいまでで用いた魔力量の幾分かの割合が加算されて決定する。
つまり魔力量は少年期までは増幅可能だが、それを過ぎると不可能となるということだ。
といっても、もとより魔力量が多い者はそのようなことをしなくても十分すぎるほどに魔力を有しているのだが。
しかし、世の中にはその理から逸脱する存在がある。
その最たる例が、ギルティ因子というものだ。
ギルティ因子というのは、基本的に魔族の内のライン種という種族が有しており、稀に他種族にも有している個体が見つかったりしている。
ちなみに、人族でギルティ因子を持っているのは現在確認されているだけで十五人だ。
ギルティ因子は体内に秘められた魔力量を何倍、何十倍にも増倍させる効果を持っている。
そのため、ライン種というのは魔族の中でも第一級危険度に属しており、人族の十五人も超一流の魔術師だ。
だがこれは上記の通り、とても特殊な例。
他にも魔力に作用する因子は幾つか存在するが、持っていないのが当然。
持っている者を羨み、嫉妬する時間があるならば、一つでも多く詠唱を覚え、一分でも多く魔術練習をした方が有用だ。
もちろん、著者も持ち合わせていない。
追記。
この書物の表紙の魔法陣は個人の魔力量を測定できるような術式を編み込んである。
魔法陣の中心に右人差し指と右中指を重ねて置くと、魔法陣の上に対象者の魔力量の簡易的な評価が表示されるだろう。
興味のある者は試してみるといい』
――――
僕は、気付かぬうちに本を持つ両手を震わしていた。
魔力の概念。
魔術を使うためには魔力が必要不可欠で、魔力量は二次性徴が現れる頃には決定してしまう。
僕にはもうとっくに二次性徴は来ているのでこれからの魔力量増幅は絶望的だろうし、親が親だけに遺伝的なものも望めないだろう。
――だが。
まさか、本当に存在するとは……ギルティ因子。
僕はこの本以外にもう一つ持って来ていた本、暗黒の聖典を手元に広げる。
『ギルティ因子……赤銅の魔術師・ケントが一度死んだ際に手にした特殊諸要素』
手元の本には確かにそう書かれている。
いや、だが暗黒の聖典とこの異世界にも齟齬はある。
この本は参考程度にしておこうと昨夜決めたばかりじゃないか。
……だが、気になるものは気になるのだ。
僕は我慢できなくなったように、表紙の魔法陣に言われた通りに右人差し指と右中指を重ねてみる。
自分の中からスゥーと、何かが抜けていくような感触を味わう。
これがきっと魔力なのだろう。
と、そんなことを考えているうちに、魔法陣の上にじわじわと何か文字が浮かんできた。
その文字は、たった一文字。
『S』、の一つだけである。
……Sっていうのは喜んでいいのだろうか?
そもそも平均の値がよくわからないが、SというのはSpecialのSだろうか? それともSmallのSだろうか?
紛らわしいな……
と、その瞬間。
今まで表示されていた『S』の字が突如として消えてしまった。
どうしたのだろうか? などと考えていると、今度は違う文字が新しく浮かび上がってくる。
そこに書かれていたのは――
「未知……数?」
あまりの驚きに、思わず口に出す。
未知数。
これってあれだよな、もうあなたの魔術量は限界値に達していますってことだよな……
――ギルティ因子。
僕も持っている確率が高いのか。
うまく言葉に表せないが、心の内は満足感で満ち満ちていた。