プロローグ 川崎健人の中二病日誌
作者の本業都合上、更新ペースが速かったり、遅かったり。バラバラです。
書きたいことを書きたいままに綴っていくので、よろしくお願いします。
プロローグ長いけど、ご了承……
--どうしてこうなった。
男は頭をうならしらながら、目の前の出来事に狼狽していた。
男の名前は川崎健人。
県の外れの高校に通う、しがない男子高校生だ。
だが、その彼が現在出くわしている状況は何も学校内でのことではなかった。
彼の眼前、二メートル四方ほどの距離には、何もない、空虚な光景が広がっている。
何もないと言っても、周囲の状態、木々が生い茂り、万面の緑の色が覆い尽くすのとは対象的だということ。
二メートル四方の空間には、緑の色なんてほぼ皆無。
土はめくれ上がり、地形は褶曲して。
多少なりとも残っている草木にも、いよいよ火が灯り、いずれ焼き尽くすことだろう。
そんな状況を前に、彼は呆然とする。
だが、それは普通の反応だ。
誰だってこんな現状に出くわしたら現実逃避の一つや二つはするだろう。
しかし彼は何もその焼け野原を見て呆然としていたのではない。
彼は、この焼け野原が作り出される過程に呆然としていたのだ。
そう、なぜならーー
この違う意味での絶景を作り出したのは、誰でもない。
口を大にし、目をかっぴらいているこの男の他ないのだから。
突如足にした未見の地で、何故だかわからないが焼野原。
こんな出来事、驚かないはずがない。
では、学生服に身を包み、周囲の景色からくっきりと浮かび上がってしまっている彼はなぜこのような物騒な深緑に囲まれた土地にいるのだろうか?
それを説明するためには少しばかり時を遡らねばならない……
唐突だがここで少々、僕のこと。すなわち、男子高校生・川崎健人
かわさきけんと
について述べてみよう。
身長、百六十センチ。五十キロ。
好きな食べ物は黒胡麻煎餅とブラックコーヒー。
趣味はアニメ鑑賞。
好きな作家はあさのあつこと、サンテグジュペリ。
尊敬する人物は山上憶良だ。
今から十七年前、中流サラリーと専業主婦の間に、第一子として生を受けた。
父曰く、母は少しばかり体が脆弱だったらしく、僕のことを生んでから一年程したあとに亡くなってしまったそうだ。
残念ながら、その時の僕は若干一歳。赤ん坊のころの記憶なんざ残っていない。
そのため、一般の子供なら普通は満ち溢れるほど有している、母親からの情愛というものが欠けていた。
ゆえに、それを補うかの如く、父からは寵愛されていた……ということも無かった。
父は、母が亡くなるまで。
すなわち、僕がそろそろハイハイができるようになる頃までは、僕のことをとても気にかけてくれていたらしい。
だが母が亡くなり、お葬式を粛々と済ましているときにまったく、何のことかわからずに母の遺骸の前で、ただ無邪気に笑っていた僕を見て、気が触れてしまった。
ニコチンを摂取し、アルコールに浸り、ギャンブルで金を擦り、女を自宅に連れ込んで。
酒池肉林もいいとこだ。
かろうじて学校には通わせてくれたが、授業参観に来てくれたことは只の一度もなかった。
僕の記憶にある頃からは、もう家族といえる存在ではなかったのだ。
同じ家に住んではいるが、互いに別々の生活サイクルを送っている。
赤の他人との同居のようなものだ。
ちなみに、これらのことはすべて父から聞いたこと。
僕が学校から帰って来た時に、酒を飲み、べろんべろんに酔っぱらった父が恨めしげに語ってくれた。
「お前のせいで俺の人生が台無しだ」と。
僕の生い立ちは上記の通り。
つまり、どこにでもいる普通とは少し異なる、高校二年生ということになる。
そのせいだろうか、中学生の頃の僕はやさぐれていた。
手本となる人物が身近に居らず、また、叱ってくれる人もいなかった。
学校をサボり、深夜に町を徘徊して。所謂、素行不良だ。
だが、そんな折、僕に転機が訪れる。
たまたま、夜中に見ていたテレビアニメ、『ガードブレイク~灼熱の魔術黙示録~』だ。
主人公・大智は高校生。不遇な環境で育つも、突如として顕現した特殊な力をもって、悪を倒す、というストーリーだ。
よくあると言えばよくある設定だが、いつの間にか僕は体を前に乗り出して、その番組を食い入るように見ていた。
大智と自分の境遇が似ているというのもあったが、何しろ、その特殊な力に憧れた。
翌日には、書店に走り、原作の本を読み漁った。そうしてますます、はまっていった。
最初は大智の必殺技を真似するだけだった。
大智の必殺技と同じポーズを取り、大智の唱える詠唱と同じ言葉を唱えた。
そのうち、しっかりと学校にも行くようになった。
主人公・大智が昼は普通の学生として、周囲に力がばれないようにすごしていたからだ。
だが、しばらくすると、それだけでは満足がいかないようになっていた。
自分自身で自分の設定を追加していった。
百均で大学ノートを購入し、表紙を黒くデコレーションして、『暗黒≪シークレット≫の聖典≪ダーク・ブック≫』なるものも綴り始めた。
人前では一人称も僕から俺へと言い換えた。
そうして今の僕、『赤銅≪ブラック・レッド≫の魔術師≪マジシャン≫』・ケントとしての像が構築されていく。
『赤銅の魔術師』であるケントは、一度死んだ存在。
だが、その際に手にしたギルティ因子を右手に秘めており、地・水・火・風の魔術を全て上級まで操れる。
なかでも火の魔術はギルティ因子と何か特殊な化学反応的なアレを起こして帝級まで操る――なんていう、どこのチートプレイヤーだよ、と突っ込みたくなるような支離滅裂な設定だった。
ちなみに、空想の存在、魔王アルデバランを打倒するのが最終目的である。
こんな痛々しいやつがクラスにいたら、精々輪から省かれるのが関の山だが、中学校のみんなは優しかった。
僕が何か中二病的な言動を繰り返すたびに、みんなは笑っていた。嘲笑ではなく、温かな笑いだった。
そのうえ、僕の邪気眼をさらに洗練していくためにアドバイスもくれた。
そうして、いつのまにか周囲の環境に満足していた。慣れていた。
勿論、そんな特殊な環境は中学校だけ。
中学校を名残惜しくも卒業し、父の意向で地元のみんなが通うこととなる公立高校ではなく、学費が安い遠郊の県立高校へと入学した。
高校初日の顔合わせの日。中学で味を占めていた僕は、自己紹介で大変な黒歴史を作ってしまった。
いや、そもそも僕の人生は現在進行形で黒歴史だけど。
「一年二組六番、川崎だ……だが、川崎というのは俺の真名ではない……俺の真なる名は、訳あって話せないが、お前ら一般庶民を俺たちの戦いに巻き込むつもりはない。安心しろ――だが、万が一ということも有り得る……ゆえにお前らとは馴れ合うつもりはない。おっと……お喋りがすぎたようだな。以上だ」
これが僕の高校生活一発目のセリフ。いや、マジで。
普通、初対面でこんなことを言い始めるやつと仲良くできるか? できるはずがない。そんなやつ、神か仏かイエス様に違いない。
無論、イジメロードまっしぐらだ。
こうして、案の定虐められるようになった。
下駄箱から上履きを隠される度に、
「ふっ……アルデバランめ……俺の上履きさえも隠すとは、よほど俺のことを恐れているようだな……」と。
机の中に虫などの死骸を詰め込まれる度に、
「……ククッ、いよいよ奴らの召喚魔術も進歩したものだ……」と。
授業中に後ろの席から丸めた紙を投げられる度に小声で、
「……アルデバランの眷属よ……そこにいるのはわかっているぞ……」
例を挙げていけばきりがないくらいに、痛々しい言動を繰り返した。
しかし、それでも僕は中二病を卒業せずにいた。
意地になっていた面もある。あの大智はこれくらいではへこたれない、と。
だが、それ以上に恥ずかしかったのだ。いつしか人前でシラフの言葉を交わすのが恥ずかしくてたまらなくなっていた。
そうしていつしか高二になった。
高二の今でも、相変わらず、僕の中二病は健在だ。
「起立、気を付け、礼」
委員長の言葉で一日の学校生活が終わりを告げる。放課後だ。
僕は机の上に広げていた教科書を揃え、バッグに詰め込むと、屋上へと足を運ばせた。
昨日から僕に絡んでくるヤンキーたちに呼び出されていたからだ。
ヤンキー曰く、「お前、俺の奴隷な」らしい。
まったく、一介の子供の分際で奴隷を持つなんて、どこぞのジャイアニズムだよ。
どうやら今日は奴隷としての任務を遂行する日のようだ。
さっき、赤い髪の人が呼びに来た。放課後、屋上に来い、と。
僕は本当は行きたくなかったのだが、呼び出されてしまったのなら従うしかあるまい。
こういうことは大抵、行かずにサボると後々、酷い報復を受けるというのが定石だ。
そうして彼らが主従ゴッコに飽きるのをただ待つのである。待って、待って、待つのだ。
決して自ずから暴力には走らない。いや、本気でやったら勝てるけどね?
非暴力主義だ。信じる者は救われる。おぉ、ガンディー。
「ようし、来たか」
ヤンキーのリーダー、陽一が口を開く。
「今日の奴隷としての仕事は……と、そういえばまだお前の名前を聞いていなかったな。教えろ」
こいつはどうやら僕の名前も知らずに軽くリンチしたらしい。恐るべし、ジャイアニズム。
だが、僕はこれでも紳士な男。名前を知らない相手には、優しく教えてあげるのが紳士の務め。
「……二つ名は、『赤銅の魔術師』。真名はケント――ふっ……こいつを教えたのは、お前で二人目だ……喜びな」
ちなみに、一人目は先生だ。ふざけた自己紹介をしたときに問い詰められて、ついポロっとね。
「な、なぁ、こいつは何を言っているんだ……?」
「あぁ、多分あれっすよ、陽ちゃん。中二病ってやつじゃないっすかね?」
陽一が腫物を扱うかのように僕のことを指差し、側近に尋ね聞いた。
「中二病?」
「はい、中二病。なかでもこれは邪気眼系っすね。なんか変なものに憧れて、自分にも特殊な力が潜んでいるとか思い込んでるんすよ」
再び側近が答える。
なに、お前詳しいな。お前も患者? 闇の炎に抱かれて消えた?
「ほぉ、そんな病気があるとはな……」
「いや、病気じゃなくって……」
どうやら陽一は理解できていないようだ。金髪がため息をつく。
「まぁ、いい。ケンタ」
誰だよ。
「お前の奴隷としての第一任務は俺たちの課題をやってくることだ。あ、明日までにな」
……まぁ、それくらいなら大丈夫だろう。高三の課題がどれ程のものかは知らないが、僕は頭はいいほうだ。
ちなみに、普段訳わからないのに、中途半端に頭がいいというのも虐められる要因だ。嫉妬は怖いね。
僕は陽介たち五人からそれぞれノートだのプリントだのを受け取ると、バッグにしまうため、チャックを開く。
と、その時。
陽一の手がにゅっと伸びて、僕のバッグの中に入っていった。手に捉えたのはあるノート。
『暗黒の聖典』だ。
陽一は手に取ったそれをパラパラとめくり始め、鼻で笑った。
心に湧き上がってきたのは、何とも言えない衝動感。
初めて味わうその感覚に戸惑いをも憶える。
「……かえせ」
「あぁ?」
「……返せって言ってんだよ……その手にしてるノートを」
自分でも何故こんなことを言っているのかはわからない。
こんなことを言ったらまた殴られるに決まっている。
だが、その言葉は僕の気持ちとは裏腹に一言一言しっかりと発せられていく。
「お前の、手に持っている、そのノート。返せ」
「ん……? あ、こいつのことか」
陽一は手にしたものを頭上に上げ、煽ぎ始めた。
「なんだよ、このノート。変に飾り付けられててよ?」
「返せ」
「で、なにこの絵。理想の俺? きったねぇ絵だなぁ、おい」
陽一は開いたページの僕の描いた絵を見て、邪悪な笑みを浮かべた。
「そんな汚い絵は――こうだ」
そう言って、陽一はノートを再び頭上に掲げ、右端と左端を持って――引き裂いた。
……その時、僕の頭の中には、淡い過去の記憶が流れていた。
あったらいいな、と思って書いた魔術などの設定。
こうなりたいな、と思って描いた汚らしくも格好いい絵。
僕の中二病設定を書き足していくのはとても楽しい時間だった。
学校には友達もいないし、家に帰っても飲んだくれの親父だけ。
そんな僕の唯一の楽しみだったと言えるだろう。
だが。
こいつは、それを引きちぎった。
僕の思い出を踏みにじった。
許さない、許さない、許さない……
「あぁぁぁぁぁ!!」
叫び声をあげたのは、僕だった。
僕は手にしていた彼らの課題を放り投げ、陽一に向って突っ込んだ。
だが、片手で止められる。
「なに、なにマジになっちゃってんの?」
「くそがぁぁぁぁ!!」
「ははは、取れるもんなら取ってみな!」
そう言って陽一はホレホレと、ノートを羽ばたかせる。
そこへ僕は向う見ずに突っ込んでいく。
そうしたら陽一は避けて、またノートを別の場所へ、と繰り返す。
そうして何回か繰り返しているうちに、とうとう僕はノートを右手で掴む。
「おい、やめろ! 離せ、おい!」
陽一は焦ったかのように僕を突き飛ばす。だが、ノートは僕の手の中にある。
――よし、取り返した。
そう思った途端、僕はあることに気が付いた。
背中に感触がなかった。
突き飛ばされたときに感じる、背中と地面が擦れて生じる確かな痛みが、その時は感じなかった。
ーーえ?
全身に強い重力が掛かり、肺が圧迫される。
上を見上げると、陽一と目が合った。戦慄の表情をあげている。
それを見て、僕は屋上から突き落とされたことを理解した。
中二病。
何故だか知らないが、僕の頭の中には走馬灯のようにその単語が浮かんでいた。
自分には何も特別な力が秘められていないことは、自分自身が一番把握している。
魔術なんて空想の産物に過ぎない。
僕の右手は何の変哲もない、タンパク質の塊で、ギルティ因子なんてものも存在しない。
すべては只の妄想だ。
なら何故、僕は中二病を卒業しなかったのか……
中二病を卒業して、普通の高校生活を送っていれば、虐められずに済んでいたかもしれない。友達もいっぱいできていたかもしれない。
というかそもそも、死なずに済んだのかもしれない。
だけど、それでも僕は中二病患者のままであり続けた。
きっと虐められる苦しさよりも、自分の設定像を作ったりする方が楽しかったのだろう。
……いや、それも多分強がりだ。
友達は欲しかった。
ただ、結局いつしか、中二病の要素がなくては、人とまともに会話することもままならなくなっていた。
もし、生まれ変わったら、もう少し素直に生きてみよう――なんて、こんな時でもそんなことを考えるとは、僕の中二病は真性なのだろう。
……地面と衝突するまであと、どのくらいだろうか? 一秒がやたらと長く感じられる。
もうここまでくると、あんな父親でも、最後に一度くらい親孝行しておいてやればよかった……いや、それは別にどうでもいいか。
手にしていたノート、『暗黒の聖典』を胸に抱え込む。
僕は口をつぐみ、にっこりと微笑みつつ、黄昏る。
死因がたかだか一冊のノートとは、僕の命も安いもんだ。
陽一は体を乗り出し、恐る恐る固く閉じていた目を開いた。
そんな陽一の視界に飛び込んできたのは驚天動地の光景。
「――あれ……?」
陽一は驚倒の色を隠せないまま、言葉を紡ぐ。
「……なにも、ない?」