これしか出来ない王
大滝成尾が目を覚ました時、豪奢な天蓋が揺れていた。
深紅の布地に金糸の刺繍。天井には見たこともない神話画が描かれ、巨大なシャンデリアが朝日を受けて鈍く光っている。
成尾はゆっくりと身体を起こした。
「……どこだ、ここ」
喉から出た声は、自分のものとは思えないほど低く、重かった。
頭が痛む。
いや、違う。
頭の中に、他人の記憶が雪崩れ込んでくる。
王都ルクセリア。
大滝王国。
周辺七カ国との関係。
先王の死。
内乱寸前の貴族会議。
そして――アレクト六世。
それが、今の自分の名前だった。
「冗談だろ……」
ベッドから降りた瞬間、足元の絨毯がふわりと沈む。窓の外を見ると、石造りの巨大都市が広がっていた。
さらに遠く。
城壁の外では、黒い鎧の軍勢が列をなして進んでいる。
槍旗が風に鳴り、軍靴の音が朝霧を震わせていた。
コンコン、と扉が叩かれた。
「陛下。お目覚めでしょうか」
女の声だった。
「……入れ」
入ってきたのは銀髪の女官だった。年齢は二十代後半ほど。軍人のように背筋が伸びている。
「ご気分はいかがですか、アレクト陛下」
「最悪だ」
成尾は即答した。
女官は少しだけ眉を動かした。
「正直で結構です」
「今の状況を説明してくれ」
「……どこから?」
「全部だ」
女官は一瞬迷い、それから口を開いた。
「三日前、北方のルヴァイン帝国が国境地帯への駐屯を開始しました。本日早朝、帝国より最後通牒が到着。要求は二つ」
彼女は机の上の書簡を見た。
「鉱山都市エルディアの割譲。そして、王女エレノア殿下の婚姻」
「断ったら?」
「三日後、開戦です」
成尾は黙った。
現代日本で平凡な会社員だった自分が、なぜ異世界の王になったのか。
そんなことを考えている余裕はなかった。
「軍事力は?」
「総兵力は我が国が十一万。帝国は三十万です」
「……負けるな」
「はい」
女官は迷いなく答えた。
「周辺諸国は?」
「中立を宣言しました」
「助けは来ない、と」
「ええ」
成尾は深く息を吐いた。
絶望的だった。
だが、それ以上に奇妙だったのは、誰も“戦争を避けよう”としていないことだった。
「外交交渉は?」
「昨日、決裂しました」
「停戦案は?」
「存在しません」
「講和条約の前例は?」
女官は沈黙した。
「……ありません」
「は?」
「この世界では、戦争は片方が滅ぶまで続きます」
成尾は思わず笑った。
笑うしかなかった。
「滅ぶまで?」
「はい」
「降伏は?」
「弱者の概念です」
「和平は?」
「臆病者の概念です」
「……正気か?」
「皆、そう思っています」
その瞬間、成尾は理解した。
この世界には、“戦争を終わらせる文化”そのものが存在しないのだ。
戦争とは滅ぼすもの。
徹底的に奪い尽くすもの。
だから国家は百年単位で争い続け、憎悪を積み重ねる。
文明は発展しているのに、思想だけが未成熟だった。
「名前を聞いてなかったな」
「宰相補佐官、リゼットです」
「リゼット。会議を開く」
「軍議ですか?」
「いや」
成尾は窓の外を見た。
行軍する兵士たち。
怒号が響く王宮。
戦争を当然として受け入れている世界。
「終戦会議だ」
◇
円卓には重臣たちが並んでいた。
白髭の将軍。
肥えた財務卿。
神官。
貴族。
全員が疲弊し、苛立ち、そして好戦的だった。
「帝国め! 先に攻め込むべきです!」
「兵糧が足りませんぞ!」
「民衆は徹底抗戦を支持しております!」
怒鳴り合い。
罵倒。
責任転嫁。
成尾はしばらく黙って聞いていた。
そして静かに言った。
「勝った後はどうする?」
場が止まった。
「……は?」
「仮に帝国に勝ったとして、その後は?」
「当然、帝都を焼き払います」
将軍が答えた。
「それで終わるのか?」
「敵が死に絶えるまで続けます」
「百万人死んでも?」
「必要ならば」
成尾は頬杖をついた。
「だからお前たちは、百年も戦争してるんだよ」
誰も言い返せなかった。
「いいか。戦争は始めるより、終わらせる方が難しい」
「……終わらせる?」
神官が困惑した顔をした。
「敵を完全に滅ぼさず、条件を決めて争いを止める。それが和平だ」
「そのような甘い考えで国が守れると?」
「逆だ」
成尾は机を指で叩いた。
「滅ぼし尽くすまで戦うから、次の戦争が終わらない」
沈黙。
「敵にも民がいる。文化がある。生活がある。全部焼けば、残るのは憎しみだけだ」
「しかし帝国は侵略者ですぞ!」
「だから殺し尽くす?」
成尾は将軍を見た。
「お前の孫が殺されても、“必要だった”で済ませるのか?」
将軍は黙った。
「戦争には出口が必要だ」
成尾は続けた。
「領土。賠償。不可侵。捕虜交換。貿易。何でもいい。終わる条件を最初に決めるんだ」
「そんなもの……」
「ない?」
成尾は笑った。
「じゃあ作れ」
◇
その日の夜。
成尾は書簡を書いていた。
ルヴァイン帝国皇帝宛。
内容は、停戦交渉の提案だった。
リゼットが信じられないものを見る目で尋ねる。
「本当に送るのですか」
「ああ」
「拒否されます」
「だろうな」
「なら意味がありません」
「ある」
成尾は羽ペンを置いた。
「“選択肢”を作ることに意味がある」
「選択肢?」
「この世界の人間は、戦争か滅亡しか知らない。でも、その間には無数の道がある」
彼は静かに言った。
「人間は、知ってる道しか歩けないんだ」
リゼットはしばらく黙っていた。
「……陛下は、変わられましたね」
「そうかもな」
「以前の陛下なら、即座に宣戦を布告していました」
「前の俺は死んだ」
成尾は窓を見る。
夜空の下で、篝火が揺れていた。
兵士たちが槍を磨いている。
三日後には、その多くが死ぬ。
「俺は、できれば一人でも多く生かしたい」
「それは王の理想ですか?」
「違う」
成尾は苦笑した。
「普通の人間の感覚だ」
◇
二日後。
帝国から返書が届いた。
会議室に重臣たちが集まる。
全員が険しい顔をしていた。
リゼットが封を切る。
そして、目を見開いた。
「……停戦協議に応じる、と」
ざわめきが広がった。
「馬鹿な!」
「罠では!?」
「帝国が和平を!?」
成尾だけが静かだった。
「条件は?」
「国境地帯にて、両国代表による直接会談を要求しています」
「上等だ」
成尾は立ち上がった。
「行くぞ」
「危険です!」
将軍が叫ぶ。
「暗殺されるかもしれませんぞ!」
「それでも行く」
成尾は言った。
「誰かが最初に、“終わらせ方”を教えなきゃならない」
◇
国境平原。
曇天の下、両軍十万が向かい合っていた。
一触即発。
空気は張り詰め、兵士たちは剣に手をかけている。
その中央へ、成尾は一人で歩いていった。
帝国側からも、一人の男が現れる。
黒い外套を纏った壮年の皇帝。
「貴様がアレクト六世か」
「あんたが皇帝だな」
互いに睨み合う。
周囲の兵士たちは固唾を飲んでいた。
そして成尾は、最初の一言を放った。
「提案がある」
「ほう?」
「お互い、滅ぶのをやめないか」
世界は、その瞬間。
初めて“戦争の終わり方”に触れた。




