第七話 ヴェイクスの宣教師
ツクモス学園塔百五十階層。そこには薄暗い広間が有った。装甲版のような分厚いブラインドが朝の陽光を全力で遮っている。しかしながら、全くの闇ではない。僅かばかりの明るさは有った。
その恩恵の発信源は、ツクモス学園塔名物、天井モニターだ。
天井には宇宙が投影されていた。その中に、我らの地球も映り込んでいた。
撮影元は月面基地。ツクモス学園塔の中でも、この部屋にしか与えられていない特権だった。
特別な部屋だ。それも、二十畳は有ろうかという広間だ。しかし、広さは全く覚えない。むしろ、見る者に狭さを覚えさせる。
広間の中は、様々な機材が山積みにされていた。それこそ、足の踏み場も無いと思えるほど。
宛ら機材置き場といったところだ。この状況を見て、人が住んでいるとは、誰も思うまい。しかし、ここに寝泊まりしている者が、一人いた。
広間の隅っこに、薄いヴェールに囲まれた場所があった。その薄膜は「電磁波を遮断するカーテン」だ。それに囲われた奥には簡素なベッドが一床置かれている。
ベッドの上に、白衣のまま眠る一人の中年男性の姿が有った。
男の名前は「名取耀児」。耀平の父にして、名取重工業ツクモス開発局の局長である。
因みに、名取重工業の社長は、耀児の妻(耀平の母)、「名取アイネス」。夫婦二人三脚で、名取重工業を切り盛りしている。
名取夫妻の頑張りによって、世界最強兵器、第三世代型軍用ツクモスが誕生した。その成果だけでも、二人は未来永劫遊んで暮らせるほどの報酬を得ている。
しかし、耀児は止まらなかった。今もツクモス開発に従事し続けている。今も研究室に入り浸っている。寝ている間でも――
「うふふっ、俺の夢――『世界最強のツクモス』まで――あと少し」
夢の中でツクモス開発を行っていた。
一体、どんな夢を見ているのやら? 少し脳内を覗いてみよう。
耀児の脳内世界に、真っ青な空間が広がっていた。その下に、フワフワした白い床が広がっている。どちらも、無限と錯覚するほど広大だ。
青い空間は空だった。白い物体は雲だった。
耀児は空を飛んでいた。それも、腕組みをしながら仁王立ちで。しかしながら、夢の中の耀児は飽くまで人間だった。
耀児の傍には「飛行機能を持った巨人」がいた。
奇妙な巨人だった。古代中国風の鎧をまとっている。しかし、兵士という印象は全く覚えない。
その体が余りに――細い。細過ぎる。宛ら針金、或いは骨格標本といったところ。しかしながら、全く骨しかないかというと、そうでもなかった。
お腹だけがポッコリ膨らんでいた。それこそ、妊娠中の妊婦のように。
痩せた妊婦の古代中国歩兵。その歪なまでに細い右掌に、白衣姿の男――耀児が乗っかっていた。
危険な状態だ。しかし、耀児は余裕だった。それどころか、強風に顔を歪めながら笑っていた。
「ああ――っ、これだ。俺が考えるだけで、こうして空も飛べる」
考えるだけ。耀児は巨人を脳波操縦装置で操っていた。
そう、巨人はツクモスだ。しかし、地球上に存在するものではない。少なくとも、現在実装されているものの中には含まれていない。そもそも、地上兵器であるツクモスには飛行機能が無い。
耀児の夢にのみ存在するツクモス。耀児が夢から覚めれば消える。その瞬間が、たった今訪れた。
耀平を加齢したような顔がピクリと動いた。その直後、瞼が持ち上がった。
「あれ? 俺――」
耀児のパッチリ開いた視界には、部屋の天井が映っていた。そこには「暗黒空間に浮かぶ青い星」が映っていた。
幻想的な光景だった。しかし、耀児にとっては見慣れたものだ。その為、直ぐ様現況の意味を理解した。
「夢を――見ていたのか」
空飛ぶ巨人の夢。世界のどこにも無いツクモス。それに思いを馳せたところで、具現化するはずもない。ガッカリするだけだ。その想いが、耀児の口から零れ出た。
「あんなの――無理だと思ってた。けど――」
耀児は泣き言を呟いた。しかし、その口許には笑みが浮かんでいた。
「『あの子』のお陰で、何とかなりそうだ」
あの子。その少女の顔を想起した瞬間、耀児の口は一層綻んだ。その吊り上がった口の間から、明るい声が飛び出した。
「完成する。俺の夢――『憑依率』百パーセントのツクモスが」
憑依率(Possession Rate)、通称「ピーアール」。それを名付けたのは、ツクモスの生みの親、名取耀蔵だ。言葉の意味を簡潔に言えば「ツクモスと感応する特質」である。ヴェイクスを起動、運用する為に必要な才能だ。
尤も、ヴェイクスの機能を鑑みれば適当な名称とは思えない。それでも、耀蔵は「これしかない」と断言した。当然、疑問の声も上がっている。
それに対して、耀蔵は苦虫を噛み潰したような渋い表情で、面倒臭げに答えた。
「自分の頭で考えているつもりでも、実は『ツクモスに操られている』んじゃ。『とり憑かれている』と言っても良い」
ツクモスにとり憑かれやすい割合を示す数値。それが耀蔵の言い分だ。しかし、実際のところは、脳波操縦の依存度を示す割合である。
一般作業用のツクモスの場合、憑依率は「五十パーセント」に設定されている。これは、一般人の憑依率に合わせている。その為、操縦系統の半分は手動となっている。
耀蔵存命の頃は、この設定で固定されていた。しかし、それも今は昔の話。耀蔵亡き後、地球軍上層部が我儘を言い出した。
「より強いツクモスを造ろうと思えば、脳波操縦偏重は当然」
手動は「思考、操作、実行」の三段階。対してヴェイクスは「思考、実行」の二段階。瞬間の反応速度は、後者に軍配が上がる。
スポンサーである地球軍の要求に、名取重工業は全力で乗っかった。
そもそも、憑依率五十パーセントに拘っていたのは名取耀蔵唯一人。彼がいなくなったなら、誰も止める者はいない。直ぐ様憑依率偏重の機体、第二世代型の開発が始まった。
因みに、第二世代型の憑依率は五十五パーセント。試作段階ということで控え目になっている。それでも「乗り手を選ぶ機体」になっている。
現在、地球軍ツクモス部隊の主力機(第三世代型)は「憑依率七十パーセント」。一般人のそれより二十パーセントも高い。当然ながら乗り手を選ぶ。その条件に適う人間は、現況の人類の中では希少だった。しかし、耀児は更に先を見ていた。
憑依率百パーセント、完全ヴェイクス操作のツクモス。それが、現在全力開発中の「第四世代型」だ。
要求される憑依率が一般人の二倍の値。耀蔵の言葉を借りれば「魂が全てツクモスに乗っ取られている」といったところ。言い方を変えると、「ツクモスと同化している」となる。それは最早人間ではない。その為、耀児も諦め掛けていた。
しかし、奇跡が起きた。人間の中に憑依率百パーセントの逸材がいた。その子の名前が、耀児の口から零れ出た。
「本当に――『雨淋』ちゃん様々だな」
劉雨淋。「最強戦連覇」という、学園始まって以来の偉業を成し遂げた才女。その子のことを想うと、耀児の口の端が際限なく吊り上がっていく。
暫くの間、耀児はベッドの上で「ニヤニヤ」と擬音が見えるくらい楽しげに笑っていた。ところが、途中で笑顔が消えた。
「それにしても――」
このとき、耀児の脳内には耀蔵の顔が閃いていた。
「爺ちゃんは、何で『憑依率』なんて変な名前を付けたのかなあ」
耀児は、世界中の誰よりも憑依率に拘り、信奉している。しかし、その名称の意味に関しては、未だに納得していなかった。




