第六話 テストパイロット
耀平が「雨淋の機嫌取り作戦」を考えている間に、準備体操は終了していた。
仕方ない、走っている間に何か考えるか。
耀平は、時間を掛ければ何か出るだろうと、気楽に考えていた。
「それじゃ――行こうか」
「うん」
耀平が声を掛けると、雨淋は即応した。
二人は、海岸沿いの遊歩道を東に向かって走り出した。その際、耀平は海側、雨淋は耀平の左隣、学園側。手が届きそうな距離を開けて、付かず離れず並走している。
二人が奔る海岸沿いは、既に眩い旭日に照らされている。その光景は、異世界と錯覚するほど幻想的なものだ。
異世界の中にいる体操服姿の男女。この場に居合わせた者が見れば、違和感を覚えただろう。
尤も、この場には耀平達以外に誰の姿も無い。海岸沿いの遊歩道に響く音は、潮騒と、耀平達の足音だけ。
現況は、全くの二人きり。そのシチュエーションは、幼馴染である耀平達にとっては馴染みのものだ。
二人が小学生だった頃。望めばいつでも二人きりになれた。しかし、それも今や昔の話。
ツクモス学園生となった今、この時間以外に二人きりに成れる機会は無い。その事実を思うと、耀平の足取りは少しだけ重くなった。
お互い――いや、ユーリンは面倒事を背負い込んでいるから。
耀平の視線が左側、並走している雨淋の方へと傾いた。すると、雨淋の頭頂部が目に入った。続け様に、頭の下で激しく揺れる「双丘」が目に入った。
何か――凄い音がしていそうだな。
雨淋の胸部を見詰める耀平の脳内に「ぼいん、ぼいん」という弾音(幻聴)が響き渡っていた。それを意識した瞬間、耀平は声を上げていた。
「ぼいん――」
「え?」
「!?」
耀平の声に、雨淋が即応した。その瞬間、耀平は全力で口を閉じた。その際、彼の額に冷たい汗が滲んだ。
ヤバい、ヤバい、ヤバい、ヤバい――誤魔化さないと。
耀平は「雨淋の胸を見ていた」という事実を誤魔化そうと、全力で知恵を絞った。その瞬間、胸を見る以前に考えていた内容が脳内に閃いた。
面倒事――か。
面倒事を想起した瞬間、壮年男性の顔が閃いた。
「『父さん』って――」
父さん。耀平の父、名取耀児。ツクモス全盛の現代において、「ツクモス開発の第一人者」と呼ばれる著名人だ。その息子である耀平は、生まれの幸せを喜ぶべきだろう。
しかし、耀平の顔には寂しげな苦笑が浮かんでいた。
「ユーリンに酷いことしてない?」
酷いこと。それが何なのか、耀平本人もよく分かっていなかった。そもそも、耀平は父の近況を全く知らなかった。
質問者が理解していない内容など、答えられる道理は無い。しかし、雨淋は反応した。
「ううん、良くして貰っているよ。何で?」
良くして貰っている。その言葉を聞いた瞬間、耀平の顔が苦々しげに歪んだ。
このとき、耀平の心中にドス黒い感情が沸き上がった。それが何なのか、耀平にも分からなかった。分からないまま、衝動に駆られて声を上げた。
「『第四世代型』って――何か大変なんじゃないかなって」
第四世代型。その名の通り、現況の主流(第三世代型)を超える最新鋭次世代軍用ツクモス。ツクモス開発の第一人者(名取耀児)が、その持てる力の全てを注いで夢中になって開発している。
耀児にとっては「夢そのもの」と言える機体だ。だからこそ、その機体を任せる操縦者、テストパイロットも、それなりの才能を持つ者を欲した。その白羽の矢を立てられた者が――劉雨淋。
「大変――なのかな? 私、操縦しているだけだから。特に難しいことも無いよ」
雨淋は、毎日のように第四世代型の開発に付き合わされている。必然的に耀児と会話する機会も増える。その中で、耀児から耀平の情報(最強戦出場)を聞いていた。
その事実は、耀平にも容易に察しが付いた。
「ふ~ん」
耀平の返事はそっけなかった。
耀平からすれば、「疎遠な実父が幼馴染と仲良くしている」といったところ。その事実を平静に受け止められるほど、耀平は大人――ではなかった。
面白くないな。
耀平は足を止めた。その行為は、隣にいた雨淋にも直感できた。
「よ~へくん?」
雨淋も、耀平に合わせて足を止めた。
立ち止まった二人の間を、ネットリ塩気を含んだ潮風が吹き抜けた。剥き出しの肌に、ミネラルたっぷりの湿気がまとわりついた。
不快ではあった。しかし、耀平も、雨淋も、全く気にしていなかった。気にする余裕が無かった。
二人の意識は、それぞれ相手に集中していた。
耀平は黙って雨淋を見詰めていた。
雨淋は小首を傾げながら、不思議そうに耀平を見ていた。
静寂の時間は、凡そ一分。それを打ち破ったのは耀平だった。
「何でもない」
耀平はぶっきらぼうに言い放ち、直ぐ様走り出した。その様子は、雨淋の視界にシッカリ映っていた。
「あっ、待って」
雨淋は、耀平を追い掛けて走り出した。しかし、中々追い付けなかった。
雨淋の身長は、耀平と比べてかなり低い。当然、脚の長さにも差が有った。真面に走ったら、追い付く道理は無い。
ところが、時間が経つ毎に、雨淋の視界に映った耀平の背中が大きさを増していた。その理由は、考えるまでも無かった。
耀平は、途中でペースを落としていた。
耀平の気遣いで、雨淋は追い付くことができた。その直後、雨淋の可憐な口が「へ」の字に曲がった。その歪んだ隙間から声が漏れ出た。
「よ~へく~ん~っ」
雨淋の声は、普段のそれより低かった。その変調の意味は、幼馴染である耀平には直感できた。
「気を付ける」
耀平は、ぶっきらぼうな物言いで返事をした。
そりゃ、一緒に走るって約束をしているのに、置いていったら――怒るよな。
耀平は、心中で自分の非を素直に認めていた。しかし、真面に謝罪する気にはなれなかった。それを躊躇わせる存在が、耀平の脳内に閃いていた。
父さん――今、何しているんだろうな?




