第六十七話 私を想って
乾坤圏の執拗な鞭攻撃。その千切れた右腕から飛び出す黒紐は、振り回している訳ではなく、鉄砲魚の如く「噴き出す」といった直線的な攻撃になっている。正に射撃である。
しかも、攻撃速度は神速の域に達している。人間には感知できない。コンピュータの演算も間に合わない。
だがしかし、ムラマサには丸っとお見通し。
((攻撃の起点は一箇所。読み易い))
ムラマサに見えている以上、躱すことは可能だ。だからと言って、現場に留まり続ける訳にはいかない。当のムラマサの体が悲鳴を上げていた。
「耀平っ、もう――逃げろっ!」
耀蔵(AI)の悲痛な叫びが、耀平の耳に突き刺さる。今や耀平の左肩は騒音発生装置と化していた。しかし――
「…………」
耀平は全力で無視している。その視線と意識は、乾坤圏から伸びる黒鞭に集中していた。
あれを何とかしたら、何とかなる気がする。
耀平の脳内に、ボンヤリとした逆転の発想が閃いていた。それが、耀平の口を衝いて出た。
「あれを捕まえることはできないかな?」
「何を言っとるんじゃお前はっ!?」
耀平の言葉に対して、耀蔵(AI)はギョッと目を剥きながら全力で反対の意を唱えた。
しかし、反対しているのは耀蔵(AI)だけ。耀平の脳内には、もう一人の同居人から賛成の意が伝わっている。
((それ、やってみよう))
「よしっ」
ムラマサの返事を聞くや否や、耀平はムラマサの右手を超速で操作した。
ムラマサの右手が後ろに回る。続け様に、腰部後背に仕舞った打刀を引き抜いた。
打刀の白刃が、鈍色の光を放つ。その残光が、ムラマサの眼前まで引き延ばされていく。
ムラマサは霞の構えを取った。その体勢を維持しながら、打刀をユラユラと揺らした。
打刀の白銀の刀身が、小刻みに陽光を反射する。
明滅する光は目に悪い。目に入れば視神経を痛める。そのうっとうしい輝きは、乾坤圏の神経を逆撫でした。
ムラマサが打刀を揺らし続けている最中、乾坤圏の鞭が打刀に飛んだ。その攻撃もムラマサには見えていた。
しかし、ムラマサも、耀平も動かない。そのせいで、黒鞭は打刀の刀身にぶち当たってしまう。そのままボキリと折られて――いなかった。
ムラマサのIN範囲が打刀の刀身を全力で保護していた。
乾坤圏の黒鞭は、打刀を折ること能わず。その勢いのまま、刀身にグルグル巻き付いていく。その様子は、ムラマサの視覚センサーにも、耀平の視覚にもハッキリ映っていた。
耀平は即応。全力で打刀を引っ張った。
「このまま引き摺り下ろして――」
乾坤圏の黒鞭は体内の配線を利用している。分離は不可能だ。綱引きとなれば、踏ん張りが利く分、地上にいるムラマサの方が有利。
ムラマサは腰を落とし、打ち刀を右肩に担いで全力で引っ張った。
ところが、何故かビクともしない。それどころか、逆に引っ張られて――
「あ~~れ~~っ!?」
耀平の間抜けな悲鳴と共に、ムラマサの巨躯は天高く舞い上がっていた。
このとき、ムラマサは打刀を握り締めていた。それを放すつもりなど微塵も無かった。その為、黒鞭に振り回されるまま、乾坤圏の硬度を超えて更に上空へと舞い上がってしまう。
ムラマサの巨躯が、天高く突き上げらてしまった。最高点付近まで上がった――瞬間、耀平の脳内にムラマサの声が響き渡った。
((手を離せっ!))
「!」
耀平は、反射的にムラマサの右手を操作した。
ムラマサの右手から打刀が飛び出した。空中には、ムラマサの巨躯だけが置き去りにされた。
しかし、地球には重力が有る。現状維持し続けられるはずもない。ムラマサは地面に向かって落下した。
ムラマサの終着点は、当然ながら地面である。しかし、途中に黒と灰色の中継点が存在していた。
ムラマサの進路に、巨大なクロアゲハが立ちはだかっていた。それを直感した瞬間、ムラマサと耀平が順番に声を上げた。
((敵機、直下ああああっ!))
「急降下あああああああっ!」
二人が叫び声が轟く中、二つの巨影が重なった。
ムラマサは、咄嗟に乾坤圏の右肩にしがみ付いた。続け様に乾坤圏の肩に乗り上げて、上半身を迫り出した。
ムラマサのポッコリ突き出た腹が、乾坤圏の後頭部に当たった。それを嫌がるように、乾坤圏が激しく体を振り回した。
乾坤圏に乗り上げたムラマサの巨躯が激しく揺れた。ムラマサの中にいる耀平の体も激しく揺れた。
「うわっ、うわっ、うわわっ!?」
耀平の口から間抜けな声が漏れ続ける。目も回っている。胃の中に有ったものが、食道の方へと押し寄せる。
しかし、何が起ころうとも現状は全力で死守。そうしなければ死ぬ。
耀平はムラマサの右腕を操作して、乾坤圏の首に回した。右腕一本のチョークスリーパーホールドである。
ムラマサは乾坤圏の首を締め付けながらしがみ付く。その行為に因って、二人の密着度合いは一層増した。
しかし、二人は仲良しではない。
乾坤圏は一層嫌がった。
ムラマサは一層きつくしがみ付いた。
ムラマサ(耀平)としては、可能な限りしがみ付き続けていたい。しかしながら、ムラマサの耐久力は既に底を尽き掛けている。
耀蔵(AI)は、悲痛な叫び声を上げた。
「耀平っ、右腕が――」
壊れる一歩寸前。いや、もう壊れているかもしれない。
ムラマサの右腕が外れたら、地面に向かって落下する。それまでの制限時間は、殆ど残っていない。その事実は、耀平も、ムラマサも理解している。早急に手を打つ必要が有ることも理解している。
しかし、現況に至る経緯が全て予想外。全くの行き当たりばったり。策など無い。
早く何か考えないと――って。
耀平は、反射的に右手を伸ばして頭を掻きむしろうとした。その瞬間、指先に柔らかな花の感触を覚えた。
それは、出掛けに被ってきたシロツメクサの花冠だ。その存在を直感した瞬間、耀平は声を上げた。
「ムラマサっ」
((何だっ?))
「外に出る。開けて」
((なっ!?))
耀平の提案に、ムラマサは絶句した。耀平の左肩では、耀蔵(AI)が「止めろ」と必死に静止している。
しかし、耀平は席を立った。
「これが――どうにかしてくれるかも」
耀平は、右手を頭に伸ばして、そこに乗っていたシロツメクサの花冠を掴んだ。それを握ったまま、正面モニターの前に立った。
「頼むっ!」
耀平は虚空に向かって叫んだ。その要求に、ムラマサが応えた。
((行ってこい))
耀平の前に直径一メートルの穴が開いた。穴の向こう側には鈍色の曇天が映っている。結構な高度だ。落下すれば落命は確実。
それでも、耀平は外に向かって躍り出た。
その直後、耀平の前に鉄の塊が立ちはだかった。
耀平の目の前に、乾坤圏の後頭部が有った。それを直感した瞬間、耀平は乾坤圏の頭に抱き付いた。
その直後、突風が耀平の体を強かに叩いた。
「うおおおおおおおっ、滅茶苦茶怖いんですけどおおおおおおっ!」
耀平は叫んだ。「怖い」「ヤバい」と叫び続けながら、乾坤圏の顔の方へと回り込んでいく。
乾坤圏の口と思しき個所に足を掛けたところで、乾坤圏の目(視覚センサー)に向かって右手を翳した。
乾坤圏の目が、耀平の右手に握られている白い物体を捉えた。その映像は、乾坤圏の中にいる雨淋の目にも映っていた。
「これって――」
シロツメクサの花冠。その存在を直感した瞬間、雨淋の脳内に過去の記憶が閃いた。
よ~へくんが、私にくれた初めてのプレゼント。
雨淋の心臓が激しく跳ねた。一度では収まらず、二度、三度――何度も激しく脈打ち続けている。その衝撃と振動が、雨淋の体を動かした。
雨淋は、乾坤圏の操縦席から立ち上がった。そのまま席を離れて、右手を前に突き出した。
右手の先には、モニターに映ったシロツメクサの花冠が有った。それに触れた瞬間、雨淋の口から震える声が漏れた。
「よ~へくん――」
雨淋は耀平の名前を告げた。今、二人は手を伸ばせば届く距離にいる。
しかし、雨淋の声は耀平には届かない。雨淋の声を聞く者は、遠く離れた研究所の研究者達だけ。
尤も、研究者達にできることは何も無い。彼らには、乾坤圏のコックピットに仕込んだ収音マイクに耳を傾けることしかできない。雨淋を救うことも、声を掛けることも、何もできない。その事実は雨淋も理解している。
現況に於いて、雨淋の声に応える者は誰もいない。そのはずだった。ところが、
((コレ、スキ))
中世的な女性の声が、雨淋の脳内に響き渡っていた。




