第六十六話 相棒
乾坤圏の背中から広がる漆黒の翼。その姿は、正に巨大なクロアゲハ。その巨翼がはためいた。
風が舞い起こり、乾坤圏の体が上昇する。その様子は、真正面にいた黒い鎧武者――ムサマサの視覚センサーに捉えられていた。
「逃がすかっ!」
ムラマサの腹の中から、耀平の叫び声が上がった。それと同時に、ムラマサが乾坤圏に向かって突進。
その際、ムラマサは右手を前に突き出した。そこには白刃をギラつかせた打刀が握られている。
((届けっ!))
打刀の切っ先が乾坤圏に迫る。それは乾坤圏の胸元に刺さった――かに見えた。
しかし、ツクモスの胸部はコックピットブロック(名取エンジン)の至近。IN範囲は、より強固に作用する。打刀に施されたIN酵素は、IN範囲の圧力に押し負けた。
ムラマサは、乾坤圏の上昇を阻むこと能わず。乾坤圏は、そのまま上空高く舞い上がった。その様子は、当然ムラマサのセンサーにも捉えられている。ムラマサの中にいる耀平の視界にもバッチリ映り込んでいた。
「ああああああっ、クソっ」
耀平の眉間に深い皺が刻まれていく。耀平の脳内に、乾坤圏を取り逃がすという最悪の可能性が閃いた。ところが、耀平の想像は外れた。
乾坤圏は移動していなかった。上空に留まったまま、地面の方に顔を向けている。
今の乾坤圏は、宛ら「地上を見下ろす堕天使」といったところ。真っ黒なので、天使ではなく堕天使。
尤も、相手が何であれ、耀平達にとっては敵であることに変わりはない。その事実を、耀平の左肩に乗った小妖精が告げた。
「狙撃するしかあるまい」
耀蔵(AI)の言葉が、耀平に成すべきことを想像させた。それを直感するや否や、耀平は地面に視線を巡らせた。その行為の意味が、耀平の口から零れ出た。
「ライフルは――有ったっ」
黄土色の地面にアサルトライフルが一丁転がっている。それを視認するや否や、耀平はムラマサを走らせた。
漆黒の鎧武者が、アサルトライフルに向かってまっしぐらに駆けていく。走行中、邪魔になる打刀は鞘に仕舞った。
ムラマサの前に障害物は無い。程無くしてアサルトライフルの許に辿り着いた。続け様に、ライフルに向かって右手を伸ばした。その行為を阻むものは無い。そのはずだった。
ところが、ムラマサの人差し指が銃把に触れようとした瞬間、紐状の何かがアサルトライフルを叩いた。その様子は、ムラマサのセンサーにもシッカリ捉えられていた。
「!?」
耀平の視界に「黒い鞭」が映り込んだ。それが、アサルトライフルの銃身強かに打ち据える。
もし、ムラマサの指がライフルに触れていたならば、ライフルはIN範囲の恩恵を得ていただろう。しかし、届かなかった。
ライフルは銃身の真ん中からボキリと折れた。その光景を目の当たりにして、耀平の頭から血の気が引いた。
「何なんだっ!?」
耀平の口から文句の言葉が飛び出した。しかし、耀平にはまだ希望が残っている。直ぐ様辺りに視線を巡らせて、もう一つの銃火器、大口径ライフルを探した。それは、きっとどこかに有るはずだ。探せば見つかるはず。
ところが、またしても邪魔が入った。
((上からくるぞっ))
ムラマサの警告。それが耀平の脳内に響き渡った瞬間、耀平はムラマサを後退させた。
その直後、例の黒い鞭が降ってきて、ムラマサがいた辺りを強かに叩いた。
正体不明の鞭による攻撃。一体、何者の仕業か?
ムラマサは、相手の正体を想像しながら頭上を見た。
そこには巨大クロアゲハが浮かんでいた。その威容は耀平の視界にも映っている。
「あいつの仕業か?」
耀平はクロアゲハの胴体を見詰めていた。そこには手足をもがれた乾坤圏の姿が有った。その右手から、黒い紐状の――「鞭」が伸びている。その事実を直感した瞬間、ムラマサが鞭の正体を告げた。
((あれは――『配線』だな))
配線。ツクモスの全身を巡る送電線である。それらを束ねたものが、乾坤圏の右手から伸びている。
よく見れば、確かに配線だ。しかしながら、その正体を知らされた耀平の首は斜めに傾いだ。
「ツクモスの配線って――あんなに伸びるものなの?」
乾坤圏の右腕は、その半分が千切れ飛んでいる。しかしながら、乾坤圏の右腕の鞭は、右腕どころか全身の何十倍も長い。何故なのか?
その矛盾に対する回答は、耀平の脳内には無い。だからこそ、耀平はムラマサに尋ねた。その直後、耀平の脳内にムラマサの声が響き渡った。
((あれもIN羽衣の応用――なのかな? いや、俺も良く分からん))
ムラマサの首も斜めに傾いだ。耀平と二人して、「何だろうね?」と考えた。
しかし、呑気に考えている場合ではない。二人の頭上には敵がいる。
乾坤圏は、再び右腕の鞭を振るった。続け様に何度も振るいまくった。それを、耀平とムラマサは必死に避けた。何度も避け続けた。二人のコンビネーションであれば、それが可能であった。
しかしながら、二人の行為には限界、制限時間が設定されている。その事実は、ムラマサのサポートコンピュータがバッチリ把握していた。
「耀平っ、体がもたんぞっ!」
耀蔵(AI)が、ムラマサ本体の耐久限界を告げた。サブモニターに表示されたムラマサの全身図は、目が痛くなるほど真っ赤に染まり切っている。
いつまでもつか分からない。
耀平の額と背中に冷汗が滴った。速く決着を付けたいという気持ちが募る。その想いが耀平の口から飛び出した。
「ムラマサっ、どうにかできない?」
耀平の懇願に、ムラマサは即答した。
((無理だ))
「えっ?」
ムラマサは耀平の願いを却下した。続け様に、耀平の期待に応えられない理由を告げた。
((俺には空を飛ぶ機能は無い))
「あ――……」
ムラマサの言葉を聞いて、耀平の口から情けない声が漏れた。しかし、心は折れていなかった。
「なら、俺が――」
ムラマサが頼れない以上、自分で何とかするしかない。そう思った。ところが、耀平の決意は、ムラマサの言葉で無残に打ち砕かれた。
((お前では無理だ))
対ツクモス戦に於いて、ムラマサにできないことを人間ができる道理は無い。その事実は、耀平も骨身に染みて理解している。
だからと言って、「諦める」という選択肢は、耀平には無かった。
ユーリンを、あのままにはしておけない。
耀平には、乾坤圏の状況が分からない。雨淋が攻撃しているのか? 或いは何かトラブルが起こっているのか? 全く分からない。
しかしながら、事情はどうであれ、耀平の心中には成すべきこと、成したいことが有った。それが、耀平の口から零れ出た。
「ユーリンを助けないと」
耀平の想いに、ムラマサが反応した。
((俺では無理だぞ?))
「分かってる」
ムラマサの言葉に、耀平は即答した。その返事に、ムラマサが反応した。
((お前でも――無理だ))
「それも分かってる。だけど――」
耀平は、一旦言葉を切った。「すぅ」と息を吸ってから、先の言葉の続きを告げた。
「俺とムラマサなら――どうかな?」
耀平の質問に対して、ムラマサは直ぐには応えなかった。ほんの少しだけ間が開いた。
その間、外から響く鞭の打撃音だけが響いていた。その合間を縫うように、耀平の脳内にムラマサの声が響き渡った。
((できる。余裕だ))
「よしっ!」
ムラマサの返事を聞いて、耀平は「待ってました」とばかりに元気良く返事をした。
かくして、耀平とムラマサによる「雨淋奪還作戦」が始まった。




